エルデ、『厄介事』の本質を見る。
今世、私は教会で修道女として、生きている為か、少々考え方が変わってきている。
それは、なにも、貴族の淑女の思考が悪いと云っているのでは無いわ。 あちらも、あちら側で、その様に考える事を強いられているから。
――― 今の私は、修道女。
神への祈りを大切に、真摯に行い、身を可能な限り清浄となる様、努めている。 生活全般が、祈りに直結しているの。 だから、祈りを妨げる様な諸々は、出来るだけ素早く処理する事を旨としているの。
薬師処での製薬等、聖堂の清掃や諸々の儀式、結界の維持の為の魔力の注ぎ込み等は、どれも、神様への祈りが基本だから、これは『 お勤め 』 と云っても差し支えない。
身を清める禊としての水浴びは、冬場は辛いけれど、夏場ともなれば、快適になるくらい。 ただし、食事には注意が必要なの。 身体を成長させる上で必要な栄養を取る事は、神様の御意思にも叶う。 でも、食べ過ぎたり美食に走るのは、御意思に反するモノ。
だから、食事は質素ではあるけれど、きちんとした栄養は取れ、さらに素早く食せるモノが食卓に上がるのよ。 究極的に、効率よく、感謝と共に頂く栄養補給…… なのが、私の食事なの。
その他の諸々は、神様への祈りを妨げる、私にとっては無駄な時間。
だから、出来るだけ速やかに、諸々の出来事を処理し、無駄な時間を削ぎ落さなければ、祈りの時間が無くなってしまうのよ。 なので……
――― バン=フォーデン執事長が会いたいと仰れれば、即座に対応するの。
フェルデン卿からの依頼と成れば、断る事は出来ない事な上、厄介事の香が漂っているのだもの。 対処が早ければ、それだけ早く処理は済む。
そう、私は思っていたの。
バン=フォーデン執事長のお会いして、お話を伺う迄は……
――― § ――― § ―――
家政婦長様との『お茶会』を終えてすぐに、家政婦長様にバン=フォーデン執事長との面会をご用意してもらったわ。 こちらから何か言うよりも、家政婦長様からお願いして頂いた方が、何かと時間の節約に成るのだもの。
暫くは掛かるだろうと、日々の『お勤め』に邁進して、午後遅い時間となっていた。
もうすぐ夕餉の時間と云う時に、別邸からお呼出しが掛かったの。 まぁ、お呼出しと云っても、家政婦長様ご自身が見えられて、バン=フォーデン執事長の時間が取れたとの事だったのよ。 凄く早い。 まるで待っていたかのような、そんな気配すらある。
そして、それは、非常の対応だと云う事も、私は知っている。 なにか…… 事情が有るのかもしれないわ。 厄介事の気配が急激に濃厚に成っていくの。 身震いするような、悪寒が背筋を走るのだけど、対峙しない訳には行かないわ。
身を整え、別邸本棟に向かうの。 ええ、家政婦長様の後に続いてね。 聖杖は、小聖堂の然るべき場所に置いて来た。 ここから先は、神職としては、進んでは成らない道。 神職の象徴である聖杖は、きっと相応しくない。
湧き上がる思いは、きっと神様の思召し。 ”『俗』に『聖』を持ち込む無かれ ” 教会で強く戒められている事の一つなのよ。 だから…… きっと……
本棟に入る時、多分私は意識を変えていたと思う。 ええ、修道女から、仮初の淑女へとね。 聖職者の意識で居る事が出来ないと、本能的に感じたから。 それが、良い事なのか、悪い事なのか、それは私には判らない。
――― でも、そうしないと、流れに引き摺られ、”負けて ”しまいそうだったから。
長い廊下を歩み、執事長様のお部屋に通されたわ。 極めて質実剛健な佇まいの ”その部屋 ”は、別邸の中枢とも云える。 正面には御当主様がお使いに成られる執務机。 その脇に、バン=フォーデン執事長様のお使いになる執務机が有ったの。
静かにお座りに成られ、色々な書き物をされて居たわ。
入室の際に、家政婦長エステファン子爵様が中に声を掛けられ、静々と入室した時に、そのお姿を確認したのよ。 まさに、別邸の全てを一手に引き受けている、有能な方の佇まいだったわ。 私に気が付かれたのか、幾つかある椅子の一つを勧められ、着席する。
背後には、家政婦長が立たれ、執事長様の『お話』を聴く準備に入る。 ええ、其処には、第三位修道女としての意識は薄い、私が居たのよ。 既に気持ちは臨戦態勢って事ね。 ……おもむろに執事長様が言葉を紡がれた。
「申し訳ございません、本来ならば、此方からお伺いするつもりでした。 少々、立て込んでおりまして、御呼びたて致しました事、陳謝申し上げます」
「いいえ、出来るだけ早い方が、何かと都合が宜しいかと思いまして、エステファン子爵様にお願い申し上げました」
「ミランダ家政婦長を…… エステファン子爵と御呼びに成っておられるのか…… 家政婦長? どういうことか」
