Episode 5 ―真―
1
2014年5月7日(水)
話終えた龍司はもう冷めてしまったホットコーヒーを飲み干した。
「で、あいつは高校入学前にばあちゃんの家から実家に引っ越したわけだ。連絡先も変わっちまって、俺は真希と会えなくなった。だから、今回真希と会ったのは1年振りだ。」
龍司の話をずっと黙って聞いていた橘拓也はここでようやく声を出した。
「トオルさん曰くバンドの心臓をなくしたBAD BOYは3人体制となり、それからはライブ中に仲間同士で喧嘩したり客とモメたりしていくわけか…」
「そういう事だ。」
「でも、どうして真希さんは嘘をついてまでバンドを辞めたんだろうね。」
拓也同様ずっと黙って龍司の話を聞いていた結衣が横から話に参加した。
「お前いつから話聞いてたんだよっ。勉強してたんじゃなかったのかよっ?」
「何言ってんの。最初からずっと聞いてたよ。」
「龍司気付いてなかったのか?」
「あ、ああ…びっくりしたわ…」
「でも、結衣ちゃんの言う通りどうして姫川さんはバンドを辞めたんだろうな?話を聞く限りではギターが好きそうだしバンドも辞めたくなかったと思うな。それに俺もあの人が父親に何か言われたからってそれに従う人に思えないし。」
「未だに俺にもわからねぇんだ。あいつバンドやってる時は本当に楽しそうだったんだよ…」
そこまで黙ってカウンターの中でパイプを吹かしていた新治郎が言った。
「真希が本当に嘘をついて辞めたのか。真実を語って辞めていったのか。それをここでお前らが話し合った所で真実はわからんよ。真実を知りたければ直接真希に会って聞く事だな。」
「そうだな…そうしよう…てか、マスターはいつから俺の話聞いてたんだよっ!」
2
2014年5月8日(木)
拓也と龍司は2日続けて栄真女学院に侵入をした。侵入したはいいものの屋上には今、拓也一人きりだった。
(今、姫川さんが来たら俺どうしたらいいんだ?)
拓也はスマホを鞄から取り出し時間を確認する。
(5時30分か…昨日より1時間も早く屋上まで来れたのか…でも、この時間で姫川さんがいないって事はやっぱりテスト勉強の為にもう自宅に帰ったんじゃないのか…)
龍司は学校で拓也に会うと栄真女学院に侵入して真希に会いに行こうと言った。拓也はテスト前でさすがに今日は屋上にはいないのではないかと言ったのだが、真希は例えテスト前であろうともすぐに家に帰る事はないと言い切った龍司の言葉を信じて2度目の侵入を試みたのだったが…
誰もいない屋上から拓也は景色を見回した。昨日はうっすらと聴こえていた吹奏楽部の演奏も今日は聴こえてこない。おそらく今日から部活はテスト前でやっていないのだろう。
(本当に姫川さんは屋上に来るのか?)
*
放課後、テスト前でクラブ活動が休みとなった生徒達が家に帰って行く中、姫川真希は一人屋上へと向かった。そして、ため息をつきながら屋上のドアを開けた。ドアを開けると屋上から景色を見ている赤髪の後ろ姿が目に入った。真希は驚いた。まさか2日続けて女子校に侵入して来るバカがいるなんて思わなかったからだ。
(なんで今日もいんのよ…)
赤髪の男は真希が屋上に来た事に気が付いてこちらを振り返った。
「え。」
と驚いた声を赤髪の男は出した。
(なんでアイツが驚いてんのよ…)
真希は屋上に足を踏み込まず黙ってドアを閉めた。
「ちょいちょいちょい。」
赤髪の男は焦ってドアを開けて真希の腕を掴んで屋上に引っぱり込んだ。
「痛いわね。」
真希は鋭い目つきで相手を睨みつけた。
「あっ。ごめん。」
「何であんたまたここにいるわけ?ここ女子校よ?わかってる?」
「わかってる…でも、龍司が姫川さんの家に行っても会わせてもらえないみたいだし…ここに来るしかなかったんだ…」
「あんたもバカなの?じゃあ、正門前で待つとかしなさいよっ!」
「いや…それはそうなんだけど…いつ姫川さんが出て来るかわからないならこっちから会いに行こうって事で…侵入経路なら昨日わかったし…みたいな…」
「なーにがみたいな、よ。ずっと待ってればいいでしょ!会えなきゃ毎日正門前で待てばいい。毎日毎日待っていつか赤髪と金髪が正門前で何日も誰かを待ってるって学校中の噂になれば私の耳にも入ってくるわ。」
「そうなったら姫川さん…俺達を避けて裏門から帰る様にするよな?」
「……」
「図星……」
「…それぐらいしてくれたら私はちゃんとあんた達と会って話くらい聞くよ…」
「本当に?それなら龍司にそれを伝えとく。」
「…てか、龍司は?まさかあんた一人でここまで来るわけないよね?」
「今トイレ行ってる。」
「はあ?」
そこで屋上のドアが開き龍司が入って来た。
「おっ。やっぱ俺の予想通り屋上に来たか。タク。俺の言った通りだっただろ?」
「てか、おっせーよ龍司。トイレに何分かかってんだよ。」
「すまん。すまん。女子校って男子トイレ全然ねーんだよ…。探した。探した。」
二人の会話を聞いていた真希は大声で龍司に言った。
「あんた今でもバカなのっ!?ここ女子校よっ!男子トイレがあるわけないでしょ!トイレぐらいどっかで済ませ来なさいよっ!いや、そもそも女子校に入って来てんじゃないわよっ!」
「あ。でも、2階に男子トイレあったぞ。」
「バカなのっ!?女子校に男子トイレがあるとすればそれは職員用トイレに決まってんでしょ!」
「あっ。なるほど。」
「ちょっと考えればわかる事でしょ!しかもこの学校の職員トイレは職員室の隣よ!一番先生と会う確率高いでしょっ!相変わらずのバカさに驚いたわ…」
「あ。そうか…でも、会わなかったし…」
真希は額に手を当てて言った。
「はぁ…ここにバカが2人もいる…」
「なにタク。お前もうバカ扱いされたわけ?」
「そうみたい…。」
「早っ。」
「それより龍司。今日はこれで帰ろう。」
「はっ?何でだよ?せっかく真希とも会えたのに。」
「いいんだよこれで。詳しくは帰り話すから。じゃあ、姫川さん。また来るわ。」
赤髪はそう言って屋上から出ようとした。
「来なくていい。何か用があるなら今聞いてあげる。」
「えっ?いいの?」
「あんた達本当に毎日正門前で待つ気でしょ?そうなると本当に不審者の赤髪と金髪が毎日正門前にいるって噂になるでしょ。」
「不審者って…」
「おい。タク。何の話してんだ?」
「まあ、とりあえず姫川さんは話を聞いてくれるみたいだから。」
「お、おお。そうか。よくわかんねーけど。それは良かった。」
「で、用件は?ギタリストになってくれって事でいいの?」
「いや。今日は真希に聞きたい事があるんだ。もちろんホントの目的は俺らのバンドのギタリストになってほしい。だけど、今お前を誘っても断られるのはわかってっから、それはまた次の機会でいい。」
「じゃあ、何を聞きに来たわけ?」
「お前がBAD BOYを辞めた本当の理由を教えてほしいんだ。」
「それなら辞める時に言ったでしょ。」
「ああ。聞いたよ。嘘の理由をな。」
「……」
「本当の理由は何だったんだよ?」
真希は「ふぅ〜。」とため息をついてから二人に聞いた。
「来週の日曜。あんた達空いてる?」
突然の真希の問い掛けに二人は顔を見合わせてから龍司が答えた。
「18日か。ああ。あけとく。」
「そう。じゃあ、7時にルナ集合ね。そこでゆっくり話そうか。」
「時間はぇ〜な…。」
「嫌ならもう会わないけど?」
「わかったよ…了解した。」
真希は笑顔になって言った。
「ゴチになります。」
「そうなると思った…」
「だよね。」
*
帰りの空いたバスに乗り橘拓也は言った。
「姫川さん。最後笑顔だったな。」
「ああ。」
「この2日で始めて笑顔見たから、あんな笑顔を見せる人なんだなーって意外に思ったよ。」
「俺も1年振りにあいつの笑顔を見た。」
「今日来て良かったな。」
「だな。笑顔が見れて良かった。まあ、1年前にバンドを辞める時に見せた笑顔は偽物の笑顔だったんだろうけどな…まあ、今日の笑顔は本物の笑顔だったし…良かったわ。てか、タク?多分お前まだあいつに名前覚えてもらってねーな。」
「あ、ああ。薄々気が付いてたけど…いちいちそれを言わなくてもいいだろ…」
「はははは。わりぃ。わりぃ。」
「…それより、今日も予定通りの時間に路上ライブできそうにないな。」
拓也がスマホで時刻を確認しながらそう言うと龍司もスマホを取り出し時刻を確認した。
「6時30分か。本当だな。まあでも、今日は7時から1時間ぐらいは出来んだろ?また俺はマイク取ってくっから、タクはポスター頼むわ。」
「ポスターだけど、ギタリスト募集のはどうする?一応持って来ようか?」
「いや、しばらくはベース募集のポスターだけにしよう。」
「おっけー。」
なんとか7時前には拓也と龍司の二人はロータリー前に来る事が出来た。
相変わらず歌で人を引き止める事は出来ないでいたが、今日は一人だけ目の前に立ち止まり歌を聴いては「ひゅー。」だの「ふー。」だの大声で相打ちをしてくれる人物がいた。相川だ。8時になり路上ライブが終わる時間になってから拓也は相川に声を掛けた。
「今日はどうしたんだよ?テスト勉強はいいのか?」
「なんだよ。別に聴きに来るぐらい俺の自由だろ?テスト勉強もちゃんとやってる。お前らもちゃんとやっとけよ。それより俺の相打ち素晴らしかっただろ?」
龍司がマイクの片付けをしながらぼそりと言う。
「うるせーだけだったな。」
「ひっでーな…」
「でも、まあ、助かったよ。良いのか悪いのかはわからないけど、チラチラこっち見てる人いたし…」
「さすが橘。リュージとは違うぜ。じゃあ、飯でも食いに行こうぜ。俺腹減った。」
「そうだな。どこ行く?」
「それなら今晩は俺の行きつけの喫茶店でも行こうぜ。電車乗らねぇといけねぇんだけど。どうだ?」
拓也はとっさにルナを思い浮かべたが、電車に乗るという言葉でルナではない事に気付いた。どうやら龍司の行きつけの喫茶店はもう一つあるみたいだ。
「学校の方か?」
「そうそう。俺の家の近くの商店街の中にあるんだ。土日はライブとかもやってんだけど、今日は平日だしやってねーけど。」
「よし。そこ行ってみよう。念もいいよな?」
「ああ。」
3人は電車に乗り西宮駅の商店街へと向かった。龍司がバイトをしている矢野楽器店を通り過ぎた先に『暁』という名の喫茶店があった。木造建築でルナとはまた違った雰囲気を醸し出しているが、ルナも暁も共通して言えるのが店内はとても落ち着いた雰囲気だという事だ。広々とした店内には優しそうな40代くらいの女性マスターが一人で切り盛りしていた。カウンターに3人揃って座ると女性マスターが龍司の顔を見て驚いた。
「龍司君どーしたのその腕と目。」
「ああ。これはちょっとな。」
「喧嘩でもしたわけ?」
「ああ。まあ…」
「全く。昔っからカッとなる性格は変わってないねぇ。」
「まあな。」
「で、何にする?」
龍司は拓也と相川を見て聞いた。拓也と相川はカウンターに置かれているメニュー表を見ながら悩んでいると龍司は、俺のオススメでいいか?と言ったので拓也も相川も龍司に注文を任せる事にした。
「んじゃ、卵サンドセット3つで。」
「はい。飲み物はみんなホットでいいの?」
「ああ。ホットでいいよな?」
龍司の問いかけに拓也と相川が頷くと女性マスターはキッチンで卵サンドを作り始めた。その姿を見ながら拓也は言った。
「なあなあ龍司?お前すぐ店の人と仲良く喋るよな。」
相川も続けて言う。
「ホントだな。学校では俺達しか友達いねーのにな。」
「うっせーよ。ここはガキの頃から通ってた店なんだよ。」
「じゃあ、ルナよりこっちの方が先に来てたのか。」
「そうだな。ルナはスタジオの近くにあったから行くようになった感じだ。」
「ルナ?ルナってなんだよ?」
「あれ?念はルナ知らないのか?」
「知らねー。どんな店だよ。俺も連れてけよ。」
「昔から柴咲駅にある喫茶店よ。」
卵サンドセットを3人分用意した女性マスターがそう告げた。
「龍司君。そっちばっか行ってこっちには寄ってくれなくなったもんね。」
「んな事ねーだろ。ちょくちょく顔見せてるし。それにルナには1年ぐらい行ってなかったし。」
「そう?まあ別にいいんだけどね。」
女性マスターは拓也と相川の顔を交互に見てから言った。
「あなたたちは初めましてよね?私はこの店のマスターの内田祥子。よろしくね。」
「あ。祥子さん。こいつが相川念でこっちが橘拓也。俺こいつとバンド組む事になったんだよ。まだバンドメンバー揃ってねーんだけど、メンバー揃ったらここでライブさせてくれないか?」
「へー。そーなんだ。もちろん大歓迎よ。メンバー揃ったら是非ライブしてちょーだい。」
そう言って祥子はまたキッチンの中へと戻って行った。
「そうだ念。明日ブラーの面接だからな。」
「わかってる。面接の後、バイトするんだろ?」
「ああ。多分そうなると思う。」
「じゃあ、俺が客として行ってやるよ。」
「龍司。暴れるなよ。」
「暴れねーしっ!」
「橘。リュージ。今度俺をルナって店に連れてってくれよ。」
「わかったよ。次行く時は誘う。」
3
2014年5月9日(金)
拓也と相川の2人はこの日の放課後、ブラーへと向かった。短い階段を下りる前に拓也が言った。
「ここに電気があるだろ?開店してる時は電気がついてるんだ。」
「なるほど。そうやって電気がついてれば店はやってますよって知らせてるわけか。」
「そういう事。」
拓也は間宮に相川を紹介した。相川が面接をやっている間、拓也はカウンターの中へと入り2人に飲み物を出した時、ふと間宮の指輪の件を思い出した。
(トオルさんは今日も指輪を嵌めていない…結衣ちゃんはLINEで指輪を身に付けていたと表現していた…と、いう事は…)
次に拓也は間宮の身に付けている物を確認する。腕に巻いたブレスレットと首から下げているメガネを掛ける為のグラスホルダー。それだけしかない。
(んっ!?メガネを掛ける為のグラスホルダー…確かトオルさんは特注だって言ってた…)
拓也は間宮が首から下げているグラスホルダーをじっと見つめた。よく見るとそれは女性の指に入る程の大きさだった。
(これだっ!このグラスホルダーはシルバーリングだったんだ!)
