エルデ、悪意の漣の中で、公平たる『蒼き血の継承者』の存在を知る
旧年中は、お世話に成りました。 多謝!
本年も又、何卒、宜しくお願い申し上げます。 感謝!!
エルデの疾走は、今年も続きます。
楽しんで頂ければ、幸いです。
貴族学習院の大食堂。 燦燦と陽光が差し込む、大きなガラス窓。 神話を元にしたステンドグラスがはめ込まれている窓の上部。 広いフロアは閑散としているのは、今が夏季休暇の真っ最中である事の証左。 いずれ、若き貴族子弟が学習院に帰還した際には、この場所こそ極めて重要な『社交場』と成るの。
記憶の泡沫は、まざまざとその情景を脳裏に映し出す。
陰謀と策謀。 我欲と実利。 高慢と驕慢。 卑下と追従。
人の持つ『負』の側面が、包まれる事無く露呈し、そして 牙で噛み合う そんな場所。 思惑と筋書を成就せんが為、巨大な権能を持つ実家の力を背に、言葉の刃で切り結ぶ戦場。
今は、静かにその時を待っている、心から噴き出した血潮によって、真っ赤に染まった、そんな場所。 長く使われているその場所には、既に空間が 『 記憶 』 すら保持しているのよ。 聖職者たる者ならば、その気配には気が付くはず。
荒ぶる人の 『 業 』 を、記憶に宿した、本来ならば心安らぐ場所である、大食堂に対し ” ―― 安寧たらん ――― ” と、祈りを捧げる。 両手で祝福の掌印を結び、神様と精霊様の御慈悲を願い、せめて人が居ないこの時ばかりはと…… 祈るの。
――― 『貴族の令嬢』としてでは無く、『聖職者』として……。
差し込む陽光が、キラキラと輝く。 ふわりと、幾つもの光の羽根が降り注ぐ。 願いは…… 通じたのかもしれない。 御顕現の御徴。 聖 紋を頂けた事に、深く感謝を捧げる。
此れは、私の為すべき事。 為さなくては成らぬ事。
第三位聖職者としての意識が 強く…… 強く、私にあったから。 つい……
祈りを捧げた私のすぐ背後に、ウルティアス大公閣下が立たれる。 周囲に飛ぶ光の羽根をうっとりと眺めつつ、言葉を紡がれる。 そこに、『何故』と云う疑問の響きは有るものの、”どうやって”と云うモノは無かったの。 それは、この方が『神籍』に在った方だから。 神職に有る者が、その権能を振るう事に、疑問など持つ筈も無かったから。
「見事なモノだ。 聖杖を持たず、精霊様の御光臨を賜えるのか。 エルディ嬢、その祈りは誰に?」
「この大食堂へ。 余りにも『欲望』と云う名の、七つが大罪の一つにより、穢れてしまっておりました故」
「……この大食堂自体にか?」
「はい。 長き時を経たモノには、記憶が宿ります。 そして、更に時を重ねた モノ には魂が…… 精霊様と同じ、魂と自我が宿ります故」
「……『付喪の精霊』へ ……なのか。 この大食堂が、そうなのか。 確か、聖典に記述があったな。 ” 歳を経、貴ばれる什器は、『聖遺物』と成らん ” ……だったか。 真実とは思えなかったが、これを見せられれば…… それ程までに、この大食堂には 『 人の業 』 が、集うか」
「はい、正しくは、その過程。 『付喪の精霊』となるには、後どれ程の刻を重ねなければ成らないかは、神様と精霊様方しか、判りません。 しかし、この場所は、濃密に過ぎる、人の意思が…… それも『悪意』が満たされ過ぎ、刻み込まれてしまいます。 このままでは、悪意に染まった『付喪の精霊』と化してしまうかもしれません。 聖職者として、見逃しては成らない『 穢れ 』。 精霊様方の加護に御縋りし、幾許かでも浄化せねばなりません。 聖職に有る者の義務でも有ります故」
「成程、今のエルディ嬢は、フェルデン侯爵家の 『 養育子 』 では無く、アルタマイト神殿が、薬師院の第三位修道女 ” エル ” ……と?」
「そこまで、わたくしの事情を『ご存知』であらば、わたくしに課された 『 使命 』 も又、ご存知と思われますが?」
「…………その使命、容易くは無いぞ」
「理解しております」
「そうか。 ならば、私も改めねば…… 成らないな。 ……エルディ嬢」
「はい、ウルティアス大公閣下」
「まずは、『 見極め 』 の続きから、始めようか」
どうみても、フェルデン侯爵閣下と同年代と思える、ウルティアス大公閣下は、その思慮深い顔に笑みを載せ、そう私に語り掛けて来る。 この試問を、『 茶番 』と言い切るのよ、この尊き血の継承者は。
