第30話 『一難去って』
ようやくギャング団の追跡を振り切ったキラ達。
安全な教皇領の町で、しばし傷ついた身体を休めることになる。
無事盗賊達の追撃を振り切り、安全な教皇領へと辿り着いたキラ一行。
強行軍でここまで来たため、全員疲労はピークに達していた。
立ち寄った町で普段よりもいい宿を取り、じっくりと疲れを落とす一行。
翌朝、朝食を摂った後に、キラ達はまず湯汲みをすることにした。
休憩すらままならない逃避行の中、身体を洗っている余裕など全くなかったせいだ。
この時代、水は貴重品で、宿に泊まっても湯汲みができるとは限らなかった。
だがソフィアが奮発したおかげで、宿は大量の湯を用意してくれた。
更に部屋も男女で分けて貰えたため、男性陣と女性陣でそれぞれ別の部屋で身体を拭くこととなる。
用意された部屋で血と泥で汚れた服を脱ぎ捨てるルーク達だったが、ユーリ一人だけは一緒に入ろうとはしなかった。
「おい、どうしたんだよユーリ? あんただって湯汲みぐらいしてぇだろ」
不審に思ったディックはドアから首を出してそう尋ねるが、ユーリは首を横に振る。
「後でいい。俺は見張りをする」
「はぁ? こんな時まで見張りかよ……」
確かに野営を行う際、食事をするにも眠るにも、交代で最低一人は見張りをつけて警戒しておくものだが、ここは教皇領の町中だ。
治安も悪いようには見えず、町や宿が何かに襲われるという事態が発生するとも思えない。
あまりの警戒心に逆に呆れたディックは、無理に誘うことを諦めて首を引っ込めた。
「ユーリさんは、どうしました?」
先に湯を浴びながらそう尋ねるルークに、ディックはため息交じりに答える。
「見張りだとよ。ご苦労なこったぜ」
気を取り直し、ディックも湯をすくってまず頭から被る。
全身そうだが、特に頭が痒かったからだ。
度重なる戦闘と徒歩での強行軍で、全身血と泥にまみれた彼らは、ここぞとばかりに汚れを落とした。
「はぁーっ……生き返るぜぇ」
「確かに、今回のような厳しい旅は久々じゃのう」
ギルバートもディックの一言に頷く。
旅をしていると中々垢も落とす機会がなく、旅人はじきに慣れていくものだが、ギャング団とその下部組織に追われていたここ最近は特に酷かった。
こんなチャンスは中々ないと、ルークを初めエドガーやカルロ、ヤンも各々湯を被っては布で垢擦りをしていく。
水が貴重で風呂という概念がすっかり失われたこの世の中、こうして湯汲みできるだけでもありがたいというものだった。
「……ジジイ、やっぱマッチョしてんな」
一通り垢を落として一息ついたディックは、むさ苦しい部屋の中をぼんやりと見渡す。
何と言っても目を引くのが、一番の巨躯を誇るギルバートだった。
60代の老人とは思えない程に鍛え込まれた身体は筋骨隆々としており、まるで鋼のような筋肉をしていた。
対する自分の身体に目を向けたディックは、手足が以前より少し太くなっていることに何となく気付いた。
「ん? まさか太ったか? んなこたぁねぇか」
実はギルバートの特訓によって筋力が強まり、身体作りが進んできたその成果でもあったのだが、ディックはそんな自覚は持っていない。
「ルーク、お前も意外と鍛えてんのな。もっとヒョロいかと思ったぜ」
服の上から見ると細身に見えたルークも、脱いでみると贅肉をとことん削ぎ落とした鍛え抜かれた身体だということが分かる。
「これでも、剣士の端くれですので」
そう答えつつ、ルークはひとつため息をつく。
少年時代はもっと線が細く、必死で鍛えたものの力押しが苦手という弱点は克服するに至らなかった。
火力は魔法で補えるとは言え、いざという時の物理的パワーが不足しているという点は如何ともし難く、その難点を抱えたまま今に来ている。
(いくら鍛えてもこれ以上は伸び悩みだ。これが私の限界ということか……)
そんなルークの心中を知らず、ディックはカルロとヤンをからかいに入っていた。
「わははは! おっさん、顔はじゃがいもだが腹はもっとブヨブヨだなおい!」
「は、腹のことは言うなよ……」
まるで恥じらう乙女のように、身体を隠すカルロ。
「眼鏡坊主は本物のヒョロガリじゃねーか! 風が吹いたら倒れそうだぜ」
「仕方ないじゃないですか、僕は戦士じゃないんですから」
