第19話 『無形の剣技』
大仕事を終えて休憩回。
アルベールの飲むファゴットのコーヒーは、苦い。
無事ファゴットの乱を制したルークだったが、戦いのダメージは甚大で、しばし街に残って治療の時間を取っていた。
そんな中、リハビリで散歩に出た先でアルベールと鉢合わせたキラとルークだったが、何を思ったかアルベールは突然剣を抜き、キラに切っ先を突きつける。
「アルベールさん、何をするんです?!」
これにはルークも驚き、まだ言うことを聞かない身体に鞭打って魔法剣を抜く。
だがアルベールはルークなど意に介さない様子で、突然のことに驚いた表情のキラの喉元に剣を突きつけた体勢で止まった。
「戦場では、敵は逐一警告などしてくれない。これが実戦なら、とっくにお前は死んでいたぞ」
そう言いつつも、彼はキラが咄嗟に腰の剣に手をやり、左手で鞘を掴みつつ右手で剣を抜こうとしていることを横目で確認する。
(まだ遅いが、一応は反応して見せたか。やはり素質はあるな)
キラの今現在の力量を確認して満足したか、アルベールは突き出した剣を引っ込めて構えを解く。
「どういうつもりか、説明して貰えますか?」
アルベールは剣を収めたが、まだ安心できないとルークは剣をアルベールに向けたまま尋ねる。
「なに、この娘にどれだけ剣の才があるか、少し確かめたかっただけだ」
一応、害意はないと判断したルークは、まだ警戒しつつも魔法剣を腰の鞘へと収めた。
そのまま立ち去ろうと背を向けたアルベールに、キラは声をかける。
「あ、あのっ!アルベールさん、私に剣術を教えて貰えませんか?!」
「習って、それでどうする?血を見れないお前が」
振り向いたアルベールは、冷ややかな視線をキラに向けた。
「それは……」
一瞬言い淀むも、キラは言葉を続ける。
「でも、私、今のままじゃいけないと思うんです。仲間の助けになりたい、なんておこがましいことは言いません。ただ、迷惑をかけないよう、自分の身くらい自分で守れるようになりたい……」
キラは真剣にアルベールの瞳を見つめ、問いかける。
「やっぱり、駄目、ですか?」
しばし、品定めするかのようにキラを見つめ返し沈黙していたアルベールだが、ひとつため息をつくと答えた。
「……いいだろう。だが、俺はお前の仲間と違って甘くないぞ」
「厳しいご指導、お願いします!」
キラは深々と頭を下げる。
ただ剣を習うだけなら、ルークを頼ってもよかった。
だが、ルークならばついキラに手心を加えてしまい、しっかりとした訓練にならないだろう。
その点、キラが自力で戦わないことを厳しく指摘したアルベールなら、技量も相まって師範として理想的だ。
この街に留まっている間、出来る限りこの達人から多くを学ぼうと、キラは決心したのだった。
早速、宿の裏手で民兵が使っていた練習用の木剣を手に、訓練を始める二人。
予想通りと言うべきか、アルベールの稽古はスパルタ式だった。
基礎訓練などは飛ばして、いきなり実戦形式での試合稽古が始まる。
右手で木剣を片手持ちするアルベールに対して、キラが無意識に取った構えは剣の両手持ちだった。
(『獅子』か……。やはり、過去に基礎は習ったようだな)
大陸の中央部から西部一帯にかけて広く流布する基礎の型は、大きく分けてふたつ。
片手剣と盾をそれぞれに持つ『犀』、そしてもうひとつが片手剣を敢えて両手でしっかりと保持する『獅子』と呼ばれるものだった。
獅子の型は犀と違い、盾を持たない。剣一本で、攻撃・防御・受け流しといった基本動作全てを担う。
剣術の入門者はまず、この二大流派のうちどちらかから基本を学び、そこから各々自分に合った派生の型へと移っていく。
だが基礎の型をそのまま極める者も少なからずおり、『獅子』もまた習熟すれば無駄の無い完成度の高い剣術とされていた。
アルベールはキラの熟練度がいかほどのものか、小手調べをするように最初は加減をしながら打ち込む。
キラもまた、両手持ちした木剣で必死にガードし、徐々に速さを増すアルベールの太刀筋を防いだ。
しかしいくら過去に学んでいたとしても、今は記憶を失った素人同然の状態。
条件反射でわけも分からぬまま、何とかアルベールに食い付いていくのがやっとだった。
練習を始めて何度目か、木剣を絡め取られて取り落とすキラ。
「構えが甘い。すぐに拾ってやり直しだ!」
「は、はい!」
落ちた木剣を拾い上げ、めげずに構えを取り直す。
やはり型は『獅子』特有の両手持ちで、剣は中段に構えて身体は敢えて側面ではなく真っ正面を向ける。