私を先導する様に、前を歩かれる。 行く先は、緩やかに円弧を描く階段。 大食堂には中二階があり、高貴な方々が、食事を取られる場所と成ってるの。 階段を上がれるのは、上級伯爵家以上の家格を持つ家の子弟、及び、その子弟に招待された者達。
前世では…… 私にはその資格が無かった。 リッチェル侯爵家の正式な娘では無く、単なる居候だったもの。 勘違いしていた私は、資格も無しにこのバルコニー風に設えられた場所に、足を踏み入れ愛を乞うた人に絡みついていたんだっけ。 でも、わたしが 許された立場は……
” リッチェル侯爵家の愛娘の介添え人 ” として…… ね。
傍若無人な振る舞いは、人の反感を買う。 そして、度重なれば、何時しか憎しみに至る。 その轍を、二十七回も踏んでいたのよ。 呆れるばかりね。 二十八回目の今、身分的に正式に許可され、足を踏み入れる事が出来る立場を得た。
望んでも無いのにね。
中二階のホール。 高貴な方々が食事を取る場所。 故に、その設えは階下の一般食堂とは一線を画するのよ。
十人前後で囲める丸テーブルには、純白のテーブルクロスが掛かり、豪華で座り心地の良い椅子が、用意されているの。 天井には明り取りの丸窓が幾つも開いており、さらには、精緻な天井画が見下ろしていたりもする。 創世記の神様の御遣いが、大地を生成する場面だったような気がするわね。
さらに、普段ならば、数十人もの 従卒 が、あちこちに立ち、貴人のお世話をするのよ。
もう、至れり尽くせりの待遇を保証されている場所なの。 窓は細窓。 重厚なカーテンが掛かり、外からは決して中の様子は伺えない。 更に【 防音 】、【 消音 】 の障壁まで結ばれているから、中の様子を窺い知る事は、余程熟達した魔導士で無いと不可能とされて居るわ。
それでも、未成年の青年貴族達が、醜聞に脚を取られない様に、内部の 『 監視 』 は、徹底されているらしいけれどね。 多分、それに、過去の私も捕まった筈よ。 この場所で巡らした、未使用の術策まで、王立貴族学習院側に漏れていて、それも罪状として積み上げられた記憶が有るんですもの。
促され、昼餐の準備が終わっている、丸テーブルの一席に付く事になったの。 椅子を引いて下さったのは、なんとウルティアス大公閣下。 畏れ多くて、何とも言えない。 でも、周囲にそれを成す人、 ……つまりは、家格の合う方も、私の傍付も居らず…… 申し訳ない事に、甘えてしまったのよ。
丸テーブルの上には、正式な昼餐の支度が整えられている。 カトラリーは銀製。 それも、一セット十二本のフルセット。 三種のグラスも置かれているのよ。 それが二組。 席は間を二つ挟んで、隣同士。 テーブルマナーの『見極め』と、食事の際の ” 社交 ” 能力の確認…… って、ところかしら?
私を座らせた大公閣下。 直ぐに、自席に付かれ、お食事は始まるの。
正式な順序に則った、王城において、国外の賓客を、内密に御迎えする式典様式の 『 正昼餐 』形式。 お昼に戴く食事としては、この国で一番格式の高い形式となっているの。
――― 此れって、ある意味『 いじめ 』 みたいなモノよ。
この形式の 『 正昼餐 』のマナーを完璧に知るのは、王家 及び その血族の方々のみ。 儀礼としての『 正晩餐 』ならば、高位貴族家に於いても、その様式は伝授されるけれど、状況として『 特殊 』な 『 正昼餐 』 となれば、話は別よ。
臣下の中で、これを知る者は、王家、若しくは、準王家の王子に嫁ぐ、高位貴族家の令嬢しか居ない。 妃教育に於いて、初めて教育されるモノだもの。 私だって、二十七回の過去の内、たった一回しか、この礼法は伝授されて居ないのよ。
それを 『 見極め 』 のお昼ご飯にするの? 目を光らせるのは、王家の御身内とも云える、大公家の殿方? なによ、最初から 『 見極め 』る つもりなんか無いわよ。 敢えて、失敗させて、失点を積み上げる為に用意された、『試問』なのよ。
……どこまでも、私を 『 蔑みたい 』 と云う、意思を感じるわ。
報告されるのは、単に ” テーブルマナー 修得は、『 不可 』 ” の、一言に集約する事が出来るのだもの。 其処の点を、大きく喧伝さえすれば、マナーも出来ぬ 『 教会の端女 』 と、揶揄する事が可能なんだものね。
――――― 本当に、 ” 悪意 ” しか感じられない。
ん?
