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エルカリム  作者: Pixy
第三章 魔法剣の謎編
43/94

第43話 『初雪 前編』

魔法大学までの道のりには、メイが拠点としている村がある。

補給のため村に立ち寄る一行だが、村はある災難に見舞われており……。

 アルバトロス連合とロイース王国の国境線での衝突からおよそ一週間後。

 首都アディンセルから発って遠く離れた北の国境を越境したキラ達は、ドラグマ帝国領の南部を北上していた。

 季節は秋に入り、大陸の中でも特に寒い北部は一足早く寒気が訪れ始めていた。

 まだドラグマ南部はマシな方だが、より深い北部まで行くと年中雪と氷に閉ざされたツンドラ地帯が広がっている。

 幸いと言うべきか、ドラグマ魔法大学は冬でもなければそれ程寒さの厳しくない南部にあり、国境を越えればもう目の前だった。

「け、結構冷えてきましたね……」

 馬車の荷台で毛布に包まりながら、キラは冷たくなってきた手に温かい息を吹きかける。

 まだ息は白くならないが、このまま冬に入ればいくら南部と言えども雪が降り積もる程に気温が低下する。

「大丈夫ですか? 毛布はまだありますよ」

「うん、大丈夫」

 ルークは予備の毛布を持ち出そうとするが、キラは首を横に振った。

「冬の寒さはこんなものじゃないわ。できれば、冬になる前に魔法大学で用事を足したいわね……」

 かつてドラグマの魔法大学で魔法を学んだソフィアは、カルロに次ぐ貴重な北国の土を踏んだ経験者だった。

 彼女曰く、南部でも冬が来れば厳しい寒気に見舞われ、時に吹雪いて外出ができなくなる程だと言う。

「ほんと、ドラグマってのは寒いんだよなぁ。南部は一応行き来できるって言ってもよ、兵隊も物々しいし……俺はあんまり好きじゃねぇ」

 御者席で手綱を握っていたカルロが、ぼそりとこぼす。

「確かになぁ。俺も寒いよか暑い方がまだいいな。次旅に出るなら、南の方に行こうぜ」

 そう言うディックも、越境してドラグマに入ってからどうも落ち着かなかった。

 単に寒いからと言うよりは、この国全体に広がる閉鎖的で張り詰めた空気が、彼をそうさせていた。

 そして重く沈むような雰囲気を作り出している原因が、もうひとつ。

「………………」

 いつも以上に、周囲を警戒して眉間にシワを寄せるユーリの存在だった。

 彼は元々無愛想で口数も少なく、表情も乏しく笑ったところなど誰も見たことがない。

 常に何かを警戒して神経質で、宿の食事も全て毒味しないと気が済まない。

 普段からそんな様子のユーリだが、ドラグマに入ってからはそれが更に酷くなっていた。

 馬車の旅は平和で特に何事も起こらず、他の仲間達は雑談を交わしながら見慣れぬ北国の景色を見回しているくらいなのだが、ユーリは話を振られても一言も口を利こうとしなかった。