対するアルベールは目にも留まらぬ速さで踏み込み、反応の遅れたキラの剣を逸らしつつ喉元に切っ先を突きつけた。
記憶を失っても、一度身体で覚えた武術などは中々忘れないものだ。
だがその上で、キラが抱える問題点をアルベールは見抜いていた。
「動きが上品過ぎる」
「えっ?上品、と言うと……?」
意味が分からず、首を傾げるキラ。
「型に囚われ過ぎだ。いざ死合いとなれば、剣術の型など守っていられない。死物狂いで、やたら滅法に剣を振り回すのみよ」
そう、キラは記憶を失う前に習ったと思われる基礎の型に囚われ、教本に無いような予想外の動きに反応できていない。
これは『獅子の型』そのものが持つ弱点でもあり、正面から正々堂々と戦う分には能力を遺憾無く発揮するが、フェイントなどで体勢を崩されると一気に弱味が露見する。
律儀に型を守ろうとするその動きからアルベールは、彼女は剣術経験者ではあっても、実戦は全くの素人だと判断した。
「そ、そんな乱暴な……」
身も蓋もない言葉に、キラは困惑する。
「実戦とはそういうものだ。これから、死なないための立ち回りを叩き込んでやる」
アルベールは理屈の解説などほとんどせず、後はひたすら剣の打ち合いでキラに反応のし方を覚えさせた。
言葉にはしなかったが、ようは食らって覚えろということだ。
何度も木剣で打たれ、体勢を崩して転び、息が切れても、アルベールは絶対にキラを甘やかしはしなかった。
「立て!倒れている間にも敵は襲ってくるぞ!」
「は、はいっ!」
そしてキラもまた、スパルタ教育のアルベールに食らいついていく。
意外にも気骨を見せるキラに、彼も口には出さないが内心少し見直していた。
(血を見るのが駄目だと言っていたが、逆に血が流れなければそれなりに戦える、ということか……)
それからも、何十回、何百回と木剣で打ち合うキラとアルベール。
ルークは念の為、終始二人の稽古を見守っていた。
(”剣の会話”……私も、かつてはよく稽古をつけてもらっていたな)
ルークが脳裏で懐かしさを感じている間にも二人の訓練は続き、昼頃になってようやくアルベールは終わりを宣言する。
「今日はここまでだ。お前が望むなら、俺が街を離れるまでの間、相手をしてやる」
息を切らして立っているのもやっとという状態のキラに対して、アルベールは涼しい顔をしていた。
「はぁっ……はぁっ……!あ、ありがとうございました、師匠」
「誰が師匠だ。俺はお前の師になったつもりはないぞ」
突き放すようにそう言い、自分の宿へと戻ろうとするアルベール。
だがそんな彼も、内心ではキラのことをある程度評価していた。
(筋は悪くないな。何より、素直で飲み込みが早い。場数を踏めばいい剣士になるな、あれは。問題は流血が苦手な点だが……)
武術に限らず何かを習う上で、素直というのは非常に美点である。
自己流のやり方に固執せず、すぐに新しい教えに順応できるためだ。
体力を使い果たしたキラを気遣い、ルークは歩み寄って手を貸す。
「大丈夫ですか?そろそろ昼食の時間です」
肩で息をしながらルークの差し出した手に掴まり、宿のラウンジに戻ろうとするキラは、振り返って立ち去ろうとするアルベールに声をかけた。
「そうだ、アルベールさん。一緒にお昼ごはん、どうですか?」
「別に構わないが」
半分は突っぱねられるのではと不安だったキラは笑顔を浮かべる。
アルベールはと言うと、訓練のために一度置いたパンの入った紙袋を拾い上げ、キラ達の宿泊している宿屋へ入っていった。
いつもは食事は上品に食べるキラだったが、この時ばかりは特訓で体力を使い果たして非常に腹が減っていたため、思わず出されたパスタにがっついてしまった。
一方のアルベールはと言うと、あれだけ激しい模擬戦の後でもいつも通りの様子で、街で買ってきたパンにバターを塗って食べている。
パンは買ってきたものだが、バターはアルベールが自分で錬成したお手製のものだ。
葉っぱや木の根と言った、本来なら食べ物でないようなものから錬金術で作り出したバターで、アルベールは『人造バター』という少々食べるのが躊躇われるような名前で呼んでいた。
レジスタンスが領主と苦しい戦いの日々を続けていた頃、乳製品など滅多に手に入らない中、アルベールが錬金術で錬成したバターなどの食材は、民兵の士気を維持するための縁の下の力持ちでもあった。
パンを一通り平らげた後、アルベールは宿で注文したコーヒーに何も混ぜないまま、一気に飲み込んだ。
「おっさん、ブラック派かよ。胃に悪いぞ」
そう言うディックはと言うと、昼からエール酒をあおっている。
