エルデ、教皇ライトランド猊下の中に幻視を見、世界の意思の在りかを知る。
寝台の傍に跪くリックデシオン司祭。 寝台の上の教皇猊下は既に身体を起こす事も出来ない程、病に冒されていた。 ええ、そのように感じられたの。
『病い』とは言っても、普通のモノじゃない。 なにか…… そう、何かに喰われている感じがしたの。 それは、アーバレスト上級伯爵様の奥方、エバレット上級伯夫人と同じ。
私も司祭の後ろで同じように膝を突く。 聖杖はピタリと床に横にして置き、深く頭を下げるの。
「アレの愛弟子、そして、神聖聖女たる第三位修道女エルデ。 よく来た。 少々、障りがあり、このままですまんな」
「教皇猊下に於かれましては、ご機嫌麗しく存じます。 アルタマイト教会が第三位修道女エル。 御前に」
「うむ…… 此処では神名を名乗るがいい。 神の身前にその身を置くと心得よ」
「御意に」
私に…… 孤児となってしまった、この私に『神名』を名乗れとは…… それに、『神聖聖女』だと、猊下は私をして、そう呼び掛けられた。
つまり、何もかもご存じなのだと理解した。
ふと、リックデシオン司祭を伺う。 私がここに呼ばれたのは、単なるご挨拶という訳じゃなさそう…… きっと、何かを成す為に、此処に呼ばれたんだと、今更ながらに確信したの。
おもむろに、リックデシオン司祭が言葉と紡ぐ。
「神名エルデを持つ神聖聖女よ。 願わくば、聖堂教会 教皇ライトランド猊下の脈を取り、その病を『聖なる秘術』にて、祓って呉れぬか」
「畏れ多き事成れど、卑賎なる我が身で猊下の脈を取る事は……」
「エルデ、君にしか出来ぬ事なのだ。 まずは、良く猊下を診て欲しい」
懇願の口調で、言葉を綴られるリックデシオン司祭様。 そうね…… 薬師としても、治癒師としても、傷つき病んだ人を診察する事は、神の御前に誓約した事に他ならない。 それが、たとえ、孤児の幼子であろうと、聖堂教会の最高位に居られる教皇猊下であろうと変わりはない。
「猊下、脈を取らせていただきとう御座います。 神様と精霊様とのお約束。 違える訳には行きませぬ故」
「ふむ。 良い。 近くへ」
教皇猊下は何処か面白気に私にそう声を掛けられる。 なんにしても、診てみない事には何も判らないもの。 静々と寝台の近くに寄り、上掛けから差し出される猊下の手を握る。
――― ドクンと波打つ、聖なる者の神聖な魔力。
聴覚が閉ざされ、視覚を奪われ、周囲の状況が全て白濁した。 精神が、心が、そして、魂が別の場所に強引に連れて行かれた。
そして、幻視が私を包み込んだ。
――― 清浄なる天空を、ゆったりと流れ行く雲。
――― 緑滴る豊穣の大地が、何処までも広がる。
――― 輝く陽光にキラキラと舞う、精霊様方の加護
――― 目の前には…… 天と地を結ぶ『光の一柱』。
凄まじい不快感に眉が寄る。 精神体の私に身体は無いのだけれど、そう表現しても良い様な、そんな不快感。 原因は、『光の柱』に巣食う、見たことも無い黒々と穢れた蟲達…… 天と地を結ぶ光の一柱の中央に特に多く蟲達は集まり、光を、清浄を、加護を、貪るように咀嚼していた。 その部分だけは、穢れが支配し、痩せ細り、今にも柱が断裂し分断されそうに見て取れる。
――――― いけない。
天と地を繋ぐ『聖なる懸け橋』が、今にも破壊されようとしている。 アレは何? 蟲達の様子を遠目で観察する。 黒々としたその体躯には、様々な文字が駆け巡り、渦巻いている。 古代の神聖言語で綴られたそれらは、まさしく魔法術式。
いいえ、古の魔法術式なのよ。 現在では廃れ忘れ去られた、その魔法術式は、その魔法が行使された結果のみをこの世界に残し、失伝した魔法体系。 もう、誰もその術式を読み解く者は居らず、一つ一つが完成された『魔法』とされ現在は使用されている。
使用する者は、妖術師。 堕ちた魔術師。 体内に黒き闇の魔力を保持する者。 ……かつての、私の様な者。 見知った感覚、行使すらした事がある、それらの『魔法』を、人々は云う。
