エルデ、大聖女オクスタンス様からの贈り物に震える。
リックデシオン司祭様に連れられ、薬師院の調剤局に戻ったの。
日々の『お勤め』を始めようとした時に、司祭様から調剤局の『奥の部屋』に、行く様に言われたわ。
「君の献身と祈りはよく理解したよ。 それでね、君の能力に相応しい場所での『勤め』をしてもらおうと思っているんだ。 まぁ、もうちょっと先の話だと思っていたのだけれど、こうもあからさまに君に繋ぎを付けようとする輩が居るのでは、致し方ない。 少々早いが、『奥の院』で『勤め』を果たしてくれないか?」
「はい…… でも、あの場所は、第五級薬師では入室出来ない場所なのでは?」
「うん、そうだね。 だから、この徽章を君に授ける事にするよ」
そう云って、手渡されたのが、聖杖に付ける徽章。 えっと…… 紫色の帯に、白線が眩しい徽章って…… これッ! 第二級薬師の徽章じゃないの!! そんな訳ない。 わたしがアルタマイト教会で戴いた薬師の階級は、第五級よッ! それが一気に第二級なんてッ!
絶句する私に、リックデシオン司祭様は優しく微笑まれて、神聖な聖句を紡がれたの。
「この者、民を慈しみ、苦しみを癒す者なり。 其方の〈癒しの力〉を振るべきは、貧しくも清らかな心を持つ者達。 神の教えを真摯に護り、慎ましやかに生き抜く者達。 其方の『勤め』を、心の中の中心に置き、真摯に神の御心に沿う事を、誓えるか」
「誓います。 わたくし、第三位修道女エル…… 神名エルデは、身命に掛けて、倖薄き者達への献身に邁進する事を、此処に誓います」
「善き哉。 我が名リックデシオンの名により、この者が、慈愛の心を持ち、人々の苦しみを癒す術を持つことを此処に証し、この者に第二級薬師の階位を授けるものなり」
「有難く…… 神様と精霊様の御意思の儘に」
えっと…… こんなに簡単に? それに…… いいのかしら? 困惑と不安が表情に出たのか、リックデシオン司祭様は、更に笑顔を深めて仰ったの。
「魔法を以て『聖水』を紡ぎだせる薬師は、多くは無いのだよ修道女エル。 それだけでも、十分に第三級薬師として任命されるべきなのだよ。 それに、君は『癒しの術式』を編めるね」
「えっ?」
な、なんでご存じなの? どうして? 大聖女様にも内緒にしてたのに、どうして、リックデシオン司祭様がご存じなの? 目を白黒させて、司祭様を見詰めるの。
「おや? どうして私が、君の『内緒事』を知っているのかと、不思議かい? まぁ、長い間この王都薬師院の別當などというモノを担っていると、色々な方面からの不思議な話を聞かされるのだよ。 ここ半年など、特に多かったよ。 ベルクライス南方街道沿いの神殿や聖堂やらの、うちの手のモノからの報告でね。
―――― それは、君の『考課簿』の軌跡とピタリと一致するんだ。
そうだね、例えば、グラスコーの『桜華熱病』に罹患した幼子の脅威の回復。 サン=チェント環状街道とベルクライス南方街道の交差領である、アーバレスト上級伯領での『解呪』と『浄化』の噂。 散りばめられた事実と、巧妙に隠蔽された『考課簿』の記述。
残念ながら、私には、『薬師の才』は無いのだよ。 が、この王都薬師院を健やかで神様の御意思を顕現させる『手段』 は、大聖女オクスタンス様の御指導ご鞭撻により身に着けたんだよ。 『洞察』と『考察』。 私はこれを以て、この薬師院に身命を捧げていると云ってもいい。 君の事は…… 読み解ける者には、読める物なんだよ、修道女エル」
「は、はい…… そ、それは、また…… 凄まじい『ご見識』に、あらせられますね」
「いやいや、そうでも無い。 君は気が付いているかもしれないが、私には聖典の番人の役割も課せられているのだよ。 そのお陰かも知れないね。 『報告書』には必ず二重以上の意味が含まれるのだと、そう教育を受けたのだよ」
「異端審問神官様…………」
「ご明察。 特別職なので、常設はされませんが、事が起これば審問する立場になる神官なのですよ。 教皇様直属と云う事なので、御内密にね」
そんな重大な事をサラッと、まるで ” 今日の昼食は何かなぁ ” みたいな感じでお話になるのは止めてくださいッ! もう、もう、ほんとにもう!!
