閑話 2 守護の誓約
大聖女オクスタンス様よりの書状。
思わず唸る。 あの方の秘蔵の愛弟子と、そう記載されている書状は、『ご機嫌伺い』の名を借りた、大きく太い警告の『釘』。 あの幼子を決して政治的に扱うなという、まさに『脅し』の様な文言の連なり。
高々、薬師院の別當たる私に何を期待されているのだろう?
序列としても高くない、それでいて様々な柵に取り巻かれ動きが取れずにいる私に?
司祭の位に推挙して下さったのは、何を隠そう大聖女オクスタンス様。 王都聖堂教会に於いて、血筋も無く、貴族の後ろ盾も無き弱き立場の修道士を聖職者に取り立てて下さったのも、大聖女オクスタンス様。
いまも頭の上げられない御方でもあるのだ。
その方が、私に命じられたのだ。
「第三位修道女エルは、我が弟子。 慈しみ、その神の御業を、倖薄き人へと分け与えられるように整えよ」
と。
―――― § ――――
市井の者達にとって、薬師院は最後の縒り所。 怪我や病を得ても、金銭無くば市井の治療院にすら掛かれぬ者達にとっての最後の砦。 神は全ての人に安寧を齎せとの御意思を決して曲げられぬ。
しかし、現状はそうも云ってられない。
全ての薬や薬剤は、相応の対価を必要とする。 なにも、ここ王都に限った話ではないが、『薬草一束』使おうにも、それを贖う為には、対価が必要なのだ。 王都の生活に掛かる生活費は、王国外縁部とは比べ物に成らない程高い。 まして、王都内に置いては、その差が顕著になる。
王領内での余剰人達や、貴族家の四男以下の者などは、貧困に喘ぐのは、火を見るより明らかなのだ。 いくら王領が広くあったとしても…… 命を張らない『職』には限りが有るのだ。
しかし、かといって、王領の外に出るのも彼等には出来ない。 王領在住者としての、『矜持』がそれを邪魔する。 そして、浮浪者の如くあちらこちらに屯するようになるのだ。 キンバレー王国の構造的問題点だと、云われているのだ。
貧困に喘ぐ者達は、その身を冒険者に落とし、王領内の迷宮に潜る事で生計を立てる。 迷宮内の薬草の採取や、魔物が落とす魔石をギルドで換金し、それを生活の糧とする。 しかし、生業として成立する者は、ほんの一握りなのだ。
ギルドが斡旋する町中の仕事などは、どれも取り合いに成る程に……
迷宮に潜る『仕事』は命懸けの仕事。 怪我や『呪い』は日常茶飯事。 そして、失われる命の多さよ…… 少しでも、それを軽減する為に、王都薬師院では非常に安く薬品を販売している。 が、それも限度がある。
いわば気休め…… 自身の力の無さに、絶望すら感じる。
半面、王城に近いモノ達。 つまりは豪商や一級市民、貴族の方々に関しては、対価を積みさえすればどんな高価な薬も手に入る。 そして、それらを湯水の如く消費されて行くのだ。 その一瓶を生成する為に、どれ程の薬草が、魔法草が消費されるのか…… それだけあれば、どれ程の市井の倖薄き人が救われるか……
高位貴族の奥方、御令嬢の『美容』に必要とか…… もう、どうして良いか判らぬ。 確かに対価はとても高く、聖堂教会の収益の柱でもある事は理解している。
しかし、それは本当に創造神様の御意思に叶う行動なのか…… 常に、自身の行動に疑問を持ちつつも、成さねば成らぬ『職責』として、己の意思を抑え込む毎日であった。
――――― § ―――――
其処に、南方外縁部リッチェル侯爵領から一人の少女がやって来た。 教皇猊下からの『召喚状』を携えて……
いや、私にとっては、その他のモノの方が重要となった。
大聖女オクスタンス様からの『ご機嫌伺い』と、彼女自身の『考課簿』。
『召喚状』は、云わずと知れた、貴族派の枢機卿達が、何処かの大貴族の意思に忖度して、教皇猊下の名を以て、宣下したモノ。 それは、その内容の余りの杜撰さに伺い知れるというもの。 第一、召喚日時すら記載されて居ないモノによくぞ応えたと、そう溜息を落とす。
教皇猊下の御身体の不調は、もう随分と前からの事。
御傍に侍る枢機卿達の思惑を知ってか知らずか…… すでに、教皇猊下の御意思とは思えぬ宣下も幾度も出されている。 教皇派の枢機卿様方も居られるが、その主だった者達は皆王領の外の大聖堂に枢機卿大司教として赴任されている。
そう云えば、アルタマイト教会、大聖堂もオズワルド大司教が赴任されておられたな。 あの方は、稀に見る聖職者であらせられた…… 教会内の政争には無頓着で、常に神と精霊様方に祈りを捧げておられたと…… 記憶している。
