エルデ、古き掟に縛られた存在と対峙する。
聖杖を手に、一人で廊下を歩く。
それにしても、人影というか人の気配が無いわね。 あの子が言っていた通り、使用人も解雇してしまったと云う事なのね。 現在のファンデンバーグ法衣子爵様父子の『職務』が『職務』だけに、日々食べていく位しか、お給金が出ないと。
どうしても自分達で出来ない必要な事柄は、この街区に屋敷を構える、別の貴族家に助力を願っていると。 成程ね。 いわゆる、飼い殺し状態な訳ね。 ほんと、意地が悪いわ。
でも、ファンデンバーグ法衣子爵様からの度重なる助力嘆願は、貴族の体面を著しく損壊する。 そして、『信用』を毀損し続け、やがて誰からも相手にされなくなる。 そう、どんなに努力しても、どうしようも成らなくなる。
何らかの不正をせねば、貴族の体面すら保てない。 露見しようものならば、貴族籍は剥奪の上、国より放逐される。 ファンデンバーグ法衣子爵家、存亡の危機と云う訳よね。
ソフィア夫人との間にしてもそうよ。 今の様な『確固たる信頼関係』が無ければ、『離縁』すらも考えられるのよ。 まぁ、ソフィア夫人も、いまさら御実家に帰っても、そこが安堵出来る場所では無いわね。 貴族女性にとって、離縁されたと成れば、どれ程大きな傷と成る事か。
愛情深い方ならば、決して決断するような事柄では無いわ。 まして、自身の御命が危ぶまれている状況ならば…… 特に……
不調が続いていても、今の場所を護るのが、夫人の『役目』で在り、要である事に違いない。 あの子も能々その状況を見て、理解していると云う事なのね。 夫人が命を削り護って来たものだものね。
―――― そんな時に『寄り親』は、どうするのか。
当然手助けをしなくてはならないのよ。 まして、とても優秀な方なんでしょ、法衣子爵様は。 なら、なぜ? そこまで考えると、色んな事柄が見えてくる。 行きつく結論としては……
リッチェルは、ファンデンバーグを見捨てた。
いや、手助けしない事により、追い込んでいるとも云える。 ファンデンバーグ卿の、その頭脳は魅力的ではあるけれど、替えが無いわけじゃない。 故に、自身の『怒り』を、『許す』と云えば済むだけなのに、それすらもしない。 職を奪い、職位を落とし、経済的に困窮する様に仕向けているとも、思えるのよ。
…………ならば、なにが目的なの?
暫しの沈考に、一つの可能性が浮かび上がったの。
―――― ヒルデガルド嬢の影人 ――――
そんな言葉が、脳裏に浮かぶ。 そうよね、『記憶の泡沫』にある通り、あの子の能力も、ファンデンバーグ家の方々と同じくらい優秀。 つまるところ、リッチェルは、『怒り』にかこつけ、頭脳明晰で頑健な貴族令嬢を心身共に ” 縛り付ける為 ” に、状況を悪化させ続けているというの? ただ、自身の愛娘を守護させる為にね。
誇り高い貴族女性の心を折り、屈服させ、隷属させるには…… 良い方法かもしれない。 落剝し、喰うに困り、貴族の体面さえも失った ” 法衣子爵家 ” を、最終的に助ける振りをして、『人格共々』して、手に入れる。
手中の珠、宝石の姫たる、『聖女』様を影より護る、頭脳明晰で裏切る事が 絶対に無い『従僕』にして、なにかあった時の『肉の壁』として。 同年代の女性貴族の中で、一番その能力値が高い グレイス=ケイトリッチ=デル=ファンデンバーグ法衣子爵令嬢に狙いを付けたって事?
