二カ月と三日目
見習い堂女の日々は本当に多忙。
急ぎ足で、女子修道院の薬師院に向かっているの。
ほんとに忙しいのよね。 えっとね、まず朝夕のお祈りの時間。 神様とその御手先の精霊様七柱の皆様方に、この世界を平穏に保ってくださっている感謝を捧げつつ、真摯に祈る事。
いずれ…… 『聖修道女』に、成るつもりだから、それは間違いなく実践しているつもり。 真摯に真剣に、篤く信仰心を持って…… ね。 おかげで、魔法の通りが良くなってきたのを感じる毎日なのよ。 そうよ、精霊様の御加護を多く頂ける者は、体内に多くの魔力を紡ぎだせるようになるし、行使する魔法の精度だってぐんぐん上昇するの。
それが、判ってからは、更に真剣にお祈りする様になったわ。 ええ、とても良い事なんだもの。
見習い堂女にとって、女子修道院の日常業務は、本当に雑務が多いのよ。 女子修道院の中には、いろんな部署があって、それに伴い色んな雑務が発生するのよ。 まぁ、領都の教会が聖堂の機能だけでなく、孤児院、貧窮院、薬師院、教え所、なんて色んな事をしているから。
――― 全ては、倖薄き者達への慈愛の手
で、あることは、間違いないんだけどね。
多岐に渡る様々な業務に関して、専門の修道女様方が居られるの。 神に全てを委ね、日々の研鑽と祈りを主として生活されて居られる、真の聖職者様。 だから、あの方々の事を教会では『聖修道女様』と、お呼びするの。 そんな風に呼ばれる者に成りたいと、切実に思うわ。 私が愛し、私を愛して下さる方がいらっしゃらなくても、そんな方に私が成れたなら、きっと心穏やかに過ごせる筈なんだもの。
でね、『その希望』が叶えられる為の有利な条件が、私には備わっているの。
それは、私は『魔法』が使えると云う事。
これは、リッチェル侯爵家の『教育』にも含まれていたわ。 そして、記憶の泡沫の中には、もっと高度な物も有ったの。 全ての泡沫が統合された結果、その教育内容も思い出して、色んな魔法を行使する事が出来るようになったの、今はね。 だけど、全部が全部、『有用』で『有益』な物とは言えないのよ。
――― 困った事にね。
だって、二十七回の生涯の中で、私は『愛する人』からの『愛を得る』事を必死に追い求めて、それを阻害する要因に対して、物凄く攻撃的になっていたんですもの。 そんな精神状態で、魔法が使えるとなると、『直接的』、『間接的』、そして、『精神的』な攻撃魔法を習得するに決まっていたわ。
だけど、魔法の根源たる、内包魔力はそんなに大きくは無かった。
だって、神と精霊様に祈るなんてこと…… ” 自分の望みを叶えて欲しい ” って事ばっかりで、神様や精霊様に感謝をする事さえしなかったんだもの。 そりゃ、そっぽ向かれるわよ。 反対に『邪悪な妖精』には気に入られるのよ。 偏った知識ばかりを得て、拙い魔力で複雑な魔法行使して、制御に失敗。 あげく大自爆…… なんて過去も有ったわね。
ほんと、何やってたんだろ? そんな事をしても、『愛して貰える』わけ無いのに。 心を縛れば、それに抗うのが『人』よ? そんな簡単な事さえ、判らなかったのは、ほんとに 『おバカ』 としか、言いようが無いわ。
でも、そんな私に教訓を垂れて下さる人も居なかったのも又事実。 暴走の果てに命を奪われるまで、誰も助言なんて呉れなかった。
つまり…… 人望が全くなかったって事ね。
なんか、泣けてくるわ。 ほんとに、何をやっていたのよ私はッ!
