閑話 他愛のない口約束を、心から守ろうとする者
この回で、今回の閑話は終了となります。
それでは、お楽しみください。
栄光あるキンバレー王国。
裕福層の住む街区は、第二環に存在する。 富が集まれば、それを消費する場所も多い。 宝飾店、魔道具店、服飾店、雑貨店も存在する。 恋人たちが憩いの時を過ごす喫茶店、甘味を扱う店等は、昼間から庶民だけでは無く、貴族令嬢が足を運ぶ事も有る。
食事処も充実しており、高位貴族が会合の為に予約するような超高級店も存在を許されるような場所でもあった。
その第二環、北部街区の一角に重厚な店構えを見せる、商家が存在する。 王国の高位貴族も一目を置く、商品群と『商人』の巣窟。 少し、毛色が変わっているのは、大きな商売を成しているにもかかわらず、『政商』とは絶対に呼ばれぬ事。
―――― ブンターゼン商会 ――――
王国貴族との付き合いは有るが、決して言いなりには成らない。 出来ない事、出せない物、誂えられない物は、例えそれが王宮よりの要求であっても、理由を付けてお断りする事でも有名な商会でもある。 商いの道徳を厳しくしつけられた、ブンターゼン商会の商人たちは、にこやかな笑みを顔に浮かばせながらも、決して、侮るべき存在では無いと……
高位貴族の当主達まで口をそろえる。
また、ブンターゼン商会の組織は、他の商会と少々異なる。 会頭が代表者なのは、他の商会と変わりはしない。 しかし、他の商会と違うのは、その下についている者達。 支配人、高級商人、中級商人、一般職員、見習い…… 通常は、確固たる階位が存在するのだが、ブンターゼン商会にはそれが存在していない。
いわば、独立商人が集まり、自身の才覚を切磋琢磨しているかのようだった。
勿論、商会内での融通は、他商会との間で行われている事よりも、もっと密接なモノで、素材や商品の合同仕入れや、配下の職人たちの仕事も、色々な意味で融通し合っている。 しかし、それは、ブンターゼン商会に在籍する商人達が利用できると云う事だけで、その分配率や素材の偏りなどは、その商人の才覚によって、合議で決定される徹底ぶりだった。
つまりは、独立商人たちが集まって、一つの大きな商会を形作っているとも云える。
連綿とした歴史があった。 独立独歩を旨とする、初代の会頭。 商会自体はキンバレー王国建国時に、王家を含む力ある者達に様々な物資を調達した事に始まる。 そして、その時に交わした契約が、長き時を経ても、褪せる事無く連綿と受け継がれている。
何度か、商会消滅の危機に直面する事も有った。
王国が商会を取り込もうと画策した歴史もある。 高位貴族が自身の手足として、高圧的に相対した事も。 法を作り、その手足を縛ろうとしたのは、有名な話。 しかし、ブンターゼン商会はその全てを撥ね退けて、今に至る。 肚の座った、聡明な男達と、女達。
理不尽に屈する事は、決して無かった。
自身を律し、違法な財貨を貪らず、程よい利益を載せた商いを、真面目に、黙々と続けている。 長い年月の間に、ブンターゼン商会を巣立った者達も大勢いる。 そして、その高い力量を持った商人たちは、隠然たる力を持ちつつ、キンバレー王国だけでは無く、周辺各国にも散っている。
そして、その結びつきは、現在も強固にして深く…… それ故、キンバレー王国としては、既に、自分達の思うがままに出来る様な、単なる『 商会 』では無くなっていた。
―――――
ブンターゼン商会 現会頭の師匠筋にあたる人物が居た。 五十を超えるあたりで、後進に道を譲ると云い、自身で隠居を決めた。 根っからの商人である、その人物は、自身の居場所として、遠く南方辺境に棲みかを求めた。 現会頭は……
” あぁ、そうなる…… だろうな。 あの方は、大聖女様に心酔されておられたものな ”
と、その老人の行動を、当然の如く受け入れた。 大聖女オクスタンスが、十八人委員会に於いて、引退を発表し、その身をアルタマイト神殿に移すと、聖堂教会が発表してから、老人は自身の身の振り方を考えた様だった。