修道院に居た頃から、ある程度の肉体労働はあったがあまり身体は使わなかったヤン。
まさかこんな過酷な旅に出るとは夢にも思っておらず、鍛えるような機会はなかった。
その横で黙々と垢擦りをするエドガーはと言うと、ギルバート程ではないが厳つい筋肉と、その上にいくつもの古傷が残っていた。
「ふむ……その二の腕は剣、かのう。そして脇腹のは……矢傷か」
歴戦の傭兵の証を、ギルバートが言い当てていく。
「流石、よく傷の形を知っている。そう言うそちらは……跡はほとんどないな」
エドガーの言う通り、ギルバートにも大きな傷跡はいくつかあるが、傷だらけという程ではない。
「治りが早いせいじゃろう。普通なら跡が残るような傷も、すぐに完治するからのう」
「闘気術とやらのおかげか」
戦歴で言うなら、60代のギルバートの方が40代のエドガーよりも長いはずだ。
しかも装備も身に着けない徒手空拳、普通なら跡が残らない方が不自然というものだった。
「うむ。おかげで、この歳まで長生きできとる」
新陳代謝も老化で落ちてはいないようで、ギルバートはルークやディックと同じくらい大量の垢を出している。
その点では、むしろエドガーの方が肉体的な衰えを感じ始めている頃だった。
「あーくそ。男だらけの空間なんて見てて楽しくねーよ! 隣の部屋が覗ければなぁ」
むさ苦しい部屋に飽き飽きしたディックは、早速ぼやき始める。
「本当にやったら、一気に信用を失いますよ」
ルークが釘を刺すが、彼に反省の二文字はない。
「わーってるよ! できたらの話だって、できたらの!」
覗きたくても覗けないので、ディックは脳内で女部屋の花園を思い浮かべた。
一方、その女部屋の方では、やはり泥と垢まみれの服を脱いだキラ達が同じように湯汲みを行っていた。
「この数日は参ったわ。正直なところ、臭いが気になっていたのよね……」
肌を傷つけないよう注意しつつ、垢を落とすソフィア。
かつてフォレス共和国の工房に居た頃は、定期的に湯汲みをして清潔に保っていたのだが、旅に出てからはそうもいかない。
覚悟はしていたものの、やはり自分の体臭などは気になってくる。
「そうですね。私もアディンセルに居た頃は、こんなに汚れだらけになることってなかったですから」
そう言うキラもうら若き乙女。
やはり垢は気になるが、旅人の身分で贅沢も言っていられない。
「ボクは慣れてるわよ。貧乏所帯だったし」
女性陣の中で一番小柄なレアは、威張っていいポイントなのかどうか分からないところで無い胸を張る。
普段は赤いフードに隠れて見えなかったが、銀髪の後ろ髪を長く伸ばしており下の方で簡単に紐で結わえてあった。
服も泥だらけになっていたため、湯汲みついでに自分達で洗濯も行う。
これが結構な力仕事で、パーティの女性陣で最も力持ちなメイが仲間の分も引き受けていた。
「終わったよ。次、貸して」
パーティ全体で見ても強いパワーを誇るメイのこと、身体は筋肉質でおまけに腹筋は割れていた。
その力で汚れた服を次々と洗い、回していくメイ。
「ごめんね、メイにばっかり任せちゃって」
キラも自分の服を洗濯中だが、メイのような筋力はなく洗う速度は遅い。
「気にしないでいいよ」
そう言って振り向いたメイの前髪は湯で濡れてくっつき、その隙間から普段隠れて見えない瞳が覗いていた。
キラは半ば無意識に、手を動かすメイの前髪をそっとどけてみる。
「……どうしたの?」
「な、何となく。でもメイって……」
前髪をどけた奥から見えた彼女の瞳は、真ん丸でつぶらだった。
「可愛い目してるよね! 髪で隠しちゃうなんてもったいないよ」
初めて見る友人のつぶらな目に思わずはしゃぐキラだったが、メイはすぐに前髪を元の位置に戻して隠してしまった。
「ちょっと、恥ずかしい」
「えー! 切ろうよ、前髪。その方が絶対いいって」
盛り上がる二人を余所に、レアは二の腕を必死に擦っていた。
「あんまりやり過ぎると、肌を傷めるわよ」
見かねたソフィアが注意するが、彼女は納得いかないという様子だった。
「わかってるけど……何か、血の臭いが落ちなくって」
レアは一行に救助された当時、衰弱はしていたが大怪我を負っていたわけではない。
彼女が気にしていたのは、近くに居た仲間がやられた時に浴びた血だ。
