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エルカリム  作者: Pixy
第三章 魔法剣の謎編
38/94

第38話 『対局』

今週からカイザー陣営のお話。

新政権の激務に追われるカイザーは息抜きにとチェスを始めるが……。

 キラとルークが壁を乗り越え、ドラグマ領に入った頃。

 アルバトロス連合国の首都アディンセルで、カイザー達は今日も多忙な日々をおくっていた。

 三ヶ月前、カイザーはようやく正式に連合国の政治中枢として連合評議会を立ち上げ、その初代議長に就任したばかりだった。

 国家元首となった彼は将軍という肩書きから離れ、より政治的な指導者としての側面を強めていく。

 ただし評議会議長は議会のまとめ役であると同時に、連合軍の最高司令官でもある。

 軍の実権を握っているという点では、今までと変わりない。

 カイザーは反帝国レジスタンスとの約束通り、連合に加盟した国にそれぞれ対等の参政権を与え、国の代表として民衆の投票により議員を選出してもらっていた。

 ようやく議員の顔ぶれが出揃い、評議会が機能するようになったのがつい半月前である。

 そして最初カイザーの軍師として任命されたヴェロニカも、彼の補佐として政治に関わっていくこととなる。

「どうだ、新しい兵の訓練プログラムの方は?」

 アディンセルの城内の廊下を歩きながら、移動中に隣を歩くヴェロニカに尋ねるカイザー。

「徐々に成果が出てきています。上がってきた報告書をまとめてありますから、そちらを」

 対するヴェロニカは、相変わらず今日もジャンクフードを抱えて、歩きながら食べていた。

 今日は鳥の串焼きだった。

 食の好みはともかく彼女は実に多彩な人物で、様々な分野において新しいプランを打ち出した。

 兵の訓練もそのひとつである。

 死の恐怖は抗い難く、一人の力は無力とした上で、非力で恐ろしいからこそ味方と足並みをそろえ、固まって戦うようにという訓練方針をヴェロニカは立てた。

 これは、元から恐れ知らずの強者であるカイザーにはない発想だった。

 彼は部下に『恐怖を克服して強くなれ』と教育してきたが、それを実践できる兵士は一握りだけだった。

 ヴェロニカは最近ようやく戦場に慣れてきたものの、根は臆病で武術は完全に音痴である。

 そんな彼女だからこそ、弱い者の気持ちを理解し、弱者なりの生存術に思い至った。

 また、兵に与える給与や支給する装備、福利厚生の充実に、もし戦死した場合の遺族への手当金などの待遇についてもヴェロニカの進言を聞き入れて改善を行っていた。

 ひとつひとつは地味ながら、それらは兵士の士気に直結する。

 その成果として、連合軍兵士の中には不利な戦況になっても逃げ出さず、死兵となってでも踏み止まろうとする者まで現れるようになった。

 これは帝国軍時代には考えられない現象だった。

 しかも負け戦で戦場に踏み止まりながらも、ヴェロニカ流の訓練で固まって動くことを覚えた兵士達は、何割かは生還することに成功している。

「ところで、首都周辺の水道橋ですが、およそ8割は復旧が完了しています」

 ヴェロニカは戦争で荒廃した国の復興事業にも尽力していた。

 彼女が真っ先に考案したのは、生命線である水道の整備である。

 この時代、逐一井戸などの水源から汲んでくる必要のある水は貴重品で、手洗いや湯汲みも満足に行えていなかった。

 その不衛生さは伝染病の蔓延にも繋がっており、国民の生活の質を上げるためにも第一に優先すべきだとヴェロニカは進言した。

 幸いにも、アディンセルや主要な大都市には、古代帝国時代に建造された水道橋の遺跡が数多く残されていた。

 ヴェロニカはそれを補修することで、街に水を潤沢に引き込もうと考えた。

 まず試運転として首都周辺の水道に復旧工事が行われ、今ではアディンセルは大陸でも有数の水の豊かな街となっていた。

 更にヴェロニカは水の使い方についても、最初のきれいな水は飲料水として、その次に手や食器を洗う生活用水にし、汚れてきたら風呂の水などに使い、最後は下水として排泄物などを流すと、順番に段階を設けることで無駄なく活用した。

