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無茶振りだけど頑張ります

「クソ、もう抑えきれない!」

 男の目の前には、地獄絵図のような光景が広がっている。

 何体切り捨てても尽きる事なく湧いて出る魔獣。容赦なく屠られていく仲間達。

 疲労と、額から流れる汗で視界はおぼろ。もはや立っている事すら限界に近い。

 それでも、逃げ出す事はできない。たとえ今ここから逃げたとしても、魔獣の侵攻を食い止める事ができなければどの道この国は滅びるのだ。

 あとは任せる、俺の死を踏み台にしろ―――そう託す事ができる英雄がいれば良かったが、もはやここまでのようだ。

 諦念した男が死を覚悟して瞳を閉じた時、遠くの方から軽い足取りで近付いて来る人の気配があった。


「諦めてはなりません!」

 耳に拾った地獄にはふさわしくない高い声に、男は目を見開いた。

 駆け寄って来るのは修道服を身にまとった若い女性だった。

 たどり着いた彼女が両手を組み合わせて何事かをつぶやくと、放射線状に白い光が伸びて、大地に湧き出した瘴気と魔獣が砂のように崩れ落ちて消えて行った。

「聖女様……」

 ギリギリの所で命を繋ぎ止めた男は修道女を呆然と見つめて崩れるように膝をついた。

 これまで前線で戦ってきた男ですら初めて目にしたその修道女は、百年周期で誕生すると言われている大地を浄化する能力を持つ聖女であった。

「お怪我はありませんか?」

 そう言って微笑む聖女の笑顔は、男の目に、希望の消えかけた大地にあって唯一の光に映った。



「行ってくれるか、クリスティーン」

 養父である大司教にそう言われては、自分には拒否する事はできない。

 聖女クリスティーンは幼少期より年老いた養父の悲痛な面持ちを見て頷くことしかできなかった。

「わかりました」


 幼少期から長い間過ごした教会を出立して、クリスティーンは国が寄越した騎士団の馬車に揺られている。もう、二度と戻る事はできない。

 国は滅びの危機にあった。五百年続く瘴気と魔獣との戦いは、人間の敗北で幕を閉じかけている。

 百年周期で誕生する聖女の奇跡も、ここ数百年でジリジリと拡大してきた瘴気のお陰でもはや焼け石に水状態であった。

 遡ることが出来る史実はおよそ五百年前まで。それ以前の記録はすでに朽ち果てていて知る事はできないが、それでも国が調べた限りでは、五百年前はここまで酷くなかった。

 いつまでも年を取らず不死の状態で生き続けるレオナール・ドラクル伯爵が瘴気を引き起こしているのだと断定し、国は五百年間ドラクル伯爵に手を変え品を変え殺戮者を送り込んでは撃退される事を繰り返していた。

 人と魔獣との戦いの均衡が崩れたのは、およそ二百年前。

 闇の眷属と名高いドラクル伯爵を時の聖女が封印した事から魔獣の侵攻が激化する引き金となった。

 聖女は精霊銀の剣でドラクル伯爵の胸を突いたが、魔力強大な闇の眷属を滅ぼす事はできなかった。火をつけても燃える事はなく、朽ち果てることもないその身体は、結局伯爵の居城で棺桶に入れられて安置される事となった。

 伯爵の居城もまた時が止まったかのように、あらゆるものが眠りについた。使い魔も、時計も、二百年も経てば朽ちるはずのものさえも。居城の外側から垣間みる事の出来る庭園が、文字通り草木の一本すらこの二百年動いて居なかった。

 そして扉は固く閉じられたままだ。

 