今でも生臭く鉄臭いあの臭いが、身体にこびりついたような錯覚を覚えて鼻から離れない。
「背中の方かも知れないわ。洗ってあげるから、擦るのはよしなさい」
結わえた後ろ髪をどけて、ソフィアは桶に汲んだ湯をかけて優しくレアの背中を流してやった。
本来は世話係の下女がやるようなことであり、貴族出身のソフィアはどちらかと言うと洗われる側だったのだが、今更彼女にそんな変なプライドは残っていなかった。
「……あんたはいいわよね。賢者だし、いいとこのお嬢様だし、お金もあるし」
むくれたようにそう言うレア。
苦労しているのは同じだと分かっていながらも、どうしても格の違いを認めたくなくて悪態をついてしまう。
「まあ、そうね。不自由なく暮らしてきたわ」
言い返すわけでもなく、ソフィアはさらりとかわす。
「ボクだって一応、大きな商会の家の生まれなんだけどね」
「そうなの? 意外ね」
驚きながらも、ソフィアはレアの身の上話に耳を傾けた。
「読み書きも教えて貰えたし、珍品として魔術書も置いてあったのよ。だからボクは魔法が使えるわけ」
実際、識字率の低い庶民が魔法を習得するハードルは高かった。
まず、魔術書を読むために文字が読める必要があり、その時点でほとんどの平民はふるいに掛けられる。
例え魔力の才が乏しかったとしても、魔法が習えるというだけで一定のステータスだった。
教養の上に成り立つ分野であることは間違いないからだ。
「けど、ボクが小さい頃に家は戦争に巻き込まれて丸焼け。ボク一人逃げて、拾われたのがお人好し冒険者御一行様だったのよ」
その冒険者御一行様も先日盗賊とぶち当たって全滅したわけだが、そこでもまた一人生き残った経緯を思うに、悪運は相当強いようだ。
「あなたも苦労するわね」
呆れるべきかあっぱれと言うべきか、そのしぶとさにソフィアもため息をつく。
「何よ。ボクより胸でかいからって、偉そーに……」
ソフィアはパーティの中でもレアに次ぐ小柄な体格なのだが、胸は平坦なレアと違って豊満だった。
同じ小柄体型なのにこの差。
更に余裕のある態度にもコンプレックスを感じていたが、それを口にしたら自分の小物さが余計に際立つので、流石に言わなかった。
「あなたは成長期なんだから、これから伸びるわよ。背も、胸もね」
その点、既に三十路が近いソフィアにもう成長の余地は残っていない。
背が低いことをコンプレックスに感じていても、もうこれ以上伸びないのだ。
「はい、背中もきれいになったわ。どう? 臭いは残ってる?」
自分では中々洗いにくい背中を流してもらったおかげで、大分すっきりとしたレアは改めて自分のにおいを嗅いでみる。
「すんすん……。ん、もう大丈夫みたい」
その頃にはメイの洗濯も終わり、後は乾くのを待つだけどなった。
キラの地味な焦げ茶色の洋服に、メイの白い毛皮の防護服、ソフィアの裾の長い紺色のローブに、レアの黒服と赤いケープと、中々カラフルな服が並ぶが、そのほとんどが傷だらけになっていた。
窓際に干された自分達の服を、ソフィアはじっとりと眺める。
「やっぱり、着替えは何着か必要よね。後で町で買っておきましょう」
本来なら馬車に荷物として積んであったのだが、荷台ごとギャングのアジトに置いてきてしまった。
あの状況で、着替えを回収しに戻っている余裕はなかった。
洗濯物が乾くまでの間、キラ達は談笑して過ごした。
その頃、隣部屋の男性陣の方も服を干しながら、今は逃避行の最中に伸びてしまった髭を剃っている最中だった。
この時代のカミソリに肌を守るガードのようなものはついておらず、手元が狂えば肌が傷つくどころか皮膚を削ぎ落としてしまうこともありえる。
各々横一列に並んで、この時ばかりは化粧中の乙女のように鏡を覗き込み、慎重に髭を剃っていった。
「やっぱ、ハンサムのディック様に髭なんて似合わねーよな」
中途半端に生えた無精髭をきれいさっぱり剃り落としたディックは、鏡に映る自分の顔を眺めながら満足そうに言う。
そんな彼がふと振り向くと、唯一髭剃りに参加していなかったルークが、濡れた身体を乾いた布で拭いていた。
「そう言えばお前、無精髭も生やさなかったよな。いつ剃ってたんだ?」
「いえ、私は元々髭が生えないので……」
それを聞き、ディックは思わず声を上げる。