 この上下水道の配備は早速効果を現しており、手洗いの習慣化や公衆浴場の建設、下水を利用する公衆トイレの設置などにより、首都は見る見るうちにきれいな大都市として生まれ変わった。

 これは大成功と言ってよく、ヴェロニカは同じように連合国領の隅々まで水道を行き渡らせる案を提示し、カイザーもそれを承認した。

 流石に全土に上下水道を完備するまでは時間がかかるだろうが、それがこの国の未来を支えると信じたからだ。

「そう言えば、水路はどうなった?」

「そちらの進捗はまだ3割程度です。開通するまでは……あと半年はかかりそうですね」

 カイザーが話しているのは、水道とはまた別の、川から水を引き込んで都市間を繋ぐ水路のことだった。

 ヴェロニカは第二の交易路として、船を行き来させる水路の提案もしており、試験的に首都と周辺の都市を繋ぐことを計画していた。

 馬車に荷物を積み込むよりも、船で運んだ方がより多く、より早く物資を運搬できる。

 唯一の難点が、川が流れていなければ船が通れないというところだ。

 そこで、ないなら作れと言わんばかりに、治水工事と並行して都市を水路で繋ぐことをヴェロニカは考え出した。

 これも行く行くはアルバトロス全土に毛細血管のように行き渡らせる計画で、もし完成すれば交易がより盛んになり、国の経済を大いに潤してくれるだろう。

 現時点ではまだ投資の段階だが、それでも工事に当たる人員を国が雇うことにより、戦乱で職を失った国民に大規模な雇用を用意することに繋がっていた。

「無償教育の方はどうだ、進んでいるか?」

「そうですねぇ、新しい建物を建設するのにも時間がかかりますし、今は暫定的に教会を学び舎として利用しようとしているところです」

 カイザーは新たな国の体制として、国民が議員を選出する形で参政できる民主制度を導入すると決めたが、そのためにはまず先に越えなければならない壁があった。

 国民の学力の問題である。

 帝国時代のように独裁者や一部の貴族が支配していた頃は、統治者にとって民衆は愚かでただ命令に従ってさえいればいい存在だった。

 平民は満足な教育も受けられず、読み書き計算も覚えられぬまま一生を終えることも珍しくない。

 だがそのままでは、民衆が主体となって国の代表を決める民主政治は立ち行かない。

 誰を議員に選ぶのか、そこで国民に正しい判断をしてもらわなければ、たちまち民主国家は崩壊してしまうだろう。

 そこでカイザーは、大人から子供まで全ての国民に対し、しばらくの間無償教育を提供することに決めた。

 これで急ぎ国民全体の学力を底上げし、しっかりした議員を選べる土台を作ろうと考えたのだ。

 ただし学校を各地に建設するにはまだ手が足りておらず、ヴェロニカはほとんどの街にひとつは存在し、一度に大勢の人間が入れる施設として、教会を選んだ。

 この当時、教会の聖職者は貴族に次ぐ支配階級だった。

 そんな彼らが民衆に知恵を授けることをすぐに快く受け入れるはずもなく、調整は難航していた。

