エルデ、『世界の意思』の流れが止まらぬ事を知る。
夏も盛りとなって、頬を撫でる風は、緑の息吹と潤いを多分に含んだ暑いモノと成っていたわ。 それでも、この季節は大好きなの。 命の謳歌、伸びやかに、しなやかな息吹が、其処彼処に見て取れるのですものね。
御当主様とのお話合いの後、聖堂教会は『密約』の完遂に、尽力してくれた。
リックデシオン司祭様の差配が、これでもかと云うように行き届いて、瞬く間に私設小聖堂は、小聖堂が本来備えるべき品格を得たの。
聖壇と、諸々の什器は云うに及ばず、修道士様方の中でも特に優秀な ”大地属性 ”の魔力の担い手が、大地の精霊様の助力を乞い、小聖堂周辺を整えて下さった。 付け加えて、小聖堂から一番近くの擁壁に穴を穿ち、聖壁を用いた優雅な玄門を設えられたわ。
その玄門の傍に待機所もまた、併設されたのよ。 ええ、詰所って感じな場所。 外から邸内に侵入してくる者達への対処用に、修道士様方とは別の組織から派遣された人達が詰めるの。
” 聖堂騎士 ” お二人。 誰かが選任される訳では無いのよね。 顔触れは三日に一度の割合で変わるの。 聖堂騎士様方の中で順繰りに廻っていく、” 任務 ” の様な感じね。 まぁ、それは、それで、良いのよ。 リックデシオン司祭様が、私の警護を任せられる人達として、教皇猊下にお伺いを立て、聖堂騎士団に要請して、新たな『任務』として、日々の『お勤め』に組み入れて下さったのよ。
その方々も気持ちの良い人達なの。 私が内心とても喜んでいたのは、その事。 嫌々行われる、『護衛のお仕事』は、神様の御心に反してしまう。 でも、流石は王都の大聖堂の聖堂騎士の方々。 小さな『任務』だとしても、決して手を抜かず、日々精進されているのが、彼等の祈りからも見て取れるわ。
善き精霊様方の、守りの息吹すら感じられるのよ。 そんな彼等と、良き関係性が築けるのならば、私の『お勤め』の成果をこっそりお渡しする事なんて、些細な事だものね。 真摯な行動に対する、神様からのほんの少しの気遣い…… だと、思って頂ければね。
ええ、『聖水』や『回復薬』の端数を、こっそりとね。 あの方々の日々の『お勤め』は、生傷絶えないモノなんですもの。 気遣いは、有って然るべきなのよ。
――― だって、私は…… 神様と人々を結ぶ、『 聖職者 』なんですものね。
―――
私のお勤めとして、小聖堂の維持管理。 毎日の清掃と、朝晩の祈祷。 小聖堂周辺を整える事。 聖堂教会が正式に認めた小聖堂の為に設置される、【 聖重結界 】への魔力の補填。 主な『お勤め』でも、これだけあるのよ。
その他に、私が『神様との誓約』で成さねば成らない事が有るの。 そう、市井の幸薄き人達へ『神様の慈しみ』を、分け与える事。 端的に言うと、廉価なお薬と聖水の供給ね。 その為に、辺境の教会付属の薬師院程の設備が、小聖堂に付属して建立されたの。
規模としては、本当に小さいものだったけれど、必要不可欠な什器は過不足なく整えられていたし、私としては満足の行くモノだったの。 薬師処が出来上がったと同時に、聖堂教会、薬師院 別當様からの…… と云うよりも、薬師院 奥の院の先輩方からの重要にして緊急の依頼が矢継ぎ早に届けられたわ。
毎日の『お勤め』に、使わせて頂いて、聖堂教会薬師院、奥の院からの要請で色々な薬剤や聖水の生成に取り組んだのよ。 二日に一回、奥の院からの馬車が、『 裏 門 』に、到着して、ご依頼のあったモノを運び出してゆくの。 小聖堂に来る時には、それまで滞っていた、探索者協会からの薬草を運び込んで下さるわ。
ええ、その荷の担い手は、勿論……
―――― ルカよ。
始めてフェルデン侯爵家の小聖堂を訪れた時の顔ったら…… 今思い出しても、小さな笑みが零れ落ちそうになるもの。 でも、そんな唖然とした表情も一瞬だったわ。 真面目に、本当に生真面目に、ルカは業務を遂行していくの。
どうやら、リックデシオン司祭様から、なにか吹き込まれた様ね。 でもね、そんなルカに私はいつも通り接して、こっそりお菓子や、私が生成した『聖水』『ポーション』を、渡してあげたの。 荷運びの対価は、ちゃんと貰っている筈だから、ソレは、私からの心付け。
ルカなら…… いいかなって思ってね。
目を丸くして、最初は拒絶してたルカ。
「アルタマイトからの誼よ。 大切なお友達が、傷付くのは嫌なのよ。 なにかあった時に、使って欲しい」
「いや、まぁ…… 有難いのだけど…… 本当にいいのかい?」
「ルカだもの」
「う、うん…… そこまで心配されるのなら、受け取るよ」
「そうしてくれたら、嬉しいわ」
こんな事がリックデシオン司祭様に知れたら、またぞろ、ご機嫌麗しくなくなるだろうけど…… これは、私の心からの願いでも有るのよ。 大商人に成って、海の向こうまで手を伸ばす事が出来るルカに、少しでも役立つのなら…… ってね。
―――― § ―――― § ――――
『聖堂の守り人』としての 『お勤め』 に、日々精進している中、ちょっと困った事が有ったの。 フェルデン侯爵家の執事長様、家政婦長様が、何かにつけて私のする事に掣肘を仕掛けてくるのよ。
