エルデ、原初の聖杖の悲しみを癒し、永遠の眠りに誘う
――― 想像していた以上に、中は広かったわ。
丸い御部屋で、天井もドーム状になっているの。 この様式…… 憶えがある。 まるで、教皇猊下の御座所と同じ。 きっと、同時期に建てられたものなんだと、ストンと理解できた。
つまり…… 建立年代は、王国建国期……
王国の開祖様の時代と云う事。 成程、古い筈ね。 歩を進める様に促される。 目的地は…… 中央聖壇。 祈りを捧げる場所。 教皇猊下の御部屋にも、同じモノが有ったわよね…… 違う所は……
―― 違う所は、『 聖なる聖壇 』 に、
『 杖 』 が、突き刺さっていた事。
冒涜よッ!
神様と、精霊様方へ、祈りを捧げる御座所に、何かを突き刺すなんてッ! 私は目に怒りを孕み、聖壇の側に寄る。 聖壇に深く突き刺さり、やや傾いでいる 『 杖 』 を、見る。
見覚えのある……
いいえ、この場所に有る筈の無いモノが…… 違う…… これは、私の知っているモノじゃない。 私が授けられたモノじゃない。 でも、そっくり…… この場所の成立年代から考えると……
これが? 原初と、云う事なの?
―――― なんて事ッ!
「この冒涜的な情景は、連綿と世代を超えて、続いています。 廃大聖女 オクスタンス様も、この状況を憂いておられた。 そして、如何にかしようとされました…… しかし、オクスタンス様は告げられました。 ” 私では足りない ” と。 ” 真に精霊様方と、神様に愛されし 神聖聖女ならば、あるいは…… ” と」
「これが…… 聖杖の原初なのですね。 何故また、この様な……」
「初代神聖聖女様の、『 怒り 』…… と。 神も精霊方も、その怒りを当然のモノとして、受け入れられ、初代様に『 天罰 』を、お下しになる事は、しなかったと…… 大公家の口伝として伝えられております。 初代様の、真の目的は、『 聖壇 』 に、施された 【 守護と豊穣の祈り 】 を、破らんが為…… らしいのですが、その他の詳細は口伝にもありません。 幾つもの謎が、この情景には含まれている、としか。 事実は、重秘匿文書に指定され、秘匿聖遺物として、聖堂教会の宝物殿 奥深くの【不壊の結界】内に、保管されていると、言い伝えられています」
「この状況を、知る者は?」
「『巡星の祈祷所』の守護を『 使命 』とする我が一族の者達数名と、当代の教皇猊下。 そして、廃大聖女オクスタンス様。 あと、貴方を含め、二人の人物」
「委細は判りませんが、閣下が何故わたくしをこのお部屋に誘われたのかは、理解しました。 この状況を正す…… せめて、聖壇から聖杖を抜き取り、然るべき場所へと保管する。 できるならば、聖壇の修復をも、求められている。 御宸襟にある事は、それでしょうか」
「歴代の大聖女様、幾多の『 妖精の愛し子達 』が、為そうと…… しかし、未だに成し遂げたモノは居りません。 ですから、無理は承知の上です。 私の予測が正しいのならば、君はその資格を保持しているはずなのです。 故に、君に 『 試す事だけは 』 して欲しいと、そう願います」
「予測…… なのですね。 承りました。 わたくしに閣下の 『 お望み 』 を、成せるかどうかは、判りません。 わたくしが、閣下の予測した『 者 』で有るかどうかも、定かではありません。 さらに、師である、大聖女オクスタンス様でも、不可能であったというのであれば、わたくしに出来よう筈は御座いませんが…… この状況を知ってしまった今、挑まねばなりますまい。 しばし、この聖杖と対話しとうございます」
「……すべては、神の御心のままに」
胸に手を当て、ウルティアス大公閣下は…… いえ、上級枢機卿ウルティアス様は、開けられた扉の向こう側まで退かれた。