「はぁ?! うっそだろお前! いくつだよ?!」
「今年で19ですが」
この年齢になっても髭が生えてこない体質の人間も居ないわけではなかったが、非常に珍しかった。
「やっぱお前女だろ?! いや、ついてるけど! でも中身は女に違いねぇ!」
「何を言っているんですか、ディックさん」
ディックに呆れているルークを余所に、ギルバートとエドガーも並んでカミソリを使っていた。
ギルバートは元々ファッションとして髭を生やしていたので、余分な部分だけを剃って残す分は残す。
年齢から白髪と思われがちだが、確かに色素は薄いが金髪で、髭も同じく金色だった。
一方エドガーは濃い胸毛が生える程に毛深く、髭も深剃りは諦めて剃り残しがありつつも適当に済ませていた。
彼は髪も髭も黒なのだが、剃り落とした髭に白髪が混ざっているのを見つけて、思わずため息をついた。
30代に差し掛かった頃から少しずつ増えており、十数年経った今ではもう慣れたものなのだが、すぐ隣にもっと年上の比較対象物が居るとどうも気になる。
「どうしたんじゃ、疲れが出たかのう?」
「いや、我ながら年寄り臭いと思っただけだ」
更にその横では、カミソリの扱いを間違えたカルロが、顔に切り傷を作っていた。
「痛っ! ああ、またやっちまった……」
剣やナイフだけでなく、カルロはカミソリや包丁といった日用品に至るまで、刃物の扱いが致命的に下手だった。
使い方さえしっかりしていれば怪我はしないと分かっていても、刃物と思うだけで緊張で手に余計な力が入るのが原因だ。
「あー、血が出ちゃってますよ。後で治療しましょう。代わりに剃りますから、じっとしててくださいよ」
まだ髭は生えかけ程度のヤンが助け舟を出し、カルロの髭剃りを手伝ってやった。
別にカミソリの扱いに長けているわけでもないが、少なくともカルロより手先は器用な方だった。
修道院でも時折、先輩の僧侶達の髭を剃っていたこともある。
湯汲みでこびりついた血と汗と垢と泥を洗い落とし、洗濯して乾かした服を着た一行は、さっぱりしてそれぞれ部屋から出てきた。
「ようやく一息ついたって実感出たぜ」
小ざっぱりとしたディックは大きく伸びをする。
「そうね。旅の最中でも、定期的に湯汲みはしたいものだわ。……あら、ユーリ、あなたは湯汲みしなかったの?」
同じく部屋から出てきたソフィアは、汚れたままのユーリを見て驚いた。
「これから入る」
出てきた仲間と入れ替わるように、ユーリは部屋に入っていく。
「見張りしてたんだとよ。神経質もここまで来るとビョーキだな」
呆れ返ったようにディックはそう言った。
「装備を外す湯汲みの時間が、寝込みと並んで狙われたら危険な瞬間だと言われていますからね」
ルークの説明に、ギルバートも補足する。
「何なら、その隙を恐れて生涯湯汲みをしなかったという武芸者もおったそうじゃ」
「うわ、不潔過ぎ」
これには流石に、旅慣れているレアも引いた。
「さあ、さっぱりしたところで、出立の準備を進めましょう」
汚れを落としたキラ達は、魔法大学へ向かうための準備に取り掛かった。
まず食糧や水といった必需品を集める必要があるため、体力のあるギルバートとディック、メイ、そしてエドガーの四人が市場に買い出しに向かう。
一方ソフィアは、銀行から金を下ろして満杯になった財布を懐に、移動の足となる馬車の調達にかかる。
意外だったのは、馬車を探すと言い出した時にいつもミーティングでは黙っているカルロが、自分から同行したいと言い出したことだ。
断る理由も特に無いため、今はソフィアとカルロの二人組で荷馬車を探している。
「あの馬車は……駄目だな。車輪の据え付けが傷んできてる。ありゃじきに外れちまうだろうなぁ。あっちは……馬が痩せ細ってて駄目だ」
更に意外だったのは、カルロが馬と馬車に非常に詳しかったことだ。
ソフィアが持ち主と交渉するよりも前に、ひと目で馬車や馬車馬がどんな状態か見抜いてしまう。
「……あなた、随分と詳しいのね?」
「あ、ああ……。昔は、御者をやってたんだ。そのせいだよ……」
そんなやり取りの最中にも、カルロは視線を右へ左へと走らせ、旅路にちょうどいい馬車がないかと探していた。
