第46話 『長距離の決闘 後編』
『一匹狼』と『鷹の目』、どちらがより優れた弓手なのか白黒つける時が来た。
北国の山林で、二人の達人が互いの生存権を賭けて激突する。
ヘイス・ベイエル。『鷹の目』の異名を持つ、凄腕のスナイパー。
特定の国や軍には所属せず、自らの武力を売り歩いて金を稼ぐ傭兵の一人。
その弓の腕はもはや芸術の領域に達した達人であり、異名通りの優れた視力と相まって、ヘイスの矢から逃れられる者は居ないとまで言われた男。
そんなベテラン傭兵のヘイスだが、乱世に毒された彼は次第に強者を狩ることを無上の喜びとするようになり、その逆に弱者に対しては興味を失っていった。
手にかけるのは、自分が認めた強者のみ。
弱者は殺す価値もないので見逃してやる。
いつしか、それがヘイスの勝手に決めたルールとなっていた。
ギャング団から黒蜘蛛の首領バッシュの暗殺依頼を請け負ったヘイスは、単身で交易都市ファゴットに乗り込みその首を狙うが、レジスタンス側に雇われたユーリに獲物を横取りされた挙げ句、狙撃勝負で敗北する。
その敗北が、ヘイスに次の標的を指し示した。
(俺は、自分より強い者を狩る”狩人”だ……。やはり、『狼』は狩る価値のある獲物だった!!)
ユーリの狙撃を紙一重でかわし、地面に降りたヘイスは保護色となるマントで草木に紛れながら、移動を続けていた。
ファゴットの街からずっとユーリを追い続けてきたヘイスは、ここでついに追いついた。
即座に狙撃に有利な場所を見分けて陣取り、威嚇射撃で馬車を止め、邪魔な他の仲間を荷台に押し込めた。
旅の仲間達も粒揃いの猛者が多かったが、ヘイスの今の興味はユーリ一人に向けられていた。
絶対の自信を持っていた狙撃での勝負で自分を負かした、『一匹狼』へと。
(奴が何故消えるのかは分からん。だが、この状況を作れば回り込んでくることは予想がついたぞ、『狼』!)
馬車を襲ったのも、所詮は挑発。
ああやって追い込めば、謎のトリックを使ってファゴットの乱の時のようにまた側面から狙撃してくるだろうと、最初からそう考えていた。
だからこそ、横から飛んできた矢にもギリギリで反応できたのである。
ヘイスは相手がこの手を使ってくることを読んでおり、馬車だけでなく全方位に注意を払っていた。
(さあ、勝負はここからだ! 尻尾を見せろ、『狼』! それさえあれば、お前を射抜いて見せる!)
前回の戦闘の反省から、側面攻撃をかわすことに成功したヘイス。
だがこれで勝ちではない。
ユーリが姿を消すトリックはまだ解明できておらず、大まかな位置は把握したもののどこに潜伏しているのかも分からない。
だが先の狙撃の失敗で相手を見失ったのは、ユーリの側も同じ。
今、互いに移動しつつ目を凝らし、索敵をし合っている状態だ。
(あれは……?!)
『鷹の目』と呼ばれたヘイスの視力が、山林の中で奇妙な違和感のある箇所を見つける。
ちょうど、ユーリの矢が飛んできた付近だ。
具体的に何なのかは分からないが、何かのカモフラージュでも使っているのか、うまく背景の景色に溶け込んでいる。
だが微妙に後ろに見える木の輪郭とのズレが生じていた。
そのズレが動いているため、目の錯覚でないことが分かる。
(奴だ、間違いない!)
直感にも等しい確信を得たヘイスは一度見つけた景色との違和感を見失わないよう、目で追いながら新たな狙撃ポジションに陣取る。
相手側も移動しており、まだこちらを見つけていないようだ。
もし外しても反撃に対する防御ができるよう遮蔽物の近くでヘイスは矢を構え、ほぼ透明も同然の標的に向かって一矢を放つ。
対するユーリは魔力の残りに注意しつつ移動を続けていたが、常人離れした彼の動体視力が自分目掛けて飛んでくる矢を捉える。
咄嗟に回避し、倒れ込むように岩陰に身を隠すユーリだが、完璧な狙いの矢を完全に避け切れず肩にかすり傷を負った。
飛来した矢から敵の大体の方向を把握するが、まだ具体的な位置が分からないまま彼は動けなくなってしまう。
状況は最悪だが、毒矢ではなかっただけまだマシだった。
もし鏃に毒が塗られていたなら、血を流すだけでは済まずに今頃死んでいただろう。
(くそっ、奴には”見えている”のか……!)
