エルデ、敵地にて友軍の存在を知る。
――― 我らが祖国 『 キンバレー王国 』
国王陛下であらせられる、太陽の王 ゴッラード=ベルフィーニ=アントン=エバンシル=キンバレー 国王陛下率いる、格式と調和を国是とする王国。 国が掲げる 『武』『魔』『智』により統制され、近隣の国々からも一目も二目も置かれる、経済にも軍事にも精強さを誇る、私達が生きる国。
王国の全てを統率する為に、王領中心部にあるは 『王都ガングレーバス』。
同心円状に拡大した王国の中心。 国家の礎が置かれた場所。 その場所に聳え立つは白亜の巨城、『王城ガングレー』。 王都ガングレーバスには、巨城ガングレーに続く巨大な建造物が存在している。中央より逸れた場所に有るけれど、神聖で清冽で荘厳な佇まいを見せる、聖堂教会が総本山、『王都大聖堂』が並び立つ。
そんな、二つの巨大な建造物の間に在る、堅牢豪華な紅い煉瓦造りの、巨大施設。
―――― それが、王立貴族学習院。
諸々の、学び舎と違い、未来の王国を支える貴族達の為の学び舎。 定期的な授業と云うモノは存在せず、主に社交と勉強会で、その学びは成立する。 学習過程は、年度年度により異なるが、特別な試験、試問等は行われる事は無い。
自主自尊。 自らが動き、考え、他者との交流を持ち、その上で王国に最善たると齎さんが意思を育む場所。 そう云った意図で作り上げられた学び舎であるが故に、その生徒には自身の矜持を強く求める。
怠惰であれば、何処までも怠惰と成れる場所。
驕慢傲慢に振舞う事も、それは可能な場所。
その身の中に有る矜持の在り方を見誤れば、堕ちていく場所。
各個人の資質を自身の眼で研鑽しなければ成らない……
―――そんな場所。
自身の立ち位置を自身で感じ、見極め、その中で何が出来るかを考える為の、そんな学びの園でもある。 勿論、有力な者達であれば、高位貴族の推薦を受け、市井からの生徒も受け入れる。 特待生と呼ばれる方々が、それに当て嵌まり、主に王国の経済を支える政商の子弟、各種協会から、推薦を受けた者達、それと、『 国法 』に精通する、法曹関係者からの推薦を受けた者達。
…………そんな人達ね。
前世とは違い、一人きりで乗る、送迎用の馬車。 勿論、フェルデン侯爵家の紋章入りの黒塗りの物。 今日から高等部と呼ばれる、四年次への編入となるのよ。 今日が四年次の者が一堂に会する、初日の登院日。 記憶の泡沫は云う。
―――― 私の悪行が加速するのは、四年次からだと。
三年次までに、愛する人を定め、追いかけ、縛ろうとするも上手くいかず、四年次からは、更なる手を講じようと悪行を重ねて居たのよ。 もう、まっぴらよ、そんな事をするのは。 かつての私だったモノが、どうしても欲しくて止まなかった者。 切望して、熱望して、心狂わせたもの。
―― 愛する人から、愛されたい。 ――
そのたった一つの想いに尽きるのよ。 でも、そんなモノは何処にも無かった。 そして、狂い、壊れ、悪に堕ち、断罪され、碌でも無い死に方をしたの。 そう、全ては身から出た錆。 今でも、そんな狂気を私が保持していると思うと、馬車の中で心寒くなる。
でも、そんな時は、そっと胸を抑える。 首に掛かる不可視の『斎戒のストラ』が、私の心を癒しで包んでくれるのだもの。 自分勝手な『 独り善がりな愛 』 など、もう望まない。 愛する人が出来たら、その人が倖せになる事を望めばいい。 私が愛されたいと、そう望まなければ、悲惨な死から逃れる事は出来るのだから。
胸に手を置き、そっと嘆息する。