「何を飲もうが俺の勝手だ。コーヒーをもう一杯」
その頃には、キラもパスタやスープを満足するまで食べ終え、落ち着いていた。
いい機会だからと、キラはアルベールに尋ねてみることにした。
「アルベールさん、あの剣術ってどこで習ったものなんですか?」
「どこか特定の道場か師範から、という意味ならどこでもない。あちこち渡り歩く中で、敵や味方の使う技を見様見真似で体得したものだ。時に、食らって覚えたりもしたが」
そう、アルベールに特定の師は居ない。
時に肩を並べて戦う味方を真似、時に敵の繰り出す技を盗んで、様々な流派のいいとこ取りをした結果誕生した、言わば”無形の剣技”だった。
生まれ持った戦闘センスや学習能力は元より、飽くなき探究心と向上心の賜物でもある。
アルベールはこの乱世を生き抜く上で、自分の技量を高めることに余念がない。
「ふーん、おっさんも言わば我流みてーなもんか」
「お前と一緒にするな」
誰にも教わらず槍の扱いを覚えたディックは自分と同類かと考えたが、学習意欲の無さなどからアルベールは突き放した。
自信過剰で自分の弱点を理解し、克服しようとしないディックの姿は、アルベールから見れば高慢にして怠惰、才能はあっても伸び代はもう無いように映った。
「やっぱこのおっさん、嫌いだわ」
むくれるディックを、キラがなだめる。
「まあまあ……」
ブラックコーヒーの最後の一口を飲み終えたアルベールは、代金をテーブルの上に置くと席を立った。
「俺は自分の宿に戻る。用があれば訪ねてこい」
「はい!これからも稽古、よろしくお願いします!」
キラは頭を下げてアルベールを見送った。
その様子をすぐ隣で見ていたルークは、彼女なりに前に進もうとする努力はよしとしつつも、同時に危うさを感じてもいた。
(この間のように、キラさんに無理に剣を握らせるわけにはいかない……。私がもっと、しっかりしなくては)
昼食がちょうど終わった頃、キラ達の部屋を訪れる人影が二人。
新人の民兵として奮闘した、エリックとエレンだった。
「やっほー!今日も可愛いエレンちゃんがお見舞いに来たぞー!」
「皆どうだ?傷の方は」
二人は一行がこの宿に身を落ち着けてからと言うもの、ほぼ毎日のように訪ねてきていた。
「ええ、もう自力で立って歩けるくらいになりました」
さっきも、リハビリがてら街に繰り出していたところだ。
その道中、アルベールとばったり出くわして、キラに稽古をつけるという妙な流れになったのだが。
戦いの直後は、大魔法の反動で全身傷だらけで酷い状態だったが、医者の懸命な治療とアルベールの錬成した特製治療薬、そしてキラの付きっきりの看病のおかげで、何とかここまで来れた。
「ところでソフィアさん、俺の身体のことなんだけど……」
エリック達が連日ここを訪れるのは、一緒に戦った仲間の傷が心配なのもあるが、同時にエリックの謎の治癒能力に関してでもあった。
戦いの後、ルークから胸部を槍で貫かれてもまたたく間に自然回復したことを聞いたソフィアは、やはり異能の魔力をエリックから感じ取り、キラの時と同じように毛髪を試薬に浸けて簡易テストを行っていたのだ。
「結果は出たわ。結論から言うと……エリック、あなたは異能者よ。それも、かなり強力な」
「俺が……異能者……」
エリックはまだ信じられないといった様子で、自分の右手を見やる。
決戦の直後、乱戦であちこち負傷していたはずなのだが、数分後には全てきれいさっぱりと消えていた。
最初にルークが目撃した一件も、常人では考えられない治癒力である。
それまで平凡な一般人として生きてきたエリックには、まだ実感が湧かなかった。
もしレジスタンスと警備隊の戦いに巻き込まれず、平和に暮らしていたのなら未だに気付かないままでいたかも知れない。
また、治癒力だけでなくエリックは武術の才も頭角を現しており、最初の頃は元狩人で弓を扱い慣れているエレンの後を追う形だったが、訓練と実戦を経てメキメキと剣術の腕を上げ、今や実力ではエレンを追い抜く程にまで恐るべき早さで成長を遂げていた。
「これは極めて稀なケースよ。同じ時代、同じ地域に、強力な異能者が二人も現れるなんて、人類史上でも中々ないわ」
ソフィアは努めて冷静でいたが、内心は好奇心をくすぐられて居ても立っても居られない状態だった。
キラを発見できただけでも、異能者研究が大きく前進すると興奮していたと言うのに、また違った能力を持つ新たな異能者と巡り会えるとは思っても見なかったからだ。
(キラとエリック、二人が出会ったのは偶然?それとも……必然?)
