エルデ、困難に直面するも、心に光を灯す。
リッチェル侯爵領をトコトコと歩く。 トコトコ、トコトコ。 王都ガングレーバス迄の道程は、侯爵家の馬車で行っても一週間。 街道沿いを走る駅馬車に乗ったら、二週間もかかる距離に有るのよ。 それを、私は私の足だけで歩いて行くの。 トコトコ、トコトコってね。
―――― 旅装はその為のモノ。
何時いかなる場所でも、私が教会所属の第三位修道女であると云う証が必要なの。 勿論、山賊やら盗賊、野獣、魔獣なんかは、お構いなしに襲ってくるだろうけれど、街道沿いを歩んでいく限り、衛兵さんは常に見回っているし、なにより『危ない場所』には、近寄るつもりも無いわ。
それと、日が沈んでからは、道行きを進めない。
点在する教会は『神の家』であり、私達の聖職者のいる場所でもあるの。 だから、日が沈む前に道程の次の教会を目指す事に成るの。 出来る限り野宿はしない。 大聖女様から、特にと『お約束』した、大切な事柄なのよ。
だから、一日の踏破距離は大したことないの。
朝、お日様が昇ってから、次の教会への道をひたすら歩くだけ。 沢山ある教会や小聖堂、そして聖堂を経由して、王都ガングレーバスに向かうのよ。
―――――
大切な御役目も頂いているんだもの、それを成す事も又、私のやらないといけない事。 大聖女様からお預かりした「御挨拶状」を、各地の教会の代表者にお渡しする御役目を授かったんですものね。
色々な場所からの『合力』の願いを受けられる大聖女様。 余りにも遠かったり、困難な薬品の生成を依頼されたら、さしもの大聖女様でもお断りに成られるのよ。 あちらも『ダメ元』でのご依頼だったのかもしれないわ。
でも、そこはちゃんと『ご挨拶』しておかないといけないわよね。 ご高齢の大聖女様が直接伺う事は出来ないから、私が代理としてお伺いすると云う事ね。 判った。
で、『考課簿』ね。
旅の間に何かを成せとの思し召し。 する事は山ほどあったのは、旅立って数日もすれば自ずと理解出来てしまうのよ。 小教会の薬師所では、医薬品の在庫が払底して、病で困っている方々に、お薬をお渡し出来ないの。 薬師の免状を持った聖職者が少ないと云うのも有ったし、そもそも、製薬出来る『魔力』を振るう事が出来る人が少なかったのもある。
幸いな事に、私はリッチェル侯爵家で、魔法の勉強もしたし、大聖女様の元で色々なお手伝いをした事で、第三位修道女としては異例な事だけど、薬師の免状を取得する事が出来たのよ。 まぁ、お手伝い程度の事だけど、ちゃんと巻物を見て、ある程度の医薬品の生成は出来る様にして下さったんだものね。
大いなる神様の御手の代わりに、私達聖職者が困難に直面する民に慈愛の手を差し伸べるのよ。 ええ、コレは『お務め』。 教会の中でするか、外でするかの違いだけで、やって居る事はいつもと同じ事よね。
でも、少し困った事が有ったの。
お薬の元となる、『薬草』の入手が困難な事。 領都教会だったら、修道士様方が鍛錬の傍ら、森やら迷宮から色々な薬草を入手されて居たし、なんなら、教会薬師院の裏庭に薬草園も有ったんだもの。 製薬に必要な薬草は、そんなに困らず手に入れる事が出来たの。
でも、旅の中ではそれは望めない。
立ち寄る教会、小聖堂、聖堂に所属する薬師所、薬師局、薬師院にも、余分な薬草は無かったのよ。 それに、第五級薬師すら居ない各教会神殿では、薬草をそのまま使うような事までしていたの。 正直言えば、目を覆いたくなるような惨状ね。
必死に辺りを探索して、使える『薬草』を探し出して、自前で製薬していったのよ。 でも、限界もあるわ。 小さな教会に担ぎ込まれた、生まれて間もない赤子が、真っ赤な顔をしてフーフー言っているの。 かなりの高熱で、見るからに危ない状態だったの。
大人では大した事には成らないけれど、赤子が生きて行くには、どうかなって『桜華熱病』。 でもね、やらなくちゃいけない。 特効薬は有るけれど、今その『お薬』は無い。 生成しようにも元となる『薬草』と『魔法草』が無い。
熱を取り除くだけの為に、魔法で手から紡ぎ出した『聖水』を浸した手拭を額に当てる。 今この赤子に早急に必要なのは、解熱剤。 解熱剤のレシピは知っているし、それを作り出す事も出来るのだけど、残念ながら材料たる『薬草』も無いの。
後は出来る事は唯一つ……
「少々皆様に障りが有ります。 この赤子と、私だけにしてください」
