エルデ、晩餐会に参じ、試す者と試されるモノを傍観する。
……その日の小聖堂のお勤めは、全てキャンセルされた。
時間がとにかく無かったから。
別邸の人達が感じた『屈辱』は、私を磨き上げる事で昇華されたみたいだったの。 そして、私はそれを受け入れるしか無かった。 その日の午後、まだ日の光が十分に私の部屋に差し込まれる頃、準備は整ってしまう。
大鏡の前に立つ私。 美麗に編み込まれた髪、薄く化粧された顔、首まで詰まった襟、そのくせ背中は大きく開いているドレス…… 淡い翠の生地で裁縫された、とても美しいラインを持つ、正晩餐装。 御色もそうだけど、そのスタイルも素敵なモノだった。 実際、私が着用しても、その美しさは損なわれる事無く、私を包み込んでくれているの。
これじゃ、どう見ても、第三位修道女には見えないわ……
結局、バン=フォーデン執事長とミランダ家政婦長に押し切られた感じで、『侯爵令嬢』が晩餐会に出席する準備は整えられたの。 まぁ…… ディナードレスと云う訳ね。 大鏡の前に立って、自身の姿を見て、とても…… とても居心地が悪いのは『今の私』が、絶対しない『装い』だったから。
でも…… 仕方ないのよ。 本当に……
私の意思じゃないのよ、コレ……
―――― § ――――
朝食後に伝えられた『本邸への召喚命令』は、その期日を本日の晩餐と指定してきたのよ。 本当に、判っていないか、判ってやっているか…… 『悪意』しか感じられないわ。
まず、始めて会う人と、『晩餐会』で食事を共にと云うのならば、それだけの時間を与えるべきであり、その当人に対して『許諾』を乞い、『招待状』を送る事は、貴族の社交慣習として成立しているのよ。
それを、本人への『許諾』も無く、『招待状』を送るでもなく、『急々な時間指定』を以て 命じる。 私とフェルデン侯爵家の方々との『最初の顔合わせ』と云う段階に於いて、コレは無い。 当然のように有ってしかるべきな、本邸からの出迎えも無い。 私を貴族とは認めていないという意思表示と取ってもいい。
――― やり方としては、王侯貴族が市井の一般人を呼びつけるのに酷似している。
つまり、あちらの方々は、誰かに指示されて、嫌々私を呼ぶ。 侯爵令嬢としてでは無く、教会の差し出した『贄』を呼びつけ、その顔を拝んでやろうとか言う、なんとも言えない『嫌らしい感情』が、滲み出ている。 この状況が…… そう物語っているのよ。
そりゃ、バン=フォーデン執事長も怒り心頭になるわけだ……
ミランダ家政婦長も眼を怒らせながら、本邸のモノ知らず達に ”目にモノを見せて差し上げよう ”と、私を磨き込んだのも頷ける。 本邸、御継嗣様からの、”別邸への視線 ”が、それ程悪いモノであったのは、私の想定外だったのよ。 余りにも、軽く見られている…… と云うのが、本音。
そんな彼等の心の代弁者と成りに、本邸に向かう事に成ったの。 だからこその、この正装。 母様の形見の扇を手に、本邸に向かう馬車に乗り込む。 何人かの侍女と執事達が、どこか期待を秘めた視線で、私を見送ってくれた。 傍付にはミランダ家政婦長では無く、バン=フォーデン執事長が付く。
バン=フォーデン卿の別邸での立ち位置からすると、執事長がエスコートすると云う事は、フェルデンが『娘』として、別邸は一丸と成っていると、そう本邸の者達に知らしめる為なのだと思う。 時間を測って、本邸に向かう事に成ったのよ。 馬車にはフェルデン侯爵家の紋章がガッチリと刻まれて居るモノが使われているのよね。
その事に、どれだけバン=フォーデン執事長が怒りを感じているのかが物語られているわ。 たんに『養育子』である、御当主様の姪が本邸にご機嫌伺いに行くのならば、こんな仰々しい馬車を仕立てる必要はないもの。 冷静で底の知れない静かな表情を浮かべる執事長に、思わず私は問いかける。
「バン=フォーデン。 ……怒っているのですね」
「怒り…… ですか。 お嬢様、わたくしは、怒っているのでしょうか?」
「……では無いのかしら? 別邸の秘匿された任務を鑑みますと、本邸の方々の認識が甘いと感じます。 矜持を以て、別邸を護る方にとって、コレはあまりに、『別邸の存在』を軽く扱う事と同義かと。 其処に怒りを感じられた…… のではないでしょうか?」