「お嬢様の御意思に御座います。 私に対する呼称すら、変えて頂けません。 『養育子』と、規定されるまでは、私共を使用人と思う事は出来ないと。 あの方と同じに御座います。 強固な『意思の力』ゆえ、御自身が規定された事を曲げる事は…… 有りませぬ故」
「……さすれば、早々に旦那様には、『 二節名 』を、御決断を頂かねば、成りませんね」
「??」
バン=フォーデン執事長は、何を仰っておいでなのかしら? 『法』については、午前中に家政婦長様にお話したばかりよ? それなのに、『 二節名 』の決断って…… 話が早すぎませんか? そんな私の困惑を敏感に感じ取ったバン=フォーデン執事長は、私を見詰めながら『お話』を続けられたの。
「お嬢様。 何分と時間も無くなりつつあります。 お嬢様の ”身分 ”が、どの様なモノに成るのか、規定しきれておりませんでした。 それが、大問題だったのです。 『 名 』が決まらぬ事には、先には進めませんでしたので。 先程、家政婦長より話が御座いました。 お嬢様からのご提案により、一筋の光が与えられ、その方向で話は進んでおります」
「……あの ” 成人前児童の後見人制度 ” を活用した、『 養育子 』 登録の件ですか。 ……通常は、願っても、中々に通り辛い申請ですが?」
「既に旦那様には『お話』は通っております。 『宰相家の力』をもってすれば、容易い事だと、旦那様はおっしゃっておいででした。 ” あの『 法 』を ”失念” していた ” と大層、お嘆きになっておられて…… あの制度ならば、軋轢無くお嬢様をフェルデン家に迎えられると、お慶びの御様子でした」
「それは、良かった。 ご提案した甲斐が御座いますわ。 わたくしの身分については、方々の色々な思惑もありましょうに。 別邸の皆様方には、宜しくご指導頂ければ、幸いに存じますわ」
「お嬢様は、紛れも無く、フェルデンのお嬢様なのです。 その様に仰らないで頂きたいものです」
「まだ、申請が受理された訳でも無いのに?」
「御血統は確かなモノ。 更に言えば、家政婦長が言うように、その御性格はまさしく、あの方の御気質を受け継がれたご様子。 なんとも、懐かしく思います」
「生母様の御気質…… ですか」
「はい、懐かしも有り、深く我らが心に刻まれております。 一徹で真っ直ぐで……。 一旦心に決められれば、何があっても翻す事は有りませんでした。 故にフェルデン侯爵家では、一番扱いが難しい姫と……」
……ゴホンッ!
エステファン子爵様が大きな咳払いを口にされ、握りこぶしを口元に当てておられるの。 あぁ…… 見知った仕草。 国王陛下の後宮で使用される 『掌 会 話』よね。 つまり、エステファン子爵様は、後宮にお勤めに成られた事があるの? あのサインは確か……
” 黙れ ”
だったかしら? それを視認されたバン=フォーデン執事長も、著しく慌てたご様子で、言葉を濁されたの。 つまりは…… バン=フォーデン執事長も、王宮でお勤めに成った事が有ると云うの? 流石は、宰相家の御使用人ね。
この方々…… 私の生母たる方をご存知なんだ。 とても良く、子供の頃から…… 男爵夫人に成る前の、フェルデン侯爵家の御令嬢たる……
愛情深く見守り続けていた、ミリリア=アンネマリー=ディ=フェルデン様を……
よくよく ご存知で、ミリリア様がお小さい頃から、慈しんでお育てされていたのが…… 理解出来てしまったの。
それでかぁ…… 別邸の皆様方の見る目が、何となく生温かく、それでもって、私の意思を尊重してくれていたのは。 もっと、高圧的に対処されるのかと思っていた。 もっと、他人行儀に冷たく接してこられると思っていた。
なんだ…… そうか。 この方々は、私を通して、過去のミリリア様の姿を見ていたんだ。 頑固で一徹で、強情で…… 一旦、心に決めたら梃でも動かない…… そんな 『御生母様』をねぇ……
「それで、お話とは?」
「あ、あぁ。 そうでした。 実は、お嬢様の貴族学習院への御編入に際し、どれ程の知識と作法を身に着けているか、あちらの方で確かめたいと…… そう、お話が有りました」
「そうですか。 他の方々と席を同じくするのに、知識の差が激しすぎれば、会話にも苦労すると。 表向きの理由としては、頷けるモノ。 実際は…… 貴族学習院側は、わたくしの編入を快く思われていないと云う事ですね」
「…………お嬢様。 その推測の元は?」
私の推測に、バン=フォーデン執事長は、訝し気な表情を浮かべる。 推測の元に成ったのは、様々な情報。 色々と調べたのだもの。
ルカだって、その能力と、商会の後押しを以て、王立貴族学習院への特別入学を捥ぎ取っているし、貴族学習院内の実情も、ルカから多少は聞いているのよ。
あの場所が、幾多の前世に於いて、
私が在籍した時と同じ、王侯貴族の思惑が
跳梁跋扈する場所だと云う事は……
知っていたから。