エルデ、孤独な闘いを開始する。
「御入室、許可致します」
壮年の男性が一人。 想定内。 彼は…… 『記憶の泡沫』に記録されて居たわ。 三年次の『 国学 』の主任教諭。 たしか、上級伯家の三男様で、貴族学習院にお勤めに成っている 『 学 者 』様。
嫌な事を託されたと、表情に出ているわ。 声色もそれに準じた「色合い」が強いの。 紡がれる言葉には、『 棘 』が、幾つも含まれている。
「お前が、フェルデン侯爵家が『 養育子 』か」
「はい。 お待ち申しておりました」
『 淑女の礼 』を捧げる。 ずっと立ちっぱなしだった事を知る、小間使いが目を見開く。 彼もずっと立ちっぱなしだったから、相当に足腰に来ている筈。 私がそんな状態で、『淑女の礼』を捧げられるとは、思っても居なかったみたい。 教会での日々の『お勤め』は、こんな楽なモノではないわよ?
学者先生は、私の対応が酷くお気に召さなかったらしいの。 盛大に顔を顰め、傲慢に言い放つ言葉は、淑女に対するモノとは、到底思えないもの。
「名も…… 名も名乗らぬのか? 教会の者は、礼儀すら弁えぬのか。 おい、何とか云ったらどうか」
「御芳名を戴いても居ない殿方に、自らの名を告げる女性が居りましょうか? 貴族様方の中にも、礼節と云うモノは、ございましょ? 礼には礼を。 歴代の国王陛下も又、その様に広く国民に宣下されておられますわ」
「ぐっ…… そ、そうだな。 私は、学習院の国学の教諭、エクセルバードだ。 見知り置け」
「エクセルバード上級伯家が血脈の御教諭。 承りました。 エルディ=フェルデンに御座います。 お見知り置きを」
敢えて 『一節名』と、『三節名』を省いて、『 名 』を名乗る。 相手が、家名しか名乗らないのならば、何も非礼では無い。 そして、それだけの相手であるとの、表明でもある。 名を明かすのは信頼の表明。 信頼できないモノに、名を明かす必要など何処にも無い。
自身の非礼が、私の応えで 『 咎められた 』 と、判ったのかしら? エクセルバード主任教諭は、羞恥に顔を赤くする。 そして、未だに淑女の礼を解く言葉を使っていない事に、始めて気が付く。
「そ、そのなんだ。 頭を挙げよ」
その言葉に姿勢を正し、スッと彼の前に立つ。 真っ直ぐに、感情を排した表情で彼を見詰める。 私の翠の瞳に何を見たのか…… 明らかに狼狽した表情を浮かべる。 ほんとに、なんなの? 学習院の殿方って、胆力の練達を怠っているのかしら?
咳ばらいを一つ。 なんとか持ち直し、教諭としての威厳を取り戻したエクセルバード卿は、持ち前の尊大さを前面に、私に 『 見極め 』の概要を伝えたの。 本来ならば、事前に知らせるべき、日程や予定なんだけれど、今日、此処に至るまで、その様な通知は一切 私の手元には届いていない。 つまりは…… それ程 軽く視られていたと云う事。 そもそも、結果は既に決定しているのかもしれないわ。 形式的なモノなのかもしれない。 だからって云って、手を抜く事はしないけれど。
「フェルデンが養育子。 どれほど急拵えして来たか、それを見極める。 本日を含め、二日間にてお前が学習院に相応しいかどうかの 『見極め』 を、行う。 第一日目の今日は、お前の 『知る事』を確認する。 二日目は、今日の『確認』で、導き出した『お前』次第だが、まぁ、体術や礼儀作法の『確認』となるだろうな」
「左様に御座いますか。 承知いたしました。 それで、この先の御予定は?」
「不 正が無いように、【 重監視下 】においての、筆記試問。 まぁ、せいぜい詰め込んだ知識を披露する事だな」
「はい、承知いたしました。 が、その前に」
「なんだ、不満でも表明するか」
「エクセルバード卿に於かれましては、この控室に御入室に際し、違和感を御憶えには成りませなんだか?」
「……なに?」
さて、最初の重大な問題は、最初期に 処理してしまわなくてはね。 何らかの決定権を持つ方の中で、最初にお会いできたのが、エクセルバード卿で良かったのかもしれない。 だって、その道の『 専門家 』なんですものね……
エクセルバード卿は、私の問い掛けに、不満げな表情を浮かべる。
