エルデ、聖職者である事を再認識して、自身の在り方を心に刻む
翌日に行う、調剤製薬の準備をしてから、私は本棟に戻ったの。 時刻はもう真夜中と云ってもいい。 軽く水浴びを済まそうとすると、侍女が二人程ついて来たの。
「もう、夜も遅いです。 水浴びで済まそうかと思います」
「なりません。 本日は、フェルデン本邸での事も有り、そうとうにお疲れかとは存じ上げますが、バン=フォーデン執事長からの御話を伺い、居ても立っても居られませんでした。 何卒、何卒、ご入浴にて御身体を御休め下さい。 鬱気も、湯に溶けますでしょう。 心からお願い申し上げます」
「ええ、まぁ…… その心尽くしは有難くはありますが、何故に?」
「エルディ御嬢様がこのままでは、本棟より去られてしまう。 歴とした、フェルデンがお嬢様が、そうでない様に扱われて消えてしまう。 我慢なりません。 その様な事、断じて。 ……別邸が侍女皆の偽りない本心です。 聡明で美しく、フェルデンが賢姫を軽々しく扱うなどッ! 本邸の者達は万死に値するッ!」
「い…… いや…… そ、その…… それが、王宮侍女の誇りなのでしょうか? それほど、苛烈な思いを以て、仕えられている。 そう云う事なのでしょうか?」
私の素朴な疑問に、恥ずかし気に心持ち下を向いた侍女の方。 でも、その瞳にはしっかりとした光が宿っている。 それこそ、矜持だと云わんばかりに。 成程…… 王宮侍女ともなれば、それこそ身も心も、この国の藩屏たる『信念』を持たねば成らない。 まして、後宮女官となるべく、別邸で研修中なれば、いずれその心は、王家の方々へと向けられる筈。
苛烈とも云える心情は、王家の『守り人』として誇りかぁ……
言い方は悪いけれど、今は私が彼女達の『主人格』と成っている。 彼女達の『忠誠』の在処の為の『身代わり』、『練習台』、そんなものになっているわ、きっとね。 たぶん…… ミランダがそう仕組んでいるに違いないわね。 ”心根の在処をしかと見詰め、そして、自問せよと。 ” そう嗾けているのは、何となく理解できた。 それが理解できるが故に……
――― それを拒む理由は、無いもの。
「入浴介助、宜しくね。 今日は、本当に疲れました」
「はい、承知いたしました。 ごゆるりと」
夜遅くなっても、こうやって私の世話をして下さることに、頭が下がる。 それを、自身の『お勤め』と認知し、遂行する事に誇りを持ってらっしゃる。 私が拒否する事は、彼女達の矜持を拒否する事。 出来ないわよねぇ…… そんな事。
有難く、お湯を使わせて貰って、疲れを癒す。 心の疲れでは無く、純粋に体の疲れ。 熱くも温くも無い、丁度良い温度のお湯が、身体のこわばりを解きほぐしていく。 成程、自分が知らぬ間に、相当疲れがたまっていたのね。
お湯を戴いて、良かったと思う。
程よく、湯疲れをして、寝間着を羽織る。 贅沢な事だけど、睡魔には敵わない。 ”お夜食を”と、告げられるも、其方は謝絶して早々にベットに潜り込む。 もう、意識を保っていられない。 疲れた…… ほとほと、疲れを感じてしまった。
暖かい寝具に横たわると、もう瞼は開いていられない。
安らかな眠りに着くまで…… 時間は掛からなかったもの。
――――― § ―――――
瞑った瞼が、パチリと開いた。
―――御部屋の外に二つの気配がする。
どんなに睡魔に襲われようと、警戒線の構築だけは怠らない。 それが、辺境の荒野で生き残る秘訣。 だから、上掛けを頭から被って横たわって深い眠りに落ちていても、気配を感知した途端、私の意識は覚醒する。
――― とっても強い 『怒り』 の感情を感知した故に。
そうね、荒野で遭遇する、餓狼が攻撃色をした目でこちらを見ている感じ…… とも云えるかな? 思わず、身体を固くした。 此処には、防御手段など無いモノ。 短剣一つ、忍ばせてはいないし、私の『聖杖』は 小聖堂の然るべき場所に安置している。
つまりは、本当の丸腰。
さて、どうしようかと…… 思案していると、扉の外で声がしたの。 極めて『怒り』の感情が強い、男性の声と、『怒り』を押し殺した、低い女性の声。 怒りの大きさは、相当なもので、部屋の中で横に成っている私の所迄、その感情が伝わってくる程なのよ……