視線は、馬車の車窓から外を向く。 様々な情景が後方へと流れ行く。 かつての記憶に有る物も、視界の中に納まるけれど…… もう、心はざわつかない。 静かな山中の湖。 その湖面の様な、凪いだ感情を以て、その景色を見る事が出来たの。
神様と精霊様方に感謝を。 この碌でも無い場所に於いても平静を保てることに、感謝の祈りを捧げます。
―――― § ――――
滑るように、馬車は貴族学習院の玄門に到着する。 車寄せは広く、幾多の馬車が停車している。 一際、幾つかの豪華な馬車も到着している。
黄金を装飾に多用した、王家の第一王子の紋章を持つ馬車。
貴族、此処に在りと、リッチェル侯爵家の家人が使う紋章を持つ馬車。
栗色の車体に白字で抜かれたフェルデン侯爵家、御継嗣の紋章を持つ馬車。
煌びやかな馬車が行き来する。 貴族街から、貴族学習院迄は、そんなに遠くは無い。 並足で馬車を走らせたら、モノの半刻も掛からずに到着する。 歩いたところで、一刻も掛かる事はないだろうな。 でも、それは許されない。 此処に集う貴族の方々の安全を護る為には、徒歩での登院など、許されるものでは無いし、同道する警邏隊や私兵なども、配備に困難を来してしまうものね。
さて、玄門前の馬車乗降場に到着したけれど、私は準貴族の編入生。 まだ、誰ともお知り合いにない状態なので、待ち合わせをし、ご一緒出来る方も居ない。 お忙しいフェルデン侯爵家の血族の方がご一緒する筈も無く、当然一人で馬車を降りねば成らない。 御者台に、護衛担当の執事様。 彼が同道して、その方にエスコートされる事になっていた。
馬車が止まり、扉が軽くノックされる。 準備は終わっていると、合図を送ると、そっと扉は開かれる。 差し出される白い手袋を付けた手。 過不足なく、優雅で洗練されたその仕草に、フェルデンの使用人達が修得している儀礼の高さが伺い知れる。
差し出された手を取り、馬車を降り背筋を伸ばして、周囲を見回す。 まさしく『記憶の泡沫』の通りの風景が其処に広がっていた。 フッと一息入れ、歩を進める。 学習院の玄門に向かうと、周囲に同じように歩を進める方々と肩を並べる事に成る。
既に、高等部と呼ばれる四年次。
見知らぬ者が、この場に居るのは、大層珍しい。 よって、かなりの注目を集める。 ご厚意で使わせて頂いている、お母様の扇を半分ほど開き、口元を含む顔半分を覆って、歩を進める。 ”好奇 ”と ”嫌悪 ”の視線は、そんな扇を貫く様な物も多く有る。
まぁ、そうなるわよね。 私が誰か。 耳の速い人達ならば、降りて来た馬車の紋章から予想は簡単に出来るもの。 フェルデン本家の血脈とは言え、辛うじて末端に掛かる『養育子』である私。 飾り気のない黒塗りの馬車が、フェルデン侯爵家本邸のモノでは無かった事が、それを如実に主張するのよ。
それが意味するところは、私が教会から来たと云う事。
色んな思惑が交錯して、ヒルデガルド嬢に対する贖罪の意味を込めて、この場に居ると云う事。 彼女に成された「 罪 」の対価に、「 罰 」として差し出された「 贄 」 だと云う事。 強い嫌悪の視線に乗る感情が、ありありと伝わってくるの。 ” どうして呉れようか ” って云う、そんな視線。
そんな視線を敢えて無視して、玄門を通過する。 行く先は、『薔薇の大講堂』。 第一王子殿下が御在籍になる、今学年は、相当数の貴族家子弟が同学年に在籍している。
だって……
王家と王家の側近たる高位貴族の方々と、年若きうちに面識を得られ、更には御目に留まれば、一族の隆盛を夢見られるもの。
そこここに散見される、幾つかの集団は、そう云う意味で云うと、将来の派閥の芽。 大講堂までの道行で、そんな大小様々な集団があった。 その中心となる人物は、当然高位貴族の子息、令嬢。 経済力を持つ中位の方もチラホラ……
