エルデ、何も知らされないまま、秘匿されし祭壇に向かう
ウルティアス大公閣下の御意向に従い、彼の後に続き、大食堂から退出した。 長い長い回廊が目に映る。 どうも、直ぐに到着するような場所では無いようね。 チラリとその様な思いが、胸に過る。
大公家の名を背負う方が、そんな私の不安を敏感に感知できる方だったとは、思わなかった。
「目的地は…… 少々、ココからは距離がある。 疲れてはないか?」
「大丈夫です。 『貴族の令嬢』であらば、厳しいでしょうが、わたくしは『神職』に身を奉じておりますので」
「そうだったね。 そう云えば、アルタマイト神殿から、王都 聖堂教会まで歩き通したと聞いたが…… 辛かったろうに」
「いいえ、閣下。 行く先々の小教会、祈祷所では、良くして頂きました。 各地における、倖薄き方々への 『お勤め』 も、そんな方々の神様、精霊様方への祈りにより、癒されました。 静かな、しかし、確固たる信仰が、各地の民の間に深く根付いていると、感じられた道程でした」
私の言葉に、ウルティアス大公閣下は沈黙を守る。 深く、何かを御考えの様だったの。 あるきながらも、腕を組み、右手は顎の下を支える、その御姿に何故か『神聖さ』を、感じてしまったの。
そうね、豪奢な御召し物を纏っていらっしゃっても、何処か『清貧の志』を、堅持する神官様のような雰囲気を醸してらっしゃるのだものね。
小さく…… 本当に小さく呟かれるの。 私の良く聞こえる耳は、過たずその言葉を捕らえるの。
「……ふむ。 『巡礼の旅』とは良く云ったものだ。 そう、感じられる者だけが、資格を得るのか。 いや、資質を持つが故に各地の精霊様方が見出したのか。 信仰心のみでは、成せぬ道程を…… 反対に、 ” 危うい ” と、云うべきか……」
何処か、納得した様な響き。 何を御考えなのか、ちょっと判らなかった。 何となくだけど、私自身を見詰められている様な気がしたの。 まるで、丸裸にされたような気分。 ちょっと、恥ずかしくも有るけれど、首から掛かる不可視の 『 斎戒のストラ 』 の賜物か、心に浮かぶは漣程度の動揺だけだったの。
回廊を進む歩みは、比較的早く、王都への道をちょっと急いで歩く程度の速度だったの。 別段、困った事には成らないし、単に後を付いて歩みを進めるだけなので、体力的にも問題はないわ。 足元には、毛足の長い絨毯がずっと敷き詰められていたし、街中を歩くよりも 遥かに軽快に歩を進められる。
回廊の壁に等間隔で連なる細い窓からは、傾き始めた陽光が差し込み、天へと続く光の階段が幾つも、幾つも、回廊を照らし出していたの。 紅い絨毯と、傾き始めた柔らかな陽の光。 温かみのある、静謐な回廊。 そんな場所に、身を置けることが、素敵だと思えたし、心地よかったの。
この歩速で、時間を掛けて行く先…… どこだろう?
『記憶の泡沫』の中には、記憶は無いのよ。 大食堂、談話室、議会室、議事堂…… それと、王都に住まう場所の無い方々に供せられる、宿舎。 学習院の学舎の中で、記憶の泡沫にある場所はそんなもの。
それとは別に、身体鍛練場、魔法教練場、馬場、なんて云う、屋外の施設群の記憶もある。 でも、この回廊を含め、ウルティアス大公閣下の行く先の予測は出来なかったの。 先程まで、明るかった優美な回廊。 先まで見通せたはずなのに、突然プツリと切れたように、暗闇と見紛う回廊となった。
厳密にはまだ、その回廊には入っていない。 不十分な明り取りの数なのだろうか? それまでの優美さを削ぎ落したような、まるで岩塊を削りだしたかのような、回廊の姿。 床も粗い石畳の様にデコボコしているし、なにより、薄暗い。 良く見ると先程迄、規則正しく配されていた廊下の長窓は、小振りの丸窓に変わり、不規則に並んでいたのよ。
高さも、不揃いで十分な光を得る事が出来なくなっているからかしら。
その境目は、やや大きな空間に成っていて、天井からは幾つかの徽章が、垂れさがっていたの。 歳を経た古いモノで、描かれている筈の紋章も、良く読み取れない。 傍らには、幾つかのクローゼットが立ち並び、さらに【 重結界 】の魔方術式が床に打ち込まれていた。 でも、幾つもの欠損により、今では『結界』を結べずに、床の彫刻と成り果てている。
随分と古い様式。 手入れもされず、放置されて…… 廃墟の様。 不思議と嫌な感じは無かった。 ただ、ただ、拙く止め置かれた、そんな場所。
なんだろう、この場所…… 廃れた廃教会の玄門に似ている…… でも、何故この場所に? そんな疑問を胸に抱いた私に、ウルティアス大公閣下は、『 警告の言葉 』を、紡がれる。
「エルディ嬢。 ここから先を進むには、少々 意識を変えて貰わねば成らない」
「と云いますと?」
「見ての通り、ココから先、足元が悪い。 清掃も行き届いていないし、床も石畳みの様に、少々荒れる。 貴族令嬢には、辛い歩みとなるのでな」
「……見た所、廃神殿の回廊の様にも見えます。 ……管轄が、貴族学習院では無く、どこか別なのですか?」
一瞬の沈黙が落ちる。 寸刻、両眼を閉じ瞑目されたウルティアス大公閣下は、静かに言葉を紡ぎ出されたの。
「良く見える眼を持ってますね。 遥か昔には、多くの者達がココで 『 御勤め 』 に励んでいた、場所でした。 が、特段の事情により、現在 此処に在籍する修道士は、おりません。 が、それが故に、” その身 ” が、単なる 『 貴族 』 であれば、この場所から向こう側には入る事は許されません。 『 資格持つ者 』にしか、道行は許されないのです。 良いですか、これから…… 君が見るモノは、秘匿事項と心得なさい」
「承りました」
私に求められた事は、閣下にも適用されるのか…… 口調がお変わりになられた。 つまり、ここから先は、『 身分を盾には出来ぬ場所 』 だと云う事なのね。 フェルデン侯爵家の『養育子』と云う、貴族的身分では無く…… 第三位修道女として、付いて来いと…… そういう、思召しなのね。
と云う事は、閣下は…… 聖職者の権能を、未だに、お持ちなの?