 深く被ったフードの奥のしかめっ面はピリピリと緊張した空気を醸し出し、元からパーティから浮いていた彼がより異物として妙な存在感を放っている。

「あんたも寒いの苦手かぁ? ソフィアのねーちゃんが言うには、これからもっと厳しくなるってよ」

「………………」

 ディックにからかわれても、やはりユーリは無言だった。

「……でよ、冬が来る前に到着したいってのは分かるんだが、具体的にあとどのくらいだよ?」

 無反応なユーリに話しかけるのが馬鹿らしくなったディックは話題を変え、目的地である魔法大学をよく知っているソフィアに話しかけた。

「そうね、現在位置からこのペースなら……4~5日といったところかしら」

 地図を見ながら答えるソフィアに対し、ディックは口を尖らせる。

「目の前って言う割には結構かかるんだな。途中で宿でも取りたいぜ……」

 ディックが恋しいのは柔らかいベッドと酒なのだが、それを抜きにしても念の為どこかで補給に立ち寄る必要はあると、ソフィアも考えていた。

 そんな時、それまでキラの隣で大人しくしていたメイが身を乗り出し、地図を覗き込む。

「このルートなら、いい村があるよ」

「メイ、この辺りの地理を知っておるのか?」

 これは初耳だと、ギルバートが尋ねる。

「うん。ここの……2日後ぐらいに見える村に、冒険者の宿がある。私の家みたいなもの」

 そう言ってメイは、地図上で魔法大学までの道筋の中にある村を指差した。

「へぇー、メイってドラグマの人だったんだ。知らなかった」

 これにはキラも驚いた。

 これまで友人として接してきたが、彼女の国籍まで根掘り葉掘り聞いたことはなかったからだ。

 それに対し、メイは首を傾げながらぽつりぽつりと答える。

「うーん……ドラグマ人かって言われれば、違うと思う。子供の時、お父さんに連れられて村の宿に来たの。その前はよく知らない」

「その村に、メイのお父さんも居るんだ?」

 キラは俄然興味が湧いて身を乗り出す。

「そうだよ。お父さんも冒険者。最近は腰が痛いとか言って、あんまり遠出はしたがらないけど」

 冒険者は根無し草とよく言われるが、メイの言ったように『家』に近い、特定の宿を根城にする者は少なくない。

 そしてドラグマの村にある宿を根城にしているからと言って、必ずしもドラグマ出身の冒険者とは限らない。

 彼らは大陸中、様々な国の宿を転々として、その末にお気に入りの『家』を決めてそこを拠点にするようになるのだ。

 メイ達親子もまた、ドラグマの外からやって来て、村の宿をホームポジションに定めた冒険者のうちだった。

「そっか、メイのお父さんか……。楽しみだなぁ、会うの」

 キラは既に、2日後の宿が待ちきれなくなっていた。

 メイも色々と面白い冒険の話を聞かせてくれたが、そんな彼女の父親ともなれば、もっと大きな依頼も経験しているかも知れない。

 期待に胸躍らせながら、村までの2日間は何事もなく過ぎていった。


 予定通りに2日後、キラ達はメイの根城の宿がある村を訪れる。

 だが馬車から降りた一行が目にしたのは、活気の失せた寂れた寒村だった。

「な、何だぁここ? どいつもこいつも死人みてーなツラしやがって……」

 その不気味とも呼べる雰囲気に、ディックは若干引いていた。

「あれ? おかしいな……。とりあえず、宿に行こう」

 メイも疑問符を浮かべつつ、親子二代で世話になっている冒険者の宿へとキラ達を案内した。

 冒険者の集まる宿と言うだけあって、比較的大きな建物だった。

 だが普段なら一階の酒場から待機中の冒険者達の騒ぎ声が聞こえてきたりするものだが、今は村全体と同じように閑散としていた。

 不穏な気配を感じつつ、メイは扉を開けて宿に入る。

 大陸中央部の宿のように簡単に開け締めできるようなドアではなく、寒さを防ぐために分厚く丈夫な作りをしていた。

「マスター、ただいま」

 そのメイの一言に、ほとんど客の居ない中ぽつんと背を丸めて皿を拭いていた宿の店主が、まるで寝耳に水でも食らったように振り返る。

「メイ! 遅かったじゃないか!」

 初老に入った辺りの年齢と思われる店主はカウンターの向こう側から出てくると、仲間を紹介しようとするメイの言葉を遮って叫んだ。

「君の親父さんが、ラッドが大変なんだよ!」

「何があったの?!」

 店主の一言に、メイも思わず声を荒げる。

「お前さんが仕事で南に向かった後、流行り病が村に伝染したんだ。ラッドの奴もそれを患って……今は二階の部屋で寝かせてある」

 村がすっかり寂れた原因は伝染病だった。

 この時代では、突然伝染病が流行ることはさして珍しくもない。

 それを知ったレアは、今すぐにでも村から逃げ出したくなった。

(うわ、病み村とか長居したくない……。早く出て行きたいよう)