拓也はポケットに入れていたスマホを取り出し急いで文字をうった。
–結衣ちゃん。トオルさんの指輪やっとわかったよ。メガネを掛ける為のグラスホルダーをシルバーリングを使ってトオルさんは身に付けてたんだね。–
結衣からの返信は早かった。
–やっと気が付いたの?おっそぉ〜–
(そうか。トオルさんはずっとこうやってひかりさんとの思い出を身に付けていたのか)
「おい。拓也聞いてんのか?」
そう間宮に言われて拓也は驚いた。
「え?」
気が付くと相川の面接は既に終わっていて間宮が何かを拓也に伝えていた。
「だから、念を二階に連れてってその後仕事内容をお前から教えてやってくれ。拓也もちゃんと着替えて来いよ。」
「ああ。はい。わかりました。」
「全くしっかりしてくれよ。お前が念の先輩になるんだからな。」
間宮は頭を掻きながらそう言った。
2階で着替えを済ませると相川が言った。
「俺、トオルさんに念って呼び捨てにされたよ。あの間宮トオルにだぜ?マジ感動だわ。」
拓也も相川の気持ちは良くわかった。間宮に呼び捨てで呼ばれた時は今の相川と同じ気持ちだったからだ。店の開店前に拓也が仕事の内容を相川に教えると相川は物覚えが早くてすぐに仕事内容を把握した。初日のこの段階でこの働きなら慣れてくれば自分よりも仕事が出来るようになるのだろうと拓也は感じた。店が開店してからも相川は初仕事とは思えないくらいの立ち回りだった。龍司も客としてやって来てカウンターからライブを聴いたり拓也と相川の仕事っぷりを見たりしていた。
「念。お前初仕事の割にちゃんと出来てんじゃねーか。」
龍司のその言葉に相川は照れながら答えた。
「あったりめーだ。」
間宮も相川の仕事っぷりには関心していた。
「お前拓也より仕事出来るんじゃないか?接客得意なのか?」
「いや、接客は初めてっス。あっ。さっきみたいに呼び方は念でいいっスよ。」
「助かるよ念。拓也もいい奴連れて来てくれてありがとな。」
拓也はその言葉が嬉しかった。それを茶化すかのように龍司がニヤニヤしながら言った。
「タクも念もトオルさんに褒められるとホント嬉しそうだな。」
「うるさいな。」
「うっせ。」
照れながら拓也と相川は龍司にそう言った。ライブが終わり客がカウンターに座る龍司だけになってから間宮が質問をしてきた。
「お前らバンド活動はどうなんだ?ちゃんと路上ライブやってんのか?」
間宮の問いに龍司が答える。
「ああ。ちゃんとやってますよ。あんま最後まで歌を聴いてくれる人はいねーんだけど。」
「まあ、一番大切なのは続ける事だ。拓也もライブ慣れしてきたのか?」
間宮のその質問も龍司が答えた。
「そこそこしてきたよ。」
「そうか。それは何よりだ。で、バンドメンバーの方は?」
その質問になってやっと拓也が答えた。
「姫川真希を今誘ってる最中です。」
その言葉に間宮は驚いたといった顔をした。
「ほう。真希か。あいつもう一度バンドに入ってくれそうなのか?」
間宮は龍司の顔を見ながら聞いた。
「わかんねぇ…」
「姫川ってあの姫川だよな?」
相川は龍司にそう聞いた。
「あのってなんだよ?」
「BAD BOYのボーカルとギターだった女だろ?」
「ああ。今回はギタリストとして誘っていくつもりだけどな。」
「へぇ…あいつも歌上手かったよな。私が歌うなんて言い出したら橘どうすんだよ?ギターでも始めんのか?」
「えっ?そこまで考えてなかったけど…姫川さん歌上手いのか…」
拓也が不安そうな顔を龍司に向けて聞くと龍司は満面の笑みを浮かべて言った。
「大丈夫。大丈夫。お前の歌声聴いたら真希もボーカルやるなんて言えねぇって。」
続けて相川も言った。
「確かにそうかもな。俺も橘の声にはびびったし。」
「しかし、拓也に龍司に真希か。なかなか面白くなってきたな。」
間宮は嬉しそうにそう言った。バイトが終わり2階で相川と2人着替えていると、
「今日はお客さん少ない方だよな?これ以上多くなったら俺ちゃんと出来るか心配だわ。」
と相川らしくない弱気な発言をしてきた。
「何言ってんだよ。俺の初日よりちゃんと出来てた。念なら大丈夫だよ。それに念が入ってくれたおかげでこれで3人体制になったし、随分楽になるよ。」
「そうなのか?あんま自信ねーけど頑張るわ。」
「ああ。頼む。てか、手際がいいしトオルさんが言ってた通り俺より仕事できる感じだよ。」
「マジで?なんか自信持てた。」
「ああ。明日も頼む。」
「おお。任せとけ。」
拓也と相川が着替えを済ませて外に出ると龍司が店の前で待っていた。
「これから飯行こーぜ。」
「おお。」
「おお。」
4
2014年5月16日(金) 23時15分
相川がバイトに入って1週間が過ぎた。拓也も相川も仕事を覚えるのが早くて3人体制になって随分と仕事が楽になったと間宮トオルは思っていた。間宮がいつものように店の片付けをしていると入口のドアが開いた。一瞬拓也と相川が仕事終わりにまた店に戻って来たのかと思ったが違った。
入口には今、若い女性が立っている。
「すみません。今日はもう終わりました。」
間宮がそう言うと若い女性は店のドアを閉めながら言った。
「終わるのを待ってたんです。ちょっと話を聞いてもらってもいいですか?」
その言葉のイントネーションで間宮は彼女が関西の子だとなんとなくわかったが、その顔に見覚えはなかった。誰だかわからないがどこかで会った事があるような気もした。
「どうぞ。」
間宮は何故だかその子の話を聞いてみたいと思い店内に招き入れた。若い女性はカウンターの一席に座った。
「間宮トオルさんですよね。私は栗山ひなって言います。」
(栗山…?)
「えーっと…」
名前を聞いても誰だか思い出せない相手を前に間宮は少しでも時間を稼ごうとコップに水をくみ、ひなと名乗る女性の前に出した。
「ありがとうございます。」
いくら間宮が過去の記憶を辿り思い出そうとしても相手の事を思い出せない。どこかで会った事はあるような気はするが、それがいつ。どこで。なのかがどうしても思い出せない。間宮は正直に自分との関係を聞く事にした。
「どこかでお会いした事あったかな?」
「いえ。でも、私は間宮さんの事知ってますよ。多分、そこらへんの人達よりも。」
「ほう。」
(サザンクロス時代のファンって事か?いや、それにしては若すぎる。拓也達と同じ年頃だろうし…拓也みたいに後からCDを買ってファンになったとかなのか?)
「で、栗山さん…」
「ひなでいいですよ。」
「……」
(この感じ……何故か懐かしい気がする……この子…どこかで会った事がある……いや、しかし……)
間宮は心の中が動揺するのを自分で感じていた。それを相手に悟られないように話し出した。
「…ひな…は店が終わるのを待っていたと言ったが、どうしてそこまでして?別に営業時間に来ても良かったんじゃないのか?」
「営業中だと忙しいかなって思って。」
「ふん。別にそこまで忙しくはないけどな。バイトも2人いるし。で、用件は?」
「私、今大阪に住んでるんですけど、来年から神奈川の大学に通う予定なんです。」
(やはり関西の子か…しかし、俺に関西の知り合いなんていないし…)
「で、今回はたまたま母と神奈川に来てるから、せっかくなら間宮さんがやってる店に寄ってみようと思って来てみたんです。」
(母親が昔サザンクロスのファンだって話か?)
しかし、その考えは違うと次のひなの言葉で間宮はわかった。
「ここからが本題なんですけど、私、大阪でバンド組んでて…。いや、今はもうバンドは解散したんですけど。引っ越す前にバンドメンバーだけでもこの街で探しておきたいんです。もしよければ誰か紹介してもらえないかなって思って。あ、私はボーカルです。」
「…紹介……突然の話だな…初対面の俺にわざわざ紹介してほしい。か…」
間宮は頭を掻きながらそう言ったものの頭の中には紹介出来るメンバーの顔がよぎっていた。
「別に出来ない事はないんだが…こう言っちゃあ悪いんだろうけど受験にもし失敗したらどうすんだよ?」
「大学受験に失敗しても私、来年からここに引っ越す予定なので…」
「ふ〜ん。どうして俺に紹介してもらおうと?」
「間宮さんが認める人を紹介してもらうのが一番確実かなって思ったんです。ライブハウスもやってていろんなバンドを見てきているだろうし。それに間宮さんは…その…」
そこでひなは言葉を切った。ひなは続きの言葉を言う事をためらっている様子だった。しかし、間宮にはその後に続く言葉がわかった。
「サザンクロスの元メンバーだから?」
ひなはゆっくりと頷きながら答えた。
「…そうです。」
(言葉を続ける事をためらったという事はサザンクロスの過去をこの子は本当に知っているという事か?俺の事を知っていると言ったさっきの言葉はどうやら本当のようだ。しかし…どうやって調べてきたのやら…)
間宮は紹介できる人物の顔を再び思い浮かべながらひなに告げた。
「紹介、か…ま、紹介するだけならいっか。けど、バンドメンバーを誘うのは自分でやれ。そこまでは面倒見れないからな。」
「はい。もちろんです。」
ひなは笑顔でそう答えた。
(この笑顔……俺は知っている……俺はどこかでこの笑顔を見た事がある…だけど…一体どこで見たのだろう…)
間宮はもう一度数分前と同じような質問をした。
「どこかで会った事なかったか?」
「会った事はないですよ。」
ひなはまた笑って答えた。
(この笑顔…やっぱり俺は知っている……)
5
2014年5月18日(日)
真希との待ち合わせの日となった朝の6時45分。橘拓也はスマホの時間を確認してから家を出た。
(この時間なら徒歩で余裕で間に合うな。しかし、こんな朝早くからルナで待ち合わせて姫川さんはどういうつもりなのだろう?何か考えがあるのだろうか?)
ルナの前まで着くと拓也はまたスマホの時間を確認した。
(ちょうど7時。予定通りの時刻だ。多分…龍司は遅刻するんだろうな…)
拓也がルナに入るといつもの様に重低音の効いたジャズが流れて来た。
(今日の音楽はソニー・クラークのクール・ストラッティン。という事は今日はマスターか。)
カウンター席には黒いロングカーディガンに黒いパンツを履いた真希の姿が既にあった。
「いらっしゃい。って、拓也じゃないか。真希?待ち合わせって龍司じゃなかったのかい?」
「赤髪の彼と龍司の2人よ。」
「ほう…。そうだったのかい。」
新治郎は丸メガネを光らせながら拓也の方を見てそう言った。
「予想通り龍司は遅刻ね…今日は何時間待つ事になるのやら…」
真希は龍司が遅刻する事を見越してこの時間の待ち合わせにしたのかもしれないと拓也は思った。拓也はカウンター席に座る真希の横に座った。
「龍司ならもうすぐ来るよ。朝目覚めてから俺あいつにLINEしたらすぐ返信あったし。遅刻はしないって言ってたんだけど…やっぱり遅刻してるな…」
「朝早く起きてても遅刻したら意味ないわよ。てか、あんた名前なんだったっけ?私、確か聞いたよね?」
「橘拓也。龍司が紹介してくれてたよ。」
「そうそう。橘君ね。あ。私もうモーニングセット頼んだから。あんたは何にする?」
「じゃあ、マスター俺も同じので。」
「あいよ。水置いとくな。」
新治郎がモーニングセットを作っている間、真希と何を話したら良いのかわからなかった拓也は気まずい空気の中メニュー表を見ながら何を話そうかと悩んでいた。
(龍司なにやってんだよっ!早く来いよっ!)
拓也は真希との共通の話題がある事に気が付いた。
「そうだ。俺、今ブラーでバイトしてるんだよ。姫川さんもあっこでライブしたりしてたんだよな?」
真希は新治郎の姿を目で追いながら冷たそうな口調で答えた。
「そうね。あのバカ達とバンドを組んでた頃だけね。」
(あのバカ、か…)
拓也は龍司の顔を思い浮かべながら心の中で笑っていた。
「中3でライブハウスとかで歌うのって凄い勇気だと思うよ。ホント尊敬する。」
「そんなの慣れでしょ。」
また真希は冷たい口調で答えた。
「そうなのかな…俺も緊張せずにステージに立てる日が来るかな…」
拓也は独り言を言う様にそう言った。
「ステージに立つ時はいつだって緊張するよ。何度ステージに立ってもね。だけど、勇気は別。勇気なんかは何度もステージに立つ事で勝手に付いて来るもんよ。あんたもステージに立ってるんならそれくらいわからないの?」
「あ、俺まだライブハウスで歌った事ないだよ…。だから、バンドメンバーが揃うまではステージ慣れする為にも路上ライブで歌ってるんだけどね。」
真希は興味がなさそうに「ふーん。」と言った。
(龍司。早く来い…)
話す事がなくなった拓也はまたメニュー表を手に取り何度も見たメニューを繰り返し見ていた。すると真希がまた冷たい口調で言った。
「トオルさんは?元気?」
「ああ。元気だよ。」
「それなら良かった。」
「トオルさん。君のギターを認めていたよ。」
「…そう。」
真希は常に冷たい口調で話していた。拓也は新治郎がモーニングセットを作っている姿を見ながら独り言のつもりで呟いた。
「そういえば、トオルさんもルナに来たそうだったな…」
「トオルさんも昔この店の常連だったんだよね?」
独り言のつもりで呟いた言葉に真希が答えたので拓也は驚きながら、
「あ、ああ。そ、そうみたいだね。」
と答えていた。とうとう話す話題に困ってしまったその時、ドアが忙しく開いた。
「うおー。間に合った〜。おっ。ちゃんとタクも間に合ってんじゃん。」
真希が冷たい目を龍司に向けて言った。
「あんた間に合ってないから。」
「間に合ってんだろ?まだ9分だ。10分以内なら遅刻じゃねーよ。」
「どんなルールよ。まあ、龍司にしたら上出来ね。さ。席変わりましょ。マスター移動してもいいよね?」
「あいよ。ったく、龍司。お前が何時間も遅刻すれば俺は真希と長く話していられたのによ。早く来てんじゃねーよ。」
「なんで早く来て怒られるんだよ。」
「あんた別に早く来てないから。」
「龍司もモーニングセットでいいのか?」
「ああ。頼む。」
拓也達3人はカウンター席からこの店で唯一窓の付いている4人掛けテーブルに移動した。拓也と真希が向かい合う形で席に着いて龍司は拓也の横に座ったかと思うと忙しそうな新治郎の姿を見てすぐに立ち上がり、
「水勝手に用意していいか?」
と聞いた。
「ああ。勝手にしてくれ。その方が助かる。」
龍司はカウンターの中に入りコップを取って氷を入れている。その姿を見て真希は言った。
「懐かしい。」
「え?」
「ああやって私達中学の時、勝手に自分らで水用意してたのよ。あの頃はマスターの了解も取らずにカウンターの中に勝手に入ってね。」
水を持って来た龍司が自分で用意した水を飲みながら席に着いた。
「今、お前ら何話してたんだ?」
「水を準備するあんたの姿を見て懐かしいと思ったって言ってたのよ。」
「ああ。マスターが忙しそうな時お客さんが来たら勝手に水用意して俺らが運んだりしてたんだよな?」
「そうそう。」
「へぇ〜。楽しそうだ。」
「楽しかったな。あの頃は自由だった。」
と、さっきまで楽しそうに話していた真希が急に真剣な顔でそう言った。
「真希。お前…今は?今は楽しくないのか?自由じゃないのか?」
真希は肘を付きブスッとした表情を浮かべた。
「テストが終わって自由よ。」
「なんで話をたぶらかすんだよ。」
「たぶらかしてなんてないよ。あんた達路上ライブやってるとか言ってたけど、ちゃんとテスト勉強してたわけ?」
「なんだよ。してねーよ。」
「俺も…」
真希はタメ息をついた。
「全く。あんた達もう一回2年生をするつもり?テスト勉強ぐらいしなさいよね。」
「せっかくテスト終わったのに現実に引き戻す事言うなよな。」
「それはテスト勉強した人が言うセリフよ。」
「お待ちどうさん。モーニングセット3人分ね。」
「おー。来た来た。私ルナのモーニング食べたかったんだ。じゃあ、龍司。いただきまーす。」
「…ったく、どーぞ。」
ルナのモーニングはこんがりと焼いたパンにふんわり卵を挟んだサンドイッチだった。喫茶暁で食べた卵サンドとはまた違った味で美味しかった。拓也はサンドイッチを食べながら真希に聞いた。
「で、どうしてこんな朝早くにルナで待ち合わせだったのか理由を教えてくれないか?」
「ん?私?」
「時間と場所を指定したのは姫川さんだろ…」
「あ。そっか。てか、今言ったように私ルナのモーニングセット食べたかったの。」
拓也はその言葉に驚いた。
「え?そ、それだけ?」
「そうだけど?」
(何か考えがあってのこの時間の待ち合わせじゃなかったのか…)
龍司も驚いて真希に聞いた。
「じゃあ、なんでこんな朝早い待ち合わせなんだよ?モーニングなんて11時までやってんだぞ。」
「朝早くに来るルナがいいんじゃない。それにあんたが2、3時間は遅れて来ると思ってたから早い時間にしたのに。まさかほぼ予定の時刻にくるなんてね。」
「……」
「……」
「それより路上ライブはどんな感じ?」
「え?ああ。2時間まるまる聴いてくれる奴は同級生ぐらいかな。知らない奴らは少し足を止めて聴いてはくれるけど何曲か聴いたら立ち去っちまう。まあ、それでも何度か聴きに来てくれる人はいるんだけど。」
「ふ〜ん。曲は何を歌ってるわけ?」
「90年代の曲を中心に。」
とこれは拓也が答えた。
「へぇ〜。」
「真希。お前も一度くらいは聴きに来てくれよな。」
「まあ、そのうちに。」
「てか、お前今日はそんな事を話にここに来たんじゃねーだろ?BAD BOYを辞めた本当の理由を俺に告げる為に来たんだろ?」
「え?そんなつもりなかったけど?」
「俺そのつもりだったんだけど…」
「俺も…」
「私は久々に朝早くここに来てルナの雰囲気を味わってモーニングを食べたかっただけだけど?」
「ウソだろ?」
「やっぱ久々のルナはいいね。」
拓也は龍司の顔を見ながら聞いた。
「…マジ?」
「…わからねぇ…」
*
3人がモーニングセットを食べ終わる頃にはルナは満席となっていた。なのに新治郎は3人が食べ終わるタイミングを見計らったように、おかわりのホットコーヒーを持って来た。
「これはサービスだ。ゆっくりしていけよ。」
「ありがとう。マスター。」
真希は嬉しそうに新しいコーヒーを見て言うと新治郎は優しい笑顔を見せた。
「龍司。いつになったらその眼帯とギプス取れるわけ?」
「眼帯は明日の診察で取れると思うけど、腕の方はまだまだかかりそうだな。」
「ふ〜ん。それまではドラム叩けないわけか。」
