――― 律するは我が心。
私は、静かに言葉を紡いだ。 激昂する事も、大きく感情が振れる事も無く、生粋の貴族令嬢が蘇る。 アルタマイトの御領での日々が、私を侯爵令嬢としての品格を紡ぎだして行くのよ……
「宰相閣下。 なにか…… お間違えでは? わたくしは、生まれ付き、この髪色と目の色をしておりますわ。 それに、宰相閣下とは一度もお目に掛かった事は御座いません」
「記憶に無いか…… まぁ、アレの胸に抱かれた、赤子であったしな」
「その赤子は、わたくしでは御座いません」
「ん? なに?」
「アルタマイト神殿により、どのようにお伝えに成られたのかは存じ上げません。 ただ、わたくしがあちらにお願いすれば、王侯貴族の世界に『 秘匿された事実 』が浮かび上がります。 ……お知りに成りたいですか、宰相閣下」
「どういう意味だ」
冷え冷えとした、貴族女性の笑みを頬に乗せ、宰相閣下に対峙する。 明らかに雰囲気の変わった私に、宰相閣下はたじろがれているのが見受けられる。 そうよね、僅か十五歳の女の子の纏う雰囲気が、海千山千の辺境貴族夫人のソレといきなり同じに成ったんだもの。 事実を小出しに、宰相閣下の顔色を窺いつつ、戦いへの序曲は奏でられる。
「宰相閣下。 わたくし第三位修道女エルは、確かにグランバルト男爵夫妻の間に出来た娘でしょう。 ですが、お二人とは面識は御座いません。 生まれてすぐ、妖精様により他の赤子と取り替えられました。 血統的には、確かにフェルデン侯爵家の蒼き血を受け継ぐ、外戚と成りましょうが、親権者による認知をされて居ない為、男爵令嬢としてのわたくしは、生れ落ちて以来『 男爵令嬢としての貴族籍 』は保持しておりません。 詰まるところ、認知されていない庶子と同じ。 取り換えられたわたくしは、一般市井の民草と何ら変わりは無く、親権者の双方が認知をしていない事から、王国籍すら保持していない『遊民』でしか御座いません。 幸いな事に『神籍』を戴いた事により、この国での ” 公的 ” 身分は保証されました」
「……それは、聞いていない。 グランバルト男爵の娘に関しての、アルタマイト神殿に問合せたが、その様な事は一言も……」
それはね、他家が絡むから。 だって、取り換え子は、貴族に取って、致命的な 『 恥 』 となるんですもの。 取り換えられた先の家は、万難を排しても、秘匿に走る。 ええ、強い大家であればある程、その隠蔽は強く強固に施されるモノなの。
例え宰相閣下であっても、高位貴族が全力で隠蔽した事柄を、余すところなく暴く事など出来はしない。 でも、私は知っている。 孤児院の院長様から見せて頂いた、グランバルト男爵様がヒルデガルド嬢の為に残された書簡、申請書、嘆願書の類の精査は既に終えているのだもの。
「……それには事情が御座います」
「何だ、云え」
「妖精様が王都にて、取り換えられた女児は……
――リッチェル侯爵家が、御令嬢ヒルデガルド嬢に御座います。
……生まれて一年後から、十一の歳まで、わたくしは、リッチェル侯爵家が令嬢として、リッチェル領、領都アルタマイトにて暮らしておりました。 ヒルデガルド侯爵令嬢の取り換え子として。 赤子の時に、お逢いに成った方は、わたくしでは無く、ヒルデガルド嬢でしたでしょう。 輝く金髪に碧眼。 まさしく、リッチェル侯爵家が御色と云う事ですわ」
「なっ!! なにッ!! 誠か!!」
「わたくしが思うに、宰相閣下は御家に迎え入れられる 『 対象者 』 を、誤認されて居たご様子。 神子の様相を強くお持ちである、ヒルデガルド嬢ならば、判らぬ事でもありません。 ですが、わたくしをフェルデン侯爵家に迎え入れる…… などと、その様な無体はお口にはせぬ筈。 横紙を破るには、相応の 『 利 』が有らばこそ。 わたくしには、その様な『 利 』は、御座いませんわ」
扇があればと、強く思う。 さぞかし、わたしの口調と視線は厳しいモノに成っているだろうから。 淑女の仮面は、こんな時には殊更強く、相手を攻撃する武器に成るのよ。 笑顔に固定されている、私の表情。 強い視線と峻厳な口調。 扇はその攻撃力の調整をする為の防具。 云わば、女性貴族にとっての 『 盾 』 を私は持っていない。
でも、だからこそ、宰相閣下には強く印象付けられるかもしれない。 十分な淑女教育を受けた、貴族女性の強かさと、交渉力を、その身を持ってね。
「ばっ…… 馬鹿なッ!! リッチェルの娘として、十一までアルタマイトにいただと?! 取り換え子だと? 何か有るなとは思っていたが…… そ、その様な重大事を、よくぞ秘匿し尽くしたなッ、リッチェル卿はッ! …………し、しかしッ!! そうは言っても、お前はアレの娘なのだろう! そして、叔父である私が、お前を娘と……」
「王国貴族法 大綱、第五条。 爵位継承法 第十八条、二項、その1 から その4。 及び、相続法 第四条 第一項から第十三項。 そのどれもが条文に謳うのは、” 聖堂教会に『神籍』を持つ者の還俗については、その者の祖父母、父母、兄弟の直系親族にのみ、請願権を認む。” と。 王国法に抵触しますわよ、宰相閣下。 叔父、伯母、その他係累には、請願権は御座いません。 御家乗っ取りを防ぐ必要性から起草された法。 まさか、一国の宰相閣下が、連綿と続く王家が制定した『不磨の大典』を蔑ろにされる事は、御座いませんわよね」
