エルデ、驚愕する。
―――― アーバレスト上級伯爵様の御邸に到着する。
物々しい雰囲気の中、わたしが教会関係者だとは、その修道女の旅装から直ぐに理解して戴いた。 旅の途中ではあるけれど、わたしがアルタマイト教会の薬師院所属なのは、聖杖の徽章からも知れるから、直ぐに中の聖職者様方に連絡が付いた。
問題は、私がエバレット様の治療に携われるかどうかって所なの。
所属違いの薬師院の修道女が、治療に当たるのは当地の教会にとっては面目を失わせる事態に違いないわ。 でも、面子で病を得た者を救える訳が無い。 大聖女様はその事をよくご存じで、等しく癒しの術を持つ者には、ご自身の術を、お伝えされて居たもの。
当然アーバレスト教会の方々もご存じなのよ。
だから一縷の望みをかけて、彼の方々にご相談するの。
「薬師院で、此方に向かう御許可を頂き参じました。 その折にはこれを見せよとのお言葉です」
エバレット様のいらっしゃるお部屋の続きの間で、此方の薬師院別當の司祭様に、大聖女様の書状をお渡ししたの。 ちょっと目を見開いていて、なんだか驚いた顔をされて私を見詰めておられたの。
「聖女様の『御業』をお使いに成られるのか?」
「魔法術式にて、聖女様の御力の一部を行使できます。 大聖女様の御近くでの勤めに必要な事でしたので」
「成程…… 一つ、聞いても宜しいか?」
「何なりと」
「第三位修道女エルは、『呪い』に関してどれ程の知識が有りますか」
「基本的なモノについては、書籍にて勉強致しました。 また、リッチェル領、領都アルタマイトの冒険者ギルドに於いて、冒険者の方々が『お仕事』の最中に受けられた呪詛に関しての解呪の経験は御座います」
「……左様ですか。 それならば……入室も可能か」
「と云いますと?」
「今、エバレット様の身体から、様々な『呪い』が紡ぎ出されている状態です。 何が原因なのか探る前に、聖職者が次々を呪いを受けている状況なのです」
「……どの程度の強度の呪いなのですか?」
「強度としては、それほどのモノでは有りませんが、なにせ種類が多岐に渡って居て……」
「ならば現在、エバレット様の御傍に就いて、お世話を成されている方は?」
「ご息女の、マリエネッテ様お一人。 先天的に呪詛耐性の強い御方ですので。 しかし、それも限界です。 既に、彼の方も幾許かの影響が出ております。 高位神官が解呪を成して、如何にか…… という所。 今は自室にてお休みになって居ります」
エバレット様の御息女様かぁ…… きっと領で大切にお育てに成っていたのでしょうね。 寡聞にしてエバレット様に『ご息女』が、おられたなんて聞いていないんですもの。 この領特有の教育方針が有るから、領邸の奥深くで護ってらしたんだと納得したのよ。
「理解致しました。 では、此方で呪い除けの魔法陣を組み、発動させてから入室いたします」
「良しなに。 もう、かれこれ二週間。 エバレット様も限界に近い。 藁をも掴む気持ちでいるのです。 どうか、どうか、聖女様の『御力』を……」
「わたくしの最善を尽くしたいと思います。 早速取り掛かります」
もう、何も考えない。 目の前に危機に瀕した貴人が居られる。 辛うじて、この世に繋ぎ留められている魂を御救いせねば成らない。 神様、精霊様が御止めに成る様子もない。 ” 次の世界へと導け ” と云う、「託宣」の類も無い。 つまり、エバレット様は、現状、遠き時の彼方に向かわれるべき人では無いと云う事。
密かに口の中で紡ぎ練り上げた魔力を以て、『呪詛除け』の術式を組み上げる。 組み上がったと同時に私の魔力を中に注ぎ入れ、発動。 周囲に不可視の結界が張られる。
隣室に続く扉の取っ手に手を掛ける。
早速、パチパチと『呪い除け』が発動しているわ。 もう、部屋の中一杯に呪詛が飛び回っていると云う事。 素早く体を扉から滑り込ませ、部屋の中に入るの。
部屋の中は暗く、嫌な臭いもした。 これは、何かを腐らせる『呪詛』の一つ。
――― もう、もう、もう!!