「そーだな。早くタクにも俺のドラムを聴かせてやりてーんだけどな。」
「どういう事?」
「どういう事って?」
「だから、ドラムを聴かせてやりたいってどういう事?」
「ああ。まだタクは俺のドラムを聴いた事ねぇから。」
「どういう事?なんで龍司のドラムを聴いた事がないのにバンドを組む事になってんのよ?」
「ああ。そうか。タクはこの4月に大阪から転校して来たんだ。」
「そうだったの。でも、どうして龍司のドラムを聴いた事もないのにバンド結成してるわけ?」
「まあ、話せば長くなるんだけど…」
「じゃあ、いいわ。」
「聞けよ!」
「短く頼むわよ。」
「わーたよ。簡単に言えば春休みにいつも俺が寝てる河川敷に行って寝てたら歌声が聴こえてきたんだよ。その歌声に感動して俺、声をかけたわけ。」
「ちょっと待って。一人で歌ってたの?」
「そう。」
「変態ね。」
「まあな。」
「おいおい。変態ってなんだよ。」
「龍司。続けて。」
「タクに話しかけたらこの4月から西高の転校生だって言うからそれで意気投合したんだ。な?タク。」
「ああ。まあ。」
「…それで?」
「終わり。」
「バカか?それでどうしてあんたがバンド辞めて橘君とバンド組む話までいったのよ?」
「なんだよ。短く話したのによ。」
「もっとわかりやすく短く話せって意味に決まってんでしょ。」
「なんだよ注文が多いな。」
「じゃあ、話さなくていいわよ。」
「わかったよ。短くわかりやすくだろ…えーっとな。」
そう言って龍司は拓也との出会いを話し始めた。龍司の話を聞きながら真希は時々「へぇ〜。」と興味があるのかないのかわからない返事をしていた。龍司が拓也の事を話し終えた時、3人はちょうどコーヒーを飲み終わっていた。龍司の話を黙って聞いていた拓也は一つだけ疑問に思った事があった。それは拓也の歌声の事である。歌声を変えられる拓也の声の事を龍司は真希には言わなかった。
「とにかくタクの歌声は凄いんだよ。真希も一度聴いてやってくれよ。真希も感動すると思うからさ。」
「はいはい。で、橘君はどうして龍司のドラムも聴いた事ないのにバンドを組もうと思ったの?」
「それは…俺ずっとバンドを組む事が夢だったんだよ。河川敷で龍司と会ってから俺、ずっとこういう奴とバンドを組めれば最高だろうなって思ってたんだよ。」
「照れるわ。」
「次に龍司がどうしてバンドを辞めたのかだけど、その話は場所を変えてから聞かせて。そろそろ店出ない?混んできたし外で待っている人もいるみたい。」
真希がそう言ったので拓也は窓から外を見た。拓也は気が付かなかったが真希が言うように外には列ができていて席が空くのを待っている人達がいた。龍司は店内の時計を確認した。拓也もつられて時刻を確認した。
(9時か…2時間もルナにいたのか…)
「場所を変えるってどこか行きたい場所でもあんのか?」
「あんたの話聞いてたら久々に河川敷に行ってみたくなった。これから行かない?」
「オッケー。タクもいいよな?」
「もちろん。」
6
龍司は拓也と出会った場所で立ち止まった。
「中学の時、あんたよくここで眠ってたわよね。」
「ああ。今でも時々ここで寝転んでる。」
「懐かしいな。ここ来るのも私1年振りかも。」
「バンド組んでた時はお前も赤木達もよくここに来てたもんな。」
「どうして赤木さんを呼び捨てにするようになったの?」
「まあ、いろいろあってな…」
真希はちょうど拓也と出会った時に龍司が寝転んでいた場所に寝転んだ。
「ふぅ〜。気持ち良いもんだね。」
「だろ?」
龍司も真希の右隣に同じ様に寝転んだ。拓也も真希の左隣に寝転んだ。
「赤木と西澤とは喧嘩別れした。」
「だろーね。原因は?」
「話せば長くなるぞ。」
「短く済ませて。」
龍司はエンジェルで喧嘩を売られて暴れた事。赤木と西澤の2人にこの河川敷に呼び出されて話した内容を事細かく真希に話した。話を聞き終わった真希は上半身だけを起き上がらせて言った。
「そのエンジェルで喧嘩売ってきたのってもしかして…」
「俺も最初は誰だかわかってなかった…この1年はいろんなライブハウスで暴れて出入り禁止になるぐらいだったからな。だけど…思い出した。エンジェルで俺の腕を折った奴は、1年前に俺らが喧嘩を売ったバンドの奴だった。あいつこの1年間ずっと俺に恨みを晴らそうと俺を捜してやがったんだ。」
「喧嘩を売られて腕を折られたのはあんたの自業自得ね。」
「…そうだな…」
「ふ〜ん。そこはわかってるんだ。」
龍司も上半身だけ起き上がらせた。
「まあな…」
「不思議なんだけどさ。毎回モメるバンドになんで1年間も残ったの?」
「…まあ、いろいろあるんだよ。」
龍司は真希が帰って来るのを待っていた。だから、赤木達と仲が悪くなってもバンドを続けた。そういう理由があった事をこの時龍司は真希に伝えなかった。
「赤木さん達があんたに辞めろって言わなかったら、あんたまだバンド続けてた?」
「そうだな。」
「橘君に誘われても?」
拓也は急に自分の名前が出て来て驚いた。そして、龍司と真希がそうしているようにゆっくりと上半身を起き上がらせて座った。
「ああ。辞める気はなかった。」
「運が良かったね。橘君。」
「え?あ…ああ…え?」
「こいつはバカだけどドラムの腕は確かだよ。あんたホントに運が良いよ。」
「フフフ。真希にそー言われると照れるな〜。」
「何調子乗ってんのよ。」
「ふんっ。でも、真希さんよ。コイツの歌声聴いたらそんな事言えなくなるぜ。運が良かったのは俺の方かもしれねーよ。」
「どういう事?」
「タクの歌声は半端なく凄いって事。聴いたらビビるぞ。感動すんぞ。」
真希は拓也の顔をじーっと見た。拓也はその視線に堪え兼ねて話題を変えた。
「一つ思ったんだけどさ。」
「何だよ?」
「赤木さんと西澤さん。ホントは龍司を解放する為にバンドを辞めろって言ってくれたんじゃないか?」
「どういう意味だよ?」
「赤木さん達はいつもイライラしてる龍司をずっと見ててそれが自分達のせいだって気が付いてたと思うんだよ。それに龍司の態度は姫川さんがバンドを辞めてからあからさまに変わったんだろ?それなら尚更だと思わないか?」
「まさか。それはないない。あの2人最後にここに呼び出した時、本気で俺に喧嘩ふっかけてきたんだぞ。この眼帯の下見て見るか?めちゃくちゃ腫れ上がってんだからな。」
「それぐらいしないと龍司はバンド辞めないだろ?それはあの2人が一番知ってるよ。」
「…まさか…ないない。」
「あの2人ならそうすると私も思う。あんたには本気でいかなきゃバンドは辞めないって2人共わかってたはずだよ。」
「…まさか……」
「てか、私が辞めたせいであんたらが荒れ始めるなんて思いもよらなかったけどね…」
「お前のせいじゃねぇよ。」
「わかってるわよ。私のせいにされても困るし。だけど、顔合わすだけでモメるバンドなんて続けててもしょうがないでしょ?私なら1年も続けられないわ。」
「……」
バンドに残った理由を知る拓也は心の中で龍司に呟いていた。
(本当は姫川さんが帰って来る時の為に自分がバンドに残っていたと伝えればいいのに…)
しかし、この時も龍司は真希に本当の理由を言わなかった。
バンドを辞めてしまった以上、最後まで真希を待っていた事にはならない―拓也は龍司がそう思っているような気がした。
「それともう一つ質問いい?」
「なんだよ?」
「1年前。エンジェルでモメたバンドの演奏聴いてあんたはどう思った?」
「どうって?」
「上手いとかヘタとかあるでしょ。」
「…素直に…上手かったよ…やっぱりプロを目指してるバンドは俺達とは違うなって感じた…けど、それが余計悔しかったんだ…」
龍司はしばらく言葉を止めてからまた言った。
「今思うとあの時暴れたのはあいつらにどっか嫉妬していたからなのかもしれねぇ…」
「どういう事?」
「…自分達より上手いバンドを見て実力の差を感じて…情けねぇよな…」
「…そうね。それにかっこ悪い。でも、それに気付けたのは一つの成長ね。」
「なんだそれ…てか、次は俺が質問する番な。」
「えっ。嫌よ。」
「なんでだよっ!ここまで質問攻めしたからには俺の質問にも答えてもらうからな。」
「わかったわよ。」
「BAD BOYを辞めた本当の理由は?」
「だから、辞める時言ったでしょ?あの時いろいろと考えたのよ。もうすぐ高校入学だったし、私だけ栄女に通うし。3人とは違う高校に通うと練習時間とかも合わせにくくなるだろうしって。
てか、それちゃんと私言ったよね?何度同じ事言わせんのよ!」
「俺は本当の理由を聞きたいだよ。」
「もう。だから、バンドなんて私にとってはただの遊びだったの。」
「今更ウソなんてつかなくていいだろ?俺のせいなんだろ?俺がお前に怪我までさせたから親父さんに何か言われたんだろ?」
真希はその場に立ち上がってから言った。
「話になんないわ。あんた去年と一緒の事言ってるよ?」
「そんな事わかってんだよ。お前が去年から本当の事を言わねーから俺はもう一度聞いてんだ。」
「去年も言ったけどさ。本当に私が自分で決めた事なんだよ。だけど、そうね…あの時の私は確かにいくつかウソをついてた。あの時、高校に入ったらバイオリンを本格的に始めようって決めてたって言ったのはウソ。バンドなんて私にとってはただの遊びだったって言ったのもウソ。私だけ別の高校通うからってのもウソ。けどね。父親に辞めろと言われたから辞めたわけじゃないの。確かに辞めろとは言われたけど、それに従ったわけじゃない。」
「じゃあ、どうして…」
龍司も立ち上がり真希に聞いた。
「どうしてお前バンドを辞めたんだよ?」
「あの時いろいろと考えたのよ。」
真希はまたその言葉を言った。龍司はその後の言葉が出て来るのをしばらく待っていたが真希は何も言おうとしなかった。
「だから、お前は何をいろいろと考えたんだよ?お前バイオリンやサックスよりギターが好きだって言ってたよな?バイオリンやサックスはもう二度とやらないって決めてバンドに入ったんだよな?なのになんでバンド辞めてバイオリンをまた始めてんだよ。」
「……あんた達の夢ってなんなの?」
「また話そらしてんじゃねーよ。」
「これは大事な事なの。答えて。」
真希はとても真面目な顔でそう言った。
「んなもんねーよ。」
「…そう…あんたは?」
真希は座っている拓也を見下ろしながら夢を聞いてきた。拓也は照れながら答えた。
「さっきルナでも言ったけど、俺はバンドを組む事…俺ずっとバンド組みたかったけど、親の都合で転校を繰り返してたからなかなかバンド組めなかったんだよ。」
「そう…」
「………」
「………」
しばらく沈黙が続いた。真希は2人の夢を聞いたからには自分の夢を語るものだと拓也は思っていたが、その予想は外れた。
「………で、お前の夢はなんなんだよ。」
「夢のない奴に教えるわけないでしょ。」
「おいっ。ふざけんなよっ。俺らが答えたのがバカみたいだろうがっ!」
「あんたは答えたうちに入らないからっ!」
「ねーもんはねーんだよ。仕方ねーだろっ!」
「さみしい男ね。」
「うっせーよ。てか、夢を教えた事がお前がバンドを辞めた理由とどう関係があるんだよ?」
「ないわよ。」
「はあ?これが大事な質問だったんだろ?」
「んなわけないじゃん。」
「ううううう。ふざけやがってぇ。」
「ふふ。」
真希は楽しそうに笑っていた。そして、ゆっくりと2人の顔を見て今日一番の笑顔で言った。
「今日はありがとね。」
真希が急に素直に礼を述べたので拓也も龍司も何も言えなかった。
「久々に笑えたよ。実は最近嫌な事あったんだよね。家にいてもつまんなかったし。今日は本当に楽しかった。」
「おいおいおいおい。お前それ帰る時のセリフじゃねーかよ。」
「そうよ。私もう帰んなきゃ。帰ってバイオリン練習するから。本当今日はありがとね。」
「ちょっと待てぇ〜い。お前…質問攻めするだけして自分の事何も言わずに帰る気かよ。」
「あ〜面白かった。」
「全然面白くなんかねーよ。バンドを辞めた本当の理由とお前の夢を語ってから帰れ。」
「断る。」
「そんなの断れねーに決まってんだろっ。」
「じゃあ、今日楽しかったお礼にLINE交換で許してよ。」
真希はウィンクをしながら楽しそうにそう言った。龍司はそのウィンクに勢いをなくした。
「ったく…じゃあ…あと、路上ライブも見に来い。それなら許してやる。」
「なに調子乗ってんのよ。」
「乗るだろフツー。てか、調子乗ってねーしっ!」
「ま、いっか。いいよ。本当に凄い歌声なら聴いてみたいしね。」
真希はあっさりと路上ライブを見に来る事を約束をしたので拓也も龍司も驚いた。
「…な、なら、それで良い。」
龍司は真希とLINE交換をしながら拓也に言った。
「タク。何座ってんだよ。お前もLINE交換するんだよ。」
「え?あっ。そうなのか?」
「嫌なら別にいいのよ。」
拓也は急いで立ち上がりスマホをポケットから取り出した。
「嫌じゃないです。よろしくです。」
7
拓也達3人は河川敷からM Studio前を通り抜けブラーの前の細い通りを歩いていた。M Studio前を通る時、真希は「懐かしい。」と小声で言ったのを拓也は聞き逃さなかった。
(姫川さんはやっぱりギターを…バンドをやりたいんじゃないのだろうか…)
真希の小声を聞いた拓也はそんな事を思っていると前を歩く龍司が急に立ち止まり小声で言った。
「あいつら…」
立ち止まったままの龍司の横に並び顔を覗きながら拓也は、
「どうした?」
と聞いたが龍司は何も答えない。拓也は龍司の視線を辿る。龍司の視線の先にはブラーがある。そこには今4人の人物がいて先頭を歩く髪を腰の辺りまで伸ばした男か女かわからない人物がブラーの階段を降りている姿が見えた。それに続いてもう一人が階段を降りて行く。ブラーに続く短い階段の前には今ガタイの良い男ともう一人の男が立っている。その後ろ姿の男は拓也も知る人物だった。
「赤木…」
龍司がぼそりと言った。赤木はガタイの良い男に腕を肩に回され身動きが出来ない状態でいる。ガタイの良い男が赤木の肩に回していた腕をほどいて赤木の肩を押した。先に階段を下りろと言っているのだ。赤木はブラーに続く短い階段をゆっくりと降りて行く。それに続いてガタイの良い男も階段を降りて行った。ブラーの外灯は今消えている。なのにさっきの4人は階段から上がって来ない。つまりブラーの店内に入って行った事になる。龍司がブラーの階段を睨みながら拓也に質問した。
「おい。タク。今日昼からライブあんのか?」
「いや、聞いてない…」
(今日のライブは確か田丸のはずだ。それにまだ昼前でライブの時間には早すぎる。)
真希も赤木の存在に気付いていたらしく、
「今のって赤木さんよね?」
と龍司に聞いた。
「ああ。そして、あのガタイの良い男は俺の腕を折った奴だ。」
「2番目に降りた人も私知ってるわ。」
「え?」
龍司は驚いて真希の方を見た。
「誰だよ。」
「あんたも知ってるはずよ。あのガタイの良い男と一緒のバンドの奴よ。見た目はクールそうだったベースの奴。」
龍司の顔つきはどんどんと厳しくなってきている。
「あいつら…次は赤木を狙ってたわけか。」
今にも走り出しそうな龍司の様子を見て拓也は言った。
「龍司落ち着け。トオルさんが店内にいるのは間違いない。トオルさんの了解を得てあの連中は店に入って行ったんだ。」
「そんなもんはわかんねぇだろっ。なんの説明もなく、練習したいから鍵を開けといてくれって言っときゃ開けてくれてんだろっ!」
龍司はブラーに向かおうとしたが拓也は急いで骨折していない左腕を掴んだ。
「待て龍司っ!何する気だ!」
「あいつは…赤木はもう俺の仲間でも何でもねぇ。けどな、あいつはつい最近まで仲間だったんだ。助けに行くぐらいいいだろっ!」
そんな事を言われたら拓也に止める権利はなかった。拓也は掴んでいた龍司の腕を放した。
「あんた何も変わってないじゃない。」
真希の言葉で龍司は走り出そうとしたのを止めた。
「はあ?」
「あんた私に会いに来た時言ったよね?変わるんだって。なのに今からあんた喧嘩しに行こうとしてるよね?それじゃあ何も変わんないじゃん。」
「俺は赤木を助けたい!それに今はライブ中じゃねーだろっ!」
「ライブ中には暴れない?」
「ああ。そうだ。絶対暴れねー。」
「じゃあ、ライブ以外の所で喧嘩した相手がもしライブ中に喧嘩を売って来たら?その右腕を折られたエンジェルでのライブの時のような状況がまた起こったら?あんたはその時どうするの?バンドメンバーにも迷惑を掛ける事になるのよ?」
「……」
「何が変わるよ。そんな簡単にあんた変われないでしょっ!あんたの約束の仕方はライブ中には喧嘩しないけど、それ以外なら喧嘩はするって事でしょっ!そんな中途半端な約束なんてないものと一緒じゃんっ!」
「…違う。俺は…赤木を助けてぇんだ…」
「ライブ中じゃなきゃ喧嘩しても良い。赤木さんを助けるって理由なら喧嘩をしても良い。そうやってあんたは自分の都合のいい様に言い訳してるだけ。何が変わるよ。あんた何にも変わろうとなんかしてないじゃない。」
「じゃあ、俺はどうすればいいだよっ!お前は赤木を見捨てろって言うのか?」
「あんたホントバカよね?」
「っんだとっ!」
「喧嘩以外で助けようって気はないの?」
「んなもんあるかっ!」
龍司はそう叫んでブラーへと走って行った。真希は下を向き悲しそうな顔をした。拓也はその様子を見て真希に優しく言った。
「あいつは変わろうとしてるよ。」
「…してないじゃん。」
真希は俯きながらそう答えた。
「龍司。仲の悪かった赤木さんとどうしてバンドを続けてたと思う?」
「……」
真希は横にいる拓也の顔を見上げた。
「龍司の奴言わなかったけど…あいつ姫川さんが帰って来るのを待ってたんだよ。あいつがバンドを辞めたら姫川さんはもうバンドには戻って来ないと思ってたんだよ。姫川さんがいつでも戻って来れる様にあいつはバンドに残ったんだ。本当は辞めたかったのかもしれないけど。」
「…だから、なんなのよ?」
「あいつはあの時暴れた事を後悔してる。姫川さんがギターが好きなのにそれを辞めてしまった事。それによってやりたくもないバイオリンをまた始めた事。両親と一緒に暮らしたくないのに暮らす様になった事。あいつはそれを全部自分のせいにしてる。もういいだろう?もう解放してあげてほしい。」
真希はまた俯いてから言った。
「それは別にあいつのせいじゃない。私が決めた事。あいつが勝手にそう思ってるだけでしょ?」
