エルデ、自身の見詰める先に『光』ある事を知る。
――― 時間は過ぎ去り、そして、窓の外は完全に夜の帳に包み込まれた。
月が…… 出ていた。 丸い大きな翡翠の盤の様。 魔物は、あの翠の月からやって来る…… なんて、御伽噺を思い出していたの。 禍々しいと云えなくも無いそんな月。 冴え澄んだ、晴れ上がった夜空にぽっかりと浮かぶ、月を見詰めれば、御伽噺もあながち間違いでは無いのかもしれない……
なんて、物思いに耽っていた頃、ようやくお呼出しが掛かったの。
本邸の使用人の一人が、この小部屋の外から、声を掛ける。
「晩餐会の準備が整いました。 お嬢様に置かれましては、『聖大食堂』へ、お運び頂ければ、幸いに存じます」
「承知いたしました」
儀礼に則った見事なお呼出し。 お部屋の中に一緒に居た侍女様が、扉を開け私を先導して下さったの。 別邸からの客人と云う事で、その持て成しの心は、ありありと私に伝わる。 早くも無く、そして、決してノロノロとした動きでも無く、慇懃に丁寧に私を先導して下さったの。
やがて、目の前に『聖大食堂』の扉が入ったの。 両開きの正面扉では無く、側面の小扉。 招かれたと云うには、少々問題のある入口。 そこは、使用人達の出入り口でもあるのよ。
困った顔をしている、職位の高そうな侍女の方。 でも、そこからの入室を求められているのだから致し方ない。 ……差配されている方の御意思なのだから。 扉は開けられ、侍女の方とは此処でお別れ。 静々と聖大食堂に入室する。 広く明るい大食堂には、巨大なテーブルが設えられ、燭台が輝くカトラリーを照らし出していた。
今日の日の為に集められた、 ”聖大食堂 ” 専門の使用人の方々の内、うら若き女性の方が私に近寄り、小声で語り掛ける。 ……嘲笑を含んだ、嫌な笑みを浮かべているのは、想定内。
この方の立場がどの様なモノなのかを、脳裏に浮かべてみるのだけれど…… まともに想像できないのよ、困った事に。 本邸の使用人と云えど、そこは高位貴族家の従事者。 きっと名の有る名家のお嬢様でしょうに…… はしたない。
「……まさに、侯爵令嬢って姿ね。 まぁ、男爵令嬢が必死になって、付け焼刃で身に着けた礼法。 せいぜい頑張りなさい、恥を晒さぬ様にね」
いきなりの罵詈雑言。 ……思った通りね。 この貴族籍にある女性が、何かしらの先入観を持つ事が、コレではっきりしたわ。 この場での差配を取り仕切っている御継嗣様の御意向は、聖大食堂の専門従事者にとても良く通達されていると。
言葉尻を捕らえるならば、『礼法』では無く、食事のマナーは『作法』と云うのよ。 そんな事すら覚束ない方が、聖大食堂の使用人と云えるのかしら?
