閑話 外堀を埋められ、墓穴を掘り、状況を受け入れる。
無理……
本当に、無理ぃ!
なんで、私が別邸本棟で暮さなきゃならないのょ~ ゴリゴリと薬研で薬草を磨り潰しながら、そう心の中で、叫んでいた。 もうすぐ、貴族学習院に登院しなくてはならなくなる。 そう、編入許可が学習院から下りたのよ。
でも、その『御報せ』が、私に届いた時の驚きったら…… もう、半分意識が飛んだもの。
” 貴族学習院 ” から、ウルティアス大公閣下が直々に編入許可書を、持ってこられて、手に取ったのだもの。 何故か、宰相府事務次官様である、フェルディン事務次官も同行してね。 そりゃもう、凄まじく良い笑顔で。 黒く、掴み処の無い、感情を完全に韜晦した、内心を一切気取られない様な、そんな…… 邪悪で在りつつも、清々しい笑みを浮かべてね。
あの笑顔…… 夢に出たら、悪夢よね。
―――― はぁ…… どうして、こうなっちゃったのかしら?
――――― § ―――――
「我等が家門の賢姫が、フェルデン小聖堂で祈りのみの『生活』をするのは、いささか無理がありましょう。 本邸に居を移す事は、何かと軋轢も有るのは、存じている。 しかし、小聖堂でお暮しに成るのは、『養育子』であっても、フェルデンが姫には、相応しくない。 事情は聴いている。 そして、とても大切な御役目を負っている事も理解している。 ……どうだろうか、エステファン家政婦長の申し出を受けて、本棟に暮らしの場を移しては? 神の御心と、その恩寵と思えば、よいであろう? 神と精霊達に愛された姫よ」
お二人が見えられた時、私は小聖堂に於いて、祈りの時間を過ごしていた。 聖壇を前に、跪いて神様への感謝の祈りを捧げていた。 其処にやってこられたの。 説得だったのだと思う。 私は、教会の皆さんが言う通り、決めたら動かないもの。
それすら、きちんと把握して、フェルディン事務次官様は、同道されたのだと思うの。 さもなければ、ウルティアス大公閣下が、上級枢機卿の簡易礼服を召して、来られたりしないもの…… 私とフェルディン事務次官が、言葉を交わしている最中に、聖壇に向かい、尊く崇高な祝詞を奉じられ、神意をお尋ねに成られたの。
上級枢機卿様の祈りと祝詞よ? 神様だって、精霊様だって、その声はお聞きになるわ。 そして…… 託宣の顕現。 小聖堂の祈りの間一杯に、光る白い羽が舞い散り、光の粒が躍ったの。 頭の中に響き渡るは、荘厳な鐘の音。 そして…… 『風』と『時』の精霊様の御言葉。
” 身を変容させようとも、本質は変わらぬ。 どの様な形を取ったとしても、エルデはエルデ。 決して、その身に有る信仰は変わらぬ。 ”
” その様な些細な事で、エルデの魂は変質などしない。 歩む先を光と決めた、不屈の魂が穢れる事など無い。 心に閑寂を、魂に祈りを。 それだけで良い ”
いや、もうね…… 言葉も何も出ないのよ。 そ、そりゃ、確固とした自分がそこに居れば、入れ物なんか、別に変わろうが、変わるまいが、関係は無い事は理解してる。 第三位修道女 エル は、そう云う風に生きて来たんだもの。 でも、だからと云って……
「託宣が、降臨しエルデが行く末は盤石と、尊き精霊様方は、そう仰られました。 さて、エルデ嬢。 貴女には、為さねば成らない『 使命 』が、存在している事は、あなた自身がよくご存知の筈。 その使命は、なにも 『 愚かしい人の間 』 の、平穏をもたらす事だけではありますまい。 慈愛の心が広がり、神様と精霊様への信仰心も高まり、この世界の安寧にも繋がりましょう。 そうでは無いでしょうか、エルデ嬢」
上級枢機卿様の簡易礼服を御召しに成った大公閣下は、にこやかに、本物の聖職者の笑みを顔に浮かべ、そう私を諭すの。 えっとね…… それは…… そうなんだけれど……
でもね、内心では、あの場所に行く事自体が、嫌なのよ。 極力、距離を取りたかったのよ。 頑張って、『 見極め 』 を受けたのも、もしかしたらって、考えたから。 二十七回、十七、八歳まで、貴族学習院に居たんですもの。 学籍は無くても、『ヒルデガルド嬢の御付として』、だったとしても。 自分自身が侯爵令嬢だと勘違いしていたのだとしても…… 其処に居たんだもの。 内情くらいは、知っているわ。
