第一日目 交渉
院長様をしっかりと見詰め、交渉の進め方を模索していると、院長様が私の決意に対し些か不満げなご様子で言葉を紡がれたわ。 何故かとても残念そうな、そんな声音でね。
「……しかしですね、エル。 貴女の家名は有るのです。 ええ建国以来、連綿と続いた誉有る法衣男爵家の家名がッ キンバレー王国の建国より王国本領の直参の男爵家に御座いますのよ? そのお嬢様となれば……」
「話はセバス…… いえ、セバスティアン様から少々伺っております。 が、詳細は存じ上げません。 その方がどんな方で、どういったお家の方か、全く知らないのです。 面識すらありません」
「ですからッ!」
院長様は、どうも私の事情を良く理解されておられないご様子。 なぜか、私を貴族籍に置きたいようなのだけれども、私にとっては重要視するような事ではないの。 と云うよりも、現状私には、王国籍の庶民である事すら、証しがたいのだしね。
グランバルト法衣男爵家の娘だと云われても、実体なんか無いも等しいのだから。 その栄誉に浴せるのは、ヒルデガルド嬢に於いて他ならないわ。 だって、もうなくなってしまったグランバルト卿が認識していた『愛娘』は、彼女の事なのだから。
――――
この国の直参法衣男爵となれば、王都では相当に羽振りの良い『御家柄』と云えるのだけれど、グランバルト男爵家は既にその名跡を担う当主様が自裁されており、今では王国預かりの家と成っている。 セバスが簡易的に時間の許す限り調べ私に伝えてくれたのよ。
つまりは、今は、何の意味も無い『家柄』と云う事。
もし、男爵様がどうしても名跡を残したければ、未だ十一歳の『愛娘』である『ヒルデガルド様』に、誰かを後見人を付けて、御継嗣として登録される筈なのよ。 なのに、彼女はこのリッチェル侯爵領、領都アルタマイトの教会の孤児院に入っていた。 言い換えれば、誰も後見に立たず、第一成人前の女の子は誰の庇護下にも入って居なかったって事よ。 正に 『 孤児 』 っていう訳ね。
だから……
「親族はおろか、後見となるべき方も居ないからこそ、取り替え子の交換相手であるヒルデガルド様は、この孤児院に居られた訳でしょう。 どういった経緯で、領都教会の孤児院にお入りになったかは存じませんが、セバスティアン様からは、そう聞いております。 ならば…… 立場が入れ替わった ” わたくし ” は、彼女の立場に立つのでは? 後ろ盾のない、第一成人前の貴族家の遺児ならば、貴族籍を有する事も無く、庶民扱いと成るのでは?」
私の云ったことは、王国の貴族であれば、誰でも知っている事。 貴族の庶子だけでなく、没落の憂き目にあった年齢が成人年齢に達しない御令嬢もそのような扱いとなるわ。 まぁ、普通は何方かが後見に立つなり、養女として迎えるなりして、貴族籍取得までは面倒を見る筈なのよ。
――― けれどヒルデガルド様はそうでは無かった。
孤立無援の遺児であったと云う事よ。
院長様は難しいお顔をされ、訥々と言葉を紡がれる。 何やら、色々な思惑や、策謀の香りがするわ。 入れ替わった先が侯爵家。 そして、本来居るべき場所が男爵家なのだけれども、どちらにしても、ある意味のっぴきならない状況だと考えられるわ。 妖精様により『修正され』、連れ戻された先が、新たな死地なんて、ゾッとしないわ。
院長様の御言葉に耳を傾けつつ、どう対処するかを真剣に模索するの。
「話は少々込み入っております。 また、エルにお話しすべき事か、わたくしも迷っている事には違いありません。 しかし、グランバルト法衣男爵家は、軽く扱う事が出来ぬ家門なのです。 王城に於いて、財務の優秀な担い手であった、代々のグランバルト男爵家。 その功績と実績は、おいそれとなくせる様なモノでは無いと、国王陛下自ら宣下されたそうです」
なんだか、とても大事に成っていたようね。 一介の法衣男爵家に対し、国王陛下が宣下されると云う事は、それ程の重大事が引き起こされていた…… 又は、何らかの事件が発生し、引責自裁したと云う事かもしれないわ。 うーん、それは、表に出せないでしょうね。 院長様が言い淀むのもうなずける。
「あの方が治められていた領は現在、キンバレー王国、国王領の特別管理下に置かれております。 領地は王領に編入され、爵位と家名は貴族院では無く国王陛下がお預かりされております。 王宮は、正当な血筋の者を立て家名の存続を図られるやもしれません。 その際、エルに…… エルデ様に、その白羽の矢が立つやも知れないのです」
