八カ月と三週間目
常々自分の境遇に疑問を感じてはいたのよ。
頑張って聖修道女になるのも一つの道。 薬師院の大聖女様からとても目を掛けて戴けていると云うのもあるもの。 大聖女様はそんな私に優しくも厳しく指導して下さっているわ。
でも、同時に仰るのは……
「別に聖修道女に成るのが唯一の道では有りませんよエル。 貴女はまだ未成年。 これから素敵な恋をするかもしれないのです。 人の心など、どういう風になるものか判りはしません。 素敵な殿方を見つけ、どうしてもその方の傍に居たいと云うならば、還俗し生涯を誓い合うのもまた一つの道。 神の御心に叶う行動なのですよ、よいですか」
「はい…… でも……」
「神は神の子たるこの世界の人々すべてに幸福を感じて生きて欲しがっておいでです。 それは、精霊様もまた同じ。 それを手助けするのが妖精族という訳です。 神の家に入り、神に愛を捧げ一生涯を尽くすのも、その者がそれに価値を見出し、それしか要らぬと心を決めている時のみ。 人の倖せの形など、誰にも定義できるものでは無いのです」
「……はい」
「よいですかエル。 貴女は貴女の倖せを求めてもよいのです。 廃聖女の私が云うのもなんですが、教会だけが全てでは有りません。 貴女の献身や努力は間近で見ている私には、よく理解できていますよ。 でもね、何事も遣り過ぎは良くないのです。 ……少々、貴女を引っ張りまわし過ぎました。 暫く薬師院には来なくてよいですよ」
「……そ、それはッ!」
「貴女が要らないとか、指導したくないとかでは無いのです。 頑張りすぎて貴女が壊れるのではと、思ってしまうのです。 この年になると、色々な人を見てきました。 頑張りすぎて壊れる人も。 優しさと慈愛は、聖修道女にとっては何よりも必要な事ですが、それが故に自身に対してとても厳しくなりもします。 それが嵩じると、その人の人格まで破壊してしまうのですよ。 それが私は怖い。 貴女が貴女でなくなってしまう。 だから、一旦お休み。 良いですか」
「…………はい」
と、云う事で薬師院への出入りは暫くお休みと成りました。 頑張って色んな事を学んでいたんだけどなぁ…… 突然の事に何をしていいのか判らないんだけど、それでも第三位修道女には色んなお勤めがあるから、まずはそちらに専念する事にしたのよ。 要は領都教会の下働きね。
特別な修道女とはいっても、私自身何も変わらないから、そこは堂女と何も変わらない。 同期の仲間たちと、厨房に立ち掃除して洗濯もしたわ。 皆も私が頑張っていた事は知っているしね。 街に御使いに出る事もあったのよ。
だって、お手伝いの一環として、いろんなお勤めが有るからね。
第三位修道女にはちょっとした特典もついているの。 なんとお小遣いが戴けるのよ。 『身の回りのモノを贖う為』と云う大義名分があったのよ。 私の場合は甘い焼き菓子を買うの。 必需品と云ってもいい。 だって、大好きな仲間たちと食べるのは、至高の時間なんだもの。 いろんなお話を聞かせてくれるしね。
勿論、そのお話は何も教会内のお話に留まらないの。 街での噂話やら、どこそこの貴族の家のお話とかね。 貴族の家のお話とは言え、あくまで噂話だから、まぁ信憑性は低いんだけど、其処はね。 何が偽で何が真か…… なんとなくだけど掴めるモノだもの。 貴族的思考を知っている私にとっては…… だけどね。
だから、殊更によくお話を聞くのよ。 小さな違和感を大事に、誰が何の為に噂を流しているのかを考えながらね。
そんな事をしているのも、ちょくちょくやって来る御領主継嗣のせいなのよ。
なにか判らないけれども、エオルド様が孤児院の面談室に私をちょくちょく呼び出されるのよ。 最初は御領周辺の御連枝の奥様方への手紙をしたため、エオルド様にお送りしてからしばらくして。
――――― それは、上手く行ったみたいね。
あの方の足りない所を、上級伯夫人や伯爵夫人が固めて下さったみたい。 エオルド様経由でその夫人様方から、お手紙も頂いたし、その中にはご自身の不明を謝罪する文言も有ったりね。 これで、暫く御領は安泰に成るわよ。
女性を敵に回したら、どんなことでもうまく進まないモノね。 特に王都から離れた御領ではね。 だってねぇ…… 日々の暮らしに直結した諸々の出来事は、王都からの指示ではどうにも遅くなりすぎて、対処するタイミングを失ってしまうもの。
きっと、エオルド様はその事に気が付かれた。
街の噂話も、エオルド様に好意的なモノが多くなってきたのが何よりの証左ね。
―――――
三級とはいえ修道女の装束で焼き菓子を買うのは、ちょっと気が引けるけど、幸いにしてパン屋さんで、こっそり売ってくれるのよね。 あそこの店員さん元堂女で元同僚。 おつかいにパン屋さんに何度もしている内に、パン屋さんの若旦那に見初められて…… ってね。
その時には精一杯お祝いしたのも、いい思い出よ。
「エルは、やっぱり聖修道女様を目指すの?」
「うん…… そうね。 そうすると思う。 素敵な殿方って云われても、まだピンとくる人居ないから」
「そうよね。そうだと思った。 だって、貴女って……」
世間話のついでに、そんな事を彼女と話していると、お店の中から「おーい、何処にいる?」なんて声が掛かって、彼女ったら慌ててお店の中に駆け込んでいったわ。 まぁ、アツアツです事ッ! でも、私が何だって云うのかしら? ちょっと気になるわ。
そんな風な毎日を送る。
エオルド様の愚痴はちょっと厄介だけど、まぁ、私が違和感を覚えるところとか、エオルド様の御言葉に不穏なモノを感じれば、その都度お話はしているから、そうは酷い事には成らないと思うんだけどな。
風は寒さを孕む季節。
修道女装束に厚手のコートが追加された。
もうすぐ年の瀬。
今年は、本当に色んな事が有ったわ。
自分の環境が激変したもの。
だけど……
『記憶の泡沫』が語る悲惨な末路からは、距離が取れたと思うの。
それが、一番よね。
私が愛し、愛される”殿方”を見つけるのは……
まだ、もうちょっと先でもいいかな……