エルデ、家門の柵を身に受け対処する。
そして…… 恙なく、貴族学習院の始業式の日は終わった。
秘密の小部屋でのサロンは、終了し皆でそっと部屋を後にする。 帰りの馬車も、既に到着しており、その馬車に乗って早々に貴族学習院を後にした。 馬車の中で、今日の出来事を反芻する。
カラカラと軽快な音を立てる馬車の車輪の音を耳にしながら、一人静かに瞑目していたの。 心からの安堵と、そして、新しく始める日々への不安が綯交ぜに成った様な、不思議な感覚。 でも、私は今日、心強いお友達を得たの。 まるで、乾いた大地に降り注ぐ慈雨の様に、その出来事が、私の寒々しかった心に、暖を与えてくれた。
新しくお友達になった方々…… 気持ちのいい人達だった。 その口調に、態度に、何よりも目の中に有る光に、私を気遣う色がはっきりと表れて居たモノ。 言葉の端々からも理解できた。 たとえそれが、お友達の御話の中に、彼等彼女等の御親族の方々に色々と何かを伝えられて居たとしてもね。
つまりは…… 私が成した何かが、その方々の心の中に何かを植え付けたと云う事。
貴族社会の方々では無いけれど…… 貴族社会の近くに住まう方々。 溝が穿たれ、崩壊しそうな王侯貴族と聖堂教会の間ではあるけれど、私の為した事で王侯貴族の裾野に位置する人々の関心を導けた。
決して、聖堂教会は腐り切ったモノでは無いと。 心ある神職も多々存在するのだと。 そう、考えても良いと、思って頂けた。 その方々の想いを、私は受け取ったの。 第三位修道女として、これまで成した事が、溝を埋めたのだと思うの。 倖薄き民達への救済。 神職の本分。 それが、琴線に触れたのでしょうね。
たぶん……
おそらく……
アルタマイトに居た時から、倖薄き市井の人々が、少しでも楽に暮らせるようにと、色々と行動してきた。 それを見る人は見ていたと云う事ね。 見える眼を持つ方々は、何処にでも居るのよ。 いずれ、それは、貴族の方々にも伝わってくれる。 そう、信じるしかないわ。
判った…… 頑張る……
神様と精霊様方の思召しは、私の行く道を照らして下さる一灯の光。 眩い光芒の様なモノでは無く、暗闇に仄かに漂う蝋燭の炎の様なモノだったとしても…… それは、私の指針となるべきモノ。
感謝いたします。 これからも、心から神様と精霊様方の御導きを指針とし、私は進んで行きます。
―――― § ――――
別邸に帰着し、自分に割り当てられている、豪華な御部屋に戻ったの。 今の自分自身には、ちょっと豪華に過ぎるとおもうのだけれど、それも又、第三位修道女としての感覚。 前世の感覚だと、まだまだ、寂しい質素に過ぎる『淑女の部屋』なのよ。
窓から見える、お庭には晩夏の様相が、溢れているの。 実りの秋を迎える前の、精一杯に広げた成長の証。 生命力あふれる濃い緑色は、大地と樹々の精霊様の息吹と加護。 豊穣の祈りが蘇ってから、さらに碧は深く濃く…… 初代様の慈愛が、広がりつつあるのを実感できたの。
窓際の文机に向かい、私宛に届いているお手紙を拝見する。 何通か有るのよ。 世俗との繋がりが薄い私。 聖堂教会からは別便にてお手紙が届くから、コレはその薄い繋がりの方達からのお手紙という訳ね。
文机に付き、ペーパーナイフでお手紙の封を切る。
届いていたのは、フェルデン別邸の私宛に、貴族学習院から届いた『お手紙』だったわ。 貴族学習院は毎日の登院を求められるモノでは無いの。 そう、登院日も毎日という訳では無いのよ。 間違いの無いようにと、学習院側が私に、基本的な登院日と、その登院日に利用可能な学習室を知らせて来たという訳ね。
学習院の習慣的な規則の一覧と、そして、学習室付きの教諭の方々の名前と御専門を一覧にした要綱を、お知らせくださったのよ。 わたしが『編入生』というモノだから、戸惑わぬ様にとの思し召しかしら?