 もしかして、濃い瘴気と魔獣を押しとどめていたのはドラクル伯爵の力だったのではないか、と国のお偉方が言いだしたのが数日前。

 そして聖女であるクリスティーンはドラクル伯爵の元へと押しかけ生贄よろしく馬車に乗せられている。

 聖女が伯爵を封印した当時の状況はクリスティーンには分からないが、敵と決め付けておきながら今になって封印を解き、この窮地を救ってくれなどと虫の良い話だと思う。

 いくらなんでも無理があるとは思うが、国の偉い人達は藁にもすがる思いなのだろう。

 なにせ国が滅びの危機に瀕している。聖女一人を生贄にして収まるならと言ったところだろう。

 浄化の能力を持って生まれたとは言え、偽り聖女の自分には荷が重い。

「目覚めた瞬間殺されちゃいそうだなー」

 封印した聖女本人ではないが、恨み骨髄人間側の当代聖女だ。伯爵にすれば目覚めた瞬間八つ裂きにしてやりたいと思うだろう。

 短い人生だったな、とクリスティーンは思いながら、それでも国が滅ぶ様を見ることなく神の御前に還る事ができるならそれも幸せかもしれないと思い直した。


 三日後にまた来ると言い残し、騎士団の馬車は帰って行った。

 生存確認の為だろう。

 どうせ無駄足になりますよ、と言いたいが、それもなんの希望もなくて寂しいから口には出さなかった。

 クリスティーンとて死ぬのは怖い。できることならこの先も生きていたいが、今の状況を総合的に判断すれば望みは限りなく薄い。

 どうせ死ぬのなら、せめて伯爵の慈悲にでも縋って痛くないようにしてもらおう、と偽り聖女らしい考えを頭に浮かべる。

 後ろ向きの考えを振り払うように、クリスティーンは頭を振って、居城の玄関口に立った。

 固く閉じられているはずの扉は、クリスティーンが触れるといとも簡単に内側に開かれる。

 ここ二百年、国が差し向けた兵の力ではビクともしなかったと聞いている。

 やはり伯爵は復讐相手を待っていたのだろう。


 居城の中には、二百年閉ざされていたとは信じられないくらいに澄んだ空気が満ちている。

 誰も管理するものがいないのに、埃の一つもない。庭園同様時が止まっているのだ。

 事前に騎士団の兵から聞いていた二階の最奥の居室を目指す。ドラクル伯爵はそこに安置されているらしい。

 どんな加減か分からないが、光の満ちた居城の中、たどり着いた居室には黒い柩が横たわっている。

 クリスティーンは決心するように一息ついて、柩の蓋に手を掛ける。

 胸の鼓動が速くなるのを感じながら、ぐっと腕に力を込めた。


 スライドさせるように蓋をずらして中を覗き込むと、そこには黒い木乃伊(ミイラ)状のものが収まっている。その胸には、輝きを失うことなく突き立った精霊銀の短剣。

「う゛ッ……」

 禍々しく異様な光景に、思わず口から形容し難いうめき声のようなものが漏れた。

 これをどうやって蘇らせろというのだろうか。

 恐る恐る木乃伊に手を伸ばし、その表面に触れてみる。

 乾燥したようにカラカラで、水分を感じられない。

 とりあえず、封印しているのだから、胸の短剣を抜くべきだろう。

 柄の部分を両手で持ち、ぐっと上に引くと、扉同様いとも簡単に抜ける。

 しばらく反応を待ったが、部屋の中には静寂が満ちるだけでなんの変化も起こらない。

「剣を抜くだけではダメなのね……」

 聖女で無くては目覚めさせる事ができないのなら、浄化の力で目覚めるかも、とクリスティーンは胸元で両手を組み合わせて祈りを捧げる。

 体から光が発せられ、放射線状にその場を包み込む。

 柩の中を覗き込むと、内側に収められた木乃伊は砂になって崩れていた。

「はッ……」

 よく考えると、ドラクル伯爵は闇の眷属なのだった。考えるまでもなく浄化なぞしてはいけないのだった。

 これはまずい。なんとしても生き返ってもらわなくては。

 しかし、砂になったものが元の形に戻るかは分からない。

「とりあえず、乾いているのなら水分だよね」

 クリスティーンは引きつった表情のまま呟いて、城の調理場を目指した。

 貴族の屋敷は、調理場に近い場所に井戸がある事が多いのだ。


 しばらく彷徨って一階の奥で調理場を見つけ、その勝手口から外にでるとすぐに井戸がみつかった。調理場から水差しを拝借して、それに汲んだ水を入れて柩の前に戻る。

 黒い砂と化したそれに、上から豪快に水を掛けてみる。

 ジャー ―――

 また柩を覗き込んでみるが、黒い砂は多少水を吸ったが、そのほとんどは混じり合わず乾いたままだった。

 クリスティーンは利き手を額に当て、ため息を吐きながら俯いた。

 行動の馬鹿さ加減に、思わず現実逃避しそうになる自分をなだめ、しばしその場で固まる。

 

 身体は止まったままだったが、何とかこのミスを挽回すべく高速で動いていた思考は、ある一つの事を思い出した。

「司教様は大事な事をおっしゃっていたはず。そう、伯爵は吸血種族だって……」

 クリスティーンは意を決し、木乃伊から引き抜いた精霊銀の短剣を使って自分の親指の先を少しだけ切った。

 プクリ、と玉のように溢れ出た血を、柩の中に一滴落とす。

 

 光が満ちた部屋のなか、ぞぞぞ、と闇が蠢くように柩に集まっていく。

 見下ろす箱の中で、あっという間に砂は人型をかたち作り、潤いを取り戻していく。

 黒い水面から浮かび上がるようにして現れた男は、貴族らしい黒い衣服を身にまとっていた。

 白いのを通り越し、いっそ青白い肌と銀色の髪。そして―――

 カッと見開かれた瞳は血のような紅だった。

 目覚めたそれは開口一番こう言った。

「マズい!」


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