閑話 投じられた石の波紋は、漣から渦へと変わる。
キンバレー王国の『政治』と『経済』の中心として、小高い丘の様に、周囲を睥睨するかのように聳え立つ巨大な城、
――― 『 王城ガングレー 』 ―――
幾本もの尖塔が立ち、中央部に壮麗な大伽藍を持つ白亜の巨城。 王城内部は、幾多の王国の政務に必要な部署が所狭しと並び、国王陛下の正宮や別宮、そして後宮なども、含まれている。
巨城の白亜の城壁の外側には、貴族の邸宅が整然と並ぶ貴族街。 更にその外側には、一級市民という裕福な者達が住まう、市街地が広がる。
『 王城ガングレー 』 の中心に位置する、主郭第五層。 キンバレー王国の行く末を舵取りすべく、英俊たちを一同の集めたる場所。
――― 宰相府。
夜の帳が落ちる頃、貴族学習院から一台の馬車が、王城に駆け込み、乗っていた人物は、主郭の大階段を駆け上がると、宰相府に至った。 先触れも、既に受け取っていたとは言え、そこまで 慌てる必要が有るのかと、宰相府に詰めていた警護邏卒は不思議に思う程に、その歩みは速かった。
宰相府、宰相執務室は、この国の政務を取り纏め、国王陛下の決断を受ける場所。 その任は、ひたすら重く、重要であると云う事は、駆け込んだ客人も重々承知している。
忙しい宰相閣下を呼びつける訳にもいかず、さりとて、捨て置ける『 案件 』では無い事により、自身が、宰相閣下と相見え、直接相談せねば成らないとの判断に至った結果だった。
「ウルティアス副学習院長。 良く参られました、何か特別に急ぐ案件が有るとの思召し。 さて、何が有ったのでしょうか」
「忙しい宰相殿の手を煩わす事態になった事、誠に遺憾ではありますが、少々、ご相談いたしたい儀が御座いましてな」
「それは、また…… それは…… 『 アレ 』 に関する事ですかな? たしか、本日は 『 見極め 』 の、第一日目では、無かっただろうか? 本来ならば、私が同行するべき所なれど、少々立て込んでいてな、代わりに 別邸が執事長である、バン=フォーデン卿にエスコートを頼んだ。 なにか、粗相でもあったのですか?」
「……粗相ですか。 それは、此方がしでかした事。 誠に申し訳なく思い、まずは陳謝を」
眼を剥く、キンバレー王国 宰相フェルデン侯爵。 爵位が上のウルティアス大公が、何故に頭を下げるのか、事情がよく呑み込めなかった。 それに、いつもはゾロゾロと彼の周囲を取り巻いている、貴族学習院の教諭達も、その姿を見せていない。
なにか、有ったのか?
そう思案気な表情を顔に浮かべながらも、こうやって時間を取ったからには、きちんと相談を受ける必要が有るのだと思い直し、フェルデン侯爵は着席を勧めた。
周囲には文官が、其々の執務机に向かい、終わらぬ仕事に頭を抱えつつも耳は高貴なる者達へ。 ペンを懸命に動かし続けているも、衆人環視の中、話し合いは始まる。
「宰相殿、エルディ嬢は何者なのでしょうか?」
「何者とは? いささか、漠然とした問ですな」
「私の言葉が曖昧ならば、陳謝もしましょう。 此れをご覧ください」
そう云って、ウルティアス大公は、フェルデン侯爵にエルデが『見極め』に於いて回答したモノを手渡した。 手渡されたのは、特に重要な『 設問 』。 第一王子を含む高位の者達が、王都でも問題に成り始めている、孤児や行き場の無い下層の者達への福祉を目的とした行動から、作問したもの。
王都の現状を憂いた、若き貴族達の発露を、設問に落とし込んだモノ。
作問したのは、彼等の指導教諭でもある、優秀な頭脳の持ち主。 論説に長け、問題も強く意識出来ているし、正義感も有る。 若き貴族達の考えを、『 正答 』として、作問したその最終問題を、エルデは論破し、さらに解答としては異例の 『 解答不可能 』 だった。
解答には事細かく、設問の不備が列挙され、想定の甘さ、 下調べが十分では無く、条件も整わず、指示を出そうとしても、出せない様な、そんな問題である事が明示されている。 また、結文に ” 表面上の問題となれば、法を当て嵌めるだけで済むが、複合的、階層的に対処せねば、問題の解決に至らない上、混乱が助長されるだけである ” と、綴られている。
