エルデ、『 見極め 』を乗り切り、彼女にとって不可解な評価を得る。
――― 心理的には、戦場なのよ。 この『芙蓉の間』はね。
午前の『 見極め 』に於いて、出題されたのは、幼い頃を思い出すかのような、そんな『設問』の数々。 今すぐに 『 決断 』 しないと、遠くない未来に、暗澹たるものが覆いかぶさるのが、見て取れる。
” 拙速を以て最善を尽くし、状況の変化有れば、臨機応変に対応する。 ”
リッチェルのアルタマイトに居た老齢の政務官達は、遠慮会釈なく私を、そう鍛え上げていたのよ。 本家の人達が、本領であるリッチェル侯爵領へ…… 領都アルタマイトへ来ることは、ほとんどない。 御継嗣様が、一時期、領政を預かり、御当主様の代替わりの折に、王都に帰還される。
アルタマイトに居た政務官達も世襲でその任に当たっているのだが、それが故に、不満と鬱憤が溜まっていたのよ。 主家の方々に顧みられない、領政。 しかし、結果は求められる。 必要な判断は、遠く王都にお伺いを立てなければならない。 しかし、特殊通信など、使う事は許されない。
困難な状況による、事態の悪化を指を咥えて見つめ続けなければ成らなかった。
そんな中、捨てられる様に領都アルタマイトへやって来た、” リッチェル本家の血統を継ぐ者 ”。 幼い娘であろうが、そんな事はどうでもよかったみたい。 付けられた 家庭教師と結託し、只一人、領都に常駐する『主家』の血筋として、” 領政 ” に、携われるように教育された……
―――― 今になって、その偏執的とも云える、教育の意味が判った。
曲がりなりにも、主家の血筋を引く 『 娘 』。 であれば、その娘が全権を握っていても良いのでは無いか。 王都にお伺いを立てるまでも無く、領に於いて即断でき得れば、問題の悪化を防げる。
万が一、その対処が遅れ、何らかの不都合が出てきたとしても、その全責任は、仮の『領地女主人』である、私に担わせれば、万事都合がよい。 老獪な者達の考えは、本領から派遣された 家庭教師達にも、伝えられ…… 納得された。
王都より、遠く離れた 領都アルタマイト。 彼女達にとって、派遣はまるで、” 王都所払い ” と同じ。 それに屈辱に感じていたのだろうな。 そして、その屈辱は、自身の有能さを以て覆したかったと見えるの。 その結果、私を『執拗』に『偏執的』に教育し、年若くとも ” 領政 ” を、担える程の知恵と知識と経験を踏ませたのよ。
女性貴族ならではの、” お茶会社交 ”も、含めてね。
記憶の泡沫が、多少なりとも残っていた私は、蘇りを繰り返すたびに、彼等の教育に応えられる様になっていった。 そう…… 二十七回の蘇りで、応えられるようになってしまったのよ。 憶えの良さ、反応の速さ、そして、刻みつけられた 『 貴族の義務 』 が、それを成さしめてしまったのよ。
アルタマイトの老獪な政務官にとっては、『青天の霹靂』だったでしょうね。 私がリッチェルの血統では無かった事は。 そして、何より、過去二十七回は、ヒルデガルド嬢と共に王都に迎えられ、領都アルタマイトから、消えたんだものね。 手塩に掛けた、自分達の 『 傀儡 』 が、消えたんだもの。
後の混乱が目に浮かぶわ……
今世…… 二十八回目。 あの日、あの時、あの場所で、覚醒したのは、幸いだった。 全ての『記憶の泡沫』が統合され、融合し、私は私が習い覚え刻み付けた知識と知恵と経験を思い出す事が出来たのだから。 混乱は、アルタマイトの教会にも影響を与えるの。 それが嫌さに、逢いたくも無かった、お兄様に、暫くは面会していたのよ。
でも、もう大丈夫でしょう? だって、あの方、王都ではとても優秀だと評判だったんだから。