「龍司はそう言われても自分をかばってるとしか思わないんじゃないのか?バンドを辞めた本当の理由を龍司に話してやってほしい。そうじゃないとあいつはずっと後悔し続ける。」
真希は何も答えなかった。
「真希っ!あるんだろ?バンドを辞めた本当の理由がっ!」
大声を出してから拓也は真希の事を突然呼び捨てにしてしまった自分自身に驚いた。真希はそれよりも拓也の突然の大声に驚いて顔を上げたがまたすぐに頷いた。その様子を見て拓也はぼそりと言った。
「あいつは、いい奴だよ。」
真希はしばらくまた黙ってから言った。
「…そんなの…知ってるよ…。」
拓也は真希に微笑んだ。
「俺が止めればあいつは暴れない。」
「…そんなわけない…。」
「止まるよ。」
真希は横に立って真っすぐブラーを見つめる拓也の顔を見た。
「もし、俺が龍司を止めれたらバンドを辞めた本当の理由を龍司に話してやってほしい。」
「…あいつをあんたが止めれるわけない。」
「絶対止めてやるっ!だから…」
拓也は真希の事を名字で呼ぶか名前で呼ぶかを悩んだ。頭の中では名字で呼ぼうと思ったのだが、口から出た呼び方は名前の方だった。
「だから…真希…あいつを止める事ができたら…」
真希は最後まで拓也の話を聞かずに冷たい口調で拓也に告げた。
「さっさと止めに行けば?もう結構時間経ったよ。」
真希からはちゃんとした答えはもらえなかったが、拓也は自分を鼓舞する為に力を入れて言葉を吐いた。
「絶対止めてやるっ!」
拓也はブラーへと駆け出した。
8
ブラーの扉の前で拓也はまた自分を鼓舞する為に言った。
「絶対止めてやるっ!」
扉のノブを握り扉をゆっくりと開けた。龍司が店内のちょうど真ん中の壁に隠れているのが拓也から見えた。間宮の姿は見えない。ステージ前に用意されたイスには赤木が座っていてその両隣にはガタイの良い男ともう一人の男が立っている。あと一人いたはずだが入口付近からは姿が見えない。3人ともこちらを向いているが話しをしている為、拓也や龍司の姿には気付いていない。隠れていた龍司がステージ前にいる3人の男達の前に大声を出して急に飛び出した。
「てめぇらっ!ちょっと待てっ!」
あまりの大声と急に現れた龍司に3人の男達は驚いていた。拓也も龍司の大声に驚いてしまった。拓也が止めに入ろうと走り出した瞬間、龍司は拓也が想像もしていなかった行動に出た。勢いよく飛び出した龍司は赤木の座っているイスの前で土下座を始めた。拓也はてっきり龍司は店で暴れ出すものと思っていたのでその行動に驚いた。拓也は走り出していた足を止めてちょうど龍司が隠れていた店の真ん中辺りで立ち尽くした。龍司はおでこを地面に押し付けて大声で叫んだ。
「この通りだっ!頼むっ!もう勘弁してくれないかっ!」
ガタイの良い男もその横に立つ男も赤木でさえも龍司の行動に驚いている。ガタイの良い男が驚きながら言った。
「お、お前…なんのつもりだ…。」
「そいつを…赤木を許してやってくれ…お前らに最初殴り掛かったのは俺なんだ…だから、狙うなら俺だけにしてくれっ!頼むっ!」
拓也からは龍司の後ろ姿しか見えないが、きっと龍司は悔しそうな顔をして言っているのが拓也には想像ができた。拓也は立ち止まっていた場所から一気に龍司の横に滑り込むように走った。そして、拓也は龍司の横で龍司と同じ様に土下座をした。
「おいおい。なんなんだよ。もう一人いんのかよ…」
ガタイの良い男はまた驚いてそう言った。拓也の行動に驚いた龍司は顔だけを拓也に向けて言った。
「…タク…お前…何のつもりだ…?」
拓也は龍司のその声を無視して言った。
「この通りだ。こいつらを許してやってほしい。こいつ本当に反省してるんだ…だから、許してやってほしい。」
「お前は関係ねーだろっ!さっさと帰れっ!」
龍司が拓也にそう言った時、赤木が口を開いた。
「龍司。お前も関係ねーだろっ。さっさと帰れ。」
「…関係なくなんかねぇ…」
龍司は小さな声でそう言った。しかし、声が小さすぎて赤木までその声は届かなかった。
「はあ?聞こえねーよ。」
龍司は大声で叫ぶ様に言った。
「関係なくねぇって言ったんだよっ!今はお前なんか仲間でも何でもねぇけど、お前は俺の仲間だったんだっ!だから、関係なくねぇーんだよっ!」
「…ったく、何言ってんだか…じゃあ、横の…橘だったか…お前は帰れ。」
赤木は捕われているはずなのにその口調はとても落ち着いていた。その一方で拓也はここにきて急に今の状況にビビり始めていた。それを隠そうとはするものの声は正直で震えていた。
「こ、断る。お、俺はあんたとは何の関係もないし、あんたを助ける気もさらさらない…けど…俺は龍司の仲間だ。龍司を助ける為にあんたを助けたいだけだっ!」
「じゃあ、龍司を連れてさっさと帰ってくれよ。お前ら勘違いしてんだよ。」
(勘違い?)
「まあ、いいじゃねーか赤木。なんだかわからねぇが面白くなってきた。」
ガタイの良い男がそう言った。
「お前。俺の名前知ってっか?」
ガタイの良い男は続けて龍司にそう言った。龍司はその男の名前を知らないようで黙っていた。
「郷田勉。知らねーよな。お前にとっちゃ俺達なんかライブハウスで喧嘩したバンドの一つだもんな。
でもな。俺にとっては…いや、あの頃の俺達にとってお前らのバンドは許す事のできねぇ相手なんだわ。何故だかわかるか?おう?神崎龍司さんよっ!」
龍司は頭を地面に付けながら悔しそうに言った。
「…あの日、お前らはプロ契約が決まるかもしれねぇ大事なライブだったからだ。」
「そうだよ!お前らのせいでプロ契約はおじゃんだ。プロになるのが俺達の夢だったんだ。それを…お前らが一瞬で奪ったんだよっ!」
「……すまなかった…」
ふぅーとガタイの良い男郷田はそこでため息をついた。
「岡田真治。」
「……?」
「お前らの挑発にビビりまくってたギタリストの名前だ。あいつは元々気の弱い男だったんだ。あの日、お前に腕を折られてからあいつは恐怖心が焼き付いてステージに立てなくなっちまってギターを弾く事を辞めた…」
「……すまない…」
「俺に謝られてもな…まあ、あいつはあいつでギターを使ってお前を殴るって暴挙に出たからな…それに関しては俺は岡田の方が悪いと思ってる。」
「……」
「石原一成。」
「……」
「俺達のボーカルだった奴だ。今は…俺はあいつが一番許せねぇ…」
「……?」
「…あいつはあの後、一人だけ音楽事務所に呼ばれたらしい…それで、一人だけ音楽事務所とプロ契約を結んだ…音楽事務所の奴らは元々俺らのバンドとプロ契約をするつもりじゃなかったんだ。石原とだけ契約を結ぶつもりだった…最初っからな…だからあの時…暴れても暴れなくても、ボーカル以外の俺達はプロになれなかったってわけだ…笑えるよな?
でもよ、その悔しさを誰かのせいにしたかったんだよ…気が済まなかったんだよ。だから、俺はずっとお前を探してた。」
「……」
「西野弘志」
「……」
「今横に立ってるベーシストだ。俺がお前らに会う事ができたらライブ中にお前らをボコボコにしてやろうと思ってた。けどな、西野はそんな俺を止めてた。もしあの時、お前らとモメてなくても俺達はプロにはなれなかったんだ。あいつらに復讐したって何の意味もないってな。」
「……」
「けどよ。俺は…のうのうとバンドを続けてるお前らを許せなかった…このままお前らに何もしないでいるのは悔しかった…」
龍司は言葉に力一杯の思いを込めて土下座をした。
「……すまなかった…本当に…すまなかった…」
その件に関して何も関係がない拓也も龍司と一緒になって精一杯謝った。
「すまなかった。」
郷田は全く関係がない拓也に謝られて驚いていた。
「まさか関係のない奴からも謝られるとは思わなかったな…お前…神崎を助ける為に来たんだよな?」
「…はい。」
「名前は?」
「橘…拓也…」
拓也がそう言った時、左側の席から女性の声がした。
「えーっ!」
その声は驚きの声だった。
「ちょっ、ちょっと…ちょっとタイム。ちょっといい?」
どうやら一番最初にブラーに入って行った男か女かわからなかった後ろ姿の人物は女性だったようだ。店に入った時は丁度死角になっていて見えなかったが、最初からステージの左側の席に座っていて大人しく話を聞いていたようだ。拓也は土下座姿のまま顔を左に向けた。女性の赤いヒールと細い足が目に入る。
「あんた……橘…拓也…?」
「えっ?」
(俺の事を知ってるのか?)
驚きながら拓也は土下座していた頭を少しずつ上げていく。女性は座っていたイスから立ち上がった。女性の足下から徐々に上へ上へと拓也は視線を上げていく。
「その声は……」
赤いヒールに赤いミニスカートを履いている。そして、赤いロングカーディガンを羽織っている。その赤いロングカーディガンの下には白いTシャツが見えた。徐々に拓也の視線が相手の顔に辿り着く。
(この声…この雰囲気…)
「もしかして……」
そして、拓也はその女性の顔を確認した。美少女と誰もが認めるような端正な顔立ち。真っすぐ腰の辺りまで伸びた艶のある綺麗な黒い髪。身長は170センチ近くありモデルのようにスラっとした体つきをしたこの女性を拓也は知っていた。
「ひな…先輩…ど、どうして?どうしてここに?」
全員が拓也の顔を見て驚いている。
「やっぱり拓也やんかっ!あんたが引っ越した所ってここやったん?」
話し出したひなに全員の視線が集まった。
「ウチも来年からこの街に引っ越してくんねんけど〜。めっちゃ偶然やんかぁ〜。」
その関西弁はひなの見た目からはやっぱり似合わないと拓也に思わせた。それは初めてひなに会った時もそう思った事だった。
「あっ。そや。ウチの両親離婚したから名字栗山になってんか。これからは栗山ひなやし。よろしくっ。」
さっきまでの緊迫した空気はなくなり、全員がどうしていいかわからない状況となった。拓也自身も大阪時代の先輩がどうして今ブラーにいるのかがわからなくて混乱していた。しんと静まり返った状況を見てひなは言った。
「あっ。ごめん。話の途中やったね。はいっ。続きどーぞっ。」
ひなは軽くそう言ってパチンと両手を叩き、さっきまで座っていたイスにまた座った。しばらく静寂が訪れた。拓也も龍司も一度上げた頭をもう一度下げるべきなのかどうか迷っていた。
「…お前ら何か勘違い…」
静寂を破った赤木が何か話し出そうとした時、ひなはまた立ち上がって赤木の言葉を遮り拓也に話しかけた。
「今さっきあんたこの骨折れ金髪が仲間やって言ったやんなっ!それどーゆーこと?」
また拓也も龍司も赤木も郷田も西野も全員がひなを見つめた。一斉に視線を浴びたひなはそんな事お構いなしに話を続けた。
「まさか拓也…あんたこの骨折れ金髪とバンド組んだんか?」
「えっ?あっ…はい。」
「ショック。」
そう言ってひなは大げさに額に手を置いてよろめいた。
「あっ。でも、まだバンド組んだって言っても2人だけですけど…」
「ほな。まだ間に合うか…よし。」
何がまだ間に合うのか何がよしなのか拓也にはわからなかったが、ひなはステージの前に移動して拓也と龍司の目の前に立ちはだかった。そして、龍司を見下ろして言った。
「あんた赤木君を助けに来たんやんな?」
「え?ああ…そうだけど?」
「骨折れ金髪は楽器なんなん?」
「楽器?ドラムだよ。」
「ふーん。ドラムね。ほんなら拓也とあんたとでなんか演奏して。」
「はあ?どういう事だ…?」
龍司はひながどういうつもりで急にそんな事を言い出したのかわからないといった感じで拓也の顔を見た。拓也もひなの考えが全くわからないので顔を傾けてわからないという仕草をした。
「ひな先輩…どうして俺と龍司とで演奏しなきゃいけないんだ?」
拓也が質問をするとひなはニヤニヤと薄笑みを浮かべながら言った。
「あんたらがウチらに心に響く演奏をしてくれたら赤木君を解放してあげるってこと。どう骨折れ金髪?やる?やらない?」
赤木は何か言おうとしたが郷田が赤木の肩に手を置き話し出そうとするのを止めさせた。龍司はゆっくり立ち上がり言った。
「やるに決まってんだろっ!その代わり心に響いたら赤木を本当に解放してくれんだろうなっ?」
「もちろん。でも、あんたの演奏がヘタやったら赤木君も拓也もここに残してあんただけ店出て行ってな。」
「どうして拓也まで置いていかなきゃいけねーんだよっ!」
「拓也の声はウチも買ってんねん。あんたが拓也にふさわしい男じゃなかったら拓也は頂く事にする。てか、返してもらう。」
龍司は拓也にも立つように手を差し伸べた。
「コイツ何言ってんだ?」
拓也は龍司の手を握り、立ち上がりながら答えた。
「うーん。あんま何言ってるか俺にもわからん…」
「だよな…まあ、いい。演奏すりゃいいんだろ?」
「そうみたいだな。龍司ドラム叩けんのか?」
「俺をなめるなよ。」
拓也と龍司がステージに向かっている間、ひな達4人はコソコソと何かを話していた。徐々に赤木とひなの会話が拓也達にも聞こえて来た。
「お前。本気で橘を?」
「ウチは本気や。」
「お前ボーカルだろ?」
「そうや。」
「橘もボーカルだぞ?」
「知ってるわ。」
ひなは拓也と龍司の視線を感じたらしくチラッと拓也達の方を見て赤木に、
「聞こえてるで。もう少し小声で。」
と言ってからまたコソコソと何かを話始めた。拓也は視線を龍司に戻し、気を取り直して聞いた。
「で、龍司。何を歌う?」
龍司もひな達がコソコソと話している姿を見ていたが、拓也に声を掛けられて見るのをやめた。
「あ、ああ…そうだな…この際だ。サザンクロスの声でいいんじゃねぇ?」
「最高。それでいこうっ!って、龍司その曲聴いた事もなかったんじゃないのか?」
「タクと出会った後、ネットで調べて昔にトオルさん達がテレビ出演した時の動画を発見したんだよ。」
「なんだよそれ。どんな動画だよ?なんで俺に教えてくれないんだよ。」
「なんだタク。お前ファンだからそういうのとっくに調べてると思って言わなかっただけなんだけど。とりあえず、昔に放送されてたなんとかって言う人気司会者の音楽番組を録画した映像だった。」
「なんだよ。後でその動画見せてくれよ。」
ゴホンとひなのわざとらしい咳払いがそこで聞こえた。いつの間にかひな達はコソコソと話すのをやめていて、イスを4つ並べてステージに立つ拓也と龍司を見上げながら座っていた。拓也と龍司が咳払いをしたひなの顔を見ると、ひなはまたゴホンとわざとらしく咳払いをした。ひなは早く演奏を始めろと言っているのだ。
*
神崎龍司はステージの上に置かれたドラムセットに座った。そして、左手だけスティックを持った。
拓也がスタンドマイクをセットし終えると店の中央辺り、先ほど龍司が隠れていた辺りになるがそこに間宮が立ってこちらを見ているのに気付いた。いつから間宮がそこに立っていたのかはわからないが、勝手にマイクやドラムを使っても良いのかと思っていると間宮は右手でオッケーの合図を出した。気にせず演奏しろという意味だと理解した。龍司はマイクを用意してコンコンと叩き、マイクの電源が入っている事を確認し電源が入っているとわかるとマイクを使ってひなに質問をした。
「栗山ひなとか言ったな。あんた拓也を返してもらうってさっき言ったけど、それどういう意味だ?」
「ウチと拓也は大阪でバンド組もうとしてたんやっ。それが拓也の引っ越しで拓也はバンドに入れへんかった。」
「なるほどな。前にタクが言ってたツインボーカルのバンドになる予定だった一つ先輩の女子生徒ってのがあんたってわけか。そうだなタク?」
拓也は龍司の方を振り返って頷いた。龍司は左手だけで軽くドラムを叩きながら今の状況を考えた。
(つまりこの女は拓也が認めるボーカリストってわけか…しかし、この女…どうして赤木やあのエンジェルでモメた連中と一緒にいる?そもそもこいつらここで何する気だったんだ?郷田って奴も西野って奴も暴れ出すような雰囲気じゃない。それに郷田のさっきの話し方…冷静で落ち着いていた。そもそも赤木もこいつらに連れて来られた割には落ち着いてる…って、ことは…赤木はこいつらに連れて来られたわけじゃなかったのか?この状況を考えると赤木がこいつらの標的にされたと思ったのは俺の勘違いだ…だとするとこいつら…まさか…)
「龍司?準備はいいか?」
龍司が何かを考えながらドラムを適当に叩く姿を見て心配した拓也が声を掛けた。龍司はドラムを叩くのを止めて答えた。
「もう少し待ってくれ。」
「ちょっと〜。早くしてくれへんかなぁ〜。ウチらもあんま時間ないねんけどなぁ〜。」
「ちょっと待てよ。こっちは左腕だけなんだっ!ちょっとは練習する時間をくれ。」
龍司はそう言うとまた片手で適当にドラムを叩き始めた。龍司は片腕だから練習をする時間がほしかった訳ではなく考える時間が少しほしかっただけだった。
(まさかこいつら…バンドを結成しようとしてんじゃねーのか…?だったら、赤木はこいつらに連れて来られたんじゃなくて普通に付いて来ただけ…だから、こんなに落ち着いてんのか…そうか。そうだったのか…だから、さっき赤木はお前ら何か勘違いしているって……
この女は俺の演奏がヘタなら拓也を置いていけと言った…チクショウ…この女…俺がタクのボーカルにふさわしいドラマーかどうかを見定めようとしている…俺の演奏がダメなら本気で拓也とツインボーカルのバンドを結成する気だ。赤木を助けるつもりが…クソっ…まさかこんな事になるなんて…今からする演奏は赤木を助ける為のものなんかじゃない。かといってタクを取られない為にする演奏でもねぇ…これは…つまり…俺が俺自身を守る為に演奏しなきゃいけねぇって事だ……
クソっ。この腕でかよ…俺は…まんまとこの女に嵌められちまった…)
龍司がひなの顔を鋭く睨むと、ひなは薄笑みを浮かべて龍司を見ていた。
(こいつ…)
龍司は持っていたスティックを口に銜え左手を膝に置いて下を向いた。拓也はその龍司の様子を見て不安を感じた。
拓也が龍司に話しかけようと龍司の元へ向かおうとした時、声を掛けるよりも前に龍司は下を向いていた頭をぐいっと上げ、軽くストレッチするように肩を回してから銜えていたスティックを左手に持った。それから不安そうな顔をする拓也に向けてニヤリと笑って言った。
「楽しもう。」
それは毎回龍司が路上ライブを始める前に言うセリフだった。
9
「準備が出来たら言ってくれ。」
龍司は橘拓也の背中に向けてそう言った。
(お前が準備出来てんのかよっ!左手一本でドラム叩けるのか?)