根本的に、一時的に手を差し伸べ、人を腐らせるようなやり方は、王国の未来に有意義とは言えず、この問題は行政よりも、聖堂教会の活動範囲だと云う事まで述べられている。
ジッとその答案を見詰めるフェルデン侯爵。 私の混乱をご納得いただけましたか、と視線を送るウルティアス大公。 そんな大公の視線に気が付き、真剣な面持ちで言葉を綴る宰相。
「別室で…… な。 公にするには、少々問題が有る」
「良いですね。 その方が。 隠されている事柄は、双方に有るのでしょう。 が、彼女のこれからを鑑みるに、早々に意識のすり合わせは必要だと思う」
「御意に。 おい、フェルディン事務次官。 お前も同席する様に」
「ハッ」
三人の男達は、隣接する小部屋へと入る。 防音と結界が張られたその小部屋は、宰相府の中でとりわけ機密度の高い事柄を話し合う為に用意されている小会議室だった。 三人は、其々に椅子に座ると、エルデについての話を始める。
彼女について、再調査を実施した事。 彼女の口から出た、驚愕に満ちた事実についても、詳細に調査を重ねた事。 リッチェル領、領都アルタマイトに於いて、何が行われていたのか。 そして、誰が実際に領政を回していたか。
エルデに付いた、家庭教師達を、彼の地の行政官達を、調べ上げた結果出た答えに、宰相自身、眩暈を覚えた程の事実が其処に提示された。
唸るのは、ウルティアス大公。 そして、フェルディン事務次官。
一通り、エルデの能力がどうやって形成されたのかを確認しあった後、今度はウルティアス大公から、彼女の教会での立ち位置が告げられる。 秘匿すべき事柄は秘匿しつつも、彼女がほぼ最高位に当たる 『 神職 』 である事が告げられる。 聴く方に知識が無ければ、 ” そうか ” で、済む話ではあった。
が、彼等は深くこの国の実情や過去の経緯さえも熟知している、高級官僚。
ウルティアス大公が言葉にする、秘匿された事柄も、それとなく伝わる事は、必然とも云える。 認識は共有される。 エルデは、『 神聖聖女 』 である事。 そして、それは、『 厳重に秘匿されている 』 事。 その立場故に、”取扱い”に、細心の注意が必要な、淑女であるという事。
「貴族学習院では、計りきれない女性なのです。 彼女は既に、学習院最終年度の必須項目は、理解しております。 また、先程宰相閣下がお話下さった事を鑑みると…… 実務経験すら豊富だと考えられます。 マナーに関しても、あの『 正昼餐 』の作法を心得ている。 有り得ません。 王家の方々ですら、中々に習得できぬ作法を、なぜあの娘が修得していたのか…… さらに、聖職者として、第二級薬師を拝命している上、聖堂教会 薬師院 奥の院の『お勤め』まで、行っている。 まだまだあります。 彼女の元に探索者協会より、薬草、魔法草が届けられ、その錬成製薬、により安価な医薬品を市場に流しているのです。 自身の対価は、神への祈りとして、受け取っていない…… 倖薄き人々への救いの手としての『お勤め』の一環であると…… この様な娘を、高々、世に出る前の貴族子弟の教育に汲々としている貴族学習院が計るなど、烏滸がましいにも程がありましょう」
ウルティアス大公の言葉に、何も論じる事が出来ない宰相府の二人。 フェルデン侯爵は、” やはりそうなるか ” と、表情を浮かべ、 フェルディン事務次官は、” 信じられませぬな ” と、疑惑の視線を両者に向ける。
「宰相閣下。 今の話は、にわかには信じられない部分も多く御座います」
「あぁ、普通はそうなるね。 フェルディン事務次官、先程フェルデン侯爵にお渡しした、彼女の答案をご覧ください。 少なくとも、わたくしがお話した最初の部分、そして、宰相閣下がお調べされた、彼女の経歴は、それで証せられましょう」
そう、ウルティアス大公がフェルディン事務次官に告げる。 言葉を受け、フェルデン侯爵が受け取っていた、エルデの答案をフェルディン事務次官に手渡した。 その答案をじっくりと目を通す彼は、次第に顔を強張らせてゆく。
呟きが、大公と候爵の耳朶を打つ。