「別邸の在り方については、忙しい方ですが、御当主様は『正確に』ご認識されております。 私の知る”本邸の使用人達 ”も『その事』について、別邸の者達と認識を共にしております。 ……問題と成るのは、本来一番理解せねば成らない方が、未だその認識に到達していない事」
「王国外交の根幹にかかわる部分ですので、ご心配、如何ばかりか…… 察します」
「勿体なく。 御客人様方の動向については、逐一旦那様にご報告を申し上げております。 事実を伝え、情報を提供し、旦那様が考慮される。 且つての幾つもの失態が、別邸の役割を決めたのです。 成り立ちの経緯は、御文庫にも蔵せられておりますので」
「成程…… 御継嗣様は…… 過去を学ばれて無いか、御文書を読まれていないか、そもそも、ご興味が無いか…… いずれにしても、危ういですね」
「聡明なる、我等が『お嬢様』。 フェルディン卿が申せられたように、お嬢様はフェルデンの《賢姫》と、成りましょう」
「勿体なく。 しかし、それは望むべくも無いでしょう。 わたくしは『養育子』。 学習院卒業までの仮初の貴族です。 次代に於ける、貴族様方と聖堂教会の溝を少しでも埋める様にと、教皇猊下より託されております故」
「惜しい…… と、わたくしが思うのは『不遜な事』で ありましょうか?」
「ご評価を頂けた事に感謝を。 しかし、わたくしには行くべき道が御座いますので」
「……惜しい。 誠…… 惜しいです」
フェルデン本邸への道すがら、普段は隠しているバン=フォーデン執事長の本音を伺えた事が、この益体も無い状況の中で唯一と云って良い『朗報』と云えたわ。 そんなにも、高くこの素敵な執事長様にご評価されているとは、思わなかった。
「侯爵令嬢」としては、型破りにも程が有る私。 小聖堂の守り人としての立場を絶対に離さぬ様に、神官としての職務を遂行し続ける事は、さぞや忸怩たる思いを抱かれているのでしょうね。 前世までの私ならば、今の境遇や対応ならば、十分に満足できるかな? 侯爵家の御令嬢として、とても大切にされているのだもの。
……ダメね。
アノ時の私が、今の私と立場を交換しても、上手くいく筈が無い。 高慢にして驕慢。 求めるモノが多すぎて、自身の事しか考えず、周りも視ず…… 我利のみで生きている様な者に、誰が共感してくれると云うのよ。 きっと、前世での王都リッチェル邸での生活と何ら変わりは無い筈よ。
不可視の『斎戒のストラ』が、今も私の首から掛かっている。
過去の自分を正確に見詰める事が出来るのも、この精霊様からの贈り物のお陰。 私を聖職者たらしめる、根拠の一つ。 この状況に於いても、心安らかに成り行きを見詰める事が出来るの。 神様と精霊様方に感謝を捧げねば。 闇へと堕ちる事無く、真っ直ぐに歩める光を私に下さったのだから。
―――― § ―――― § ――――
フェルデン侯爵家、王都本邸。
王侯貴族の中でも上澄みと云える、侯爵家の屋敷。 屋敷と云っても、王宮の離宮程の大きさがある巨大な建造物。 歴史と威厳を持ち合わせる、この国の宰相家の権威を如実に示す、そんな建物。
魔法術式により結界が、邸の四方に張り巡らされ、許可なき者の侵入を強固に拒む様式は、王国外縁部の砦も鼻白む様なモノ。 更に言えば、邸を取り囲む城壁の様な壁から本棟に至るまでの距離は遠い。 広大とも云える前庭や奥庭、庭園は、万が一 本邸が賊に襲撃された時に、十分な野戦行動が取れる程。
邸内別棟には、私兵である騎士団も常駐しており、警備の堅牢さは誰が見ても判る程。
そんなフェルデン侯爵家の外門を、何事も無く通り抜ける、私達が乗った馬車。 この外門を通り抜ける為に、前世ではどれ程の術策を弄した事か…… あっけなく、その外門を通り抜けた事実に、少々呆けてしまう。
「お嬢様、如何なさいました?」
「い、いえ。 流石は宰相家を護る者達だなと。 堅牢な結界や、力強い騎士達の姿。 物々しくも、権威を損なわぬ様に配せられていると…… そう、見えました」
「構えだけで、その事に思い至るとは……」
「それだけに、何の照会も無く外門を通り抜けられた事に、驚きを隠せませんでした」
「この馬車を見て、御者台に乗る者を見て、誰何の声を挙げる不作法者は、フェルデン本邸にはおりません。 さて、もう少しです。 前庭の庭師は、とても良い仕事をする者達。 お目を楽しませて下さい」