魔術師とは言わば学者である。
ソフィアもまた例に漏れず、運命などというセンチメンタリズムなものは信じていなかった。
しかし大きく時代が変わろうとしている今この時に、異能者二人が一堂に会するということの意味を知らない程、無知でもなかった。
過去の歴史を遡っても、時代の転換期の影には毎回のように異能の英雄の活躍があった。
たった一人でも歴史を塗り替える程の人物が、今は二人。
もしかしたら異能者同士は無意識に引かれ合う、言わば引力のようなものが働いているのかも知れないとソフィアは考察を巡らせていた。
「凄い偶然ですよね。私も異能者らしくって……」
そんなソフィアを他所に、思わず現れた”仲間”にキラは嬉しそうに語りかける。
「ソフィアさんから聞いたよ。何か運命みたいなもの感じるよな。ひょっとしたら、キラも剣の才能とかあるかも知れないぞ?」
「どうなんでしょう?さっき、アルベールさんに稽古をつけてもらったばかりなんですけど……」
以前に剣術を習っていたのは確かのようだが、逆にその型に囚われているとアルベールに指摘されたばかりだ。
いくら訓練と言えども、実戦形式で何度も打ち合い、終始アルベールに圧倒された。
彼の言う通り、これが実戦ならば何百回死んでいるか分からない。
「才能があるか自分でも分かりませんけど、せめて皆さんの邪魔にだけはなりたくない……そう、思ってます」
「そっか。俺もまだまだだからなぁ。もっと経験を積んで、立派な剣士にならないと!」
出会ってからそう長くない二人だが、人と違う力を持っているという点で意気投合したのか、話が弾んだ。
そんな親しげに会話する二人を睨む影がふたつ。
「エリックの奴……俺のがキラちゃんとの付き合い長いんだからな……」
「何よもうニヤニヤして……」
ディックとエレンが、二人の知れぬところでジェラシーを燃やす。
そんな二名の視線など他所に、キラとエリックの会話は進み、自然とつい先程決まった次の行き先についての話題になる。
「へぇ、ドラグマの魔法大学か。一番近いって言っても、かなりの距離なんじゃないか?」
「うーん、そうみたいです」
地図を見てもあまりピンと来ないキラ。
しかし今まではアルバトロス領内を移動していたのと比べ、今回は別の国へと国境をまたぐことになる。
「大変そうだけど、自分探しの旅か……。俺もやってみるかな、自分探し」
エリックは何気なくポツリと呟いた。
「あんた、この頃ずっと言ってたもんね。『旅に出たい』って、そればっかり」
呆れ顔のエレンが二人の間に割って入る。
事実、エリックはこの間、キラ達に旅の話を聞く中で旅人に憧れを抱いており、自分も旅がしたいと言い出して聞かなかった。
「俺、ついこの前まで、自分は普通の人間だと思ってた。けど違うって言うんなら、自分が何者なのか知りたいんだ」
これはキラも同じだった。
記憶もなく、自分がどこの誰だかも分からない。
その上、常人と違う力を持っていると言われては、自分が何者なのか気になって仕方がないというものだ。
「分かります。私もそうですから……」
そんなエリックに、声をかけたのはソフィアだった。
「なら、私達と一緒に魔法大学まで来てみないかしら?大学にはもちろん異能者を研究している魔術師もいるし、色々と分かるかも知れないわ」
エリックが旅に興味津々ならば好機と、ソフィアは彼を旅に誘う。
彼女にとっても、一緒についてきてくれるならば願ったりといったところだ。
「いいのか?俺、まだ戦力になれるとは限らないけど……」