―――リッチェル卿め。
そうか、判った。 ならば、『禍』を引き寄せる元凶は、『人ならざる者』と、『人の悪意』の双方。
今日、この御邸に来たのは、他の人ではなかなか対処出来ない、『人ならざる者』への対処が優先されたからかもしれない。 神様の御心や、その大いなる視線の中に浮かび上がった、『世界の理』に反する特異点なのかもしれない。
そして、そこに『人の悪意』が存在する事に、私が気が付く様にとの思召し。 誓約を護る私にしかできない、善良な人達への救いの手に成る事を期待されているのよ。
ええ、理解しました。 そして、完遂する事を、お約束しましょう。
私が持てる 『 力 』 を全て使って。
――――
そんな事を考えつつも、歩みは止めない。 入って来た玄関ホールを過ぎ、御邸の反対側へと足を踏み入れる。 重い雰囲気が更に重くなる。 固く閉ざされている、居間への扉をそっと開く。 エグエグと泣く声が響いている。 しかも、それは人のモノではない。
そっと、居間に身体を滑り込ませ、後ろ手に扉を閉める。
まずは観察。 良く見ると、成程 呪い除けの祭壇が設えられているわ。 でもねぇ…… 足りないのよ。 在るべきモノが無いのよ。 見よう見真似で設えたのが手に取る様に判るの。 本来ならば……
無垢の白木の祭壇が、精巧な装飾が施された高価な稀少木だった事。
高杯に捧げられるべき、供物が銀の平皿に盛られている事。
更に言えば、供物が禁忌とされて居る『血肉』を伴う物を捧げている事。
精進潔斎がおざなりにされた結果、祭壇自体が汚濁に塗れている事。
……そして、
不完全な【解呪】の魔法術式が、不協和音を響かせながら未だ稼働している事
うん、最悪。 あの規模の祭壇を設えるには、まず場所自体を『清浄な空間』にしなくてはならない筈なのよ。 なのに、その形跡が何処にも無い。 ようは、精進潔斎をしていないって事ね。 高位神官でさえ、この規模の祭壇を設ける時には、一か月に渡る精進潔斎をしなくてはならないのよ。
で、あいつ…… 『精進潔斎』をしたとは思えないもの。
その結果、瘴気が残るこの部屋の中で、祭壇を組上げたと。 勿論、それすらも自身の手に依るものじゃ無いわね。 あれ程の大きさの祭壇を一人で組上げるのは難しいもの。 なにも知らない人達を使って、祭壇を組上げたとしか思えないわ。
―――― 祭礼の護るべき事柄を、全く守っていないのだもの。
その上、これだけの『設え』を設ける祭礼には、聖堂教会の許可が必要な筈。 神様と精霊様方の御力におすがりする、この系統の祭祀には、相応の格式と高位神官が動員されるからね。 聖堂教会とは、リックデシオン司祭様と御話させて頂いてるわ。 でも、その御話の中に、これ程の設えを要求する【解呪】の祭祀の申請が行われたとは、一言たりとも聞いてはいない。
つまり、独断でこの祭礼を行ったという事。
正式に『神官』として任命もされておらず、『聖職』を宣下されていない、そんな方がこの祭礼を、金穀を対価に成したと云う事。 完全に『貴族派の神官達』が、やらかしていた事と同じよね。
詳細が異端審問官様に知られれば、只では済まないわ。 これは…… 『報告義務』に値する。 穢れた儀式を成した者は、相応な報いを受ける事になるわよ。 私…… が、お伝えする義務を背負っちゃたじゃないの。 あいつの行く末なんか、全く興味ないのに……
頭が痛くなってきたのよ。
でも、この状況は戴けない。 なにより、私の成した術式で、『神の鉄槌』を下ろしたにもかかわらず、未だに術式が稼働しているのは解せない。 出来る筈、無いのだもの。 本来ならば、この不完全な術式が、叩き割られていても不思議では無いはずなのにね。 でも、この不可思議な現象の原因に、『思い当たる節』が有るのよ。
――― そう、この泣き声。 ―――
果てしも無く辛そうな『泣き声』が、私の予測した事柄を証明しているの。 そう、何者かが、この不完全な魔法術式に膨大な魔力を供給し続けているの。 その魔力は、高位の存在のモノだから、『神の鉄槌』を受けても、半壊しつつも稼働停止に迄は至っていない と、云う事。
人よりも高次元に存在する『モノ』が紐づけられている。
不完全な魔法術式の傍に、もう一つの魔法術式を見る。 まるで、両手を合わせて何かを閉じ込める様な、そんな形の術式。 神の鉄槌を受け、幾つかの指が欠け落ちて、十分な捕縛が出来ては居ない様だけど、それでも、その掌の間に下半身をガッチリと握り込まれた『何者』かが、泣きながら藻掻いているのが見えたの。