 だが、もしこの提案を跳ね除ければ国民から猛反発を食らうだろう、というヴェロニカの半ば脅しじみた通告に、渋々建物を提供することに決めた教会も出て来た。

「支配に対する民衆の怒りは、教会の僧侶達もよく知っているだろうからな……」

「使えるモノは何でも使うまでです。大改革を行う上で、手段は選んでいられないですし」

 これだけ大量の仕事を抱えているが、ヴェロニカは決して勤勉と呼べる人物ではない。

 むしろ怠け者の類いで、叶うのならば一日中読書をしながら途中で居眠りでもしていたいというのが、彼女の本音だった。

 だがそんな怠け者だからこそ、カイザーは重用した。

 有能な怠け者は、その優秀な頭脳を使ってとにかく楽をしようと組織の最適化をまず考える。

 煩わしい無駄をどんどん省き、言わば組織の贅肉を削ぎ落とした結果、本人だけでなく周囲も楽に業務を行えるようになる。

 ヴェロニカは期待通りを通り越し、期待以上の働きを見せており、将来自堕落な生活をおくれるようにするため、先行投資を惜しまなかった。

 兵の訓練、水道整備、水路開発、教育の提供など、あれこれ仕事はしているが、全てはやがて自分が働かなくてもいいようにするための布石である。

「憲法の素案はどのくらい進んでいる?」

「まだ調整不足です。まあ、来月の議会までには間に合わせます……」

 法律が国から国民に課せられるルールだとすれば、憲法とは言わば権力に課せられるルールだ。

 これまでは権力を監視する機構などなかったため、前の皇帝のような暴君の暴走をさせたいがままに許してしまった。

 民主主義を打ち立てても、同じ過ちを繰り返さないという保証はない。

 そこでカイザーが着目したのが、権力への抑止力となる憲法というシステムだった。

 しかし大まかな案はジョイスやヴェロニカと共に出し合ったものの、他の議員の意見とのすり合わせが難航しているのが現状だ。

 各々自分が代表する国の主張があり、時に噛み合わないということも往々にしてある。

「そうだ、サイラスの捜索は? 足取りは掴めたか?」

 思い出したようにカイザーは切り出した。

 カイザーがアルバトロス革命の表舞台に立った指導者だとすれば、バラバラだった反乱軍をひとつに纏めてレジスタンスを結成したサイラスは影の指導者だった。

 当初、連合国を設立するにあたってサイラスも協力してくれるものと考えていたカイザーだったが、何とサイラスは民族ごとの後任者を決めると突如、姿を消してしまった。

 ヴェロニカが着任する前から捜索は行っていたものの、その後彼がどこに居るかなどの情報は掴めていない。

「まるで駄目ですね。と言うか、本当にこのサイラスという人物って実在したんですか?」

 ヴェロニカが疑うのも無理はなく、調べれば調べる程に、サイラスは経歴不明の謎の男だった。

 違う民族がバラバラに活動していた反乱軍を纏めた統率力を見るに、アルバトロスでレジスタンスの指導者となる前から名のある人物であってもおかしくはなさそうなものだが、全く何の記録も残っていない。