だからかぁ…… あの枢機卿様が至って素直に引いたのは…… リックデシオン司祭様が、異端審問神官様だって…… ご存じだったから。 つまりは、あの御仁…… 異端審問に掛けられたことが過去に有ったと云うのね。 う~ん。 だから、此方の聖修道女様方が、” 貴族派の修道士、神官には近づかない ”なんて、ご指導して下さったのね。 あの方を念頭に置いて……
ふ~む。 闇深い場所なのね、やっぱり此処は……
リックデシオン司祭様に連れられて、王都薬師院、調剤局『奥の院』へと足を踏み入れる。 戴いた徽章は、ちゃんと聖杖にくっつけたし、入室しても…… いいよね?
部屋の中に入ると、諸先輩方が一斉にこちらを向いたの。
「あぁ…… 勤めはそのまま。 耳だけ貸して欲しい。 先程正式に第二級薬師を叙した第三位修道女エルが、新しく君たちの仲間になる。 宜しく。 下職を彼女に投げて構わない。 彼女はそれだけの知識と見識を持っている」
一斉にこちらに近寄る諸先輩方。 皆一様に輝く様な笑顔を向けて下さったの。 とても……
――― 嫌な予感がする。
そして、その予感は全く持って外れてはいなかったの。 目の下の隈が、諸先輩方の現状を如実に物語っているのだもの。 そして、開口一番……
「乾燥と粉砕はどの程度可能か?」
「聖水の紡ぎ出しをお願いしてもよろしいか」
「丸薬は、どの程度の物が生成できるのか。 いや、リックデシオン司祭様の御墨付ならば、クランベルとアータシアの製薬を頼めるか」
口々に、そう云って、私の手を取り奥へ奥へと誘われるの。 そんな私を、とても満足気な表情で見詰め、胸の前で祝福の印を結んでにこやかに微笑まれるリックデシオン司祭様の御顔がドンドンと遠くなっていったわ。
―――― § ――――
お日様が傾き、調剤局『奥の院』にも、夕暮れ時が迫る頃。 私はようやっと、諸先輩方の手から解放されたの。
とんでもない量の『聖水』を紡ぎ出し、云われるが儘、丸薬を製薬し、高価な薬草や魔法草を乾燥させた上に粉薬並みに粉砕して…… 時間が過ぎるのが判らないくらいに『お勤め』に勤しんだの。
諸先輩方は、感嘆の声を上げて、感謝を口々に綴られていた。 私の拙い魔法でも十分にお役に立てたようで何よりよ。 体内魔力はかなり減っちゃったけど、まぁ一晩眠れば元通りになるしね。 羊皮紙に綴られた、大量の注文書を見たらねぇ……
頑張ろうと思うもの……
ヘトヘトにはなったけれど、充実した心は、とても心地よかった。 夕方の祈りの時間に間に合うように、薬師院の祈祷所に向かうの。 今日の日の安寧を下さった神様に感謝を捧げるの。
――― ええ、感謝をね。
祈祷所では、夕方の『お勤め』の為に、沢山の修道女や修道士、神官様が集まっておられたの。 そして、中央の聖壇の前にはリックデシオン司祭様が、祈りを捧げられているわ。 祈祷所の後ろの方で、私も膝を付き手を組み合わせ印を結び、一心に祈りを捧げるの。
一心にね。
心の中にさわやかな風が駆け抜けていくように感じるわ。 精霊様の息吹をね。 此処に集う善男善女の皆々様の真摯な祈りは、きっと神様に届く。 ええ、そう感じるの。
恙なく、お祈りが終わり、諸先輩方がそれぞれに祈祷所を出て行かれる。 階位的には最下位の私だから、道を譲って静かに頭を垂れ、退出の時を待っていたの。
「修道女エル。 少々時間をくれないか?」
部屋の片隅に立っている私にリックデシオン司祭様が、そう御声を掛けられたの。 なんで? どうして? 頭を上げた私の顔に疑問の表情が浮かんでいたのかもしれない。 苦笑されるリックデシオン司祭様。
「いやなに、君宛てにアルタマイト教会から『荷物』が届いているのだよ。 それも、あちらの聖堂騎士の護衛付きの荷物がね」
「はい? お荷物…… ですか?」
「あぁ。 ちょっと、大っぴらには出来ない荷物でね。 最初は我が目を疑ったよ。 必ず君に『登録させる様に』と、厳秘の印を押した大聖女オクスタンス様の『命令書』が添えられていたのだよ。 あの方は、どこまで、君の事を心配されて居られるのかねぇ」
「はぁ…… 良く判りませんが、お供いたします」
「うん、そうしてくれると、有難いよ」
昼前の様に、またもやリックデシオン司祭様に連れらて薬師院内を歩む。 どんどんと足を進められて、既に薬師院の建物から出てしまった。 向かうは大聖堂。 えっと……
―――― また?