―――― あの場所がどんな場所か。
学習院には、特別な規則も有るのよ。 良く知識と知恵を持つ者は、別に学内茶会に参加しなくてもいいの。 十分に必要な知識と知恵を持つ者ならば、既に本番の社交を始めているもの。
幼さが残る若き貴族だからこそ、幾許かの失敗を経験させ、社交界デビューする前に、分別と貴族の矜持を持った青年貴族になる為の場所なんだもの。
だからこそ、淑女としての『見栄え』を、見せる事が出来れば、そんなに頻繁に学習院に行かなくても、良いと思っていたのよ。 事実、そんな方々もいらっしゃったもの……
真摯に淡々と、『小聖堂の守り人』として、倖薄き人達に慈愛の手を差し伸べつつ、時間が有れば、『養育子』として、貴族様方と教会の間の修復をして行こうと、そう思っていたのに……
それなのに……
「様々な方面からの要請により、週に三日、乃至は 四日の通学が求められるでしょう。 要請元は…… まぁ、いずれ判ります」
微笑を頬に乗せたまま、ウルティアス大公閣下はそんな事を仰るの。 『要請』? なによ、それ…… 誰が、そんなことするのよ。 だって、私、現世では、貴族の方々とは、南方辺境域の方々以外、それ程交流は無いわ。 まして、王都の高貴貴族の方々なんて、雲上人と同じよ。
ウルティアス大公閣下に追従して、フェルディン事務次官様が言葉を重ねられる。
「これまで通りの生活では、時間が足りないのでは? エルディ。 『お勤め』と、『通学』の両方を熟さねば、君の 『 使命 』 は、達せられない。 フェルデンが、一番大切にしている『家訓』を、知っているかい?」
「いいえ…… 存じません」
「 ” 使える者ならば、地獄の使者も使え。 為さねば成らぬ事が、困難ならば困難なほど ” エルディの、曽祖父の言葉だ。 あぁ、バン=フォーデンならば、耳にタコが出来る程、聞き及んでいる筈だ。 機会は逃すな。 好機は掴み捕れ。 目的を達成すると心決めれば、過程に於いての悪辣さは許容される。 まして、託宣が下っている。 案じるなフェルデンの賢姫よ。 その為の助力は惜しまない。 従兄殿も、そう云っている」
「……フェルデン侯爵様がですか?」
「あぁ、そうだ。 そうは、見えないだろうがな。 なにせお忙しい方だ、本日も本来ならば、従兄殿が此処に来るはずだったが、王宮より、緊急の呼び出しを喰らった。 苦渋の選択で、私を遣わされた。 事務次官が、宰相閣下の傍を離れると云う意味、エルディには…… 理解出来るであろう?」
「はい…… しかしッ! わたくしは、『 神籍 』からの離脱は、容認できません。 私が私であるために。」
「エルディとしては、そうとしか言えぬしな。 判っている。 こちらも、とてもそれを求める事が出来ない。 そうで御座いましょう? 十八聖人が一人、ウルティアス上位枢機卿閣下。 『聖堂教会』は、 神聖聖女 が、『 神籍 』 を離脱する事など認める筈も無いでしょうし」
「う、グッ…… な、何を仰っておいでなのですが? わ、わたくしが、『神聖聖女』様だとでも? 有り得ませんわッ!! 私には、その御言葉の真意が判りかねますッ!」
真摯な瞳のウルティアス上級枢機卿閣下が私を捕らえてはなさない。 慈愛に満ちたその瞳には、謝罪とも、懺悔とも云える光が、灯っている。 暫く私を見詰めた後、上級枢機卿閣下は、静かに告げられるの。
「エルディ嬢…… もう、遅いのですよ。 既に、古の誓いを、忘れずに居た 王侯貴族達 は、今代に 『 神聖聖女 』 が、顕現した事を感じているのです。 真摯にこの国の平穏を望む僅かな者達だけが、 『 神聖聖女 』 の ” 降臨 ” を、確信しているのです。 ……陛下を含め、幾人かの高位貴族は、既にその存在が誰か…… をもね」
「な、何故ですのッ!」
私の混乱した問いに、フェルディン事務次官様が応えて下さったのよ。 全く、予想外の御答えをね。 そこまで、フェルデン卿がされて居たとは、思ってもみなかった。 いくら、愛した妹君との約束だったとしても、この状況でしょ? ただ、ただ、『 外れ籤 』 を、引かされて、面倒事を押し付けられたと、そう思っていると…… 考えていたのよ。