「お嬢様は、お疲れになり、眠っておられます。 今宵は、お引き取り下さい」
「会わねばッ! 会って、謝罪をせねばッ! たとえ、それが『言い訳』であろうが、会って状況を説明せねば成らないのだッ! 其処を退け」
「いいえ、退きません。 コレは、執事長様、及び、家政婦長様からの厳命に御座います。 例え、国王陛下が御遊行されたとしても、決して通す事無かれと。 貴方様がフェルデン侯爵家の御当主様であっても、宰相閣下であらせられても、その『御命令』には従えません。 安らかな眠りにつかれ、心身の疲れを癒されておられるエルディ様は、護られて然るべき。 謝罪ならば、明日に。 お時間が取れないと、諦められるならば、それだけの謝罪なのです。 本当に、真摯に『謝罪』されようと思うならば、万難を排しお嬢様のお時間に合わせるべきなのです」
「き、貴様はッ!」
「切り捨てられようと、ココを御通しするつもりは御座いません。 わたくしなりに、重結界を扉に打ち込ませて頂きました。 此れを解除できるのは、わたくしと、眠るお嬢様以外は出来かねると愚考します。 ……『道理』を弁えて下さい。 こんな、『些細な事』で、大切な主人の静謐な眠りを邪魔する事など、許し難い。 それとも、王城、王宮女官が身命、御手に掛けられた佩刀で、奪われますか? そして、扉を打ち破り、御入室されますか? フェルデンが意思とは、それ程、『野蛮』な物なのですか?」
「ぐ、ぐぅ…… フェ…… フェルデンが家が…… 野蛮だと? し、しかし…… そう云われても…… クソッ! 何故こうなってしまうのだッ! 『道理を通せ』…… か。 そうだな。 それも、そうだ。 其方が…… 王宮女官殿の云う通りだ。 わたしは…… 自身を見失っていたようだ」
「お判りいただけて、幸いに存じます。 非礼の数々、申し訳なく思うも、陳謝は致しかねます」
「いや、いい…… これも、善き機会だ、私は我が行動を見直す。 済まなかった。 エルディを、彼女を…… ゆっくりと休ませてやってくれ」
「ご配慮、有難く」
これは…… なに? 扉の外で、何が起こっているの?
男性の御声からは、殺気すら探知できたわ、それも相当に強い。 女性の方は…… 入浴介助を申し出てくれた、侍女の御声。 やっぱり、判っては居たけれど、あの侍女の方…… 王宮女官庁からの出向だったのね。
―――いやはや、
これは、またなんとも凄まじい。
こんなの、本来なら有り得ないわよ。 名家の御当主様に物申す、一介の侍女だなんて…… でも、王宮女官ならば、あり得る。 王宮に於いて、男性貴族の横柄なる態度に毅然と反駁できない様では、王宮女官など出来はしないだろうし、まして、後宮女官に成ろうかと云う人物ならば、その傾向はさらに強いわよ。
ん? これって……
まるで、王女殿下の部屋付き後宮女官様の様な感じなの? それを指示し、その様に振舞えと諭したのが、ミランダなの? これも、教育の一環なの? うそ! そんな事に成っているの? ここでも又、『常在戦場』の意識が、強く刻まれていると云うの? 本当に、フェルデンと云う家柄は、苛烈に過ぎるわよ。
下手すれば、フェルデン卿の佩刀により、切り捨てられていたかもしれないのよ? 死して尚、破られぬ重結界を施しているの? この扉に? ちょっと待ってよ…… 良く見てみよう……
被っていた上掛けを少しだけずらして、扉の方に視線を向ける。 横たわったままの姿でね。 ここで起きようものなら、あの敏感な侍女の方が、様子を伺いに来るかもしれない。 彼女には、『命の危機を感じさせた事』に申し訳なくって、ココはじっと我慢して横たわったまま、ずらした上掛けの隙間から観察する事にしたのよ。
扉に目を凝らすと、薄っすらと魔力で綴られた魔法術式が見える。 術式を辿ると、成程【重結界】の術式が撃ち込まれていたのよ。 それも、何重にも。 余りに重ね掛けしすぎた結果、記述された術式に隙が無さ過ぎて…… 一枚の板の様になっている程。 感知できなかったわけだ。