「……なんだ、コレは。 上級官吏登用試験でも、有るまいし…… これが、僅か十五歳の淑女の書く事柄か? まるで、熟達した領主の文言と同じではないか……」
ここで、初めて三人に共通の認識が生まれる。 頷く宰相閣下。 思案気な顔で瞑目する大公。 顔を上げてフェルディン事務次官は二人に直訴する。
「これ…… 此れだけでは、全てを計るなど、不可能です。 正規に…… 正しく彼女の能力を推し量るべきでしょう。 今なら、それが可能です」
「ほう、事務次官。 なにか、方策でも?」
「二か月後に上級官吏登用試験が御座います。 各部局にての作問は既に完成しております。 現在、その取り纏め中に御座います。 さすれば、その試験を用い、正確に彼女の能力を計る事が出来ましょう。 頻発する、王都の事件や事故、そして、社会問題の『 核 』となる部分を認識し、その対応策の草案を編むような試験ですので、生半可な知識や実務経験では、一問も応える事は出来ないでしょう。 いや、普通は無理です。 ならば、彼女の能力を推し量るには十分かと」
「『上級官吏登用試験』か…… それも、良いかも知れないな。 愚か者達の意思を忖度するような、教諭陣に任せるよりは、遥かに建設的だ」
「その様ですね。 こちらも、その様に致しましょう。 事務次官殿、準備は?」
「明朝までに必ず。 他部局には速達命令を入れましょう」
「頼んだ、フェルディン事務次官。 今夜は、少々時間が欲しい。 良いか」
「はい。 行かれるのですか、別邸に」
「少しでも、話がしたい」
「御意に」
意思疎通と状況認識は通された。 三者三様に目的は違えど、エルデの行く先を思う心は同じだった。 夜まだ浅い時間だった為、宰相府事務次官の通達は速達される。 宰相府に集められた各部局の事務次官達は、その決断に大いに訝しむも、宰相が命と云う事で、納得せざるを得なかった。
早々に準備が開始され、日付が変わる頃、全ての準備が整った。 後は、明朝の実際の試問を待つのみ。 その時は、各部局の者達も余裕があった。 久しく足を向けていない、貴族学習院へ半分は物見遊山の気持ちも有ったのかもしれない。
日々の激務を和ませる、そんな軽い気持ちも有ったのかもしれない。
翌日の阿鼻叫喚は、フェルディン事務次官には予測されていた。 薄く嗤うフェルディン事務次官。 その表情を見たモノは居なかった。
―――― § ―――――
夜半のフェルデン侯爵別邸。
どの様に都合をつけても、この様な遅い時間と成ってしまったと、嘆息を漏らす。
ウィル=トルナド=デ=フェルデン侯爵は、自身の邸宅にエルデを迎える事が出来なかった事を悔いていた。 貴族と教会の間にある溝が、それを成させなかった。 しかし、大切な妹との『誓約』がある。 なんとしても、妹の『忘れ形見』には、倖せになって貰わねば成らない。
その立場と、使命と、秘匿された階位。
彼女の前には、大きく分厚い 『 困難 』 が、立ちはだかっている。 彼女が眠る部屋の前に到着しても、眠っているであろう彼女を起こす事は気が引ける。 当主として、出来る事は、そっと扉を開け、深く眠るエルデの倖せを祈る事。
会話すら交わせぬ、伯父と姪。 仕方の無い事だと、そう思うが……
言葉に成らない胸の内を一つ、音に成らない言葉で口に乗せた。
” 済まない…… ”
と。
――――――――――
……………… 翌日の夕刻。
宰相府に置いて、各部局の者達が……
普段は見せぬ、興奮した表情でフェルディン事務次官に詰め寄る。
” 是非とも、是非とも、彼女を我が局へ!! ” と。
―――― 冷徹な表情を浮かべ、フェルディン事務次官は宣う。
「誰が渡すか。 あの娘は、フェルデン侯爵が娘ぞ? 相応の対応を求められる相手ぞ? 修羅の職場にその身を渡すと思うてか、虚け。 我が家門に於いて、厳重に警護する事と成った。 良いな、手出しした者は、どうなるか…… 判っているだろうな」
その酷薄さに、集まっていた事務次官は背筋に冷たいモノが流れ落ちる。 そして、理解する。
” 本気 ” だと。
『 エルデ=エルディ=ファス=フェルデン侯爵令嬢 』 は、
この日…… この時を以て……
王国中枢に於いて……
不可侵の対象者 として、
…………認識された。