そんな事をツラツラと考えながら、『芙蓉の間』に戻ったの。 あの知識と知恵と経験があれば、まだ、戦える。 そう思っていたの。 最初の 『 設問 』 を見るまではね。
―――― § ――――
大テーブルに付くと、正面には執政府 事務次官様。 その両脇には法務局 事務次官様 と、商務局 事務次官様。 農務、外務、内務の事務次官様は、席を外され、正面のテーブルの向こう側の先…… 窓際の丸テーブルに付かれていて、テーブルには資料をどっさり乗せられた状態で、座っておられるの。
ぼそぼそと、小さなお声であっても、その会話の内容が、白熱した議論を予想できるわ。 あれは…… そうね、せっかく作った、『 上級官吏登用試験 』 を、わたし如きの 『 見極め 』 に使用したんだものね。 これから、新たに設問を作らなければならないのよ。
あの方たちが直接作問されるとは、思わないけれど、それでも公務を圧迫するのは、目に見えているのものね。 その対策かしらね。
――――
基本的に感情を剥き出しにしない、貴族男性。 特に行政に関わる方々、その中でも上級官吏の皆様方は、物静かと云うより…… 言葉を発せられない。 必要なのは ” 命令 ” であり、良く聴き 考え、決定する事が彼等 『行政官職に有る者』 の、仕事でもあるの。
そんな人達の中で、一際異才を放つのが、目の前に座っておられる執政府 事務次官様。 お名前は、私でも知っている程、有名な方。 宰相が最も信頼を置き、尚且つ、血縁縁故でなく、その能力を持って、職位を上がられた、『 蒼き血の誉れ 』 を、体現している様な方。
半面、とても冷徹で、ほどんど誰にも心を許さず、爵位的にも職位的にも、有力貴族の間では、最も 『 姻族にしておくべき 』 方なのに、浮いた噂一つなく、彼の前に出る女性は居ないのも…… 街の噂に迄、なっているのよ……
宰相府、氷の宰相事務次官
グルームワルト=エバンデン=ロイス=フェルディン上級伯。
何故か、その冷徹な視線を私に向け、沈黙を守られているの。 何も言わず、ただジッと…… 何を御考えなのかは判らないけれど、私の為すべき事は、視線を外さず待つのみ。 どれだけ、偉大な方であっても…… 例え 国王陛下が、この場に居られても、私の態度は変わりはしない。
――― 私は、神職にある 第三位修道女 エル。
畏れる物は、神様と精霊様以外には存在し得ないもの。 圧迫感のある視線ではあるけれど、あの、絶望的な『 幻視の世界 』 を視た私には、その圧すら感じられない。
やがて、フェルディン卿が、フッと小さく息を吐き、言葉を紡ぐ。
「午後の『 見極め 』 を、始める。 要領は午前と同じだ。 設問はエルディ嬢の左側にある。 始めなさい」
「御意に」
やっと、開始の合図。 それにしても、何だったのかな? 今は、そんな事を考える暇は、無いわ。 設問に取り掛かろう。
――――― § ―――――
午前とは、全く毛色の違う『 設問 』。
『 難問 』 と、云うよりも、これって…… 実際の政務の一端なのかもしれない。 問題の切り分けはしてあるのだけれど、あちこちの部門が絡んでいて、易々とは解く事が出来ないの。
設問にしても、王領内の貧民に対する施政とか、王領外縁部の農村地帯における、変異性魔獣の動向についての施政とか…… 単に法を当て嵌めても、なんの解決に至らない。 いいえ、悪化さえするわ。
既に 『 人知の及ぶところ 』 では無い様な、そんな設問ばかり。
既存の王国法では、対処しきれない部分。 つまり、現状では御し切れない 状況についての 『 設問 』 なのよ。 でもね、貴族諸侯とは違った目線を私は持っているの。 三年ほどの、” 短い期間 ” だったけれど、私も又 『 神職 』 に、名を列する者なのよ。