そんな彼女には、一瞥を呉れるまでも無く、何も言わずに口元を扇で覆う。 先入観と状況把握が出来ぬ愚かな者に、何も言う言葉は無い。
――― § ――――
そんな彼女の先導で、自席と定められた席に着く。 晩餐会の主催者席 そして、主賓席から遠く離れた席だったのよね。 テーブルの上のカトラリーも明らかに少ない。
と云うよりも、スープスプーン一本切り。 更に言えば、木製のスプーン。
ふむ。 成程。 主催者は私を招待したつもりは無いと云う事。 もう一つ、勝手にやって来た庶民に、お情けで席に付けた…… とでもいう様な扱いなのよね。 つまりは、私は貴族の子女では無く、あくまでも教会から差し出された 『 贄 』 として、扱うと。 そう宣っているの。
ならば、その様に。
両手を膝の上に置き、瞑目して時間を待つ。 やがて、出席者がそれぞれの控室から、聖大食堂に入室し各人に用意された席に着く。 主賓席には、人影は無い。 が、既に主催者である御継嗣様は入室された。 ざわざわとした雰囲気の聖大食堂に、鐘の音の様なグラスのカップを叩く音が響き渡る。 その音を聞くと、出席者各位が口を閉じ、主催者席に視線を投げる。
「皆さん、本日は我がフェルデンの晩餐会にお越しいただき、ありがとう御座いました。 皆さんと、こうして晩餐を食する機会を与えたもうた神に感謝を。 主賓としてお招きした、グルームワルト=エバンデン=ロイス=フェルディン事務次官様は、未だ執務中と御連絡が有り、追って参上するとの事。 主賓を待つ事は無いとの思召し。 有難いご配慮に感謝し、晩餐会を始めようでは御座いませんか」
晩餐会を差配する者としては、十分に満足のいく『ご挨拶』。 彼の開会の言葉を合図に、厨房から続く扉が開かれ、多くのワゴンが流れ込む。
―――― 晩餐会の始まり。
着席式の晩餐会。 その席は良く考えられており、主家各派の者達が一塊になる様に配されていた。 そして、そんな場所で主に活躍するのが、女性貴族。 派内の取り纏めや、主家に対する要望など、言葉と仕草で交歓する。 話題は多岐にわたり、その『答え方』、『見識の表明』で、自家、自派に有利な流れに持ち込もうとしているの。
普通のお茶会の延長ね。 なにも変わりはしない。
そして、私の居る場所には、そんな方達は視線すら流さない。 聖大食堂の中で、私だけが完全に隔離されている様なモノね。 第一、今日がフェルデン侯爵家の方々と、『初お目見え』の日なのに、ご家族の方々からの接触も無い。
その上、出席者であるフェルデンの御連枝様方への紹介すら無い。 呼出して置いて、この仕打ちは、御継嗣様も何らかの先入観を強くお持ちと見受けられるわ。 溜息の一つも落としたくなったの。
晩餐会は、盛況。 皆口々に豪華な晩餐を誉めそやす。 華麗な盛り付けが成されたお皿が、次々と運ばれ招待客に供せられるの。 洗練された動きの従僕や侍女。 この方々が本来の『聖大食堂』付の方々なのかもね。 私に付く人だけが選別されて居たって事かな?
――― 食前酒から始まり、導入、前菜。
華麗で目にも鮮やかな数々の趣向を凝らしたお皿。 舌鼓を打ちつつ、皆さんの健啖ぶりを拝見して居たのよ。 軽いモノから重いモノへ。 まるで美術館の絵画展の様に、小品から中作品へ。 食べる事を戸惑う様な飾りつけも見事なモノだったわ。
――― そして、ポタージュ、魚料理、お口直しのシャーベットを経て、メインである肉料理に。
重く、重厚な設え。 見た目も、多分お味も素晴らしいモノだと思うの。 フェルデンの厨房方は、手を抜く事は絶対にしないぞと云う気概を感じるの。 職責を全うする、料理人の腕の見せ所だものね。
――― メインが終わると、終盤へと向かう。チーズ、遠国の果実、小菓子
まだ、晩餐会には早いかと思われる子供達まで参加している今回の晩餐会。 その子達も、気を張って頑張っているけれど、小菓子が出る頃には、もうお腹も一杯なんだろうね。 ちょっと、目を泳がせたり、椅子に深く座り込んだりしている子達も居たのよ。
