エルデ、自分の役割を全うする為に擬態する覚悟を決める
―――― 執事長様には見えない、『 情 景 』が有るのよ。
ルカとの、世間話から引き摺り出した、貴族学園の内情とかね。 宰相家という高家、それも、別邸という隔離された御邸の中に居られる執事長様には、様々な貴族達が入り乱れ、『思惑の坩堝』の中の、『煮えたぎる思惑』となっている場所に関しての『知見』は薄い。
かつてはご自身も在籍されては居たけれど、それも遠い過去のお話。 実務に追われ、実社会の荒波を知る方には、児戯の様な権謀術策など、どうとでも対処出来るモノであるとの、ご認識なのだろうな。 でもね、第一王子殿下が御在籍時には、当然その様相も変容する事実をお忘れの様ね。
今の世代は、これからの王国を背負って立つ世代だもの。 代替わりの時って、側近や重臣達の軽重も変化して行く。 その時、慣例に基づいた人事が行われるとは、保証されていない。 つまり、この世代の諸侯は、頑張り時って事。 それが何を意味するか。 大人達を巻き込んだ、権謀術策の渦が発生しているのよ。
世代を隔てれば…… 大所高所から、俯瞰的に視れば…… それすらも予定調和の内側なのだけれど、それ故に、御年を召した方々には『 状況 』が、今一つ把握しきれていないのね。 あの場所は…… 貴族学習院と云う場所は…… それ程の『思惑』が渦巻く場所なのよ。
其処を御話して、ご理解していただこうかしら。 私が落とし込まれる、壮絶なる ”状況 ” をね。
「簡単な事ですわよ、執事長様。 本年、貴族学習院 高等部には、第一王子殿下が御在籍されておられます。 そして、どの世代でも、第一王子…… つまり、未来の王太子殿下、更には国父となられる方が御在籍時、同年代の貴族子弟は相当に増えます。 増えるだけでは無く、高位の爵位を保持されておられる方々の子弟淑女が大挙してご入学に成られておられる。 定員は無い貴族学習院にも、収容人数には限りが有ります。 そこで、十二歳の初等部入学時、知識と作法を見極め、ままならぬ者は次年度、さらにその次年度と、繰り下げされたとお聞きいたします」
「ふむ…… そうでしたね。 それで?」
「フェルデン侯爵家と同様の侯爵家、若しくは、更に高位の公爵家の御子弟、御令嬢はその限りに非ず。 厳しく見極められるのは、伯家以下の家門の者達と、特に目を掛けられたごく少数の平民。」
「成程。 お嬢様はフェルデンの御令嬢として、御編入に臨まれる。 しかし、それに先立ち、知識と作法を見極めたいと、あちら側からの申し出であっても、それは あくまで建前であると。 お嬢様の御入学を、阻止…… 若しくは、遅らせようとしている。 ……そう、考えていると、云うのですか?」
貴族学習院側の思惑の一部を、ようやくバン=フォーデン執事長には、理解して頂けたわ。 あの場所では、貴族家の思惑と、力関係と、王家から見た藩屏たちの均衡を図る場所。 其処に異分子たる私が入り込めば、どのような事態になるかは、読めなくなるわ。 貴族学院の教師達が、強く不安に思うのはそこよ。
――― 坩堝を割る訳には行かない。 雛鳥達を傷つける事は許されない
その感情は、私にだって理解できる。 薬師処での『お勤め』で、同じ思いをする事が有るもの。 大釜での製薬で、どんなに緻密に量を計り、効能を精査し、調合製薬しても、予想外の反応を示して、使い物に成らない代物が出来上がる時がある。
特に、いつもとは違う、亜種の薬草を使う時なんかには。 良く見極めた上で、投入しているにもかかわらず、既存の薬草と混ぜ合せると、思わぬ反応を示し、大釜全体にその影響が拡散して行って……
善き事も有るけれど…… 大部分は、大釜全体の『お薬』が、ダメになってしまうのよ。 そして、その ” 劇薬 ” とも云える、異分子は既に、貴族学習院に在籍されている。 これ以上の混乱は、あちらとしても、看過する事は出来ない筈。
