第56話 『スパイ大作戦』
ジョイスからの命を受けたケーニッヒは、オルソの尾行を開始するが……。
帝国軍でも最低の将と言われていたオルソ・ダッツィが、まだ連合軍に潜り込んでいる。
兵士から相談を持ちかけられたジョイスは、放っておけずに部下のケーニッヒへ証拠集めを命じた。
あのオルソならば、必ずどこかで軍規違反を犯しているはず。
その尻尾を掴むべく、ケーニッヒは一度自室で準備を整えると城の中でオルソを探し出し、尾行を開始した。
懐にはメモとペンを忍ばせており、これにオルソの問題ある言動の数々を記録していく予定だ。
今のところ、軍規に引っかかる程の問題行動は起こしていない。
部下に威張り散らし、上官には媚びを売る、いつものオルソだった。
これだけでもジョイスやカイザーに報告すれば解雇処分くらいにはできるだろうが、その程度では甘い。
軍法会議に引きずり出すだけの決定的な証拠は無いものかと、ケーニッヒは城内でオルソの後を付け回した。
(中々尻尾を出さないもんだな……ってあれ、今度は城外へ行くのか? 軍服のままじゃまずいな……)
城内は軍人などいくらでも居るので違和感なく活動できたが、城の外となると目立ってしまう。
だがこんなこともあろうかと、ケーニッヒは尾行を始める前に自室から変装セットの入った鞄を持ってきていた。
城下町へ向かったオルソを見失わないよう、適当な物陰で軍服を脱いだケーニッヒは手早く行商人の格好へと着替える。
他の変装セットも含めて商品に見立てて背に担ぎ、一般人にうまく溶け込んでオルソの後ろにぴたりとついた。
ジョイスがわざわざ自分で調査するのではなくケーニッヒに命じたのは、彼が器用でこういったスキルを身に着けているからこそだった。
大柄なジョイスでは目立ってしまい、すぐに尾行が発覚してしまう。
重装兵として戦場で右腕を務めるだけでなく、こういったジョイスの苦手分野をカバーするという面でも、ケーニッヒは重用されていた。
(さて、どこまで行くんだ? 休憩に街に出たってわけでもなさそうだが……)
目的地ははっきりとしているのか、寄り道は一切していない。
それでいてキョロキョロと周囲を見回して、何かを警戒している様子だった。
そしてどこかへ向かっているのは確かだが、不意に道を曲がったり、かと思えば来た道を引き返したりと足跡が安定しない。
明らかに尾行を警戒している動きだった。
(まだバレてないみたいだが……。ますます怪しい。何かあるぞ、こりゃ)
尾行を警戒しているのだと気付いたケーニッヒは今まで以上に慎重に、見つからないようオルソの後をつける。
やがてオルソは一軒の食事処へと入って行った。
ケーニッヒは自分も店に入る前に変装を変え、今度は金持ちのボンボンのような服装に着替えた。
そして近くに居た娼婦達に声をかける。
「君達、ちょっと仕事を依頼していいっスか?」
「あら、ステキなお兄さん。どんなプレイがお望みかしら」
するとケーニッヒは先に銀貨を渡した。
「俺の後について、あの店に入って欲しいっス。頼みたいのは、そんだけっス」
「……?? まあ、いいけど」
娼婦達を連れ、店に入るケーニッヒ。
これでどこからどう見ても、女遊びの最中の遊び人にしか見えない。
オルソを発見したケーニッヒは近すぎず遠すぎずのテーブルにつき、彼女達に飲み物と菓子を奢りつつ、標的の様子をうかがう。
どうやら待ち合わせをしているようで、オルソは二人用のテーブルに一人で座り水だけ注文してじっとしていた。
(一体、誰と会う予定なんだ……?)
その謎の人物は、程なくして現れた。
あどけなさの残る愛らしい顔立ちの女で、真っ直ぐにオルソの待っているテーブルへとつく。
ケーニッヒはその女に見覚えがあった気がして、やがてどこで見かけたか思い出した。
(おいおい、あれってジョイス隊長が懇意にしてるって言う、カタリナって人じゃないのか?! 何でオルソなんかと?)