 だが父親が病に倒れたと聞いたメイは一も二もなく階段を駆け上がり、親子二人で使っていた所定の部屋へ急ぐ。

 ただならぬ事情を察したキラ達もまた、病人の部屋に上がりたくないレア一人を除き、メイの後に続いて二階へと上がった。

「お父さん?!」

 メイが慌てて部屋のドアを開けると、50代くらいの痩せた男がベッドに横たわっていた。

 後からやってきたキラ達は、彼こそが店主が『ラッド』と呼ぶメイの父親だと理解する。

「ああ、メイ。帰ってきたか……。どうだった、仕事の方は?」

 ラッドは振り向いて上体を起こそうとするが、途中で咳き込んでしまった。

 メイはそんな彼の背中をさすってやりながら、もう一度ベッドに寝かせた。

「そんなことより、お父さん病気だってマスターが……」

 目を覆い隠す程に長い前髪の奥から心配そうな視線を送るメイに対し、ラッドは咳混じりに笑ってみせる。

「ははっ! げほげほっ、ちょっとばかし具合が悪いんだよ。俺もそろそろ歳だからな。寝てりゃそのうち治るだろ」

 そのラッドの言葉が単なる強がりに過ぎないのは、痩せて血色の悪くなった様子を見れば一目瞭然だった。

 目に見えて衰弱しているラッドだが、冒険者の鋭敏な感覚はまだ生きていた。

 部屋にメイの他に複数の気配が居ることを感じた彼は、部屋の入り口の方へと視線を向ける。

「ん? お前、新しい仲間ができたのか?」

 こんな病人の部屋にわざわざ雁首揃えてやって来る者に敵意は無いと判断したラッドは、キラ達がすぐにメイの連れてきた仲間だと察した。

「うん、そう。依頼の途中で出会ったの。いい人達だよ」

「そうかそうか……。いつまでも一人パーティじゃキツいからなぁ。あんた方、これからもメイと仲良くしてやってくれ」

 軽く会釈するキラ達に、ラッドはかすれた声でそう言った。

「後で皆紹介するから、今は寝てて」

「はん、病人扱いするなよ。これでも昔はな……」

 無理にでも起き上がろうとするラッドを半ば強引に安静にさせたメイは、仲間と共に一旦部屋を出た。

「……どういう病気なの?」

 一階に降りたメイは、ラッドの前で聞き辛かったことを店主に尋ねる。

「タチの悪い病だ。村の中だけでも、もう何十人も死んでる。医者も手が足りなくて、ラッドの薬も買えてない」

 店主は沈痛な面持ちで答えた。

 彼にとってもラッドは付き合いの長い宿の古株であり、稼ぎ頭のベテラン冒険者だ。

 仕事上でも友人としても、失いたくないのは山々だった。

 彼の言うように村の医者は全員、金持ちから優先して治療に当たっていたため、融通を利かせて貰えるような金のないラッドは後回しにされていた。

「つまりそれって、薬があれば治るっていうことですか?」

 重たい沈黙が流れる中、それを破ったのは意外にもヤンだった。

「あ、ああ。だがさっきも言ったように、医者が足りなくて診てもらえないんだ」

「薬の名前か材料、それか病気の詳しい症状って分かりますか?! 僕、一応薬学もかじってるんです!」

 ヤンは思わず立ち上がって叫んだ。

 彼も医者と呼べる程専門的ではないにせよ、まだ半人前で力の弱い治療の術を補おうと、薬学の本にはあれこれと目を通していた。

 薬さえあれば助かるのならば、その材料が判明すれば後の調合はお手の物である。

「そうなのか?! メイ、いい仲間を見つけてきたもんだな! 材料は、近くの森で採れる薬草なんだが……」

「そんなに身近な材料なのに薬が足りないとは、何か事情が?」

 今度はルークが店主に尋ねた。

「今の森は、非常に危険なんだよ。越冬するために気が立った獣が餌を探してうろついてる。特に薬草が採れる辺りは狼の縄張りでな……相当腕に自信がなきゃ、あんな危険地帯には入れない」