その老人の名は、エルネスト=アルファード老。
王都に於いてブンターゼン商会を纏め上げていた男。 商才は云うに及ばず、人品骨柄も非常に高潔。 理不尽に対しては、頑として信念を曲げず、配下の者達に対してもそれを徹底させていた。
現会頭も、その薫陶を良く受けた。
手は出ずとも、辛辣な言葉の刃が何度、商人達の心を抉ったことか。 良い事例…… と云うか、極めつけの出来事があった。 現会頭は、その事を思い出すだけで、羞恥と後悔に『心』が焼ける思いがする。 正論を突き通す、エルネスト=アルファード老に対し、『実利と雷同』による保身を切々と説いた事だった。 が、見事に論破された。 いや、皮肉の笑みを浮かべた、アルファード老は静かにこう言ったのだった。
” お前らは、そうだな、五年…… いや、三年で、貴族に取り込まれ、尻の毛まで毟られるな。 やるならやってみろ。 その代り、ブンターゼンの名は捨てろ。 傷が付く。 儂の目の黒い内は、破滅が判り切っている…… いや、犬畜生に劣るような生き方を、肯定するつもりは無い。 好きにしろ、抜けるなら、相応の『手当て』は出す。 別に出資金とかじゃねぇよ。 今までご苦労だったと、慰労の為の金だ。 どう使おうと、お前らの勝手。 お前と、お前に賛同する者達は、ブンターゼンに場所は無い。 ”
冷たく突き放すアルファード老。 幾人かの商人は、鼻白み、そして袂を分かつ。
事実、若い時の現会頭も、一度はブンターゼンの名を捨てた。 仲間達と一緒に、商いを大きくしようと、有力貴族との結びつきを強めた。 理不尽にも応え、出来る限りの融通をし…… そして、ボロボロになった後、
…………………… 捨てられた。
身を持ち崩す、仲間達。 酒に逃げ、女に逃げ…… 儲けを期待して出資した者と、不遇を押し付けた職人たちへの債務は、取り立て屋という名の破落戸に譲渡され…… 奴隷契約待ったなしと云う所まで堕ちていった。
仲間達が、商道の暗黒面に堕ちて行った中、奴隷契約を結ばずに、自身の債務を払い終えた現会頭は…… 辛うじて、小さな商売を細々と続ける事ができた。 アルファード老に薫陶を受けた事を、そのとき、今更ながらに思い出したのは、『商人の矜持』なのか。 石を以て追われるように、王都の第八環の貧民窟の様な場所に、露店を開き日々の糧を稼ぎ、命を繋いでいた。
もう、誰も頼る事は出来ない。 毀損した信用は、犬も食わない程に穢れている。 仲間も家族も繋がりと云う繋がりをすべて失い、呆然と漫然と…… それでも商いの道からは、離れらない業の深い男となってしまった。
其処に、アルファード老が遣って来た。
” 商品を見せろ ”
露店に並ぶ商品は、且つて扱った事も無い様な粗悪品。 しかし、これでも、色々な伝手を辿って…… なんとか手に入れた物だった。 一つ、一つ手に取り、その対価を聴くアルファード老。 こんなモノを手に取る様な人では無い事に、途轍もない羞恥を感じ、まともにアルファード老の顔など見れない。 しかし、下を向いてしまう事は、商人の意地がさせては呉れなかった。
” 成程な。 値付けの眼力は、衰えちゃねぇ。 ガラクタばかりだが、二束三文なりに、『相応の値』を付けてるじゃねぇか。 ここいらに居る奴等でも、なんとか買えるか。 ガラクタには違いないが、仕入れが満足に行かねぇんだろ? だから、こんなモノしか扱えない。 其処も判る。 ひでぇ代物だが、商品としては、決して筋が悪いモノでもねぇな。 まだ…… 『 心 』は持っているようだな ”
袂を分かってから、丁度五年目の事だった。
” ブンターゼンへ、戻る気があれば、戻ってきていいぜ。 商人の矜持を思い出したなら、また、一から積み上げりゃいいんだ。 まぁ、お前が決める事だからな。 身綺麗に成ったら、店に来いよ ”