ユーリの透明化の術は、完全に姿を消すものではなかった。
背景に溶け込んでほぼ透明に近い状態になれるが、光の屈折の関係でどうしてもぼんやりと輪郭が見えてしまう。
例えるならガラスのコップに入った水のように、透明ではあっても背後の景色との微妙なズレが生まれる。
そのため目のいい達人であれば、それを見抜いて感知することも可能だった。
もっとも、そんな芸当を見せたのは今まで数える程しかおらず、ユーリにとっては見ず知らずの相手であるヘイスが新たにその一人に加わった。
敵は透明化していても僅かな違和感を頼りに見つけてくる以上、今までのように術に頼り切るわけにはいかない。
ヘイスは先にユーリを発見し、最初の一矢は致命傷を避けたものの、岩陰に逃げ込んだのはもう分かっているだろう。
ここから出れなければ、後はジリ貧で追い詰められるだけだ。
(せめて、敵の位置さえ分かっていれば……)
今のユーリは、ヘイスを見失ったまま一方的に撃たれる状態だ。
索敵しようにも、例え透明化していても首を出しただけでまた矢が飛んでくることは予想がついた。
かと言ってここでじっとしていれば、ユーリに発見されていないのをいいことに、ヘイスは側面に回り込んで遮蔽物から追い立てるだろう。
(何とか、見つからずにここから脱出しないとな)
敵の位置を割り出すにも、まずは身の安全の確保が最優先となる。
透明化も見破られた今、どうしたものかと考えていたユーリだったが、ふと強い風に煽られて揺れ動く地面の草が目に入った。
山林の中は雑草が生い茂っており、視界を遮る程背は高くないが、これは使えるとユーリは判断した。
(騙せるか? あのスナイパーを)
タイムリミットが迫る中、迷っている猶予はないとユーリは行動を起こす。
一方、透明化を見破って先にユーリを見つけ、優位に立ったヘイスは獲物が逃げ込んだ岩陰の周辺に目を凝らしていた。
(あの奇妙なカモフラージュを使って、また奴は這い出してくるだろう。その時が、お前の最期だ!)
もう透明化した敵を見分けるコツは掴んでいる。
ファゴットの街や馬車から出た時と同じ手を使おうとしても、もうヘイスには通用しない。
三度同じ戦術が通じると過信して遮蔽物から出てきたその時こそが、ヘイスの狙い目だ。
その時、また強い北風が山林を吹き抜ける。
木々が揺れ、地面の草もざわめく。
北国の風は非常に冷たく骨身に染みるような寒さだったが、事前に立ち寄った村で買った酒を口にしておいたおかげで、身体が凍えるようなことはなかった。
ドラグマ人は寒さ対策に酒を携帯していると聞いたヘイスは、それに倣っていた。
酔わない程度に酒を飲み、それで身体を温めて低い気温に備える。
傭兵の中には酩酊して判断力が低下することを嫌って酒を飲まない者も居たが、ヘイスは比較的酒に強く、簡単には酔わなかった。
(やはり狩りは楽しいな! この緊張感こそ、生きていると実感できる……!!)
ヘイスの異常な興奮は酒によるものではなく、戦いに狂った彼の性格から来るものだった。
命のやり取りは、一度病みつきになると抜けられない底無し沼にも例えられる。
人によっては麻薬など足元にも及ばないと言う程に、生死をかけた戦いの緊張感は癖になるものだ。
様々な戦場を傭兵として渡り歩き、二つ名がつく程に腕利きの相手を屠ってきたヘイスは、その薬物依存よりも危険な底無し沼にどっぷりとハマってしまっていた。
だが弓の道を極めたと言っていい達人のヘイスに匹敵するような猛者は中々おらず、次第に彼は退屈を覚え始め、倒すべき強者を探し求めるようになる。
それはまるで、獲物を求めて徘徊する飢えた獣のようだった。
そんな中でようやく見つけた極上の獲物。
『一匹狼』、それとの命の削り合いにヘイスの興奮は最高潮に達する。
強敵との死合い以上に心を燃え上がらせるものを彼は知らず、麻薬を吸ったり、娼館で高級娼婦を抱いたりしても満たされない欲求が、充足感で満ちる感覚に酔い痴れていた。
「ふふ、ふふふ……!」
ユーリが逃げ込んだ岩陰の側面へ回りながら、ヘイスは笑みが溢れるのを抑え切れなかった。
注意深く凝視していたが、透明化したユーリが出てきたところはまだ確認していない。
まだ獲物はそこに籠もっている。
遮蔽物を避けて射撃できる位置につけた時、ついにこの戦いに決着がつく。
それこそがヘイスの求める戦いのクライマックス、勝利の喜びそのものだ。
(『狼』、お前は俺の知る中でも最上の獲物だった! 狩った後は、ここに墓を立ててやろう!)