んん?
何だっけ、先程、ウルティアス大公閣下が口にされた言葉は…… たしか……
” まずは、『 見極め 』 の続きから、始めようか ”
だったわよね。 えっ? って云う事は、大公閣下は、この ” 状況 ” を 『 茶番 』 と、捉えているの? なんで? ちょっと、混乱してきた。 でも既に、『 見極め 』 は、始まっている。 つまり、お昼ご飯が始まったと云う事。
――― ならば、私は『 食事礼法 』に則って、頂戴せねば成らないのよ。
聖職者らしく、日々の糧を与えて下さった、神様に祈りを捧げる。 些か、華美で美食である事は確か。 でも、これはフェルデン侯爵令嬢に『擬態』する私に、用意された 『 食事 』 。 食さねば、いけない食べ物なの。 心中の葛藤を他所に、お昼ご飯は始まったのよ。
最初のスープから、運ばれてくるの。 白濁し粘度の高いポタージュからね。
「済まないね。 用意されているのが、『 正昼餐 』 で。 こんな悪趣味な 『 見極め 』は、止めろと、指示は出したのだが…… あの者達は、私の指示には従わなかったようだね」
「これは…… 副貴族学習院長の御指示では無かったのですか?」
「人聞きの悪い事を云うな。 まぁ、しかし…… きちんとマナーを身に付けているのか確かめる様にとは云ったが…… 基準を第一王子殿下に合わせると『 報告 』 を、受けた時、耳を疑ったよ。 それも、『 正昼餐 』 だ。 用意された 『 見極め 』 は、採点する者にとっても、未知の領域だよ。 一体、誰に 『 採点 』させる積りだったのか。 問い詰めたいよ」
「『 正昼餐 』は、特殊な状況下における、国事行為の一つ。 その際適用されるのは、特殊な 『 食事礼法 』 が、要求されますわね。 確実に全てを知っているのは、王城総女官長、王宮女官長、後宮女官長、及び、各宮の上級女官 ……くらいかと」
「あの方々を引っ張って、試験官に? そんな事を願い出たら、国王陛下に叱られてしまうよ。 実際に、王宮より招聘すらしていない。 現在の貴族学習院では、第一王子殿下か、私くらいしか知らぬ 『 食事礼法 』 なのだがな。 それに、第一王子殿下にしても、まだ、教授は始まったばかり。 ならば、私が此処に居るのは…… 妥当と思わんか?」
「畏れ多い事に御座います」
着座のまま、頭を下げるの。 でも、一つ判った事があるの。 この仕儀は、 ” 大公閣下の本意 ” では無かったと云う事。 『 見極め 』は実施するとしても、本来あるべきレベルでの、確認を実施するつもりであったと。
―――――
状況は進む、正昼餐のメニューと同じように。 私は、ただ粛々と 『食事礼法』に則って、食事のメニューを進めていく………… 事は、出来なかった。
サラダ、魚料理、肉料理と続くコースの中で、色々と大公閣下は、私に話しかけてこられたの。
話題の主題は徐々に、私のフェルデン侯爵家での生活となって行ったの。 これが、大公閣下以外の方であれば、相応に韜晦して 『 真実 』 は、御話しないわよ。 でも、閣下は元聖職者。 何らかの事情があり、『 神籍 』を、離脱せねば成らなかった方なのよ。 私が此処に居る、” 『 使 命 』 ” に、ついては ご存知であると云う事。
フェルデンの小聖堂にて、『お勤め』をしている事。 小聖堂での祈りと、付属する薬師処での『製薬』に勤めていると、そうお伝えした時、何とも言えない懐かし気な ” 表情 ” を、浮かべられておられた。 其処に嫌悪感は無かったわ。
小聖堂の『お勤め』に関してはソコソコに、専ら 薬師処での『お勤め』について、根掘り葉掘りと…… 私は、アルタマイト神殿でも、王都大聖堂でも、薬師院付きの第三位修道女であり、現在は『第二級薬師』の資格を持ち大聖堂薬師院 奥の院の『お勤め』のお手伝いもしていると伝えたのよ。