貧窮している倖薄き者達への、慈愛の手の出し方とか、変異性の魔獣についての対処の仕方とか、それは、王領内に限った事では無いもの。 設問は、王領内に限ってはいたけれど、問題の本質から云って、それは、王国全土に当てはまる問題なの。
そして、外縁部は既に解決策を模索し、実行し、協力関係すら構築し始めているのだもの。
リッチェル領 領都アルタマイトでも、それは同じ。 辺境域の御領主様方と、協力関係にあったのは聖堂教会。 リッチェル領では、アルタマイト神殿。 私はその教会薬師院の薬師。 治癒師としても『お勤め』をしていたのよ。 言い方は悪いけれど、人の善意に縋って、最も倖薄き人や、道行に困っている人達に慈愛の手を差し伸べて来たのよ。
聖堂教会に於いて、大切な『 お勤め 』だったのよ。
王領内の様に、金穀だけ出して、既存の 『 武・魔・智 』 を以て、対処してきた、王国王領の施政とは違う道を、取っていたのよ。 それが、辺境諸家と聖堂教会のやり方。
―――― ならば、その事を書き連ね、綴って行こうと思う。
このお部屋の書架には無い、連綿と続く聖堂教会の拠り所。 『 聖典 』 に、綴られている『 決め事 』は、私の中で力強く ” 息づいて ” いるのだもの。 神と精霊の息吹を信じ、辛く困難な道でも、『笑顔』と、『信心』と、『曲がらぬ信念』を持って、慈愛を広げるのは、神職を戴く者の、あるべき姿。
表立ってのそれを喧伝する必要は無いの。 神様と精霊様は必ず見ておられるから。
『法典』、『判例』、『法令』に寄らぬ、真に倖薄き人達に対しての『慈愛の手』。 勿論、其処には必要不可欠な金穀は有るわよ。 それが浄財。 善意の寄進により、神職の行動は保障される。
――― 『無い袖は振れない』もの。
だからこそ、お金持ちで慈善の心を持つ、王国貴族の方々の意思が必要となるのよ。 今の状態…… 王国の貴族様方と聖堂教会の間に 『 溝 』 が、有るのは、倖薄き人達、道行に困る人達にとって、最悪の状態であるとも云えるわ。 痩せ細った慈善事業は、容赦なく聖堂教会から余裕を奪い、それを元手に施される筈だった、救いの手が痩せ細るのだもの。
幾つかの貴族家が画策している……
全てを王国の王侯貴族が成すと云うのも……
――― どうかと思う。
私は、貴族の令嬢として育てられた。 そして、その思考の根底に有る、” 我利 ” を、魂に刻まれた。 貴種とは言え、出家した訳でも無い方々、慈善活動は云わば『 虚栄心 』と、あの方は素晴らしい人だと皆に認められたいと云う『承認欲求』。
常に、何らかの 『 利 』 が、あるのよ。 もしそれが、成されなかったら? 『 義務 』 と、成ったら? その為の法令、法典、判例が作られたとしても、抜け道を見つけ出すのは、人としての 『 業 』 と云うモノ。 法は人を縛る。 でも、心までは縛れない。 そして、この諸問題に関しての『解』は、その『情』の部分が『鍵』を握る。 さもなくば……
―――― 倖薄き人達への救いの手は、確実に細る。
―――― 道行に困る人は、これからも増大する。
国力の衰退にも通じる、深刻で一朝一夕には解決が難しい事柄なのよ。 幸いにして、聖堂教会側は、リックデシオン司祭様…… いいえ、異端審問官様により、不逞の神官様方は邪教崇拝者として、認定され断罪されたわ。
残っていたとしても、あれ程の罪悪を犯す様な為人の方は、もういない。
だから、真摯に思いの丈を文章化する。 王国の法でも無く、判例でも無く、『 設問 』の対処方法を示すのが、聖堂教会の『 聖典 』 である事を。 しかし、聖堂教会が それ を、実行するには、王国の貴種の方々の力が必要な事を添えて。