何よ、コレ!! こんなに色んな呪詛が一度に噴き出しているなんて、おかしい!!
エバレット様がお休みになっているベッドの周辺には更に多くの『呪詛』が渦巻いている。 こんな中に、エバレット様を置いておくのは、絶対に嫌。 誰も居ない私とエバレット様だけの御部屋の中。
――― ならばッ!!!
バチバチと云う、『呪い除け』の結界外側。 状況は最悪にして、予断を許さない。 このままであれば、最悪日暮れには、呪詛がエバレット様を喰い尽くす。 許せない。 そんな未来など、絶対に許す事など出来ない。
瞳が熱く燃え上がる。 修道女のベールの内側で、髪の毛が逆立つ。
感情が大きく波打つ。 貴族の教育に於いて、何よりも忌避せねば成らぬと云われた事。 大聖女様も、巨大な魔法を紡ぐときには、禁忌であると云われた事。
でも…… でも…… 私は……
私の心を救ってくださった方が落ち込まれているこの状況に、強い怒りを覚えてしまう。 感情の制御が出来ぬなら、その強い感情を以て、術式を発動する。 心強く、祈りを以て、強大なる敵に……
―――― 【神の鉄槌】を落とすのだ。 ――――
床に強く聖杖を打ち据える。 カシャンと聖杖が鳴る。 音が広がると共に、周囲の「呪詛」が引く。 呪い除けの結界の中が、一時【聖域】と化す。 両手に聖杖を持ち、目の高さに引き上げ、紡ぐは大聖女様より受け継ぎし、『聖女が祈り』。 秘匿せよと思召した、私の秘密。
「聖女が魔法【清浄】【浄化】【快癒】。 神様、精霊様方の御力を持って、此処に展開す。 我、エルデが魔力を以て、尊き人の命…… 繋ぎ留めん」
水平に持ち上げる聖杖から、重複した魔法術式が繰り出される。 【解呪】【清浄】【浄化】【快癒】。 次々と紡ぎ出され、私の周囲に浮かび上がり、順次わたしの魔力が充填される。 強い感情の儘、それらの術式を次々と起動させていく。
神様の御意思。 精霊様の御加護。
強い神気をこの場に召喚し、発動させた魔法陣に上乗せしていく。 【不壊】の符呪式。 それらの術式は、私が詰め込んだ私の魔力に応じて、拡大していく。 この屋敷を全てその範囲に含むように。
―――― バリバリバリ
強く、強く、さらに強く。 拡大した魔法陣に更なる魔力を注ぎこむ。 怒りが私を強くしている。 練り込んだ魔力は、それに応えてくれている。 熱い両目と、逆立つ髪から、青白い稲妻が迸る。 神の鉄槌。 穏やかな貴婦人に対して行われた、こんな【呪詛】なんて、吹き飛ばしてやるッ!
誰が、どんな目的で、こんな事をしたのかは判らない。
でも、誰かがそれを成した。
許せるモノでは無い。 いいえ、必ずその報いを受けてもらう。 それが、私の意思。 大切な方を…… 私の心を救ってくださった方を、必ずや、必ずや!!