ケーニッヒもまた、ジョイスとカタリナが仲良くデートしている姿を何度か目撃している。
その時は二人の邪魔をしては悪いと声をかけずに立ち去ったのだが、後で他の同僚から名前と今の進展状況を聞き、自分も応援しようと思っていた矢先のことだった。
(まさかダッツィの奴、ジョイス隊長の女に手を出そうってのか? よーし、これも記録してやる。ジョイス隊長にはっ倒されろ)
怒りを我慢して聞き耳を立てたケーニッヒだが、何と聞こえてきた会話は想像を超えるものだった。
「尾行は居なかったでしょうね?」
「もちろん。ワシは尾行をまくプロだぞ」
間抜けなことに、ケーニッヒにつけられていることには全く気付いていない様子だ。
「ワシの方は順調に昇進して、機密情報が扱えるようになる日も近い。で、そっちはどうなんだ?」
「駄目ね……。ジョイスは仕事のことを聞いても何も話さない。公私混同はしないタイプのようね」
カタリナの言葉に一瞬耳を疑ったケーニッヒだったが、黙々とメモに二人のやり取りの記録を残していく。
「ねぇ、お客さん。何書いてるの? 見せて見せて」
娼婦は興味津々といった様子で覗き込んでくるが、ケーニッヒはそれを制する。
「あ、これは見てみぬフリをして欲しいっス。君達は普通に世間話でもしててくださいっス」
小声で娼婦達にそう指示を出すと、ケーニッヒは再び聞き取りに専念した。
「あの大男から、情報は引き出せんのか。女に弱いと聞いていたから、うまくいくかと思ったんだがな」
「じっくりと攻めてみるわ。それより、本当に機密情報は持ってこれるんでしょうね?」
オルソとカタリナのやり取りは、もしたちの悪い冗談でないならアルバトロスの国家機密を盗み出そうという、いわゆるスパイ行為だった。
問題はどこがスパイを送り込んできたのか、そこである。
「ふん、ワシを誰だと思ってる。それよりも、機密を手土産にした暁には、ロイースでの将軍の地位を約束してくれるんだろうな?」
「ええ、それはもちろん。情報を持ってきてくれれば、の話だけどね」
どうやらカタリナの正体はロイース王国のスパイで、オルソはそのスパイと協力関係にあり、国の機密情報を売ることでロイースへ鞍替えを考えているようだ。
(こ、これは大変なことになるぞ……! とにかく、会話を全部記録しないと)
ケーニッヒが必死にメモを取っている最中に、オルソとカタリナは席を立つ。
「場所を変えましょうか」
「そうするか」
ケーニッヒは二人が店を出るまでじっと待ち、それから標的がどっちへ曲がったかを確認すると自分も店を出て次の変装セットを取り出す。
ボンボン風の派手な洋服を脱ぎ、今度はみすぼらしいあちこち解れた地味な服に着替える。
「あ、あの……お客さん、何やってるの?」
「君達の仕事はこれで終わりっス。これ、追加報酬なんで、今日のことは忘れて欲しいっス」
変装を終えるとケーニッヒは銀貨の入った袋を首をかしげる娼婦に渡し、駆け足でオルソの後を追った。
しばらく呆然と彼の背中を見送った娼婦達だったが、顔を見合わせて喋りだす。
「今の見た? まるでスパイものの演劇みたい!」
「着替えも早かったし、まるで別人みたいになっちゃって……」
「ひょっとして、本物のスパイだったりして? きゃー!」
忘れて欲しいと言われたが、彼女達にとっては忘れられない楽しい思い出となった。
一方、オルソとカタリナを追うケーニッヒは、人気のない路地裏までやって来ていた。
みすぼらしい衣装に加えて、口の中、頬の裏側に綿を詰め込んで顔の輪郭を変え、更に頬紅で顔をほんのり赤く染め、後は小道具として半端に中身の残った酒瓶を手にすれば昼間から飲んだくれている酔っ払いの完成だ。
と言っても酒瓶の中身は本物の酒ではなく、ただの水である。
