エルデ、『見極め』二日目に臨む。
昨日を同じく、『記憶の泡沫』にある情景通りの、貴族学習院の偉容を誇る学び舎に到着する。 衛士が常駐する、玄門を超えて馬車は行く。 黒塗りの宰相家の家紋が付いた馬車は、誰何を受ける事無く、玄門を通過する。 さしたる時間も掛からず、学習院の玄関に到着したのは、昨日と同じ。
扉が開かれ、バン=フォーデン執事長が先に出る。 周囲を確認して、手を差し伸べられた。
「エルディ御嬢様、御手を」
「はい。 良しなに」
差し出された手に、掌を載せ粛々と馬車から降車し、エスコートされるがまま、歩みを進める。 此処までは、昨日の焼き直し。 空模様迄同じって…… だから、玄関に居るのは『学習院の小間使いの者』だと思っていた。
此処で予想は覆される。 玄関に立ち、恭しく私達を出迎えて下さったのは、誰を隠そう 副学習院長様。 ええ、ウルティアス大公閣下その人。 美麗な式服に身を包み、私を出迎える為に早朝から、数名の侍従を従えられ、学習院の 『 玄関口 』 に、立っておられるのよ。
これにはバン=フォーデン執事長も驚きを隠せない。
「フェルデン侯爵令嬢、歓迎いたします。 本日 『 見極め 』の二日目。 こちら側の受け入れに少々不備が御座いました事、陳謝致します」
ウルティアス大公閣下が流れる様に、そう口にされると、右腕を胸下に水平に上げられ、頭を下げられるの。 いや、もう、これ、何だって云うのよ。 形ばかりの謝罪では無く、本気の謝罪よ。 王族に連なる方がいとも簡単に頭を下げられるなんて、前代未聞。
ほら、バン=フォーデン執事長もあまりの事に言葉を失って、固まっていらっしゃるわよ。 私はどうすればいい? これも 『 見極め 』 の、一環なの? 爵位が上の方々が謝罪を申し出られた時の対応?
ならばいいわ。 相応の対応が有るのだもの。
キッチリと最上級の『淑女の礼』を差し出して、膝を折り腰を曲げ、首を上げて彼の方を見る。
「尊き方の謝罪、お受け取り致しました。 謝罪の因となるモノを取り除き、わたくしだけでは無く、今後同様の仕儀に成らぬ様、お願い申し上げます」
「承知いたしました。 ご不便をお掛けしました」
「勿体なく」
交わされる言葉は、周囲に広がる。 極めて事務的な言葉の遣り取りでは有るものの、『仕草会話』は、言葉に真摯さを載せる。 上位者からの謝罪に対し、下位者は真摯に受け止め、その再発が無き事を 願う。
公的、私的に関わらず、此れは礼法に適った、自身の立場の表明で在り、『おざなり』にしては いけない、遣り取りと成るの。 こちらの礼節としては、上位者がその姿勢を正すまでは、礼を尽くさねば成らない。 それも、よくご存知だったのでしょうね。 会話が終わり、十分な間を取った後、ウルティアス大公閣下は、頭を上げられ『 謝罪の形 』を解かれるの。
「まずは、此方に。 昨日の 『 筆記試問 』 の結果、本日の 『 見極め 』の内容が大きく変更されました。 このまま『芙蓉の間』に入って頂き、『 見極め 』の第二日目とさせていただく」
「承知いたしました。 側人は、本日も?」
「いいえ、エルディ嬢の御手先として、是非とも必要となります。 同道して頂きたい」
「バン=フォーデン執事長、宜しくて?」
「承知いたしました」
ちょっと、対応が変わり過ぎ。 なにが有ったの? 昨日の『 筆記試問 』の結果? どういう事かしら? 良く状況を理解できないまま、私は皆様方と一緒に 『 芙蓉の間 』へと、歩を進めるの。 昨日とは打って変わった今日の対応。
何か有るな…… ろくでも無い現実が……
やがて私達一行は、『芙蓉の間』の扉前に到着したの。 昨日と違う事は、平素は開け放たれている扉が、キッチリと閉まっている事。 二人の衛士様が扉の前に立哨している事。 ん? つまり?
監視の目が、更に増強されていて、私が中に入ったら、何人もこの部屋に入れなくなるってこと?
