エルデ、新しき『名』と『装い』が『二十七人の亡霊』を呼び起こす。
―――そして、六日目の早朝。
打ち合わせ通りに、私は真新しい着衣に袖を通す。
与えられた戦闘服は、それは、それは素敵なモノだったわ。
磨き上げられた身体を覆うのは、シルクレードの純白の下着と、ギチギチに締め付けたコルセット。 その上に、レース飾りの付いた純白のブラウスを着ける。 ストッキングもガーターも、修道服とは違う、淡い色合いのモノが用意されたの。 ロングのスカートは、濃紺…… と云うよりも、深い深い黒紫色。 裾飾りが、金糸で成された刺繍が刺されている。 ある程度の重さを稼ぐ為か、少々幅広に。 上着も同色。 袖口と襟、袷に、金糸、銀糸での刺繍が刺されているの。
逸品ものね。 素敵な装いに、思わず溜息が零れ落ちる。
「如何で御座いますか?」
ミランダ家政婦長の言葉に我に返るの。 ちょっと、姿見の中にいる私を見て、飛んでいた。 誰、此れ? の状態だったの。 姿勢を正し、ミランダ家政婦長に向き合い、ニコリと微笑む。
「素晴らしい出来栄えです。 装いで侮られる事は無いでしょう」
「『 正礼装のドレス 』を、ご用意出来れば良かったかと、そう今でも思いますが……」
「華美に過ぎましょう。 この装いに、否を唱えるのは、高位貴族としても有り得ないかと。 フェルデンの『 養育子 』でしかないわたくしが、正礼装のドレスなど着て、貴族学習院に向かえば、それこそ笑いものと成りましょうね」
「しかし、エルディ様は、御美しいとしか、形容する言葉が見つかりません。 正礼装であれば、如何ばかりか…… しかし、エルディ御嬢様の御意思。 その御判断も、あながち間違いが無い事も、窺い知れましょう。 ……エルディ御嬢様、お飾りは如何いたしましょう?」
「袷を止める何かを。 ネックレスよりも目立たず、フェルデン侯爵家の威風を示す様なモノを」
「承知いたしました。 仕上げとして…… 『 扇 』です。 この装いに合わせるとなると、小振りなモノが宜しいかと」
「お見立て、お願いします」
「ミリリア様が、お使いに成っていたモノが御座います故、其方をご用意いたしましょう」
「宜しく」
そう…… お母様の『形見の品』と云う訳ね。 私の事を思っての進言だと思う。 心細くない様に、母の手が触れたモノを用意する。 成程、フェルデン侯爵家の家政婦長様だ事。 私が若干の恐れを感じている事を感じられたようね。 ……良く見てらっしゃる。
全ての用意を済まし、お飾りも付け、特別な扇を手に、姿見の前に立つ。
そこに居たのは見知らぬ女性貴族。 凛とした表情の中にも、女性らしい柔らかさを醸す。 鋭利な視線、仄かな笑みを浮かべる口元、立ち姿は緊張感を持ちつつも優美。 流石…… フェルデン侯爵家の侍女の力量は、想像以上のモノね。
――――
…………でも、なにかが違う。 なにかが、おかしい …………
湧きあがる感情。 押さえつけていたモノが、浮かび上がってくる。 幾ら聖句を口にしても、その顕現を押し留める事が出来ないのよ。 い、嫌だ……
こ、こんなの、私じゃない……
鏡に映るのは、私であって、私では無い、そして、自分が良く知る者達なの。 心の奥底に封印していた 狂 気 を切望する、” 怪 物 達 ” が、そこに居たのよ。 頬が引き攣る様に引き上がる。 嫌な…… 本当に、嫌な笑みが零れ落ち、鏡の中の私は、不適に笑う。
” 何を以てしても、どんな手段を以てしても……
『 欲しいモノは必ず手に入れる。 』 ”
そんな傲岸不遜な人品が、表情に浮かび上がっているの。 愛される為に手段を問わない、愚か者の滑稽な姿が二重に重なる。
嫌だ…… こんなモノに変質したくない。 途轍もない嫌悪感を持つも、徐々に私が浸食されて行く。 私が別の誰かに、上書きされて行く。 足元が崩れて、果てしも無い暗闇の中に堕ちていく。 あれほど忌避して居たモノに、私が変容していく…… 呼吸すらままならなくなる……
――― 浅い呼吸は、思考を奪う
絶望が私を捕らえるの…… もう、祈る言葉も口にする事は無く…… ただ、ただ…… 誰にも愛されない、哀れな童女の様に、漆黒の暗冥の中…… 救いを求めていた……
だれか…… た、たす…… タスケテ……
………………スケテ
…………………………ケテ
………………………………テ
