閑話 エルデを迎えるモノと者達
フェルデン侯爵家 王都別邸。
夏の風が吹き、玄関前の初夏の花が咲き乱れる中、別邸の執事長である バン=フォーデン執事長は、客人を迎える重要な役目を果たしていた。
感情に乏しいと…… 氷の様に冷徹と、そう評せられる 現宰相であり、フェルデン侯爵家が当主、ウィル=トルナド=デ=フェルデン侯爵閣下 が、本邸の執事長も通さず、出迎えを命じた事による、特別な迎賓態勢の為であった。
これ程の態勢を整えるのは、別邸に同格の『 侯爵家の当主 』以上の方々を迎える場合以外には、適用した事は無かった。
バン=フォーデン執事長は、この事実により、出迎える人物が、フェルデン侯爵家御当主様に取って、紛れも無く 『 特別 』 な人物である事を、別邸の誰よりも理解した。
そして、その人物はやって来た。
長い聖杖を手に、揺らぐ陽炎を纏い、歩み来る姿。 緩く舞う夏風に幾つもの『徽章』が躍っていた。 しっかりと歩を進めるのは、下位の修道服に身を包んだ、年若き修道女。 荷物は、小さく古ぼけた鞄が一つ。
フェルデン侯爵家別邸に『馬車』以外で、正門から堂々と入り込んで来る賓客を、バン=フォーデン執事長は知らない。 過去の記憶を探っても、過去の記録を漁っても、そんな方が居た例は無い。
特殊な…… 本当に、特殊な 『 賓客 』であった。
清々しく、清浄な空気を纏った、小さな淑女は、物怖じ一つ見せず、バン=フォーデン執事長の前に立った。 この方が本当に 御当主様がお招きした方であるとは、にわかには信じられなかった。 そして、普段は使わぬ、誰何を口にせずにはいられなかった。
「本日お越しになる予定の方は…… グランバルト男爵家の御令嬢の筈では無いのですか? その御姿は、聖堂教会における下級修道女が装束に御座いますね。 主人から聞いていた『お話』とは、少々違うようですが? わたくしは、お嬢様をお迎えするよう主人に申し付かった、執事長のバン=フォーデンと申します。 以後、お見知り置きを」
「ご丁寧なご挨拶を頂き、恐縮しております。 わたくしは…… アルタマイト神殿、薬師院付き第三位修道女エルに御座います。 宜しくご指導頂ければ幸いに存じます。 最初にバン=フォーデン執事長様、わたくしは、『神籍』を脱籍しておりません。 アルタマイト神殿にお問い合わせ頂ければ、その事は証せられます。 また、この事はフェルデン侯爵様にも、ご理解して頂けている筈に御座います。 ……バン=フォーデン執事長様、『小聖堂』は何方どちらでしょうか? 『小聖堂の守り人』として、お勤めを始めなくてはなりませんので」
耳に心地よい、涼やかな声がバン=フォーデン執事長の耳朶を打つ。 そして、紡がれた言葉の内容に、驚きを隠せなかった。 いや…… 混乱したと云っても良い。 フェルデン侯爵閣下の御宸襟とかけ離れている現状認識を持っている、『 賓 客 』。
それが、これから、激動の時を共にする、バン=フォーデン執事長 と、第三位修道女 エル の、最初の邂逅だった。
―――― § ―――――
フェルデン侯爵家の別邸の成立は、先代の宰相閣下が御世。
―――― 先代の『心優しさ』と
『煩わしさの回避』から、
計画され、建てられた別邸であった。
徐々に増えている魔物の特殊化、そして、その出現頻度の増大から、王領内のフェルデン家の連枝の者達からの、本邸への陳情は増え続けていた。 また、落ち着いているとは云え、王領の外側…… 辺境部にある貴族家からの陳情も多い。
辺境領に大きな封土を授けられている、高位の貴族家の家人は、その封土の統治を代理人に委託している事が多い。 中には継嗣にその任を任せる者もいるが、その数は甚だ僅少。 王領内の本邸に暮らし、貴族的特権と贅を尽くした生活を、手放す筈もない。
そんな封土にも、連枝の中小の貴族家の者達は存在している。 いや、彼等こそがその土地に根付いた、実際に王国辺境領を回している『家』と云えた。