ついに岩の側面に回り込んだヘイス。
すぐに弓を構え、隠れていたユーリを射殺す気でいた彼だったが――
(居ない?! いや、どこかにカモフラージュして潜んでいるはずだ!!)
目を凝らすが、あの妙な違和感はどこにも感じない。
今度こそユーリは影も形もなく消えていた。
(どういうことだ?! 奴の奇術は見破ったはず……! まだ奥の手があったとでも言うのか?!)
その時、ヘイスの背後から一本の矢が背中に突き刺さる。
「がっ……! お、『狼』ぃぃぃーっ!!」
マントを破き、鉄の胸当てでも完全に止め切れなかったが、幸いと言うべきかまだ致命傷ではない。
敵は後ろだと気付いたヘイスは雄叫びを上げながら振り向き、牽制として照準の定まらない矢を放った。
意外にもユーリはかなり近くに居た。
それも灰色のフード付きマントに何本もの草を括り付け、雑草のお化けのような格好になりながら。
「そうか、草に紛れていたのか!」
ヘイスは透明化の術を見破ったが、今度はそれに囚われ、ユーリが同じように透明になって身を隠すと思い込んでしまった。
ユーリは原始的かつスナイパーなら誰でもやったことがある、草によるカモフラージュで岩陰から脱出していた。
強い風が吹いたその瞬間、大きく揺れる草に紛れて移動したのだ。
それ程背は高くない草だが、這いつくばって匍匐前進すれば紛れられないこともない。
揺れ動く草の中、草の塊のようなものが少しずつ移動しても、それを人間だと見分けるのは難しい。
それこそガラスや水の光の屈折以上に区別のつかないものだった。
その状態でユーリは辛抱強く息を潜め、ヘイスが近付いてくる瞬間を待ち続けた。
そしてついに見事背後を取ることに成功する。
「目的は何だ? 何故俺を付け狙う?」
ヘイスの頭部にぴたりと狙いを定めながら、ユーリが問う。
「ふふふ……知って何になる?」
対するヘイスは牽制で放った矢はユーリの左腕をかすめた程度で外れ、次を番えようにもチャンスを待たないといけない。
普通に考えれば喉元に剣を突きつけられたも同然の”詰み”の状態なのだが、ヘイスはこの状況すら楽しんでいた。
「知ってから決める」
ユーリのフードの奥から覗く目が、鋭くヘイスを見据える。
彼にとって敵が誰か、どんな名前か、そんなことはどうでもよかった。
何が目的か、誰の差し金か、そこが問題だ。
「”奴ら”の仲間なのか? 答えろ!」
弓を引きながら凄むユーリに対し、ヘイスはと言うと突然大声で笑い始めた。
「ふははは……! はーっはっはっはっ! やはり、お前は俺が思った通り、いや、それ以上の獲物だ! 狩るに値する、強者だ!」
「ふざけるな!」
わけの分からないことを口走るヘイスに、珍しくユーリが怒声を発する。
「俺は、自分より強い者を狩る”狩人”! 今回は俺の負けだ。だが『一匹狼』、俺はいつでもお前を見ているぞ!」
ヘイスはそう宣言すると、服の左袖から小さな煙幕を取り出し、足元に投げつけた。
すぐにもうもうと煙が立ち上るが、ユーリは反射的に息を止め、視界が効かない中でヘイスの”反応”を追う。
負傷しながらも素早く逃げていくヘイスを発見したユーリは、次々と矢を放ちつつ追跡した。
だが背後からだと言うのにヘイスは矢をかわしながら逃げ続け、丘の先へと走っていく。
(理由は分からんが、ここで逃せば次に勝てる保証はない!)
