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クリスの一念塩対応をも通す

 クリスが旅先から城に帰って来て一週間が経った。

 事あるごとにレオナールにプロポーズしているが、クリスの求婚は今に至るまで成功していない。

 薪窯の奥で煮込み料理、中央で川魚の塩釜焼き、手前でじっくりパンを焼きながら、調理場の作業台に頬杖をついて考え事をする。

 以前レオナールに城内に川を作ってくれと頼んだ時は断られたが、幸いにも城からでてすぐの森の中に小さな川がある。そこに石を積んで網を仕掛けておけば、人に荒らされていない森の中だからか川魚が入れ食い状態なのだった。

 低級魔のヤヌスは城から出ることは出来ないから森の中には一緒に行けないが、麦を挽く作業は手伝ってくれるようになったし、ひもじい思いもしなくて良くなった。生活自体はとても快適だ。

 衣食住が足りるようになると、人間と言うのは罪深い生き物で、今度は心を満たしたくなる。

 まだ教会で生活していた頃、よく夢を見た。

 凍りついたように冷たい美しい女性(ひと)の顔。まさに貴婦人の姿に変わってしまった今のレオナールだ。

 夢の中のその女性は、何も喋らない。表情すら変わらない。とてもリアルな質感なのに、人形のようにピクリとも動かないのだ。

 けれどあんまりにも同じ夢を何度も見るものだから、乙女思考のクリスはそれを、前世で愛した女性なのだと思った。実際、浄化能力を持つ歴代の聖女は全員クリストファーという名だと教えられてもいたし、きっと以前のクリストファーの愛した人なのだと納得していた。

 クリストファーとは自分にとって一体何なのか。自分は生まれ変わりなのだろうか。そもそも生まれ変わりなのだとしても、夢の中で見たレオナールの顔しか知らなかった自分はもはや別人なのだろうか。

 お前がバカなのは七百年前から知っているとレオナールは言っていた。

「以前の私はどうだったのかなぁ」

 前世の記憶があったら良かったのに。そうしたら、この何と言って良いか分からない感情に名前をつける事が出来たかもしれないのに。

 心に湧き上がるこの感情はきっと恋と言うのだと思っているのだけれど。

 パンが焼ける匂いが調理場の中に充満して、漂っていた思考の海から現実に引き戻される。

 慌てて薪窯の扉を開くと、奥の方のパンが少し焦げていた。

「あちゃー」

「ちょっと黒いね」

「焦げてるね」

 いつの間にかアダムとイブがクリスの両肩に飛び乗って窯の中を覗き込んでいた。

 普通の人間ならば幼児とは言え二人も肩に載れば重いが、ヤヌスは物理的な質量はないから重くはないのだった。

 ミトンを両手に嵌めて、パンを取り出していく。

 作業台の上に置かれたバスケットの中に入れると、湯気が立ち上った。

 ぐううう ――― クリスの腹が盛大に鳴り響く。

「とりあえずご飯を食べてから考えよう」

 悲しいかなクリスはまだまだ色気より食い気だった。



 近頃クリスが結婚結婚と連呼してうるさい。

 以前は城の中の適当な寝台やカウチに横になっていたが、どこにいても見つかってしまうので、最近は棺桶の中に入って蓋をする事が多くなった。

 

 トントン トントン


 その棺桶の蓋を叩くヤツがいる。

 

 トントン トントン


 はっきり言って無視だ。居留守だ。会話を断固拒否しているのである。

 それでもめげないクリスは許可もしていないのに勝手に蓋を開けてくる。

 スライドして側面に蓋を立てかける音がする。

「ご主人様、結婚しましょうよー」

 にゅっと覗き込んで来たクリスが、鼻息が掛かる距離で聞き飽きたセリフを言っている。

 レオナールは通常装備の死んだような表情で口を開く。

「お前のそれは、刷り込みってやつだぞ」

「刷り込み?」

「鳥の雛なんかはな、眼を開けて最初に見た物を親だと思い込むんだ。お前はきっと夢の中で見たとか言っていた私の顔に、恋だと錯覚しているだけだ」

 ズバリと指摘してやったその言葉に、クリスはきょとんとした表情で首を傾げる。

 そしてまた何か思いついたように目をらんらんと輝かせて口を開いた。

「錯覚かどうか、確かめてみたいです! どうせ三百年あるんですし、数年無駄にしても……いっそ人間一人分の寿命くらい無駄にしても、やり直しは可能です! 結婚してください」

 どうしてそんな斜めの方向に思考の舵をきるのかレオナールには全く理解できない。

「お前たちが言うところの結婚なんか私にはなんの意味も持たないぞ。そもそもが、人間共が神と呼んでいる存在が、すでにこの世界にはいないのだから、約束を誓っても聞き届けるヤツがいない」

 この世界は神と呼ばれるそれの壮大なる暇つぶし。あるいは何かの実験か。

 最初は自分に似せた生き物を配置した。自分と同じ力を持たせたる事は出来ないから、能力を低くして、力を限定した。それが、吸血種族だ。敵が居なくては面白くないと、瘴気と魔獣を配したが、思ったよりもこいつが弱かった。仕方がないので餌として魔獣よりも弱い人間を適当に作り、吸血種族が間接的に守らなくてはならないようにした。

 三すくみ状態にして何を期待したのかは分からないが、それを観察するのにも飽きたのか、この世界を見限って今は別の箱庭を作って遊んでいる。

 レオナール以外の仲間もおそらく、すでに次元を渡ってその箱庭で遊んでいる。

 神のように無から創造する事は出来ないが、別の次元に干渉して渡る事は、エネルギーさえあればそう難しい事ではないのだ。

 自分のように贄を限定され、その贄がこの身を蝕む猛毒でさえなければ。

「じゃあ、神様に誓わなくても良いです。そもそもご主人様と私じゃ普通の定義が違うんですから、人間世界の常識を押し付けたって意味なんかないですよね。だから、お互いに歩み寄りましょう」

「歩み寄り……ねぇ」

「ご主人様は、贄である私の品質を管理する必要がありますよね。食事は美味しい方が良いですから。人間は心が幸せでないと健康を保てないんです。ご主人様の美味しい贄でいられるように、人間で言うところの夫婦になって下さい」

 また何だか奇妙な理論を持ち出して来たな、と、何故だかしてやったり顔のクリスをジロリと見上げる。

 正直なところ、面倒くさくなって来た。

 レオナールはクリスの説得は不可能と判断して、棺桶の中で長いため息を吐きだした。

 

 ――― はーーーーーーー。


「お前は本当に変わっているな……。そんな事で人間であるお前が幸せだと思えるような気はせんが、時間だけは嫌というほどあるから付きやってやるさ」

「ご主人様ほんと? ほんとですか?」

「いい加減お前の謎理論に付き合うのが面倒になっただけだ」

 もう黙れ、と諦めたように漏らして疲れたように瞳を閉じた。

 そこに、クリスの唇が押し当てられる。反射的に瞳を開くと、薄紫の瞳と視線がぶつかった。

 バカバカしすぎて、拙すぎて、怒る気にもならなかった。

「記念のキスです」

 そう言って、クリスは満足気に笑った。

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