私がそんな事を考えていると、ウルティアス大公閣下は、豪華な装飾を配した上着のポケットから、何やら取り出された。 『掌会話』 を、用いて、少々この場に留まる事を、私に伝えられた。 ” 承りました ” と、返事を返すと、卿はすぐさま、装いを整えに、廊下の傍らに設置されているクローゼットへと、身体を向けられたの。
扉を開けられ、上着を収納された。 すらりとした筋肉質の御身体。 一部の隙も視られない雰囲気。 まるで、良く鍛えられた修道士の様。 その御姿は、純白のシャツに大公家の紋章を織り込んだ濃紫色のウエストコート、そして 黒のスラックス に、包み込まれておられたの。
そして…… クローゼットの中から取り出された、濃紺の【カズーラ】を取り出され、羽織られたのよ。 この御色の【 カズーラ 】って…… まさか……
先程、ジャケットのポケットから取り出されたのは…… その装いに必要な最後のピース。 純白の地に濃紫色で、様々な【 浄化術式 】が刺繍された 【ストラ】だったの。
えっ? ちょっと、待って…… 首の後ろと両方の先には、聖堂教会の紋章が施されているわッ! ―― その御色、その紋章の 【ストラ】 はッ! 『確定』は、してない、けれど、この装いはッ!
…………長さはッ! 長さで、確定するのよッ!
” 長さ ” は、膝より下ッ!!
―――― せ、聖堂教会、十八人会議に名を連ねられる
” 上位枢機卿様 ” の簡易式服だ。
「驚かして、申し訳ない。 『 君 』 を、先導するのに、必要な装いなのです」
「……う、承りました。 卿は…… その…… 上位枢機卿様なのですね」
「かつてそう呼ばれる者でした。 今は、臨時に ” その権能 ” を、纏う事を許された、『神籍に有った者』 なのですよ。 お許しに成ったのは、教皇猊下。 しかし、今では『ご連絡』を取る事さえ難しい。 ” 立場の違い ” と、云うのは、本当に難しいモノです」
「……承知いたしました」
「日が落ちる前に、到着したいので、少々急ぎます」
「はい」
先導されるウルティアス大公閣下は、御言葉どおり先を急がれた。 道行は険しく、徐々に上昇して行くのが判る。 回廊と云うより、『 路 』 は、上り坂となり、数段の階段となり、更には上へ上へと続く、階段となるのよ。 一定の足音が二つ。
カツカツカツ……
カツカツカツ……
と、路に広がる。 私がその歩速について行けるのを、まるでご存知かの様に、ウルティアス大公閣下は、振り返る事無く先へ先へ。 そして、先程から耳にするのは、卿の祈りの聖句。 徐々に薄暗さに慣れた目は、そこが尖塔の一部である事を見て取ったの。
やがて、最上階に到着する。 しっかりと閉められた木製の扉。 反対側には、装飾が細かく施された格式ある扉。 二つの扉の間で、『 路 』 は、行き止まりと成っていたの。 聖句を止め、初めて振り返られたウルティアス大公閣下は、私に語られる。
「左側の扉を抜けます。 右側の扉に続く場所は、君には関係の無い場所でしょう。 第三位修道女ならば、判るとは思いますが、この先は、機能が停止している『 聖なる空間 』です。 名称が有ります」
「はい」
「『巡星の祈祷所』 と。 聞き覚えは?」
「……残念ながら」
「そうですか。 廃大聖女 オクスタンス様は、お伝えに成られませんでしたか。 君を縛る事を良しとされなかったのでしょう。 理解しました。 私も廃大聖女様の御心に沿いましょう。
――― これは 『 見極め 』の一環。
どの様な結果になっても、私の権限で胸に秘めましょう。 ですが、結果次第で、君への私の対応は、大きく変わると、そう最初に告げておきます」
「はい」
「では、玄門の封印を解き、中へ入ります」
そう、お口にされると、扉の前に立たれ、【解呪】の印を手に、封印解除の術式を展開されたの。
古い古い様式の、魔導術式が見えた。
その術式に呼応するように扉もまた、【封印の呪】を緩め解き放つ。
全ての術式が行使され、玄門は唯の木製の扉となる。
―――― 卿は扉を押し広げ、中に私を誘ったの。