まぁね。 生粋の学者先生には、貴族の『 暗黙のルール 』 など、歯牙にもかけない傲慢さが有るのは知ってる。 でもね、先生の御専門である 『 国学 』 に於いて、その膨大な資料の中に太字で ” 現在の私と同じような状況に晒された女子学生が居た事 ” が、記載されているのよ。
それも、特大の醜聞としてね。 『法衣上級伯爵家』と『法衣子爵家』が消滅した ” 歴史的醜聞 ” がね。
国学の中でも、貴族の序列を揺るがす、特に重要な…… と云うよりも、それが故に成人直前の男女が同じ部屋に長時間二人きりになる事が、『暗黙のルール』で禁じられる事となった『出来事』。
公的に結びついていない 成人直前の貴族男女の ” 破廉恥な ” 行いが その後、国をも揺るがす醜聞に発展し、多くの貴族の方々の面目が丸つぶれに成った事例が有るのよ。 それを知っている筈の先生が、なぜ『違和感』を、感じなかったのか。
たぶん…… 御自身の研究に心奪われ、本来エクセルバード卿が、専念しなくては成らない、『 国の系譜 』に関しての 『 授業 』 を、疎かにしている証左なのよね。 まったく、これだから……
「この控室は、庭に向く窓が一つきり。 そして、この部屋に通されてから、エクセルバード卿が見えられるまでに、誰も尋ねる者が居なかった。 卿が入室される時、違和感を感じられませんでしたか?」
「……なにも、特段 変わった事は無かった筈だが?」
「本当に? ……エクセルバード卿。 扉をノックされたのでは? そして、それに答えたのは わたくし では?」
「些細な事だな。 それが、どうした」
「そちらに立つ方を見ても、同じことを仰いますか?」
視線が、私から外れ、部屋の片隅に立ち竦んでいる、小間使いの方に向けられたの。 そうね。 エクセルバード卿は、彼を見ても尚、 ”それがどうしたのだ ” 、というくらいの勢いだったわね。
……最初はね。
扇で口元を隠し、コテンと左に首を傾げる。 勿論、視線は外さないまま。 相手に認識を問う仕草なんだけど……
えっと、この先生、『仕草会話』は、ご存知なのかしら? ” 思い出したかしら? ” のサインなんだけど…… 無理そうね。 ならば、言葉を紡ぐのみ。 此処からが肝心な所。 対処の深度を間違えれば、放った言葉、私を傷つける。 だから、決して個人を糾弾せず、事の重大さを認識してもらうのよ。
「わたくしは…… そちらの方より、” 着席の許可 ” を、頂けませんでしたので、窓際に立ちて『 何方かが 』いらっしゃるのをずっと待っておりましたの。 強引にこの控室に入れられ、傍付の者からも引き離され、本当に心細く…… 過去の『法衣子爵令嬢の出来事』が、脳裏をよぎりましたのよ? この事は、フェルデン別邸が執事長もご存知でしょう。 御怒りでしたもの。 ……そして、事実は、間違いなくフェルデンが御当主様へも伝えられると思いますの。 ……先程、エクセルバード卿は、奇しくも『 監 視 』と仰いましたわね。 そう、別邸でも、わたくしの言動や周囲の出来事は、逐一フェルデン卿に報告されておられますのよ。 云わば、監視されていると云っても良いのです。 これが、どのような意味を持つか…… どの様な事態に発展するか…… 『 国学 』を、ご教授されておられるエクセルバード卿に判らぬ筈は御座いますまい」
さして大きくは無い私の声が、控室に響くの。 最初は、” 何を言っているのか? ” って、そう問いた気なエクセルバード卿。 けれど彼の、聡明な頭脳は、急速に状況を組上げていくのよ。 自身の専攻でもある、『 国学 』の中に、太字で極めて重大な、貴族が失態として綴られ記載されている事柄との比較対象をされたのよ。
…………そして、結論に至るの。
さしもの尊大な先生も、その事実に突き当たって、顔色を無くしているわ。 追撃は此処まで。 これ以上はフェルデンが『傷』に成る。 私が 『 言葉 』 にする必要は無いもの。 顔色がドス黒く変化するエクセルバード卿に、軽やかに言葉を紡ぐの。 私が本来、成すべき事柄を、尋ねれば良いだけ。