 失踪後の足取りもやはり同じで、忽然と痕跡を消していた。

 まるで狐につままれるような話である。

「帝国軍残党に暗殺されていないといいんだがな……」

「それはないと思います。もし残党の仕業だったら、それこそ鬼の首を取ったように犯行声明出すはずですから」

 ヴェロニカの言うことももっともで、帝国軍にとっては反乱軍の指導者であるサイラスは、カイザーと並ぶ宿敵だ。

 もし闇討ちででも仕留めたのなら、それを大々的に公表して連合国に揺さぶりをかけてくるだろう。

「ひょっとしたらですけど、暗殺されるリスクを考えて身を隠しているのかも知れないですねぇ……」

「だといいんだが」

 そうだとしても、味方であるはずの自分にくらい連絡をくれてもよさそうなものだと、カイザーは考えていた。

 理由はさておき、サイラスは煙のように雲隠れしてしまった。

 捜索は続けるが、彼は徒労に終わる予感を持っていた。

 そこからカイザーは、他に気がかりなことを思い出す。

「そう言えば、帝国の残党は? 動きは見せているか?」

 こちらもカイザーにとっては見過ごせない項目だ。

 旧体制にしがみつく帝国軍の生き残りは各地に潜伏しており、時に町などで略奪を行っているという報告も上がってきている。

「今のところ、まだあちこちに点在している状態です。一箇所に纏まって、組織的行動を起こす兆候はないみたいですが」

 各地からの報告書を通し見しながら、ヴェロニカは答える。

「そうだ、北方のギャングは? 治安が問題視されていたはずだが」

 キラ達が戦った『赤布のギャング団』の悪評は、カイザーの耳にも届いていた。

 彼は討伐隊を編成し、北へ差し向けるよう指示を出したが、そろそろ報告が上がってきている頃だ。

「それが、妙なんですよ。討伐隊が乗り込んだ時にはもう、ギャング団は全滅していたようでして」

「全滅? あの規模の組織がか? どこの仕業だ?」

 最初、カイザーは国外からの軍事介入を疑った。

 ギャング団はアルバトロス領北方を縄張りとしていたが、西には西方諸国、東はロイース王国、北は教皇領に国境を接している。

 それらに薬物や奴隷の売買で行き来がないはずもなかった。

 もし外国の軍隊などが入り込んでギャングを討伐したのだとしたら、それ自体は喜ばしいことであっても、越境は大問題となる。

「全くの不明です。本拠地は焼き払われて遺体の損傷も酷く、見分けが付きません。ただ、調査した討伐隊からの報告によれば、ギャング団を始末したのはほんの2~3人の少人数である可能性もあるとか……」

「2~3人? 流石に、それはないだろう」

 相手は北方最大規模のならず者の組織、しかもその本拠地だ。

 仮にジョイスのような武勇に長けた者だったとしても、そんな人数で全滅させられるはずがないと、この時カイザーは考えていた。

 だが報告書によれば、現場に残された死体は恐らく全てギャングのものだけで、足跡などの痕跡から出入りした人数はごく少数と見られる旨が記されていた。

 本当に少人数でこれだけのことをやろうとしたなら、正面切ってはまず無理だろうとカイザーは考える。

 なら、可能性があるとすれば隠密による闇討ちだ。

(そんなことが可能とすれば、あいつくらいのものか……)

 灰色のフードに隠れた無愛想な傭兵が頭をよぎるが、ここであれこれと憶測を立てても仕方がないことは、カイザーも分かっていた。

「それよりも、東のロイース王国が厄介です。ここ一ヶ月で見ても、もう三度の軍事的挑発が確認されてます。いい加減にして欲しいんですけどねぇ……」

 帝国軍残党もだが、東側に国境を隣接する大国のロイースもまた、二人にとって頭痛の種だった。

 帝国時代から領土を掠め取ろうと侵攻計画を何度も立ててきたロイースだが、革命が成功してから更に動きは過激さを増している。

「ロイース対策も、そろそろ本腰を入れないといけないようだな」

 明らかな敵対行為を取り続ける隣国に、カイザーも眉をしかめる。

 まだ革命後の体制が整っていないうちに隣国との全面戦争は避けたいところだが、ロイース王国側が侵略をしたくて仕方がないと言うのならば、国を守るため対抗策を講じる必要があるだろう。

 国の中には帝国残党、隣にはきな臭い大国と、まだアルバトロスが置かれている情勢は安全とは言い難かった。

「……ひとまず、昼飯を食ってから考えるか」

 国家元首にも休憩は必要だ。

 ちょうど今は昼時で、他の武将や議員達も各々食堂や私室で昼食を摂っている。

「君は、また私室で一人か?」

「ええ、まあ」

 城内では政府関係者にしっかりと食事が出されていたが、ヴェロニカはそれらには全く口をつけようとせず、部下に城下町の屋台から買ってこさせたジャンクフードを山のように食べるのが習慣だった。

 いつも何か食べているので普段と変わらないようだが、彼女にとっても食事時は特別なようで、その間は食べることだけ考えているらしい。

「毎日ジャンクフードでよく飽きないな。普通の料理に興味はないのか? 美味いんだぞ、この城の飯は」

「これがいいんですよ……」

 どうやら味覚も色々と狂っているようだが、執務に差し支えはないようなので、カイザーもそれ以上は言わなかった。

 カイザーは自室ではなく、敢えて食堂で普通の食事を摂った。

 メニューは何種類かあり、今日は肉料理をオーダーする。

(うむ、やっぱり肉はいいな)

