エルデ、旧友との交歓に喜ぶも、暗雲広がる未来を憂う。
長らくお待たせいたしました。 リハビリ終了です。 頑張ります!
寒さも一段落した。 そんな日々、私は王都薬師院 奥の院で色々な薬品類を製薬していたわ。 井戸水の冷たさも、寝台の冷やかさも、余り気にならなくなっていたの。 そっか…… もう春なんだね。 樹々が芽吹き、早春の風物詩の花が咲く。
枝に花だけが零れる様に咲く樹々は、街の人達からも愛されていて、あちこちの街路樹にと植えられていたわ。 そんな木々が花で一杯になるのは、もう少し先。
奥の院の窓辺から見える、街の様子も徐々に軽やかさを増し、私の心までウキウキさせてくれるわ。 ウキウキと云えば……
あれから何度も、ルカと会ったの。 ええ、薬草箱を届けに来てくれた。 『世界の意思』が強制する未来に心が痛むけれど、ルカの顔を見るたびに、その恐れも少しづつ小さくなる。 だって、ルカは『記憶の泡沫』の中で勤めていた商会とは別の、しっかりした教育で有名な、物凄く堅い商売をする『ブンターゼン商会』の従業員だったんだもの。
―――― 彼は、とっても優秀な商人の卵なの。
だって、アルタマイトのアムラーベル商店の御店主、アルファード老が特にと配慮して、ブンターゼン商会に移籍させていたのよ。 とても、珍しい事。 あの方ももう既に相当な御歳ではあるし、『芽』の有る若者を自分の手では無く、より高みを目指せるように、”信頼の置ける人”に、託したとも思えるの。
それはね……
アルファード老をして、そう思わせる『何か』を、ルカの中に見たのかもしれないわ。
だから、彼は、まっとうな商人に育ち始めているって事。 間違っても、『驕慢』で『傲慢』な貴族の連枝子女の願いを聞いたり、深く貴族家の思惑に関わる事なんて…… 無いと思うの。 付かず離れず、自身の商道を護っていくのだろうなって思えるのよ。
そんなルカが時々…… 本当に偶に…… だけど、私をお茶に誘ってくれるの。
安息日には、外に出られないのかって尋ねられてね。 身分の保証はされて居るし、日々のお勤めも一生懸命に果たしている。 それに第三位修道女とは言え、もう特別枠の修道女では無く、正規の第三位修道女となっている私は、行動の制約も大聖堂の修道女と同じとされて居るわ。
つまり、安息日には、外にも出られるの。 勿論、修道女として慎まねば成らない行動もあるけれど、街の中を歩いたり、こっそり屋台なんかでお買い物…… なんて云うのは許されるのよ。 御店も文具やら書店なんかは許されているし、なんなら御使いに出る事もあるくらいね。
だから、ルカの問いには、出られるよって答えられたの。 少し…… 期待してたのもある。 この広い王都で、アルタマイトの街での知り合いなんて、ルカ以外いなかったし…… とても…… 懐かしい想いが心にも浮かんでいたから。
「なら次の安息日に、街に行こう。 エルはまだ王都の街をよく知らなんだろ?」
「ええ、宜しくね。 王都の街は、あまりよく知らないから」
ゴメン、嘘ついた。 いや、半分嘘…… だって、私の記憶の中には、『記憶の泡沫』によって、多くの事柄が刻まれているから。 王都の街並みだって…… それこそ、まだ開店していない御店だって、知っている。 でも…… 本当に知って居るかと云われたら、それはそれで嘘になるの。 だって、この目で見た事無いんだもの。
「美味しい屋台とか、特価品を扱っている文具店とか知っているから」
「そうね。 楽しみにしているわ」
ルカと一緒の安息日。 心なしか、ルカはウキウキしているね。 私は常に修道女の装いを纏ってはいるけれど、他人から見たらどう見えるのかしら? 第三位修道女の私は、まだまだ、正規の修道女様方よりも、幼いし小さいモノ。
何かしらの事情を抱えた妹を、兄が心配して街に連れ出した? みたいな感じかしら?