「そ、そんなぁ…… うちの子は、うちの子はッ!!」
「大丈夫だとは言い切れません。 出来るだけの事は致します。 しかし、皆さまが此処に詰めておいででは、如何ともしがたいのです。 どうか、どうか…… わたくしに、この赤子の命…… 預けて下さいませんか?」
「何をするってんだいッ!」
「精霊様に直接、お縋がり致します。 その術も又、大聖女様の元で研鑽いたしました。 赤子が生きたいと云うのならば、精霊様は必ずや『御力』をお貸しくださいます」
「…………お、お願い!! やっと出来た待望の子なのよ!!」
「はい、わたくしの全力を以て」
「お願い、お願いします!!」
泣き縋る赤子の母さまは、無理を言って薬師所から出てもらったの。 ちょっと、一般の人には見せられない『事』をする為に。 私の余りにも真剣な表情に、その教会の助祭様も固唾を呑んで見守ってくださっていた。
――― よし、やる。 やり切って見せるわ。
薬師所の寝台に、今にも命の炎が消えそうな赤子を載せ、その周囲に大きな魔法円を紡ぎ出したの。 聖句を口に、精霊様の顕現を願う。 魔法陣に私の魔力を注ぎ入れ、起動させる。 クルクルと回る魔法陣。 光の手が伸び、赤子を抱くの。
薬師所の天井から光の羽根が降り…… 光の手に抱かれた赤子にそっと触れていく。
「薬師が魔法【清浄】【浄化】【快癒】。 精霊様方の御力を以て、此処に展開す。 我、エルデが魔力を以て、幼き命を繋ぎ留めん」
フーフーと息をしていた赤子。 光の手に抱かれたその子の顔から赤みが取れる。 反対に私の体の中からごっそりと魔力が抜ける。 でも、止めない。 倒れそうになりながらも、一心に祈り、魔法陣を回す。
段々と血色がよくなる赤子。 自分が何かに包まれるように抱かれてる事が認識出来、それが、愛する母では無い事に気が付く。 元気な…… 本当に元気な泣き声を上げ、母を探し手を伸ばすの。
―――― ホッとできた。
よし。 大丈夫。 この赤子は生きる事を諦めなかった。 強い子。 良い子。 大丈夫。 もう大丈夫よ。 私は崩れ落ちる様にその場にしゃがみこんだの。 もう、立っていられない程に消耗し尽くしたわ。
「修道女エル! そなたは! だ、大丈夫か!!」
「はい、助祭様。 なんとか。 この赤子は生きる事を諦めなかった。 だから、精霊様も御力をお貸しくださったのです。 良かった。 ささ、お母様をこちらに。 もう大丈夫だと、そう申してください」
「わ、判った。 しかし、修道女エル、君は……」
「薬草が有れば、もっと簡単に対処出来ました。 今回は非常時の処置を成したまで。 ……製薬にて、解熱剤を生成出来れば、良かったのですが……」
「すまない。 この様な小さな教会の薬師所では、薬剤の備蓄など夢の様な話なのだ。 対価が無くては、医薬品を買う事も出来ぬ。 様々なギルドにも要請はしたのだが……な。 君が来てくれたおかげで、この赤子の命は救われた」
「すべては、神様と精霊様方の思し召し。 きっと、そう云うめぐり合わせなのでしょう」
「そうか…… 君は、あちらで休んで欲しい。 この子の親には、直ぐにこの子を返そう。 この子の生きる力が、病に打ち勝ったと…… そう、云おう」
「有難うございます。 大聖女様から、大変厳しく使用制限されていた魔法なので、この事は口外されては困ります。 宜しいでしょうか」
「あぁ、あぁ、判っている。 判っているとも。
……まさか、このような田舎の教会で、【聖女が奇跡】をこの目で見るとは。
…… 誰にも信じては貰えぬな。
この奇跡は……
我が胸の内に収めるしか無いか……」
徐々に小さくなる助祭様の言葉。 最後の方は殆ど消えて、耳に届かなかったの。 私も魔力枯渇で大変だったから、あんまりモノを考える事が出来なかったもの。 でも…… なんか、不穏な事…… 言ってなかった? 【聖女が奇跡】とかなんとか……
私に、そんな物、使えるわけ無いじゃない。
【記憶の泡沫】が云うに、私は『聖女様』に楯突いた、『悪女』なのよ?!?! 多分…… ” 聞き違い ” ね。 ……多分ね。 薄くなる意識の元で、必死に言葉を紡ぎ出すの。 ええ、本当にギリギリだったわ……
「大聖女様には、内密に…… 叱られてしまいます…… 本当に、本当に、御内密に………」