そんな『危険な魔法の術式』は、私の中に封印して、今では基本的な魔法の習熟にいそしんでいるの。 とっても、面白いわよ。 そのお陰で、只でさえ忙しいのに、あっちこっちから『お呼び』が、かかるのは……
ちょっと頂けないけど……
だけど、今はウッキウキで、薬師院に向かっているの
何故なら、煩雑な教会への『ご奉仕』の中で、楽しんでやっているのが、薬師院での雑務なのよ。 領都教会には、ちょっと特殊な聖修道女様が居られるの。
その方ね、王都大聖堂の 『廃大聖女様』。
もうすっかりとお年を召していて、『聖なる力』も 『わずかしか紡げない』と、云われておられた。 それで、王都の大聖堂から、『隠居』を命じられて、この領都の教会に籍を移されたって方なの。 元大聖女様。 王都の魑魅魍魎達の間で、長い年月、色んなモノを見詰めてこられた方。
とてもお年を召した方なんだけれど、とっても素敵な人なのよ。 そして、何故か私を、とても気に入ってくださった。 大聖女様ったら、何かにつけて、私を薬師院にお呼びに成るのよ。 まぁ、魔法の力でお薬の調合のお手伝い…… って事でね。
魔力を含有する薬草、俗に魔法草って云われる物から、薬効を抽出する際には、とっても繊細な工程が有るのだけど、『魔法』を使うと、うんと簡単に成るからね。 まして、魔法操作の力が増して、その上、内包魔力が増大している私は、お手伝い要員にはもってこいなのよ。
そして、何より、私はそれを楽しんでやっているのよね。
―――――
今日も今日とて、薬師院へ呼び出され、大聖女様と大きなテーブルを囲んでなんやかんやとお手伝い。
「エル。 こっちの魔法草を『乾燥』しなさい」
「はい」
手先で水を出す魔法陣を紡ぎ、【逆転】の呪文を口の中で唱えるの。 そうすると、水を出す魔法陣に、魔法草から水が ” 逆流 ” して、カラッカラに乾燥する。 ほらね、単に乾燥機に掛けて、脱水すると丸三日かかる工程が、この通りあっという間に終わるのよ。
「いいですね。 これをすり鉢に入れなさい」
「はい。 粉末にするのですか?」
「そう。 粉にして、色々な魔法草と組み合わせて使うの。 エルは熱心だから、この巻物をあげましょう。 中に、基本的な薬の調合比が綴ってあるわ」
「まぁ! 大聖女様! そんな大切な物を、私に?」
「よいよい。 いつもよく手伝ってくれるから。 わたしからの心ばかりの贈り物よ。 さて、もうちっと、手解きもしましょうか。 まずは、あの棚からレンゴレンの実と、アルフーラの葉を。 乳鉢と乳棒も持っておいで。 魔力を込めながら作る物は、感冒初期にとても効果のある粉薬となるから」
「はいッ! 大聖女様!」
とまぁ、こう云う感じでね。 他の聖修道女様方から、まるで『御婆様とお孫様』の様って云われるくらいなのよ。 色々な知識を授けて戴く毎日は、とても充実していて、楽しいの。 なにより、可愛がっていただいているって、本当に実感できるんですもの。
仲間の堂女たちからも、まぁ、そうなるよねって。 これには、ちょっと理由もあるのよ。 こっそり大聖女様から頂くお菓子なんかを、仲間の皆と一緒に食べてるから、そんなに反感は買わないようにしているのよ。 なんたって、色々な過去の経験から、女の嫉妬ってどれだけ怖いか、身をもって知っているんだもの。
私も含め、『皆で、ちょっとずつの倖せ』。 ね。 これが、“ 安寧 ” に暮らす、秘訣みたいなもの。
まぁ、それでも、この女子修道院には、聖修道女ばかりじゃないから、それなりに気を付けなければならないのも本当の事。 だって、問題児の方々も同居しているんだものね。
たった二カ月で、それなりの立ち位置を得られた事は、本当に神様に感謝しなくてはね。 ええ、日々の祈りが、私の力に成るのよ。
そんな感じで、見習い堂女の雑務をこなしていたの。
楽しい時間はあっという間。 今日の午後は違うご奉仕があるのよ。
領都教会 大聖堂での儀式の日なのよ、今日は。
月に一度の『成人の儀』。
十三歳に成った孤児が、孤児院から実社会に巣立ち独り立ちする、『晴れの日』がね。 祝福と共に、行くべき場所に、行く儀式が執り行われるの。
その御手伝いが有るのよ。
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――― 月に一度の『成人の儀』。