「私達が全力で守るわ。魔法大学で異能力について調べたら、またここに戻ってくればいい。どう?」
ソフィアの言葉に、キラも微笑みながら頷く。
それに続き、旅の仲間達も彼を受け入れることに同意し、首を縦に振った。
「あ……ありがとう!足を引っ張らないよう、頑張るよ!」
浮かれるエリックの耳を、エレンがつまんで引っ張る。
「なーに一人ではしゃいでんのよ。あんたが行くならあたしも行く!」
元はと言えば、レジスタンスにもエリックについてくる形で加わったのが彼女だ。
エリックが今度は旅に出ると言い出せば、やはり彼女もそれに同行しようとするのは目に見えていた。
「いててて!お前は別にいいじゃないか!」
「だーめーでーすー!ヘタレのエリックには、このしっかり者のエレン様がついてないと、何やらかすかわかんないんだから」
腐れ縁と言うだけあって、昔からこんな関係なのだろう。
二人のやり取りを微笑ましく見守っていたキラ達は、エリックと一緒にエレンも仲間に加えることに賛成した。
地図を広げながらこの先の旅路の打ち合わせをすると、出発日に北門で待ち合わせをする約束をして、エリックとエレンは戻っていく。
「あとはユーリさんが戻ってくれば、か。今から楽しみだな」
「はーい、浮かれてないで準備はちゃんとしましょーねー!街の外はそんなに甘くなーい!」
まだ街から出た経験のないエリックと違い、元狩人のエレンは郊外の危険性をある程度知っていた。
旅に出ると決まれば準備をすべしと、エリックを引っ張っていく。
二人の関係性は違えど、キラもルークと一緒にアルバトロスの首都で旅の支度を整えたことを思い出し、思わず笑みがこぼれた。
「何だか、私達の出発の頃を思い出しますね」
「そうですね」
同じ気持ちだったのか、ルークも頷く。
まだあれからそんなに時間は経っていないと言うのに、激動の戦いをくぐり抜ける間に随分遠くへ来たように思えた。
仲間の最後の一人、ユーリが戻ってきて合流したのは、それから二日後のことだった。
黒蜘蛛首領バッシュの暗殺依頼をこなした彼は、依頼主から報酬を受け取って一行の下へと帰ってきた。
「ドラグマか……。いや、わかった」
ソフィアから次の目的地を聞いた彼は一瞬渋い顔を浮かべたが、すぐにいつもの鉄面皮に戻って了承した。
バッシュ暗殺の依頼を完了した今は、ソフィアとの契約が最優先だ。
行って帰ってきた直後だが、いつでも動ける準備は常に整えているらしく、ユーリは明日にでも出発できると答える。
エリック達も旅の準備は終わったようで、いつでも行けるという返事が返ってきた。
その日の訓練の終わりに、キラはアルベールに明日出立する予定であることを伝えた。
「そうか。せいぜい、無駄死にしないよう気をつけることだ」
「はぁ、はぁ……。そ、それでなんですけど……」
厳しい稽古で乱れた息を整えつつ、キラは相談を持ちかける。
「アルベールさん、ルークさんの重傷も特製のお薬で治してくれましたよね?あれも、錬金術……」
「ああ、錬金術で錬成した治療薬だ。普通の医者では作れまい」
アルベールは爆弾の他にも薬の錬成法を編み出しており、自分や味方の治療に役立てていた。
職業柄、負傷は常だったからだ。
「私にも、錬金術、教えて貰えませんか?」
「駄目だ」
剣術の時とは違い、アルベールは即答した。
「今のお前では手に余る。身の丈に合わない技は、己の身を滅ぼすだけだ」
「う……。そ、そうですよね……」
剣技ひとつ取ってもまだまだ半人前の身。
アルベールの剣と錬金術や、ルークのような剣と魔法の二足のわらじは、それに伴う実力あってのものだ。
