エルデ、王都聖堂教会で、『王都』の洗礼を受ける
王都ガングレーバス……
広くて、大きくて、奇麗なモノが一杯で。 そんな、絢爛豪華な町中の、これまた『荘厳と云う概念』を、形にした様な建物。
それが、王都聖堂教会の大聖堂。
キンバレー王国はおろか周辺各国にも主聖堂を持つ、巨大教団の本拠地でもあるの。 組織も巨大化すると、色々と弊害も出てくるわ。 それは、『記憶の泡沫』からも読み取れる。 だって…… 聖職者である、高位神官様達の内でも、その最上位と云われる枢機卿様がね…… 涜職寸前の行いをすることだってあるのよ。
――――― ええ、私の目の前でね。
「第三位修道女エル。 お前に『還俗願い』が出ている。 高位の貴族家からだ。 受けよ」
突然の御呼び出し。 まだ、教皇猊下にも御目通りしていないにもかかわらず、私を大聖堂の聴聞室に呼び出したのが、私の目の前に居る枢機卿様。 お名前は…… いいわ、別に。 覚えていても、仕方ないし。 知らなくても、問題は無いし。 でも、ちゃんと拒否はしておかないとね。
しっかりと前を向いたまま、私は応えるの。
「お受けできません。 『還俗願い』を提出できる資格のある方は、現在、生存しておりませんので、その願いは受け入れられません。 よしんば、その願いを提出された方が、高位の貴族家の方であろうと、それは、王国貴族法によって否定されます。 わたくしは、まだ成人年齢には達しておりませんが、れっきとした修道女。 リッチェル侯爵領アルタマイト教会の薬師院に『神籍』が御座います。 よって、王都聖堂教会の枢機卿様とはいえ、わたくしに還俗を命じる事は出来ません。 教会聖典によりそれは明確にされております故、ご容赦ください」
「ぐぬッ! 我は枢機卿なるぞ! それに逆らうか!!」
「はい、教会聖典、及び キンバレー王国 王国法に背く事は、神様と国王陛下に背く事。 その事実は、どうお考えに成っているのか。 わたくしは畏れ多くも畏も、信奉する創造神様の御意思と、太陽の賢王陛下の赤子の『矜持』により、教会聖典と王国法に背く事は出来かねると、そう申しております」
「さ、賢しらなッ!!」
怒りに任せ、何かを言い出そうとした、丁度その時、私がこの部屋に枢機卿に連れ込まれたのを見た、王都薬師院の別當様が、駆けつけて下さったの。 駆けつけてって云っても、物腰柔らかく、慌てる様子も無く…… だけどね。
「これは、これは、枢機卿。 この様な場所に我が薬師院の薬師を連れ込んで何をなさっているのです? なにか、特別な薬の調合を依頼されているのか、はたまた、特別な事をされようと?」
ははぁん。 この枢機卿様、今までも、かなりの横車を押していらしたのね。 『枢機卿』という物凄く高い地位に御付きなっているのに、リックデシオン司祭の口ぶりから察するに、そもそも、尊敬に値する人物では無いと云う事かな。 まず間違いなく、対貴族様向けの人物って所かな。
教会だって一枚岩では無いわ。 教皇派の皆様は真摯に神様に祈りを捧げていらっしゃるけれど、そうでない、いわゆる『貴族派』と云われる方々は、かなり世俗に塗れて居られるとか…… 王都にやってきて、王都薬師院にてお世話になり始めた当初、同僚となる女性神官様と修道女の皆さまからの、ご指導 ご鞭撻を、頂いたのを思い出したわ。
曰く……
” 貴族派の修道士、神官には近づかない ”
” 貴族派の者達からの願いは、極力聞かない ”
” あちらの要望を受け入れる時は、必ず教皇派の方に相談する事 ”
” 薬師院別當様には全てをお知らせする事 ”
だったかしら。 突然の御呼び出しで、聖堂騎士と修道士が私を取り囲んで、此処に連れ込まれたのよ…… 相談する暇もなにもあったもんじゃないわ。 唖然と見ていた薬師院の皆様も、何もできる事は無かったのよ。 でも、それでも、しっかりと薬師院別當リックデシオン司祭には、連絡が行ったって事ね。 良かった……
「枢機卿が、うら若き第三位修道女を、この小部屋に連れ込まれたと聞いた時には冷や汗を流しましたぞ。 またかと。 すでに、ご理解している筈ですよね、枢機卿は。 『二度は無い』と、異端審問神官の主幹様より、『お話』は有った筈なのですが? この状況は、前の時と 同様に御座いましょう。 寸前に入室出来た事を、神に感謝なさいませ。 ええ、貴方のご自身の保身が叶ったと」
「そ、そちはッ!!」
「薬師院別當、リックデシオン司祭に御座います。 修道女エルは連れ帰ります。 まったく、何をお考えか。 これ以上の醜聞は、いかな貴族派と云えど、隠蔽する事は難しくありますよ?」
「わ、わたしはッ! そ、そのような事を考えて居た訳では無いッ!」
