六ヵ月と十二日目
任命の時の経緯から、わたしのご奉仕先は、『薬師院』となったわ。
ええ、大聖女様の御手伝い。 それは、とても嬉しい事なの。 だって、心安らかに、楽しく神と精霊様の御手先に成れる場所なんですものね。 薬師院のお仕事の大半は調剤と製薬。
様々な症状の患者さん達が、引きも切らずに薬師院にやって来るの。
そりゃそうよね。 だって、市井の薬師所のお薬だって領都教会の薬師院で作り出しているんですものね。 リッチェル侯爵領の庶民の健康を守る砦って感じなの。 困難も、遣り甲斐も、他の場所より段違いに大きいわよ。
それに、私……
大聖女様の後継にって指名された様な物だものね。 頑張らないと。 期待されたからには、そのご期待に沿わねば、女が廃るってものよ。 聖修道女様方も私の決意を微笑ましく同意して下さって、同期の童女達も協力を惜しまないって言ってくれたわ。
なんだか、幸せ過ぎて、疑ってしまいそう。
皆と仲良く日々の感謝を祈りながら、お勤めに精進していたの。
そんなある日……
―――――――――
「エルや」
「はい、大聖女様」
「孤児院の方からちょっと来て欲しいと連絡があった」
「えっ? 誰か病を得ましたか?」
「いや、そうでは無いらしい。 聖堂の方からの照会で、どうやら身分の有る者から、グランバルト男爵の遺児に訪問が有ったらしい」
「身分の有る者…… ですか。 それは、また……」
「嫌なら嫌でもいいのだが、教会の体面から云うて、無下にも出来ぬ相手らしいぞ」
「はい…… ええ…… 理解はしております」
「ちょっと会って、嫌なら逃げてくればよい。 薬師院を敵に回す馬鹿でもあるまいて」
「有難うございます、大聖女様」
「それでも、言動には気を付けよ。 ああいった者達は、時として厄介な事を言ってくるからの」
「はい、御忠告有難く」
「うむ、行ってくるがいい」
心配そうな表情を浮かべた大聖女様は、それでも私を快く孤児院へと送り出して下さったの。 憂いは有るけれど、それでも今の私の立場なら、そうは無茶できないよね。 うん、そう。 だって、既に私は『第三位修道女』なんだもの。
孤児院の面談室に向かうと、部屋の中から何やら不穏な会話が聞こえてくるの。 一人は院長様。 もう一人は男性?の声。 院長様の静かな声と、多少感情的に成りつつある男性の御声。 ん? どこかで聞いたような?
(先程から申し上げている通り、この孤児院には『エルデ』と云う孤児は、在籍しておりません)
(し、しかし、エルデはこちらに来たのだ。 ヒルデの立場と交換したと云う事は、この孤児院の孤児と云う事なのだよ。 どうして判ってくれない? 逢わせて貰う事がそんなに困難な事なのか? 孤児との面談がッ!)
(申し訳御座いませんが、正規の要請での面談申し込みでは御座いますが、対象者が存在しておりません。 可能性と云う事で一人居りますが、その者は既に神籍に入っている修道女であるので、お問い合わせの『孤児』というには、少々違う立場と云う事は、御心に御留頂きご対応の方をお願い申し上げたいのです)
(??? 神籍? 修道女? どう云う事か? 面談を求めたエルデはまだ十二歳に成ったばかり。 修道女は十八からではないのか?)
(領都教会の名と契約により、成されたと云えばよろしいか? 可能性の有る者は、既に第三位修道女として薬師院にてお勤めを日々こなしております。 この意味、お判りに御座いますか?)