――― でも、違った。
「……云わずと知れた事です。 忙しい中、王城 宰相府の小会議室にて、フェルデン卿は、この国の穏健派貴族の主だった者達に、貴方を『養育子』として、貴族学習院に編入させると、宣せられました。 その場に於いて、” 今後の王国の安寧の鍵になるから、宜しく頼む ” と、頭すら下げられました。 フェルデンにとって、大切な姫君が御帰還されたのだと云う事です。 更に 『巡星の祈祷所』 に、光が灯った。 『神聖聖女の降臨』 を、確信した者達は、この国を真摯に思う者達。 教会と貴族が割れる事を望まない者達です。 そして、古き事柄をよく覚え、継承している家の者達。 ですので、誰も口にはしませんが、状況により予測が成立してしまったのです」
その答えを聞いた時、開いた口がふさがらなかった。 これが、『 外堀を埋める 』って故事なの? それとも、『 墓穴を掘る 』? 私の知らない所で…… こんな事って……
せっかく大聖女様が秘匿できるように取り計らって下さったのに。 教皇猊下迄、深く私の事を慮って下さったのに……
『偶然』と、『必然』と、『神職の矜持』と、『民を思う真摯な矜持』
綯交ぜと成った、幾つもの思惑と行動の ” 交錯 ” が、深く静かに秘匿している事を、暴き出してゆく……
私にとっては、不測の事態。 故に、混乱も深いのよ。 対処方法が思いつかないの。 いっその事、この場で気を失えば、楽だったろうに…… 強靭な精神力を養っていた私には、それすら許されないのよッ!。
……其処にフェルディン事務次官様が言葉を重ねる。
「『秘密を多く持つ者』 を、高々 ” 小聖堂の守り人 ” などに、して置く事など出来はしない。 暴き立てようとする、愚か者は、それこそ掃いて捨てる程いる。 ウルティアス大公閣下にも願った。 高位枢機卿殿の権限を用い、神と精霊達にお伺いを立てて欲しいと。 その結果が 『諾』 であれば、エルディ…… 君を護る事が出来るのだと。 さもなくば、君は全てを拒否しただろう? 安心したまえ、そう悪い事には成らない。 この別邸の者達は、君に『親愛の情』を、感じている。 君の 『お勤め』 を、止める者は居ない。 そして、君も理解している通り、大いなる 『 使命 』 の為に、君は 『 擬態 』 もせねば成らない。 エステファン家政婦長の進言…… 受けてくれるな」
「……も、勿体なく。 エステファン家政婦長様の御進言、受け入れます。 神様の御導きに従うよりほか、御座いませんもの」
「そうか! 善きかな! 本棟では、既に用意も出来て居よう。 身一つで向かうがいい。 なに、何事も疎かにしないエステファン夫人が全ての手配を終えている。 エルディは、まごう事無くフェルデンが姫だ。 矜持を胸に自分らしく生きれば良いのだ」
「有難く…… 存じます」
―――― § ――――
こうして、即日…… 私は本棟の住人と成った。 一週間だけと云う ”約束” が、神様と精霊様の承認まで貰って…… 三年間にまで、引き延ばされた。 この先の暮らしは、きっと緊張の連続なんだと思う。
――― 前世で成した悪行を、ここで償えと、そう思召しなのかしら?
誰かを愛する事は、難しいと思うの。
その誰かに愛される事なんて…… 本当に本当に、難しいと感じるの。
だから、神様に救いを求めたんだもの。
―――――
貴族学習院が始まる前の一週間は、目が回る程忙しかったの。 始まる前に出来る事は遣らなくてはッ! 小聖堂全体の大清掃をして、日に二回の拝礼をこなし、出来るだけ多くの薬剤を錬成する。 体内魔力を絞り出すようにね。
ルカにお願いして、探索者ギルドから、ありったけの魔法草を送って貰ったの。 それを材料に、出来るだけ大量のお薬を錬成して、街の治療院や薬屋さんに配布してもらったの。 倖薄き、貧しき人用にって。 対価を払えない人には、神様に祈る事を対価にと。
出来る限りの事を成したのよ。
あぁ、奥の院の『お勤め』もね。 完全消耗して、本棟に還る日々。 僅か一週間、されど、一週間。 最後の安息日は、与えられたお部屋で、倒れ込む様に眠ったの。 無理と無茶と無謀を掛け合わせた……
―――― わたしが、『 神職 』で在った、最後の一週間だったわ。