それは、なにも招待客だけでは無いわ。 正統なるフェルデンの御令嬢たるリリア=マリー=フェス=フェルデン侯爵令嬢様もご同様。 辛うじて、体面を崩さずに椅子に座っているだけでも、精一杯みたいね。 まぁ、アレだけの量なのだもの。
晩餐会は恙なく終わりを迎える。 皆様、大変満足気にされて居たわ。 食後酒が供せられる頃、御継嗣様は立ち上がり、皆さんを談話室へと誘う。 うん、完璧な主人ね。 ……晩餐会に紛れている教会の贄には、一瞥も呉れる事無く、綺麗に無視して下さったの。
と云うよりも、私の事は居ないモノとして扱っていたわね。
だって……
これだけ贅を尽くした晩餐会のお料理は、私の前には只の一品も配せられる事は無かったもの。 食前酒には、何処で汲んだか判らない薄っすらと濁った水。 全てをすっ飛ばして、孤児院で出されるような薄い具の無いスープ。 皆様の所に配される「白パン」では無い、酸っぱい「雑穀パン」。 それが全て。
豪華なお食事を視つつ、黒パンと薄いスープを戴いたの。 今日の糧に感謝を。 私は思う。 そう此処は、王都に向かう荒野の中。 手持ちの食料が尽きつつある、次の教会迄まだ一日以上歩かなければならない場所。 そう思うだけで、目の前のお食事がとても貴重なモノと思えてくるのが、今の私。
有難く、お食事を戴く。 作法に則ってね。
誰とも会話する事も無く、晩餐会は終わる。 当然、談話室などに誘われる事も無い。 最後まで、事を荒立てる事無く、御継嗣様の遣りたいようにさせたの。 私は『彼への試問』の、”設問 ”。 彼に問いかける ”問題 ”は、ただそこに居るだけでいいのよ。
声を荒げたり、非難の言葉を口にする事は、彼等の思う私だと証明するも同じ。 思惑に乗ってあげてもいいけれど、それでは御継嗣様に対する試問が、破綻するわ。 だから、最後の最後まで、笑顔を浮かべ黙っていたの。 その様子を伺い、更に蔑みの表情を浮かべていた、御連枝の方々。
――― どうやら、私の事を 『 ウスノロ 』 だと、判断したらしい。
当て擦りすらせずに、彼等は談話室に向かう。 皆さんの退出を待ち、私も最後に聖大食堂から退出する。 呼び止められる事も無く、歩を進められたわ。 聖大食堂を出ると、そこにバン=フォーデン執事長が難しい顔をして立っていたの。 あら? どうしたの?
「誠に、申し訳ございません。 本邸の者達は、万死に値する。 フェルデンがお嬢様に何という……」
「気になどしていませんわ。 お食事は、アルタマイトから王都への道を思い出させるものでした。 華麗なドレスを纏っているのが、違いでしたが。 バン=フォーデン。 もし、再び本邸に呼び出される事が有る様ならば、今後はドレスの着用は控えます。 第三位修道女の装いにて、ご訪問いたしましょう。 勿論、わたくしの聖杖を持って」
「…………そ、それは」
「だって、そうでしょ? 御継嗣様はわたくしを一介の遊民として、扱われました。 皆さんに御紹介すらされませんでした。 それは、御継嗣様だけでは無く、侯爵夫人もです。 つまりは、あの方たちの中では、わたくしはフェルデンが『 娘 』では無く、教会から来た得体の知れない修道女と云う事。 お判りですね」
「万が一、その様な事態になれば……」
「聖堂教会、第三位修道女として、対応致しましょう。 仮初の立場は、あちらには通用しない。 そう云う事です」
「ぎょ…… 御意に」
「さて、もう、用は無くなりました。 帰邸します。 ……帰りの便が無ければ、徒歩で帰りますが?」
「そんな無茶な事ッ! させませんッ! 暫し、お待ちを。 玄関ホールにて、お待ちを! グラント=ベルクライトッ! 馬車の準備だ。 黒塗り紋章付き、六頭立て。 直ぐに用意せよ。 御託は聞かぬッ!」
えっ? それって、御当主様の馬車じゃ無いの? 権威の塊の様なモノよ? それを私に使うの? なんで?