そんな集団が屯する中で、一人で歩く私は、彼等に奇異の目で見詰められる事になるのよ。 誰にも属していないと云う事は、誰にも庇護を受けていないと云う事。 『侯爵令嬢』という立場を考えると、他者に『影響』を与えられる人が ”誰も居ない ”という孤立無援の無能令嬢と見られるわ。
編入生だし、それまで、貴族の方とは極力距離を取っていたから、仕方ないんだけれどもね。 それでも、まぁ…… かなりのモノよ、この状況は。 静々と大講堂に向かっていく中、早速、孤独な編入生への洗礼が始まる。
コソコソ……
さやさや……
御令嬢の口から漏れる、ささやかな ”見立て ”の文言。 『当て擦り』に、『陰口』。 私の耳に届くかどうかと云う御声で、漣の様に寄せては返す、悪意の秋波。 それだけで、私の学習院での立ち位置が、周知徹底されて行くのよ。
――― 魑魅魍魎跋扈する、そんな場所。
弱みは見せられない。 たとえ『養育子』とはいえ、私はフェルデン侯爵家が娘。 矜持を示し、誰にも媚びぬ心情を顕わにせねば、フェルデンが体面に傷をつける事に成る。 力弱き無能な者が、王侯貴族と聖堂教会の懸け橋になる事は、不可能なのだから。
毅然とその『悪意の秋波』を撥ね退け、真っ直ぐに進む。 凄まじい孤独感は有れど、信仰心は高まり口に聖句が乗る。 試練の時だと、そう云う考えに至る事も、やむなし。 行く道は悪意に舗装され、戯言と悪辣な言葉が耳朶に届くが、それを受け流し目的の場所に到達する。
まだ、閑散としている『薔薇の大講堂』に到着し、周囲をクルリと観察。 荘厳な設えの大講堂には、人影はまばら。 まだ時間には程遠い事も有るのだろう。 この大講堂に入る前に、自派閥や仲間達との会合で、今年度の基本方針を確かめ合っているのかもしれない。 私には、望むべくも無いモノが開催されているのだろうね。
其処此処に小さな集まりはあるけれど、どれかに入れるわけも無く、窓際に立ち視線を遠くに投げていたの。
「御声を掛ける事、お許しください。 見れば、お一人。 その尊き身分の方が、孤高に佇まれるのは、少々問題もありましょう。 我等、下賤の者達では御座いますが、『名』を名乗る事を、御許可下さいませんか」
近寄る、数人のグループ。 好奇心旺盛なのか、何なのか。 良く意図が掴み切れない内に、私の傍に来て、そう口上を述べる。 背は私より頭一つ分高い。 質素ではあるけれど、質の高い礼服を身に纏い、白い手袋を胸に当てた、庶民階層の男性が同階層の男女数人を伴い、適切な距離をとり佇んでいた。 そして、聞き知った馴染み深い声が私の耳朶を打つ。 宣するような、そんな言葉に、心がほんのりと温かくなったの。
「宜しくてよ。 わたくしは、エルデ=エルディ=ファス=フェルデン。 フェルデン家の「養育子」にして、侯爵家の末に加えられた者です、あなた方は?」
「王都ガングレーバスに、店を構えますブンターゼン商会の推薦を受け、栄えある貴族学習院にて研鑽の機会を与えられました、ルカ=アルタマイトと申します。 お見知り置きを。 そして、此方に控えますは……、
探索者協会協会長が御息女、クレオメ=ロザリータ=エステファン嬢、
王都治癒所組合 組合長が御息女、アベリア=ピンキーベルズ=クインタンス嬢、
王都錬金術士協会協会長が御子息、ベンターゼン=ガルフ=ノリザック
王都法曹協会 協会幹事が御子息 ベルナルド=ポール=デュー=ブライトン
に御座います。 お見知り置きを」