今度は、朝とは違う場所に向かったの。 もっと、警備が厳重な場所ね。 えっと、そこかしこに聖堂騎士様の御姿も見えるわ。 コツコツと云う私たちの足音が、とてもよく響く場所。 まるで、どんな忍び足でも、足音が出る様に設計されているかの様な場所。
あぁ、そうか。 気配を消しても、忍んでも、たとえ【隠遁】や【隠形】を使おうとも、この場所では、全て明らかにされる…… 『聖結界』の中って事ね。 理解した。 そして、大聖堂の中で、そんな場所はあまりない。
『記憶の泡沫』がまた、刺激されるの。
そう、この場所は、『大聖堂宝物庫』。 数々の聖遺物が収蔵されている場所。 中には、禁忌に触れる遺物もある。 『記憶の泡沫』の中に、私がその禁忌の遺物を手に入れようと、忍び込んだモノが有るのよ。
理由? それは、『聖女』たる、あの子に対しての対抗心ね。 聖遺物で、禁忌に触れる様なモノを手に入れたら、そして、それを使えたら私は『あの子』に勝る存在に成れる。 私の愛した人に振り向いて貰える…… そんな所。
まぁ、結果はお察し…… 王国法や聖典に、思いっきり真っ向から喧嘩売ったのも同然なんだもの。 即座に捕まえられて、色々な事を供述させられたの。 ええ、色々な事を。 事実とは違う事もね。 この際だからって、色々な人の悪行も一緒に…… 認めさせられたの。
――――― 異端審問神官様にね。
神をも畏れぬ『大罪人の徴』を額に捺され…… 青の広場で絞首刑になったっけ…… 思い出した…… 思い出してしまった…… そうか、道理で司祭様に、『 見覚え 』が、有るはずよね。
でも『何故』私が、そんなところに?
私は行きたくない。
行けば又、私は罠に掛かり、他の人の悪行を背負う事になる。
脚が震えて、歩みが止まりそうになるの。 強張った表情の私に振り向き、リックデシオン司祭様は、柔和な笑顔を差し出されたの。 慈愛に満ちた笑顔だったの。 私の心は千々に乱れ、混乱に包み込まれたの。
あの厳しく、何者をも許さない表情をした、異端審問神官様と、何事をも許し、慈愛で包み込むような表情をした、リックデシオン司祭様が重なるの。
ゆらりと身体が浮かぶような感覚。 今にも崩れ落ちそうな私に、リックデシオン司祭様は、ゆっくりと優しく言葉を紡がれたわ。
「どうしました? 大丈夫ですよ。 私が同道して…… というよりも、エルが行かねば成らないのですから」
「え、ええ…… でも、この場所は……」
「そうですね。 普通ならば、侵入しただけで、大罪を犯したと云われる場所です。 が、それだけ、厳重な警備が必要なモノを、大聖女様は送られてきたのですよ。 まったく…… あの方の奔放さには、いつも悩まされますね。 さぁ、もうすぐです」
言葉を交わす。 リックデシオン司祭様の柔和な笑顔は変わらない。 そして、私は思い直す。 これは二十八回目の現実。 あの恐ろしい異端審問神官様は、此処にはおらず、私も、エルデ=ニルール=リッチェルと呼ばれた…… リッチェル侯爵家の厄介者でも無い。
そう、道は逸れたのよ。 だから…… 恐れる必要なんてない。 薬師院の別當様は、優しく慈愛に満ちた方。 大聖女オクスタンス様の同胞。 だから、大丈夫。 大丈夫よ…… ね?
―――― 思わず、虚空を握る。
手が聖杖を探していたの。 でもね、聖杖は、この場所には持ってこれないから、最初から祈祷所の然るべき場所に置いて来た。 ……そう云われたからね。 無手でなければ、この場所には入る事さえ出来ないの。 リックデシオン司祭様もまた、多分丸腰。 いつも腰に下げられている職杖も、今は付けておられないもの。
ゆっくりと深呼吸をして、先導されるリックデシオン司祭様の後を歩む。 うん、もう怖くない。 怖くないったら、怖くないのッ! 自分に言い聞かせる様に、口の中でそう呟き続けるの。 ほんとは、膝がガクガク震えていたんだけどね……。
幾多の聖遺物の安置された回廊を進み、とある隔絶した『最奥の間』の扉の前で止まったの。 扉の両脇に聖戦士様方が警備に立って居られたわ。 その方々にリックデシオン司祭様は、片手を上げられると、聖戦士様方が扉を開けられるの。
さて、ここからが正念場。 『記憶の泡沫』にも、この先の光景は一切無いから…… ね。
―――――――
中はガランとした、何もない質素な部屋。 ただ、中央に『箱』が置かれていたの。
ええ…… そう。
見た目は『質素な箱』だけど、その神聖さは周囲を圧倒するモノだったわ。 強い強い精霊様の息吹が、まるで形在るかの様に、その箱を包み込んでいるの。
聖櫃
な、なんてモノをッ!! 大聖女オクスタンス様はッ!! 目を剥き、驚愕に震えながら、私は思わずリックデシオン司祭様の司祭服に縋り付いてしまったわよ。