「リッチェルでの教育は、君に国法迄…… 修得させていると云うのか……」
「リッチェルの家庭教師達が…… そこまでを求めた故。 王国法、貴族法、財務、商務、法務…… 王国の基礎となる法典については一通り。 宰相閣下が、教会と交わされた 『 密約 』についても、わたくしの知る所に御座います。 畏れ多くも教皇猊下の御指示により、教会典範の細部まで知り抜かれているリックデシオン司祭様が成された 『 密約 』 よもや、反故にされる御積りでは? さすれば、付帯事項の行使と相成りますが?」
「付帯事項…… な、何故、君がそれを……」
張り付けた笑みに、冷たさが乗る。 相手は一国の宰相閣下。 キツめの交渉事は、御手のモノだと思ったのだけれど、そうでもないのかな? いや、相手が僅か十五歳の娘と侮られたか。 それが、此方に有利に働く。 ここは、畳みかけるべき時、場所。 ならば、追撃を。
「御家の小聖堂は、これを聖堂教会に届け出ずに建立されました。 『 密約 』を遂行されるならば、『事後承認』する、それを反故にされるならば、承認はせず…… と。 御家の小聖堂で『御婚姻式』を挙行された方々に関しましては、聖堂教会は一切関知していない。 神の名の元の正式な婚姻とは云えず、例え、その後に生れ落ちた嬰児は、全て庶子としてしか認められない。 教会の原簿には、そう記載される事に成ります。 貴族派の枢機卿様方がどの様な方便を使われようと、教会典範は、決して許さないでしょう。 神と精霊に祝福を受けずに、婚姻とは…… 度し難い…… 誠に、不敬な事。 この事を公表する準備も有ると、リックデシオン司祭様より、お話が有った筈では?」
「ま、まて…… き、君は何処まで……」
「このお話を受けた時に全て。 わたくしは、あやふやな『貴族籍』を持つ、男爵令嬢の前に、確固とした『神籍』を持つ、第三位修道女に御座いますれば、当然のことと成りましょう。 こうやって、習い覚えた貴族の口調すら、今のわたくしにとっては、全て 『 過去 』の事。 神に仕えし者の矜持、侮られるか?」
「…………ま、参ったな。 これは…… 美しいドレスや、宝飾品など、君の心には響かぬと。 貴族令嬢としての生活は、君の歩む道の妨げにしかならないと…… そう云う事か」
「お約束を守って頂ければ、わたくしは御指示に従うのも吝かでは御座いません。 何事にも、表向きと裏向きの事実は御座います。 フェルデン侯爵家の体面に傷を付けるのも、聖堂教会が本意では御座いません。 王侯貴族の方々と、聖堂教会が間にある溝を埋めるために、わたくしはこちらに 派 遣 されてきたのですから」
「…………そう ………………か」
「成せと云われるのであらば、擬態も致しましょう。 しかし、わたくしの心は、神に仕えし者である事を、努々お忘れに成らぬ様に。 宰相閣下に於かれましても、どなたかと、違えられぬ ” お約束 ” を交わされたのでは? わたくしには、そう感じられて仕方御座いません。 よって、『正約』は、此方も守りましょう。 そちらは、『密約』を守って頂ければ宜しいのでは?」
強く、強く、進言する。 そう、正約は私がフェルデン侯爵家に迎え入れられる事。 必要とあれば、侯爵家の面目を護る為に、一時的に侯爵家の者として立ち振る舞う事も 『 是 』 と、する事。 しかし、それは、あくまでも表向き。 社交界の方々の目を眩ませる為の方策でしかない。
私は『 神籍 』を離れる事無く、フェルデン侯爵家の『小聖堂の守り人』として、『お勤め』をする。 生活の場は、別邸の屋敷家では無く、小聖堂。 そして、密約は密かに小聖堂に私の居場所を作り上げ、さらに、薬師としてお勤めできる様にする事。
その為の改築や、改造。 更には小聖堂に続く小道の設定、及び、別宅の擁壁に小聖堂に続く玄門の設置と、その場を護る聖堂騎士の派遣。 リックデシオン司祭様が宰相閣下と交わした密約は、それ程のモノなの。 秘蔵の薬師を、貴族家の私設小聖堂に派遣するとなると、結構大事になってしまうのよ。
口約束ではあったらしいけれどもね。 宰相閣下の『逸る気持ち』が、無茶な密約と付帯条項に『 諾 』と、言わしめたんだと思う。 悩み、傷付き、切望した、亡き方との 『 お約束 』 が、もうすぐ手に入ると…… ね。
がっくりと、項垂れた宰相閣下。
色々な夢を見られていたのかもしれない。
与える者が用意した全てが、与えられる者から、拒否されるなどとは、夢想だにしていなかったのでしょうね。 王侯貴族の方々が此れを知れば、『 善意 』を打ち捨てる愚行と云われるに違いない。 教会関係者からすると、聖職者を堕落させる『 邪悪な所業 』と罵られるわ。
だからこその 『 正約 』 と 『 密約 』 なの。
宰相閣下、お含みおきください。
此れが、押し流そうとする『世界の意思』に対する、私の『 覚悟 』でもあり、神様に捧げる祈りにも似た、『誓約』……
―――― 律するは我が心 ――――
なのですから。
第四章はこれにて終幕。
閑話を挟みまして、いよいよ王立貴族学習院 高等部の向かうエルデさん。
もう、二度と恋に狂わぬと、そう決めている彼女と、前世に於いて彼女が愛を捧げ得ようとした『 御相手 』 との交流が始まります。
エルデの行く道は、光へ向かうのか、はたまた、昏い闇へ落ちるのか?
乞う、ご期待!!