 城内の食事と言えば、かつては国民から搾り取った税金で皇帝や貴族達が贅沢三昧を尽くしていたのだが、今は言う程高級な料理が出るわけでもない。

 カイザーはそれで十分だと考えていた。

 目の前には肉厚のステーキ、鶏肉入りのスープ、ハムの乗ったサラダが並ぶ。

 彼は何と言っても肉類が好みで、食のバランスを考えつつも肉を主食として食べていた。

 以前は食堂で他の者と一緒に食事をするどころか、ふと軍人時代の野営食が恋しくなって近場でイノシシを狩り、城内で焚き火をしてその丸焼きを作るということもやったが、流石に国家元首としての威厳がなさ過ぎるということで部下に止められてしまった。

(結構うまいんだがな、イノシシの丸焼き……)

 帝国軍の一武将に過ぎなかった頃は、割と自由にやらせてもらえた。

 部隊の野営地でイノシシに限らず色んな現地調達した動物の肉を、ジョイスを始め部下と共に食べたものである。

 今は立場というものもあるため、中々そうはいかなかった。

 少々寂しい思いをしつつも、昼食を食べ終えたカイザーは行儀よく食器を洗い場に出し、厨房のシェフに労いの言葉をかけると、執務に戻った。


 一通り仕事を終えた後、カイザーは談話室でチェスのボードを広げているクラウスを見かけ、声をかける。

「クラウス。どうだ、一局やってみないか?」

 カイザーは武将達に、指揮の練習としてチェスを推奨していた。

 言い出した本人も、仕事の合間を見計らって部下と対局することも多々ある。

 クラウスも正式に連合国に加盟するとなり、その報告を持ち帰るため一度西方ラスカ領に帰国していた。

 同時に、誰をラスカ代表の議員として中央評議会に送り出すかの選挙も行う目的がある。

 領民からの支持を得ているようで、無事にクラウスはラスカ代表として選ばれ、武将であり議員として首都に戻ってきたのがつい先日のことだ。

「これは閣下。ええ、私でよろしければ」

 クラウスも快くカイザーの誘いに応じた。

 一応、軍の最高司令官とその部下との対局になるが、カイザーは『接待など一切不要』と口を酸っぱくして言っていた。

 チェスを推奨する理由は、戦術眼を磨くことと武将同士が互いを深く知るためだ。

 勝ち負け自体は重要ではない。

 そもそも、これは実戦ではなくボードゲーム。

 負けても何かペナルティがあるわけでもない。

 言われた通り相手も本気で勝負するものの、やはりカイザーは強く、接待などされずとも多くの試合で勝利を収めていた。

 クラウスと本格的に勝負するのは、今回が初となる。

 二人は向かい合わせに座り、チェス盤の上に白と黒の駒を並べて準備を整える。

 クラウスは黒を好むため、カイザーは先攻の黒陣営を彼に譲る。

 すぐに試合は始まり、互いにまずは小手調べといった形で駒を動かしていった。

「なるほどな……。中々にやる」

 ある程度対局が進んだ頃、黙々とチェスを打っていたカイザーが呟く。

 彼は実戦同様、勢いに乗じて攻め切る猛攻を得意としていた。

 相手に反撃のチャンスを与えず、そのまま戦局を優位に保って押し切るスタイルだ。

「何をおっしゃいます。私など防戦一方ですぞ」

 対するクラウスは確かに守りに入っていたが防御は固く、カイザーの猛攻をもってしても陣立てを崩せないでいた。

 結果、今の盤上は膠着状態にある。

「しかし閣下、あの……ヨハンソンとか言う妙な女は一体何なのです?」

 勝負に集中しながらも、クラウスは話題を振った。

「ヴェロニカのことか? まあ、確かに変人だが……かなり優秀な軍師だ。元は地方から派遣されてきた人材だったんだが、俺も最初は面食らったよ」

 カイザーも軽い世間話を交わすノリで話しながら、駒を動かす集中は崩さない。

「お言葉ですが、あのように礼節を欠いた女を要職に就けるのは如何なものかと」

「そう言ってくれるな。天才と変人は紙一重と言うじゃないか」

 会話の間も、絶えず思考し手を動かし続ける二人。

 じきに、クラウスの方が和気藹々と雑談する余裕を失い始める。

(やはり閣下は隙がない。ここはキングを囮に主力を引き込むより無いか……)