十三歳に成った孤児が、孤児院から実社会に巣立ち独り立ちする日なのよ。 実社会に出て行く彼らに、神官様の中でも、『導師』と呼ばれる方々が、『皆の行く道に幸いあれ』と祝福を贈られるの。
儀式としては、ごく小規模なのだけれども、孤児院の子供たちにとっては、本当に大切な事だったの。
その御手伝い。
大聖堂では無く、小講堂に集められた今月十三歳に成る孤児たち。 一張羅を着て、緊張に顔を蒼くしているのは、多分これからの事を想っての事。 だって、第一成人となり、実社会の荒海に乗り出していくんですもの、怖くない筈はないわ。
親も庇護する人も居ない、そんな者達の心に寄り添うのも、孤児院、ひいては教会のするべき事。 敬虔な祈りと、精一杯の祝福が、彼等の不安を吹き飛ばしてくれることを期待してしましょう。
今月の導師様は、領都アルタマイト教会で最年少の導師様。 とても強い精霊様との繋がりをお持ちの方と聞いているの。 その方が『導師正装』を纏い、小講堂に入って来られた時、『記憶の泡沫』が反応したの。
そうね、この方を知っている。
お名前は、ジョルジュ=カーマン導師と云われる方ね。 でも、本来は四節名の持ち主。 バヒューレン公爵家の血脈たるご出自なのよ。 公爵閣下の『若気の至り』で、低位貴族の侍女からお生まれになった、公爵家としては秘匿すべき男児なのよ。
この事は、秘中の秘とされて、領都アルタマイト教会でも上層部のほんの一握り高位神官の方達にしか知らされていないわ。 単に修道士とされなかったのは、その類稀な精霊様との繋がりの為。
―――― 彼が祈ると、『光』が降る。
とまで、言われるほど。 そしてね、ちょっと頂けないけれど、彼もまたその事に大層な自信を持って、とても矜持高く…… 高慢な性格なのよ。 たしか…… 『記憶の泡沫』によれば、もうすぐ王都大聖堂へ呼び出され、『聖女様』の『導き手』に任命される。
見目麗しく、公爵家の『色』を強く受け継がれたジョルジュ様は、最初はそんな御役目を嫌がっていたけれど、『聖女様』の天真爛漫な行いと、民への限りない慈しみを間近で感じ、徐々に惹かれていく。 そんな彼女を『みっとも無い』とか、『貴族の風上にも置けない、無粋な事ばかりする』と云って、虐めているようにしか見えない、『エルデ』には、反感を覚える様になっていくのよ。
まさに、同じような考えの持ち主だったのにね。
でもね、それが故に、その感情は徐々に激しさを増し、ついには憎まれるようになっていくのよ。 その結果が 『 アレ 』 よ……
「聖女様」に対する『侮辱罪』と、『不敬罪』で、『断首』と『黒の部屋への幽閉』と『車輪磔』の三つの行く先……。
彼の姿を見て、思わず眩暈がしたほど。 けれど…… けれど、もうその道は歩かない。 だって、既にリッチェル侯爵家とは何の関係も無いし、彼が王都に行こうが、『聖女様』の導き手に成ろうが、今の私は遠くこのリッチェル侯爵領から出る事は無いんだから。
―――――――
カーマン導師の祝福が始まる。
でもねぇ…… なんか、こう…… 気持ちが籠って居ないと云うか、御座なりと云うか…… ちょっと、なんだか、手を抜いていると云うか…… 光も降らないし…… 朗々たる『語り口』も威厳よりも、上から目線と云うか、無礼と云うか……
孤児たちの門出を祝福すると云うよりも蔑んでいるようにしか聞こえない。 なんとも、嫌な感じがするのよ。 そりゃ、貴方は、最年少で『導師』となった、有能で才豊かな人かもしれない。 その血筋がバヒューレン公爵家であるのも事実なんだよ。 でもね、その態度は無いよ。 それが、祝福する導師の態度とは思えない。
でも……
私は単なる『見習い堂女』でしかない。 何も言えない。 言葉を発する事さえ、許されない。 だから、私は一心に祈るの。 こんな嫌な奴の代わりに、今日巣立っていく孤児たちへ、『行く道に幸いあらん事を』ってね。
讃美歌を口に、手を胸に組み、小講堂の天井を見上げ、その向こうにある蒼く澄み切った空を思い浮かべながら、一心に真摯に偽りなく……
祈るの。
ふわりと頭を撫でられた気がした。 身体がほんのりと暖かくなる。 視界がとても明るく、澄み渡って見える。 ひらひらと…… ひらひらと…… 幾つもの純白の羽根が降り注ぐ。 私を中心とした、『見習い堂女』の真上から。