 店主が言うには、病気が蔓延し始めた頃は宿の冒険者が森に分け入り、薬草を採取して来ていたそうだ。

 中にはヤンのように薬学に精通した者もおり、医者の代わりに調合などを行っていた。

 だがその冒険者達が次々と病に倒れると、狼のテリトリーに侵入できる戦闘員は村に居なくなり、すっかり薬は貴重品となってしまった。

 冒険者がほぼ全滅した後は、想像に難くない。

 薬の調達は困難となり、治療が後手に回るようになると被害者は倍増した。

 医者の懐に入れる賄賂を持たない平民は、呆気なく病死して行った。

 ラッドも自分が倒れるまで森に入って、時に狼と戦いながら薬草を集めてきてくれたのだが、やがて最後の一人となりついには床に伏してしまう。

 状況を大体把握した一行は、即断即決で森に向かうことを決めた。

「そういうことなら話は早いぜ! 俺達、相当腕に自信アリだからな!」

「うむ。じゃが油断するなよ、ディック。この時期の狼は飢えておる。店主よ、その薬草の特徴を教えてはもらえんか?」

 宿の店主が薬草の特徴をメモに書いている間に、ルークはキラを宿に留まらせることにした。

「キラさんは、宿で待っていてください。すぐに戻ります」

「えっ、でも薬草採りの人数は多い方がいいんじゃ……」

 キラとしても、友達の父親が病に伏せっているのなら力になりたいと思っていた。

 採取くらいならば自分にもできると考えていたが、そう甘い話ではない。

「店主の言う通りなら、今の森は危険です。ここは私達に任せて、キラさんはラッドさんの看病をお願いします」

「そっか、うん……。またルーク達に頼りっきりでごめん。お願い」

 親友のために何かしたいのは山々だったが、かと言って仲間の足を引っ張るのはキラも本望ではない。

 ここは大人しく引き下がった。

 迷ったのはレアだった。

(狼の縄張りなんて入りたくないけど……でも病人だらけの村に残ってうつされるのも嫌だし……。あああああ!! ボクはどうすればいいのー?!)

 心中で葛藤した後、周りに流されるようにしてレアも薬草取りのチームに加わった。

「私からもお願い。皆、力を貸して」

 普段あまり喋らないメイが、仲間達に頭を下げた。

「あったり前だろ! さっさと薬草見つけて、メイの父ちゃん助けようぜ!」

 キラだけでなく、誰もがこれまでメイと共に苦楽を共にしてきた身。

 今更頼まれずとも、危険な森に分け入る覚悟はとうにできていた。

 ただ一人、カルロだけはその勇気が無かった。

「お、俺は宿に残るよ……」

 レアのようにある程度戦える力もない彼は、感染の恐怖に怯えながらも村に残る道を選ぶ。

「まあ、おっさんがついて来ても邪魔なだけか。……って、どうしたヤン?」

 店主から渡されたメモに目を通していたヤンは、眼鏡を直しながら興奮したように顔を上げる。

「この特徴……前に本で読んだことがあります! 葉っぱの形のスケッチも見たので、すぐ分かると思います!」

 今この状況で、薬学にある程度詳しいヤンの存在は非常に心強かった。

 また彼も戦いが苦手な一方で責任感は強く、狼との戦闘は仲間に任せるとしても薬草探しで貢献しようと心に決めていた。

「日が傾き始めてきたわ、急がないと。夜の森は更に危険よ」

 ソフィアの言う通り、日暮れまで時間がない。

 一日でも早く薬草を手に入れたい一行は、強行軍で森に入ることとなった。

「エドガーさん、念の為にキラさんと村に残って頂けますか?」

「わかった」

 それまで黙っていたエドガーは、それを了承した。

 レアが心配したように、病気の蔓延する村は村で危険だ。

 それも何なら、病の感染という護衛をつけただけではどうしようもない危機だが、キラ一人を置いてくるよりはマシだとルークは考えた。

 ちなみに、彼の頭にカルロの心配は勘定に入っていない。

(症状が重くなってから薬を作っても間に合わない可能性は高いが……。まあ、護衛はつべこべ言わずに従うとするか)