とてもさっきのボンボンと同一人物とは思えない姿で、いかにも泥酔しているかのようにフラフラと蛇行運転しつつ、オルソ達へ近付いていく。
「うぉれはぁ、酔ってないぞぉ……。これっぽっちも、酔ってなんか……ヒック」
酒瓶の中のただの水を煽り、ついに酔い潰れたかのように路地裏にへたり込む。
二人はしょうもないただの酔っ払いが来たと思っており、全くケーニッヒのことを警戒しなかった。
「情報の他にも、要人の首を手土産にして貰えれば、より待遇はよくなるわよ? やってみる勇気はある?」
「カイザーもジョイスも、とても暗殺できそうにはないな。だが一人、弱そうなアテが居る」
オルソは相手の力量を計ることは長けており、特に自分より格上の相手を見分けるのは天才級だった。
それもこれも強い相手に向かっていって死なないための、彼なりの処世術である。
「ヨハンソンとかいう、田舎者の軍師が居てな、カイザーはその女をかなり重用している。だがそいつは武術も魔法も全く駄目な奴で、ワシなら確実に討ち取れるだろう」
「ヴェロニカ・ヨハンソンね。頭脳労働ではかなり優秀で、国を支えていると聞いているわ。その首があれば、バルバリーゴ様も喜ぶでしょう」
二人からは影になって見えないところで手を動かし、メモを取るケーニッヒ。
考えるよりもまず手を動かしてペンを走らせるが、頭の中は想像以上の深刻な事態に混乱しつつあった。
「それより、ロイース王国は本当に安泰なんだろうな? 沈むことが分かりきっている泥舟に乗るのは御免だぞ」
「泥舟はアルバトロスの方よ。ロイースはバルバリーゴ様が完全に掌握しているし、これからどんどん国土を拡大する。泥舟よりも勝ち馬に乗る方が賢いんじゃないかしら?」
その後、二人は別れてオルソは何食わぬ顔で城へと戻っていった。
後をつけるケーニッヒも城に戻る前に変装を解き、いつもの軍服姿に戻ると、焦らず、ゆっくりといつも通りの様子を装ってジョイスの執務室へと向かう。
「どうだ、ダッツィの証拠は掴めたか?」
「それが、隊長……えらいことになってるっス」
ケーニッヒは必死に取ったメモと一緒に、今日見てきた内容を伝えた。
カタリナがロイースのスパイで、ジョイスには情報を引き出すために意図的に接触を図ったという事実はジョイスにとってショッキングだったが、今はそれよりも優先すべきことがある。
「これは反逆だぞ。事は重大だ、今すぐハルトマン議長に相談しなければ。ケーニッヒ、お前も一緒に来てくれ」
ケーニッヒを連れたジョイスは、急いでカイザーの執務室へと場所を移動する。
そしてカイザーとヴェロニカに、ケーニッヒの証言も交えてオルソの行いについて説明した。
「こんな下品な男がまだ軍に残っていたとはな……。それだけでも我慢ならんのに、国を売るだと?! 即刻、軍法会議だ。縛り首にしてやる!」
オルソのような軍人を嫌悪していたカイザーは、話を聞いて激昂した。
いつも落ち着いているカイザーがここまで怒るところは、滅多に見られるものではない。
ジョイスとケーニッヒも異論は無かったが、一人ヴェロニカだけはジャンクフードを咀嚼しながら、ケーニッヒの記したメモをじっと眺めていた。
「待ってください。これ、使えませんかね?」
「こんなクズ、何に使う?」
カイザーはかなり苛立っていたが、ヴェロニカの意見を聞く程度に理性は残してあった。
「敵のスパイと繋がっているということで、うまくすれば偽情報を流して混乱させることもできますし、ロイースの内情も知ることができるかも知れません」
ヴェロニカの案はこうだった。
オルソはしばらく泳がせるが、犠牲者をこれ以上増やさないためにオルソを昇進させると同時に休暇を言い渡して待機させ、偽の情報を握らせる。