「だが、まあ……そうだな、次に会う機会があった時、お前が腕を上げていれば、初歩的な錬金術なら教えてやらんでもない」
「ほ、本当ですか?!」
しょげて項垂れていたキラだったが、その言葉を聞いて表情を明るくする。
「お前が成長していれば、の話だ。それまで犬死にしないよう、こいつをやる」
そう言ってアルベールが手渡したのは、ルークの治療にも用いた飲み薬の治療薬の入った袋だった。
「これって……!ありがとうございます、大事にします!」
師匠からの初めての贈り物に喜ぶキラだったが、そんな彼女をアルベールは鼻で笑った。
「ふん、馬鹿かお前は」
「えっ?」
「薬を後生大事に抱えて、それで死んだら間抜けもいいところだ。道具は使って始めて意味がある。味方が負傷した時は、迷わずすぐ使え」
錬金術で錬成した道具を駆使する、アルベールならではの助言だった。
貴重だからと道具を出し惜しみして、それが原因で死んだ同業者を彼は数多く見てきた。
「そ、そうですよね。使うべき時、しっかり使います!」
キラはそう答えると、薬がいくつも詰まった袋を腰のベルトに下げた。
ちょうどその時、迎えに来たメイがキラに声をかける。
「キラ、明日は早いからそろそろ食事にしよう」
「あ、そうだね。早起きして、出発しないと」
キラは改めてアルベールに向き直ると、深く頭を下げた。
「アルベールさん、お世話になりました。ありがとうございます」
「別に世話を焼いたつもりもないがな。行ってこい」
アルベールはいつも通りそっけない態度だが、メイの下に駆けていったキラはもう一度振り返ると満面の笑みで手を振った。
(戦場では善人は長生きできないと相場は決まっているが……。さて、どうかな)
内心でキラを案じつつ、アルベールも自分の宿へと帰っていく。
翌朝、早起きした一行はファゴットの街の北門に集まっていた。
一度は厄介な戦いに巻き込まれたものの、それを退けたキラ達は改めて次の目的地に向け、足を進める。
その第一歩として、まずは朝のうちに新たな仲間と待ち合わせだ。
心機一転、心躍らせながら北門までやって来たキラ達だが、待っている人数が想定より多い。
「あなた達は……!」
ルークが思わず驚きの声を上げたのも無理はない。
エリックとエレンの二人と一緒に居たのは、レジスタンスに雇われて一緒に戦っていたリカルド達傭兵四人組だったからだ。
「よう、ルーク。北を目指すんだってな?ちょうど俺達も北で仕事を探そうと思ってたところなんだ」
リカルドは一行にそう話しかける。
「俺が旅に出るって話したら、リカルドさん達も大体行き先が同じらしいんだ。その、構わないかな?」
少し困ったようにそう語るエリックだが、キラは喜んで彼らを受け入れた。
「皆さんも、一緒に来てくれるんですか?心強いです!あの、よろしくお願いしますね!」
笑顔で頭を下げるキラに、お調子者のフランツは陽気に語りかける。
「決まりだな。まあ、道中の雑魚掃除なんかは俺達に任せておけよ!これでも四人、傭兵歴は長いからな。大船に乗った気持ちでいてくれて構わないぜ」
「……しばらく、世話になる」
強面のディンゴは無表情のまま、ルークにそう挨拶した。
もう一人、あまりいい顔をしていない人物が居た。
四人組の中でも最近加わったという、エドガーだった。
「こんなことをして、何になると言うのか……」
渋い表情でため息をつくエドガーに、リカルドは手を肩に回しながら話しかける。
「大丈夫さ、絶対上手くいく。こんなチャンス、もうないかも知れないんだぜ?」
(一体、何の話だ?)