「問題は、ドラグマに入ってからなんだ。あそこは寒くてしょっちゅう雪が積もってる。あんまり雪が深いと馬車じゃ通れなくなっちまうくらいだ。頑丈な馬車に、タフな馬じゃないと途中で立ち往生しちまう」
いつも気弱で自己主張せず、空気のような存在だったカルロがここまで雄弁に話すのは、ソフィアも初めて見る光景だった。
「ドラグマにも行ったことがあるの?」
「時々な。雪の中で馬車が動かなくなった時は死ぬかと思ったよ」
やがてカルロは、一台の荷馬車に目を留める。
茶色と黒の二頭の馬が引く馬車で、車体は飾り気のないシンプルな作りだった。
どうやら行商人が使っている物らしく、荷台には商品が沢山積まれていた。
「あ、あれなんか、いいんじゃないか?」
御者として馬車に詳しく、かつドラグマの雪道も走った経験があるというカルロの言葉を信じ、ソフィアはその荷馬車を買うことに決める。
だが行商にとって馬車は大事な商売道具のひとつ。
そう簡単に譲ってくれるものではない。
「いや、売ってくれなんて言われても困るんだよねぇ。ウチはこれがないと商売できないもんだから……」
そこでソフィアの最終兵器、金貨の詰まった袋の出番となる。
「これで足りるかしら」
そう言って何気なく手渡した袋には、金貨20枚が入っていた。
金貨のレートはその時々で変動するが、おおよそ金貨1枚で銀貨50枚程の価値になる。
半信半疑で袋の中身を見た商人は、その金額に目を丸くし、態度を一変させた。
「ま、まさか貴族の方だったとは……! ええもう、これだけ頂ければ十分でございます! どうぞどうぞ」
ソフィアが渡した金は、馬車を買い直して十分お釣りがくる額だった。
ついでに荷物の中から毛布や水、食糧など旅に使えそうな物も馬車ごと買い取り、商談は成立する。
「どう? 雪道でも走れそうかしら」
買ったばかりの馬車を入念に点検するカルロは、一通りチェックした末にうなずいた。
「ああ、こいつなら行ける。馬も元気そうだ」
ソフィアは専門だと言うカルロに、馬と馬車の管理を一任することにした。
カルロもそれを望んでいたからだ。
「よしよし、これからよろしくな」
二頭の馬車馬にそれぞれ声をかけるカルロは、心なしか嬉しそうだった。
その日の晩、宿に集合したパーティの面々は成果を報告し合う。
買い出し組の四人は無事に次の補給地点までの必要な物資を買い込み、ソフィアとカルロもドラグマの雪道に耐えられる馬車を手に入れたことを告げる。
ついでに余剰分の物資が手に入ったため、多少トラブルがあって予定が遅れても道中で飢えることはまずない。
「準備はこれで整ったな。後は疲れを落としてから、改めてドラグマに向かうとしようかのう」
ギルバートの提案にソフィアもうなずく。
「そうね。ここに来るまでの強行軍も大変だったでしょうし、皆このチャンスにしっかり身体を休めてちょうだい」
そう言うソフィア自身も、体力には自信がなくかなりバテていた。
この先、ギャングのような厄介な敵が出て来なかったとしても、寒いドラグマの気候が障害として立ち塞がる。
魔法大学に入ってさえしまえば暖を取れるのだが、その道中は非常に冷えることが予想される。
そこに挑む前に、しっかり英気を養っておくことは重要だ。
一行は長めに休憩期間を取り、数日かけて今までの疲れを落とすことにした。
特にやることもなかったため、ディックなどは宿の一階の酒場で毎日酒を飲んでは酔っ払って暴れ、寝るという日々をおくった。
レアはレアで、ここまで潤沢な資金に支えられた旅は初めてだと言い、いくら食べてもいいという宿の食事を片っ端から貪り食った。
「ふがっ! ふがっ! ふがっ!」
パスタにパンにサラダにスープ、そして肉。
目につく食べ物全てを口にかき込んでいくレア。
「料理は逃げないから、もうちょっと落ち着いて食べようね?」
キラは少し呆れながらも、この小さな仲間の面倒を見ていた。
「もがもが! んぐっ……ん?! んんーっ?!」
度々、レアは勢い良く食べ過ぎて喉に詰めてしまうからだ。
キラが背中を叩いてやると、ようやくレアは詰まったパンを飲み込み、息ができるようになる。
そして呼吸を整えて開口一番――
「スパゲッティ追加! 大盛りでよろしくぅ!」
レアは懲りなかった。
そんなやり取りをルークはまるで保護者のように遠目に見つめていたが、ふと席の向かいに目をやると、同じようにエドガーがキラとレアの二人を眺めていた。