これだけの【重結界】を編む人ならば、王宮魔導院の魔法使いでもなれそうなものだけど、我が国では女性の魔法使いは、公的に職を得る事が出来ない。
その理由となる事を、私は知っている。 知識の中に、刻み込まれても居る。 アルタマイトの領都本邸に於いて、色々と薫陶を受けた中に、秘匿された歴史もあったの。 ”これを習得していれば、現在の貴族社会の複雑怪奇な関係性を読み解ける ”と、そう云われてね。 つらつらと、その事を思い出していたのよ。
―――――
かつて、この国の王宮魔導院にも、女性魔法使いは居た。 現在は募集すらされる事は無い。
数代前の国王陛下が御世、特大の醜聞がこの国に激震を齎せたから。 その事により、この国では、王宮魔導院が強く魔法術式を規制し、改変を強く禁止する事にも繋がっているのよ。 それが故に、都錬金術士協会協会長が御子息、ベンターゼン=ガルフ=ノリザック様が、私が駆使する錬金魔法にご興味を強く持たれたの。
その件の大本と成った醜聞。 とある『女性魔法使い』の行いにより、王宮に職を求める女性の魔法使いは排除され、魔法の改変が強く禁止され、『闇』の内包魔力を持つ者が重監視される事と成ったから。
なぜなら、その『女性魔法使い』は『闇』属性の内包魔力の持ち主。 さらに、精神干渉系統の魔法に特化されていた上に、魔法術式を改変し『禁忌』を犯されたから。
その『女性魔法使い』の方は、日々の鬱憤を、魔導術式の改変で解消され、ついに人を操るような術式を開発されてしまったのよ。 その術式名は【魅了】。 そして、ご自身が感じる、自身の待遇の悪さから、その術式を行使を決断されたの。
対象がまさかの王族。 流石に王太子殿下では無かったけれど、第二王子殿下を篭絡。
婚約者を蔑ろにされ、件の『女性魔法使い』を、寵愛されたとか何とか。 そして、『悪事』は、露見するのよ。 自身が第二王子の婚約者を押しのけ、その妃に収まろうと画策したのだけれど、彼女の事を良く思わなかった、別の魔導士により彼女が独自で改変開発した魔導術式が暴かれた。
その術式の内容が内容だっただけに、王宮魔導院では事態を重く見て、すぐさま国王陛下に直訴。
第二王子と、件の『女性魔法使い』は引き離され、其々に個別の塔に隔離。 第二王子には、王宮魔導院から『男性魔法使い』が派遣され、受けていた精神感応系の魔法を解呪。 夢から醒めたように、崩れ落ちる第二王子は、精神に重大な損傷を受けていたようで…… 長い闘病生活を送る羽目になったの。
そして、件の女性魔法使いは、『国家反逆罪』と『不敬罪』が適用され、 ”高位貴族の令嬢 ”だったにもかかわらず、縛り首になったと、記録に在ったのよ。 そこから、魔導院は『女性魔法使い』の登用を拒否する様になり、魔法術式の改変に大変慎重となり、また『闇』属性持ちの魔法使いを特に危険視するに至るの。
ちなみに、その魔法使いの生家の名は…… 『リッチェル』…… なのよね。
あの御家の直系の人々って、結構 特大の ”ヤラカシ ”をしているのよ、……過去に。 自家の醜聞は素早く揉み消すのは、貴族の習い。 でも、慣習的に全てを闇に葬るのは、良くない事だと知っているのも又事実。
この事で、幼い頃の私への酷い対応が、積み重なったのは…… ちょっと、思う所も有るのよ。
過去の事跡を未来の危機回避の『箴言』として残すのも又貴族の習い。 鬩ぎあう相反する貴族の在り方。 同時に、遠く僻地へと、派遣された女性家庭教師達の鬱憤は、溜まりに溜まっていたのも事実。 そして、彼女達の『悶々とした感情』は、愛されない幼子に対して、『理不尽の牙』を剥くのよ。
その危険性から、リッチェル侯爵家当主達は、リッチェルの血を持つ女性に、魔法の使用を強く禁じていたの。 それは、血統を疑われていた私にも当て嵌められたのよ。 だから王都から派遣された家庭教師達の偏執的な教育であっても、その中に魔法の教育が無かったの。
でも、そこは王都のリッチェル本邸から遥か離れた領地アルタマイト。 主人の目が届かぬ場所。 口裏を合わせれば、どんな非道もやり放題。 そして、それを止める者すら存在しない。 合理的思考の末、叩きつけられるような苛烈な教育が、愛されない幼子に施されるのも又必然。