その娘は、アルタマイト教会所属の第三位修道女にして、第五級薬師。 そして、大聖女様の愛弟子という。
其処に、大聖女様の大きく太い『釘』。
私は…… どうすれば良いのだろうか。
―――― ふと、同時に提出された『考課簿』を見出す。
ベルクライス南方街道を北上する様に、各地の聖堂、小聖堂、教会、祈祷所の首座たちの考課が書き綴られている、分厚い『考課簿』。 半年の間、ずっと旅を続けながら、各地の聖域に於いて勤めを果たし、祈りを捧げていた事が理解できるモノだった。
そして、その道程を追う事で見出したモノが有る。
単なる『考課簿』では無いと。
これは、まさしく、『聖女研鑽の儀』である、『諸聖域巡礼』に他ならないと。
―――――― 精査した。
各地の聖堂の首座が綴った、その内容を。 見知った者の名も幾つも見出した。 そして、各地の聖職者の意見は一致する。
―――― 神の意思に沿う者である ――――
うっ、と声が漏れる。
研鑽の内容もまた千差万別。 しかも、冒険者ギルドとも友好的で、外縁部のギルドとの間に有効な継続依頼も結んでいた。 手隙の時に薬草や魔法草を採取し、ギルドに提出。 その薬草や魔法草を各地の薬師院、薬剤局にギルドが無償で引き渡す。
その薬草を以て、製薬を成し、無償でギルド所属の冒険者達に配布すると……
珍しい薬草や魔法草では無くともよいと。 取り敢えず量を確保すると。 市井の薬師もその薬草や魔法草を利用できると。 出来上がった薬剤を寄進する事で、利用権限を与えていると。
物々交換という、そんな内容では有るが……
有用な方策だった。
その手が有ったのかと…… 舌を巻く。
それが、あの幼子の発案だと? 事の発端を確認すると、驚くべき事実が浮かび上がる。 その幼子…… 『治癒の秘術』が使えるのか……
大聖女様の思し召しが、ストンと心に落ちる。 成程、そうか…… これは、秘匿せねば。 秘匿せねば、この女児は貴族派の目に留まって『利用』され、骨の髄までしゃぶられるか、貴族に『売り渡される』。
――― ならば!
急ぎ、教皇派の枢機卿の中で、まだ王都大聖堂に居られる方と連絡を取る。 大聖女オクスタンス様の名を出せば、嫌も応も無い筈なのだ。 あの方とて、大聖女様には頭が上がらない。 すぐさまに、繋ぎを付け、私が理解した事を告げる。
あの幼子の自由を守るのは、我等の責務。
あの幼子は、大聖女オクスタンス様が見出した……
『秘匿されし聖女』
なのだ。 市井に光を届ける、慈愛深き『聖女』なのだ。 表向きの、お飾りなどでは無い、本物の慈悲の心が漲る……
” 『聖女』様 ”
なのだと…… 私は枢機卿大司教様へ告げた。
私の神名『リックデシオン』 を以て。
一連の諸手続きは、貴族派の枢機卿の眼を盗んで完了した。 あぁ、完了させた。 私の持つ手札を幾つも切り、第三位修道女エルの自由と研鑽を護れる、王都での立場を確立した。 もう、聖堂側から何を言ってきても遅い。 エルは…… 聖女エルデは、アルタマイト教会所属の第三位修道女にして、『秘匿されし聖女』。
その事実を覆い隠す幾つもの 『厳重秘匿事項』の誓約の数々。 彼女の素性を明かしたくば、十八人委員会を開催し、満場一致となる決議が必要としたのだ。
ふふふ……
ははは……
大聖女オクスタンス様。 貴女が導いて下さった通り、私は教会の規範を習得しましたよ。 ええ、ええ、悪辣と云われようと、策謀家と蔑まれようと……
貴女の大事な人は、決して雑多なモノに、引き渡したりはしません。
王都薬師院 別當 司祭リックデシオンとして、神と精霊様に誓約を申し上げた。
薬師院の祈りの間に於いて、跪いて頭を垂れ手に印呪を結び一心に奏上する。
” 我、神名リックデシオン。 我が名を以て、神名エルデの守護を司らん。 彼の者、市井の倖薄き人々の希望の光。 我が名と我の成せる技、全てを以て、彼の者を守護せん ”
久方ぶりに捧げる、神と精霊様への言祝ぎ。 薄汚れた私の声は、神様に届きはしまいが、それでも尚、私は祈りを捧げずにはいられなかった。
しかし……
驚く事に、私の『祈り』は、聞き届けられた。 違えられぬ、『誓約』として…… 精霊様方は、『お認め』下さったのだ。
” 善き哉。 リックデシオン。 精霊はその誓いを受け取る。 此処に、精霊誓約が結ばれた ”