一カ月と一週間目
「なぁ、エル…… 俺、どうしたらいい?」
堂女見習いとして、日々忙しくする中で、まぁ孤児院での奉仕ってもの有るんだけど、その休み時間に捕まってしまった。 色んな記憶の泡沫が収斂する中、この子の顔は見覚えが有ったの。
孤児院で、今年十三歳になる男の子が私にそう問いかけてくるの。 愛くるしい顔で、本当に困ってますって表情で。 栗色の髪と、緑の眼。 頬がリンゴみたいに真っ赤でね。 着ている服は、どっかの誰かのお下がりでは有るんだけど、決して『汚い』って感じはしない。 よく洗って、ちゃんとしていて、清潔感もあるし……
同じ孤児院の子達の間でも一頭地を抜けて良い感じなのよね。 要領も良くって、先生方が叱っている処なんて見た事ないしね。 まぁ、凄く出来の良い子なのよ。 女の子たちの熱視線も判らないでも無いわ。 でも、そんな事にすら、上手く立ち回っているのよ、この子は……
まぁ、それでも、記憶の中の様なことに成ることはもう無いんだ。 だって、私はもう、貴族の娘では…… リッチェル侯爵家とは何の関係も無いんだから。
にこやかに、その男の子に言葉を紡ぐ。
「えっと、どういう事かな?」
「あぁ…… 俺さ、今十二歳だろ? もうすぐ十三歳に成るんだ。 それで、もう孤児院には居られないんだけど、俺を受け入れてくれるって所が、幾つかあるんだ」
「名指しで?」
「あぁ、ルカを欲しいって云って呉れている。 まぁ、勉強は頑張ったし、お手伝いも色々とやったからな。 算術は基本的に教えてもらった事は出来るようになったし、色んな商店の手伝いもしたんだ」
「うん、いい事よね、それは」
私がまだ、リッチェル侯爵家の娘だった頃、領の商家やらギルドに対して、提案した事がちゃんと実施されているの。 ほらね、元々商家に入れる人って、商家の伝手がある人だけだったわ。 でも、有用な人材なんかは、それに限った事では無いんだもの。
ますます発展していく御領の商いは、常に人材不足でね…… ギルドも頭を抱えていたのよ。 そこで目を付けたのが、孤児院の子達…… だったの。 必要な勉強を孤児院で行い、商売の才能が有りそうな子を、商家が迎え入れる…… ってね。 行き場の無い孤児たちが、少しでもいい職場を得る為と、街に浮浪者を溢れさせないための方策だったわ。
勿論、大人の浮浪者に対しても、ギルドでの職業訓練なんかも実施しているけれど、若い…… いいえ、子供達の方が、海綿に水を吸い込むように、知識と知恵を得て行くんですもの、そりゃ商家だって、ほうっておかないわ。
にんまりと、笑みを浮かべつつ、後の言葉を促すの。 何が問題なのよ?
「幾つかの商家から、お誘いのお手紙を貰ったって、神官様が言っていたんだ。 それで、俺に何処を選ぶかって…… 俺…… 判んねぇよ……」
「ふーん。 そうなの? で、ルカはどんな商人に成ることが夢なの?」
「『夢』…… かぁ…… そうだな、海を渡り、新しい品物を適正な価格で仕入れ、そんでもって王国に高値で売って、大金持ちになるのが夢って云ったらいいかな」
「大金持ちね…… 普通の商家だったら、まず無理ね」
「ウソォ~~ そうなのか?」
「当り前。 だって、儲けたって、その商家が儲かるだけで、貴方には給金として決まった金額しか支払われないわ」
「…………ぁぁ そうだな。 でもさ、大商家に入れば!」
「それも、どうかと思うわ。 だって、大きなお店なら、従業員だって沢山いるもの。 その中で頭角を現して、さらに人を出し抜いて行かないと、相当に苦労するわよ。 ルカの性格からして、そんなの難しいと思うわ」
そうなのだ。 ルカはもともと、こんなにも素直で優しい男の子なんだ。 領の大店や、王都に店を構える大商家なんかに入ったら、きっと潰される。 いや…… 歪む。 私の記憶がそう云うのよ。 だって……
『記憶の中のルカ』って、
大店の力を存分に使って、『私』を追い詰め、外国に向かう奴隷船に売ったり、最低の待遇しか与えない娼館に売り飛ばしたりしたのよ?
こんなにも素直で素朴な人が、其処迄『悪辣』に成る程の環境だったって事。 だから、私はお勧めしないの。 大店とか、大商人の所に行くのは。
「別の人からのお誘いは?」
「うん…… あるには、有るんだよ。 ほら、偏屈で通っている、アルファード爺さんの商店。 大商店から目の敵にされて居る、小さいけど潰されない、あの店なんだ」
「アルファード爺さん? エルネスト=アルファード老の事?」
「ん? だれだ、ソレ?」
「二街の端っこに有る、アムラーベル商店って名前の御店の御主人」
「……そういや、そんな名前の店だったな。 確かにあの店だよ」
「やっぱり…… 私なら、一択ね」
「えっ?」
エルネスト=アルファード老は、今でこそリッチェル領に居て、小さな商売をされているけれど、その御弟子さん達と云うか、かつての仲間達というか、そういった人たちはそれぞれ、王都で大商会の会頭を務めてらっしゃるのよ。 そして、何よりも商道徳を重んじて、新しい商品を常に供給している、そんなお店。
全ては、エルネスト老の薫陶に依る物だって、商工ギルドでも有名な話よ。 それに、商工ギルドでも、老は一目も二目も置かれているのよ。 そんな人からお誘いが来てるなんて、とても素晴らしい事。 私なら、一も二も無くアムラーベル商店にお願いするわ。
「エルが…… そこまで言うんだ。 そんなに凄い人なんだ……」
「ええ。 ただ、毎日が試練の様な物ね。 とても厳しいのよ、エルネスト様は。 でも、耐えきれたら、一流の商人に成るわよ。 ええ、海を越えて、新しいモノを次々と王国に紹介する、偉大な商人にして下さるわ。 ……ルカに、その能力があると、そう、見て下さったのかもね」
「……う~ん。 そうか…… なら…… 頑張ってみるか……」
「私も外国の素晴らしい場所が見たいわ。 いずれ、大人になったら…… 素晴らしい世界を見せて欲しいな」
「……ウっ そ、そうだね…… は。はは、 はははは…… わ、判った。 しょ、将来、そうなってやるよ」
ん? ルカ?
どうしたの? 御顔が真っ赤だよ?
修道女に成ったら、まずは外には出られないから、この約束もきっと果たされないと思うけど、それでも、ルカには善き商人となって、世界に羽ばたいて行って欲しいと思うのだもの。
―――― 貴方なら出来るよ。
歪まず、真っ直ぐに…… きちんと商いを習得さえ出来れば…… この国を代表するような大商人に……
きっと成れるよ。
私を売らない 『大商人のルカ』 に……