恐怖! 超人エックス出現!
真首領からの鶴の一声にて、在る場所へ命令が伝達された。
しかしながら、実際の現場と上役では事情が違う。
「はい? 聞き間違えでなければ、今すぐに超人エックスを起こせと?」
怪しげなモノが浮かぶ水槽の横で響くのは、白衣を纏う研究者らしい声。
そんな声に、別の男が頷く。
「そうだ」
「そうだって、そんな簡単に仰いますが……まだエックスは現時点では完成とは」
研究者からすれば、一応の進捗管理はしている。
彼が指差す水槽の中には、丸い何かがフワフワと浮いていた。
例えるならば、光るメロンソーダに浮かぶ丸餅という光景。
とてもではないが、兵器とは言い難い。
現場の声を出すなら【まだ無理です】と叫びたかった。
「いいか? コレは命令なんだ。 我々はただ従えば良いんだ」
「ですが、しかし……」
なかなか首を縦に振ろうとしない部下に、男は溜め息を吐く。
「もういい、退きたまえ。 君がやらないなら、私がやる」
そう言うと、男は部下を力付くで押し退ける。
勢いそのままに、水槽横の機器を弄ってしまう。
「あぁ!? まだ速すぎます!! そんな、ダメだ!」
何とか上司の暴走を止めようとするが、時は遅い。
もう既に、水槽を解放する為の操作は為されていたのだ。
バンバンバンと派手な音を立てながら、水槽に繋がる管が切断されていく。
と同時に、水槽の中の液体が徐々にだが排出され始めてしまった。
「そ、そんな!? 私の研究が!!」
頭を抱えて膝を落とす若い研究者。
その横では、彼の上司が正気とは思えない笑みを覗かせる。
「人型である必要など在るまい!! 要は兵器として動けば良かろうなのだ!」
そんな狂気に満ちた目が見据える先では、水槽の排出が終わっていた。
筒の中に残されたのは、例えるならば肌色の餅である。
「さぁ! 起きろ超人エックスよ! お前の力が必要だ!」
我が子を呼ぶ様な声に、水槽の中のモノが反応した。
最初こそ、単なる巨大な餅とも見えたが、ソレは蠢き出す。
一部が持ち上がると、其処は伸びていく。
まるで、ボクサーが腕を引き絞る様に動いたと見えた途端に、餅の一部が水槽の壁を強かに叩いた。
グシャッと音がして、水槽の壁だったモノが飛び散る。
それを見てか、上司が引きつった様な嗤いを上げ始めた。
「見ろ! 我々の研究成果を! 対戦車ライフルですら耐える筈の水槽が、まるでガラスのコップの様ではないか!」
割れた穴から、餅が這い出す。
不定形故か、穴の大きさなど関係無いと言わんばかりであった。
「ヒィィ!? ち、ち、超人エックスが!? 外に出てしまったぁ!?」
恐怖に駆られたのか、研究者は引きつった悲鳴を張り上げる。
そんな腰を抜かした部下を退かし、上司が両手を大きく広げた。
「エックスよ! 我が子よ、私の腕の中に来るのだ!」
開発の総指揮を取った彼からすれば、この怪しい超人は自分に従う筈。
何せ、長い時間と手間暇、予算を惜しまず全てを注ぎ込んだ。
その結晶が、ゆらりと丸まる。
僅かに揺れたと思った超人Xは、在る方へと揺れる。
其処には、手洗い用の流し台が在った。
「どうした! さぁ、こっちへ来い!」
そんな命令に対して、正体不明の餅は動き出す。
見た目の鈍重さに似合わず、餅は流し台へと動いた。
脚が無い為に、走るという事は難しく、這いずるという方が正しい。
だが、その動きは実に素早い。
あっという間に自分の先を流し台の排水溝へと押し付けると、そのままズルズルと排水溝の中へと潜っていく。
軽自動車一台は在りそうな質量にも関わらず、餅の全ては排水溝へと消えた。
「あ、え、エックスが、排水溝に?」
いまいち事態が飲み込めない研究者に、上役は頭を抱えた。
「えぇぇっくすぅううう、何故だぁ!?」
本来ならば、敵対者を倒す為に造られた筈の超人は、解放間もなく逃げ出してしまった。
*
排水溝という、本来なら細い細いパイプ。
だが、その中を肌色の何かが蠢く。
いったい如何なる思惑が其処には在るのか。
それでも、ただひたすら這いずる。
どれくらいそうしていたのかは定かではない。
それでも、捨てられた排水が何時かは何処かへと辿り着く様に、逃げ出した餅もまた、何処かの下水道らしき場所へと辿り着いて居た。
細い穴から、絞り出される様に出て来る怪しき物体。
水が溜まる様に、段々と丸まるとした形へと戻っていく。