取り逃がせば後々の驚異になると、ユーリも懸命に後を追う。
既に魔力は切れており、足に魔力を集中させて速力強化を行うこともできず、かと言って注射を打っていたらその間にヘイスを見失ってしまう。
ヘイスも残りの煙幕を使ったり、振り向きざまに投げナイフを投擲したりと、あの手この手でユーリの追撃を振り切ろうとしていた。
やがて山林を抜けて開けた岩場になり、妨害をかわしながら追跡するユーリの矢が、再びヘイスの背中を捉える。
「ぐっ?! う、うおおおーっ?!」
その一矢でバランスを崩したヘイスは、何とそのまま崖から転落していった。
(丘の先は崖だったのか……)
追いついたユーリは崖下を覗き込むが、かなりの高さがあり、下は流れの激しい川になっていた。
この高さから落ちたならまず助からないだろうが、死体が見当たらない辺り、川に流されていったようだ。
(死亡確認をしたかったが、これでは無理だな)
川の水がクッションとなり、まだ生きている可能性も残されている。
今となってはヘイスがこの地形を知った上で意図していたのかどうかは、分からなかった。
もし息があるならトドメを刺したいのは山々だったが、下流まで下って死体探しをしているような時間も無い。
(かなり時間を使ってしまったな……)
ユーリが懐中時計を取り出して時刻を確かめると、もう馬車を出てから30分以上が経過していた。
キラ達はもうユーリを死んだものと思って馬車で逃げている頃だろうが、後から追いかけて合流すればいいと彼は考える。
ヘイスの矢がかすめた肩と二の腕の応急処置を自力で済ませると、ユーリは迷彩のためにマントに括り付けた草を取り外しながら、ゆっくりと来た道を戻った。
敵の目的も分からず死亡確認もできないまま、不完全燃焼な不安を抱えて元いた道に戻ってきたユーリが見たのは、まだ同じ場所に留まるキラ達の馬車だった。
「あっ! キラ、あの仏頂面帰ってきたわよ!」
見張りとして馬車の外に出ていたレアが彼を見つけ、馬車に向かって声をかける。
「良かった、無事だったんですね!」
キラに続き、他の仲間達も馬車の中から出てきてユーリを迎えた。
「ユーリ、遅いから心配したわ」
ねぎらうようにそう言葉をかけるソフィアだったが、そんな彼女達にユーリはやや怒気を含んだ声で言い放つ。
「……30分経って戻らなければ、逃げろと伝えたはずだが」
ユーリも帰り道、とっくに置いていかれているだろうとばかり思っていた。
だが待っていたのは、狙撃手がまだ居るかも知れないにも関わらず、その射程内でのんきに待機するキラ達。
これにはユーリも呆れるべきか怒るべきか、内心迷った。
「あなたを置いて逃げるなんて、できるわけないでしょう?」
ソフィアもまた強いトーンで言い返す。
ユーリの直接の雇い主であり、商売相手として約10年の長い付き合いのある彼女。
例え時間が過ぎても、ユーリを一人置いていくという選択肢はソフィアにはなかった。
「要人が危険だとは考えなかったのか」
ユーリの言う要人とは、護衛対象であるキラのことだ。
キラを護衛する目的で彼を雇ったと言うのに、その傭兵の帰りを待つために危険地帯にキラを待機させたのでは、本末転倒だとユーリは考えていた。
念の為に馬車はソフィアの展開した指向性防壁で守られていたが、いくら賢者とは言え長時間維持し続けるのはかなりの負担だっただろう。
「狙撃手の狙いは、あなた一人なんでしょう? 私達にはどうやら興味がないようだったし……」
「俺が死んだら、どうするつもりだったんだ」
ユーリが時間になっても戻らなければ逃げろと伝えたのはキラの安全のためでもあるが、負けて死んだものと考えて先に進むようにという意味でもあった。
敵に狙われている危険な状況下、帰らない味方を待ち続けること程、愚かで命を危うくする行為もない。
死と隣り合わせの戦場で生きる傭兵だからこその非情のルールだった。
「お、俺は逃げようって言ったんだ!」
そう主張するカルロは何なら30分待たずに逃げ出したいというのが本音で、仲間の反発を受けつつも移動すべきだと最後まで譲らなかった。
「僕は結局、どうすべきか決められなくて……」