心の中で拓也はそう思ってからゆっくりと目を閉じ深呼吸をした。
(たった3年で解散した伝説のバンド、サザンクロスのデビュー曲であり最大のヒット曲『声』。それをサザンクロスのメンバーでこの曲の生みの親であるトオルさんの目の前で歌う時が来るなんて…でも、本当に今この曲をトオルさんの目の前で歌っても大丈夫なのだろうか?この曲はおそらくトオルさんにとって、一番大切な曲なのだろうから…俺なんかがこの曲を歌ってもいいのだろうか?)
目を閉じたまま上を向く。目を閉じていてもライトの光が当たっているのがわかる。
(この曲はトオルさんが亡くなったひかりさんへ自分の思いを届けようとした曲…それなら…それなら俺がトオルさんの気持ちを歌に乗せて歌えばいい。ただ、それだけの事なんだ。歌ってはいけない曲なんてないんだ。)
拓也は上を向いたままパッと目を開けた。そして、斜め左後ろを振り向き龍司に向かって頷いた。
準備が出来たという合図だ。龍司がスティックで軽くシンバルを叩いてリズムをとり出した。
(さあ行くぞ!)
拓也は思いっきり息を吸い込こんだ。そして、いよいよ歌い出そうとした瞬間、龍司のドラムが止まった。
「え?」
拓也は振り返って龍司の方を見た。すると龍司は驚いた顔をして真っすぐ拓也の方を見つめたまま止まっている。
「どうした?…龍司?」
よく見ると龍司が真っすぐ見つめる先は拓也ではない。もっと店の入口の方を見ている。拓也は龍司の視線を追うようにまた振り返った。客席にいるひな達4人も拓也と龍司の視線を追って入口の方を振り返った。するとそこには左手にフォークギターを持ち鋭い眼光を放っている真希がゆっくりとこちらに向かって歩いて来ていた。
*
数分前
姫川真希はスマホの時刻を確認した。しかし、何分前に龍司と拓也がブラーに入って行ったのかがわからなかった。真希の体内時計ではもう随分経っている気がする。真希はこのまま家に帰る気にはなれなかった。かといって店に入って行くべきなのかも迷っていた。真希が悩んでいると店の二階から下りて来る間宮の姿が見えた。間宮はそのまま店内へと続く短い階段を下りて行く。真希も店に降りる短い階段の前に近づいて行き間宮が店のドアを開け中へ入って行く後ろ姿を見ていた。そして、真希はゆっくりと短い階段を下りて行った。
(懐かしいな…龍司達とここでよくライブしたな…)
短い階段を下りきって扉の前に立った。中の音は一切聞こえない。今この店内で何が起こっているのか全くわからず嫌な予感だけがした。そして、真希は扉のノブを掴んだ。
(龍司…あんたまた暴れてたら絶対許さないからねっ!)
真希はゆっくりとブラーの扉を開けた。扉を開けるとすぐ目の前に間宮が立っていた。間宮はすぐに真希が入って来た事に気付き扉から真希が入れる様に少し横にどけてくれた。そして、人差し指を口元に持って来て、
「しーっ。」
と言ってから、その人差し指をステージの方に向けた。ステージを見ろと言っているのだ。ステージの方を見るとそこには土下座をした龍司と拓也の姿が目に入った。
「あいつ…なに…やってんの…」
真希は驚いた。龍司は中学の時から喧嘩っ早かった。よく喧嘩をしてたし暴れている姿はすぐに想像がついた。それに龍司は喧嘩が強く負けている姿は真希には想像出来なかった。しかし、今、目の前にいる龍司は土下座をしている。喧嘩しているわけでもなく、ましてや負けているわけでもないその姿は真希の想像を超えた光景だった。
「トオルさん…これは一体?」
(どういう事?)
一人の女性が左側から出て来た。その女性と龍司達の声がかすかにここまで届いて来る。
「あんた赤木君を助けに来たんやんな?」
「え?ああ…そうだけど?」
「骨折れ金髪は楽器なんなん?」
「楽器?ドラムだよ。」
「ふーん。ドラムね。ほんなら拓也とあんたとでなんか演奏して。」
「はあ?どういう事だ…?」
その会話を聞いて真希は横に立つ間宮に聞いた。
「あの人は?」
「さあ?大阪から来年引っ越してくるらしいが…どうやら拓也が前に通っていた高校の先輩だったみたいだ…拓也と再会したのは偶然みたいだな。てか、凄いよな。こりゃ運命ってやつか?」
「その人がどうしてここへ?」
「俺が元サザンクロスのメンバーだと知っていた。拓也に聞いたわけでもなさそうだし。何者なのやら…まあ、とにかくあの子にバンドメンバーを探してるから紹介してほしいって言われた。だから郷田と西野に声を掛けた。」
「赤木さんも?」
「ああ。あのデカいのが郷田で横に立ってるのが西野な。あいつらギタリストとボーカリストを前から探してた。だから、赤木がちょうど良いかなって思って。」
「トオルさんあの人達と龍司達がエンジェルでモメたの知ってる?龍司の腕を折ったのもあいつらのはずよっ。」
「ああ。知ってるよ。郷田に後から聞いたからな。でも、俺はあいつらが一緒になればどうなるのか見て見たかったんだよな〜。モメたバンドだが…どうにかならないかなって。いや、どうにかしてやりたいと思ったんだよ。郷田のドラムも西野のベースもテクニックはプロ顔負けだ。赤木のギターも素晴らしい。そんな才能ある3人が今はバンド活動をしたくても出来てない状況が可哀想に思えてな。」
「……」
「それで、あの子。ひなって名前らしいが、あの子がバンドメンバーを紹介してほしいって頼んできた時、あの3人の顔が思い浮かんだんだよ。あの3人の為にもあの子に紹介したいって思うだろう?」
間宮はそう言ってカウンターの中へと入って行った。
(全く…それはそれで上手くいっては欲しいけど…てか、なんであいつらステージに上がってんのよっ!どうなったらあいつらが演奏する話になってくるわけ?)
龍司はドラムを適当に叩いていた。その様子を見ていると間宮はいつの間にかカウンターの中へ移動していて真希に向けて何かやっているのが視界に入って来た。間宮の方を見ると、間宮はフォークギターを手に持ち真希にギターを持てとでも言うようにギターを振っていた。
(…どういう事…?)
真希が間宮の近くに寄ると間宮は小さな声で囁いた。
「龍司達どうやら演奏するみたいだな。龍司は片手だけだしまともにドラムできないだろ?だから、ほら。」
真希は間宮が龍司達の力になってやれと言っているのだと理解した。真希はそのギターを受け取れる距離まで近寄った。しかし、間宮はそのギターを真希には手渡さずに引っ込めた。
「あっ。そうだ。このギター右利き用だったわ。」
間宮はギターをそのままカウンターの中に置いて自分はカウンターの中から出て来た。そして、真希の横に来て言った。
「ひなって子。龍司の演奏がダメなら拓也を自分のバンドに入れるみたいだぜ。多分あの女は本気だねぇ〜。こりゃ、龍司の奴せっかく出来た仲間も奪われちまうかもな〜。哀れだな〜。しかし、あの子。龍司のドラムがどれだけ凄いか知らないからな〜。けど、今の龍司は左腕一本。そんなあいつが凄い演奏を出来るわけもないし…このままでは龍司は才能があるのにバンド活動も出来ない奴になっちまうな。」
真希はしばらく間宮を睨みつけてから聞いた。
「トオルさん。何が言いたいの?」
「あの子は龍司のドラムの凄さを知らない。だから、龍司が今どんなに頑張っても拓也の声にふさわしいドラムスとは思わないだろう。だから…」
間宮はそこで話すのを止めて龍司の方を見た。そして、少し間を置いてから言った。
「お前が龍司を助けてやれ。」
「…どうして私が…そもそもあの人。本気で橘をバンドに入れようとしてるわけ?」
「本気だよ。」
間宮は鋭い目つきでひなの方を見た。そして、続けて言った。
「俺はあの子に聞いたんだ。どんなメンバーを集めたいんだって。」
「そしたら?あの人なんて答えたの?」
「プロになれるメンバーをって答えた。あの子の夢はプロのミュージシャンになる事らしい。だから、あの子は本気だよ。」
「橘が入ればあの人達プロになれると思う?」
「プロになれる確率はぐんと上がるだろうな。」
そう言って間宮は店の真ん中辺りまで歩いて行きステージの方をじっと見つめていた。
(つまり…橘拓也の歌声はそれほどのものって事?私は龍司とバンドを組める橘が幸せ者だと思ってた。それは龍司のドラムの腕は今まで見た誰よりも凄いから。あのエンジェルで見た郷田っていう人のドラムも凄かった。けど、私は龍司の方が凄いと思っている。あのひなって人が龍司のドラムを試しているのなら私は橘拓也の声を試してやろうか。本当に龍司のドラムに相応しい歌声なのかどうか)
真希はカウンターの中へ入った。そして、さっき間宮が置いたフォークギターを持とうとした。しかし、ギターを持とうとした手が止まった。
(ここで私が出て行ってもいいのだろうか?龍司は別に喧嘩をする気はない。あの連中だって赤木さんを拉致したわけでもない。
それなら…私はあの人達の邪魔をするだけじゃないのか?橘があの人達のバンドに入ればあの人達はプロになれる確率が上がるのなら、龍司には悪いけどこのまま放っておいた方がいいのかもしれない…)
「プロになれるメンバーか…」
真希は小さく声を出してから左手でギターを握った。
(いろいろ考えるのは止めだ。私が橘を試してやる)
真希が間宮の方を見るとステージの方を見ていると思っていた間宮は何故かこの時、真希の方を見ていた。真希と目が合った間宮はニッと笑ってからまたステージの方を見つめた。その表情はとても穏やかだった。そして、間宮はステージに向かって楽しそうに右手でオッケーの合図を出した。その合図は拓也達に店で演奏をする事を許可する合図だったのだが、真希がいるカウンターの中からは拓也達がいるステージは死角となっていて間宮が何をやっているのか真希にはわかっていなかった。
(全く…この人は何を考えてるんだか…)
真希はカウンターの中からステージの方へ出るか入口の方から回り込むか悩んだ末、結局入口の方から出る事にした。ステージには今スティックを口に銜えて下を向く龍司の姿が見えた。拓也が龍司の側に寄ろうとすると龍司は下を向いていた頭をぐいっと上げ、軽くストレッチするよに肩を回してから銜えていたスティックを左手に持った。それから拓也に向かって何かを言った。真希には今、龍司が何を言ったのかがわかった。その言葉は毎回必ず龍司がライブを始める前に言うセリフだったからだ。真希は龍司が言った言葉を自分でも声を出して言った。
「楽しもう。」
10
橘拓也はゆっくりと歩いて来る真希の姿を見ていた。その異様な存在感と迫力にひな達4人も真希が横を通り過ぎるのを黙って見ていた。何故だかずっと拓也の方を睨んでいる―気がする。拓也は真希が近づいて来るにつれ後ずさりしたい気持ちになった。何故だかそれ程の迫力が今の真希にはあった。真希は無言でステージに上がり、拓也の右隣に来て睨みながら言った。
「橘。あんた龍司を止めたわけじゃないからね。」
その言葉の意味をすぐに理解出来なかった拓也は、
「え?あ、ああ。え…?」
と困惑しながらも曖昧な返事をしてその言葉の意味を考えた。
(俺が龍司を止めたわけじゃない…真希は俺が龍司を止めたわけではないからバンドを辞めた本当の理由を話す気はないと言っているのか?)
龍司は驚きながら拓也と真希の側にやって来て聞いた。
「真希…お前…ギター弾いてくれんのか?」
「あんた。その左腕だけじゃ満足にドラム叩けないでしょ。迷惑っていうなら帰るけど?」
「い、いやっ。助かる。けど、お前そのギター。もしかして右利き用じゃねぇのか?」
「問題ないわ。」
ひなはイスから立ち上がり真希に言った。
「ちょっと。あんたなんなん?」
真希はステージの上からひなを見下ろして靴を脱ぎながら、
「姫川真希。」
と名乗った。
「名前を聞いたんちゃうわっ!あんたそこで何する気や?」
真希は次に靴下を脱ぎながら言った。
「通りすがりの助っ人。的な?まあ、気にしないで。」
「気になるわっ!んで、なんで裸足になってんねん。それも気になるわっ!」
(龍司が言ってたように演奏する時は本当に裸足になるんだな…そういえば最初に栄女の屋上で会った時も裸足でバイオリンの練習してたっけ。)
拓也は真希が裸足になったのを見てそんな事を考えていた。
「てか、助っ人なんて認めへんからな。なんやねん。この目つき凄い悪い女わ。」
ひながそう言うと、横に座る赤木がひなに言った。
「まあ、いいじゃねーか。真希は元々俺らのバンドメンバーだった奴なんだ。あいつのギターの腕を見る価値はあると思うぜ。俺も久々にあいつのギターを聴いてみたい。」
それに―と真希が言葉を付け足した。
「龍司の腕を折ったのはそこにいる誰かさんのせいだし、左目眼帯をしてるのもそこにいる誰かさんのせい。だから助っ人の一人ぐらい入ってもいいんじゃないの?」
その言葉には赤木と郷田の二人は下を向いて俯いた。
「どういう事や?」
ひなは赤木達に聞いた。赤木も郷田も龍司が今怪我をしているのは自分達のせいだと認めた。
「…ほな、わかった…あんたとそこの骨折れ金髪の演奏がしょうもない演奏やったらここに拓也を置いていってもらうしな。」
ひながそう言うと赤木はヒュ〜と口笛を鳴らした。ひなは横に座る赤木を睨みつけた。赤木はステージにいる3人には聞こえない程の声で言った。
「俺も橘の変幻自在の声には驚いた。あんたが橘を買ってるのもわかる。けど、橘はもう諦めな。」
「どういう事や?」
「あいつのギターを聴けばわかる。」
「……。」
(間宮トオルが紹介してくれた赤木がそんな事言うんやから、あの子、相当なギタリストって事か…)
「あの子、今は誰かとバンド組んでんのか?」
「いや。」
「なんでやっ!バンドを組んでへんなら、なんで間宮トオルはあの子の名前を出さへんかったんや?