「……さて、筆記試問の会場は、どのお部屋をお使いに成られるのでしょうか。 先導やエスコートは必要御座いませんわ。 道順と部屋の名を教えて頂ければ、如何様にでも出来ましょうから。 悍ましさや、不愉快を感じる事無く、試問会場に向かいたいので、ご配慮お願い申し上げます」
そうね、なにかやらかしそうな 使者 など ”必要は無い ” と、卿に『言外』に伝えたの。 過去の事例を出し、それが酷く『 貴族の体面 』を、そして、『 国の矜持 』すら傷付けた事例だった事を思い出されたのか、エクセルバード卿は顔色を忙しく替えながらも、私の意を汲み取って下さったの。
そうね、試問会場に使用される『部屋の名』と『簡単な道順』を、口にされたわ。 ご配慮、ありがとう御座います。
「会場は『芙蓉の間』。 この控えの間を出て右に真っ直ぐ。 突き当りの部屋で執り行う」
「承知いたしました。 では」
もう一度『淑女の礼』を差し出し、足早に音もたてずに、控室を退出する。 目指すは、指定されているお部屋。 『芙蓉の間』は、前世では何度も訪れた、広間の名。 茶会や小さな舞踏練習などに使われる様な、広間の名前。 勿論、その場所も熟知しているから、迷わずに向かえるわ。
背後で扉が閉まる。 そして、押し殺した、くぐもった怒声が、廊下を行く私の元に迄届いたの。 ……ほらね。 早速のお叱りだわ。 でも、これで済むとは、思わないでね。
さて、筆記試問とやらに挑まなくては。
―――― § ―――――
『芙蓉の間』の扉は開いたままだったわ。 そうね、そう云う場所だった。 開け広げられた扉の前に立ち、名乗りを上げ、来意を告げる。 本来ならば傍付の者がする事。 でも、居ないんだから、仕方ないじゃない。
「ここ『芙蓉の間』に参りましたるは、エルデ=エルディ=ファス=フェルデンに御座います。 『 見極め 』の筆記試問を受ける為に参じました。 入室の御許可頂きたく存じます」
対応する声は無い。 その場に立ち止まり、入室許可を待つ事にしたの。 『許可なき者は、これ侵入を禁ずる』 王城や宮中での一般礼典側。 いわば、『貴族の常識』。 既に、十五歳となり、準貴族たる資格を貴族学習院から認められている方々ならば、知っていて当り前の事柄。
『見極め』と云うからには、私もそれを熟知している事を求められて居る筈。
ご対応の声を待つ間、戦場となる場所の観察に心を向ける。 ええ、設えで相手の意図を計る事は、なにも茶会だけじゃ無いものね。 通される御部屋、迎える人員とその質。 見るべき場所は幾らでも有るんだもの。
うん、とっても不思議な設えの試問会場ね。 まるで、罪人が尋問される、尋問室の様な設え。 装飾を一切排した、至って質素な大テーブルが一つ、ポツンと広い広間の中央に置かれている。 周囲には長テーブルが取り巻いているのよ。
全周囲から、監視され尋問される重要参考人の設えね。 勿論、何らかの試験なのだから、中央の大テーブルには、堆く書類が積み上げられている。 一瞥して…… まぁ、アルタマイトの御領の 『 お仕事 』の 半日分ってところかしら?
周囲の長テーブルには、既に幾人かの教諭がお座りに成っておられた。 記憶の泡沫は、それが誰なのかを正確に教えてくれる。 でも、彼等は彼女らは名乗らない。 ただ、ジッと私を見詰めている。 着席許可を出すべき方が、未だ到着されていない…… のかも?
扉脇に立ち、もう一度 中央大テーブルの上を確認。
何の指示も無かったから、私は筆記用具一つ持っていない。 有るには有るのよ? ほら、『 聖櫃 』の中に。 でも、その中のモノは、どれも 『 聖遺物 』 と呼ばれるような、特級の呪物。 そんなモノは、使える訳ないもの。
幸いにして、大テーブルの上には、筆記用具が置かれていたわ。 巨大な羽根を付けた羽ペンとか、矩形定規とか、見た目に派手な筆記用具。 でも、実用性は無いモノ達。 優雅には見えるかもしれないけれど、『 試問 』という条件に於いては不適格。
目を凝らすと、ちゃんと軸の短い、『 つけペン 』もある。 その脇に、ガラスペンさえ、置いてある。 更に言えば、計算尺と早見表も…… これは…… なにをさせる積りなのかしら?