そんな彼等も又、自身の主家に陳情しても一向に動かない事に業を煮やし、直接宰相家たるフェルデン侯爵家、王都本邸に陳情に遣って来る。 辺境の中小の貴族なればこそ、王領に屋敷を構える事すら出来ず、その必要性も感じなかった為、そう云った方々の主な宿泊先は、王都の高級宿泊施設となる。
が、風水害、魔獣、魔物の襲撃により、統治に困難を感じている辺境の中、小貴族達の懐は、そんな王都の高級宿泊施設に連泊出来る程潤沢では無い。 陳情に来ているにもかかわらず、手土産も持たず、更には本邸の家人に対し、宿泊すら求める者達も居る。
甚だ不敬な事ではあるが、それすら辞さない覚悟での、旅路なのだ。
前当主様も、そんな彼等に御心を痛めて、私財を投げ打ち、本邸とは別にそう云った者たちに一夜の宿を提供する為に、フェルデン侯爵家 王都別邸は建設された。
その主な理由は、陳情者達との煩わしい交流の回避。 しかしながら、その者達を軽んじれば、王国の土台は揺らぐ事も又、先代宰相は熟知していた。 『利』の天秤は、この別邸を建設する事に傾くのも、彼等にとっては至極当然な事でもあった。
そんな別邸には、王国各所の貴族達の逗留が当主により認められている。 自分達の陳情を受けてくれると思い込んでいる者達。 相手は王国宰相なのだから、時間は殆ど貰えない事など、最初から承知の上での陳情でもある。 膨大な時間を無為に過ごす事もある。 そんな中、彼等の足の向く先は、別邸内に設えられた、フェルデン侯爵家の『祈祷所』
困難に見舞われた彼等の最期の拠り所。
実利的には、宰相閣下との面談。
精神的には、大聖堂とまでは行かないが、王都にある神聖な場所での、救いの祈り。
何時しか、そんな者達の中で、王都にて婚姻を遂げたいと思う者達が出てきたのは、『宰相の慈愛』故の、心の動きとも言えた。 大聖堂での婚姻式には莫大な金穀が必要となる。 陳情に来るような弱小貴族に、そんな金穀を捻り出せるわけは無い。
先の宰相閣下は、そんな者達に特大の 『 飴 』 を投げた。 当然、フェルデン侯爵家の財貨を必要としない方策を以て。 別邸の『祈祷所』に於ける、” 婚姻式 ” の挙行。 まだ、そこまで反目しあっていない、先代宰相が時代には、大聖堂の目を掻い潜って、貴族派枢機卿が必要な手配をしていた。
彼等をして、教皇猊下の目を盗み、司教位にある聖職者を 『 祈祷所 』は派遣し、そこで『婚姻式』の導師として立てた。 フェルデン侯爵の意向を汲んだ、忖度からの行動。 何より、幾許かの『お礼』は、大聖堂には報告されず、かれらの懐に入る。
先代の宰相閣下は、知っていた。 彼等、聖職者としては、背信行為ではあるが、弱小貴族にとっては、王都で婚姻式を挙行できると云う、『名誉』を与える事で、人心を安んじる事が出来るならばと、その悪行には目を瞑ってしまった。
貴族派枢機卿達の増長はそこから生まれてきたのかもしれない。
時は流れ…… 王侯貴族と教会の間に、深く昏い溝が穿たれた。 『 祈祷所 』の悪行も、教皇猊下の耳に入る事となった。
幾重にも、幾重にも重なる、” 善意 ” と、『 利 』 思惑。
そして、全ての悪行を白日の下に晒す事は、それまでの 『 善き事 』が、邪悪なる所業となってしまう。 最悪を避ける為にも、方策が必要となった。 一撃で、全ての懸案を、闇の向こう側に流してしまえる術策が…… 必要に成った。
現フェルデン当主が、『 解 』 を見出したのは、自身の違えられぬ 『 約束 』が、心の奥底に存在していたから。 儚くなっていく、愛する妹の最期の願いを、どうしても叶えてやりたかった。
様々な問題を、一挙に押し流してしまえる 『 解法 』として……
その小さな淑女たる、第三位修道女は、フェルデン王都別邸に……
赴任してきたのだった。