(……娘が生きていれば、キラと同じくらいの年頃か。二人目が産まれていたら、あんな光景もあったのかも知れんな)
感慨深そうに無言で二人を見守るエドガーを、ルークはそっとしておくことにした。
だがしばらくそうしていたエドガーも、宿で注文したコーヒーを飲み干すとその場を後にする。
(終わったことを考えても、今更意味はない、か)
(エドガーさん……)
ルークもエドガーも何も話さなかったが、哀愁をおびた背中にルークは自分と近いものを感じていた。
思えば彼も、戦火で国を焼かれたと言っていた。
ルークもまた、帝国時代のアルバトロス軍によって祖国を奪われた一人だ。
この戦乱の世で珍しいことではないのだろうが、同じような境遇にある人物を見ると、いたたまれない気持ちにもなる。
一方、ある程度食欲を満たして落ち着いたレアは、キラと話していた。
「まだ15なのに、魔術師で冒険者なんて偉いねー。どうして冒険者になったか、聞いていい?」
「ん、そ、それは……」
口の周りを拭きながら、視線を逸らすレア。
「あ、言いたくなかったら黙っててもいいからね」
レアの様子を見て気遣ったキラだが、こう言われると逆に話したくなるのがレアという娘だった。
「い、家が戦争で焼かれて、行く宛もなくってフラフラしてたら、あのお人好し集団に拾われて、そのまんま……」
「そっか。仲間の人達に助けられたんだね」
冒険者の中には、諸々の事情から成人前に仕事を始める子供も居ると、以前メイから聞いたことがあった。
事情は人それぞれだが、レアのように戦火で家を失って帰る場所がなくなり、その結果根無し草になるケースはこの時代、珍しくないことは見て取れた。
「まあ、助けられたのは事実だけど……。ホント、しょーもない連中だったんだから! 人が良すぎて依頼人にナメられて、報酬踏み倒されたり! そのせいでボク達、いっつも腹空かせて……」
最初は強い口調で文句を言っていたレアだが、前のパーティの思い出が脳裏を駆け巡るうち、段々とトーンが弱まっていく。
「あの時だって、困ってる人を助けるんだーなんて馬鹿みたいなこと言って、そのせいで、皆……」
話しているうち、レアの目に涙が浮かんだ。
今まで共に行動していた冒険者パーティも、もう全員この世には居ない。
何だかんだと文句を口にしつつも、それでもついて行った思い入れのあるパーティだ。
彼女にとっては、不満があっても大事な居場所だった。
「よしよし、大変だったよね」
食べ物を喉に詰めた時とは違い、叩くのではなく優しく背中をさするキラだったが、レアはそんな彼女の手を払い除けた。
「ぐすっ……。う、うっさいなぁ! 泣いてなんかないし! ゴミ、そう、ゴミが目に入っただけだし! あんな奴ら、別に居なくなったって……居なく……なったって……!」
幼くして家と家族を失ったレアの、第二の家族だった。
お人好しな馬鹿ばかりといつも言っていたが、それでも大事な仲間だった。
「ふぇ……えぐっ、えぐっ……。な、何でさ……! 何で、ボク一人置いて皆居なくなっちゃったのさぁ……!」
「ごめんね、悲しいこと思い出させちゃって」
もう今のレアに、キラを払い除ける気力は残っていなかった。
キラはメイやソフィアを手招きで呼び、そっと抱き寄せながら寄り添っていた。
「泣きたいだけ、泣いていいよ」
「そうね。我慢すると後に引きずるわ」
メイとソフィアも、キラと同じように底抜けに優しかった。
(マジ最悪! 信じらんない……新しいパーティに入って数日で泣き顔見られるとか、めっちゃダサいんですけど! もう明日から合わせる顔ないよ……)
だがキラ達はレアを笑うようなことはしなかった。
「ど、どうしちまったんだよ、チビ助? 腹でも壊したか?」
あのディックでさえ、仲間を失って泣いていたことを聞くと、からかうのではなく同情の視線を寄せた。
「そっか、仲間のことか……。そりゃキツいよな」
それがむしろ彼女にとっては居心地悪く感じたものの、同時にこのパーティが新しい居場所になるかも知れないと心のどこかで感じていた。
(やっぱこいつらもお人好し集団じゃん……。何? ボク、馬鹿を引き寄せる磁石みたいな力でも持ってんの?)