「皆様に直言の御許可を。 もう、ご存知かと思いますが、わたくしはフェルデンが「養育子」。 しかし、本来の姿はアルタマイト教会所属の第三位修道女 エルにございますれば、錚々たる方々の御前に於いて、”御許可”など口にするのも烏滸がましい者に御座います。 が、これも貴種たる者の習い。 ご容赦を」
「御紹介に預かりました、クレオメ=ロザリータ=エステファンに御座います。 ……お父様から聞き及んでおりますわよ、 『辺境の癒し手』たる、崇高な修道女様の御噂は。 幾多の探索者が、あなたのお陰でどれ程その命を救われたか。 そして、今はフェルデン侯爵家のお嬢様。 私共が、頭を下げるのも、自然な事に御座いますわ」
「エステファン…… と、言いますと、エステファン子爵様との御関係が?」
「ええ。 大伯母と成ります。 主筋となりますので、そちらの方からも、色々と……」
「別邸、家政婦長様の御身内の方でしたか。 さぞや、高潔な方なのでしょう」
「いえいえ…… そんな…… 探索者に交じり、野に走る野サルでしてよ?」
ルカが…… ルカが引き合せてくれた。 とっても良い笑顔とともに、私に特別な人達に合わせてくれたのよ。 この方々、家業から考えて、貴族社会とはあまり深く付き合いは無いけれど、市井の民達には必要不可欠な方々ばかりよ。 凄いわ。 それに、何かしら、本来の私と絡むような方々ばかり…… つまりは……
「此処に居るモノ達は、第三位修道女 エル 様に救われた者達ばかり。 どうか、御心をお許しになり、心安らかに」
「左様でしたか。 お気遣い、誠に有難く。 ……正直言いまして、どうしようかと思っておりましたの」
「でしょうね。 まぁ、色々と学習院には、『不文律』も有るから。 えっと、エルディ様って呼んでも?」
「ええ、では、私はロザリータ様と?」
「ロザでいいよ。 ルカには世話になっているし、こっちにいるピンキーやガル、ポールだって、ご同様。 しゃちほこばって、話す様な仲じゃない。 エルディ様が私達の仲間になってくれたら、嬉しいな」
「良いのですか? 私と一緒に居ると云う事は……」
「第三位修道女 エル の献身は、”貴族の思惑 ”なんざ吹き飛ばす物。 市井の者達は、口には出さないけれど、皆感謝しているんだよ。 なぁ、ピンキー」
御美しい姿とはかけ離れた、ぞんざいな言葉遣い。 それが、アルタマイト神殿での暮らしを思い起こさせる。 聖修道女様方は、言葉遣いも美しかったけれど、童女仲間達との気の置けない会話は、随分と私を和ませてくれたっけ。
ルカによって、気の良い人達との会話。 何気ない、本当に何気ない会話が、これ程までに心を癒してくれるとは…… 思わなかった。 相当、緊張していた証拠ね。 『薔薇の大講堂』に多くの貴人が入場され、部屋の片隅に談笑する私達に一瞥を呉れる。
私だけなら、攻撃対象だった筈。 でも、周囲に居るのが、貴族の世界でも有名な市井の有力者の子弟。 事を構えるには、小さな貴族家には荷が勝ちすぎる。 遠巻きに見るしか方法が無く、此方も殊更に絡みつく事も無い。 絶壁の様な断絶感がそこはかとなく漂い……
王都に於ける、貴族と教会の溝が如何に深く大きいかを、再認識させられた気分になったわ。
そして、私にも頼りとする方々が居るのだと……
心、温かくなったのも事実。
読者様方の誤字報告、並びに コメントを大変有難く拝読しております。
諸般の事情により、コメント返しが出来ておりません事、誠に申し訳なく思っております。
全てのコメントはキチンと拝読させて頂いております。 中の人のモチベーションの源ともなっております。
今後とも、何卒よろしくお願い申し上げます。
エルデの道行を楽しみにして下さる皆様へ、最大の感謝を捧げます。