昨日より、厳しい試問が行われる可能性が有るの? それは…… 嫌かも……
御付の方が、訪問者の名、そして来意を告げられる。 昨日は私自身がした事。 そして、長々と待たされていたのよね。
「フェルデン侯爵家が御令嬢、 エルデ=エルディ=ファス=フェルデン嬢 高等試問の為、芙蓉の間に入室の許可を求める」
「入室を許可致す。 衛士、扉を開けよ」
『芙蓉の間』の扉越しに、そう御声が掛かる。 あ、あのね、此方には大公閣下がおわしますのよ? その一行に対し、” 許可を与える ” の? 扉が衛士様方の手によって、大きく開かれる。 お部屋の中を見て、絶句したの……
同じなのは、中央の大テーブル。 でも、座る椅子は、座りやすそうな椅子に変更されていたわ。
同じでないのは、周囲の様子。 昨日は中央の大テーブルを、取り囲む様に長テーブルが置かれていたけれど、今日は正面と左右の三方になっていたの。
さらに、私の後ろには、移動式の本棚。 その数十六基。 ほぼ、天井まで届く様な、本棚が四列四段に置かれていたのよ。
待ち受けていた人達の御姿が…… また……
農務、法務、財務、外務の各行政機関の正規官吏の式服を纏ってらっしゃるの。 その胸には ”特別な御徴” が、付けられているの。 遠目からだけど、それでも 確認出来てしまう、その徽章。
―― 次官職にある方々。
な、何を 『 見極め 』る 御積りなのよッ!! この国の中枢にお座りに成られる方々の右腕たる人達。 卓越した能力を、御国の為に捧げる、本当の意味での陛下の藩屏。 家門に寄らず、その能力により、その階位を得た英俊の方々。
いや、もう、ほんとに…… 何なのよッ!!
促されるままに、大テーブルに付く。 座り心地の良いはずの椅子に座っても、落ち着かない。 そして、目線を上げると ” 其処に ” いらっしゃるのが、宰相府の次官様にして、フェルデン卿の従弟様でもいらっしゃる、英俊の誉れ高い、 グルームワルト=エバンデン=ロイス=フェルディン事務次官様。 王宮の事情に疎い私でも知っている…… 氷の次官……様?
えっと…… これは、どういう事なのかしら?
「フェルデン宰相閣下より、君の能力を計る ” 下命 ” を受けた。 突然の事に個別の準備は出来なかったが、幸いにして、本年度の 貴族学習院卒業者に対する、上級官吏登用試験が準備されていた。 本試験までにはまだ、時間が有る故、そちらの方はこれから作問を見直す事とした。 準備出来ていた設問を、この『 見極め 』に使用する事を、宰相閣下に御許可頂けた。 ……心して受ける様に」
「はい…… 承りました」
「尚、設問に関して、十全なる回答を求めても居る。 よって、後背にある資料、法典、法令、裁判の判例、外交文書に関しては、閲覧の許可を与える。 全てに答える必要は無い。 本来ならば、五日間を掛けて行う『上級官吏登用試験』だからな。 まだ、十五歳の君に、期待するのも酷であろう。 出来得る限りで良い」
「畏まりました」
「午前と午後。 途中、食事休憩を挟む。 傍付の者、良いな」
「御意に」
「では、始めよ」
なんなのよ。 本当に。 学習院編入の為の『見極め』では無いの? 試験官席に座られている、ウルティアス大公閣下も、事の詳細をご存知だったの? ニコニコと、機嫌のよさそうな表情を浮かべられているのよ。 傍らに立っているバン=フォーデン執事長が、私を現実の世界に引き戻すの。
「お嬢様、始めましょう」
「判った。 これも 『 見極め 』 なのね。 私の、『 役割 』 なのね。 神様の御導きとは言え、少々 『 過酷 』 に過ぎるわ。 判りました。 わたくしの全てを以て、お答えいたしましょう。 教会がどれ程、王国を案じているか…… お目に掛けねば成りますまい」
「御意に……」
最初の設問を左側の山から手に取る。 昨日の設問とは段違いの難易度。 一目、設問を見るだけで、その難しさは判るのよ。 短い設問の中に、過不足のない状況説明、明確な設問目的、回答が曖昧に成らぬ様に、極めて限定的な状況の設定。
頭の中に王国の法典が流れる。 その条文と、付帯条項。 さらには、係争と成った時の、判例集。 全てを網羅出来る訳は無いのよ。
大筋の法典法令から導き出される他の傍証。 傍付が許され、膨大な量の資料が用意されているのね。 バン=フォーデン執事長に、幾つかの資料の用意を願う。
動き出すバン=フォーデン執事長。 先々代の宰相閣下の右腕と云う 『 その事実 』 は、間違いではなかったわ。 適切な資料を過不足なく収集する能力は、長く宰相府に奉職していた証左。 ならば、彼の能力を十全に発揮できるように、適切な『願い』を出す事が私の『役割』。
ん?
とても、有能な…… この国の最高峰の経験を持つ方が傍付なの? これ…… アルタマイトで成していた、女主人としての 『 努め 』 と考えれば、望みうる最高の状態なのでは無いかな?
