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『さよならを言う前に』7


      7


 海に落ちた少女の名前は、咲分花桃。今日、ナユタに着いたばかりだという。

 お祖父様の主治医に診てもらったから問題はないだろうが、とにかく元気そうだった。飛び上がって驚く程に。

 紅茶を振舞い、少しばかり話をすると彼女はフレンドリーに応じてくれた。どうやら、人柄は悪くなさそうだ。

 話を聞くと来週から、何と三ツ花に通うという。期せずして、転校生に会ったわけだ。

 彼女と話している間、私はずっと先刻の出来事が頭を離れなかった。

 海から引き揚げた彼女が少しの間だけ目を覚ました時。燃えるような彼女の琥珀色の瞳を見た、あの時。

「じゃあ、また学校で。気を付けてね、咲分さん」

「はい。ありがとうございました」

 咲分さんはぺこりと頭を下げた。

 本当はあの時の事を詳しく聞きたかったのだが、仕方がない。私は笑って、家のほうへと戻る事にした。

 坂道に足がかかったその時だった。ポケットの中で、携帯電話が震えだした。

 振動の感覚から、電話着信だとわかる。取り出して、画面を見た。

 意外な相手からだった。

「もしもし?」

「……よう」

 ぶっきらぼうな声音の女の子。一瞬、少しだけ身構えてしまう。

「……どうしたの、芳崎さん」

 彼女、芳崎フェンネルは、少しだけ答えるのに間を空けた。

「昼間、あんたと奥鐘が会ってたカップルだけどさ」

「え?」

「あんまり信用しないほうがいい。彼氏のほうはあんたとの約束があったのに、女に誘われるまま、ぎりぎりまでへらへら遊んでいやがった。悩んでいるって感じじゃなかったぜ」

 男っぽい、だが落ち着いた口調で芳崎さんは言った。

 脳裏に昼間の光景が甦る。ウインドストリートから去る時、私は確かに見た。雑踏に揺れる、黄金の尻尾を。

「あなた、何でそんな事を……」

「別に。何もしない奴だと思われるのも癪だからさ。少し手伝ってやっただけだよ」

 じゃあな、と言って電話が切れる。

 画面を見つめたまま、私はしばらく今の電話の意味を考える。

 彼女の真意はわからない。だが、ひとまずまた、考える手がかりを手に入れた。

 考えるべき課題を一つに絞ってみよう。今、出揃っている要素を元に、思考をまとめてみる。


 ――彼は、悩んでいるふうには見えなかった。

 だが、相談のメールは送ってきた。

 ――かつて、いじめの主要メンバーを放校処分にまで追い込んだ。

 だが、当初は彼女が同じ学校にいる事さえ知らなかった。

 ――事件後、彼女と連絡は取れていない。

 ……本当に?

 事件をいつ知ったのか、と聞いた時、彼は言った。三日前だと。素早く。勢いよく。

 部活でここ最近はバタバタとしていた。電話をかけても出ない。従って連絡が取れない。

 いいや、違う。

 彼にはまだ連絡を取る手段がある。聞いた通りの話なら、単にそれを実行していないだけだ。それは何故なのか。

 私はさらに、三つの疑問を思い出す。


 一つ、何故、山祢の鞄から全ての失せ物が出て来たのか?

 二つ、何故、持ち物検査はすぐに行われたのか?

 三つ、何故、山祢がフュージョナーであるという事が生徒の間に知れ渡ってしまったのか?


 一つ目の疑問については、ある程度見当がついている。決め手には欠けるが、状況から見ればこの方法が当てはまるはずだ。

 二つ目は一つ目よりもわかりやすい。何しろ、持ち物検査をした当の本人に会って来たのだ。まず間違いあるまい。

 残る三つ目。これは事件が終わった後の事だから、一見事件そのものには関係がないように思える。

 だが隠していたはずの秘密がいつの間にか暴かれているという状況は、やはりおかしいのだ。

 自身がフュージョナーであるという秘密を山祢自身がずっと隠しておけたなら、秘密は秘密のままだっただろう。だが、秘密は暴かれた。そしてさらに言うなら、秘密が人目に晒される原因は大体二つだ。全く無関係の第三者が秘密の内容を目撃してしまうか、あるいは秘密の共有者が、その内容を人に漏らすか。

 前者なら、今、手元にある情報では想像しようがない。後者なら、動機が必要だ。

 ――そう、動機だ。

 今回の事件、もし仮に山祢が犯人だと結論付けようとしても、彼女には動機がない。

 生徒達の間で噂になったような動機は、私の考えではあり得ない。

 だから、私は彼女が犯人ではないと思っている。犯人は恐らく別にいて、彼女を貶めるためにこんな事件を起こしたのだ。

 埋まらないのはやはり、動機だが。

 ……いや、待て。動機?