基本的な事柄ではあったけれど、諸注意は私にとっても福音と云える物。 変に動いて『目立つ』事を避けられるのだものね。 末尾に付け加えられた様にも見える一文を見るまでは、とても心安らかに『お手紙』を読み進めていたの。
末尾に付け加えられた『但し書き』が…… 私に嫌悪を抱かせたのよ。
” 尚、『養育子』たる ”エルディ嬢 ”は、全ての登院日に登院する事を命じる。 編入生と云う事も有り、学習院の習慣に慣れる必要が有る為である ”
――― 嘘ね。 これ。
だって、他の方々には強要はして居ないモノ。 『記憶の泡沫』の中にも、そんな情報は一片も無いもの。 それに、コレは後から綴られたもの。 予定表やら諸注意書きとは全く違う筆跡なのよ。 それに…… 見覚えの有る文字ね。 今世では無く、前世でね。
やっぱり、あの名前も定かでは無い《教諭》……
明らかに、私を『目標とした』何かを画策されているようね。 第一王子殿下の指導教諭であった、あの方。 その御手先は、覚えていたわ。 ええ、粘り付きまとった ” 私が愛した方々 ” もまた、第一王子殿下と行動を共にしていたから……
何かしらの『意趣』めいたモノを感じてしまったの。 あの『見極め』の結果は、彼等教諭陣にとって、少々問題が在ったみたい。 きっと、あの教諭の面子を丸潰ししたのかもしれない。 作問の監修をされて居たのかも? あの教諭…… 教諭陣の中で、結構 影響力を持っていらしたものね。
そして、極め付けが、例の『設問』を、作問した方だという理由。
回答に、かなり強く非難めいた事を書き綴っていたから…… 彼の神経を真っ向から逆撫でしたのでしょうね。 そして、その結果がコレ。 出来る限りの機会を作って、『わたくし』が、不作法をする事を、『期待』していらっしゃる。
まぁ、いいわ。 私は、『表立っては動かない様に』しようって、お友達と『お話済み』だもの。 機会を得ても、私が行動しなくては、彼等の策謀は破綻する。 学習院側にも準備も有るのか、次の登院日まで二日ある。
――― それまでは、「小聖堂の守り人」に戻り『聖職者』の日々を勤めましょうか……
なんて、お部屋の中で考えていたの。 でも、それは、早々に破れる事に成ったのよ。
―――― § ―――― § ―――――
事の起こりは、翌朝の朝食会の席上。
御滞在中のお二方との交流を兼ねて、朝食を『ご一緒』させて貰う事としたの。 為人を知らねば、何をどうすれば良いのかもわからない。 会話を通して、為人を知れれば、どのような対処が可能なのかも、見出す事が出来る。 対処方法を過てば、将来後悔してしまいそうな方々だから、この別邸に滞在しているのよ。 そう、コレは『侯爵令嬢』たる、私の役目、責務なのよ。
マフィンの甘いバターの香が食卓を席巻し、卵とベーコンの素敵な調和がお皿の上でシンフォニーを奏でている中、私はお二人と共に、有意義な朝食を戴いていたの。
「……シロツグ卿、お食事はお口に合いますか?」
「美味しく、:[@/.[p。 す、済まぬ……」
「この国の言葉は…… 難しゅうございますか?」
「い、いや、まぁ…… な。 /:/;[;[/;:po…… す、済まぬ」
蓬莱の言葉には無い『音』を、沢山使う我が国の言葉。 文字として知ってはいても、その発音までは、判らない。 だから、シロツグ卿は言葉少ない御仁と成っているのかもしれない。 ならば……
〈ならば、此方で、御話しても?〉
〈なんと、蓬莱が言葉をお使いになるかッ! い、いやしかし……〉
〈わたくしの言葉も拙いモノでは御座います。 が、意思を疎通させる為には、通じなくてはなりますまい〉
〈それは…… その通りだ。 しかし、何処で言葉を?〉
〈わたくしの夢は、遠く海を渡る方と共に世界を旅したく。 その為には、幾多の国の言葉を習得する事も又……必須といえます。 幼き頃から、語学の修得には特に時間を割いておりました〉
コレは、『嘘』……
ゴメンね、シロツグ様。 本当は、リッチェルの家庭教師達に、厳しく教育されて居た結果なのよ。 領の経済発展を鑑みて、交易に立ち寄る外国の要人達と『遣り合う為』には、彼等が使う言語の習得は必須だったの。
蓬莱の言葉も又、その時に一部修得したの。 遠く離れた御国ではあっても、私達の国とは友好関係を結んでいるし、外交官が赴任しても居る。 領を預かる女領主たる者の義務として、修得しなくてはならない言語だった…… 家庭教師曰く、王国に滞在する全ての国の者達の言語は、修得して然るべき事柄…… なんですって。
