閑話 2 そのモノの神名は、『 エルデ 』
アルタマイト教会 薬師院。 別當執務室にて、隠居している大聖女オクスタンスは、物憂げに傍に控える筆頭修道女マルエルに問い掛ける。 窓に覗く青く高い空を見遣りながら、物憂げに、心配そうに。
「エルは…… 王都大聖堂に着いたようね」
「はい、その旨が今朝方、王都薬師院よりの鳥便りで、報告が在りました。 第三位修道女エルは、恙なく 『アノ試練』を乗り越え、王都薬師院に到着したそうです。 王都の薬師院別當、リックデシオン司祭様直々の書状に御座いました」
「リックか…… あのモノの下に付くと云う事ね」
「はい、教皇猊下の御前に伺候する迄、まだ少々時間が有る様なのです」
大聖女オクスタンスは、さらに物憂げな表情を深める。 彼女が手に入る王都の情勢は、アルタマイト教会大聖堂筆頭である、枢機卿オズワルド大司教から齎せる、『お話』に拠るところが大きい。 お話は始終穏やかな会話で行われるが、その内容はとても穏やかとは言えないモノであるのも又事実。 王都での王都大聖堂内の権力闘争が、過去とは比べ物に成らない程激化していると、そう告げられていた。
「そう…… また、あちらでよからぬ事を画策している『御仁』が居られる様ね」
「ええ、貴族派の枢機卿様方が幾人か。 早々にフェルデン侯爵家からの接触が有ったそうです」
「エルに?」
「いえ、まだそこまでは。 大聖女様の『ご機嫌伺い』が、あちらの別當様には効いた様にございます。 まずは教皇猊下との謁見を済ませねば、王都に召喚された意味が無いと、そう上申しておられるご様子。 それまでの間、第三位修道女エルは、彼の地の薬師院にて『勤め』を果たすとの事でした」
「あの子は…… まだ、『その力』を隠したままでいられるのね」
「……左様に。 時にあの『考課簿』は、速やかに大聖堂の然るべき枢機卿様に渡された由」
「つまりは…… 内々にではあるけれど、聖修道女マルエルが起草し想定したとおりに?」
「はい。 聖女研鑽の儀である、諸聖域巡礼の旅は恙なく終了し、各地の聖職者により、エルが『勤め』に励んだとそう記されていたと。 そうお手紙には記載されておりました」
「……期せずして、『聖女』の資格を盤石と成した。 マルエルが思惑は、成ったと」
「はい。 これで、エルが十八歳になった折に、正式に聖修道女となり、さらには、『聖女』の尊称を受ける下準備が終わりました。 大聖女様が手塩にかけた次代の大聖女となるべきモノですので、万全を期さねばと…… そう思いました」
「『枷』にならなければよいのですが……」
「はい?」
物憂げなオクスタンスは、遠く高い青い空を見ながら、自身の心情を吐露する。 それは、紛れもなく、第三位修道女エルに対する『愛情』であり、幼くも自身の後継を託する事が出来る者への『慚愧の念』というモノでもあった。
「アレには…… 教会で地位を求める心は無いのです。 只、一心に創造神様、精霊様方への感謝と清冽な祈りしかありません。 よしんば、わたくしが教えた『術式』を上手く扱えて、『聖女』としての資質を開花させようとも、あの子はあの子。 天と地と人の間を繋ぐモノに他ならないのです。 『浄化』『聖域展開』が出来ようとも、それは、あの子が必要と思うならば、なんの制約も無く『行使』できるあの子の『独特の力』。 それが、あちらの者達の目に留まれば、只事ではすみますまい」
「……それで、基本的に【浄化】の魔法の ” 行使 ” を、禁じられたのですね」
「あの子があの子でいられるようにと、そう願いました。 あの子は…… 何かの『使命』を帯びてこの世に産まれ出たモノ。 それは、わたくしでも読み通せませんでした。 しかし、その使命は相当に過酷なモノであったと思われるのですよ。 この婆が、あの子にしてやれるのは、その過酷な未来を少しでもそらしてやる事。 それが故にわたくしの《術式》を教えました」
「大聖女様は、それほどまでに……」
「創造神様は慈愛の神様です。 我らはその神様の御手先。 神様の御意思はこの世界を安寧に保つ事。 ならば、別にあの子は教会に所属して、生き続ける事も無いでしょう。 あの子の意思の儘、あの子に告げられる『託宣』の儘に、生きるのも、伴侶を得るのも、善き事だと思うのです。 この世界の理が何かしらの意思により、歪められているようにも感じるのですよ」
「つまり…… 大聖女様も抗われているのですか?」
「そうかもしれません。 あの子の倖せを願うならば、王都になど行かせるべきでは無かった。 それだけは、今も思うのですよ、マルエル。 しかしながら状況はそれを許さなかった。 許しはしなかった。 つまり…… 何かしらの『意思』が其処に介在するのです。 大聖女の力を以てしても、それは変わらなかったと…… だから、心配なのです。 あの子が、蜘蛛の巣の様に張り巡らされた、王都の聖堂教会の思惑の糸に絡めとられないかと」
窓の外から視線を聖修道女に向け、静かに言葉と紡ぐ大聖女オクスタンス。 真剣な面持ちと、真摯な言葉に、筆頭修道女マルエルは気圧される。
「あの子の道行きは始まったばかり。 このまま何事も無く、恙なくあの子が倖せを見出せるとは思えない。 しかし、わたくしは、あの子に『笑顔で生きて行って』ほしい。 さながら、凶悪な運命に捕らえられたと思しきあの子に…… マルエル。 あの子が『資格』を得たならば、あの子に私の、『上位巻物』を贈りましょう。 それが、あの子の『力』になるのならば。 秘匿し、必要な時に使用する様にと、言の葉を添えて。 宜しいか」
「御意思の儘に。 では、わたくしも、彼女に贈りましょう。 わたくしが継承している、第一位薬師の蔵本を。 エルにとって、それも又 『力』と成りますでしょうし」
「善き哉。 あぁ、善き哉。 神様の祝福あらん事を」
二人の高位女性神職が、薬師院の執務室の中で真摯に祈りを捧げる。 ふいに天啓が降りる。 黄金色の羽根が二人に降り注ぎ、荘厳な鐘の音が響き渡る。 大聖女の祈りと、筆頭修道女の祈りが神に届いたのか、精霊様方の息吹を乗せた、 『 託宣 』 が降りる。
” ……神に届きし『聖人』が祈り、創造神これを聞き届けたり。 善き哉。 神名エルデに我らが祝福を。 我等精霊の名を以て、彼の幼子に加護を。 以て、アノ幼子を『秘匿されし聖女』と成す ”