ボロボロの羽根。
漆黒の肌。
触角の様な角。
虫と人を混ぜた様な姿。
見るに堪えない程の襤褸を纏って……
エグエグと泣いているのよ。
その者を捕らえている術式を見る。 魔法術式でも精霊術式でもないそれは、紛れもなく……
―――― 妖精術式 ――――
そう、この囚われているモノは、且つて妖精と呼ばれていた囚人。 戒めと、罰則と、怒りと…… そんな『感情』で組上げられた、『妖精術式』の牢獄。
なにか、人として関わっては成らない事柄に、首を突っ込んでしまった…… 。
苦し気に、悔し気に、『苛まれた者』特有の悲嘆に満ちた泣き声を上げている、その彼等にとっての重い罪を犯したであろう、妖精様。 成程、そういう事か。 罪を犯し、その贖罪として、牢に繋がれる。 人の間に於ける、懲役刑と同じね。 そして、収監された牢に於いて、処罰としての役務を行う。
多分、この妖精様の場合は、所謂魔力の供給がその役務に成っているのだろうな。 無理矢理、本人の意思に関係なく【魔力譲渡】で魔力を吸い上げられるのは、相当な痛みを伴う。 肉体を持つ『人』であっても、堪えがたい痛みなのに、肉体が魔力で構成されている妖精様ならば、その痛みは想像を絶するものなんだろうな。
余すところなく、魔力を吸い上げる為に、体中に拘束液を塗りたくられて…… あのような真っ黒な状態と成っているのね。
よく目を凝らし、構成されている魔法術式を読み解くと、その様な結果が読み取れるのよ。 古い、古い、術式ではあるし、私が聖典の古代語で綴られている聖句を理解出来ていなかったら、たぶん、読み解けなかったわ。
何らかの罪を犯しているのならば、仕方のない事だけど、それでもこの屋敷の中にこのままと云う訳にはいかないわ。 呼吸を整え、濃い魔力を漏らしている、不完全な魔法術式に近寄るの。 こっちの方は、まぁ、昇華させることも出来ると思う。 他人が綴った術式は、その術者よりも高位の者ならば、弄れるしまして不完全なモノならば、つけ入る場所も多いのよ。
ただ、漏れ出している、その者の『魔力』が問題。
常には想像も出来なような、異質で高密度の魔力があちらこちらから、滲み漏れ出しているのだもの。 此れに触れるだけで、私の持つ内包魔力と衝突して霧散する。 それは、ちょっと避けたいかな? だから、不完全な魔法陣への魔力供給源を中心に探る。
ッ! あった……
魔力の『要求回路』と、この黒い妖精様から魔力を吸い上げている【魔力譲渡】の術式らしきもの。 らしきもの と、云うのは、術式自体が改変された『術式反転』が付随しているから。 別の言い方をすれば、『譲渡』では無く『略奪』に近いかも。
強制的に、黒い妖精様から魔力を抜いていると云う事ね。 そりゃ、泣き声だって出るわよ。 医療錬金術でどこまで出来るかは判らないけれど、切り離したり、終端処理くらいは出来そうね。 用心深く、異質な魔力に触れぬ様に、私は魔力を紡ぎ出して、不完全な魔法術式に繋げる。
――― 最初は『要求回路』。
とても、古い術式ね。 この国の魔導院は、術式の変更を好まないから、古くても機能するものならば、現在も使用し続けているわ。 その結果なのかもしれないわ。 でもコレって…… もっと大規模な術式に使用するモノじゃないのかしら? 要求する魔力量が、大きすぎるし、何よりも制御無しで最大要求値を紡いでいるんだもの……
まぁ、今はいいか。 とっとと、切り離しちゃえ。
見るべき場所、やるべき事は、至って簡単。 不完全な魔法陣が要求する魔力量を伝える線を切り離し、終端を丸めるだけ。
何時も製薬の時に使う『医療錬金術』で最初にする事と同じよ。
ただ違うのが、『要求回路』に対し、幾つもの要求線が入っている事。 不完全な魔法陣をよく観察して、順番を間違えない様にしなくちゃ、只でさえ莫大な要求量が、それこそ無限大になってしまう。どこが一番初めで、何処が終端か。
一応、これでも、医療錬金術はかなり使用しているから、術式の内容は読み取れるのよ。 だから、どの順番で要求しているのかは理解できる。 逆走する様に、終端部から一番目に遡る感じで切断、終端処理を始めるの。