『記憶の泡沫』が、統合された今と成っては、そんな無茶な話なんて無いわ。 でも、その時に拒否する事など出来なかっただけ。 けれども、その厳しい教育に今は感謝すらしているの。 智は力。 ……だから、少しは話せるのよ。 聴くだけなら、結構大丈夫。 そう云う風に教育されたもの。
〈左様か…… エルディ嬢。 貴女の言葉遣いから、貴女の研鑽は、拙にも判る程、苛烈なモノだったと理解できる。 ”……武を嗜む者は、智も嗜まねば成らない。” 祖国にて強く心に刻まれる在り方を、遥か遠つ国で見出せるとは。 拙も研鑽を積まねばと思っている。 どうだろうか、何方か…… この国の言葉を拙に教授して下さる方を、御紹介願う事は可能か?〉
〈善き事ですね。 判りました。 バン=フォーデン執事長にご相談してみましょう〉
にこやかに笑みを浮かべつつ、そうお応えする。 意思の疎通は何よりも重要。 観戦武官としてこの国に滞在している現在、シロツグ卿にもこの国を知ってもらわねば成らないし、その為には言葉を知る必要があるもの。 武官としての見識は、バン=フォーデン執事長が言うには相当なもの。 それに、この国の書籍は読んでおられる。 つまり、喋る事が出来ないだけ。
ならば、事は易いわ。 在野の論説の専門家…… 家庭教師ならば、幾人か私も知っている。 そう、リッチェルで教えを受けた婦人方。 まぁ、私からの紹介とは行かないけれど、フェルデン侯爵家からの依頼ならば、あの方々は嬉々として受けるでしょうね。
シロツグ卿が女性である、家庭教師を受け入れて呉れればだけどね。
「……色々と、動かれますねぇ」
「そうでしょうか? フュー卿、互いが慣れ親しんだ言語は、その人の為人を顕わす物でしょう? でも、赴任国の言語では、それが上手く言い顕わせない。 ご自身の事が上手く表せないならば、余裕を失い相手を慮る心が失われる。 知っている筈なのに認識できなくなる。 そして、相互不理解が生まれると思うのです。 言語の修得は実利の他に、そう云う重要な側面を持っている…… と、思うのです。 そう云われるフュー卿は、我が国の言語を習得されておられるのでしょ?」
「確かに。 仰る事は、事実でしょう。 良く、学ばれている。 わたくしは、交易人として、相手国の言語を習得するのは必須でした。 御令嬢……、貴女もまた、我が国の言葉をご存知かとは、思われます ” ソンナ キ ガスルノ デスヨ、ヒトスジナワデハ イカナイ『メギツネ』ドノ…… ”」
「確かに、卿の祖国の言葉は存じております。 蓬莱と比べれば随分と地理的には近しい国ですからね。 ” ハラグロタヌキ ノ 『ソウホンザン』 デシタカシラ? ネ、『レイブン』ドノ ”」
「……確かに、言葉は大切ですな」
「『先達の言葉』が、身に沁みますわね」
「ハハハッ!」
「ウフフフ……」
腹の探り合いは、リッチェルが御領で散々に遣った。 目の前の方が何を意図してこの国に赴任してきたかも、存じ上げているの。 何事においても卒のない、バン=フォーデン執事長が、交流に先立ち色々な情報を私に呉れたんですもの。
――― 彼の異名……「レイブン」も、その時に知ったの。
各国を渡り歩き、秘された情報を、闇の中から見出して本国に報告する。 それが彼の役目。 市井に紛れ、貴族の中に入り込み、微に入り細を穿ち、相手国の隠して置きたい事実を見出すのよ。 熟達の『諜報官』と云う訳ね。
だから、敢えて釘を刺した。 ”貴方の事は知っていますよ ” ってね。 基本『諜報官』は、情報収集が主な任務。 私が釘を刺したからって、私を排除しようとはしない。 それだけ注意深く、観察する対象となるだけなのよ。 だって、彼は諜報官であって、暗殺者では無いもの。
聖堂教会の所属なのは、最初から開示しているし、私が第三位修道女である事も、「養育子」として準貴族籍を有しているのも、全て曝け出しているのだものね。 ただ、色々と秘匿する事が有るだけ。 その秘密を暴かれても、あまり痛痒を感じないのは事実なんだけれどもね。 所詮は『神籍』にある遊民の小娘。 彼にとって、情報価値は薄い筈だもの。
にこやかに、ポットを差し出し、彼のカップを満たす。
彼も又にこやかに、満たされたカップを口に持っていく。
『仕草会話』を使用しての、互いの意思確認。 やられっぱなしになる事は無く、でも、此方からは攻撃などしない。 互いに有意義な交流を図る用意があり、それを活用するもしないも、其方の意思次第。 そんな意図を込めた 『仕草会話』に、私としては満足のいく応えを返されたフュー卿。 互いの立場を理解していると、そう判断できるモノだった。