歯を食いしばり、不正にだけは手を染めなかった彼は、最後の借金を払い終えると、その足でブンターゼンに向かった。 表の扉を開け、堂々と店の中に入り、アルファード老に面会を求めた。 どんなに零落したとしても、どんなに小さな商いしかできなかったとしても、『商人の矜持』だけは…… 捨てられなかった。
” いい目をする様になったじゃねぇか。 まぁ、頑張れ ”
そっけない言葉と共に、彼はブンターゼンに戻る事が許された。 それから、何年も研鑽を積み、侮蔑の視線に耐え、実績を積み、信用を回復し…… 名実ともにブンターゼンの独立商人として、自他ともに認められた時……
” 後は、任せたぜ。 後進の教育も頼まぁな。 いいかい、お前さん。 堕ちて、堕ちて…… 堕ちきっても尚、手放さなかったモノこそ、お前さんの中にある『本物』なんだ。 忘れんなよ ”
こうして、現会頭は…… アルファード老の後を継ぎ、ブンターゼン商会に君臨する、商いの王者となった。 日々の商いに精を出し、良い物を適正価格で取引する。 商品の値段を値踏みする彼の目は、最底辺を知るが故に、狂いは生じない。 目利きは、誰しもが一目を置き、その値付けに否を唱える者は居ない。
――――――
そうやって、忙しくしている日常に、ある日一通の紹介状を持った、まだ年若い男児が、アルタマイトよりやって来た。 紹介状を手に、ブンターゼン商会の会頭に面会を求める姿は、この道に精通しない物ならば、鼻であしらったであろう。
が、そんな半端な者は、ブンターゼン商会には居ない。 その凛然と立つ姿に、且つて、アルファード老に薫陶を受けた者達は、老の姿を重ね合わせる。 目通りは許され、自身で紹介状を会頭に手渡した、その少年。
” アルファード様よりの親書に御座います。 お改め下さい。 余人には渡さぬ様にと、そう申し付かっております ”
慇懃にそう言葉を紡ぐ少年。 老の薫陶を受けたのは、一目瞭然だった。 紹介状には、定型的な言葉の連なり。 そして、私信として、もう一枚の手紙が付随していた。
” アルタマイトで見つけた逸材。 田舎じゃ勿体ねぇから、頼んだ。 喰われんなよ ”
たった一行。 その一行に、会頭は思いを馳せる。 あの方にこれ程の言葉を言わせたこの少年。 物腰と言葉遣いから察するに、既にその道の薫陶は受けているのだろう。 そう、会頭は心に浮かぶ。
男児の名は、 ルカ。
孤児だったと云う。 アルタマイトの孤児院で赤子の時から暮らし、辛酸をなめて生きて来たらしい。 しかし、それでも尚、この少年は折れず曲がらず、生きてきたと。 色々な悪戯を見て来た会頭が、一目見て一筋縄ではいかない奴だと看破した。
アルファード老の紹介状。 無下にする事も出来ない。
名を付けてやらねば。 そう、王都では、一節名は、何処に行っても舐められる。 よって、彼に名を……
「ブンターゼン商会で働く気概が有るのならば、ルカ=アルタマイト と、そう自称する事だ。 どうだ」
「ルカ=アルタマイト。 確かに『 名 』 を戴きました。 精進し、ブンターゼンの名を穢さぬ様に邁進していきたく存じます」
「…………まぁ、頑張れ」
こうやって、ルカがブンターゼン商会に受け入れられた。 それ程の時間を要せず、ルカはその商才を周囲の者達に見せ付ける。 どんなに小さな商いでも、良く見、良く知り、そして、適切な値付けを以て供する。 決して偉ぶる事無く、仕入れ先にも好意的に受け入れられてゆく。
僅かな時間で、他人の懐に入り、長年の友人の様に振舞う様は、背中に苔が生えた歴戦の商人の様だった。 貴賤を問わず、人当たり良く対応し、時に提案し、時に拒絶する。 出来ない事、無茶な事に対しては、例えそれが貴族家の者であったとしても、毅然と拒否を口にしつつも、嫌われないのは彼の為人のせいなのか。
時折。 ルカが、口にする、聖句。
『感謝の聖句』である事は…… 商会長もまた知っていた。 最底辺での暮らしでは、もう他に縋るものが無かったから。 この少年も同じなのかと、親近感を覚えるも、少々違うらしい。