実際、何が起こるか判らない。 つっと、指先を、その古の聖杖に押し付ける。 ピリリとした、電光が走る。
『 拒絶 』…… かぁ…… そんな感じはしていたわ。
強い拒絶だけど、嫌な感じはしないの。 もう、人の ” 業 ” とか、感情とか 『 堕ちた昏い物 』は、感じはしなかったの。 そう、聖壇に突き刺された 『 聖杖 』 に、刻まれた ” 想いの残滓 ” だけが、感じられたの。
哀しい、寂しい、悲しい…… そう云った感情の残滓。 恨みも、辛みも、怒りすら…… 既に磨滅し、微かにしか、感じられなかったの。
強い 『 拒絶 』 は、その 『 感情の残滓 』 を。守っている為ね。 突き刺さった場所から抜ける事は、その感情を手放す事。 この子…… そんな『負』の感情さえ、愛おしく、護りたいと、そう感じている……
永遠に失われる、過去の感情を、何処までも護りたかった。
この子は、”かつての” 主人に…… 深い敬愛を持ち、何としても護りたかったんだ。 例え、それが、残滓であっても。 それが、『 負の感情 』 で、あっても……。
記憶の中の ” 初代様 ” を、留めておきたかったんだ……
わかった。 ならば、その思いをアナタに刻みつけてあげる。 『 記憶の定着 』 にも、効果のある 【状態保全】 と云う ” 魔法 ” が、有るの。
『 闇魔法 』の一つにね。 そして、私の固有魔力は、『 闇 』。 本来は、精神干渉系の魔法なのよ。 過去の人生では、これを悪用して、色々と悪行を成したわ。 だから、今世は極力、製薬に使う以外、魔法は使わない様にしているのよ。
半端な術式では、こんなにも薄くなってしまった 『 記憶と感情の残滓 』 を、定着させるのは無理。 強力な魔法でも至難の業。
だけど、幾多の ” 製薬 ” を通して、私の魔法行使の『 地力 』は、上がっているし、体内保有魔力量も、前世と比して 格段 に大きくなっている。
だから、きっと…… 過去に修得した魔法でも、強い強度を持つ 『 闇魔法 』 に、成って居る筈。
――― そっと、初代様の杖に、語り掛ける。 この子に届く様に、声に魔力を載せて。
「あなたの大切な記憶を、あなたに刻み込んであげる。 どんな記憶や感情でも、大切な あなたの御主人 の感情なのだものね。 その記憶は、あなた だけのもの。 だれにも奪わせはしないわ」
杖に当てている指先の、ピリリとした、電撃が徐々に小さくなる。 まるで、幼子が ” 本当に? 本当に? ” と、聞いてくる様な感じがしたのよ。 愛する人を失う恐怖は、誰よりも私は理解している。 接触している指先に、思いを載せ伝える。
「大丈夫。 癒しの魔法と同じなの。 心に安寧を置く為の魔法は、神様もお許しになられるもの。 でもね、一つだけ聞いて欲しい事があるの。 もし…… もしもだけどね。 あなたのご主人が感じた、『 嬉しい 』 記憶があるのなら…… それも、刻み込んで欲しいのよ。 負の感情だけでは、いけないわ。 一つだけでもいいの。 たった、一つだけでも。 残った感情の残滓を、全てあなたに、授け刻み付けます あなたの魂に」
ピリリとした、拒絶がふわりと虚空に溶けたの。 約束は守るわ。 私の知る、最も強い強度の【 状態保全 】 を、全力で紡ぎ出す。 この聖なる空間に残る、『聖杖の持ち主』 の記憶の残滓を、収集し、固定化し、刻み込む。 何一つ残さぬ様に。 この聖杖が、大切にしていた主人の失われつつある、どんな些細な記憶の残滓も、何一つ残す事無く……
術式は、その強度、深度に比して、ごく短時間で終わったの。 それだけ、残っていたモノが少なかったと云う事。 でも、もうこれで、この聖杖の大切なモノは、聖杖が存在する限り、杖の中に残り続ける。 それが、この杖が心から願っていた事。