「事実、リッチェル侯爵家の御令嬢は、侯爵令嬢としては少々拙い部分も御座いましたが、貴族学習院側の ”見極め ” などは一切なかったと、そう仄聞しております。 今も何の問題も無く ”今を時めく聖女様 ” として、在籍され続けて居られます」
それが、いけない事 と、云う訳では無いの。 力ある侯爵家の御令嬢。 さらには、妖精様方に祝福された 『 聖女 』 様。 貴族学習院側としても、彼女には貴族学習院に在籍して貰わねば、王家、侯爵家、そして、その連枝達の反感を買ってしまう。 貴族学習院の安寧と平安を望むのならば、彼女に対しては、相当に甘い評価を下さねば成らない。
所謂 ” 特別待遇対象者 ” と云う訳ね。
貴族学習院の設立経緯を鑑みれば、それも有り得る事なの。 次代の王、そして、王国の根幹を支える者達への教育は、未来への布石。 重要である事に、誰も異論を挟む事は無い。 純粋に『国士の精神的土壌』を作り出す為の、そんな場所。 その事も踏まえて、言葉を続けるの。
「……王国の先を見据えれば、第一王子殿下の側近と成せる者達の見極めも含まれる筈なのですわ。 むしろ、そちらの方がよほど重要かと。 高位貴族家の者達は、今も陛下の藩屏たるを自認し、辣腕を振るわれておられます。 その方々の子弟に御座いましょうから、『期待』が大きいのでしょう。 それ故、彼等には『 見極め 』などと云う事をしない。 いいえ、させないと云う所でしょうか? 高位貴族家の均衡を重んじられた結果と云えましょう。 ……半面、伯家以下の家門の者達は、成人後王宮に入る事、さらには、第一王子殿下の手足として、お仕えする事を目的とし、選別されている…… と。
…………振り返り、フェルデンが御家。 御継嗣様も、その学籍に居られます。 未来の宰相たるを期待されて。 更に御息女様も既にご入学済みと仄聞しております。 『期待』されている方々の、『配偶者』候補として」
「その通りですね。 本邸のお子様達は、貴族学習院では、同窓、及び下級と成りましょう」
「わたくしが、『 養育子 』としての立場を得たとして、その立場であるならば、フェルデン侯爵家が一員。 ならば、『見極め』など、必要なくなる。 ですが、あちら側はそれを申し出られました。 つまりは、” 高貴な花の園 ” に異物を持ち込ませたくない。 そう云う意思を感じられます」
「成程…… フェルデンが令嬢ならば、いや、その実現に努力されておられる旦那様の行動を見ても尚、『 見極め 』を実施すると云う意思ですか。 御編入と云う事で、かなり特殊で有るとは言え、そう云えば、そうなりますね。 こちら側の思慮が足りませんでした」
「あちら側の申し出の、根本と成った部分も、推測出来ましょう。 ……昨今の貴族と教会の問題を鑑み、一つの推論を立てる事が出来ましょう。 差し出された遊民を、自分達の黄金の檻の中に、身分的問題を無理矢理にでも突破させ『誘い』『招き入れ』、そして……『 蔑む 』。 余程、ヒルデガルド嬢に成された事が、肚に据えかねた者達が居られるのでしょう」
「…………悪辣な意思が見えておられる、と?」
「穿たれた溝は…… 『深く、そして 昏い』のです。 双方に後ろ暗い事も多々あったのでしょう。 リックデシオン司祭様より、お伺いいたしましたが、聖堂教会側も、危惧しておられた様に御座います。 今回は、如何に言葉を尽くそうとも、教会に 『 非 』 が、御座います。 為された行為は唾棄すべきモノ。 ですが、当事者たちは、その命を以て罪を償われました。 彼等は、邪教崇拝者として処断されました。 ……およそ、聖職者が受ける罰としては、最悪なモノで。 ですが…… それでも尚、『溜飲が降りぬ者達』の、意思を感じます」
「…………お嬢様、貴女と云う人は、何処まで思慮深いのか」
フェルデン侯爵家としては、抗議の意思を示すべき案件ではあるの。 でも、それは『悪手』。 あくまでも宰相家は両者を取り持つ天秤の役割を期待されている。 更に言えば、その軸足は王国貴族の意思の上に有るんだもの。