「わたくしは、グランバルト卿が思いを傾け、慈しみ育てておられた『 ヒルデガルド嬢 』では御座いませんわ。 憶測と希望的観測は、身の程を弁えぬ『 愚か者 』の所業です、院長様。 でも、お話は承りました。 そんな未来は決して来ないとは思いますが、心に留め置きましょう。 万が一の時に、私の行動で、『この領都教会』に御迷惑をおかけしては、なりませんもの」
本当に面倒ね。 院長様はそう云われたけれど、グランバルト男爵様は、自裁されたわ。 そして、ヒルデガルド様は、正式には『継嗣認定』を取られていないと思うのよ。 それは、彼女が領都の教会の孤児院に身を置くと云う事で、そうなんだと推測が出来るわ。 愛してらっしゃった『愛娘』に後見人も付けず、『継嗣認定』を確定しなかったのは、とても不思議なのだけど……
未成年と云う事で、それが叶わなかったか、何かしらの理由で、敢えて取らなかったか。 国王陛下直参のグランバルトの『家名』は重い筈なのに…… その手続きが取られなかったと云う事は、彼女をグランバルト男爵家の跡取りにする事に、『大きな不都合』が有ったと云う証左よ。 ならば、私はそんな場所に嵌まり込む事は拒否したい。
当初の目標を此処で願いとして、言い出すには良いタイミングだと思ったの。
「一つ、お願いが御座います」
「何でしょう?」
「はい。 領都教会に受け入れて戴く事に変わりありませんが、ここで、わたくしの所属と成るところを定めたく存じます」
「『所属』? に…… 御座いますか? ヒルデと同様な待遇を想定しておりましたが?」
「孤児院にいらっしゃったのですよね、ヒルデガルド様は」
「そうですね。 ええ、籍は孤児院に有りました。 が、言うなれば、それも方便。 実際はエル様もご存じの、『受け入れ貴族女性の修道女枠』に居りました。 十二歳になれば、特例として『第三位修道女』としてそちらに籍を移す予定でしたわ」
「『第三位修道女』…… ですか。 王都から遠い、このリッチェル侯爵領 領都教会の修道院に入られると云う事は、グランバルト男爵様は相当に金穀を積まれた…… のですね?」
「ええ、ええ、まさしく。 何不自由なく暮らせるようにと…… 驚くほどの金穀を、喜捨されました。 もう一つ、心当たりが御座います。 エルデ様は、ヒルデ嬢の『容姿』はご存じでしょうか?」
「ええ、リッチェル侯爵家で…… お会い致しました。 華やかで可愛らしい御姿でした」
「故にです。 自身の行く末は、もう決断されており、心残りは愛娘であるヒルデのみ。 それ故に。この修道院に入る事を望まれた。 つまりは、世俗の者達の手垢に塗れる事もありません。 それに……」
院長様が、少し言い淀まれた。 何かしらの隠し事が有るのかしら? でも、私には伝えないといけない話なのかもしれないわ。
「グランバルト男爵は、ヒルデを聖修道女にするつもりなど、無かったと思われます。 時期が来れば、どこかの貴族家からその身を『受け出す事』に成るであろう、『知っていた』 節が御座います。 それまで、清く正しいままでいさせることが、ヒルデにとって最も重要な事だと…… 彼女が持ってまいりました、グランバルト男爵の書簡にそう…… 直截にでは御座いませんが、『行間』に、そう匂わされておいででした」
「匂わされて…… と、云う事は、それが誰かは、明文化されていなかった?」
「ええ…… 残念な事に。 グランバルト卿は、様々なヒルデを護る為の方策は、施されておられました。 しかし、御相手が交渉事を『確実』に実行され、ヒルデを十全に保護して貰える『確約が取れなかった』…… らしいのです。 こちらに、その詳細を纏めてある書類が有ります。 貴女の立場を鑑みるに、この数多の書類を閲覧される事を推奨いたします」
なによ、それ…… けれど、ヒルデガルド様はそれを知っていた。 そして、それに望みを掛けたの? 自分が取り替え子だと、知っていた? リッチェル侯爵家から迎えられる事を想定して、この領都アルタマイトに来たの?
その可能性は、捨てきれないけれども……
ほら、『妖精様』の言葉を思い出してみても、事前にグランバルト男爵様やヒルデガルド様へ伝えた可能性は少ないわ。 『王都での重大事件』で引責自裁されたグランバルト卿。 身罷って、もうこの世にはいないグランバルト男爵に、『妖精様』が顕現したとは考え辛いもの。 ならば、別の筋なのかしら?