「別に貴方が『どう考えていた』かが重要なのでは有りませんよ。 周囲から見て、『どう見えたか』と、云うのが重要なのです。 この状況…… うら若き修道女に対し、屈強な聖堂騎士四人に修道士八人…… そして、貴方…… 薄暗い小部屋。 簡易の寝台。 小机の上に置かれている、何かしらの書付。 うむ…… 云う事を聞かねば、身体に判らせる…… と、そのように見えますな。 上申案件でしょうか?」
「ええぃ、そのような事は断じて……」
「そうですか。 では、そのように ご報告 申し上げておきましょう、枢機卿殿。 貴方は、最近教皇猊下の『召喚状』を持つ第三位修道女の確認に来られた。 そして、彼女と言葉を交わし、教皇猊下と彼女の『謁見』を、貴族派の方々の代表として『お認め』に成った。 で、あるならば、もう、彼女には用は無いですね。 エル、行きますよ」
「はい、リックデシオン司祭様」
唖然としている枢機卿様達を残し、リックデシオン司祭様に続いて聴聞室を出るの。 あんな場所からすんなりと出られた事は、とても良かった。 私一人だったら…… まぁ、それでも、拘束系の魔法を使えば、どうにでもなったのだけど、確実に恨みは買うわね。
だから、とても助かったの。
それより…… とても、強いのね、リックデシオン司祭様は。 いろんな意味でね。 相手は枢機卿様と名乗られていたわよね。 でも、階位もずっと下のリックデシオン司祭様に何も言えなかったのよ。 周囲の人達も、微動だにしなかった。 ……ちょっと不思議ね。
「助けて戴いて有難うございます」
「いえいえ。 修道女エルは、大切な『預かり人』。 傷をつける訳には行きませんからね。 そうでないと、大聖女オクスタンス様に私が折檻を受けてしまいます」
なにか又、含みを持たせたお言葉ね。 えっと…… それは、本心から? 読めない司祭様の表情に困惑を感じるわ。 ちょっと小声になったけれど、自然な反応が私の口から漏れ出るの。
「また、御冗談を……」
「冗談ではございませんよ? あの方の聖杖で何度打ち据えられた事か…… まぁ、その時は私の不明が原因でしたが…… そんな事は宜しい。 これからは、もっと薬師院の奥でお勤めをこなしてください」
「はい…… 申し訳ありませんでした」
「こちらも申し訳ない。 あのような強硬策に出るとは思っていなかった。 こちらの危機感の不足です。 謝罪します」
「勿体なく」
「まぁ、このような場所で、歩きながらなど、時を弁えぬ司祭では有りますが、少々願いが有ります」
「はい、お助け頂いたからには、このエルの出来る事なれば」
「良いご返事です。 では直截に。 修道女エルが、外縁部で主導されていた、冒険者ギルドへの恒久依頼を、この王都でも行ってもらいたいのです」
「?? 王都では、薬草類は潤沢に供給されているとお聞きします。 薬師院の倉庫にも、貴重な薬草や魔法草がぎっしりと詰められておりますが? 何故に御座いましょうや?」
「アレ等は…… とても高価なのです。 とても、アレで製薬したモノを、安価に売り渡す事は出来ないのです。 相応の対価を払える方々に、その関連の薬剤の原材料となるべく、浄財を以て買い集めたモノ。 お分かりですか、ここ王都でも、倖薄き人々を癒す事は困難を極めているのです。 外縁部以上に…… ですね」
「それは…… 神様の御意思に反します。 理解しました。 わたくしが持つ伝手と、ギルドマスターの持つ伝手が同一ならば、ご指示通りに動けます。 少々お時間を頂ければ、必ず」
「そう云って呉れると思っておりました。 有難う。 流石は大聖女オクスタンス様の秘蔵っ子ですね。 期待しております」
「出来る限り。 ガンバリます……」
いや、まぁ、その…… その猛禽類の様な目で見詰めないで…… 怖いのよ。 底知れぬ迫力というのが有るのよ、この御仁には。 数々の修羅場を乗り越えた人にある、ある種の迫力と云うか威圧感がね。
思うに……
この方は、単なる薬師院の別當様と云う感じじゃ無いわ。
そう、もっと…… こう……
ちょっと、闇の匂いを感じるのよ。 教会の闇に棲まう方……
だけど、善性の人よ。 それだけは確か。 たとえ、それが、表向きの『顔』だとしても。 言葉の端々に、その為人が透けてみる。 決して『お人よし』では無い。 けれど、慈愛がきちんと心の真ん中にある……
「神官様」
……なのだと。 静々と、リックデシオン司祭様の後に続き、王都薬師院調剤室に戻る。 やはり、私が生きて行く場所は、此処なのだと思える香りに……
――――― 騒めく心が静まっていくのを感じたの。
それも…… ほんのちょっとの間だったけれどね。 物凄い衝撃が心を揺さぶったのよ。 それは、嵐に翻弄される小舟が如く…… わたしの心の中を、ぐちゃぐちゃに搔き乱したの。
リッチェル侯爵領 アルタマイト教会から、夢想だにしなかった『厳重警備付きの荷物』が届いたのよ。
――――― その日の、午後の事だったの。