やっぱり我が家が一番
ハイルデンの英雄クリストファーの聖なる力で、大地を覆っていた魔獣と濃い瘴気は浄化され、再び人間は美しい大地を取り戻した。
だが、それもしばらくの間のことでしかなかった。
平和な時代は長く続かず、再び領土を巡ってあちこちで紛争が起きていた。
父は戦争に駆り出され、二度と帰って来なかった。ひどい時代に生まれたから、他に兄妹はなく、肩を寄せ合いながら生きてきた母は無理がたたって先月死んでしまった。
紛争地から逃れるようにして母と二人旅してきたが、もう逃げ場などこの先にはない。
あるとすれば、呪いの地と呼ばれる深い森の中だけだ。
百五十年前、英雄クリストファーが魔王を討ち滅ぼした因縁の地。
この先、まだ成人してもいない女一人で生きて行く事など無理だ。男に身体を売っても、こんな時代だから大して稼ぎにもなりはしない。
身体を汚して生きながらえて、それでどこまで命を繋ぐことができるのか。
小汚い男物の外套を深く被り、できるだけ人とかかわらずにここまで来たが、もうそれも限界に近い。
少しばかり残っている小銭では、まともな食料さえ手に入れる事はできない。
だから、せめて人の寄り付かない呪いの地で、尊厳を守りながら静かに死んで行こう。そう決意して森の中を一人彷徨っていた。
ここに来たことはないのに、何故だか懐かしい気分になる。道など知らないのに、勝手に足が迷いなく道を選ぶ。
昔は舗装されていたのだろうか、今は荒れ果て、土に埋もれるようにして石畳の敷かれた跡が見える。
ひび割れ、土の中に埋まったり、途切れたり、隆起した木の根に剥がされたりしているそれを辿っていくと、木々に覆われるように森に沈んだ城が姿を現した。
荒れ果て、蔦も雑草も伸び放題の異様な光景だが、不思議とそれを見ても怖いと思わなかった。
普通なら鍵が掛かって入れないだろうし、そんな不気味な城に入ろうなどと思うのは盗賊ぐらいしかいないのだろうが、何故だかとても去り難かった。
こんなに荒れ果てているのなら、一晩雨を凌ぐのに使わせてもらっても良いだろう。
女はそう思って、開くはずのない門扉に手を伸ばした。
がっちりと絡まっていた蔦は、まるで魔法でもかかっているかのようにシュルシュルと引いて行く。さして時間もかからず、門扉はひとりでに内側に向かって開いた。
見えない力に誘われるように、門をくぐって敷地内へと入っていく。
不思議なことに、外側からはあんなにも荒れ果てていたそこは、美しく整っていた。完全に朽ち果てる寸前に見えていたというのに。
風雨に晒されているはずの玄関ドアも磨き立てのようにピカピカで、軽く混乱する。
もしかして、わからないだけで誰かが住んでいるのだろうか。
ドアノッカーを叩いて見るが、内側から誰かが出てくる気配も、返答もない。
それなのに、またしても扉はひとりでに内側に向かって開かれる。
勝手に入っても良いのかわからず、そっと内側を覗き込むと、視線の先に白い猫が一匹座っている。
その猫とカチリと視線が合う。そして、猫がニャーンと一鳴きする。
おかえりと言われたような気がした。そんな事、あるわけがないのに。
白い猫はおいでおいでと言うように、少し歩いてはこちらを見つめる。何度かそれを繰り返すものだから、許されもしていないのに抗えず後に付いて行く。
内側に入ると、また扉はひとりでに閉じられた。
城の中の空気は清浄で、塵一つなく美しい。それなのに、使用人の一人の姿もない。
キョロキョロと視線を動かしながら、猫が進む後ろを付いて行く。
外側からは想像できなかった程に美しい城。もちろん生まれた時すでに戦中だったし、ただの平民だった自分はこんな城になど入った事はない。それなのに、酷く懐かしいのだ。どうしてだろう。
白猫の案内で足を踏み込んだ城の最奥と思しき部屋の中、進む程に目に飛び込んでくるのは透明のガラスの箱だ。
近づいてみると、それは柩の形をしている。中には銀の短剣を抱いた男性が横たわっている。まるで、生きているかのように生々しい。
その柩を上から覗き込んでいると、何故だか胸にこみ上げるものがあった。
知るはずがないのに、知っている。でも、それがどうしてだか分からない。
重そうな柩の蓋に手を伸ばすと、またしても触りもしないのに蓋はひとりでにスライドして側面に落ちて立て掛かった。
男の髪は月の光を集めたように、眩い銀色をしている。
少し細身ではあるけれど、背の高い健康そうな青年だ。
死んでいるのだとしてもあまりにも綺麗だから、恐る恐る手を伸ばしてみる。頬に触れると暖かくて、静かに呼吸しているのがわかる。
「生きてる……」
生きていると分かって目を見開いた。
「あの、お休みのところすみません。勝手にお邪魔しています」
声をかけてみるが目覚める気配はない。
死ぬ前に、こんな夢みたいなことが起こるなんて思っても見なかった。
この人が目覚めたら、ここを出て行かなくてはならない。許可も得ず勝手に入り込んでいるのだから、怒られるに決まっている。
どうせ怒られるのなら、どうせ死ぬのなら、この綺麗な人の手に掛かって死にたい。
彼の握ったその剣で痛みも感じずに死ねたら良い。
そう思って、柩の淵に腰を降ろし、目覚めるはずのない男の唇を奪った。
暖かく、柔らかいその懐かしい唇。
唇を外そうと目を開くと、薄紫の瞳と視線があった。
驚いて、とっさにガバリと上半身を起こす。
目覚めた彼はこちらを見つめて、まるで恋人が帰ってきたかのようにとろりとした表情をして笑った。
「おかえり、レオナ」
「どうして私の名前を……」
男は握った剣を手放し、柩の中でゆっくりと上半身を起こして両手を広げた。
まるで壊れ物にでも触れるように優しくレオナを包み込む。
「待っていたから。ここであなたの還りを、ずっと待っていたから」
その言葉に、レオナの金色の瞳から、涙が溢れた。
訳もなく、懐かしくて、愛しくて、胸がいっぱいになった。
レオナの足元に、そっくりな白と黒の猫が二匹、いつの間にかやって来て絡みついていた。
クリスとレオナは七人の子を儲け、幸せに暮らした。
レオナが天寿を全うし、召されてすぐ、青年の姿のまま年を取らなかったクリスも眠るように息を引き取った。
「父さんは本当に母さんを愛してたんだなぁ」
二人の間に生まれた長男のシルバルドが、うららかな春の日差しを浴びる墓石の前でそう呟いた。
弟妹たちは、それにうなずくようにして笑いあった。
おわり
平行世界の神話の裏側