「祈る事が全ての人が居るのですよ、会頭様。 神様と精霊様方に愛されておられるのです。 それにあやかりたいと思いまして、時折…… お聞き苦しかったでしょうか?」
会頭が、何かの折にルカに対し、話を振った時に返って来た応えだった。 孤児院に居たと云う事は、彼の世話をしていたのは修道士。 ならば、それも、あり得るかと、一人納得していた。
メキメキと頭角を現す少年。 取り扱う商品は、徐々に高額なモノに成っていく。 更に、彼自身、良く算術を嗜み、数週間も経つうちに、ブンターゼン商会でも指折りの経理事務担当者として、仲間内では有名になった。
ブンターゼン商会に於いての意思決定機関である『取締会』で、まだ成人年齢に達しては居ないが、『個人の金庫』を与える事が、満場一致で決議される。 特筆すべき事柄だった。 商才に恵まれていたとしても、経理が正確に出来るかは別の才能。 帳簿は、商人にとっての生命線。
要するに、ルカはその商才と算術の才を見込まれて、本当の意味でブンターゼン商会の仲間の一人となった。 彼を、独立した経理を持つ商人として、認めたと云う事だった。 誰の下に就く訳でも無く、自身の才覚に寄り、商圏を広げ人脈を繋ぎ、新たな商売に繋がるならば、ほぼ自由にしても良いとの判断。
この決定を以て、ルカ=アルタマイトは、独立商人として認められる事となった。
ルカの商圏は徐々に徐々に広がっていく。 彼の為人ゆえか、努力の結果の故か、ルカ=アルタマイトと云う、年若い独立商人の噂は、広がっていく。
多くの他の商家の者達の間に……
第二環の様々な店の者達の間に……
商才持つ美少年の姿を認めた、低位の貴族令嬢達と夫人達の間に……
低位貴族の噂話を聴き付けた中位の貴族令嬢達と夫人達の間に……
遂には……
高位の貴族家の使用人達の間にも……
噂は、静かに広く拡散していく。 良くデキた美少年。 商人として誠実で嘘偽りのない者。 適切な物品を、過不足なく提案する、出来た商人。 礼節を重んじる、真っ当な貴族家の間に…… 高位下位の隔ても無く、その家門の者達にも。
勿論、ルカの静かなる名声を、快く思わぬ者達も存在する。 清廉で信念を貫くルカの態度を、苦々しい思いで見詰める眼。 如何に貶めてやろうかと、虎視眈々と狙う者達。 人の悪行の中でも、特に汚い部分に相当する精神性から来る 『 悪意 』。
礼節を知らぬ者達。
ある意味貴族らしく、全てを利用しようとする者達。
己の社会的地位を誇示する事に汲々とする者達。
庶民を頭から蔑視し、選民意識が強く表に出ている者達。
男女を問わず、そう云った者達は、ルカを軽く見ている。
そう云った者達に対しても、ルカの態度は一切変わりない。 老の教えの賜物か。 はたまた生まれつきの『人品骨柄』のなせる業か。 ブンターゼン商会の会頭は、そんなルカの為人と信念を見極め、有る決断をする。
彼をして、貴族学習院で学ばせると云う『選択』を、決断するに至る。
彼の人柄を考慮に入れると、これからどんどんと才覚を発揮する彼に、今以上に可能性の幅を持たせる為にはどうすればよいのか。 その自問の答えの一端であった。 貴族学習院には、特別な入学枠が有る。 資産と力を持つ一級国民が推薦し、更に貴族の規範を護れることが称せられる者であれば、貴種では無くとも、キンバレー王国の未来に有用な者として、特別に入学が許される。
ブンターゼン商会が後押しするのならば。 そして、彼の商才と人品骨柄であれば。 更に、今でも交流の有る貴族家への対応を鑑みれば…… 推薦するのは、必然とも云えた。 その事を伝えた時に、ルカは一瞬躊躇いはしたが、恭しく首を下げ、本物の貴族の様に礼節を以てコレを受けた。
「機会を与えて下さいました事、誠に感謝に堪えません。 御推薦戴いたからには、ブンターゼン商会の名を穢す事無く、粉骨砕身の努力を持ちまして、学習院での勉学に、人脈の広がりに努めてまいります」