ヤンもまた狙撃手に狙われているこの場所から一刻も早く離れたい一方、仲間を置き去りにすることに抵抗を感じており、その相反する意見が彼の中で拮抗した結果どっちつかずの立場で居た。
気まずい雰囲気の中、キラは少しでも空気を緩和しようと笑顔を見せる。
「で、でもほら、ユーリさんも無事帰って来ましたし。今回も、勝てたんですよね?」
「ああ。だが、所詮は結果論だ」
ヘイスは純粋な射撃の腕ならユーリと互角か、もしくはそれ以上。
五分の勝負すらも怪しい中での、長距離の決闘だった。
そんなユーリからすれば、彼の帰還を信じてスナイパーの目の前で待ち続けるなど愚の骨頂。
下手をすれば全滅していてもおかしくない。
「グチグチうるせーな! ようするに、ソフィアは仲間を見捨てられないって、そう言ってんだよ!」
見ていられなくなったディックが、割って入る。
それに続き、ギルバートも仲裁に入った。
「お前さんの腕を信用しての判断でもある。確かに賭けじゃったが、ソフィアはその賭けに勝ったんじゃよ。お前さんを見捨てられなかったソフィアの心中、察してやってはくれんか」
ユーリが迎撃に出てから30分経過し、逃げるべきかどうするべきか話し合いになった時、真っ先に残るべきだと主張したのはソフィアだった。
キラをはじめ他の仲間も辛気臭いユーリのことはあまり好きではなかったものの、好き嫌いは別として今では苦楽を共にした大切な仲間だと思っており、危機が迫っているとは言え見捨てるような真似はできないと決まったのだった。
「わ、私は単純に、ここでユーリを置いていったら雇ったお金が無駄になるからと、そう思って……!」
仲間に言い訳を始めるソフィアを前に、ユーリは深いため息をつく。
(俺が勝つ保証など、どこにもあるまいに。逆に負けていたなら、あの男がどんな行動に出ていたか……)
この戦い、どちらが勝ってもおかしくない接戦だった。
ユーリ自身、死ぬかも知れないという緊張感の中で謎のスナイパーと戦っていた。
勝敗を別けたのは、ほぼ運と言ってもいい。
もし草を使ったカモフラージュを思い出しマントに括り付けた直後、いいタイミングで強風が吹いてくれなければ。
岩陰から出る機会を見失い、ヘイスに致命の一矢を撃ち込まれていたのはユーリの側だっただろう。
ユーリの目から見ても、ヘイスは異常だった。
その異常者がユーリを仕留めた後、キラ達に何をするかは予想もつかない。
呆れ返るユーリの隣に、最初に彼を発見したレアがやってきて話しかける。
「まあ、気持ちは分かるわよ。皆、どうしようもないお人好しだらけよね」
レア自身、キラ達の人の良さに何度も呆れてきた一人だ。
彼女も話し合いの時、逃げるべきだと主張した。
恐怖心からもあるが、負けた場合のことを考えていたユーリの意図を汲んでの発言でもある。
幼くして冒険者となったレアは、やはり同じような状況で”賭け”に負けて戻らなかった仲間を何人もその目で見てきた。
「でも、そのおかげでボクも命拾いしたし……。あんたも、置いてきぼりにされないで済んだし、とりあえず今はそれでいいんじゃない?」
珍しくよく喋るレアの言葉に、ユーリも渋々と言った様子で納得した。
「言い合いをしている時間が惜しい。出発するぞ」
彼が馬車に乗り込むと、それまで黙って成り行きを見守っていたルークが尋ねる。
ルークも逃げるべきか残るべきかかなり悩んだが、最終的にソフィアに説得された一人だった。
「相手は何者でしたか? 目的は?」
「分からん。意味不明なことを言い出して、そのまま崖から落ちた」
答えつつユーリは首を横に振る。
「死亡確認はできなかった。まずないと思うが、また奴が襲ってくる可能性がある」
それを聞き、御者席のカルロが怯えた声を出した。
「おいおい、冗談だろ?! そうだと言ってくれよユーリ! あんな奴がまた来るなんて、俺もう安心して眠れないぞ!」
「可能性の話だ。できれば、しっかりとトドメを刺しておきたかったんだがな……」
ユーリはヘイスの背中に合計二本の矢を撃ち込んだが、最初の一本は急所を逸れたのか致命打にならず、二本目もすぐ崖から転落したせいでトドメになっているかどうか怪しい。