 守勢に入っているクラウスだが、無意味な延命措置を繰り返しているわけではない。

 常に相手の隙を伺い、反撃のチャンスを探っている。

 クラウスは大胆にも敗北条件のキングを餌に使い、カイザーの率いる白の駒を自陣に引きずり込む作戦だ。

 もしキングが危うくなれば、王の入城キャスリングルークと位置を入れ替えて緊急脱出させる用意もある。

 カイザーも囮だと分かりつつも、状況を打開すべく黒のキングを狙う。

 ミスをしないよう、慎重に。

(クラウス、やはり俺が混乱するような駒の動かし方を……。悪手を誘っているのか)

 抜け目のないクラウスのこと、もし一手でも間違えばそれを切り口に反転攻勢に出て、カイザーの優位をひっくり返しにかかるだろう。

 だが実戦でもゲームでも名将と呼ばれたカイザーに隙はなく、焦らずにジワジワとクラウスの黒の駒を追い詰めていく。

(一度、たった一度ミスをしてくれれば勝ち目もあろうものだが……。流石と言わざるを得ぬな)

 カイザーは確かに攻撃を得意としているが、何も考えなしに突っ込んでくる猪武者というわけではない。

 反撃を許さぬよう、計算され尽くした緻密な攻めで戦いの主導権を握って離さない。

 両者一歩も譲らず、他に手の空いている武将もギャラリーに加わる中で静かに試合は進んでいく。

(……この感覚、久しいな。これ程心躍る対局はそうそうない)

 クラウスはふと、懐かしい記憶に思いを馳せた。

 彼がまだ若く、ラスカの一騎士団長に過ぎなかった頃。

 遠征任務を終えてラスカに戻ろうというところで、彼は遠征先の都市を遊学として見て回っていた。

 今回は友好国として防衛に加勢したが、明日には敵になっているかも知れない。

 それが群雄割拠の西方諸国というものだ。

 そんな他国の通りを歩いていると、クラウスは道端に座り込む一人の娘に目をつけた。

 ろくに食べていないのか痩せ細っており、服はなくボロ布一枚で身体を隠している。

 汚れでくすんだ銀色の髪はボサボサに荒れており、その目に生気はない。

 この乱世で浮浪者などいくらでもいるものだが、クラウスはこの頃から人を見定める鑑識眼に優れており、数いる浮浪者の中の一人に過ぎないその娘に、未知の才能が秘められているのではと見出した。

 足を止めたクラウスは、しゃがみ込んで娘に声をかける。

 この頃のクラウスはまだ、偏屈さや女性への苦手意識は芽生えていない。

「私はクラウス、ラスカの騎士団長だ。娘よ、名を何と言う?」

 濁った瞳でじっとクラウスを見上げていた娘は、しばらくしてようやく口を開いた。

「……ナスターシャ」

「ナスターシャと申すのか。腹を空かせているようだが、駐屯地で食事をして行くか?」

 彼女はしばし迷った。

 いきなり現れたクラウスが、本当に信用できるのかどうか分からなかったからだ。

 これまでも散々、食糧を分けてくれると言っては騙して暴行する輩は大勢いた。

 だがもうどうなってもいいと、捨て鉢になっていたナスターシャは頷いて答えた。

 人生に絶望して自棄を起こしていたこともあるが、この時から特徴がなく平凡な顔と言われてたクラウスの浮かべる微笑みに、どこか安心感を感じたというのも理由のひとつだった。