宿に滞在中、しばし無言で過ごしていたレアだったが、毎食の大食いだけは欠かさなかった。
食欲は落ちていないようだが、まだへこんでいるレアを元気づけようと、ディックはひとつ提案をする。
「どうだチビ助、メイと大食い勝負やってみねーか? メイも大量に食うからな」
食事と見るや仲間の分まで取ってまで食べようとする食い意地汚いレアと、横取りはしないが食いっぷりはパーティ一位のメイ。
どちらがより強いのか、勝負をつけさせてみたかったというのも本音だ。
「はぁ? フードファイトでボクが負けるとか、ありえないし」
食で勝負と聞いて気を持ち直したのか自信満々のレアに対し、メイも静かに闘志を燃やす。
「私も、負けない」
いい宿というだけあって、料理は食べ放題だった。
だからこそ、こんな勝負もできたのだ。
ルールは簡単、先に食べ切れなくなってギブアップした側が負けだ。
どちらかが音を上げるまで、食べ放題の料理はエンドレスに出される。
戦いの火蓋が切って落とされると、早速二人は目の前の料理に食らいつく。
この時点ではまだ、双方互角だ。
「なあ、どっちが勝つか、賭けようぜ。俺はメイに銀貨5枚だ」
面白がったディックは、便乗で賭博も始める。
「なら、俺はレアの側に5枚賭ける」
戦いを見守っていたエドガーもそれに乗ってきた。
その当人達はと言うと、食べる勢いではレアの方が早いように見える。
「がっがっがっがっ……! もがっもがっ……!」
いつも以上に料理にがっつくレア。
もうこの時点で3枚の皿を平らげている。
(ふふん、このままボクの一人勝ち……)
だがふと隣のメイに視線を移すと、何と彼女の方は黙々と料理を食べ続け、もうレアの倍の6皿をクリアしていた。
(なん……だと……?! ボクがフードファイトで負ける? このボクがスロウリィ? えーい、負けられるかー!)
今は食べた量でメイが勝っているが、ペースが早い分ギブアップも近いはずだとレアは考え、自分のペースを維持した。
しかし15の少女では成人で大食漢のメイの胃袋には勝てず、結局容量オーバーで敗北してしまう。
「むごご……もがもが……」
この時、負けず嫌いのレアは『まだやれる、まだ戦える』と言いたかったのだが、喉ギリギリまで詰まった料理を口から更に無理矢理押し込もうとして咀嚼しながら喋るため、聞き取れる言葉にならなかった。
「勝った」
メイは余裕の表情で胸を張り、勝負がついてなお残りの食事を涼しい顔でぺろりと平らげていく。
大食クイーンの貫禄である。
「やっぱり、メイは凄いね」
勝者に賛辞を送るキラだが、勝負の行方を眺めていたディックは軽く引いていた。
「……いや、二人で何人前食ったんだよ。食い過ぎだろ」
勝負に負けて悔しい思いをしたレアだったが、もう食べられないところまで料理を食べられたので、そこは満足だった。
(ホント、馬鹿みたい。こいつらも、ボクもだけど……。けど、心地いいな、こういうの)
元々人付き合いはあまり得意な方ではなく、孤児になる前も故郷では浮いていた子供だった。
同世代と集まるよりも一人遊びが好きで、そんな中魔術書を読んで魔法をかじった。
少しずつ新しいパーティに馴染んできたレアは、徐々に離れるのが惜しくなっていく心を自分でも抑えられなくなっていたが、中々面と向かって仲間には言えずにいた。
一方、キラ達が教皇領で一息ついて羽を休めている頃、かつて彼女達が通ったギャングの勢力圏を単独で歩く一人の弓手が居た。
ユーリのことを追ってきた、傭兵ヘイスである。
ヘイスを見かけたギャングの下っ端達は、フード付きマントを被った弓使いという外見上の一致で彼をユーリと勘違いし、襲いかかる。
「ようやく見つけたぜ、『一匹狼』! 一人で行動したのが運の尽きだったなぁ!」
対するヘイスは、落ち着いたものだった。
仮にも、彼もまた『鷹の目』の異名を持つ凄腕のスナイパー。
ギャングの下っ端程度に遅れを取る男ではない。