偏った天秤の均衡を取るのならば、乗せられる分銅は、重くなければならないの。 民の安寧を思うならば、私は重き分銅とならねば成らない。
――― ほら、やっぱり厄介事なのよ。
息を吸い込み、宣言する。 覚悟は決まった。 役割を求められたのならば、それ以上の結果を出せば、問題は薄らぐ。 曇った目でも、判別できるように、強く輝けばいいのよ。
「……宜しいですわよ、『 見極め 』、受けさせていただきましょう。 そして、フェルデン侯爵家に傷一つ付けぬ、結果をご覧に入れましょう」
「……様々な思惑が有ります。 ご協力申し上げます。 ですが、何を問われるか……」
「貴族学習院は所詮、学びの舎。 そこで授けられる知識と礼法など、実務をこなした者には、児戯にも等しいのです。 ただ、『 装い 』には、十分留意致しましょう」
――― 其処には、かつての私が居た。
猛烈な教育と、否が応でもその立場に立たねば成らなかった、十二歳にも成らない、家族からの愛情すら薄い一人の貴族女児。 相反する『利益と意見』を捌き、領の均衡を齎しながら、民の安寧に尽力する事を求められた、哀れな『愛されぬ幼子』が、此処に…… 居た。
瞳に浮かぶ光は昏く重い。 そんな私を見詰められた バン=フォーデン執事長は、静かに言葉を紡がれる。
「では、『 見極め 』の御準備を始めましょう。 本邸に向かい……」
「いいえ、別邸からの御出仕と云う事で、お願い申し上げます。 なにせ、わたくしは 『 養育子 』の予定なのですから」
私の瞳の奥底にある、『 抗う 』と云う意思を読み取られたバン=フォーデン執事長は、静かに嘆息を吐かれた後、言葉を紡がれる。 引かず、媚びず、真っ直ぐに未来へ視線を向ける私に、誰を重ね合わせたのか……
「…………判りました。 旦那様にも、そうお伝えいたしましょう。 装いに関しましては、別邸の者にお任せあれ。 いいね、ミランダ」
「御意に。 お嬢様の御部屋は既に。 何時、御越しに成られても、良きように準備出来ております」
「そうか。 お嬢様。 二節名が決まればすぐにでも、見極めに入ると思われます。 教師を招く事も出来ます。 旦那様と諮り、準備いたしますが……」
「必要は無いでしょう。 第三位修道女を侮られる勿れ。 知識と知恵は、相応に研鑽しております。 更に言えば、貴族の思考もリッチェルにて強く植え付けられておりますので、御心配には及びません。 しかし 『 装い 』に関しましては、皆様の御手を煩わせる事と成りましょう。 その事については、宜しくお願い申し上げます」
「その旨、旦那様にもお伝えして、宜しいでしょうか?」
「身を清め、その時に備えます。 ……お話はコレだけに御座いましょうか?」
「ええ。 お伝えすべき事柄は、これで全てです。 が、その…… お嬢様には別邸本棟にて、お暮し頂きたいのですが……」
「それは出来ません。 フェルデン卿とのお約束成れば、努々お忘れに成られぬ様に。 わたくしは、『小聖堂の守り人』です。 アルタマイト神殿の『神籍』にある、第三位修道女エル に、御座いますので」
「全く、ミランダの云う通りですね。 御心の強さは、あの方と、よく似ていらっしゃる。 判りました。 その日、その時にお備え下さい」
「承りました。 わたくしの全力を以て、事に当たりましょう。 では、御前、辞させて頂きます」
私はそう云うと、執務室を後にしたの。 帰り道? ええ、覚えて居るもの。 御手を煩わせるような事はしない。 すたこらと、本棟を後にする。 魑魅魍魎が跋扈する、貴族世界から清浄な地に早く戻りたかったから。 前世の記憶を浚う事が、今の私には必要な事。
王立貴族学習院に誰が居るか、教師陣は、見極めで問われる内容は、思い出すべき事は多々ある。 小聖堂の薬師処で、製薬をしつつ、思い出さねば。
それも又、私の役割。
全ては民の安寧の為。
私は…… 『世界の意思』の奔流に 『 抗う 』 気骨を持たねば成らない。
そう、私は、その為に、『此処』に居るのだから。