フェルデン侯爵様の手前…… 表側の事情により、私は、強硬に拒絶する事は出来ないのだけれど、それでもね。
今日も今日とて、家政婦長様が小聖堂に御越しになり、一通りの御祈りの後で二人きりでお話がしたいと、そうお申し出に成られたのよ。 『お勤め』は、まだタップリ残っているのだけど、どうしても…… ってね。
お茶の準備をして、小聖堂のちょっとしたお庭に造ってある、ガーデンテーブルにお招きして、『お話』を伺う事にしたの。 夏の風は暑いけれど、そこは丁度、木陰に成っていて、暑さも凌げるしね。 お茶はお手製。 薬草の一種だけど、滋養も得られる優れもの。 まぁ、味はソコソコだけどね。
第三位修道女としては、どうかと思うなんだけど、相手はフェルデン侯爵家の家政婦長。 私の中で、『御持て成し』をしなくては成らない人の一人となっているの。 茶席の設えは、且つて習い覚えた事。 様式、作法もそれに準じる事になるの。
ミランダ=エステファン家政婦長様…… 彼女自身も爵位を持つ貴人。 爵位は子爵。 エステファン子爵…… そう、御当主、ご本人。 フェルデン侯爵家の御連枝の一家だけど、小さな御領を差配されていると聞いたわ。
実際は、エステファン子爵の『配』が、御領を実質差配されているけど、継承権の関係で彼女が御当主と云う訳。 様々な理由が有って、御当主がフェルデン侯爵家に勤められているのは、まぁ…… 貴族のアレコレの為。 御継嗣様は既に居られ、エステファン領にて領政に邁進されている…… とね。
フェルデンが家に入る前に、その辺りの事情は、聖堂教会で調べられるだけ調べたもの。 別邸に於ける使用人様方の事情とか、立ち位置とか。 好んで『 死地 』に入る様な真似はしたく無いもの。
そうね、エステファン子爵様は、貴人で有る事は、間違いない人なのよね。 王都別邸の家政婦長という、高職に就いておられるのだから、相応の『 過去 』は、お持ちなのよ。 だから、此方も相応に対応する。 この辺りの感覚は、リッチェルが家の教育。 そして、過去何度も繰り返された、貴族としての教育の賜物ね。
踏み込まず、踏み込ませず。 知識と知恵を正しく使う事が、私自身の境遇の不安定さを、補正してくれている。 貴族的な思考は、何時までも、何処までも、私に付きまとう『 枷 』 の様なモノ。 だけど、忌避するのは間違い。
正しく運用するべき事柄なの。 そう、私は理解しているの。
だから、エステファン子爵様に対して、 ”気軽に修道女仲間の人達とお茶をする ” 何て感じには成らない。 してはいけない。 『貴人』がお茶席に『貴人』を招いた…… 風に装わねば成らないのよ。
但し…… 気が重い……
準備した茶席に、エステファン子爵様を迎え入れ、お話を伺う。 様式美と云うのは、何処の世界でもあるわけだし、作法に則れば 『 お話 』 を伺う事も出来てしまうわ。 着席されたエステファン子爵様が、おもむろに言葉を紡ぎ出す。 そう、” 作法に則って ” ね。
「お嬢様。 お茶席に、お招き頂けるとは、光栄に思います」
「ミランダ=エステファン子爵様をお迎えするのです。 『小聖堂付き守り人』ですので、行き届かない部分も有りましょうが、ごゆるりとして頂ければ、幸いです。 ……それで、お話とは?」
お茶を淹れ差し出した後、おもむろに形式に則った作法に従い、『お話』の内容を聴く準備に入るの。 この辺りの呼吸は、既に今世でも修得済み。 リッチェル領 領都アルタマイトでの研鑽が生きて来る状況でも有るわ。 そんな私を見詰め、エステファン子爵様が少々困惑の表情を浮かべられている。
この年で、茶席を設え、作法に則った迎賓が出来る事を……ね。 目をせわしなく動かしながら、エステファン子爵様が言葉を探してらっしゃるわ。
――― さて、何が飛び出すやら。
「……お嬢様。 御当主様より、お嬢様が小聖堂でお暮しに成るとはお聞きしておりましたが、此処まで徹底されるとは、思っても居りませんでした。 別邸の侍女たち、メイド達もかなり混乱しております」
「そうでしたか。 家政婦長たる子爵様には、ご迷惑でしたでしょうね」
「い、いえ、その様な事は。 ただ…… エル様の御身分は、どのように規定されたのか。 未だ、バン=フォーデン執事長からも、お知らせ頂いておりませんので、戸惑いは有ります。 更に、御当主様より エルお嬢さまの王立貴族学習院への編入の手続きが、進められておりまして…… その準備をどの辺りまで進めるかも、問題と成っております」
「……王立貴族学習院 ですか」
ゆるりと、表情に苦い物が浮かぶ。 あの御仁……
―――― まだ諦めて無かったのか?
小聖堂に引きこもり、遣い潰していると云う、そんな風聞が出来上がれば、ヒルデガルド嬢に対する罪と同等の罰に成ると云うのに。 あちらは、貴種。 こちらは、第三位修道女。
貴族達の目には、『罪と罰を計る天秤』は、まだ、私の方に傾いていると見えるのか?
だから、懲らしめる為にも、王立貴族学習院への編入を、リッチェル卿の周囲が、、フェルデン卿に強く進言されていると云うのか。 これだから、貴族の『思惑』は陰湿なのよ。
顰めそうな顔に、微笑の仮面を張り付けいるも……
少々感情が揺らめいて、微笑が剥がれ落ちそうになったの。