とは言え二本もの矢を受けて更に高い崖から落ち、それで生きているとは中々思えない。
しかし時に殺しても死なないタフな人間は居たりするものだ。
「今後も警戒が必要、ということですね」
ルークはそう結論付け、この話を終えた。
今回はユーリが一人で迎撃に出たが、別に彼一人に任せなくても仲間で協力して対抗するという手もある。
もし次に襲われても、打つ手はあるとルークは考えていた。
「俺も、逃げるべきだとは思った。だがお前には、命の借りがあるからな」
ルークに付け加えるように、エドガーがそう口にする。
命の借りとは、一度ギャングに捕まったところを救出された時のことだ。
あの時ユーリが来てくれなければそのまま死んでいただろうと、エドガーは思っていた。
傭兵としてなら時間になっても戻らないユーリは死んだものと思って、まだ生きている味方を逃がす方が正解なのだが、ユーリに大きな借りがあるエドガーも話し合いで彼を見捨てようとは言わなかった。
「……毒されていることに、気付いているか?」
お人好しのキラ達に囲まれているうち、朱に交わって赤くなっているのではないかとユーリは指摘するが、エドガーは否定の言葉は出さない。
「かもな」
自嘲気味な笑みを浮かべるエドガーの隣では、ソフィアと彼女をからかうディックとで騒がしい状態だった。
「愛しのダーリンを置いていけないわーってな! わははは!」
「だから、理由はちゃんと伝えたでしょう? ここで貴重な戦力を失うわけにはいかないし、雇用金の問題だって……」
「わーったわーった! 付き合い長いもんな、その間にイロイロあったって誰も驚かない……」
ニヤニヤと笑うディックに対し、ソフィアは鈍器としか言い様のない分厚い魔導書を取り出し、角を突きつける。
「うるさいわね。あまりしつこいと、ぶつわよ?」
「すみません」
これには流石のディックも黙った。
(仕事が終わったら、早くこのパーティを抜けよう。ここは賑やか過ぎる、俺の居るべき場所じゃない)
騒がしくも温かみのある今のパーティに愛着を持ち始めているのは、レアだけでなくユーリも同じだったが、だからこそ彼は離れる決断をする。
ソフィアに雇われている間は抜けられないが、それが終わればパーティから離れ、二度と会わない方がいいだろうと彼は考えた。
薬が必要な都合上、ソフィアの工房は今後も訪ねなければならないが、それ以外はもうキラ達とは関わらないでおいた方がいいだろう。
情が移れば失った時の絶望感は増す。
これまで何人も仲間に先立たれ、その度に独りになった『一匹狼』なりの、処世術でもあった。
キラ達が気を取り直して魔法大学を目指し前進を始めた頃、川の下流ではドラグマ軍の警備隊の兵士達が流れてきたヘイスを拾い上げていた。
ユーリの不安は的中しており、まだヘイスは息があった。
警備隊に救助された彼は、それで何とか一命を取り留める。
旅人だと判断した兵士達は、ヘイスの背中に刺さった矢を抜いて応急手当も行ってくれた。
「これでよし、と……。あんた、外国人だろ? この辺りは魔法大学目当ての連中が度々出入りするからな、すぐ分かる」
ヘイスの傷に軟膏を塗り、包帯を巻いてやる兵士。
治療のために脱がせた衣服はびしょ濡れだったので、焚き火に当てて乾かしている最中だ。
「すまないな、助かった」
今回も悪運強く生き残ったヘイスは戦いの高揚感も薄れ、落ち着いた様子で兵士に礼を言う。
「しかし、まだ冬に入ってないとは言え、ドラグマの川で泳ぐなんざ自殺行為もいいところだ。下手したら凍え死んでるぞ」
冗談めかして笑う兵士に、別の兵士も軽口を叩く。
「ははは! そんな命知らず、外国人ぐらいしか居ないってな」
「で、何があった? 背中に矢を受けて川に落ちるなんざ、普通じゃない」
周りの兵士達にそう問い掛けられ、ヘイスは一瞬答えに詰まった。
「いや、それは……」
まさか魔法大学は別にどうでもよく、旅人の雇った傭兵と私闘を行うためにやってきた、などと警備隊の前では口が裂けても言えない。
「当ててやろうか? 賊にでも襲われたんだろう」