間宮トオルに紹介されたギタリストはあんたやった。あの子の名前は出てこうへんかったで。」
「それはただ、真希があんたの誘いを受け入れるとは思わなかったからだろう。真希自身がバンドを組みたいと思っているのならトオルさんは俺よりも真希の名前を出しただろうな。」
「…なんやそれ…」
「俺があんたのバンドに入るかどうかはあいつの演奏を聴いてから決めてくれていい。俺は真希の様な凄いギタリストじゃないからな。」
「……後であんたのギターもちゃんと聴かせてもらうからな…」
「ふん。」
真希は拓也と龍司の顔を交互に見てから聞いた。
「で、何を歌うの?」
その質問には拓也が答えた。
「サザンクロスの声って曲なんだけど…真希知ってる?」
「橘。あんた普通に私の事名前で呼ぶ様になったわね。」
「あっ。ごめん。てか、真希も俺の事橘って呼び捨てにしてるぞ…」
真希は拓也の言葉を無視して言った。
「声ね。わかった。」
「声…知ってんのか…?」
真希はフォークギターのチューニングを軽くしながら答えた。
「売れたからね。その曲。それにこの街ではサザンクロスを知ってる人は多いよ。この街出身のバンドだしね。はい。準備できたけど?」
真希はいつまでもセンターマイク前にいる龍司にさっさと持ち場に戻れと言うように冷たい視線を浴びせた。
「あ…ああ…。」
龍司は一度ドラムの元へ行こうとしたが、すぐに引き返して拓也に小声で言った。
「タク。歌い方はいつも通りだ。」
「いつも通り?」
「そう。いつも通り路上ライブで歌ってる地声の歌い方で良い。お前がいろんな声を出せるのは、あの女も赤木も知ってるけど真希は知らない。まずはお前の普通の歌声をあいつに聴かせてぇーんだ。」
「わかった。」
「何してんのよっ!まだなの?」
イライラした真希が言った。
「悪りぃ。」
龍司は急いでドラムの元へと走った。拓也は右にいる真希を見て頷いた。それから斜め左後ろにいる龍司を見てまた頷いた。
(準備は出来た。)
龍司がマイク越しに叫んだ。
「行くぞーっ!」
龍司はスティックでシンバルを叩いてリズムをとり始めた。
そして、拓也は静かに歌い始めた。
■■■■■■■■■■■■
「声」
夜空の星に この声が
届くように LALALALALA...
「悲しみの分だけ星は綺麗に
人の目に映るって事を
あなたはそれに気付いてた?」
そう言って君は微笑んだ
一面の空に この声が
響いては消える静かな夜
この言葉君に届くように
この歌君に届くように LALALA...
その微笑みには悲しみが
その目からは涙が
そっと微笑み抱き寄せれば
全てが変わったはずなのに
満天の空に この声が
響いては消える静かな夜
この気持ち君に届くように
この想い君に届くように LALALA...
今、ボクのこの目に映る星達は とても綺麗に輝いているよ
LALALA...LALALA...
小さな光に この声が
響いては消える静かな夜
この恋君に届くように
この愛が君に届きますように
■■■■■■■■■■■■
サザンクロスの『声』は静かに始まる。拓也は優しく歌い龍司は静かに、しかし、素早く音を重ねた。
左手一本だけでドラムを叩いている龍司だが、そのドラムの音はまるで両腕を使って叩いているかのような錯覚をさせ拓也を驚かせた。初めて聴く龍司のドラムはほんの数秒聴いただけで素晴らしいものだと拓也にはわかった。きっと客席で聴いているひなも今それを感じているのだろう。目を大きく見開き驚いている表情を浮かべている。
(今、ドラムの音だけを聴いて龍司が片腕だけで叩いているとわかる人が果たして何人いるのだろう?てか、こいつ両腕でドラムを叩いたら一体どうなるんだ?)
拓也は歌いながらそんな事を考えていた。そして、ドラムは徐々に激しさを増してく。そこへ真希のギターが拓也の歌声と龍司のドラムを後押しするかの如く鳴り始めた。その最初の一音で拓也は真希のギターに震えた。拓也は歌いながら真希の方を見る。
(すげぇ…こいつ…すげぇ!)
真希のギターから奏でられる音はフォークギター一本から奏でられる音とは思えない程の沢山の音が聴こえて来た。拓也は真希から目が離せなかった。
(なんなんだ…こいつ…)
ずっと拓也は真希の方を見ながら歌い、そんな事ばかり繰り返し頭の中で思っていたので歌には全く集中が出来なかった。
この『声』という曲は最後のサビに入るとボーカル一人だけの歌声だけになり終わっていくのだが、その最後のサビで龍司と真希の伴奏がなくなり拓也のボーカルだけとなった時もまだ拓也は真希の方を見て歌っていた。
さすがにその視線を感じ取った真希は拓也の方を見て何故客席ではなく自分の顔だけを見て歌っているのかと言わんばかりに驚いた表情を見せてから拓也をキツく睨み倒した。
曲が終わると静寂が訪れた。
その静寂を打ち破ったのは郷田の力強い拍手だった。郷田は立ち上がり拍手を続けた。それに続いて赤木と西野もゆっくりと立ち上がり拍手をした。ひなだけはイスに座ったまま立ち上がろうとはしなかった。よく見るとひなは涙を流しながらじっとステージを見上げている。
結局、拓也はギターが鳴り始めた時から歌が終わる最後まで真希の方を終始見ながら歌っていた。その為、歌い終わった時ひなが涙を流してこちらを見上げていた姿を見た時には大層驚いた。
「どうやら龍司とバンド続けられそうね。」
真希は靴下と靴を履きながらそう言ってステージを降りて行く。遅れて拓也と龍司もその後に続いた。
「神崎龍司。」
郷田の大きな声が店中に響いた。何事かとステージを降りてすぐ拓也達は立ち止まった。
「悪かった。すまない。」
郷田はそう言って深々と頭を下げた。続いて西野も郷田と同じ様に深々と頭を下げた。その様子に驚いた龍司は、
「な、何がだよ?」
と尋ねる。郷田は真っすぐ龍司を見て言った。
「1年前。俺はお前らの…神崎のドラム。姫川のボーカルとギター。それから赤木のギターを見てわかったんだよ。思い知らされたんだよ…」
そこで郷田は言葉を詰まらせた。そして、真っすぐ龍司を見ていた目を下に向けた。龍司が聞く。
「何を思い知らされたんだよ?」
しばらく下を向いていた郷田だが、また龍司を真っすぐに見つめて言った。
「俺らはお前ら程の実力があるバンドじゃねーって。
…そう思い知らされた…お前らの様なすげーバンドがいるのにプロになんかなれるわけねーって…
悔しかったんだよ。お前らの演奏を聴いて俺は悔しかったんだよ…」
郷田はまた目を下に向けて顔ごと俯いてから言った。
「だから…俺はお前らの邪魔をした…お前らより実力がないのを認めたくなくて……ステージの袖から大声出してヘタクソだのなんだのお前らに叫んでたんだ…俺らの方がお前らより上手いんだって自分に言い聞かせる為に……あの日お前らに俺らより上手い演奏をさせない為に……」
郷田は頭を上げて龍司と真希の顔を交互に見てから言った。
「最初に喧嘩を売ったのは俺達だ。本当にすまなかった。」
郷田はまた深々と頭を下げた。そして、郷田は赤木の方を向いてまた頭を深々と下げた。
「赤木…本当にすまなかった。」
それまでずっと無言だった西野が言った。
「最初はお前らが演奏順を変えてきたのが俺達には気に入らなかった。だけど、お前らの演奏を聴いてからはお前らが俺らより凄いバンドだと俺達は感じた。俺達ではお前らに勝てないって思った。それは俺や郷田だけじゃない一緒にヤジを飛ばしていた石原もお前らの演奏を聴いて自分に実力がない事を思い知らされたんだと思う。石原と神崎にギターで殴りつけた岡田の分まで俺が謝る。悪かった。」
黙って話を聞いていた龍司が郷田の近くまで寄ってから言った。
「俺らがヤジを飛ばしたのはあんたらが先にヤジを飛ばして来たから仕返しにしただけじゃねぇ。俺もあんたらの演奏を聴いて俺らよりあんたらの方が上手いバンドだと素直に認める事が出来なかったんだ…きっとそれはそこにいる赤木もそうだったはずだ。そうだろ赤木?」
「…その通りだ。龍司の言う通りだ。悪かった。」
赤木はそう言って頭を深々と下げた。それに続いて龍司も頭を下げる。
「すまなかった。」
龍司のその言葉を聞いて郷田が手を伸ばす。龍司はその手を握り締めて強く握手をした。その様子を見届けた真希は冷めた表情をしながら歩き出した。ゆっくりと歩き出した真希を郷田が呼び止める。
「姫川。」
真希は足を止めて郷田の方を振り向いた。
「足の怪我は?大丈夫だったのか?」
「おかげさまで傷跡がくっきり残ったわ。それを隠すために学校ではロングスカートだし、普段着ではミニスカートを履けなくなった。」
「………」
「私ずっと不思議に思ってたんだよね。どうしてプロデビューがかかった大事な日なのに。それはあんた達が一番わかってたはずなのに。どうして私達なんかを相手にしたんだろうって。ヤジを飛ばしてきたのはあんた達が先だったし、ライブ中に演奏を止めて暴れ始めたのも不思議だった…私があんた達の立場なら他のバンドの相手なんかしないし、演奏だけに集中したはずだって。一体あんた達はあの時何を考えてたんだってずっと不思議だった。その答えが嫉妬だったとはね…」
「………」
「お互い実力を認めてたんなら喧嘩なんかしてんじゃねーよ。くだらない。」
真希はそう吐き捨てて歩き始めた。龍司も郷田も西野も赤木もその言葉を聞いて一斉に下を向き俯いた。拓也も何故か一緒になって俯いていた。ふといつまでも大人しいひなが気になった拓也はひなの様子をちらりと見ると、ひなはまだ座ったまま下を向いている。
歩き始めたと思った真希は何故かすぐに立ち止まった。ひな以外の全員が立ち止まった真希の後ろ姿を不思議そうに見ていると真希は「あ。そうだ。」と何かを思い出したように言って振り返った。その顔はいたずらっ子のように笑っている。
「私、昔っからミニスカート履いた事なかったわ。」
そう言うと真希はまたくるりと向きを変えて今度こそ入口の方へと歩き始めた。真希なりのボケだったのかもしれないが、この時、誰一人声を出して笑わなかった。だけど、ひな以外の人物が皆その言葉で和んだのは確かだった。店の中央に立つ間宮に真希は素っ気なくギターを押し渡して店を出て行く。
「タク俺らも行こう。」
「ああ。」
そして、龍司は、
「邪魔したな。」
と郷田達に言った。歩を進めようとした拓也と龍司に赤木が声を掛けて来た。
「龍司。橘。すまなかったな。」
なぜ赤木にすまなかったと言われたのか拓也はすぐにはわからなかった。
「お前ら元々は俺が拉致されたと思って助けに来てくれたんだよな?」
そう言われて拓也は、そういえばそうだったと思った。
(元々は赤木さんを助けに来たのに、なんで俺は…いや、俺らは歌わされたんだ?そして、どうして真希はギターを弾いてくれたんだ?それに…あの必死にした土下座はなんだったんだ?なんの意味もなかったって事か…)
そんな事を思っていると赤木が拓也と龍司に向かって深々と頭を下げた。
「お前らは俺なんかを助ける筋合いなんてないのに…すまなかった。」
赤木は頭を下げながらそう言った。そして、顔を上げて、
「ありがとな。」
と言った。ありがとうという言葉は拓也がイメージしていた赤木からは一番出て来ないような言葉だと思っていたのでその言葉が出て来て驚いた。龍司も赤木のありがとうに大層驚いた表情をしていたが表情をすぐに元に戻して赤木に聞いた。
「赤木。ひとつ教えてくれないか?」
「なんだ?」
「俺はどうしてBAD BOYを辞めさせられたんだ?」
「……」
「俺は真実が知りてぇんだ。いつもイライラしてる俺を解放するためにわざと容赦なく俺に喧嘩を売って来たのか?いつまでも自分からバンドを辞めるって俺が言わねーから。いつまでもバンドに残って帰って来るはずもない真希の帰りを待っていたから。だから、お前らは…」
そこまで龍司が言うと声を出して赤木は笑った。
「はっはっはっ。お前なに言ってんだよ。俺はお前が気にいらねぇからバンドを辞めてもらったんだよ。お前の事を思ってバンドを辞めさせるならあそこまでお前をボコボコにはしねーよ。」
「そこまでしねーと俺は辞めねーと思ったんだろ?」
「ふんっ。まさか。んなわけねーだろ。」
赤木は下を向いた。
「そうか。なら、それでいい。」
龍司は歩き出した。拓也もその後に続いた。
「頑張れよ。」
赤木は龍司の背中にそう声を掛けた。龍司は歩きながら赤木に言う。
「世話になったな。」
龍司はいつの間にかイスから立ち上がり下を向いて突っ立っていたひなの顔を横目で見ながら通り過ぎた。拓也も龍司の後を歩いていたが、橘。と赤木に呼ばれて拓也は振り向いた。
「前に言った言葉は撤回する。」
「え?」
「龍司を切れと言った言葉だ。」
「あ、は、はい…」
「あいつを…龍司を手放すな。」
「はい。もちろんです。」
そう答えて拓也は龍司と同じ様にひなの顔を横目で見ながら通り過ぎようとした。その時、下を向いたままのひなが拓也の左腕を自分の左腕でぐいっと持った。拓也は突然腕を持たれて前に進めなくなった。そして、ひなは下を向いたまま小声で言った。
「拓也。エヴァ。知ってるか?」
「え?エヴァ?」
(エヴァって何だ?)
そう考えているのがひなにはわかったのか言葉を付け足した。
「エルヴァン。」
「あ、ああ。」
その名前を聞いて拓也はエヴァとはエルヴァンの略だと気が付いた。『エルヴァン』とは日本を代表する4人組ロックバンドで彼らの事を知らない日本人はこの時代にはいないと言い切れる程の国民的人気バンドの事だ。
「エヴァを知らない人なんていないだろ?」
ひなは俯いていた顔を勢いよく上に向けて天井を見上げながら言った。
「ほんなら、どうやってエヴァはバンド結成したか知ってるか?」
「おいタク。早く行くぞ。」
店の入口に到着していた龍司が拓也が付いて来ていない事に気付いて大きな声で呼んでいる。
「ああ。ちょっと待ってくれ。」
拓也は龍司に聞こえる様に返事をしてから天井を見上げるひなの顔を見た。
(エヴァのバンド結成?どういう事だ?)
拓也が不思議に思っている事を察してひなは言った。
「それを調べてみ。」
ひなは左腕を解いて右手で拓也の腰を押した。まるでそれは早く店から出て行けと言わんばかりの強さだった。拓也は歩きながら後ろを振り向く、しかし、ひなは拓也の方を見ないまま俯いていた。
(ひな先輩は一体何を言いたかったんだ?)
拓也はひなが何を伝えたかったのか全くわからなった。店の中央には間宮が拓也の方を見ながら腕組みをして立っている。顔はとても穏やかでニコニコとしている。
本当は自分の歌はどうだったのか間宮に聞いてみたかったが拓也には間宮に声を掛ける事が出来なかった。
(『声』はトオルさんにとって大切な曲だ。ひかりさんの事を何も知らない自分なんかが歌っていい曲ではなかったのかもしれないのに本人の目の前で歌ってしまった…)
拓也は間宮の前で『声』を歌ってしまった後悔と恥ずかしさ。そして、申し訳ない気持ちがあった。
間宮の横を拓也は俯きながら通り過ぎた。間宮はずっと拓也の顔を見ていた。
「良かったよ。」
間宮はそう言った。拓也は驚いて俯いていた顔を上げ立ち止まった。間宮と目が合う。しかし、間宮は拓也と目をすぐに逸らしステージ前にいるひな達の方へと歩いて行った。
「おい。何してんだ?早く行かねぇと真希が帰っちまうだろ。」
龍司がまた拓也を呼んだ。
「ああ。すまない。」
拓也は早足で龍司の方へと歩いた。
*
栗山ひなは拓也の歌う姿を見上げていた。拓也は隣でギターを弾く真希の姿ばかりを見て歌い全く集中していない。それなのに拓也の歌声はひなの心に響いた。
(ウチは…拓也の声に心から惚れてたんやな…)
ひなの目から涙がこぼれ落ちる。
(ウチは…本気で拓也をバンドに誘うつもりで歌わせたのに…これじゃ…バンドに誘うどころか応援してしまうやないか…)
ポロポロと涙がこぼれ落ちても、ひなは自分が涙を流して拓也の歌を聴いている事に気付かなかった。
(拓也にはきっと、ウチなんかより、こうやって拓也の声を最大限に活かしてくれる金髪のドラムやあの子のようなギタリストが必要なんやな…)
拓也が歌う『声』を聴き終わってもひなの目から流れる涙は止まらなかった。数分経ってからやっと顔に流れる違和感を感じたひなは手の甲で顔を拭いた。その時になって初めてひなは自分が涙を流している事に気が付いた。
(ウチ…泣いてたんか…?)