要求が無ければ、『要求回路』は 特殊な【魔力譲渡】術式への指示を出さない。 つまりは、魔力を奪う事は無くなるの。 やがて、【魔力譲渡】の魔法陣は励起状態から基底状態に移行する。 つまりは休眠ね。 何らかの『要求』が入力されるまでは、この術式は動かないって事。
ガタピシ廻っている、不完全な魔法陣からの要求回路は、まぁ…… 切り離して行ったわけなのよ。 そしたら、ギリギリ稼働していた魔法陣は、その非効率故、あっという間に魔力切れの様相を呈し、端から端から機能を停止して行くの。
独立運用型の魔法陣だったから、この祭壇から ” コレ ” を紡ぎ出した者へ、『返しの風』は、発生しないけれどね。 報いを受ける者への『断罪』は、まだ時間が掛かると云う事ね。 ええ、そちらも、きちんとしなくては。
この際だから、妖精術式から、この術式も切り離しちゃえ。
あっちは、あっちで完結している様なモノだから、人の造りし術式とは相性が悪いのよ。 何らかの原因で、あっちの魔力が『不完全な魔法陣』に流れ込み続ければ、それこそ『魔力爆発』なんて事になってしまいかねないんだもの。
術式の内、幾つかの回路を逆転させてるように繋ぎ直して、ちょっとだけ起動。 術式内に残っていた、異質な魔力を、あっち側に送り返してから、繋がっていた太い線を切断。 双方の終端を処理して終わり。
うん、これで、この不完全な魔法陣はもう動かない。
へんな術式で、【解呪】をしたら、逆に ” 呪い ” を、集めかねないのよ。 本格的に呪術式を扱う呪術者ならば、こんな事はしない。 少なくとも、手に負えなくなる可能性を鑑みて、絶対に稼働中は術者は呪術式の側にいるものなのよ。 アーバレスト上級伯夫人を苛んだ術者なんかの様にね。
ほんと、何処までも『愚か』としか言いようが無いわ。
この術式は、そのままにしておくと、『禍』にしかならないから、『神聖聖女』の秘術を用いて、昇華させてしまう。 こんな無様な術式をそのままになんて、しておけないもの。 聖杖を水平に掲げ、精霊様方の御力を貸して頂く。 他人により紡がれ祭壇に固定されている術式を、昇華させるには、相応の魔力を消費するのよ。
「……大いなる慈悲を齎せられる精霊様に奉じ奉る。 慮外者なる、神様と精霊様に仕えし者が紡ぎし、不完全な【解呪】が術式、願わくば分解昇華せしむる事、伏し祈り、御助力嘆願す」
クルリと聖杖を一回しして、トンと石突を床に落とす。 波紋の様な神意が形成され、石突から円形に波は広がるの。 金色の漣。 幾重にも、幾重にも折り重なり、壁に反射して編み上がる様に床面を埋め尽くす。
粗くも有り、精緻でもある網布が完成すると、ゆっくりと上昇を始めるのよ。 紡がれた ”魔法 ” を分解し、昇華する…… 神様と精霊様方の『奇跡』。 『神聖聖女』が行使する、奇跡の一つなのよ。 勿論、【清浄浄化】も備わっているし、聖女が【精進潔斎】の術式も内包している。 故に、この部屋は清浄で静謐な空間と成るのよ。
キラキラと昇華された魔法陣が吹き上がる様を視界に収め、この失態を犯した者への少々の『怒り』を覚えていたの。 何故に、このような無茶な儀式を行ったのか。 金銭の対価と云うならば、それはそうなのだろうけど、余りにも『祭礼の大きさ』が異常なのよ。
まるで、自分がここまで出来るのだと、そう主張するかのような……
『自己顕示』を目的とした祭礼としか、思えなかったのよ。
―――― § ―――― § ――――
ジッとこちらを見詰めている視線を感じる。 えぇ……? 御邸には、奥様と御嬢様以外、極少数の人の気配しか無かった筈。 それに、居間の扉を開けた気配すら無いわよ? えっ、えっ、ええぇ? と、云う事は、つまり…… 厳粛な声が、居間の空間を震わせる。
「……おまえ、誰だ」
「……第三位修道女エルに御座います。 そう云う貴方様は?」
「グモン。 この地に依る妖精、グモン=パーデル ……妖精なのは、判っている筈だよな」
「ええ、その御姿を視れば、自ずと」
ボロボロの羽根。 そして、見るも無残な着衣と、そこから覗く真っ黒で幾つもの傷が見える肌。
なにより、小さいの。 もう、十分成長していると理解出来る程のオーラを醸しているのだけど、それでも、五歳児ほどの身体の大きさ。
成人女性をそのまま縮小したかのようなスタイルと、背に生えている羽根は、明らかに妖精様の御姿。 そう云えば、妖精様の御姿を見るのは…… 二回目だったかしら?
