エルデ、旅立ちの日に『祈り』を捧げられる。
でも、エバレット様は今、おかし気な事を仰ったわ。
『唯一の娘と、思っていた』と。
司祭様は、仰っていた。 呪いを受けて倒れられたエバレット様を見守っていたのがご息女だと…… おかしい。 何か重大な齟齬が有るように思える…… 思わずと云った感じで、エバレット様に問い掛けてしまったの。
「あ、あの…… 倒れておられた間、エバレット様を御世話しておられたのは、御息女のマリエネッテ様とお聞きしておりますが?」
「マリエネッテ? 知らないわ。 だって、わたくし、男児しか産んでおりませんもの。 そのマリエネッテとは、何方なのかしら?」
しきりに不思議がるエバレット様。 その時、突然、御屋敷の中に悲鳴と怒号が響き渡る。 静謐に清廉に清められたエバレット様の御部屋は、その喧騒から遠く離れているのだけれど…… 突然ノックの音が激しく打ち鳴らされる。 部屋の扉の向こう側から、男性の野太い声が響いてくる。
「エヴァ! エヴァ!! 入れてくれ!! 我は、我等は!!」
「旦那様…… 大丈夫ですよ。 わたくしは生きて居ります。 ……企んだモノに、〈神の鉄槌〉が下ろされ打倒されただけの事」
「エヴァ!!」
扉が開けられ、数人の男達が雪崩れ込んで来たの。 アーバレスト上級伯爵様と御継嗣、及び御子息達ね。 皆さん血の繋がりを思わせる良く似たお顔立ちだもの。 殿方はエバレット様のベッドの周囲を取り囲まれ、口々に謝罪やらなんやらを紡ぎ出して居られた。
家族の時間…… そう思って、静かに、その場を離れたの。
もう、私のすべきことは無い。 だから、皆さんにお任せするのが筋というモノ。 だけど、私の心はとても温かに成っていた。
だって、私を私だと認識して下さる人が、今も居たんですもの。 そして、その方は、私が何者で在ろうと、何を為そうと、エルデである事に変わりないと、そう仰ったのと同じだったんですもの。 だから、私は前を向けるの。 そして、わたしの歩む道が間違っていないと、心底思えたんですもの。
――― § ―――
それからアーバレスト上級伯爵領は、上を下への大騒ぎになっていった。 半面、私は静かに出来た。 疲れ切った身体を休める為に、アーバレスト教会の薬師院に数日お世話になったわ。 ほんとに今回もギリギリだったの。
一日は、それこそほとんど眠って過ごしたわ。
二日目からは『朝のお勤め』と、『夕のお勤め』の他は、宛てがわれた御部屋で休息を取らせていただいた。
三日目からは、お勤め以外に薬師院にて薬剤の製剤のお手伝い。 備蓄の少ない薬品を中心に、色々と製薬して納めさせて戴いたの。
周囲の小教会や聖壇への寄進も、やはり私の業を以て行うの。 第五級薬師としては、いい仕事したと思うわ。 真摯に祈りを。 御加護を頂いて、薬剤に符呪していく。 その想いは深く静かに染みていく。 私は、私の成すべき事を成した迄。
街が落ち着きを取り戻し、様々な人や商家が、成した罪の罰を受けた。 今回の混乱に置ける黒幕は、まだ判明していない。 けれど、きっとそれは成される。 ”天網恢恢疎にして漏らさず ”の言葉は、伊達では無い。
私が私の魔力と祈りのほぼすべてを捧げ勧請した〈神の鉄槌〉は、どのような策を弄そうとも、いずれその鉄槌は…… 打ち下ろされるもの。 【呪詛】には、その呪詛を誰に行うか、そして、誰が呪うのかを指定しないと、決して発動しない。 〈呪い返し〉は、どんなに巧妙に避けていたとしても、『呪う意思』が【呪詛】に書き込まれている限り、絶対に〈呪い返し〉が成立するの。
――――§――――
体調も万全と成り、いよいよ旅の再開の日。