つまりは、リッチェルが秘匿していた過去の醜聞迄、秘する事無く幼子に教え伝えられたのよ。 何の斟酌も無く、醜い貴族家の闇に属する事柄を、詳細に細微に至るまで。 リッチェル家での『止め名』の件も、私に『魔法を教えない件』も、その背景にある事柄ごと、全てを詳らかにしてくれたのよ。
家庭教師達の ”悪意 ”からの…… 発露と云う事ね。
ただ、私が幼い頃から最低限の魔法が使えたのは、あの妙な乳母であるマーサのお陰。 彼女ったら、まるで私がリッチェル侯爵家の本当の子供では無い事を、最初から知っていたかのように振舞っていたもの。
だから、私が市井で暮らせるようにと、色々と市井の事を教え続け、ちょっとでも楽に生活が出来るようにと、魔法の手解きまでしてくれていた。 彼女の口からは、理由は綴られなかったけれど、そう感じたのは事実よ。
王都から派遣された来た家庭教師達の『悪意』を見抜いていたと、そうとも云えたの。 哀れに思ったのかは判らないけれど、結果的に一人の幼子が市井の間で『生き抜く知恵を伝授』したとも云えるのよ。
なぜマーサがそんな事をしたかは、今もって判らない、 一種の嫌がらせだったのかもしれない。 でも、その知識が有ったから、わたしはアルタマイト聖堂の孤児院…… いいえ女子修道院の堂女として、全てを失ったどんな貴族の子女よりも、遥かに楽に生きて行けたんだもの。
――― 感謝すべきよね。
王都より来訪された家庭教師の方々の教育と、私が市井で生きて行ける為に施された、マーサの教育。 この二つが、私の『リッチェル侯爵家での教育』だった。
……二十七回分有るのよ、それが。
あの日、あの時、あの場所で、『記憶の泡沫』の統合により、全ての記憶が繋ぎ合わされた私は、良く魔法を使う事さえ出来るようになったのよ。 なにが、幸いするか判らないモノね。
さて、過去の事はもういいや。 扉の外が静寂に支配されると、また、本格的に睡魔が襲ってくるの。 疲れ果てた私には休息が必要なのね。 睡魔に身を任せるように、眠りの世界に落ち込んで行くの。 暖かく、優しい、このベッドと云う揺り籠の中でね。
―――――――
翌早朝、疲れを感じない、清々しい気分で目を覚ましたの。 まだ、夜の帳が明けきらぬ、早朝のピンと張り詰めた空気の中、私はベッドから起き出し、手水盥で洗顔、そして修道女のローブを身に着け、小聖堂に向かう。
朝の『お勤め』の時間。
早起きの鳥達の鳴く声に、心を弾ませつつ、戸締りをした小聖堂の扉を解放する。 朝日は未だ、地表には届いていないけれど、日が昇れば陽光が扉を抜け小聖堂の祈りの間に差し込むのよ。 私は、その情景がとても気に入っているの。 だから、朝の『お勤め』は、日が昇る前に済まし、静謐で神聖な情景を堪能する事にしているのよ。
祈りは深く、真摯に。
例え、その発露が『自己愛』だったとしても、祈りは純粋に穢れないモノなんだもの。 感謝を、深く真摯な感謝を神に…… 夜の帳が払われ、天空に掛かる星たちが、群青の空に飲み込まれてゆく。 新しい日の始まりを告げる、鶏の声が何処からともなく聞こえる。
大聖堂の大鐘が、夜明けを知らせる荘厳な音を王都に響かせる。
祈りの間に設置されている聖壇に、朝日が差し込む神々しい情景を見詰め、新たな日が始まるのを感じる。 過去はもう過ぎ去った。 刻は回り続ける。 優しき風が、精霊様方の息吹を吹き込んでは、吹き散らす。 全ては流転の元に。 定められた理を以て、転々流転と変化し続けて行くのよ。
朝に、今日を精一杯生きる事を誓い、夕べに精一杯生きれた事を神様に感謝を奉じる事が出来れば、私は…… 私は、本懐を遂げたと云えるわ。 一日を一日を、精一杯大切に……
目の前の情景は、そんな私への神様と精霊様方からの、ご褒美と思うの。 だから、光り輝く聖壇に一礼して、今日を精一杯生きる事を誓うのよ。
さて、まだ、朝食会までには時間は有るわよね。 ちゃっちゃと、錬金魔法を使って調薬の下準備をしなくちゃ。 登院日は明日。
今日は、まだ、第三位修道女で居られるのだもの…… ね。