 黙っていたエドガーも一抹の不安を抱えつつ、薬草取りに向かう仲間を見送った。


 村の近くの山林は、思ったよりも深く鬱蒼とした森だった。

 夕方ということもあって中は薄暗く、少し油断すると突き出した木の根に足を取られそうだ。

 目的の薬草が生えているのは、狼の縄張りと重なった場所にある。

 この季節、冬に備えて獲物を探し回っている狼の群れと遭遇するのはかなり危険だが、『虎穴に入らずんば虎児を得ず』と言うようにリスクは避けて通れない状況だ。

(運良く狼と遭遇せずに、薬草だけ手に入れて帰りたいが……)

 ルークはいつも以上に周囲に注意しつつ、道中にヤンが配った薬草の葉のスケッチを片手に地面を虱潰しに調べていく。

 やがてそれらしき植物を摘み取ったルークは、一度戻ってヤンに目的の薬草かどうか尋ねに行った。

 ヤンを庇いつつ周囲を広く捜索するため、一行はソフィアの提案で輪状の陣形を組んでいた。

 ヤンをその中央に配置し、捜索に当たる仲間達は常に一定の距離から離れないよう注意しつつ前進する。

「うーん、これは……よく似ていますが、違いますね」

「すみません。次を探します」

 惜しんでいる時間もなく、ルークはすぐに配置に戻る。

「こ、これは?」

 おずおずと薬草と思しき草を持ってきたのは、消極的なレアだった。

「これも違いますね」

 首を横に振るヤンに、げんなりした様子で捜索に戻っていく彼女。

(狼の縄張りで薬草探しとか、しかもこの季節になんて自殺行為なんですけど……。早く見つけて帰りたい……ってか、用事済ませて村からおさらばしたい)

 レアの望みとは裏腹に、目的の薬草は中々見つからなかった。

 続いて植物を持ってきたのは、ディックだった。

「手当り次第持ってきたぞ! どうだ、当たってるか?」

 言葉通り、ディックは目につく植物全てを引っこ抜いて両手に抱えて持ち帰ってきた。

「これ、ほとんど似ても似つかない別物ですよ……」

 他の仲間同様にディックにも走り書きしたスケッチは渡したのだが、どうも途中で面倒くさくなったようだ。

「くそ、駄目か。こんだけありゃ、どれかひとつは当たってると思ったんだけどな」

 一応全部に目を通したヤンが、突然声を上げる。

「あ、これ! これですよ、探している薬草! ディックさん、どこでこれを?!」

「マジで当たりやがった?! えーっと、それはどこのだったかな……えーっと、えーっと……」

 手当り次第に摘み取ったせいで、その中の一枚をどこで見つけたのかディックは完全に分からなくなっていた。

 すると、やはり怪しいと思われる葉っぱを持ってきたギルバートが言った。

「待て、お前さんの配置は確か、陣形の左翼側じゃったな? つまり全員でその方向に向かえば、具体的な位置が分かるのではないか?」

「そう言やそうだった!」

 この一言で、一行は輪形陣を保ったまま進路を左側に変え、ディックが探索していた方向を重点的に調べることとなった。

「……あった!」

 メイを皮切りに、一行は次々とスケッチ通りの形の葉をした薬草を発見する。

「よし……これもよし! 全部当たりですよ!」

 日も傾く中、松明の明かりで仲間の持ってくる草と薬草のスケッチ図を見比べ、判断するヤン。

 薬草はこの周辺に群生しているのか、あっという間に薬草の小さな山が出来上がった。

(よかった、これで森から出られる……。狼に出会いませんよーに!)