リカルドとエドガーのやり取りを見て不審に思うルークだったが、そこに新たに現れた人影があった。
「あ、アルベールさん!見送りに来てくれたんですか?」
それがアルベールだと気付いたキラは、笑顔で手を振る。
「ああ。俺も、そろそろ次の仕事を探す頃合いだからな」
するとリカルドは、今度はアルベールに向けて話を振った。
「なら、俺達と北に行かないか?」
「断る」
リカルドの誘いを、彼は即答で拒否する。
「お、おいおい、つれねぇな。少しは考えてくれたっていいじゃないか。旅は道連れ世は情けって言うだろ?」
食い下がるリカルドだったが、そんな彼にアルベールの鋭い視線が突き刺さる。
「……何か、北に儲け話でもあると言うのか?」
「いや、それは、その……」
敵意や殺気ではないものの、アルベールの刺すような眼差しに臆したか、リカルドは言い淀んだ。
そんなリカルド達に踵を返して、アルベールは出口とは反対方向へと歩き出す。
「旅をしていれば、また会う機会もあるだろう。それまで、つまらんことで死ぬなよ、キラ。どんな状況だろうと、生き残った奴が勝者だ」
「……!は、はい!再会できる時まで、頑張ります!」
あのアルベールが、初めてキラの名を口にした。
それに気を良くして、彼女は笑顔を浮かべて深々と頭を下げる。
だがすれ違いざまに、アルベールはキラにそっと耳打ちした。
「……北に向かうなら、用心しろ」
「えっ?」
疑問符を浮かべるキラにそれ以上の説明はせず、本当に見送りに来ただけのアルベールは、それからすぐに街の中へと消えていった。
「ふぅ……。結局、『鴉』の手は借りられなかったか」
キラ達には聞こえないよう、小声でリカルドはそう呟く。
「まあ、『鴉』一人居なくても平気だろ。こっちにゃ、こんだけ贅沢な戦力が揃ってんだ。向かう所敵無しだぜ」
「声がでかい。聞こえるぞ」
ついいつもの調子で喋り出すフランツを抑えると、リカルドは何事もないかのように取り繕い、キラ達に改めて話しかける。
「じゃ、一緒に行くことで決まりでいいよな?ここからは、俺達の馬車を使おう。これなら大所帯での移動も楽だ」
リカルドはそう言って、北門前に停めてある自分達の馬車を指差す。
御者席には例の雑用係の小男が座っており、出発の準備は既にできている。
最初に街に来た時に使っていたソフィアの馬車は、宿が襲われた晩に警備隊によって破壊されてしまっており、キラ達も新たな足を欲していたのは確かだ。
「よーし、話も纏まったことだし、日の高いうちに出発しますか。あんまりモタモタしてると夜になっちゃう」
エレンは旅に備えて新調した弓を弄り回しながら、先頭に立って歩き出す。
一行もそれにつられるようにして、リカルドの馬車へと乗り込んだ。
思わぬ形でリカルド達四人組を仲間に加えた一行だが、ルークは内心彼らを信用したものかどうか、決めかねていた。
(キラさんは二つ返事で決めてしまったが……本当に彼らは、行き先が同じでついてくるだけなのだろうか?)
馬車の中で腰掛けたルークがふと横を見ると、同じく座りながらうつむいているユーリが目に入る。
彼もまた、言葉にはしないが何かを考えている様子だった。
キラ達が出立した三日後のこと、ファゴットの片隅にある病院のベッドで、一人の男が目覚めた。
「俺は……」
状況が飲み込めず、上体を起こして周囲を見渡す男に、病院の医者が声をかける。
「しばらくはじっとしていた方がいい。何せ重傷で、半月も意識不明だったんだからな」
「半月も?……そうだ、戦いは?!あの乱戦はどうなった?!」
鬼気迫る表情で尋ねる男に、医者はかいつまんでレジスタンスが勝利し、領主セオドアを街から追い出したことを伝えた。
どうも医者は警備隊の制服を着ていない彼を、民兵側に雇われた傭兵の一人だと勘違いして、病院に運んで治療してくれたようだった。
「いや、俺は……」
男は確かにファゴットの乱の現場に居たが、レジスタンス側で戦っていたわけではない。
単独で黒蜘蛛首領の首を狙い、レジスタンスの傭兵に獲物を横取りされた、それだけのことだ。
何なら腹いせで民兵側に弓を引いたのだが、相手の狙撃手にまんまと一杯食わされ、深手を負わされた。
味方ではないと言おうと思った男だが、ここでそれを明かすと面倒なことになりそうだったので、途中でやめた。
「うん?やはり、目覚めたばかりで意識が混濁しているようだな。名前はちゃんと言えるかね?」
その様子を見た医者は、容態を確かめようと注意深く観察しながら尋ねる。
「……ヘイス。ヘイス・ベイエルだ」