真希が最初に店を出て行き郷田や龍司の声が聞こえる。しかし、ひなにはその言葉の内容のほとんどが入って来ていなかった。
(そういえば初めて拓也の歌声を聴いた時も確か自然と涙が流れて止まらへんかったっけ…)
ひなは気が付くと立ち上がっていた。自分でもいつの間にイスから立ち上がったのかわからない。その横を今龍司が通り抜けた。その後に拓也が横を通り抜けようとする。拓也がちょうどひなの横に歩いて来た時、拓也の左腕を自分の左腕で持って無意識に拓也の動きを止めエルヴァンの事を話し出していた。エルヴァンの詳しい事は教える気はない。なのに、ひなは何故かエルヴァンの事を拓也に言ってしまった。
(エヴァの事を話してしもた…もしかしたらこの先…ウチらにとって損になるかもしれへん情報やったのにな…)
拓也達が店を出て行ってからひなも郷田も西野も赤木もいつの間にか店にいた間宮までもが下を向いて何かを考えていた。
「凄いのを聴かされたな…」
西野がぼそりとそう言った。郷田は、ああ。と静かに答えた。ひなは顔を上げて拓也達が出て行った店のドアの方を見つめた。赤木はひなの横に立ち同じ様にドアの方を見つめながら言った。
「橘を本気でメンバーに入れる気だったんだよな?」
ひなは赤木の方は見ずに答えた。
「ウチは…本気やった。あの骨折れ金髪がダメなドラムやったら本気で拓也をバンドに入れたろうって思ってた。」
「片腕の龍司がちゃんとドラムを叩けないのをわかっててそうするつもりだったんだよな?」
「そうや。卑怯かもしれんけど拓也がバンドに入ればウチらはプロになれるバンドに近づけると思ったんや。別にいいやろ。」
「ダメとは言ってねーよ。」
ひなは俯いて話を続けた。
「あいつが…あの骨折れ金髪がそれなりに出来るドラムやったとしても、ウチは拓也とは釣り合わへんって言ったろうと思ってたのに…」
「ふん。」
「けど、片腕であそこまで出来るとは想像してへんかったな…拓也はいいメンバーと出会えたんやな…悔しいけど…良かった。ドラムは上手いしギターも上手い。」
「なに言ってんだよ。真希はバンドメンバーじゃねーよ。」
「フンっ。」
ひなは鼻で笑ってからまたドアの方を見つめた。
「あの子。真希ちゃんやったっけ?多分、あの2人のバンドに入るわ。」
「……どうしてそう思う?」
「女の感。」
「なんだそれ。」
「女の感ナメたらあかんで。ウチにはわかる。あの子は拓也のバンドに入る。」
「……そっか……」
ひなは赤木の横顔をチラッと見てから言った。
「あれ?まさか嫉妬?ウチと一緒やん。」
「んなわけねーだろ。」
と赤木は言ってからすぐに訂正をした。
「でも、そうだな…真希が俺とは別のバンドに入るのは残念な気持ちがある…けど、真希にも龍司にも頑張ってほしいとは思う。」
「ほな。ウチと一緒や。」
ひなはやっと笑顔になって言った。郷田も西野もひなと赤木の横に寄って来て4人が一列に並んだ。
4人揃って誰もいないドアの方を見ていた。そして、郷田が言った。
「招かれざる客が来たわけだが…当初の目的のバンド結成はどうすんだ?」
ひなはそれぞれの顔を見てからまたドアの方を見て、
「結成するかどうかは何曲か演奏してから決めるつもりやった。けど…ウチはもう…この4人でバンドを結成したいと思ってる。まあ、実際バンド始めるんはウチがこの街に引っ越して来てからになるんやけど…それでいいんやったら…」
郷田は体を反転させてステージの方を向いた。
「んじゃ、それまで俺達3人は練習あるのみって事か。」
赤木も郷田と同じ様に体を反転させてステージの方を向いた。
「せっかく集まったんだ。何曲か演奏しようぜ。」
続いて西野もステージの方を向いた。
「そうしよう。その為の顔合わせだ。」
最後にひながゆっくりと体を反転させてからステージの方を向いた。
「…そやな。」
(拓也達に…負けてられへんからな…)
4人はステージの方を見つめる。
「よしっ!ほなやるで!」
ひなの声で4人はステージの方へと歩き出した。
11
店を出て橘拓也が短い階段を見上げると真希の後ろ姿が見えた。
「真希。」
と龍司が声を掛けて勢いよく階段を駆け上った。拓也も急いで後を追って真希に声を掛けた。
「先帰ったかと思ったよ。」
「帰ろうと思ったけど、一言言いたかったから待ってた。」
そう言うと真希は突如拓也の胸ぐらを掴んで言った。
「あんた歌ってる最中なんで私ばっか見てんのよっ!普通ボーカルは客席見て歌うの!それに何よあの歌い方。あんた棒立ちじゃないっ!もっと曲に乗って歌いなさいよっ!」
「おいおいおい。真希どうしたんだよ。」
龍司が拓也の胸ぐらを掴む真希の腕を離そうとしたが、真希は力を緩めなかった。胸ぐらを掴む真希の力はどんどん強くなっていく。
「曲を聴いている人はそれぞれいろんな思いを持って聴いてるの。それを理解しなさいっ!」
「まあまあ、真希落ち着けって。今日は別に歌い方はどうでもいいだろう。」
龍司がそう言うと真希は拓也の胸ぐらを掴んでいた腕を解いた。
「龍司。こいつまさか路上ライブでも棒立ちで歌ってんじゃないでしょうね?」
「えっ?あー。まあ…そだな…。」
「バッカじゃないの。あんたからもこいつに棒立ちで歌うのは辞める様にちゃんと言ってるんでしょうね?」
「いや…それはおいおい言おうとは思ってたんだけどよ…今のタクは歌う事で精一杯というか…歌う時すごい緊張してっからまだ伝えるのは早いかなって思ってよ…」
「じゃあ、私からアドバイスしてあげるわ。橘。あんた棒立ちで歌うのは辞めな。棒立ちで歌ってる姿が気になってあんたの声が心まで全然響いて来ないわ。」
「でも、さっきのひなって奴泣いてたぜ。ひなって奴にはタクの声が心に響いてた。」
「うるさい。」
「真希には響かなかったか?コイツの。タクの声は響かなかったのか?真希がそんなにムキになって棒立ちを辞めろって言うのは、タクの歌が心に響いたからだよな?コイツの棒立ちで歌う姿がせっかくの歌声を台無しにしてるって。そう思ったんだよな?」
「……そうよ。でも……」
真希は何かを言おうとして辞めた。拓也は真希が何を言おうとしたのかが気になった。
「でも、なんだよ?」
龍司が拓也のかわりにその質問をした。しかし、真希は、
「なんでもない。」
と言って歩き出した。拓也はどうしても真希の話の続きを聞いてみたかった。
「真希。でも、なんなのか教えてくれないか?」
拓也の質問に真希は立ち止まった。龍司と拓也は立ち止まった真希に近づいた。
「でも、なんなのか教えてやれよ。」
龍司が声を掛けると真希は振り向いて龍司の顔を見ながら言った。
「私はあんたが言ったように橘の歌声を聴いて凄いとは思わなかったし感動もしなかった。」
真希はそうはっきりと言って言葉を続けた。
「感動しなかったのは棒立ちで歌ってたのが気になりまくってたせいもあるんだろうけど、私には橘の歌声は普通に上手いと思った程度だったよ。正直、龍司がどうして橘の声を絶賛していたのかもわからなかった。」
拓也は厳しい真希の言葉を聞いて何も言えなかった。しかし、龍司はニヤニヤとしながら言った。
「真希。今度路上ライブ来た時にタクの本当の凄さを教えてやる。」
龍司はそう言って拓也の肩をパンっと叩いた。
「もう橘の歌声聴いたから路上ライブは見に行かなくていいでしょ?」
「なに言ってんだよっ!絶対来いよっ!約束は約束だろ。来なかったら俺毎日栄女侵入して呼びに行くからなっ!」
「あんた…本気で毎日来そうで恐いわ…」
「行くに決まってんだろ。」
龍司は拓也の顔を見て「な?」と言った。
(俺も一緒に行くのか…)
「わかった。一回だけだからね。」
「よしっ!」
龍司は嬉しそうにガッツポーズをした。その龍司の姿を見て真希は少し微笑んだがすぐに真剣な顔をして、
「私の夢…教えたげる。」
と言った。拓也も龍司もその唐突な言葉に驚いた。真希はとても強い眼差しで言った。
「私の夢は…世界一のギタリストになる事。女性ナンバーワンとか日本ナンバーワンとかそんな中途半端な夢じゃない。私は世界一のギタリストになりたいの。何がなんでも叶えてみせる。」
「え?」
「え?」
拓也と龍司は声を出して驚いた。
(女性ナンバーワンとか日本ナンバーワンが中途半端って…俺の夢はなんて小さな夢なんだ…バンドを組む事が夢と言った自分が恥ずかしい。)
「笑いたいなら笑えばいいよ。世界一のギタリストなんてバカげてるもんね…」
真希は恥ずかしそうにそう言った。拓也は真希の夢を聞いて自分の夢が小さすぎて恥ずかしいと思ったが真希は大きな夢を持っている事が恥ずかしいと思っているようだった。その真希の顔を見つめながら拓也は真剣な顔をして言った。
「笑わない。笑わないよ。」
龍司は驚いた顔をしていたが表情を戻してから真希に言った。
「そうだよ。笑わねーよ。そんな夢持ってたんならどうして俺に言ってくれなかったんだよ。」
「笑われると思った。バカにされると思ったのよ…」
拓也も龍司もその真希の言葉を聞いてお互いの顔を見合わせた。そして、拓也は真希の顔を見つめてもう一度同じ言葉を言った。
「笑わない。」
「そうだよ。笑わねーよ。俺は真剣に言ってる奴の事を笑ったりしねーよ。」
龍司はそう言ってから気が付いた。
「てかさ…やっぱりお前……真希……お前はギターが好きなんだよな?そういう事なんだよな?そっか。そうだったのか。」
龍司は凄く興奮しながら嬉しそうに真希に確認するようにそう言っていたが、また龍司は気が付いた。
「な、ならどうして…どうしてお前1年前にバンド辞めたんだよ?世界一のギタリストになりたいんならバンド続けるべきだったんじゃねーのかよ?」
龍司の言葉に拓也も、ホントだ。とつい声を出して言ってしまっていた。真希は小さな声で答えた。
「世界一になりたいから辞めたのよ。」
「…どういう…事だよ?」
「1年前のあの日……あんた達がエンジェルで暴れた日ね。私はあんた達3人を軽蔑した。」
「……」
「さっきの郷田って人達のバンド。あの日、音楽事務所の人が見に来てるって言ってたよね?プロになれるかも知れないって。夢が叶いそうだって。あの時そう言ってたよね?」
「……ああ。」
「あの人達にとってあの日はとても大事な日だったのに…それをあんた達も聞いていたのに…それなのにあんた達はあの人達の夢を潰すような行動をとった。私はそれが許せなかった。どうして夢がかかっていたあの人達の邪魔をするんだろうって本当信じられなかった。今、ここで暴れなくても良かったんじゃないかって。こいつらは自分達がとんでもない事をしているってわかって暴れているんだろうかって。そう思ってた。」
「………」
「私はこいつらとバンドを組んでいていいのだろうかって本気で考えたよ。あんた達はきっと自分達がとんでもない事をしたっていう自覚は全くない。むしろあんた達は夢を持っている人達をバカにするタイプの人間だったんだって思った。私は人の夢を潰す様な奴らとバンドを続けたくないって思った。だから…私はバンドを辞めた。私の夢は世界一のギタリストになる事だから。」
「………」
龍司は真希の話を聞いて何も言えなかった。
「これがあんたが聞きたかった本当の理由。」
何も言わない龍司の代わりに拓也は独り言のように呟いた。
「つまり、世界一のギタリストになる人物が人の夢を壊すような連中とは一緒にバンドを続けていけないと思ったわけか。」
「そういう事。」
真希は拓也達に背を向けた。
「ちゃんと私の夢とバンドを辞めた理由を言ったから。それからちゃんと路上ライブも見に行く。だから次もし学校に侵入して来たら警察に通報する。じゃあね。」
そう言って真希は今度こそ歩き出した。そこでやっと龍司が口を開いた。
「俺は大バカ野郎だ…そんな理由があったなんて全く想像してなかった…俺は勘違いしてお前は辞めたくもないバンドを無理矢理親父さんに辞めさせられたんだとばかり思ってた…ホントにすまねぇ…でも、ありがとな。ホントの事言ってくれて。」
一瞬だが真希は歩みを止めた。が、またすぐに歩き出した。
「それと真希。今日はありがとな。助かった。」
拓也も続いて、ありがとう。と礼を述べた。真希は振り返らずに腕を上げてバイバイという様に手を振った。真希の後ろ姿を見送りながら拓也は龍司に告げた。
「俺、あいつがいいよ。」
「え?なにが?」
「俺、真希をギタリストに迎えたい。てか、もう真希以外のギタリストは考えられなくなった。」
「だな。」
龍司は一言そう言って俯いた。
「…でもよ。真希の奴…今の話を聞く限り俺とは一緒にバンドを組みたくないって思ってんじゃねーかな?」
龍司の俯いた横顔を少しだけ見て、拓也はまた真希の後ろ姿に目を移した。真希はもう随分と小さくなっていた。遠くに離れた真希の後ろ姿を見ながら拓也は言った。
「そんな事ないって。」
真希はもう見えなくなっている。それでも拓也は真希が歩いて行った先をずっと見つめて龍司にもう一度、そんな事ない。と言った。龍司はじっと拓也の横顔を見ていた。
「さっきブラーに入る前までの真希なら龍司とはバンドを組まないって決めてたのかもしれない。だから、夢の話もバンドを辞めた本当の理由も言わなかった。けど、今は違う。真希は自分がバンドを辞めた本当の理由も夢の話もしてくれた。これは真希の心が動いたって事だ。龍司もそう思わないか?」
龍司は少し考えた。そしてタバコを一本取り出して火を着けた。
「…だな。だよなっ!こうなったら次からは本気で真希を仲間に誘っていくぞ。」
「おう!」
そう大声で返事してから拓也はふと思った。
(ひな先輩達は一体ブラーで何をするつもりだったんだ?)