「エルは、どんな食べ物が好き?」
「何でも頂くわ。好き嫌いは言えないの。 教会では出された食事…… 食べ物は、皆、神様からの頂き物だから、決して疎かにしてはいけないし、優劣をつけるなんて、もっての外だもの」
「いや、まぁ、その、なんだ…… 固いなぁ」
「あら、アルタマイトに居た時もそうだったでしょ?」
「まぁ、確かに。 でもさぁ」
「なぁに?」
「甘いお菓子を口にした時、エルはとっても幸せそうな顔してたぜ?」
「あら…… そう…… だったかしら?」
「まぁ、そう云う事だね。 判った。 じゃぁ、お勧めのカフェがある。ちょっと裏通りにあるから、その姿でも目立たないよ」
「……気にしてくれてありがとう」
「いやいや、何時も、世話になっているんだしなッ!!」
誘われるが儘、王都の裏通りの小さなカフェを訪れたの。 特別繁盛しているという訳では無いけれど、しっとりと落ち着いて、流れる時間がゆっくりになるような、そんな素敵な御店だったの。
―――― お店に入り、ルカと二人して、黒茶とクッキーを頂いた。
とても、穏やかな時間を過ごす事が出来たの。 ルカは今の商会に入ってから、色々と勉強して、かなり博識に成った様ね。 特に外国の物産については、大人顔負けの知識を有していると云ってもいい。
領都アルタマイトのリッチェル侯爵家の御邸で、領政に少し携わっていた私にとって、彼の持つ知識は、黄金の輝きに似た、貴重なモノだと理解できた。 そんな彼との会話は、とても心楽しく、時間の過ぎるのも忘れてしまう程。 でも……
――――― 私とルカの間柄って、なんだろう?
少しの間だったけど、リッチェル侯爵領、領都アルタマイトの教会に二人とも居たから、広義に捉えれば幼馴染と云えるかもしれない。 だから、きっと、ルカのウキウキは、その為よね?
決して、私に何らかの『特別な感情』を持っている…… なんて事は無いよね?
無い筈だよね? 少し、寂しいと感じてしまうけれど、でも、仲の良い友人というモノは、とても大切な物。 ルカも、そうあって欲しいな。 人が心楽しくする表情を浮かべるのは、とてもいい事なの。 精霊様だって、神様だって、眉間に皺を常に寄せている人になんか、祝福を与えて下さらないもの。
人の心の歓びは、精霊様や神様のとても良い供物となるの。
『争い』、『妬み』、『僻み』、『嫉み』…… そう云った感情は、神様の御前に於いて、慎むべき心なの。 だから、笑って、王都を案内してくれるルカは、きっと神様の御加護を沢山もらうのでしょうね。 ええ、それは、とても良い事なのよ。
ルカ…… あなたの行く末に光あらん事を。
ルカに誘われて、王都の街を歩く。 心地よく、満たされた気持ち。 まだ、春浅い日々だけど、もう、彼は、かつての彼では無いのよ。 ええ、それだけは、きちんと理解できた。
とても善き隣人にして、私の大切な友人。
精霊様と神様。 この奇跡を与えて下さったことを、感謝申し上げます。
――――――
そんな満たされた日々が続くと思っていたの。 でも、それは、それとして、状況は私の望まない方向へと、傾いて行くの。 日々の静謐が破られてたのは、やはり…… あの人からの御言葉だった。
「教皇ライトランド猊下への、謁見の準備が整いました。 傍付きとして、私、王都薬師院 別當 リックデシオン司祭が務めます。 また、この謁見は、非公式のモノとして扱われるように差配しました。 エル、良いですね」
「はい」
「期日は、安息日開けの明後日。 時間は午後遅く。 日々の務めを終えた後、私の部屋に来なさい」
「はい。 承知いたしました」
「あぁ、その時は、聖杖を必ず所持する様に。 少々、面倒な事をエルに頼まねばなりませんから」
「はい…… 承りました」
聖杖を持ったまま謁見? それは、どういう意味なのかしら。 もう一つ、『非公式の謁見』で、付き添いが、『司祭』様? これも、普通じゃ考えられない。 だって、御役目的に、誰かが教皇猊下に謁見する場合は、枢機卿が立ち会う事になっている筈なのよ?
なのに?
……そうか。
リックデシオン司祭様のもう一つの御役目が絡んでいるのか。
『異端審問神官様』が『教皇猊下』に謁見する。
その事実は、私の心の中に重い石を落とし込んだの。