一年と一か月前
宜しくお願い致します。 本作は、アルファポリス様にほぼ同時更新をしております。
“ それ ” が、目の前に現れたのは、王立貴族学習院への入学、一年と一月前の事だった。
リッチェル侯爵家の領地である、領都アルタマイトのリッチェル侯爵家の本宅での事。
王都の本邸に向けて王立貴族学習院に入学する為、旅立つ前日の夜の『談話室』での事。
まるで図ったかのような瞬間だったと、今ではそう思う。
あの時でなければ、私は、私でいられなかった。 これも又、『精霊様』の御導きと云うべきなのか…… は、判らない。 でも、あの時でなければ、私の中の『記憶の泡沫』が、現実と成り『誇り』も『尊厳』も『喜び』も『怒り』も『哀しみ』も…… 何もかもが『激情』に流され、破滅する未来しかなかった。
それが、あの『幻視』が、私に見せた直近の過去の『未来の幻視』。 その幻視の中で、『私』は、愛を得る為に自身の持てるものを全て使い尽くし、自身の居場所を作り、行動した。 しかし、それは、すなわち貴族に連なるモノとしては、甚だ不味い行動でもあった。
更に云えば、その時の私の立ち位置は、侯爵家令嬢では無く、単なる食客だったわ。 当然の如く私は切り捨てられた。 そう『元家族』の告発により、断頭台の露に成り果てたのよ。
私はただ、『愛される事』を切望しただけなのにね。 私に下された『罪』の名は……
―――― 国家反逆罪 ――――
私が愛を得ようと『努力した方』は、この国の王族に連なる方。 末端ではあったのだけれど、王位継承権も保持されている方。 お父様…… いえ、リッチェル侯爵様が、国家安寧の為の “ 政略 ” として整えて下さった婚約でもあったのにね。 でも、その方からの『愛』を得る事は無く、その方の『心の中に棲む方』に対しての私の行動が、その方の逆鱗に触れていたのよ。 整えられた婚約は、あっという間に破棄され、犯罪者として全てを失った私。
――― その記憶の泡沫が、脳裏に蘇ったのは、あの日、あの時、あの瞬間。
そして、その後『記憶の泡沫』は、様々な私の過ぎ去りし『未来』を見せたの。 記憶の統合が発生し、その結果、俯瞰的に、私を取り巻いていた現実が浮かび上がる。 世界の『意思』が強く反映したその『現実』は、私にとってあまりにも過酷なモノでしかなかった。
そこには、私への配慮など何もなかった。 私の『役割』は、他の人々が倖せを掴むために必要な障害と成る事。 私と云う『障害』を乗り越えた人々が、幸せな未来に向かって邁進する為に。 そんな世界の『意思』の数々。
そう、それは、私以外の人が幸せになる為の物語だった。
―――― そして、私は決断に至る。
世界の『意思』に対し、『否』を唱えると。 必要の無くなった私が出来る、私が私らしく生きて行くための決断が、それしか無かったら。
―――― § ――――
今年、王立貴族学習院を卒業なさって、領都アルタマイトへ帰還されたエオルド長兄様と一緒に、わたくしを迎えに来てくださったお母様。 学習院在学中のミリエル次兄様、オルランド三兄様も同行されていた。
家族の中では、ずっと一人きりで『領都』に暮らしていた私にとっては、初めて『お兄様方全て』と一堂に会する機会だったわ。 でも、何故か御兄さま達はわたくしと、ちゃんと目を合わせてお話しして下さらなかったし、お母様もどことなくぎこちなかった。
“そんなものよね ”
と、ある意味、諦観と共にその状況を受け入れていたの。 家族の中で、髪の色や目の色が私だけ違ったから。 リッチェル侯爵家では、腫れ物に触るかのような扱いをされて居たのは、物心ついた頃には、理解していたんだもの。
お父様は、三人の息子を得た後、どうしても女の子が欲しくて、お母様に懇願して、私を得た。 でも、私の外見が、どう見ても侯爵家の子供には見えない事から、お母様の不貞迄疑われる始末だったの。 娘を欲しがっていたお父様に怒ったお母様は、私を王都の本邸から、領都アルタマイトの本宅に移されたの。 お父様が娘との交流を持てないように、そういう思し召しだったらしいわ。