 ナスターシャの不安を打ち消すように、クラウスは彼女に乱暴を働くようなことはしなかった。

 軍隊用の携帯食とは言え十分な食事を与え、更に湯汲みをさせて清潔な服に着替えさせ、汚れていた髪を整えた。

 だがナスターシャが一番驚いたのは、一人の人間として尊重してくれたということだった。

 こんな浮浪者の小汚い娘に、クラウスは紳士的に接した。

 得たものがあったのは、何も施しを受けたナスターシャだけではなかった。

 クラウスの鑑識眼に狂いがなかったことを証明するように、彼女は意外な才覚を現す。

 この当時からクラウスは、カイザーと同じように将兵達にチェスを勧めており、自分でもよく打っていた。

 それを見たナスターシャは興味を持ち、レクチャーを受け始める。

 最初こそルールが飲み込めず悪戦苦闘したナスターシャだったが、驚くべき学習速度でルールや戦術を理解し、次第に騎士団の武将を負かす程にまで成長した。

 実際に自らナスターシャと対局したクラウスも、その上達ぶりには驚いたと言う。

「ふむ、良い腕をしておるな」

 何度もチェスの相手をしているうちに、戦えば戦う程に彼女が強くなっていくのをクラウスは感じていた。

「ナスターシャよ、ものは相談なのだが。私の副官として騎士団で働いてみる気はないか? この才能、埋もれさせるのは惜しい」

 思わぬ言葉に今度はナスターシャが驚いたが、次に彼女は考え込んでしまった。

 誘ったクラウスが信じられないと言うよりも、クラウスの言う才能などと言うものが本当にあるのか、自分が信じられなかったのだ。

 そもそも所詮遊びのゲームで何が分かると言うのか。

 その様子を見たクラウスは、ひとつの提案を持ちかけた。

「では”賭け”をするというのはどうだ? この試合、まだ双方互角だ。私が勝てば、そなたは私の部下となる。そなたが勝てば、軍人ではなく一般人として望むように生きられるよう図らおう」

 考えるよりも先に、ナスターシャは首を縦に振っていた。

「いいぞ、その意気だ。では試合を再開するとしよう。私も手を抜かぬぞ」

 優秀な人材を手に入れるため、クラウスも本気でチェスを打ち始めた。

 対するナスターシャも、今までになく本気だった。

 クラウスの言葉に込められた不思議な魅力が、心が折れていた彼女のプライドを目覚めさせた。

 負けて流されるように入隊するのは嫌だ。

 この勝負に勝ち、力を認めさせてから自分の意志で騎士団に入る。

 彼女はそう決意していた。

 賭けを持ちかけられた時点で、もうナスターシャは軍人になる覚悟を固めていた。

 だがそのためにわざと負けるようなことはしたくない。

 両者、一歩も譲らぬ攻防が続いた。

「あの娘……リチャードソン団長とほぼ互角だと?」

「チェスを覚えたのはほんの数日前らしいぞ」

「あれが所謂天才か」

 クラウスの部下達も、固唾を飲んで勝負の行方を見守る。

 接戦を制したのはクラウスだった。

 守りを固めてからの反転攻勢という得意な戦術で勝ったが、そこに至るまでに大量の駒を失っていた。

 楽な勝利ではなかったのだ。

「私の目に狂いはなかったな。幸運なくしては辿り着けない一勝だった」

 一方、負けた側であるナスターシャも、後悔はなかった。

 全力を出し切って、力を認めさせることには成功したのだ。

 それにどの道、勝敗に関わらずクラウスの誘いを受けるつもりでいた。

「さて、約束は約束だ。私の副官になってくれるな? ナスターシャよ」

 この瞬間に、死んでいたナスターシャの目に強い意志が宿った。

 彼女は上流階級の礼儀作法などは知らないため、知っている唯一の礼として、大きく頭を下げた。

 ナスターシャはこの時初めて、他人に感謝と敬意を抱いた。

「これよりこの身、あなた様に捧げます。何なりとお申し付けください、主様」

 そんな彼女の心情を汲み取ったクラウスは、こう答える。

「うむ。そなたの覚悟と敬意に感謝を表して、『ナーシャ』の名を贈ろう。私がそなたを呼ぶ時だけの、特別な名だ」

 最初に出会った時と同じ、安心感を覚える笑顔だった。

「ありがとうございます、主様」

 こうして、愛称を貰ったナスターシャは黒鉄騎士団の軍師として、第二の人生を歩み出した。

(あれから、もう10年以上か……)