刻みつけられた 『 記憶の残滓 』 を大切に、大切に自己封印する、聖杖…… 原初の聖女の聖杖。 この子は、これで、眠りに着ける。 永久に目覚める事が無い、『 永久の眠り 』に。 私は、自分の持てる力を全て注ぎ込む様にして、【不壊保全】の魔術を紡ぎ出し行使する。
ボンヤリと、光を放つ 『 聖なる杖 』。 微かな杖の『 自我 』が、私に伝えた言葉あった。
” ……感謝す ”
だったの。 薄ぼんやりとした、聖なる光を放つ、聖女の杖。 こんな所に居てはいけないわ。 あなたは、然るべき場所で、眠りに着かないといけないんだもの。 そっと指先を杖に絡ませ、握る。 強く力を入れるまでも無く、するりと聖壇から杖は引き抜けたの。
「想いを護りぬく『役目』を全うせしめたる聖杖よ。 神と精霊が加護により、あなたを ” 然るべき場所 ” で、『永久の眠り』に誘わん」
――― 私は、『 言挙げ 』により、『この子』を、封じた。
もう、誰も、初代聖女の聖杖を手に取らぬ様に。
この子が新たな主人に手に取られぬ様に。
この子が、一番大切な人の記憶を胸に眠れるように。
『聖女の聖杖』を、両手に持ち、頭に押し頂き、本来、聖杖があるべき場所に向かう。 聖壇の南側。 かつて…… 聖女が座した場所。 その場所には、今も石櫃が一つ。 聖杖が入るだけの空間がくりぬかれた、石櫃。
―――― 聖杖の、本来の保管場所。
蓋を横にずらす。 思った通り、濃紫職の天鵞絨が、張られているわ。 その内懐に、そっと横たえるの。 聖句を口に石櫃の蓋を閉める。
眠りに着く、『 聖女の聖杖 』。
その神聖さは、石櫃にも影響し、淡く発光する。 まるで、初代大聖女様が其処におわすかのように…… 『巡星の祈祷所』に清冽な神聖を紡ぎ出してゆく。
善き夢を…… 永久に続く…… 善き夢を……
―――――
聖壇が、その聖なる魔力に反応したのか、周囲から刻み込まれた魔術式に魔力が充填されてゆくのよ。 さっき、聖杖に相当量魔力を注ぎ込んだ私には、此れを制御するなんて無理よ。
ど、どうしよう……
慌てて、周囲を見回すと、扉の外まで退いていたウルティアス大公閣下が、飛び込んでこられたの。 そして、聖壇へと鋭い視線を向けられ、聖杖によって傷つき穴の開いた場所に、何らかの魔法術式を展開され、押し込まれておられたのよ。
それが何なのか……
良く読み取れなかった。 でも、それを行使する事によって、聖壇に刻まれていた【 守護と豊穣の祈り 】 は、暴走する事は無いように、修復出来たと云う事だけは理解した。 ほっと、息が抜けた。 ほぼ、空っぽに成った私の魔力。 『 体内魔力の枯渇 』の為に、足元がふらつき…… 座り込んでしまったの。
でも…… 最後の意地で、聖壇に向かって、感謝の祈りを捧げるの。
” 建国当初の厳しい時代に、この国を護り、育てて下さった、過去の英知と、見守って下さった、神様と精霊様方の慈愛に、深き感謝を ” ……と。
座位が崩れ落ち、ぺたりと石床に座りながらも、全霊を以て祈りを奉じる私に…… 深い畏敬の意思が籠った視線を投げていた、ウルティアス大公閣下が、私の後ろに跪く。
そして、御自身も 『 神聖聖句 』 を、口にされた後、私に言葉を紡がれたの。
「 神聖聖女 エルデ 様。 その『奇跡の御業』に、感謝を捧げましょう。
神様と精霊様方。 『神聖聖女エルゼ様』を、昏き闇の間に遣わせて下さり、深い感謝を捧げます。 奇跡の御業により……
王家と我が一族が誓いし 『使命』と『請願』、
此処に、『 満願成就 』 を成した事、献呈し奉ります」