「ええ、そう致しましょう」
成程、とても良く手入れされているわ。 青々とした芝生、灌木が本邸への視線を切る様に、それでも、そう感じさせない様に配置されている。 外敵からの襲撃を受けた場合に、適度な防御陣地と成り得る様に。 灌木の樹冠から、本棟の最上階が見えていると云う事は、あそこが観測所になるのね。
成程、鉄壁と云われる所以だわ。 これ程の外構を持つ邸など、王都にも数える程でしょうね。 宰相家と云う特殊な立場から、常に外敵に狙われ続ける立場だった…… 王国の勃興期や成長期なら、当然の事。
平和な世代が続き、襲撃される事も無くなった筈なのに、未だ対処に余念を感じない。
” 常在戦場 ” ……ね。
その真意は、何も心構えだけって事では無いと云う事。 プロムナードを馬車は進み、やがて屋敷の玄関へ到達する。 車寄せに四頭立ての馬車は停車し、御者がステップを準備している。 そんな中、バン=フォーデン執事長は、私をしっかりと見詰め、言葉を紡がれるの。
「不測の事態が起こり得るやもしれません。 晩餐会が行われる聖大食堂には、本邸の専門のモノしか入れませぬ故…… ご不便をお掛けるやもしれませぬ。 ご容赦下さい」
「晩餐会の主催はフェルデン本邸。 御継嗣様が差配していると、そう思われるのですね」
「御意に。 これも、家内の見極めの一種に御座いますれば、まずは御継嗣殿の行動に一切の掣肘は加えられません。 ただ、見守り…… ”評価”するだけに御座います。 依って…… 」
「皆まで云う必要を感じません。 私は招かれた客人として振舞えば宜しいのでしょ?」
「御推察、誠に……」
「格式と儀礼に基づき行動します」
「有難く、存じます。 では、行きましょう」
外部から扉が開く。 内鍵はバン=フォーデン執事長の手により解除されていたので、滑るように扉は開く。 豪華な設えの玄門が扉の向こう側に広がっていた。 何名かの出迎えがあり、此方に対し首を垂れている。 バン=フォーデン執事長が先に出て、ステップ脇に立つ。 白手袋の右手を差し出し、私のエスコートをしてくれた。
よし。 行くか。 最初から、『悪意』が有ると判っていれば、それは、予定調和。 どんな手で来るか、お手並み拝見と心を決めた。
馬車から出て、バン=フォーデン執事長の右手に手を載せる。 ステップを降りそのまま玄関に向かう。 此処で、私が言葉を発する事は無い。 ただ、ただ、バン=フォーデン執事長に全てを任せるまで。
「フェルデン別邸より、御継嗣 ヴィルヘルム=エサイアス=ドゥ=フェルデン従伯が命により、参じた。 此方におわすは、エルデ=エルディ=ファス=フェルデンお嬢様。 晩餐会の出席を命じられた方にあられる。 賓客として遇せ。 良いな、ベルクライト」
「バン=フォーデン卿、お待ち申しておりました。 本邸執事長ベルクライトが承ります。 卿の仰せのままに」
ふむ…… 何となく、力関係が判る会話ね。 流石は鉄血宰相の右腕。 年老いても尚、隠然とした影響力を持ち、権威の上では本邸の執事長様よりも『格上』である事が見て取れた。 フェルデン卿はバン=フォーデン卿を、自身の高祖の右腕で有った方として、『高く評価』されている。 その『評価』が故に、王国の為『重要な場所』である『フェルデン別邸』の差配を任されていると……
――― 成程ね。
もし、別邸が無ければ、本邸の執事長…… と云うより、家宰は彼だったと云う訳ね。 理解した。 そして、本邸の使用人達もそれを熟知していると。 目の前で首を下げる本邸執事長ベルクライトの態度が、それを如実に顕わにしているのよ。
少なくとも……
本邸の使用人達からの嫌がらせは無いと思ってもいいかしら? フェルデン卿のご家族の傍付の侍従侍女達以外……ね。 あの命令書を編んだのは、御継嗣様の御命令。 そして、それを実際に成したのは、傍付の執事。 ベルクライトが絡んで居れば、あの命令書は発出される事は、無かったでしょうね。 そう、感じさせるくらいベルクライト本邸執事長は、バン=フォーデン執事長に対し敬意を払っている。
ふむ…… 使用人の数が多いと、こういう所にも組織の多重化が発生するのか。 成程ね。 御当主様の頭痛の種が増える訳だ……