思考が交錯するけれども、それはそれ。 何の後ろ盾も無く、今後の展開も読めない今の私の状況で、最善を模索すれば、答えはおのずと絞られるわ。
「院長様。 ……わたくしは侯爵家に於いて十分な教育を受けてまいりました。 孤児院で施される教育以上に。 わたくしがその中に入ると、わたくしの分、誰かがその機会を喪失しませんか? 孤児たち皆に十分な量と質の教育を与える程、教会は潤っては居りますまい。 よって、わたくしを堂女として、受け入れて貰えないでしょうか?」
「堂女? 教会 女子修道院の下働きですよ、その階位は。 大丈夫ですか?」
「はい。 何分と慣れぬ事に御座いますので、暫くは『見習い堂女』として扱って頂ければ」
しっかりと院長様の眼を見て自身の身の振り方を…… 此処での暮らしの為に必要な『役割』を示したのよ。 なんの後ろ盾も無い、グランバルト男爵の遺児。 それが、私なのだから。
「『見習い堂女』ならば、女子修道院の寮に暮らすことに成ります。 六人部屋の小さなベッドだけが、貴女に与えられる全てに成りますよ?」
「ええ、存じております。 同胞と一緒に寝起きし、朝夕のお勤めの他は、修道女様方の手先と成り、女子修道院の雑務を引きうけるのでしたわよね」
「厳しい場所です。 現在の貴方の状況を鑑みるに、” 十二歳に成るまでは ”、そのように扱われます。 教会とグランバルト卿の間で交わされた誓約 『十二歳でグランバルト男爵家の令嬢が特別に受任する『第三位修道女』を得る』までは、見習い堂女となります。 十分に研鑽を積めば、他者からの信頼を得られるでしょう。 他の聖修道女からの正式な推薦を受ける事も考えられます。 しかし、それは茨の道。 お薦めは出来かねます」
「厳しい事は存じております。 神に祈り、同胞と研鑽に励み、勤勉をモットーに慎ましやかに生活を送る。 よいのです。 もう、何処にも『貴族の娘』である、エルデはいませんから。 孤児のエルが、神に御縋りするのです」
真っ直ぐに…… 真っ直ぐに院長様を見詰める。 ココが正念場。 かつての『お茶会』での、様々な遣り取りにも似た、真剣勝負の一瞬。 勝負所なのは、肌感覚で理解している。 だから、目を逸らさないの。
「………………本気、なのですね」
「ええ、本気です。 帰る『家』は、ここ以外に無いのですから、皆の為に出来る事はやらねば、此処に居る資格は御座いませんもの」
「………………」
長い長い沈黙の後、院長様はホゥと息を吐き出して、諦める様に言葉を紡ぐ。 私に向ける視線は真剣そのものなのよ。 珍しく、朗らかな笑みは消え、真正面から私を見詰める院長様。
「…………その気概は、まさしくわたくしが知っている、エルデ様でありましょう。 判りました。受け入れましょう。 エルデ様…… いえ、エル。 善き同胞として、善き先達として、貴方を教会に迎え入れましょう」
「有難うございます、院長様」
緊張の瞬間だったわ。 これで言を左右され、孤児院に入れられてしまえば、どうにも動きが取れなくなるんだもの。 簡単に、私の人生は歪められ、滅茶苦茶にされてしまう可能性だってあるわ。 だけど、『堂女』に成り、教会の『籍』に入ってしまえば、たとえ高位貴族であろうと、私の意思を無視して、私をここから連れ出す事は出来なくなるんですもの。 たとえ、表向きだとしても、法典が存在するんだもの。
今は、逃げ出した先が地獄…… なんて事に成らないように、しっかりとお勤めしなくては。
院長様が私を女子修道院の寮へと移送する為に、修道女を呼ばれた。 その方が来られるまでに幾許かの時間が有ったの。 思い出した事が有ったわ。
「院長様。 ヒルデガルド様の御部屋はまだ?」
「ええ、個人資産と個人の持ち物が多くありますから。 『エルデ様』がこちらに来られると、先触れが御座いましたし、『入れ替わり』となると、その御部屋を『エルデ様』の居室にと考えても居りました。 今は、扉を封じております。 明日にでも司教様に『お話』を通し、今後どうするかを相談しなくては成りませんね」
「そうですか。 では、司教様にお話になる前に、リッチェル侯爵家に『お話』するべきかと思います」
「ほう、何故?」
「ヒルデガルド様は既にリッチェル侯爵令嬢と成られました。 侯爵令嬢の持ち物ですので、全てをあちらにお渡しせねば、なりますまい? もし、領都教会が ” 荷物 ” を『処分』したとしたら、リッチェル侯爵家から見れば、立派な横領である…… と、言われかねません」
「……成程。 そうですね。 まさしく、その通りです。 あちらの家令の方に連絡を取り、お部屋は封印している事を見せ、部屋の中に有るモノを、あちらの手で全て持ち出して貰わねば、あらぬ疑いを掛けられてしまう…… そう云う事ですね」
「ええ…… そうですね。 そんな事をなさるとは思いませんが、まずは考慮に入れておいても良い事だと思われます」
「思慮深いですね、エルは」
「そう云う風な視方ばかり、ご指導いただいてきたので。 多分に貴族的…… 高位貴族家の物の見方かと。 思い過ごしであれば、良いのですが」
笑みを浮かべ、意見を交換するの。 まずは、これでいいと思う。 『記憶の泡沫』が語るヒルデガルド様の最初の躓きなのが、形見の品が失われる事。 それにより、リッチェル侯爵家と領都教会が険悪な関係に成ってしまう事。
―――― そうね、リッチェル侯爵家の人々は、ヒルデガルド様に何処までも甘かったから。
避けられる『問題』は、避けた方がこの領の為になると思うから…… ええ、本当にそう思っての、進言だったのよ。
そして、私は女子修道院の堂女寮へと向かい……
新たな日々を刻み始めたの。