ヘイスは奇襲に対して素早く弓を構えて矢をつがえ、反撃に移った。
彼は長距離からの狙撃だけでなく、中距離での立ち回りも巧みだった。
後ろへ後退して敵の武器が届かない間合いを保ち、その間に射程の長い弓で一方的に撃ち続ける、所謂下がり撃ちで応戦し、先手は取ったものの十人足らずの数だったギャング達は呆気なく敗れ去る。
だが怪我人は出したが一人も殺しておらず、いずれも腕や足を射抜くことで無力化しただけだった。
ファゴットの街では『ローン・ウルフ』に遅れを取ったヘイスだが、『イーグル・アイ』の異名は伊達ではない。
中距離で矢を外すはずもなく、勝負はあっという間だった。
「く、くそ……! だが俺達から逃げ切れると思うなよ、『狼』!」
まだ敵は、ヘイスのことをユーリと勘違いしていた。
対するヘイスは、戦闘不能にしたギャング達に近付き、首根っこを掴み上げる。
「『一匹狼』を知っているようだな。どこで見た? 言え!」
彼のルールで弱い者は殺さないが、必要とあらば尋問はする。
「お、お前が、そうじゃないのか……?」
「違う。俺は『狼』を追っている。どこに行ったか吐け!」
そう言われて簡単に喋るギャングではなかったが、ヘイスはならばとギャングの小指をへし折った。
傭兵という職業柄、尋問技術も自然と身に付くものだ。
誰に教わったわけでもない、仲間がやっているのを見て、見様見真似で習得したものだった。
最初は真似から始まったものとは言え、職業病として染み付くレベルで習熟すれば、しっかりとモノになる。
やがてギャングの下っ端は耐えられず、口を割った。
そこで彼らの口から、十日程前にキラ達と一戦交え逃げられたことを知ったヘイスは、唖然とするギャングを余所に笑い始める。
「くくく……ふははは……! はーっはっはっはっ! やはり、この方角で間違いなかった! 獲物に近付いている……いい兆候だ!」
ユーリの入ったパーティは北に向かったとだけ聞き、ひたすら北上を続けてきたが、ここに来るまで足取りは掴めていなかった。
ようやく獲物に繋がる情報が得られて、狂喜乱舞するヘイス。
そんな彼の様子を見て、ギャング達は顔を見合わせた。
「なあ、人違いだった上に、俺達やべー奴に喧嘩売っちまったんじゃ……」
だがヘイスは、これ以上戦う力を持たないギャングの下っ端に既に興味を失っており、トドメを刺さずにそのまま立ち去った。
殺す価値もないような弱者は歯牙にも掛けないし、必要がなくなれば痛めつける理由もない。
ヘイスにとっては自分のルールに則った行動だが、敵からすれば意味不明だった。
そのヘイス当人は既に気持ちが先に行っており、ユーリとの再戦をどう制するか考えつつ、更に北へと向かう道を急ぐ。
(待っていろ、『ローン・ウルフ』! お前の倒すのは、この俺だ!)
同じく異名を持つ傭兵スナイパーとして、譲れないプライドがヘイスにはあった。
To be continued
登場人物紹介
・ルーク
二十歳一歩手前にして髭が生えてこない体質。
もう性転換しろ。
ちなみに旅人って滅多に風呂に入れないので、女性陣も含めて皆臭いです。
・レア
15という年齢を加味してもそのバストは平坦だった。
仲間が死んで寂しくて泣いたかと思えば、大食い対決で持ち直す辺りおつむは単純。
・メイ
このパーティが誇る大食いクイーン。
無限の胃袋で食い溜めし、戦闘で一気にカロリーを使い果たす。
ギルバートの次にマッチョで腹筋も割れてる。
・ヘイス
久々に登場したストーカーのアーチャー。
人違いで襲われたけど返り討ちにしてついでにインタビューもする。
そのテンションに男の子ドン引き。
・ギャングの皆さん
別個体とは言えまず汚いニンジャにインタビューされ、その後話の通じないストーカーにもインタビューされる。
攻撃したのは人違いなんですって言ってももう遅い。
所詮はチンピラDQNに毛が生えた程度の連中なんで仕方ねぇんだ!!