緩やかな風がそよぎ、降り注いだ純白の羽根が巣立つ孤児たちの頭上に漂い触れる。
ぱぁぁって、『光』が孤児たちの頭を照らし出して……
” 祝福されし子らよ、精進し、精励し、その身を立てよ ”
は、託宣だッ! す、すごい!! 凄い事!! よほど、今月巣立つ子達の中に、精霊様…… いいえ、神様に愛されている人が居るって事ね! カーマン導師も唖然として見てらっしゃる。 いくら、凄い導師でも、”託宣 ”を直に見る事は無かった筈だもん。
高位の神官様達だって、長い聖職者人生の間に一回あるかないかってモノだものね。
光が収まり、静かな小講堂に戻る。 清々しい空気と、皆の迷いの晴れた様な表情が、今日の日がとても素敵な日となった事を、私に教えてくれた。 感謝申し上げます、神様、そして、精霊様方……
もう一度、頭を撫でられたような気がした……
儀式は終わった。 ええ、カーマン導師様が、手早く終わらせたと云ってもいい。 だって彼には遣る事が有ったんだもの。 とても重要な事。 教会で生きて行く為には、誰よりも早く、明確にしておきたかった事でもあるのでしょうね。 それは……
カーマン導師は、それを自分が起こした奇跡として、教会上層部に告げに足早に小講堂から出て行ったの。
えっ? そうなの? あんな、やる気の無い祈祷で託宣が降りるの? でも、まぁ、才ある人だし…… 王都大聖堂への招聘もあるだろう人だし…… そうなのかもね。 仲間の皆と、あっけに取られるほどの、足取りだったわ。
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小さな立食パーティが、儀式の後に行われるの。 この準備も又私達堂女の仕事。 でも、まぁ、お祝だから、別に嫌だってわけじゃないし、ちょっとした役得として、参加できるのも嬉しい事なのよ。 多くの堂女もまた、『孤児院』の孤児からの繰り上げで神籍に入るから、彼女達にしても、仲間との思い出のパーティに成るのよ。
見知った、気の置けない仲間へ、ちょっとした『贈り物』を、する事もあるしね。
「いけ好かない導師だったな」
「有能な人よ、あの方は」
「そうは見えないな」
「まぁ…… ね。 それは、そうと、ご卒業おめでとう。 ところで、どの商会に入るの?」
「あぁ、エルの云ってた通り、一択に成ったよ。 色々と調べてみたんだ。 だから、一択になった」
「つまり…… アムラーベル商店?」
「あぁ。 商業ギルドでも、驚かれた。 あの人に乞われるって、そうは無いって」
「良かったじゃない。 そうね、そんな貴方に、私から祝福の贈り物を差し上げるわ」
「えっ?」
堂女服のポケットから、一葉の栞を取り出す。 長年使い続け、もう削れない所まで来ていた羊皮紙の端っこで作った『栞』。 後は焼却するだけって所を、ちょっとだけ切り取って作ったの。 端っこの方は、まだ厚みが有って、其処に聖別されたインクで魔法陣を綴ってね。
ほんのオマジナイ程度の、簡易な物。
神様に、『この栞を持つ人を護って欲しい』との気持ちと魔力を込めて綴ったモノ。
「見てくれは良くないし、可愛くも無いけれど、悪意から貴方を少しくらいは護ってくれるかも。 そう記述したから」
「……う、うん。 そ、そうか。 エルから贈り物なんて…… 思ってもみなかったよ」
「これから大変だよ、きっと。 私が云った事でもあるし、少しは責任感じているんだから」
ちょっと、ムッとして頬を膨らませる。 そんな私をルカは面白そうに見つつ、栞を頭に押し当てて、宝物のように懐に仕舞ったの。
「ありがとう。 御守りにするよ。 奇跡に立ち会えたし、素敵な贈り物も貰った。 門出には、申し分ないよな。 そうそう、門出と云えば、アントンって覚えてるか?」
「アントン? あぁ、何年か前にリッチェル侯爵家に入った人ね」
「有名だもんな。 でな、何でか知らんが、アイツ、俺の兄を自認しているんだ」
「へぇ…… 血が繋がってるの?」
「いいや。 兄貴分って事らしい。 俺は、別に気にしちゃいねぇけどな。 まぁ、アイツの考えている事を正確に察したのは俺だけらしいから、時々、あっちから孤児院宛に手紙なんざ書いてくる」
「義理堅い所もあるって聞いているよ」