――― それが、幾つかの難問に対する私の解答。
ヴィルセルバルクにより、何もかもを喪失した、
貴種の血統を身の内に宿す ” 遊民 ” にして、 第三位修道女。
……そんな私が、唯一綴る事が出来る、もっとも 現実的 な、施政の方針。
書架へ資料の収集を、お願いもせず。 ただ黙々と、『 設問 』 に対する 『 応え 』 を、書き綴る私を、心配そうに見つめる一対の瞳。 バン=フォーデン執事長の心配も判るけれど、それは、ご心配の必要は有りませんわよ。 だって、聖典の聖句は、一言一句間違いなく、私の頭と心と魂に刻み込まれているのだから。
日が傾き、晩夏の日の光が『芙蓉の間』に差し込む。 重苦しい沈黙と、私のガラスペンの滑る音だけが支配する 『芙蓉の間』 にも、終焉の時が近づく。 一心不乱に、様々な提言を書き連ねていた私の耳に、荘厳な鐘の音が届いたの……
「…………時間だ。 答案は、そのままでよい。 こちらで回収、確認を行う。 また、この 『 見極め 』 に、関しての評定は、副学習院長との会合で決定される。 エルディ嬢。 疲れたであろう。 バン=フォーデン卿、大儀であった。 今日はもう、帰邸して、ゆっくりと休む事にしなさい」
「はい。 あの……」
「なにか」
「結果は…… 見極めの結果は、何時頃、判るのでしょうか? 少々落ち着きませぬ故、おおよその時期を、お知らせ頂ければ、嬉しく存じます」
「ん? あぁ…… そうだな…… 近日中としか言えぬが、学習院は君を迎え入れる事になるだろう。 これは、間違いない。 が、それだけで 『済ます訳には行かぬ』 事情もある。 次年度が、始まるまでには、全てを決定しなくてはならぬ。 副学習院長、そうであろう?」
「そうですね、フェルディン卿。 そちらも、御一門ですり合わせも有るでしょうから」
えっ? なに、それ…… 御一門? と云う事は、フェルデン侯爵家一門って事でしょ? 私の取り扱いが、そんな大事に成っているの? 『 小聖堂の守り人 』 である、第三位修道女 兼 時々 『 養育子 』の令嬢 じゃ、いけないの?
目を白黒させて、意味深か気な視線を交わす、ウルティアス大公閣下とフェルディン上級伯爵。 一体、私に何の役割を振ろうとされているのよ。 迷惑よ……
「英知に満ちた答案。 確かに受け取った。 これから、各役所に持ち帰り精査吟味する。 従兄上が、心底君を案じる訳が、判ったよ。 エルディ嬢、また本邸で逢おう。 その時は一門の一人として、相見えたいものだ」
氷が解けて…… 柔らかく、暖かな ” 笑顔 ” を、浮かべられるフェルディン卿。 周囲の次官様達が、帰路を急ごうと立ち上がったまま、暫し固まっている。 まじまじとフェルディン卿を見る人、驚愕に口を開けている人、何かの見間違いかと目を擦る人……
「身内の優秀な姫に、言葉を掛けるのが不思議なのか? 俺とて、血の通った人間ぞ?」
心底不思議そうな表情を浮かべるフェルディン卿。 そんな卿を見て、闊達に笑う ウルティアス大公閣下。
「敢えて言うが、卿の笑顔を見た事が有る人間は、少なくとも王城には居ないな。 善きモノを見せて頂いた。 これもエルディ嬢の優秀な故の、稀なる出来事。 各々方、フェルディン卿に笑顔を浮かべさせた、この御令嬢を、粗略には扱えぬなッ! ハッハッハッ…… 」
良く判らない評価を戴いたみたいね。
でもまぁ、フェルデン侯爵家の顔に泥は塗らずに済んだよう。 それだけでも、良い事なのよね。 どの様な結果に成ろうとも……
私は、私。
” 第三位修道女 エル ” なのは、変わりはしないんだものね。
こうして、私に対する 『 見極め 』 は、終わったの。
――――― 奇妙で不可解な評価を貰ってね。