元通りの姿に戻ったからか、ソレは動き出す。
外見からは、目らしいモノは見えないが、それでも、確実に外へと這いずる。
粘着く音を立てながら、ようやく、下水の出口へと辿り着く。
狭い中では見えなかったが、まるで星空の如く輝く街が見えた。
*
何処かの研究所から、怪しげな物体が逃げ出してから少し後。
遠く離れた悪の秘密基地では、其処の首領が在る連絡を受けていた。
着信を告げるスマートフォンを、手に取る。
「はい、もしもし、悪悪軒で~す」
果たして悪の組織がラーメン屋をやっているのかと言えば、コレには偽装の意味がある。
とは言っても、実際には悪ふざけの意味合いが強い。
『ほぅ? 何時から悪の組織からラーメン屋に商売替えしたんだ?』
聞こえて来た声は、忘れもしない相手だった。
「橋本さん?」
良が語った橋本。
彼はかつて、組織に良と同様に改造され、其処から脱走した改造人間である。
それ以降、橋本は組織の敵対者として活動していた。
その後に、良が首領に収まって以来、多少のぶつかり合いは在ったものの、志し同じ者とて、今では良き理解者と言える。
「久しぶりっすね? 電話くれるなんて」
『群れるのは好きじゃないんでね。 ただ、今回はちょっと事情が違うんだ』
最初こそ、茶化した様な橋本だったが、話す声が変わる。
「もしかしたら、そっちで何か出ました?」
下火に成ったとは言え、完全に鎮火した訳ではない。
時には、良の知らない所で何かが在ってたとしても不思議ではなかった。
『ソレなんだが、篠原』
「はい?」
『今回、お前さんの力を借りなきゃ成らんかも知れないんだ』
橋本の声に、良は眼を細めた。
『なぁ篠原』
「はい」
『借り作るってのもなんだが、頼めるか?』
橋本から頼まれた良は、少し考える。
「ま、ちょっとだっけ待ってください」
そんな良の返事は、曖昧なモノであった。
*
組織の長として、一応の立場が良には在る。
此処で問題なのは、彼が首領という事だろう。
通常の企業で例えれば、社長といった立場にある。
つまり、一応の全権を握ってこそ居るのだが、その反面、実は動けないという事にも繋がる。
或いは小さな店舗で在れば、店長が直々に店に立ち、あれやこれやと作業をこなす場合も在るが、規模が大きくなればなる程、立場が変わってくる。
わざわざ社長が直々に出向いて末端の作業をする事は無い。
以前の首領にしても、何かを行う時は部下を送り込んだ。
良の場合はと言えば、少し事情が違った。
成り行きで首領に成っただけである。
他人が傷付くぐらいならば、とにかく自分が現場に立ち、最前線にて戦いを続けた。
大首領との一戦など、自ら率先して先に行った程である。
こうした事から、幹部のアナスタシアが頭を痛めた事は一度や二度ではない。
そんな彼女が、首領の部屋へと訪れていた。
「首領、失礼致します」
ほぼノック無しで入室するなど、以前の組織ならば即座に死刑案件だが、良が首領と成ってからはだいぶ組織の決まりも変わってきていた。
女幹部にしても、以前ならば首領に対して従うばかりであったが、新たな首領のせいかその性格にも大分変化が在った。
「首領、来月の計画に関して……ん?」
入ったまでは良いが、何かがおかしい。
そう、部屋に居る筈の首領の気配が無いのだ。
「えぇ、ちょっと……首領!? 何処ですか!!」
すわ何事かと、部屋を見渡すアナスタシア。
其処で、彼女は在るものを見つけ出した。
近寄って見れば解るが、部屋の壁に、一枚の紙が張り付けられている。
慌てて駆け寄り、それを引っ剥がす。
「えーと……何々、ちょっと、用事が出来ちゃったので? 出掛けて来ますぅ?」
首領が残したで在ろう書き置きに、アナスタシアのこめかみに血管が走った。
放された紙が、スッと床に落ちる。 読まれて居ない部分が露わに成った。
【アナスタシア 悪いんだけど 後宜しくね?】と、下手くそな自画像入りであった。
怒り気味の勢いで、壁に備え付けられたボタンを、腰の入った裏拳で叩く。
改造人間用に造っている在る為に、多少は頑丈だ。
銃弾程度ならば弾く筈が、それでも、余りに叩く力が強いせいかボタンにヒビが走る。
「総員! 大至急集合せよ!! 首領が脱走為されたぞ!!」
鳴り響く警報と共に、女幹部の一声で組織に緊急事態の発生が告げられた。