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全てが漆 黒に染め上げられ、塗り潰されそうになっている【 私 】に、一筋の光が降臨した。 変質する私を、押し留めた『 声 』がした。 長い年月を経て、『 魂 』を持つに至った、『 聖なる箱 』 の 『 声 』 だった。
” 聖櫃 ”
大聖女様から頂いた、『神聖聖女の証』とも云えるモノ。 遠くに離れていても、すぐ傍に存在する。 誰の目にも触れない、ごく少数の聖人のみが 意思の疎通 出来る、『 聖なる箱 』。 そして、連綿と古の次代より、幾多の聖女様方が、手にしていた『聖遺物』が格納されている、【神聖なる箱】。
――― それ自体が意思を持つ『聖遺物』
聖櫃の 言葉 が、私の崩れ落ちそうになった心に語り掛けて来たの。
” 聖女よ、神聖聖女よ、心をしかと持て。 お前は失われては成らぬ。 『定めの理』を取り戻せしお前は、失われては成らぬ。 我等が愛す神聖聖女よ、刻の精霊より、お前に贈物が授けられた。 『斎戒のストラ』。 これを身に纏うが良い。 神聖聖女に纏わりつく、過去の『宿 痾』は、取り除かれよう ”
ふわりと、私の手の中に、純白のストラが落ちた。 縁飾りは深い紅。 【浄化】と【癒し】と【護り】の聖句が、深紅に輝く糸が、刺繍となって綴られていた。
心が…… 崩れ去る前に、完全に堕ちてしまう前に……
私は急いで、『 斎戒のストラ 』 を、首に掛ける。 心の奥底。 二十七人の私でない『 私 達 』が、絶叫を上げる。 魂凍るような、絶命の声だった。 刻の精霊様の強い加護。 高位聖職者の方でも無ければ、認識できない 『 精霊様からの賜物 』
首にする、『 斎戒のストラ 』から、温かい ” ぬくもり ” が流れ出し、私を包み込んだ。
それだけには留まらない。 優しき『 風 』が、私を取り巻いた。 強く、強く。 これは、風の精霊様の息吹…… 両手を組み、聖句を口にし、天を仰ぎ見る私に、強く『託宣』が授けられた。
声では無く、視界に映るモノとして…… 幻 視 が降りてきたの。 精霊様が見せる、別次元の情景が、私の目の前にあったの。 其処には……
『 刻の輪 』が、力強く回り、『魂』と『魄』とが強く優しい風に流れ舞い、『 輪廻 』 していた。 廻る巡る 『 刻の輪 』 が標すは、果てしも無く遠い所まで、延々と伸びて行く 『 螺旋の回廊 』。
浮き上がる様な高揚感。 確かに、私の心は別の次元に存在した。 ふわりと二対の手で、頬を撫でられた。 時が回り、次元が回り…… 私は元居た場所に送還されたの。 『 幻視 』 が収まれば、先程と同じように、鏡の前に立って、自分自身を見詰めていたのよ。
『 刹那の永遠 』…… そんな言葉が頭に浮かぶ。 精霊様方が見せて下さった、あの光景は…… きっと…… 私が歩むべき道標。 ふと、気が付く。 最初に鏡の前に立った時とは決定的に違う…… と。
私の心は澄み渡った湖水の表面の様に凪いでいたのよ。 心地よく…… 清々しく……
―――― 心の中が満たされていた。
神様と精霊様に感謝を捧げる。 深く、深く祈りを捧げる。 私が私を取り戻したと、この時初めて理解した。 もう、こんな素敵な服を着たとしても、別な私に成る事は無い。 そう、私は 『 エル 』
第三位修道女、『小聖堂が守り人』たる”神職 ”に就く……
私は、第三位修道女 ” エル ”。
確かな存在感が、私の中に蘇ったの。 もう二度と、私が変質する事は、無い。 ええ、二十七人の過去の亡霊は…… 『斎戒のストラ』によって、浄化され、打ち払われたの。
――――
満ち足りた心で、『 今 』を見詰めると、この『装い』を用意してくれたのは、紛れも無く、フェルデン侯爵家の人々の善意。 私に幸あれと、そう望んでくださった、その結晶とも云える 『 装い 』
自然と感謝の念を覚えた。 故に、笑みを顔に乗せ、頭を僅かに傾ける。 『掌会話』と同じ、後宮で使われる、『仕草会話』と呼ばれる、声なき会話術。 ” とても満足です。 感謝を捧げましょう ” の仕草。 さて、思い出されるかな?
ミランダ家政婦長は、手を前に組み、腰を少々折る。 視線は私の足元。
私の仕草に対する、回答が即時に帰って来る。
” 存外の『御言葉』に、感謝いたします ” ……とね。