同時にいつカタリナと接触を図るか分からないので常に監視し、カタリナとのやり取りも全て記録する。
「管轄は諜報部に移し、我々もこのことは他言無用ということで、どうでしょう?」
ヴェロニカにとっては、ジョイスの春など完全に他人事だった。
あまりの変人ぶりに男が寄り付かなかったせいもあるが、同時に彼女自身も異性への興味は皆無である。
腹の虫が収まらないカイザーだったが、個人の感情はひとまず置いておいて、裏切り者を逆に利用してロイース王国の内側を探るという策は確かに使えると考えていた。
「確かに使い道はあるかも知れんが……。ジョイス、お前にとっては辛いんじゃないか?」
人並みの感性は持ち合わせているカイザーは、今まさにショックを受けているであろう同志を案じた。
ここ最近上機嫌で女ができたということは気付いていたが、まさかそれが敵国のスパイだったとまではカイザーも今知ったばかりだ。
ようやく新しい女性と親しくなれたと言うのに蓋を開けてみればこんなオチとは、カイザーもジョイスの心中を察して余りある。
「いえ、真実を知って私も目が覚めました。ヨハンソン殿の策を実行しましょう」
ジョイスはあくまで大局を取った。
弱い本心は、全て見なかったことにしてカタリナと幸せな夢を見ていたいと言う。
だが武将としての強靭な彼は、むしろここが勝負所だと自身に言い聞かせた。
「本当に、いいんだな?」
「これも国民のためです。我々が動かずして、誰が解決できましょう」
カイザーもジョイスも、軍属になった時から国民の安息を守るべく死ぬ覚悟を決めている。
ここでスパイの色香に負けてなるものかと、ジョイスは両手で頬を叩いた。
「……よし、分かった。その手で行こう。軍法会議は、スパイから情報を聞き出してからでも遅くはないからな」
「決まりですな。ケーニッヒ、お前もこのことは外に漏らすな」
方針は決まり、ジョイスは部下に口止めをする。
「了解っス。俺、口は堅い方なんで」
一見ノリの軽い男に見えるが、ケーニッヒは口が堅いというのは本当だった。
相変わらず、常にものを食べながら何を考えているか分からない目で三人を見つめていたヴェロニカは、付け加えるように言う。
「ジョイスさん、女スパイに怪しまれないためにも、今の関係は維持してください」
急に素っ気無くなればカタリナに怪しまれてしまうだろうし、今後も折を見てデートに誘う他無いだろう。
「ええ、分かっております」
カタリナにとってジョイスは獲物。
狩人は獲物が急に警戒すれば、すぐに気付くものだ。
「よせ、ヴェロニカ。ジョイス、お前がそこまでする必要は……」
カイザーは止めようとするが、ジョイスは首を横に振る。
「今回は確実にスパイを釣らねば。公私混同は致しません」
そう啖呵を切ったはいいが、彼の内心は揺れる。
次に彼女と会う時、どんな顔をすればいいものかとジョイスは悩んでいた。
こうして、オルソを泳がせつつロイースの情報を探るという極秘作戦がスタートする。
オルソの昇進とそれに伴う部隊への休暇の指示は、将軍であるジョイスが出した。
上官である将校がオルソのことを気に入っているので、その将校ごと騙しての人事だった。
更に諜報部にはヴェロニカが話を持ち込み、カタリナというロイースのスパイについて調べつつ、密かに監視することとなる。
ちょうど記憶を取り戻したキラが、ロイースを目指して出発した頃の出来事であった。
To be continued
登場人物紹介
・ケーニッヒ
ウルフじゃない方。
ジェームズ・ボンドほどじゃないが器用に動ける便利な男。
知らなきゃよかった事実を掘り返すのはお手の物だ。
・カタリナ
話がうますぎると思ったらKonozamaだよ!
美人相手だと男は油断するから多少はね?
・ジョイス
すまぬ……俺には言葉が見つからぬ。