そうか。 どの様な文具を使用するのかも、『 見極め 』 の内側なのか。 成程。 了解した。
暫し、その場で待機。 未だ入室許可は出して頂けない。 中に居る方々は、何も言わない。 忍耐力の見極め? 私は、別にこの『 見極め 』に、人生を掛けている訳じゃないから、至って落ち着いて周囲の状況を目で確認して居たの。
『芙蓉の間』で、且つて練った『数々の陰謀』、『下位貴族の娘に対する嫌がらせ』、『愛した人から受けた屈辱』 そんなモノの記憶を刺激するような、物的調度が目に入る。 そんな事も、有ったわ。 などと、今では凪いだ心で見詰める事が出来たの。 これも、首に掛かる不可視の『 斎戒のストラ 』 のお陰ね。
感謝申し上げます。
この『芙蓉の間』に続く回廊が、にわかに騒がしくなったの。 回廊の奥から、それは見事な御召し物を纏った、高貴な方が姿を顕わされたのよ。 側には見知った顔。 先程、お逢いした『 国学 』の主任教諭であるエクセルバード卿。 その方が傅かれると云う事は……
あの方が 副学習院長であらせられる、ウルティアス大公閣下 か。
記憶の泡沫には、あの方の御顔は無かった。 つまり、過去二十七回の人生に於いて、一度も出会わなかったと云う事。 本当に、” 初めまして ”の方。 でも、貴族学習院での事柄は、全てこの方には報告されていると、考えてもいいわ。 つまり…… 学習院内での幼稚な権謀術策は全てこの方の掌の上に合ったと云う事。
ふーん、そうか。
ある意味、この方が全ての黒幕。 と云うより、黄金の鳥籠の番人と云う訳ね。 貴族としての在り方に問題が有る人物を ” 排除 ” する強い権限をお持ちの方。 成程、大公位を綬爵していないと、それ程の強権を発動する事は出来ないわ。
清濁を合わせ飲み、貴族の序列を貴び、更に言えば、ある程度の家格の流動性を担保しなくては成らない、そんな御立場。 策士にもなるし、『 異 物 』の排除には、積極的になる筈ね。 判った。 引き締める。
ウルティアス大公閣下が、扉前に佇む私を視認。 一歩引いた横にいるエクセルバード卿に何やら耳打ち。 顔を上げたエクセルバード卿は、私に向かって歩み寄る。 さっと簡易的な『淑女の礼』の姿勢を取る。 そんな私に対して、少々驚きの表情をにじませながらも、エクセルバード卿は言葉を紡ぐ。
「エルディ嬢、何故入室しないのか」
先程の遣り取りで、エクセルバード卿は私への認識を改められたみたいね。 だって、家名では無く 『二節名』で呼びかけられたんですもの。 この方、私をフェルデン侯爵家の娘と云うより、エルディと云う個人で見ようとされている、と推察できるわね。 礼には、礼を。 きちんと礼節を護り、ご返答しなくてはね。
「エクセルバード卿に於かれましては、ご機嫌麗しく。 残念ながら、名乗り、来意を口にいたしましても、未だ入室許可を戴く事は出来ておりません。 よって、此処で待機しております」
「そうか。 いや、済まない。 まったく、中のモノ達は何をしているのか。 エルディ嬢、頭を上げよ。 入室許可を与える。 中央の机に付き、筆記試問に備えなさい」
「承りました。 御前、失礼いたします」
さっと、御前を辞し、『芙蓉の間』に入室する。 長テーブルの方々は声も無く、私を見詰めている。 ちょっと、驚いた様な表情ね。 だって、誰かの指示で、私の 『 見極め 』 に、そうとうな斜視が掛かっているのだもの。
食い破るには、正攻法しかないの。 搦め手を使えば使う程、私のみを縛る鎖は増え続けるだけ。
中央の大テーブルに付けられていた、簡素で質素な『椅子』に座り、手に持った扇をテーブルの上に置く。 両手を太ももの付け根に於いて、静かに瞑目する。
――― 開始の合図を待つだけ。
無駄なおしゃべりや、要らぬ文句は、この場には必要ない。 貴族学習院の皆々様が何を考え、どういった行動を模索して、この様な仕儀となっているのか。 私を貶める為に、入学を許可するような方向に流れているのか。 それとも、黄金の鳥籠から排除を目的としているのか。 はたまた、本当に、私を見極められようとしているのか……
『見極める』 為のこの二日間。
――――― じっくりと、『見極めさせて』 頂くとするわ。