探索者協会との取り決めは、すでに ” ご存知 ” だったの。 どういう訳か、ルカの事まで…… よく、ご存知だったわ。
「……アノ聡い、『 海を渡る ” 商人 ” と、成らん 』と、邁進している者の事は、良く知っているよ。 君の事を調べる為に、アルタマイト神殿へ遣いを送った時に、あの子の事も知ったしね。 商会からの強い推薦文もあったから、特別入学枠での入学を認めたのだよ。 真摯に勉学に勤め、貴族の子弟の中を上手く泳ぎ繋ぎを得ている。 なんでも、違えれぬ約束が有るのだそうだ。 あぁ、勿論、私とは直接の接触は無いよ。 全て、担当教諭経由で知った事なのだよ」
「左様でしたか。 彼は…… ルカは、真摯に?」
「将来有望な男児だ。 きっと、王国の力となるだろう。 予感がする。 一廉の人物 になるだろう、とね。 高い見識と、知識に裏打ちされた為人。 人当たりの良さと頑固さを併せ持っているな。 相手が不条理を突き付けて来るならば、笑顔と柔らかな態度にも拘わらず、強硬に『 否 』を提示して憚らない、例えそれが高位貴族家のモノであったとしてもね」
「その御言葉に、わたくしは、不安に成ります……」
「それは、判る。 彼と ” 周囲の者達 ” の間の『 身分差 』 は、如何ともしがたい。 しかし、それを超える ” したたかさ ” を、彼は手に入れつつあるのだよ。 彼の動向や周辺の状況には目を配っているつもりだから、心配には及ばない。 ……アルタマイトの同胞は、やはり気になるか?」
「……気に成らぬと云えば、嘘に成ります。 誠実で、大きな目標を持つ彼には、大成して欲しいと思いますので。 例え、出自が尊い者で無かろうとも、努力と研鑽は裏切りませんから」
「成程ね。 理解した」
メニューはデザートを過ぎ、最後の黒茶に至る。 やっと終われる。 緊張で座っているのにも関わらず、膝がガクガクしているのよ。 上手く言葉を尽くされ、私の事情を知り、そして、私の口から現状を ” 引き出された ” 大公閣下。 この方の包容力と、思慮深さには、感服するしかないわ。 上手く、掌の上で転がされていた感じがするのだもの。 ……友好関係を築ければ良いのだけれど。
黒茶を飲み干す時に至り…… ウルティアス大公閣下は私に告げられるのよ。
「マナーの『 見極め 』は、 『 優 』 としか言いようが無い。 多くの王族でも、君ほどに上手く ” 正昼餐 ” を、捌く事は出来ないと思う。 『 満 点 』 だ。 今すぐにでも、王族の妃として、立ってもおかしくはない。
………………がしかし、君はそれを望まない」
「与えられし 『 使命 』 は、聖堂教会と王侯貴族の方々の間の、関係修復。 仮定として、わたくしが王族のどなたかと…… とならば、多くの貴族家の方々の反発は、絶大なモノとなりましょう? それは、火を見るより明らか。 その様な危険な選択を、尊き方々が、御考えに成る筈は、御座いませんもの」
「上手い言い回しだな、エルディ嬢。 自身の意見を述べず、状況から否定する。 誰にも『 傷 』 が、付かない。 そして、自身の望む 立場 を言外に主張する…… か。 よかろう。 考慮に入れる。 ……エルディ嬢。 君をフェルデンに還す前に、一か所、寄って貰いたい場所がある。 良いだろうか」
真摯な瞳を向けられ、私に問いかけられるウルティアス大公閣下。 なにか、とても、大切な事を確認したいと、そう思召されたと思う。
執務室か…… それとも、別の場所か……
穏やかな表情で、私を見詰める大公閣下の目は…… 笑ってはいなかった。 探る様な…… それでいて、何かを確信されている様な…… それを、確定させたいと、そう望まれている様な……
そんな不思議な目の色を浮かべられて居たの。
掴み辛い性格の、この高貴で尊い血をお持ちの方の、ご希望は…………
私にとって、『 命 令 』 と、
然したる違いは、無いわ。
―――― だから、素直に応えるの。
「御意に」