そんな時、兵士の一人がため息交じりに言った。
「まあ、そんなところだ」
適当な言い訳も思い浮かばなかったため、ヘイスはそれに便乗して茶を濁す。
「旅人目当ての山賊なんかが、たまに居たりするからな。だから俺達がいつも見回りしてるんだが、連中も逃げ足が速くてな……」
ドラグマ軍は精強であることで有名だ。
鎖国しているとは言え、南方からの侵略に対しては圧倒的な軍事力で応戦する。
国境を接するロイース王国辺りが北に手を伸ばそうとして、返り討ちで火傷したという話はよく耳にしていた。
そんなドラグマ軍が警備するこの帝国領で山賊をやるなどとは、むしろ見上げた度胸だとヘイスは内心思った。
彼自身、そんな勇敢な山賊は実はお目にかかっていないのだが。
「傷が治るまで、しばらく大人しくしていろ。それとも、近くだし魔法大学まで送ってやろうか?」
南の軍は恐れるドラグマ帝国だが、警備隊の兵士は意外と親切だった。
旅人がよく行き来する、魔法大学周辺の担当ということもあるだろう。
「いや、それには及ばない。傷が癒えたら、見回りの手伝いをさせて貰ってもいいか? これでも一応、傭兵なんでな」
ヘイスは別に兵士達に恩を感じていたわけではなく、キラ達の帰りを襲うチャンスを伺うつもりでそう言った。
鎖国中のドラグマを訪れる理由があるとすれば、魔法大学以外にありえないことは彼もよく知っている。
何の理由で魔法大学を目指すかは分からないが、そこが終点で、用事を終えたら南に戻ろうとすることは簡単に想像できる。
目的のユーリが魔法大学に居ると分かっていても、そこへ乗り込むのは悪手だ。
何せあそこは熟練の魔術師達が集まる専門機関。
大学内で下手に騒ぎを起こせば、蜂の巣をつついたような事態になることは目に見えていた。
ならばと、帰り道を襲うことをヘイスは考えた。
魔法大学から南へ戻ろうとすれば、またこの周辺の道を通ることは確実だからだ。
「まあ、構わないが。だが傭兵ねぇ……賊に背中から撃たれる傭兵とか、それでちゃんと食っていけるのか?」
目の前に居るのが『鷹の目』のヘイスだと知らないドラグマ兵達は、一斉に笑い出した。
実際、命は落とさなかったものの、路銀の入った財布は川の中で落として無一文の状態だ。
「半端者でも、見回りくらいならできるとも。……ところで、毛布をもう一枚貸してくれないか」
服を乾かす間、兵士の貸してくれた毛布に包まっていたヘイスだが、それでも北国の寒さは身に染みる。
「いいぜ、ほれ。何ならヴォートカも飲むか?」
寒さで震えるヘイスに追加の毛布をかけてやりながら、兵士は酒を勧める。
「ああ、ウォッカか。貰おう」
コップに注がれたのは、ドラグマ人が寒さ対策に常飲していると言われる度の強い酒だ。
ヘイスも実物を飲むのはこれが始めてだが、実際飲んでみると味は癖がなく飲みやすい。
それに反して、強い酒というのは確かなようだ。
「おぉー! 外国人の割には、結構イケるじゃないか。どうだ、もう一杯?」
「そうだな……」
普段なら深酒は控えるところだが、一勝負終えた後くらいならばいいだろうと、ヘイスは頷く。
「くれ。今は酔いたい気分だ」
二度も自分を負かした強敵との邂逅を祝して、そして敗北という結末で終わりしぼんでしまった高揚感を補うため、ヘイスは久々に酒に酔う。
敢えて自分の正体は隠したまま、ヘイスはしばしドラグマ警備隊に身を置くことにするのだった。
To be continued
登場人物紹介
・ユーリ
勝因:風が吹いた
マジカル光学迷彩が通じないのなら、古典的手段を使わざるを得ない!
仲間が定時で帰らなかったのでおこ。
・ヘイス
マジカル光学迷彩は見破ったのにギリースーツに騙される。
やっぱお前の目節穴じゃん!
ギリースーツを見分けるのってほんと大変だから……。
矢を二本受け、崖から落ち、北国の川を泳いだけどこいつは元気です。
プラナリア並の生命力してんなお前。
死亡確認は大事だと古事記にも書いてある。
・ドラグマ兵
意外と気のいい兵隊さん。
川から流れてきた怪しい男を救助してウォッカまでおごってくれるぞ。
なお相手が名有りの傭兵だと気付かない模様。