 一定の成果を上げたことでレアも一安心したが、村へ帰るまで油断はできない。

「このくらい集めれば十分では? 夜になる前に戻りましょう」

 そのルークの言葉に異を唱える者もおらず、一行は集めた薬草を持って下山ルートへと向かう。

 ようやく目的の薬草を手に入れて安心したのも束の間、今までひたすら無言で周囲を警戒していたユーリが突然足を止める。

「待て」

 彼は味方に警告すると、素早く弓を構えた。

「な、何だよ? 敵か?」

 ディックを始め、仲間達もその不穏な空気に当てられて各々武器を抜く。

 その直後、狼の遠吠えが響き渡った。

 それも一行のかなり近くで。

「……なるほど、縄張りから出す気はないようですね」

 狼からすれば、鴨が葱を背負ってやって来たようなものだ。

 来るのは拒まないが、縄張りから出て行くのは許さない。

 ちょうどこの時期、狼に限らず越冬のために動物は皆餌を求めて気が立っている。

 狼の群れにとって、まさに一行は食べ物でしかなかった。

「全方位から来るぞ」

 周囲を見渡したユーリがそう言った。

 感覚の鋭いルークでもまだ狼の気配は感じ取れないが、既に彼らは群れに包囲されているようだった。

「円陣を崩さないでください! ソフィアさんとユーリさん、レアさんは中央へ!」

 八方が前線となるならば、前衛がリング状に展開してその中央に非力な者を庇うしかない。

 ルークは素早く判断し、指示を出した。

「だ、だから森に入るなんて嫌だったのよ、ボクはぁー!」

 泣き言を言いつつ、レアは狼に噛まれたくないので奥へと下がった。

 仲間達はルークの指示通りに陣形を組み直し、狼との接敵に備える。

 永遠とも思える張り詰めた空気が流れ、やがて木の影から次々と飢えた狼が姿を現す。

 体格は大陸中央部の狼よりも一回り大きい、北方地帯固有の大型種だった。

 ルーク達の目的は狼退治ではない。

 逃げられるものなら薬草を持って逃走したかったが、下手に背中を見せれば動物は本能で追ってくる。

 しかも人間よりも狼の方が遥かに足が早い。

 とても逃げ切れる状況ではなかった。

 どの狼も目が血走り、牙を剥いて唸り声をあげる。

 そして森の奥から、群れの長のものと思われる遠吠えが聞こえたのを合図に、一行を包囲する狼達は一斉に攻撃を開始した。

 真っ先に襲い来る狼を迎撃したのは、遠距離攻撃をスタンバイしていたソフィアの魔法と、ユーリの矢だった。

 どちらも急所を捉えて致命打を与えるが、仲間が倒れることも意に介さず他の狼は突進する。

 一番槍がギルバートの腕に食らいつくが、闘気で硬質化した皮膚は牙を通さず、狼の顎の力をもってしても傷ひとつつけられない。

 ギルバートは必死に腕に噛み付く狼の首の骨をもう片方の手で掴んでへし折ると、更に迫りくる狼に向けて衝撃波を伴ったパンチを繰り出し一気に薙ぎ払う。

「よーし、俺も……!」

 それを見たディックは槍を構えて前に出ようとするが、気付いたルークは制止する。

「ディックさん、前に出ないでください! 陣形が崩れます!」

「うっせーな! 攻撃しなきゃ敵は倒せねぇだろーが!」

 ルークの言葉に聞く耳を持たないディックだったが、今度は隣に立つメイが止めに入った。

「待って。出過ぎると危ない」

 数は狼の方が多く、地の利も向こう側にある。

 下手に突出すればすぐさま取り囲まれて、狼の餌食にされてしまうだろう。

 男の言うことは聞かないディックだったが、女であるメイの言葉は素直に聞いた。

「わ、わかったよ」

 隣り合わせのディックとメイは長柄武器の射程を活かし、狼に噛み付かれる前に刺し殺し、時に薙ぎ払って戦った。

 ディックがいつものような無謀な突撃をやめたと分かりひとまず安心したルークも、自分の目の前の戦いに集中する。

 彼の得物は片手剣で槍や斧のような射程はなく、かと言ってギルバートのような闘気術による防御力もない。

 そこで詠唱を短縮した風刃の呪文を使い、それを潜り抜けて近距離の間合いに入ってくる狼を剣で捌くという戦法を取った。

 その間にソフィアは詠唱を終えて円陣を組むパーティを囲むように指向性を持たせたバリアを展開し、味方が安全に戦えるよう援護する。

(あわわわわ、どどど、どうしよう?! だ、誰を援護すればいいのこれ?! ってかまず吸う?! どいつから吸えばいいの?!)