 閃くものがあった。もし、一つ目の疑問の答えが、私の考える通りだとすれば。

 そして、もしこの閃きが正しいものであるなら。

 偶然の可能性はあるが、もし考える通りなら、動機はおそらく――……。

 …………………………ブウン、ブウン。

「――っ?」

 ポケットの中で再び振動が起こった。またしても電話だ。

 またしても、意外な相手からだ。

「もしもし」

「……っ、はあ、はあ、部長、ですか」

 随分、息が切れている。全力疾走をした後のような。

「どうしたの? 奥鐘さん」

「……っ、はあ、突然、すみません。でも申し訳ないんですが、すぐに北駅まで来ていただけませんか」

 彼女はそこで、一度大きく深呼吸した。

「緊急事態です」


 私は急いで家へと戻った。今の時間なら、駅から電車に乗るよりこっちに来たほうが早い。

 案の定、屋敷に近付くと、敷地の中からバイクのエンジンがかかる音が聞こえてきた。

須恵入(すえいり)!」

 今にも発進しそうなバイクに駆け寄りながら、私は叫んだ。

 バイクに跨っていた女性が、たちまち驚いて顔を上げる。ヘルメットを外して、彼女は私を見た。

「お嬢様……! 一体どうしたんです?」

 須恵入は私付きのメイドの一人だ。普段から離れで暮らす私の生活を助けてくれている。いや、今はそんな事はいい。

「ごめんなさい。急ですまないんだけど、一緒に北駅まで乗せていってもらえる? 急ぎなの」

「へ? いや、まあ、それは構いませんけれど」

「ありがとう。上着を取って来るから!」

 中央道を使えば下手に電車に乗るよりは早く北駅に着けるだろう。私はそのまま離れへと直行し、自室まで駆け上がった。

 部屋の中では、メイドの一人である(かご)(かけ)が、さっき出した紅茶を片付けていた。

「お嬢様、どうかされましたか?」

「ちょっと出かけるわ。少し遅くなるかも」

「かしこまりました。お戻りの際は、重々お気を付け下さいませ」

「ありがとう」

 こういう時、籠掛は何も聞かない。普段から無表情で、私の言う事を何も言わずに受け入れてくれる。

「お嬢様」

 手頃な上着を見つけ、袖を通した時だった。籠掛がじっと私を見ていた。

「何?」

 急ぐあまり、多少ぶっきらぼうになりそうな声音を何とか抑える。

「これを」

 そう言って、籠掛は私にある物を差し出した。

「先程のお客様の御召し物に入っておりました」

 考えるより先に、私はそれを手に取った。用件が一つ増えてしまったかもしれない。とにかく、今は急がないと。

「預かっておくわ。じゃあ、行ってくるから」

「行ってらっしゃいませ。お気を付けて、お嬢様」

 そう言って、籠掛は深々とお辞儀をした。


 夜風が物凄い勢いで私の体を通り抜けていく。バイクに乗せてもらうのは初めてではないが、正直、まだこの寒さに慣れない。

 須恵入の体にしがみつきながら、私は先程の奥鐘さんとの会話を思い出す。


『――網澤タカノに会いました』

 そう言って、彼女は話を切り出した。

『一体、どうして』

『例の、コンクール作品の展示です。今日が終了という事で、作品の発送などに関しての手続きがあったようで、作者の学生が呼ばれていたようなんです。私、ちょっと気になってあの後市役所に行ってみたんですが、そこで小紋さんと、網澤タカノに会ったんです』

 小紋さんから少し離れて、網澤タカノは立っていた。

 当然といえば当然かもしれないが、網澤タカノは奥鐘さんに興味を示さなかった。入り口のほうに立っていた奥鐘さんに一瞥をくれただけだった。

 ただし、その目つきは、決して友好的なものではなかった。

 網澤タカノは小紋さんのほうをなるべく見ないようにしていた。どうしても傍を通る時は、必ずと言っていいほど、嫌そうな顔をした。

 時を同じくして、奇妙な事が起きていた。本来なら市役所へ来なければならないはずの人物が、来る様子がないのだという。電話も通じないらしい。

 その人物とは、無論、山祢カオルだ。

『係員の人が連絡を取っていましたが、その時は、どうなっているのかわかりませんでした』

 そこで一息ついて、奥鐘さんは話を続ける。

『手続きが終わってから、小紋さんと一緒にモールを見に行きました。彼女が今日の話を聞きたがったので、話をしようと思って。で、話が終わってからトイレに寄ったんですが、その時一番奥の個室から、大きな音が聞こえてきたんです』

 女の子の声だったという。

 ――これ以上、何を言えっていうのよ!