 物思いに耽るクラウスに、カイザーは次の手を促す。

「どうした、考え事か? お前の番だぞ」

「いや、これは失敬。昔の対局を思い出しておりましてな、ははは」

「面白そうだな、今度聞かせてくれ」

 思えば、あの時のチェスから事は始まった。

 ナスターシャにとっても、クラウス自身にとっても。

 過去の思い出に浸るのもここまで。クラウスは目の前の対局に集中する。

 有り体に言って今はクラウスの分が悪く、黒のキングも立場が危うくなってきていた。

(このまま守っていても、閣下は隙を見せてはくれぬだろう。ならば一か八か、攻めの手に出るしか道はないか)

 ここでクラウスは黒のナイトを動かし、カイザーに揺さぶりをかける。

 クラウスのナイトが大きく前進し、白の陣営に食い込む。

 対するカイザーもすぐに動いた。

 今まで温存していた切り札のクイーンを出撃させ、黒のナイトを迎撃に向かう。

 クラウスは追い詰められながらも、諦めずに猛攻を防ぎつつ、チャンスを見計らっては反撃の手を打った。

 互いに初の対局にして稀に見る接戦。

 カイザーの白の陣営と、クラウスの黒の陣営は激しくぶつかり合い、徐々に両陣営共に損耗が増えていった。

 もう互いに残された駒は残り少ない。

王手チェックメイトだ」

 しのぎを削る攻防を制したのは、カイザーだった。

 残された駒を駆使して黒のキングを追い込み、ようやく包囲することに成功する。

「……参りました。いやはや、見事な攻め方でございました」

 クラウスは素直に負けを認めた。

 彼も別に勝敗に固執しているわけではなく、対局を通して親睦を深めつつ、互いの戦術の癖を把握するのが目的だと理解していたからだ。

「お前こそ、ここまで手こずらされたのは久々だ。ジョイスと勝負する時も防御を固められて苦戦するんだが、お前もかなり防衛に長けているな?」

『鉄壁』の異名を持つジョイスは、猛将であると同時にその名に恥じぬ指揮官でもあった。

 彼もまた強固な守りを得意としており、カイザーでも度々攻め切れずに反撃を食らって負けることがあるくらいだった。

 今回の対局も、一度でもミスをしていれば攻勢を覆されておかしくない、ギリギリの勝負だった。

 カイザーとクラウスは互いの健闘を讃えつつ、相手の得意分野を把握する。

 特にカイザーから見たクラウスの評価は、ジョイスに並ぶ防御力というかなり高いものとなった。

「お褒めに預かり恐悦至極。実戦でもご期待を裏切らぬよう、尽力致しましょうぞ」

 所詮今回の勝負はシミュレーション。

 重要なのは実際の戦場でどれだけ動けるかだ。

 カイザーから高い評価を貰ったクラウスは、それに応えるべく努力しようと誓った。

「ハルトマン閣下、そろそろお時間です」

 対局を見守っていた士官の一人が、時計を見ながらそう告げる。

「もうそんな時間か。今日は新しい士官が着任する日だからな、俺が遅刻するわけにもいかん。クラウス、また機会があれば勝負しよう」

「ええ、喜んで。次は負けませぬぞ」

 飄々とした笑みを浮かべてカイザーを見送るクラウス。

 彼は彼でまた、自分の仕事が待っている。


To be continued

登場人物紹介


・カイザー

大好きなのは~ イノシシの丸焼き~♪

せめて厨房でやんなさい厨房で。

飯は食堂で食う派。


・クラウス

黒がいいんだよ!

お前のその黒へのこだわりは何なの?

多分中二病。


・ナスターシャ

落ちこぼれ魔術師ですが軍師を目指します。

魔法は才能なくても地頭良かったんやな。

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