アントン…… 覚えているわよ。 だって、|リッチェル侯爵家の末娘《エルデ=ニルール=リッチェル》が、領邸の執事長であるセバスティアンに見どころの有る孤児を孤児院から受け入れる様に命じたんだもの。
私がやった事なんだものね。
目の前に居るのが張本人だなんて、ルカは思いもしないだろうけどね。
「アイツも良い門出になるって。 もう頻繁には手紙も書けないって。 なんと、聖女様付きの『執事見習い』に成って、王都に行くらしいからな」
「それは、大抜擢ね」
「なんか知らんけど、大変らしい。 俺が噂に聞いていたリッチェル侯爵家の御令嬢はとても『やり手』な筈だったんだけどなぁ」
「『やり手?』 どういう意味?」
「いや、ギルドの職員の大人たちが一目置く人物だって…… 商工ギルドだけじゃ無く、冒険者ギルトやら、衛視衛兵の人達からも、そんな噂がでまわっていたんだよ。 アントンからの手紙じゃ、全くの別人のようだよ。 満足な淑女教育がされて居なかったとかなんとか…… どういう事だ?」
「……………… ……判らないわ」
「そうだよな。 判らんよな…… まぁ、俺達下々のモノには別に関係は無いけどな。 ……栞、ありがとう! 大切にするよ」
「そうね、その栞がルカの未来を少しでも手伝ってくれるように、私も祈っているわ」
「あぁ!! 大海原の向こう側の世界をエルに見せるんだからな!」
「フフフ…… 楽しみにしているわ、ルカ」
顔で笑って受け答えしているけど、此処の中は大荒れよ…… だって、アントンの話は、強く私の記憶の泡沫を刺激してくるんだもの。 過去の記憶は、今の私を強く戒める。
だって……
アントンは、私の従者だった。
従者らしく、私の行動管理をしてくれていた。
色々と無茶な命令を出していた。
急に本当の『娘』が出来たリッチェル侯爵家。 行き場所の無かった私は食客として、リッチェル侯爵家に引き取られ、王都で暮らす。 本当の娘から、何段も落ちた扱いに切れそうになりながらも、何時か本当の娘に成るのだと…… 愛してもらえるのだと……
――― 本当に色々とヤラカシテいた。
実際は、厄介者。 アントンもそんな厄介者に付き合わされた一人。 従者の専権事項として、主人に対し諫めもする。 本当の娘に対し、敵愾心を持っていた私を諫めてくれた事、数限りなく。 でもね、私の目は曇っていた。
――― そんな忠言を無視して、ヤラカシ続けた。
困った人から、厄介な人、そして、憎むべき人に成るのは、たいして時間は掛からない。 愛してくれる人を探している筈なのに、忠言を云って呉れる人を無下にした罰は、アントンが『私の言動』を事細かに記録して罪を暴き立てる証拠を作り上げた事。
直ぐ近くで、私を見詰め続けていたアントンは、私が何も反論できないようになるまで、詳細なヤラカシの記録を作り上げたのよ。 それをもって、断罪。 相手はリッチェル侯爵家の御令嬢。 そして、『聖女』。
罰は、まぁ…… 色々な方法での処刑。
後ろ盾のない、貴族籍もあやふやな女は、ただの平民として処刑されたわ。
矜持もなにも有ったものじゃない。
軽く眩暈がした。
でもね……
でもね…… もう、そんな未来は来ない。 だって、アントンは私の従者じゃ無く、あの子の従者に成ったんだもの。 きっと、彼の未来は安泰よ。 だって…… アントンの眼には、真に仕えたいと思う主人が、ずっと映っていたんですものね。
そう、あの子に心酔して…… あの子の為に……
ってね。 良かったじゃない。 これからは、ずっとあの子の傍に居れるんだから。 私には関係の無い事。 『記憶の泡沫』が、紡ぐ『物語』の様には成り様も無いもの。 わたしは、見習い堂女で領都教会に居るんだし、あの子は侯爵令嬢として王都に棲んでるの。
ええ、関係は無いわ。
ふと、思ったの。 『記憶の泡沫』が語った、27通りの殺伐たる死の内、9通りの運命が回避されたって。 あの子に関係した、最初の三人よ。 それぞれ三通りの結末を迎えたんだっけ。
ふぅ……
なんだか、肩の荷が下りた様な気がしたわ。
ええ、『運命』とか、『定め』とか…… そんな物をかなぐり捨てたって気がしたの。 これで、もうリッチェル侯爵家とは、関わらないで済む。
心から……
心の底から……
安堵の溜息が一つ、口から漏れたのよ。
―――― その…… 私の『考え』は……
甘かった。