 ――いいからそいつの名前を言え!

『誰に私の事を聞いたんだ、確かにそう言いました』

 すぐさま、また大きな音がして、怒鳴り声が応酬した。

 悲鳴が聞こえた。その時点で、奥鐘さんは中へ乗り込もうとした。

 その時だった。扉が開いて、中から人が出て来たのは。

『山祢カオルでした』

 尋常な目つきではなかった。激しい感情に捉われていて、とても話し掛けられるようには見えなかったという。そして何より、奥鐘さんは彼女が手に持っていた物に、思わず怯んだ。

『包丁です。剥き出しの包丁を鞄に仕舞って、彼女は出て行きました』

 一瞬、追うべきかどうか迷ったが、結局奥鐘さんはトイレの個室へと走った。

『中には網澤タカノがいました。最初に言っておきますが、刺されてはいません。山祢カオルの包丁も綺麗なままでした。でも、網澤タカノはひどいパニック状態でした。何を聞いても暴れるばかりで、落ち着かせるのが大変でした』

 ようやく落ち着いた網澤に、奥鐘さんは、自分が山祢の事件の事を知っている事と、どうしてそれを知るに至ったかを説明した。

 そして、つい今ここで何があったのかを、彼女に訊いた。

『山祢はショッピングモールにいた網澤の前に、突然現れたそうです。そのまま、トイレの個室まで連れ込んで、掴みかかってきたと』

 ――事件について知っている事を全て言え。

 ――誰があたしを嵌めたのかを、教えろ。

『少しの間争った末、つい弾みで、網澤は事件の真相を話したそうです』

 山祢はそれだけでは納得しなかった。その真相を網澤の口から皆に説明するように要求したのだそうだ。

 それを、網澤は強く拒んだ。二人はさらに争う事になった。

 争いの最中、さらに山祢が問うた。

 ――一体誰から、あたしがフュージョナーだと聞いたのか?

『山祢が包丁を取り出して、ようやく網澤は暴露した者の名前を言ったそうです』

 そして、それを聞いた山祢はすぐに出て行った。

『網澤を小紋さんに任せて、私はすぐに山祢を追いました。途中、姿を見つけて追いかけたんですが、逃げられてしまって……』

 そこで、私に電話をしてきたのだ。

『部長、とにかく来ていただけませんか。山祢がこのまま大人しくしているとは思えません。刃物を持っているのなら、もっとひどい事態になるかもしれない』

『……もしそうなったら、本当に私達の手には負えないわ』

『実は、従兄弟がナユタ市警に勤めているので、ついさっき連絡したんですが、返信はありません。お願いです、とにかく今は事情を知っている人が必要です』

『わかった。今すぐ行くわ』

『ありがとうございます。では、駅でお待ちしています。ああ、そうだ。最後に一つだけ』

『何?』

 少しだけ間が空いた。ほんの少しだけだ。

『――市役所を出る時、網澤タカノとすれ違ったんですが、その時彼女、こう言ったんです』


 『――脇へ退いてろ、半人ども――』


 バイクは今、中央道を走っている。北駅のシンボルは駅のすぐ横にあるショッピングモールと、そして長い円柱のようなホテルだ。イギリスにある有名ホテルのナユタ支店。

 その、塔のような建物が、遠くのビル群の中に見えてきた。


 須恵入に礼を言って、私は北駅への階段を上る。

 これで欠けていた手がかりは全て揃った。頭で組み立てた推理の、確信も得た。

 あとは山祢を見つけるだけ……。

「部長!」

 多くの人がごった返す北駅の改札前で、奥鐘さんと小紋さんの姿を見つけた。私は急いで、二人に駆け寄る。

「山祢カオルは?」

「まだ見つかっていません。従兄弟も連絡が取れなくて」

「そう。まだこの辺りにいるかはわからないけれど……。そういえば、網澤さんは?」

「さっき、親御さんが迎えに来た」

 口を開いたのは小紋さんだ。

「車に乗ったから、もう大丈夫だと思う」

「そう、ひとまず安心ね」

「部長、さっきの話ですが――」

 奥鐘さんが、そっと口を開く。

 しかし、続きの言葉は出て来なかった。つんざくような悲鳴が、ショッピングモールの広場から聞こえてきた。

「行きましょう」

 二人に言いながら、私は走り出す。

 今夜、この辺りで悲鳴を上げさせるような人物は、一人しかいないだろう。



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