「ふむ、問題はなさそうだな。念の為、もう数日ここで安静にしているといい。傷もまだ完全に塞がっていないことだしな」
ベッドから離れて行こうとする医者に、ヘイスと名乗った男は問いかけた。
「待て。傭兵は……他の傭兵達は、今どこに?」
「彼らなら、数日前に街を発ったよ。確か、北へ向かうと言っていたか」
ヘイスのことを味方だと思い込んでいる医者は、簡単に行き先を教えてくれた。
何せ領主との戦いで活躍したルーク達は、この街では有名人となっており、噂の類は尽きなかった。
今すぐにでも、自分を負かしたあの狙撃手を追うべく出発したいところだったが、医者の言う通り傷がまだ完治していないこともあり、数日は大人しく病院で過ごすことにした。
病院を出る時、元々持っていた道具や装備一式を身に着けたヘイスは、医者に治療代として銀貨の入った袋を手渡す。
「いやいや、結構だとも!この街のために命懸けで戦ってくれたんだ、治療費は無料で構わんよ」
まだ勘違いして銀貨を返そうとする医者だが、ヘイスはそれを良しとしなかった。
「お前のおかげで、俺は命拾いした。その謝礼としては少ないくらいだ。……命は、金貨より重いからな」
「そ、そういうことなら、ありがたく頂くとしよう」
ヘイスの気迫に圧されたように、医者は袋を受け取る。
自身の言葉通り、ヘイスは自分の命は金で買えないと考えていた。
金で命のやり取りをする傭兵だからこそ、失われた命はどれだけ金を積んでも返って来ないことをよく知っている。
「ところで、ドクター。子供は居るのか?」
「うん?ああ、息子と娘が一人ずつ居るが、それが何か?」
その答えを聞いたヘイスは、銀貨とは別に紙に包まれた何かをポケットから取り出し、医者に渡した。
何とそれは、子供が小遣いで買うような駄菓子の類だった。
傭兵が持つには似つかわしくない可愛らしい”報酬”に、医者は一瞬目を丸くする。
「家に帰ったら、子供達に分けてやってくれ。じゃあ、世話になったな」
それだけ言い残すと、ヘイスは緑色の外套をひるがえして病院を後にし、追跡行動を開始する。
酒場で戦いに参加した民兵などから情報を漁り、レジスタンスが雇った傭兵の詳細を聞き出す。
自分も傭兵だと言うと、ほとんどの相手は医者と同じく味方側だと勘違いし、素直に話してくれた。
適当な食事処で魚料理を注文した彼は、近くの川で捕れた新鮮な魚肉を味わいつつ、集めた情報のメモに目を通していく。
(『鴉』アルベール・コルネイユ……こいつも凄腕だが、剣士だ。あの時の弓手じゃない)
戦いの最中、ヘイスの獲物だったはずのバッシュを横取りし、なおかつヘイスの目を欺いて狙撃戦で勝利を勝ち取ったあの射手を探し出すべく、ヘイスはメモの束をめくる。
(リカルド……ルーク……知らん。俺の探しているのはこいつらじゃない)
だがレジスタンスが雇った傭兵の数はそれ程多くはない。
程なくして、ヘイスは正解に行き当たる。
(『一匹狼』ユーリ……こいつだ!こいつに違いない!)
暗殺、破壊工作を得意とする弓使い。他に雇われた傭兵の中で狙撃手は居ない。
メモによると、このユーリという傭兵は今はルークという男のパーティに雇われており、共に北を目指して街を出立したとある。
(見つけた……見つけたぞ!俺は、自分より強い者を狩る”狩人”……『狼』を必ず仕留めて見せる!)
興奮気味になったヘイスは、戦闘中のように目を血走らせ、メモを握る手にも力が入る。
店で魚料理を食べ終えたヘイスは、食事代を支払うと、ルーク達を追うべく自らも北門から北を目指して出発した。
全ては、自分から獲物を取り上げ、そして自分を下した弓手を仕留めるために。
To be continued
登場人物紹介
・キラ
一応は剣術経験者だったらしい。
ただし記憶喪失でほとんど忘れてレベル1に戻ってる。
・アルベール
何だかんだ言いつつ面倒見はいい方。
色んな流派の技を切り貼りしたキメラ剣法の使い手。
コーヒーはブラック派。
ところで人造バターって食欲失せる名前だよね。
・エリック
改めて異能者認定された元一般人。
旅人や自分探しに憧れてしまうお年頃だ。
何となく旅に出てしまうが、お前それでいいのか?
・ならず者傭兵部隊
エリックをスカウトしたら何故かおまけでついてきた。
今なら雑用係のおっさんもおつけしてこのお値段!
今すぐお電話ください!
・ヘイス
ようやく真名が判明した節穴のアーチャー。
名無しの権兵衛のまま死なず、リベンジマッチを望む。
お前のそれはただの逆恨み。
実は子供にあげるためにいつも駄菓子を持ち歩いてる。
チョコの人だこれ!