ベルクライト本邸執事長の先導で、聖大食堂へと向かう。 最初に入る部屋は、予備室。 晩餐会が始まるまで、その部屋で待機する事に成る場所。 玄関を通過する直前、ふと見上げると、美しい光景が私の目に入る。
既に夜の帳が天空を覆い始めている時間。 赤から青そして、群青から黒に『変化する』良く晴れた夕空。 そこに、明るい星々が瞬きを始めている。 あの高みから見れば、此れから起こる事は、何の事は無い雑事。 晩餐会で何が行われるかなど、悠久の時間の中では、芥よりも軽い事。
ふぅ と、小さく溜息が私の口から漏れる。 それを糊塗する為に、母様の扇を閉めたまま口元に。 粛々とベルクライト執事長に続き、予備室へ向かう。 威圧感の有る玄関ホールを抜け、華麗な廊下をしばらく進み、案内されたのは、小さなお部屋。 窓が一つきり。 調度も質素。 椅子が一脚有るだけの、とてもシンプルなお部屋。
「時間となるまで、此方で……」
「グラント=ベルクライト。 ……御継嗣様の指示か?」
「御継嗣様の御意思です。 御側付の執事パトリオット従伯が、私に命じてきました」
「……御当主様へのご報告は」
「本晩餐会終了後と云う事で、使用人一同 ” 監察 ” しております」
「色々と問題が有るな。 こちらからも、ご報告しよう。 すり合わせが必要か?」
「出来れば。 バン=フォーデン卿ならば、直截にお伝えになられても、問題は御座いませんでしょう。 こちら側の資料に目を通して頂きたく」
「判った。 本邸は混乱していると。 そう云う事だな」
「誠、相済みません。 お力添えを戴ければ幸いに存じます」
「エルディ御嬢様。 早速のご不便では御座いますが……」
バン=フォーデン執事長は、此処で私に向き直り、瞳を揺らしながら、許しを乞うように言葉を紡ぐ。 全てはフェルデンが為。 矯正するには、時と場所を選ぶ。 そして、この『晩餐会』が、その絶好の機会であると、そう視線が物語っている。 私の役目は…… 仮初の『侯爵令嬢』 そして、『触媒』でもある。 ならば、私はただ佇むだけ。 ニコリと微笑み、言葉を紡ぎ出す。
「善きお部屋ですね。 こじんまりとして、穏やかに過ごせそうですわ。 バン=フォーデンには、『お仕事』が有るのでしょう。 わたくしは、時間までここでお待ち申し上げますので、どうぞ、お仕事を優先させてくださいね。 ……フェルデンが未来が掛かっているのです。 そして、王国の未来も」
「御意に…… 有難く…… グラント=ベルクライト、行くぞ。 膿は出し切らねば、そこから腐る。 『悪腫』は、切り離せねば成らぬからな」
「御意に」
二人のフェルデンを支える男達は、私に深々と礼を捧げた後、予備室から足早に出られた。 残されたのは、私と壮年の侍女。 その風貌から鑑みると、この方もまた、王宮女官出身なのだろうなと、そう当たりを付ける。『掌 会 話』と『仕草会話』とを混ぜ込んで、着席を願う。
ちょっと目を丸くされてから、同じく声なき会話で、” どうぞ、お座りください ” と、云われた。 テーブルも存在しないこの部屋では、茶器の準備も出来ない。 ワゴンに乗せて持って来たとしても、それを振舞う事もまた難しい。
手渡しするには、関係性が遠すぎる。 困惑に眉を寄せた、その侍女に私は心なし微笑みつつ、『仕草会話』を差し出した。
” 時間まで、このままで。 お気遣い有難く ”
” 申し訳ございません。 執事長からの御話で、晩餐会は全て御継嗣様の御心のままにと ”
” 理解しております。 貴女の職責を全うし、もって フェルデンが未来を掴んで下さい ”
” 勿体なく…… 有難く…… ”
声無き会話で、この ”仄昏い ”会話が成立したの。 本邸側に相当な問題が有ると云う事ね。 そして、コレは教育の一環。 御継嗣様が受けられる試問とも云える事柄。 つまり、私はその為の『設問』と云う訳ね。
第一の解答がこれでは、この先が思いやられるわ。 まぁ、ソレは彼が負う事柄。 前世ならば怒り狂って、私が『設問』と成っている事など、理解すらしなかったでしょうね。 そして、この『試問』が、別の意味で私への『試問』と成っていた筈。
怖い、怖い…… 流石は、王の藩屏たる宰相家。
常在戦場とは良く云ったものね。 すでに別邸の小聖堂に帰参する事を、心待ちにしている自分が居た事は、ココの人達には……
―――― 内緒。