「……普通は、驚くぞ? なぜ、そんなに落ち着いてられるのか」
「御姿を拝見した妖精様は、貴方様でお二人目。 妖精様の御姿は、アルタマイトで拝見させて頂きました。 また、わたくしは『神職』を奉じている者。 よって、妖精様に畏れを感じる事は御座いません」
「…………精霊様方の『御加護』か」
「はい。 では、此方からも、お尋ねしたい儀が」
「なんだ。 まぁ、あの戒めから、一時的にでも『解き放って』くれたんだ、聴こうか」
やっぱり…… 『神聖聖女』が御業の行使によって、下位の魔法術式が昇華されてしまったと云う事ね。 つまり、この方を戒めていた、あの『手』の様な捕縛術式も溶けて無くなったと、そういう事ね。 『罪の重さ』から、再度術式が構築されるかもしれないわね。 それ故の『一時的』と云う御言葉なのかもしれない。
それでも、この方…… 妖精様にはあるまじき『色』をされて居る。 その事がどうしても解せないの。 余程、強い禁忌を侵されたのだとは、思うのだけど……
「聖女が秘術を行使して尚、貴女様の御姿には違和感を覚えます。 その様な方の戒めを解いてしまって、そちらの方に恐れを感じますが、事情をお教え願えますか?」
「はぁ…… 何故ここに居るのかと問われると思っていた。 それよりも、私の罪を聴きたいか」
「あれほどの戒めを施されていたのであれば、解放したこと、そして、放置する事に『恐れ』を、抱くのは当たり前なのでは?」
「…………そうだな。 見てくれは悪いが、私とて妖精の一人。 歳を経た妖精が、このような姿と成れば、何をしたのかが、気に掛かる…… よかろう」
目の前の妖精様は、ドカリと云う感じで、床に座り込まれたの。 もうその時点で色々とオカシイのよ。 第一、こんなに御話をされる妖精様なんて、記録に無い。 それに、『人』の姿をした実態を伴ったとも云える妖精様は、とんでもなく歳を重ねた存在で、普通は光球やら、蟲ほどの大きさなんだもの。
―――― 高位妖精様と云えるのよ。
そんな方が、何故故にこのような御姿に成っているのか。 何を成したら、こんな罰を与えられているのか。 そして、誰がこの方に『これ程の』罰をお与えになったのか。 疑問は深まるばかり。 むっつりと黙り込み、瞑目しつつ腕を組んでいる グモン様。 やがて、双眸の瞼が持ち上がり、赤黒く深い色をした瞳をピタリと此方に向けられたの。
「事は十五年ほど前に遡る。 私は何処からともなく頂いた『使命』を遂行した。 妖精の悪戯と呼ばれる行為だ。 場所はこの場所に程近い、二つの屋敷。 『使命』は、我等妖精族よりも、遥か高位の存在からの『特命』。 ……今にして思えば、高圧的で、強制力が強く、疑問の余地も無い、そんな命令が強く私に与えられた。 魂に刻まれたその『特命』は、この世界の高位存在から発せられるモノとは思えない様な、内容だった」
「……つまり、世界の外側からですか?」
「あぁ。 そうだ。 そうとしか考えられぬ。 『特命』の内容は、行為を成す事。 そして、その行為を忘れる事。 本来ならば、あっては成らない状況を生み出すのだ。 そのせいで、私は我らが盟主、妖精王から厳しい罰を与えられた」
「この世界の『理』に反する事なのですか?」
「そうだ。 我等妖精族にあっても、護らねば成らない規則は有るのだ。 自由気ままな様に見えて、『世界の理』の則を超える様な事があっては成らない。 禁忌だ」