 レアは慣れないパーティでの立ち回りに戸惑い、目を右往左往させながら半ばパニックに陥っていた。

 彼女の使う強化の術はかけた仲間の速さを底上げすることしかできず、しかも一度に複数人にはかけられない。

 魔力が足りないからだ。

 敵から吸収魔法で吸い取ればある程度は補えるが、そのためには生かさず殺さず相手から吸い続けなければならない。

 仲間が次々と狼を処理していく中、どれにマトを絞ればいいか分からず、レアは困惑した。

 混乱してどう動いていいか分からないレアを余所に、目立った被害もないまま狼の数は徐々に減り続け、戦いは順調に進んでいるかのように見えた。

 だが狼側が劣勢になり始めた頃、後方から遠吠えが聞こえたと思うと、激しい波状攻撃を仕掛けてきた狼達が一斉に撤退を始める。

「な、何だぁ……?」

 確かに狼の群れは大勢の死傷者を出して劣勢になりつつあった。

 だがそれにしても、あまりにもあっさりとした引き際に流石のディックも訝しむ。

「気をつけて。何か、来る……!」

 直感で異様な気配を感じ取ったメイは、戦斧を握る手に力を込めた。

 鳥達が逃げ出すように一斉に飛び立ち、周囲に嵐の前の静けさが訪れる。

 メイだけでなく、誰もが何らかの驚異が迫っていることを感じていたが、一体何が来るのかまでは分からなかった。

「巨大な何かが来る。ルーク、お前の正面だ」

 ユーリはそう言って弓矢の照準を合わせる。

 ルークも剣を構え、その『巨大な何か』を待ち構えた。

 やがて影に閉ざされた森の奥から、野太い呻き声のような咆哮が聞こえてくる。

「あれは……!」

 その巨大さに、正面に立つルークも思わず息を呑んだ。

 一行の前に現れたのは、巨体を誇るヒグマだった。

 冬眠前に少しでも栄養をつけようと、狼の縄張りに入り込んでまで獲物を探していたようだ。

 ヒグマは体長およそ3メートル程に達する大型の熊だが、ルーク達の目の前に現れたのは更に大きな巨大ヒグマだった。

 さしずめ、この森の主と言ったところだろうか。

 狼はこのヒグマの接近を察知して、ルーク達を諦めて逃げ出したのだ。

(どうしよう、こんな時にヒグマなんて!)

 表には出さないものの、一番動揺していたのはメイだった。

 生まれつきのドラグマ人ではないものの、彼女も一応地元の人間だ。

 この季節のヒグマと遭遇することが、死を意味することを熟知していた。

「ひえーっ! か、神よぉぉぉー!」

 ヤンもすっかり腰を抜かし、薬草の束を抱えたままその場にへたり込んでしまう。

「防壁をルークの前に重ねるわ! 皆、火力を前方の熊に集中させて!」

 ソフィアの指示で、一行は陣形を組み替える。

 今警戒すべきはヒグマ一頭で、八方に戦力を分散させる必要はない。

 だが、この巨大ヒグマは狼の群れよりも厄介な相手だった。

 できれば戦闘は避けたいが、背を向けて逃げ出せば全速力で襲ってくるのは狼と違わない。

 相手側に明確な殺意がある以上、怯ませて退ける必要がある。

「狼の次は熊とかもうやってらんないわよ! こんちくしょー!!」

 悪態をつきながら、レアは腹をくくった。

 短剣の切っ先をヒグマに向け、噛まないように慎重に詠唱を始める。

 吸収の術で力を吸い取る対象は熊一頭に絞られ、もう迷う必要はなくなった。

「援護を頼みます!」

 ルークは目の前の敵に凄まじい威圧感を感じつつも、剣を構え直して左手では既に魔術文字の印を刻み始める。

 対するヒグマは、咆哮をあげながら立ち上がって鋭い爪と牙を剥き、四足歩行に戻るとルーク目掛けて突進した。

 レアも吸収魔法をかけているが、それを物ともしないパワーだった。

 最初にソフィアの展開した指向性防壁に衝突するも、勢いで第一層目を突き破り、なおも進撃するヒグマ。

 ルークは怖じずに、まず射程の長い風の刃の呪文を放つが、ヒグマの分厚い毛皮には通じない。

 対人であれば直撃で胴体を両断する威力を持つ風刃だが、ヒグマ相手では固い毛を削り取ることしかできなかった。

 ヒグマは勢いを失わぬまま、前足を振りかぶって鋭い爪でルークを引き裂こうとする。

 既に魔法の防壁は重ねた第三層まで破られ、熊の射程内にまで接近を許してしまっていた。

 ソフィアの防壁も張り直すには詠唱の時間が必要で、今すぐ再展開はできない。

(まずい、このままでは……!)