旅立ちの日の朝、体力がまだ完全でないエバレット様が教会の薬師院にお越しになったの。 供回りは厳重を極め、なんと一個中隊の領兵が固めていたのよ。 その上、聖堂騎士、戦闘修道士様なんかもほぼ全員投入されて、物々しい雰囲気の中、教会へ参じられたわ。
聖堂に於いて、今回の出来事に対する神様、精霊様への感謝をお示しになる為に、祈りを捧げられた。 周囲の皆さんも一緒にね。
聖堂に於いて、領主様一家以下門下、連枝はおろか、家臣も一斉に祈りに参加しててね、聖堂を十重二十重に取り巻いたのよ。 壮観だったわ。
祈りの時を終えたエバレット様は、教会の中でちょっとした移動をされた。 ええ、そうね、薬師院へお越しになったの。
決して二人きりには成らないの。
司祭様が表立って、表敬訪問に対応されておられた。
皆の献身で此度の事が解決されたと、とても深く感謝の意を述べられているエバレット様。 その視線はその感謝の意を受けられている助祭様へ…… では無く、なんと旅装を身に着ける私へと向けられていたわ。 そして、その視線を司祭様も当然のモノだと、受け取られているの。
―――― なんでも、あの日……
私が放った〈神の鉄槌〉によって、別室で休まれていたマリエネッテ様…… いえ、” 年老いた呪詛師 ” が、その姿を顕わにして、更に、〈神の鉄槌〉による『呪詛返し』をまともに喰らった事により、とても悲惨な最後を遂げたのを助祭様は、見知っていたから。
更に、彼女の自身がその身に刻んだ『認識阻害』の魔法術式も崩壊して、真の姿が白日の下に表されたとの事だったわ。 彼女…… というか、その呪詛師は、南部諸領でも指名手配されていた、そんな呪詛師でね…… かなりの大物だったって事が判明したの。
当然、その様な大物を雇えるのは、それなりの金員と『社会的地位を持った人』と云う事で、領を挙げての捜査と成ったんだって。 そして、かなりの数の人と商家が消えたの。 更に、上級伯爵家では手が出ない『対象』の方も居るらしくて……
―――― それが大騒動の元なの。
でも、相手は判った。
ならば、備える事も可能となった。
故に……
その端緒となった、私の成した事に、深い謝意を伝えられる事は、司祭様、助教様、司教様、大司教様にとっては、当然の事だと云う事。 ただし、私を表に出して賞賛する事は出来ない。 何故なら、上級伯爵様でさえ手が出せない相手がまだ居るから。 深く静かに、私の成した事を隠匿する事にしたのよ。
私の安全を慮ってくださった結果よね。
アーバレスト教会の最上位たる大司教様からその事を伝えられたのは、出発三日前。 謝罪と共にそう語られたの。 私としては、とても良い事。
安全も配慮もそうなんだけれど、あの術式を行使した事を大聖女様に知られると……
ちょっと、不味いどころの話ではなくなるもの。
盛大なお叱りを受ける事になってしまうだろうしね。 穏やかに笑いながら、全ての御配慮を受け取ったの。
――― § ―――
「この領と、我が家名を穢す企みは破れました。 それは、尊き行いにより成されました。 わたくしは、感謝を以て教会に…… 旅路を続ける修道女様に、道行きに幸あらん事を祈り捧げました。 ありがとう。 わたくしを救ってくれて。 そして、領を救ってくれて。 民に慈しみを与えてくれて。 いついつまでも、わたくしは祈り続けましょう。 貴女が貴女でいられるように」
エバレット様の最後の御言葉は明らかに私に向けての御言葉。 事情を知る人達は皆深く頭を垂れ、その御言葉を頂いたの。 無論、私もね。 それが、配慮に対する私のお応えなんですもの。 ギリギリを狙ったエバレット様の御言葉は、深く胸に刻まれたわ。
有難うございます。
私は幸せ者です。
私の道行きを祈ってくださいます方が居られる事を……
―――――― 心の底から嬉しく思います。