「エルディ御嬢様。 本邸の者達は畏れております。 それは、わたくしも。 御継嗣様の資質の見極めに、お嬢様に御助力戴く事は、事前に御話しすべきでした。 しかし、これ程までとは思いもしませんでした…… 深く陳謝を」
「御継嗣様への『当主試問』に対する、『設問』でしたのよ、わたくしは。 ただ、そこに居るだけで良い。 ただ、見守っていれば良い。 ただ、それだけの事。 そして、彼の『為人』と『考え方』は、表出しました。 それだけの事です。 人は…… 特に、高位に成れば成程、見たいモノ、信じたいモノを強く心に留める傾向にあります。 貴種たる者は、その危険を鑑み常に自戒し、独善の陥穽に陥らぬ様に、己を律せねばなりません。 少なくとも、わたくしは、そう教育されました。 ……御継嗣様、これから大変ですわね」
「誠に…… 誠に……」
「では、ホールにてお待ちしましょう。 先に行きますよ」
「御意に」
元来た道をスタコラと帰る。 もう、なにも用は無い。 自身を偽る事が、この状況を引き寄せたのよ。 だから、もう二度と自分を偽る事はしない。 強い光が瞳に乗っていたのかもしれない。 歩く廊下で出会う本邸の使用人の方々が、私を認めると深く深く腰を折り、首を下げる。
そんな事しなくてもいいのに……
でも、そうしないと、彼等 彼女等の心が安らがない。 バン=フォーデン別邸執事長の静かなる激昂。
ベルクライト本邸執事長の憔悴した御顔。 私を押し留めようとするも、なんと声掛けしたらよいかすら判らぬ、本邸家政婦長様のオロオロとした姿。
全ては茶番に過ぎないの、私にとってはね。
さて、帰ったら、この素敵なドレスを脱ぎ捨て、一介の修道女に戻ろう。 製薬調剤だって、まだまだしなくちゃならないし、夕べのお祈りだってまだだもの。 誠心誠意、神様に祈ろう。 今日の糧を頂けた事。 なにより、これから大変な事に成る御継嗣様が、心安らかにお過ごし出来るようにと。
準備が出来るまで、玄関ホールに佇む。
周囲から伺う様な視線が流れてくるのは、まぁ、仕方の無い事。 でも、そんな事に動じる私では無いわ。 凛として、前を向き、誰にも後ろ指刺される事の無いように。 阿ね、追従して自分を見失う事の無きように。 心に平安を。 魂に安らぎを。
ただ、ほんのちょっと…… ちょっとだけ、「怒り」は有ったの。 どの様な噂が流れているのか。 誰が、その噂を流しているのか。 そして、どれだけの者達がその噂に踊らされているのか。 今日の晩餐会で、フェルデン連枝の者達の中では、一定の合意がなされたと思う。
”近寄る事無かれ。 次代の侯爵の不興を買う事無かれ ”
あの、薄ら寒い視線の中の感情は、そんなモノ。 わざわざ突っかかって来るのは、いささか貴族としての資質に問題の有る ”跳ねッ返り ”くらいでしょうね。
年若き、青年貴族に多いのだけど……
あらやだ、貴族学習院に居るのは、
そんな年代の人達ばかりだったわ。 どうしましょうか?
でもね…… 一つだけ『善き事』が有るのよ。
ヴィルヘルム=エサイアス=ドゥ=フェルデン従伯爵様……
選民意識の矯正を試みられるわ。 それは確実に、強固に、執拗に。 相当に怒られるでしょうし、教育だって苛烈を極める事でしょうね。 でも、その教育は、王国の未来の宰相には必要な事。 彼は、『公平』な視点を持つ者に成らねば成らないのよ。 宰相と云うモノには、必須の資質なんだもの。
媚びず、諂わず、信念を持ち、道を外れた言動ならば、王にも苦言を呈する者。 それが、『宰相』と云うものなのだから。
――― 今回の失態は、『神の御導き』と、云う事。
だって……
過去の私は、単なるリッチェルの居候。
私は大勢の前で、『邪悪な下賤の者』と、切って捨てられたのよ。
そう……
彼の『選民意識』そのものが、
私を無残な死へと誘うモノだったんだから。