「そうか…… あの学園で勉学を修め、社交と云う力を付けることが出来れば、いずれ叙爵への道も開けよう。 そうなれば、様々な障害を躱す事も楽に成る。 どこまで出来るか、試してみるのもよかろう。 期待する」
「有難く。 ご厚意、誠に有難く」
深々と腰を折るルカ。 既に、その辺に居る尊大な貴族令息よりも貴族らしい物腰。 コレは…… 大成するぞ、と、会頭は心の中で思う。
ルカの学生の顔と、商人の顔が交錯する忙しい毎日が始まった。 庶民の学生に関しては、学習院では貴族の生活に関する知識を集中的に学習する機会が設けられる。 しかし、ルカには不要だった。 貴族家の内情も、名鑑に乗る王国全ての貴族家の情報も既に彼の頭の中には存在するのだから。
後は、実地で成すべきを成す。
儀礼や礼則の授業を集中して取り、自身の今まで培ってきた、商人としての矜持に上乗せするかのように、知識の蓄積に邁進する。 友誼を結ぶ者も厳選していた。 その中でも、特に用意周到に繋ぎを付けた者達が居た。
探索者協会 協会長が息女、クレオメ=ロザリータ=エステファン嬢、
王都治癒所組合 組合長が息女、アベリア=ピンキーベルズ=クインタンス嬢、
王都錬金術士協会 協会長が子息、ベンターゼン=ガルフ=ノリザック
王都法曹協会 協会幹事が子息 ベルナルド=ポール=デュー=ブライトン
の、四人の者達。 いずれも市井に於いて、隠然たる力を持つ者達の令息令嬢であった。 爵位を有する家も有るが、その身分は低い。 しかし、その道に於いては宰相府でさえ、人材として見る傾向にある程、有名であった。
ルカはそんな者達からの、信頼を勝ち得てしまった。 調整能力と云う、表には出ない稀有な才能を自在に操り、其々の分野で問題と成る事を、別の分野の者達の知恵と知識で、解決とは行かぬまでも、相応の対応策を編み出して行く彼の姿は、その四人にとっても、とても重要な人物に感じられる事と成る。
彼は、その地位を独力で掴み取ったのだった。
――――― § ―――――
高等部に進む直前。 ブンターゼン商会の中で、少々変わった出来事があった。 珍しく、とても興奮して、美しい顔に希望の光が輝いていた。 人前では、余り表情を出さぬルカ。 張り付けた笑みは、人当たりのよさそうな物ではあったが、何処か得体の知れない物だと警戒されるようなモノ。
しかし、何の屈託も無く、微笑みを浮かべ、虚空を見詰める彼らしくない姿を、会頭は見つけたのだった。
その事が妙に心に引っ掛かり、時を改め、ルカに問い質す。
「シーカーギルドからの、特別便の仕事を請け負ってから、妙に楽し気だな」
「楽しいですよ、会頭様。 ええ、とても」
「何故か…… 聴いても?」
「まぁ、極、個人的な事柄ですので、ご容赦の程を。 ですが、ブンターゼン商会の看板に泥を塗るような事はありませんし、しません。 その点はご安心を。 ただ、心が浮き立つ事が有ったのです。 それだけでは、いけませんか?」
「そうか…… 心浮き立つ事か。 お前の事だから、何事にも抜かりは無かろうしな」
一抹の不安が心に浮かぶ、会頭。 しかし、それ以上問い詰める事は出来なかった。 ただ、ただ、ルカの行く末に暗雲が広がらぬ事を願うしか無かった。
そんな心配を他所に、ルカ自身は日々充実したような表情を浮かべ、毎日を送っている。
まるで……
漸く出会った希望を見つけたかのように。 時折、懐から古びた《 栞 》を取り出し、愛おしそうに見つめながら。 そして、何かを決した様な表情を浮かべるのだ。 表情から伺えるのは、とても大切な『約定』を果たせると云った、『商人の矜持』。
ルカが、何の為に力を付け、何の為に高名な独立商人たらんとするのか。
その理由の一端を……
苦労人の会頭は、ルカの手の中にある、『 栞 』 が、象徴している事だけは……
薄っすらと、理解した。
エルの周囲。
エル自身が思うよりも、強固な守りが完成しました。
そして、貴族学習院の中に於いても、新たな出会いが生まれていきます。
物語は、加速します。
お楽しみに!