政略結婚ではあったものの、仲睦まじく暮らしていたお父様とお母様の不和の原因たる私は、王都本邸では、本当に身の置き所が無かったわ。 まだ、赤ん坊とは言え、その事を肌感覚で理解していたのが不思議だったけれども……
領都アルタマイトの本宅では、しっかりとした教育は受けさせてもらった。 お母様の『意地』であったのだと思う。 乳母も厳選されてはいたけれど、其処は……。 疑惑の子供の世話係など成り手があまりおらず、お母様のご実家や領の教会を頼り、しっかり者のマーサが付いてくれたと聞いている。
お母様が本邸から『ご用意』された『薫陶』とは別に、マーサが仕込んでくれたのは、自分一人で生き抜く術。 身の回りの事を自身で出来る様に成る事を始め、自身で生活出来る事を目的とした、領の民の一般的な知識と常識の伝授。
勿論、生活を成り立たせる為に必要な知識としての貨幣経済への理解を深める事と、生活する為に必要な金穀を得る方法とか…… 普通の『お嬢様』には、到底施すべきで無い知識と知恵を私に伝えてくれたのよ。 そこには、二つの理由が有ったと思うのよ。
一つは、マーサなりに、私の行く末を想っての行動だったと云えるわ。 だからこそ『その薫陶』は、本邸にはそれを告げてはいなかったの。 もう一つは、高齢なマーサの仕事の負担を軽減する為にも必要だった為。 令嬢の側仕えは、とても大変で、気を使い、体力も必要な職場なんですものね。
そんなマーサの薫陶は、勿論、お母様の意地とも云える、『薫陶』と同時進行で行われていったの。
時が過ぎ、私が十一歳になった時、家令のセバスから伝えられた事があったの。 それは、私の王立貴族学習院への入学。 その準備に、一年間本邸に棲む事になった事。 ちょっと、嬉しかったわ。
王立貴族学習院への入学と卒業は、この国の貴族として絶対なの。 事情があり、学習院に通学できない者も、救済処置もあり、このキンバレー王国の貴族の家に生れた者は、学習院に就学し卒業する必要があったの。 卒業時に王国から賜る『クラバット』が、この国の貴族である証拠になるから、領都にて秘匿されて暮らしている私も、貴族としての立場を与えて下さるのだと云うお父様の御意思だと思ったの。
勿論、例外もあるわ。 貴族籍を離脱するつもりとか、お家から見限られた者とかは、その限りでは無いのよ。 私も、そうなのだと思っていたのけれど……
だから、私は、王都の本邸に迎えられ、王立貴族学習院への入学準備をすると聞かされた時、ホッと胸を撫で下ろしたのよ。 だって…… これで、やっと…… リッチェル侯爵家の一員だと、お父様もお認め下さったと、そう思ったから。
――――― § ――――――
『その時』は、お母様やお兄達と一緒に、晩餐後のお茶を頂いて、明日からの旅路についての諸注意を頂いていた時だったの。
突然、談話室の一角が明るく光り、その中から人では無い…… とても綺麗な生き物が姿を現した。 薄緑色の羽根を動かし、物珍し気で、少し意地悪そうな視線を私達に向けてね。
“ 妖精 ”
それは正に妖精の顕現。 その表現が当てはまる容姿に皆が息を呑んだのが判る。 ゴクリと喉が鳴るのは、リッチェル侯爵が妻である “ お母様 ” だったわ。 その『妖精』は、フンフンと鼻を鳴らすと、次々とその場に居る私たちの顔を確認している様だったわ。 それで、ピタリと私に視線を止める。
「居たわ!! 貴女! そう、其処の貴女!! ……『名』は、なんて云うの?」
突然の問いかけに、戸惑いつつも、相手は妖精であるために、機嫌を損ねられては大変と、急いで淑女の礼を捧げつつ、自身の名前を口にする。
「御前に拝しますは、エルデ=ニルール=リッチェルに御座います。 ご機嫌麗しゅう御座います。 妖精様」