『 呪い 』 と。
手には聖杖。 心には聖女が誓い。 何も迷う事は無い。 水平に聖杖を掲げ、私は紡ぐ『呪詛廃滅』の【聖女が祈り】。
「聖女が魔法【清浄】【浄化】【快癒】。 神様、精霊様方の御力を持って、此処に展開す。 我、エルデが魔力を以て、尊き人の命に巣食う穢れを払わん」
水平に持ち上げる聖杖から、重複した魔法術式が繰り出される。 【解呪】【清浄】【浄化】【快癒】。 次々と紡ぎ出され、私の周囲に浮かび上がり、順次わたしの魔力が充填される。 強い感情の儘、それらの術式を次々と起動させていく。
――― 神様の御意思。 精霊様の御加護。
強い神気をこの場に召喚し、発動させた魔法陣に上乗せしていく。 【不壊】の符呪式。 それらの術式は、私が詰め込んだ私の魔力に応じて、拡大していく。 黒々とした蟲達は、その魔法に触れると、ボロボロと分解して、最後の一欠片に至るまで昇華されて行く。
呪い とは、古代魔法言語で、現世に固定された、人の意思。 たとえ、その人が亡くなっていたとしても、その感情は残り続ける。 だから、「呪い」は厄介なのよ。 でもね…… 私が大聖女様から受け継いだ、この力ならば、その永遠に縛られる鎖を断ち切る事が出来るの。
光の柱に巣食う蟲達は、その数を順調に減らしていき、【快癒】が術式で細った幹を太らせていく。 天と地を繋ぐ、偉大なる力の道筋は、これで護られる。 巨大な柱は、今は唯の一本しかない。 これを失う事は、天と地の結びつきが失われる。
唐突に一つの真理が、『託宣』となって、私に宿った。
天と地。 光と闇。 そう、此の幻視は、今の王国…… いいえ、世界の理を見せているのだと、そう理解した。 そして、何故、私が二十七回もの産まれ直しをしたのかも、理解できた。
天と地を繋ぐ光の柱の周囲には、風を司る大精霊様と、刻を司る大精霊様が巡っておられた。 命を循環し、【魂】と【魄】をあるべき場所に巡らすのは、二大精霊様の重要な使命。 転生輪廻を司り、刻を時を推し進める事が使命。 もし、この光の柱が途切れてしまったら……
彼の大精霊様方の『巡倖』は、流れの行き先を失い、回る水車の様に同じところを、ずっと回り続ける。
そうなのよ…… きっと、これが、理由。
私が生まれ直した理由。
何度も、何度も人生を繰り返した理由。
他の精霊様や、世界の意思が、心から聖女を求めた理由。
太く、輝く様になった、光の柱を見詰めつつ、私は胸の中が一杯になったの。 そう、それは、世界の意思が、少なくとも現時点で望む事を全う出来たから。 眼下に広がる豊穣の大地に、いくつかの光の柱が見える。 まだ、天空に届いては居ないけれど、それが成長し天空に届きさえすれば、もっと、もっと、世界は安定する。
この世に生きとし生ける者達に、未来が与えられる。
幾つかの頑固な穢れは、落とし切れるものでは無かったけれど、それでも、十分に光の柱は回復したわ。 あの汚れは、きっと切り離されない、人としての『 業 』的な何かなんだろうな。
ゆっくりと目を閉じ、此処に導いて下さった神様と精霊様方に感謝の祈りを捧げる。 聖杖を高々と水平に掲げ持ち、聖句を口に乗せ、今この時を迎えられ『誓約』を果たす事が出来た事に、祝祭を捧げたの。
『 善き哉 ! 神聖聖女エルデが献身に、加護を。 風と刻からの、絶大な庇護を! 』
頭を撫でられた感覚があった。 そして、幻視は閉ざされる。 ゆっくりと瞼を開けると、其処に教皇猊下の御姿が有った。 もう、寝台に身を横たえてはおらず、半身を持ち上げられ、片手は私に繋がれ、もう片手で私の頭を撫でておられた。 優し気な…… 本当に優し気な表情を浮かべられた教皇猊下が、私に言葉を下さったの。
「……成したな、エルデ。 大聖女オクスタンスの導きに祈りを。 アレでは、あの世界に入れなんだ。 あの世界に入るには歳を重ね過ぎていた。 修道女エルデ。 いや、神聖聖女エルデよ。 神の祝福あらん事を」