” 仲良くやっていきましょう ”
” 此方こそ宜しく ”
満足のいく朝食会は、とても有意義だったと思うの。 ちゃんと、フェルデンが娘の役割を勤められたと、そう思う。 朝食会の介添えとして、主食堂に同席されていたミランダ家政婦長が、目を細めて頷いて居たのが、視界の端に捕らえられた。
厳しい視点を持つ彼女の満足を得られたと云う事は、わたしはきちんと「役割」を果たせたと思う。 心の中で、握りこぶしを作り、満面の笑みを浮かべる。 何にしても、色々な役割を果たす為に、この別邸に来たのだから、機会があるかぎり努力する事は、わたしの責務でもあるのよね。
朝食会が終わり、主食堂を退席すると、その足でバン=フォーデン執事長の執務室を訪れる。 シロツグ卿の申し出を受けての事。 私の後に続くのはミランダ家政婦長。
執務室の扉をノックして入室許可を求めると、中から渋い声で招く言葉が帰って来る。 いつも忙しそうな執事長様には申し訳ないけれど、やる気の有る内に家庭教師を用意せねばならないものね。
「バン=フォーデン執事長。 お邪魔しますね。 朝食会に於いて、少々貴方に願うべき事柄が有りました」
「ええ、知っております。 主食堂での捌き具合は、こちらでも見ておりましたから」
「【遠見】の術式が組んでありましたの?」
「皆様の安全の為に」
「ならば、話は速いですね。 蓬莱の言葉に精通する家庭教師を一人、ご用意して頂きたいわ」
「御意に。 幾人かおりますが、筆頭候補は女性です。 宜しいのですか?」
「あの方が望まれたのです。 性別は関係ないのでは? よしんば、それが問題視されるのであれば、それだけの御人と云う事です」
「承知いたしました。 フェルデンから願いを筆頭候補には、出して置きます。 あぁ、それと…… 丁度、よかった」
「と、言いますと?」
「本邸より、書状がわたくしの所に参っております。 差出人署名は御継嗣様。 宛先は別邸執事長にで御座います」
「そう…… それで、『書状の内容』に、わたくしが絡んでいると?」
「主文を簡潔にまとめますと、本邸で晩餐会を執り行うので、エルディ様にもご出席されるよう、命令が綴られておりました。 …………無礼な」
「…………命令ですか。 ミランダ。 装いは慎重にせねばなりますまい。 私の立場をどの様に御考えか、調べねばなりますまい。 バン=フォーデン執事長にも、お手伝い願いたいわ」
「……勿論に御座います。 が、お嬢様はフェルデンが御令嬢。 これだけは譲れません……。 第三位修道女の式服での出席は、お諦め下さい」
「あれ、どうして? 相手は、そのつもりかもしれないわ」
「『別邸が立場』を御継嗣様は、ご存知ない。 若しくは、敢えて知らぬ振りをしておられる。 その様な事を旦那様は許容される事は御座いません。 私とミランダが付いて居ながら、第三位修道女の御姿で本邸に向かわれるのは、旦那様の御意思に反します」
「つまりは…… 『フェルデンが娘』として、出席せねば成らないと?」
「左様に御座います。 本邸の考えている事…… と云うよりも、御継嗣様が考えている事は、当家にとって由々しき問題行為だと勘案しました。 晩餐会での振る舞いを観察した後、旦那様に注進が必要な事柄と鑑みます」
「御継嗣様への『試金石』となす…… ですか。 宰相家の教育も人が悪いですね」
「先々代は、仰られました。 ” 常在戦場は宰相家の本質。 見極める眼を持たぬ者は、宰相家の人に非ず ” と」
「苛烈です事」
「フェルデンを担える者は、その心構えを必須とします。 以て、教育となると。 常に考え、常に行動する。 それがフェルデンが継嗣と云う事に御座います。 御承知下さいませ」
「……判りました」
はぁぁぁぁ…… やっぱり来たか。 私への名指しでは無く、別邸への通達命令としてかぁ…… 『招待状』では無く、『命令』かぁ…… あの方の遣りそうな事だわ。 一旦、敵としたならば、何処までも、どこまでも冷たく対処される。
変わってない……
本質は…… 全く、変わっていない……
ふと、思う事。
幾度目かの人生で、何故、彼を《愛する人》と決めたのだろう? そんな方の御心を貰う事に、どうして、躍起に成れたのだろう? 今は、その理由すら思い浮かばない。
もう、二十七回の過去の記憶は……
私を苛む事なんて無いのだから。
” 社交 ” と、云う名の、戦場へ赴く事に成ったわ。 嫌でもコレは乗り切らねば成らないし、多分、一度では済まない、”戦” となる事を…… 何となく……
――――― 予感した。