「神の息吹にて、邪なる者を滅さん!!」
――― 目の前が白濁する。
強い神気と、精霊様の御加護が渦巻き、この屋敷を押し包んでゆく。 何も見えないのに、何もかも見える不思議な感覚。 エバレット様が眠って居られるベット。 そして、エバレット様がお着けに成っている、サークレットに神気が集中し、それを打ち壊す。
周囲に充満していた「呪詛」達が、聖なる光に焼かれ、昇華していく。
エバレット様を包み込む柔らかな光。
細い腕や、痩せ細られたエバレット様が浄化され、快癒の術式が上乗せされる。 強い光が薄らぐ中、私はエバレット様の御傍に向かう。 ちょっと疲れたわ。 足取りは重く、ゆっくりしか近寄れないんだけれど、それでも…… 這ってでも行くつもり。
聖杖を片手に、背嚢側部のポケットを探り、体力回復の水薬を引き出す。 大回復、高濃度の上級薬だもの、きっと、きっと……
やっとの思いでベッド脇に辿り着き、サイドテーブルの上に在った吸い飲みに、水薬を注ぎ込む。 そっと、エバレット様の御口に持って行き、囁く様に言葉を掛ける。
「お飲みください。 少しでも良いので、お口をお付けください」
「う、うぅぅん……」
苦し気な息遣いの中、エバレット様は吸い飲みの口から、水薬を一口。 喉がゆっくりと上下し…… 飲み込まれた。 良かった。 本当に良かった。 ” 生きるんだ ”と云う、ご自身の御意思を示された。 たった一口。 されど、その行為は、ご自身の気概を体現していたんだもの。
「ゆっくりと、ゆっくりと…… お飲みください」
「え、えぇ……」
意識が朦朧とされてはいるけれど、水薬を飲む事に、力強さが乗る。 体力がほぼ無くなっていたエバレット様に、高濃度の体力回復薬が注がれる。 緊急避難的な処置だけど…… コレが正解。 怪我をなさっている訳でも、病に冒されている訳でも無いエバレット様だもの。
あの呪いを実行したモノは、エバレット様の衰弱死を狙っていたと思えて仕方ない。
だったら! その思惑を必ずひっくり返してあげるわ。
ゆっくりと嚥下される体力回復薬は、エバレット様の身体の隅々に至るまで行き渡り……
「ここは? わたくしの部屋ね。 なぜ、わたくしは寝ているの?」
「御目覚めに成られましたか、エバレット様」
「ん? なぜ、わたくしの部屋に修道女様が?」
「はい、教会と大聖女様の思し召し。 神と精霊様の御導きに御座います」
「こ、こんなはしたない姿で…… まことに…… しかし、一体、何がわたくしに?」
「どうやら、誰かから呪詛を受けられたご様子でした。 さらに、周囲の認識もあいまいにさせるような呪いも検出出来ました」
「……今、思い出せるのは…… 商工ギルドの会合に出席したところ迄ですわ。 うむ…… そこで何かを噛まされたと云う事ね。 狸に狐ばかりだから…… でも、私を弑しても……」
「混乱を狙う輩でしょうか。 エバレット様を亡き者にすれば、当然アーバレスト上級伯爵様は常軌を逸しますし、まして、自身が救う事すら成されて居なかったと成れば…… ご自身を苛む要因となりますでしょ? とすれば、エバレット様を愛する上級伯様は狂乱に陥られる」
「つまりは…… このアーバレスト領を混乱に落とし込むために? 度し難い。 誠に持って度し難い。 王都の厨を潰せば、どのような事になるかッ! はっ! 外国の思惑でしょうか…… いえいえ、それとも……」
「それは、判りかねます。 が、〈神の鉄槌〉を召喚致しました。 此度の事を画策したモノに、【呪詛返し】が発動します」
「成程…… それは、有効な手段ね。 流石は…… リッチェルの宝珠ね」
「はっ?」
息を呑んだ。 だって、私の事を…… 私が…… 誰で有るのか、しっかりと認識されていたの。 真っ直ぐに見つめる蒼い瞳に強い光を載せ、私を見詰めるエバレット様が、ゆるりと言葉を紡ぎ出される。 あたかも、当たり前の事を云うが如く。 そこに、真理が有るが如く……
「判らぬとでも? わたくしが唯一の娘と、思っていたのよ? 男児ばかり産んだわたくしが、エルデ=ニルール=リッチェル様を、どのように思っていたか、夫も知っていたわ。 貴女がリッチェルから放逐されたと聞いて、どれ程嘆いたか。 今は修道女の『エル』でしたね。 ……そう、貴女は自身の道を見出したのですね。 それも又、貴女の決断ならば、仕方のない事。 でも、生きているならば、わたくしは何も言いません。 それが嬉しいのですから」
「エバレット…… 様…… わ、わたくしの事が…… お分かりになるのですか」
驚いた…… 本当に驚いた。
自身の事を明かさずにいたのに……