倒れちゃったね私。 でもね、単に魔力枯渇だから、一晩で魔力は回復するわ。 ええ、領都教会でもそうだったもの。 それに、枯渇寸前まで魔力を使ったら、ひとまわり体の中に溜まる『魔力量』が増えるのよ。 これで、また、ちょっとだけ使える魔力が増えたって事ね。 人を救う為の魔力なんですもの。 多い方がいいに決まっているわ。
助けた赤子の御両親は、この街ではちょっとした有名人だったの。 有力者って程では無いけれど、夫婦で冒険者だったって方。 御夫人の妊娠を期に、お母様の方は冒険者をおやめになって、旦那様の方は冒険者ギルドの職員になった方達だったわ。
そんな彼らは、待望の子供を何としても助けたかった。 街でもお薬は払底していたし、何より、『桜華熱病』に効く特効薬はおろか、解熱剤すら無かったんですものね。 ご夫婦は『お金』は有ったらしいけど、『売り物』が無かったのよ。
これが、王都とか領都なら、まだ何とかなったんでしょうけど、この街は領都からも離れているし、あまり衛生状況も良いとは言えないもの。
そんな彼らは、私に大層な恩を感じておられたご様子。 なにか、出来る事が無いだろうかと、お申し出下さったの。
――― 考えたの。 とっても、深く考えたの。
私は旅人で、何時までも此処に居る訳には行かない。 でも、此処の人達はこの場所から離れられない。 此処では、何時またこんな事が起こるかもしれない。 その時に成って、なんの手も打ってなかったら、今度こそ幾人も幾人も、遠き時の輪の接する処に旅立ってしまう。
だから……
「お願いが有ります」
「何なりと」
「旦那様は冒険者ギルドの職員の方でしたよね」
「ええ、その通りですが?」
「冒険者ギルドで、無期限の永続依頼は可能でしょうか?」
「……どのような?」
「冒険者の方々に対し、冒険の帰りに見つけた『薬草』をギルドへ供出して頂きたいのです。 対価は、教会での回復」
「怪我をしても、教会の薬師所で…… と云う事ですか?」
「ええ、供出して頂いた薬草を、教会にお渡しして下さいとの願いです。 希少な『薬草』があれば、市井の薬師もそれを求めに教会にやってきます。 教会への『寄進』に、その薬草での製薬を含めれば、きっと…… 幾多の困った方に、医薬品が届くと思われます。 今すぐでは無くとも、いずれ……」
「成程…… 承知いたしました。 ギルド長への説得は、私がしましょう。 貴女は、そう云う方なのですね。 貴女の願いは、なにもこの街だけの事では有りません。 幾多の街や村で同じような事が起こっています。 ならば、他の冒険者ギルドも追従するやもしれません。 いや、するでしょう。 冒険者の者達皆が皆、銀級、金級とはいきませんから。 ポーションは値が張ります。 弱った身体で、怪我をしていても、生きて行く糧を得る為に、無理して出かける事も有ります…… そうやって、幾多の仲間も散りました。 貴女の御考えが現実となるならば、そういった者達も減る。 ええ、減ります。 判りました。 他の街のギルドには話は通しておきましょう。 立ち寄られる事が有ったら、私の名を出して頂ければ、大丈夫でしょう。 私の力の及ぶ限り、このお話は広める事を『お約束』いたしましょう」
「有難うございます。 助祭様も…… 宜しいでしょうか?」
「有難いお話です。 修道女エル。 貴女の望みは、この街の希望の光と成りましょうぞ」
「えっ? そ、そんな事、無いですわよ? 思い付きと…… 神様の思し召しですわ」
「…………そう云う事にしておきましょう。 ガンツ。 私も出来るだけ協力する。 頼む。 よろしく頼む」
助祭様と旦那様はお知り合いみたいね。 なんか、確執が有ったらしいけど、今はそれも吹っ飛んだみたいな表情を浮かべて居られるわ。
あの赤子が生き延びられたのは、本当に良かった。
―――― 命の大切さは、何処でも同じ。
ただ、王領と比べて周辺の御領では、命の重さが違うんだなって、感じたの。 記憶の泡沫は、私に教えてくれた。 王都では誰でもすぐに医薬品を手に入れられる…… 対価を積みさえすれば。 王領を離れれば、そんな事は夢物語ね。 だけど、足掻くの。 勿論、わたしが個人で出来る事なんて、ちっぽけな事なのは、痛い程判っている。
でも……
すこしでも……
ほんの少しでも、皆が笑って暮らせるなら、しんどい思いをした事は、有意義なんだって……
―――― そう思ったのよ。
ぼんやりと、行く先に……
『光』が……
見えた様な気がしたの。