いやいや、脅してどうするんです、院長様。 相手の御声から察するに、院長様でもそうは強硬な態度をとる訳に行かない『人』ですよ? 漏れ聞こえる声は扉の向こう側。 扉のすぐ前に立ち、到着のお知らせをする。
「修道女エル、お呼びにより参じました」
「修道女エル。 御足労掛けました。 貴方と思える人との面談を希望された方が居られます。 中へ」
「はい。 失礼いたします」
取り立てて豪華とは言えないそんな孤児院の面談室の中の、清掃は行き届いているが、質素な応接セットに場違いな人が座っている。 豪華な服装はその人が、どんな立場の人なのかを雄弁に物語る。 表情を『無』にして、極めて簡素に、そして、決して失礼に当たらぬ様に、気を張って言葉を紡ぐ。
「お呼びにより参じました。 修道女エルに御座います。
――― リッチェル侯爵家が御継嗣
” エオルド=ミルバースカ=リッチェル従伯爵様 ” 」
修道女装束の私を見詰め、目を瞠るエオルド様。 前は御兄さまと呼称していたけれど、今の立場ではそれはあまりにも不敬に当たる。 なにせ、この方…… 現在のリッチェル侯爵領の筆頭様で在らせられるもの。 それにしてもなんで今更お見えになったのかしら? もう私はリッチェル侯爵家とは何の関係も無いと云うのに。
無表情を貫いて、私は扉前に立ち続けていると、院長様が御声掛けくださったの。
「修道女エル。 こちらに。 まずは座ってください」
「はい、失礼いたします」
云われるが儘、院長様の横に腰を落とす。 その間も私を呆然と見続けるエオルド様。 私の動きと共に視線を動かすのは…… なんなんだろう? ちょっと判らない。 でもまぁ、何かしら云う事があって領都教会の孤児院に足を運んだのよね。
なんだろう?
「エルデ……か?」
「修道女エルに御座います、エオルド様?」
「修道女とはどういうことか」
「特例にて、そう成りました。 なんでもグランバルト男爵様の思し召しだとか。 ただ、彼の方の思惑と違うとは思いますが」
「…………そ、そうか。 『神籍』に、入ったと…… 云う事か」
「はい。 わたくしは第三位修道女に御座いますれば、そうなりますわ」
「そ、そうか……」
「何を不思議に思っていらっしゃるのかはわかりませんが、既に孤児のエルデは存在いたしません。 エオルド様に於かれましても、かつて『妹』であったモノの事など、お忘れになるのが良きかと」
「……いや、そんな事は無い。 エルデは私の妹であることに変わりはない」
「何故にそう言い切れるのですか? あの出来事から既に半年以上経過しております。 取り換えが発覚し、その修正に妖精様が現れた日より、わたくしはリッチェル侯爵家とは縁もゆかりも無い者と成っている筈では?」
しっかりとエオルド様に視線を向け、当然の事を口上申し上げるの。 少々狼狽えた感じのエオルド様は、ゴニョゴニョと口の中で何やら言葉を発していたのだけれど、全く持って聞こえないわ。 毅然とした視線をエオルド様に向けたまま、ちゃんとした言葉を発するまでお待ち申し上げたの。
「エルデ…… 済まない。 本当なら、君もリッチェル侯爵家の家族として迎えるべきだったのだ」
「仰る意味が解りかねます」
「あの時は混乱していた。 お母様も弟達も。 勿論、この私もだ。 ヒルデガルドが王都に向かい、この領での政務に携わる様に成り、あちらともそうは連絡を取らなくなった後、様々な事を私は知った」
「と、仰いますと?」
「エルデがこの領で何をしていたか。 何故、エルデがたった一人で、この領都の邸に暮らしていたか。 そして、君がこの領の事にどれだけ心を砕いていたか。 それを……だ」
「別段、不思議な事では御座いますまい? 貴族の家に生れ、その責務を背負う者として、領に心を砕く事は、言葉を換えれば『当たり前』の事に御座いますれば。 さらに言えば、侯爵夫人の思し召しにより、強く淑女の礼節を教育され、その他、同時にでは有りますが、” 乳母マーサ ” による下々の暮らしに関しての教えを受ければ、嫌も応もなくそうなりますわ。 御領周辺の連枝、家門の者達との交流、近隣の有力家との折衝。 年若いモノでも、侯爵家の実子と云う立場ならば、方々とのお話し合いは必須。 まして、御領には、わたくししかおりませんでした。 細々とした御領の折衝事は全て、此方に回って来たのです。 しかし、それも既に過去の事。 わたくしは取り替え子。 リッチェル侯爵家には何の関係も無い者に御座いますれば」