十分な資料、有能な執事、既に切り分けられた問題提起。 私が成すのは、それに対する適切な 『 指示 』 だけなのよ。 ならば、小賢しい小娘である私でも可能。 フェルデンの娘では無く、リッチェル家の領地に居た 『 責任者 』 としての資質が、試されている…… と云う事ね。
判った……
頑張る……
カリコリと解答用紙の上を滑るガラスペン。 右手が少々インクで汚れているのは、御愛嬌。 設問は、農務、商務、外務、法務と多岐にわたる。 幾枚もの設問を、処理して右側に流すと、その解答用紙は時を置かず、各次官様の手元に。
平然と、その解答を読まれていたが、徐々にお座りになる御姿が前のめりになっていくのを、目の端で確認したの。 綴った答案は、ご満足いただける程に成っていると云う事ね。
ならば、良し。
引き続き、集中して設問に取り組むの。 ええ、とても集中してね。 バン=フォーデン執事長も、書架に行ったり来たりで、暇をしている時間は無いわよ。 使えるモノは何でも使わねば、時間が惜しい。
昼の鐘が鳴る。 集中していたので、そんなにも時間が経っていたとは思わなかった。
頭を上げて、周囲を見回すと、幾人かの次官様が集まって、なにやら議論を始めていたの。 そんな様子の中、ウルティアス大公閣下が私の元に遣って来て、手を差し伸べられたわ。
「午前の試問は終了の様です。 皆様もお忙しそうですので、昼食にしましょう。 バン=フォーデン卿もご一緒に。 なかなかに、大変な御働きの御様子でした」
「先々代様との日々を思い出しておりました。 いやはや、老体には少々辛くありますな」
「さて、エルディ嬢。 御手を」
「はい…… ありがとう御座います」
またもや、一行で昨日使った回廊を辿り、大食堂へ向かったわ。 今日はバン=フォーデン執事長もご一緒。 すこし、気持ちが軽いのよ。 促されるまま、昨日同じ場所に設えられた中二階へ向かう。 誰も疑問にも思わず、そのまま大きなダイニングの丸テーブルに。
今日はバン=フォーデン執事長が椅子を引いて下さったの。
供せられるのは、いたって普通の昼食。 マナーも平素の昼食のマナーで十分ね。 これ、『 見極め 』 なの? 美味しくバン=フォーデン執事長と並んで 『 昼食 』 を、戴いていると、同席されているウルティアス大公閣下が、不思議そうに私達を見ていたの。
「どうか、なさいまして?」
「いいえ、失礼。 エルディ嬢は、傍付の彼と同席し 食事されているのを見て、少々……」
「ええ、まぁ。 普段であれば、この様な事は致しません。 が、あの 『 見極め 』 では、バン=フォーデン卿は、わたくしの右手。 つまりは、諸問題を解決する為の、必要な頭脳でもありましょう。 この方は、貴族学習院内に於いては、また、『 見極め 』 の間は、わたくしに与えられた唯一の補佐官に御座いましょ? ” 有能な補佐官 ” に、非礼は出来ませんもの。 それが理由に御座いますわ」
「その様な事態に、御身を置かれた事が有ると?」
「お調べになっておられる筈。 アルタマイトでは、仮の『女主人』の役割を、名実共に努めねば成りませんでした。 領政の最終判断も又、わたくしの『 役割 』と、定められておりました。 小娘に与えられたのは、領の執務官達。 わたくしの拙い政務を補佐してくださいましたわ。 尊敬して然るべきに御座いましょ?」
「成程…… 伝聞では、計り知れぬ事でしたね。 委細、承知いたしました。 バン=フォーデン卿、得難い人物ですね」
「ええ。 わたくし共…… フェルデン別邸の者達は、名実共に、お嬢様を補佐致したく、心より望んでおります。 が……」
「バン=フォーデン、お食事を楽しみましょう」
「……御意に」
バン=フォーデン執事長の言外の言葉を、ウルティアス大公閣下が敏感に察知され、私の胸にある、不可視の『斎戒のストラ』に視線を向けられたの。 そして、ご納得いただける。
私が別邸に於いて、どんな事を望んでいるのか。 第三位修道女として、神に祈る事を最優先にすると云う、断固とした意志を示しているのを、読み取れたのだろうと、そう思う。
困惑の笑みを浮かべ、ウルティアス大公閣下はバン=フォーデン執事長に言葉を紡がれた。
「頑固ですから、エルディ嬢は」
「誠に…… 左様に御座います」
私の横で、何故か判り合うお二人。 ねぇ、どうして? どうして、その結論に至るの? 何を判り合っているの? 私は、私の立場をちゃんと理解しているから、こうなっちゃうのよ。
もう二度と、勘違いして、驕慢で傲慢な 『 愚 者 』 になって、悲惨な末路へ驀進する…… なんて、したく無いものッ!
少々、不満げな表情を浮かべながらも、美味しい昼食は終わったわ。
締めの黒茶を戴いて、
もう一度 あの『 戦場 』 へと向かうの。
―――― ええ、『 戦場 』 へね ――――
さて…… 午後の設問は、どんな感じかな? ちょっと、楽しみでもあるのよ。