「その禁忌を犯された…… と云う事ですね。 どのような?」
ふと、嫌な予感がしたの。 グモン様が語る事情に、どこか既視感が有るのよ。 間違っていて欲しいと願う心。 しかし、聴かずには捨て置けない。 もし、その禁忌が凶悪なモノならば、戒めを解いてしまった私にも罰は下される。 万が一だけど、神様と精霊様に差し出した『誓約』を犯している可能性すらある。
直ちに私の命が奪われなかっただけかもしれない。 でも…… 『罪』は『罪』。 重い罰を戴く可能性も捨てきれない。 言い知れぬ『恐怖』が、私の身体を縛り付け『石化』したかのように、動けないの。 ゆっくりと紡がれる妖精様の言葉…… 耳朶を打つ音の連なり。
「取り換え子。 この国の上澄み貴族家と、最下層の家の嬰児を取り換え、その事実を『特命』と共に忘れた。 そう命じられていたからな。 取り換え子は、幾通りかの方法が有る。 その内で最悪な方法を私は取った。 いわば、妖精が人族に下す『厳罰』と云えるモノだ。 しかし、それが故に、厳密な規則が存在する」
「妖精様方が遵守される…… 『ヴィクセルバルク』の規則ですか? どの様な?」
「『厳罰』はあくまで罰であり、期限が有るのだよ。 これは、『世界の理』に則る、重要な事柄でもある。 私が成した、『嬰児の交換』は、特に規則の多い物なのだ。
一つ、罪の重みが同じモノ。
一つ、厳罰を与えた事を知らしめること。
一つ、罰則には期限が有り、最長五年を持って解消せしめる事。
一つ、精霊様の加護を持つ者には手を出しては成らない事。
私は『特命』により、殆どの規則を破った。 その者が背負う『罪の重さ』が全く違う、二人の人の嬰児を取り換え、そして、忘れ去った」
「疑義が一つ…… 先程、グモン様は『厳命』により、『厳命』が下された事も忘れる様にされたと、そう仰いました。 なぜ、それを記憶されているのでしょうか?」
「それはな…… 魂に刻まれたからだ。 流石に二十八回も刻まれれば、魂が記憶する。 もう、二度と御免だ。 もし、もう一度あの時に戻らば、『厳命』に抗う。 自身の存在を掛けてな」
――― 確定。
二十八回…… その回数は、わたしの『記憶の泡沫』と現世を足した数の同じ…… 確定したのよ。 グランバルト男爵家の『禍』は…… 私の数ある前世の『凶行』と、『驕慢で傲慢』な有り方の全てが、この方が…… グモン様が成した『指令された厳罰』により、引き起こされたのだと。
「私の行動により、『均衡の天秤』は大きく傾き、禍福の縄が解け、禍と福が『取り換え子達』に振り分けられてしまった。 『世界の理』に反する事なのだ。 それが故に、『祈り』が『理』から離れてしまった。 妖精王様が殊の外、立腹されて、『古の掟』の中で一番の厳罰を私に下されたのだ。
牢獄の中で、妖精族が生命力とも云える魔力を、私の生命力が完全に失われるまで『永遠』に吸われ続ける、そんな罰だ。 我等妖精族の『極刑』とも云える罰。
唯一、その牢獄の収監を終える事が有るとすれば、当事者の内、禍を押し付けられた嬰児からの許しを与えられる時のみ。 ……あれほどの『禍』なのだ、もう嬰児は、遠く時の輪の接する処に旅立っているに違いない。 つまり…… 私への『罰』は、永遠と成るのだ」
絶句したまま、身体が固まる。
自身の取り換え子の真相が、自分の目の前に提示されるなんて……
思ってもみなかった。