「しかし、エルデの事を慕う者は多い。 非常に多いのだ。 幼い君が侯爵領に於いて、『女主人』として振舞い、他家の女性達から相当に評価を受けている等、領の政務に携わる迄知りもしなかった。 私ひとりで、それを成すには、少々…… 女性の世界に私が入る事は、なかなかに…… ついては……」
「それは…… まずは、その事に認識できた事にお喜びを。 では有りますが、エオルド様に於かれましては、御婚約者様との婚姻の儀を進め、領の女主人を彼の方に務めてもらうのが筋というモノ。 わたくしにはその役割を担う事は出来ません。 更に云えば、グランバルト男爵様の死亡に伴い、既に貴族籍は喪失しており、十二歳となった時に特例として『第三位修道女』としての神籍を頂いております。 領の政務に合力出来る立場では無いのです」
「……そ、そうか」
「その役割を担う方を、どうか御傍に」
「そ、それがな……」
何故か更に歯切れが悪くなるエオルド様。 なにかあるの? 婚約者様も決定してるのに。家と家の結びつきから、とても善き方との評判の方よ? さっさと婚姻に漕ぎつけて、この領の女主人として、手腕を発揮してもらえばよいのに。 なにか、支障が有るのかしら?
「アイツは王都で暮らすと、そう言い切った。 お母様と同じく、王都以外で住まう事に難色を示しているのだ。 領に招待しても、何時も言い訳ばかりで、一度も訪れた事が無い。 王都で継嗣夫人としての権を持つのだと云って聞かぬ」
「それは…… 困りましたわね。 次善の策と致しましては、御連枝の奥様方に御協力を求められては?」
「皆エルデを追い出したと、そう認識していて…… 協力を求めても冷たい言葉しか……」
「まぁ、そうでしたの? それは、良くない事。 御領を護り、ひいては主方の家を護るのは家門、御連枝の義務。 ……わたくしからの口添えを、手紙に記します。 それをお持ちになり、御説得なされませ」
「い、いいのか?」
「離れ、関係の無くなったとはいえ、親しくして戴いた方々。 その方々がわたくしに対して、そのような感情をいだいて下さるのは、嬉しくもあり困惑も致します。 すでにリッチェル侯爵家とは関係の無くなったわたくしには御座いますが、領都教会に所属している修道女として、お役に立てるのであれば幸いに存じ上げますもの」
ふっと、肩の力を抜かれ大きくソファに沈みこまれたエオルド様。 余程、現状の儘ならなさが堪えていたのか、険しい表情が緩む。
「セバスの云った通りになったか」
「それは?」
「いやな、セバスが云ったのだ。 ”まずはエルデ様にご相談を ” とな。 ”あの方ならば、決して悪いようにはなさいません。 この御領に対し愛着を持ち、さらに下々のモノ達にも目を向け、日々心を砕いておられたのですから ” とな。 エルデ…… いや、修道女エル。 また、相談しに来ても良いだろうか?」
「御心の儘に。 しかし、一介の修道女に領政の御相談をするなど、有り得ません。 お話を伺う事しか出来ませんが、それでも良ければ…… と云う条件に於いて『諾』と、受け取って頂ければ幸いに存じます」
「…………そう、そうだな。 判った。 もっと前に…… エルデの事を知るべきであった。 知っていたなら、ヒルデが来た時にむざむざ君を……」
「過ぎた事。 妖精様の成さった事ですので、お気になさらない事に御座いますよ、エオルド様。 それでは、まだ仕事が御座いますので。 お手紙は近日中にそちらへお送りいたします」
「……あ、あぁ。 済まない」
「陳謝の言葉、受け入れます。 そして、二度とお口になさらない様に、お願い申し上げます」
ソファから立ち上がり、かつて習い覚えた淑女の礼を差し出す。 修道女として差し出すのではなく、かつて妹であった、私の決別の証として。
訳の判らない事を二度と云うべきでは無いと、無言の圧を秘めつつ、私は踵を返す。
ほんとに、ほんとに、
なんなのよ!!