 熊のパンチに防壁は持たないだろう。

 そんな威力の攻撃をまともに喰らえば、即死することは目に見えている。

 かと言ってここで避けて逃げてしまえば、無防備なソフィア達が狙われることとなり、陣形が崩壊する。

 規格外の相手に、ルークは一瞬どう動いたものか判断が遅れた。

「ルーク、一度下がるんじゃ!」

 そんな時、割って入ったのはギルバートだった。

 全力で硬質化させた全身で前足の一撃を受け止めるも、闘気術ですらヒグマの攻撃は無力化し切れず、まだ浅いとは言えギルバートの老体に傷が入る。

 だが闘気術に頼らずとも普段から鍛え込んでいる彼のこと、この程度で怯むような男ではなかった。

 熊の前足を振り払うと、すかさず踏み込んでアッパーを腹に打ち込む。

 衝撃波も込めての一撃だが、毛皮が衝撃を吸収して思うようにヒグマ本体にダメージが入らない。

「ええい、まだまだぁ!」

 なおもギルバートは攻撃の手を緩めない。

 パンチに蹴りを交えてラッシュを仕掛け、ヒグマの攻撃は完全に防ぎ切れずともガードでいなす。

 ヒグマも一筋縄では行かない相手と思ったのか、後ろ足で立ち上がる。

 間近に対比物であるギルバートが居ると、その巨大さがより際立った。

 ギルバートも鍛え抜かれた巨漢だが、立ち上がったヒグマはそれよりも更に巨大で、まるで大人と子供のような体格差だった。

 立ち上がった全高は、4メートル近くあったかも知れない。

 フックを繰り出すように前足の大きな爪で薙ぎ払うヒグマ。

 ギルバートも致命打は貰っていないとは言え、どんどん傷が増えて血を流していく。

「嘘でしょぉぉぉ?! ルークでも駄目とか、どうすりゃいいのよこれ?!」

 焦ったのは、ルークに任せれば何とかなるだろうと吸い取った魔力で速度強化の術を彼にかける途中だったレアだ。

 ヒグマの圧倒的パワーを前に対抗できるのはギルバートのみで、レアはルークにかける予定だった術を詠唱を中断して取りやめ対象をギルバートへと変更するが、呪文を唱えるのが遅いレアでは今からやっても到底間に合わない。

「ギルバートさん! くっ……!」

 一度少し後ろに下がったルークも、魔法で必死に援護するも熊は平然としていた。

 ディックやメイなどは、いくら長柄武器を持っていても危なくて接近すらできない。

 普段なら無謀でも突撃していくディックも、巨大ヒグマとのあまりのスケールの違いに圧され、攻めあぐねていた。

 ソフィアも魔法の矢を撃ち込むなどして援護するが、飢えたヒグマは火すら恐れずに向かってくる。

 ならばと睡眠や麻痺の呪文を使用するも、腹を空かせて血走るヒグマには効果が薄く、焼け石に水だった。

 それもそのはず、彼らの戦闘技術や魔法はどれも対人戦を想定したものだ。

 人間以外の動物、それも巨大ヒグマなどという化け物めいた規格外の相手では、通用するはずもない。

(ラッドさんのためにも、急がなくてはならないのに……! あの術を、使うしかないのか?!)

 ルークは内心焦るも、我が身を犠牲にする大魔法の使用に抵抗を感じていた。

 せっかく薬草を手に入れたと言うのに、その帰り道で一行は追い詰められていく。


To be continued

登場人物紹介


・どうぶつシリーズ ヒグマ

今の所この作品最強までありえるスーパーヒグマ。

風刃の呪文は弾くし硬質化したギルバートに傷を入れるしでもうやりたい放題。

何で熊がこんなに強いのか疑問に思った人は「三毛別羆事件」で検索検索ゥ!

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