拓也は龍司にはわからないだろうと思いながらも質問をした。
「てかさ。そもそも赤木さんを助けるつもりで俺達ブラーに行ったよな?でも結局、赤木さんは別に拉致されたわけでもなかったって事だろ?じゃあ、あの人らブラーで何やってたんだ?結局、ひな先輩はなんで俺らに歌わせたんだ?」
龍司はぽかんと口を開けて銜えていたタバコを落とした。
「俺、あのまま店出て来てよかったのかな?」
拓也はブラーに続く短い階段を見つめながらそう言った。龍司は大層驚いた表情を浮かべて言った。
「お前本気で言ってんのか!?」
「えっ?何が?」
「あいつら今からブラーでバンド結成するつもりなんだよっ!赤木はひなって奴に勧誘されたんだろ。で、あのメンバーを集めたのは多分トオルさんだろうな。ひなって奴に頼まれたんだろう。トオルさんとひなって奴がどういう関係かは知らねーけど。てか、なんでそれにお前は気付いてないんだよ。ここに真希がいたらお前またバカにされてたぞ。」
「えっ!」
「えっ!じゃねーよ!あいつらが俺らに歌わせたのは俺のドラムがタクに相応しくないと思ったらお前を自分達のバンドに入れるつもりだったんだよ。だから、タクを残して俺だけ帰れって言ったんだ。簡単に言えばお前はさっきアイツらのバンドから勧誘受けてたんだよ。わかったか?」
「えっ?マジで?」
「マジだよ。お前そんな事も気付かなかったのか?俺でも気が付いたのによ。」
「……」
(全然気付いてなかった…龍司でさえも。この龍司でさえも気付いていたっていうのに…しかも…途中からやって来た真希でさえも気付いていたのか?俺は……自分が恥ずかしい…)
「そういや最後、アイツに何か言われてたよな?」
「最後?ああ。ひな先輩に?」
「ああ。ひなって奴になんて言われたんだ?」
「エルヴァンがどうやってバンドを結成したか調べてみろって。」
「なんでエルヴァンなんだよ?」
「さ、さあ…?なんでだろう?」
「てっきり俺はアイツに頑張れとでも言われてたのかと思ってたよ。」
龍司はスマホをズボンのポケットから取り出し、
「エヴァのバンド結成っと。」
と声に出しながらスマホでエルヴァンのバンド結成を調べ始めた。拓也は龍司のスマホを覗き込みながら聞いた。
「どうだ?何かわかったか?」
「ん〜っ。バンド結成秘話で検索してみっか。」
龍司は数分間スマホを睨む様に見ていた。そして、スマホを見るのを辞めて拓也を見た。
「これといった情報はねーな。エヴァの4人は音楽事務所のオーディションで選ばれたメンバーで2000年に結成されたみたいだ。ちなみにデビュー曲から今まで出したCDは全てオリコン1位になってる。それ以外は特にこれといってなにもなさそうだけど?」
「ふ〜ん。なんかすっきりしないな…」
「どうする?エヴァのバンド結成を調べたけどわからねーから教えてくれってブラーに引き返してアイツに聞きに行くか?」
「ひな先輩達今頃バンド練習でも始めてるんじゃないか?邪魔はしたくないから辞めとこう。」
「だな。もしかしたら念とかフトダが知ってっかもな。」
「俺も今そう思ってた。あいつらが知ってるか今度聞いてみよう。」
「ああ。そうしようぜ。タク今晩バイトだよな?それなら今晩にでも念には聞けるな。」
龍司は真希が歩いて行った駅の方へと歩き出した。拓也も龍司の横に並んで歩き出した。
「あっ。そうだ。龍司も今日は日曜だからバイトだよな?」
拓也はスマホをポケットから取り出し時刻を確認した。もう昼の1時を回っていた。
「おい。もう1時過ぎてるぞ。時間大丈夫なのか?」
「ああ〜。バイトは当分休まされてる。」
龍司は右腕のギプスを拓也に見せながら言った。
「この腕だし何も仕事できねーんだよ。だから当分バイトは休み。それに左目もこれだろ?この見た目じゃ接客しても客が逃げてくんだよな。だから、今晩暇だから店行くわ。トオルさんにひなって奴とはどんな関係なのかも聞きてぇし。」
「俺もそれ気になる。てか俺バイト始まるまでルナで時間潰そうと思ってるんだけど、龍司はどうする?」
「そうだな。俺も一緒に行くわ。」
拓也と龍司は今日2度目となるルナに向かった。
12
ルナに入ると聴き覚えのない女性ボーカルのジャズが流れていた。という事はどうやら昼からは新治郎ではなく結衣がこの店のマスターとなっているのだと拓也は思った通り店内には結衣の姿だけがあって客は一人もおらず暇そうにしていた。拓也と龍司は今朝と同じ窓のある4人掛けテーブルに座った。
「さっきも来てたんだよね?真希さんも来てたって新治郎言ってたけど?」
「ああ。真希は帰った。」
龍司が素っ気なく答えると、
「えぇ〜。残念。会いたかったなぁ。」
と結衣は本当に残念そうな声を出してから頬を膨らませた。拓也と龍司がホットコーヒーを注文すると結衣は頬を膨らませたままコーヒーを淹れにカウンターの中へと入って行った。その様子を見届けてから拓也はポケットからスマホを取り出しテーブルの上に置いて時間を確認した。時刻は1時30分。バイトの時間までは5時間近くある。拓也は思わずため息をついた。
「なんか長い一日になりそうだな…」
「もう長い一日になってる気がする…」
拓也は疲れた声でそう言った。龍司は左手で右肩を摩りながら言った。
「あ〜。痛てぇな…。さっき右腕使ってねぇんだけどな…」
「振動で右腕にダメージがきたんじゃないのか。」
「…そうみたいだな。さっきまで大丈夫だったのに急に痛み出てきやがった。」
龍司は痛そうに右肩を摩っていた。
「ところで今夜のライブは?どんな奴のライブなんだ?」
「ああ。田丸っていう人。ウッドベースで一人で歌ってる。龍司は田丸の事知ってるか?」
「いや。知らねーな。」
龍司もやはり疲れている様子でいつもより元気なくそう答えた。
「やっぱり龍司も知らないか…柴校の2年らしくて、俺らと同い年みたいなんだけどな…」
龍司は顔をテーブルに置いて今にも寝そうな雰囲気となった。
「実は俺さ。出来る事ならその田丸って人をベーシストとして迎えたいと思ってる。」
その言葉に龍司は異様に反応してテーブルに置いていた顔をむくっと上げた。
「マジ?」
「ウッドベースを弾きながら歌うって見た事あるか?海外にいるのは知ってるけど、本当に珍しいと思うんだよな。」
「えっ?そのなんとか丸って奴ベースなわけ?」
「おい…俺の話聞いてなかったのか?田丸は俺らと同い年でウッドベースを弾きながら歌ってたんだよ。さっき言ったばっかだぞ。」
「すまねぇ。ほぼ寝てた。」
「…全く。寝るなよ人が喋ってんのに。」
「ああ。わりぃ。続けてくれ。」
「…凄くいい曲歌ってたんだ。多分オリジナル曲だと思う。」
「ふーん…」
「そんなわけで今日のライブちょっと意識して聴いててくれないか?」
「ああ。わかった。」
龍司はまた顔をテーブルに置いて大きなあくびをした。結衣がホットコーヒーを持って来た時にはもう龍司は夢の中だった。
「全く…信じられない。」
結衣が激しくコーヒーをテーブルに置いても龍司は起きなかった。
「せっかく結衣特製ホットを淹れたのになんで龍ちゃん寝てるわけ?ここ、ファミレスじゃないんですけどっ!」
そう言って結衣は拓也の横に座って自分の分のホットコーヒーをテーブルに置いた。
(ああ…結衣ちゃん隣に座るのね…)
拓也も龍司同様ここで少し仮眠を取りたかったが、結衣が横に座った事でそれは出来なくなってしまった。
「結衣ちゃん。テスト期間終わったのに全然路上ライブ見に来てくれないのはどうして?」
「フン。そこの寝てる人が心の底から結衣に見に来てって言ってくれたらすぐに結衣は見に行くよ。」
「…そう。」
「そうよ。」
「そういえば結衣ちゃんさ。エルヴァンって知ってる?」
少しの沈黙の後、結衣は鋭い目つきで拓也を睨んでから言った。
「なに?バカにしてるわけ?」
「い、いや…バカにしてるわけじゃなくて…」
「龍ちゃんも拓也くんも結衣をバカにしてるんだ。ふ〜ん。」
「えっ?別にそんな…バカになんか…」
「だってそうじゃないっ!誰でも知ってるエヴァの事をまるで知らないみたいに聞いて来たり、結衣が心を込めてコーヒーを淹れてるのに寝てるとかある?アツアツのうちに飲んでほしいのに…」
龍司のせいで結衣はご機嫌ななめとなっていた。結衣はゴクゴクと自分の淹れたコーヒーを勢いよく飲み干した。拓也は話を続けるべきか悩んだ末、結衣にこれ以上話しかけるのはやめておいた方が良いという判断を下した。気まずい空気が流れ始めたちょうどその時、店に客が入って来た。
「いらっしゃいませ。」
結衣はご機嫌ななめのまま新たな客を迎い入れて席を立った。
(はぁ〜。助かった…)
拓也は今すぐ目を閉じたい気分だったが、結衣の機嫌をこれ以上損ねない為にバイトの時間まで雑誌を読んで過ごす事を決め古時計の近くに置いてある雑誌入れから一冊適当に雑誌を抜き取った。
振り子は一定の調子で時間を刻んでいる。
(マジか…店に入ってまだ10分そこらしか経ってないのか…)
今日は長い一日になりそうだと改めて拓也はそう思った。そして、しばらく雑誌を読んでから、龍司が間宮達のテレビ出演した時の動画を発見したと言っていた事を思い出し拓也はスマホを手に取った。
(サザンクロス テレビ出演 動画)
若かりし頃の間宮の姿が液晶に映し出された。画像は悪いが確かにサザンクロスだ。司会者の質問にメンバー達は顔を合わせ仲良く会話をしている。
(この時、おそらくこの4人の仲は最悪だったはずだ…)
そう思いながら見るこの動画は拓也に複雑な思いをさせた。歌う曲はもちろん『声』だった。その動画を最後まで見る事なく拓也はスマホをテーブルに置いてまた雑誌を手に取った。
その後、何人かの客がルナを訪れた。中には常連さんがいるらしく結衣はその人と楽しそうに笑顔で話しをしている。その様子を雑誌で顔を隠しながら横目でチラチラと拓也は確認した。
(結衣ちゃんの機嫌もそろそろ収まってきたみたいだ…)
そう思うと急に眠気が訪れた。
(少しだけ…ちょっとだけ目を閉じよう…眠るんじゃなくて目を閉じるだけ…)
拓也は自分にそう言い聞かせて雑誌をテーブルに置き目を閉じた。
13
チリンチリンと店のドアが開く音が鳴った。結衣の声が暗闇の中に入って来る。
−あら。サクラちゃんいらっしゃい。今日はどうしたの?−
−お母さんと買い物してたの−
−いつも娘がお世話になっています−
−いえいえ。こちらこそ。でも、いいなぁ。お母さんと買い物か。羨ましいな−
(そういえば、結衣の両親は店を手伝わないのだろうか?)
暗闇の中に入って来た結衣の声が映像として映り始めた。結衣は注文を聞きそれを用意し始める。
映像として映り始めたかと思いきや、すぐにその映像は消えていきプツンと暗闇が訪れた。それからどの位の時間が過ぎたのか。5分なのか30分なのか。はたまた1時間なのかはわからないがチリンチリンという鈴の音がまた暗闇をかき分け音と映像を作り出した。
−あれ?凛どうしたの?凛がココに来るなんて珍しい−
−久しぶり。たまには、ね−
(これは現実なのだろうか?それとも夢の中なのだろうか?)
現実か夢かわからない状況が拓也を襲う。しかし、その聞こえて来る声や音はとても心地の良いものだった。
−カフェ・オレお願いします−
−あいよ。凛はこれから帰るの?−
−ううん。この前結衣に連れてってもらったライブハウスに行こうと思って。えーっと。名前なんだったっけ?−
−ブラー−
−あっ。そうそう。ブラー−
(ブラー…ああ…そう言えば今日バイトの日だったな…もうそろそろ起きないとダメなのか?ん?そもそも俺は寝てるのか??)
−凛。隣に座ってる人覚えてる?一緒にブラーに行った人だよ−
−あっ。覚えてます。あの。一ノ瀬凛です。もうすぐ名字は変わるかもなんですけど…−
(名字が変わる?)
(そんな事より……俺はどこにいるんだっけ?)
チリンチリンとまたドアが開く音が鳴った。
(今、誰かが店に入って来たのか。それとも店を出て行ったのか…)
(……んっ?…店…?)
(…そうだ…ルナだ。俺はルナにいるんだった。でも、どうして…?)
(どうして俺はルナで眠っているんだっけ…?)
(…確か…バイトが始まるそれまでの時間を少し休もうと思って……)
(んっ?)
拓也ははっと目を覚ました。その際に足をテーブルにぶつけてしまい凄く大きな音をたててしまった。店内にいる客の全員が拓也の方を見た。結衣や結衣と話をする女性達は拓也の方を見てクスクスと笑った。
(いってぇ〜。ルナで眠っていたという意識はなんとなくあったのに、どうして俺は勢いよく起きるかなぁ…)
拓也は目を擦りながらスマホの時間を確認した。午後6時。
(んっ?)
拓也はスマホの時間が本当に合っているのかを確認する為、店の時計も確認する。店の時計の針も午後6時。
(まじかよっ!俺4時間くらい店で眠ってたのか?)
少し目を閉じるつもりが、がっつりと眠ってしまっていたようだ。拓也の目の前にはまだ龍司が顔を伏せて眠っている。龍司の体を摩りながら拓也は声を掛けた。
「おい龍司起きろ。もう6時だ。」
「んっ…?あぁ…」
寝ぼけ眼をこすりながら龍司は顔を上げた。
「龍司。俺もう行かなきゃ。金ここに置いとくから。お前も7時にはちゃんとブラーに来いよ。」
「んっ…?あぁ…」
龍司はまた同じ言葉を同じ様に発音した。拓也はとっくに冷めてしまった残りのコーヒーを一気に飲み干した。
「結衣ちゃんご馳走さまっ。美味しかったよ。」
「美味しいわけないでしょ。」
結衣は冷たい目で拓也を見ながらそう言った。そして、カウンターに座る3人の女性に向かって言った。
「あの人達結衣が淹れたコーヒーに口をつけないまま眠り込んだのよ。しかも4時間もっ!信じられる?信じられないよねー。」
その言葉は3人の女性に言っているが、拓也と龍司に向けられた言葉だった。3人の女性達は笑っているが、拓也と龍司は笑えなかった。龍司の眠気は結衣のその言葉で吹き飛んだようだ。龍司はひと口も飲まずに眠ってしまった冷めたホットコーヒーを拓也と同様一気に飲み干して結衣に聞こえるように言った。
「ウマかったぁ〜。」
その言葉が結衣の機嫌を余計に損ねてしまったらしく、結衣は頬を膨らませながら龍司を睨んだ。
結局、店に居ずらくなった龍司は拓也と一緒に店を出る事にした。
「タク。飯はどうすんだ?」
「ん〜。俺はコンビニで買ってブラーの2階で食うよ。龍司は店のオープン時間まで1時間くらいあるから晩飯食べてから来いよ。」
龍司は少し考えてから、
「ん〜。そうするわ。」
とまだ眠そうに言った。拓也は龍司と一旦別れてコンビニに寄ってからブラーへと向かった。一度店に入り間宮から2階の鍵を受け取り控え室兼更衣室で拓也はコンビニ弁当を食べ始めた。念のためカーテンを締めておいた。あまり美味しくもない弁当を食べているとカーテンを開けて相川が入って来た。両手にはコロッケを一つずつ持っている。
「おっす橘。てか、何食ってんだよ?ちゃんと飯ぐらい家で食ってから来いよ。」
「念こそ。」
「飯は食って来た。コロッケは飯じゃねーただのお菓子だ。」
「……」
「知ってっか?ここのコロッケ。その名も小さなコロッケ屋さん。ウマいんだぜ。すぐ近くにあるからさ橘も今度買ってみろよ。」
「ああ。知ってる。そこのコロッケはこの街に来て一番最初に龍司と一緒に食った。」
「おお。やるな橘。なかなか見る目あるじゃん。」
相川は美味しそうにコロッケを交互に食べていた。その様子を見て拓也は疑問に思った。
「その二個のコロッケって何味なんだ?」
「んっ?普通にビーフコロッケだけど?」
「二個とも?」
「そうだけど?」
(なんでコイツ交互に同じ味のコロッケ食ってんだ…いや、味が別でもおかしいか…とりあえず、先にどっちか一つを食えよ…)
「やっぱ小さなコロッケ屋さんのコロッケはビーフが一番だ。」
幸せそうにコロッケを二つぺろりと食べ終わり、相川は黒のパンツと白のカッターシャツを相川と書かれたロッカーから取り出した。着替えを始める相川に急かされて拓也は急いでコンビニ弁当を食べ終えた。橘と書かれたロッカーから拓也も店の制服を取り出し、着替えながら相川に言った。
「なあ?エルヴァンって知ってるか?」
「それ俺に聞いてんのか?」
「他に誰がいるんだよ?」
「あいつ。」
相川はそう言ってカーテンを開けて指差した。相川が指差す先にはソファに座って拓也と同じコンビニ弁当を食べている龍司の姿があった。
「龍司っ!いつの間にココに入ったんだよ?」
「え?橘お前気付いてなかったのか?俺がここ入った時にはもうリュージいたぞ?」
龍司はロッカーの前に置かれている長椅子に向かって歩きながら言った。
「タクが弁当食ってる間に侵入してたんだけど、気が付かなかったのか?」
「ぜっんぜん気が付かなかった…お前は忍者かっ!」
龍司は長椅子に座って弁当の残りを食べ始めた。
「7時前になったら降りて行くわ。」
「全く…ここは更衣室だぞ。」
「控え室も兼ねてんだろ?」
「出演者のなっ!」
「まあまあ、固い事言うなよ。」
「今回だけだからな。」
「わーったよ。」
着替え終わった相川は龍司の隣に座ってから拓也に聞いた。
「で、橘。エヴァがなんなんだよ?」
「ああ。そう。エヴァ。念はエヴァの事もちろん知ってるよな?」
「バカにしてんのか?知ってるから略して呼んだんだろ?てか、エヴァの事知らねえ奴なんているわけ?」
エルヴァンを知っているかという質問で相川も結衣も機嫌を悪くした。この質問の仕方は相手をバカにしている印象を与えるようだ。それ程エルヴァンというバンドは有名で国民的人気バンドという事なのだろう。
「いや、バカにしてるんじゃなくってさ。エヴァの結成について詳しく知ってるか?」
「エヴァの結成?」
相川はそう言ってスマホを鞄から取り出した。その様子を見て龍司が言った。
「もうネットでは調べた。」
相川はチッと舌打ちをして荒々しくスマホを鞄に戻した。
「エヴァなんて物心ついた時から当たり前にいたから俺達の世代で詳しく知ってる奴なんて熱狂的ファンぐらいじゃねーか?」
「熱狂的ファンか…フトダなら知ってっかな?」
「フトダならありえるかもな。明日フトダに聞いてみろよ。」
「ああ。そうだな。そうする。」
「てか、お前ら2人今日一緒にいたのか?」
「ああ。タクと2人でルナ行ってた。」
「なんだよお前ら。今度ルナ行く時俺を連れて行くって言っただろっ!」
「今日はいろいろとあったんだよ。」
チッととまた相川は舌打ちをした。それをなだめる様に拓也は言った。
「また次行く時は誘うから。」
「木曜も同じ事言ってたぞ。もしかして、その時から今日ルナに行く事決まってたんじゃねーのか?」
「まあ…そうだけど…」
拓也がそう答えると龍司が言葉を付け足した。
「今日は用事があって念を呼べなかったんだよ。しょうがねーだろ。」
「本当かよ?」
相川は疑いの目を2人に向けた。
「今度行く時は絶対誘うし、コーヒーもおごるから。」
拓也がそう言うと相川はまだ疑いの目をしたまま言った。
「絶対だな?」
「ああ。約束する。」
「よし。んじゃ、そういう事で。」
拓也はスマホの時間を確認してからロッカーにスマホを閉まった。
「念。俺らはそろそろ降りよう。」
「ああ。そうだな。じゃあリュージ。また後でな。」
「おう。」
「7時にはライブスタートだから10分前には降りて来いよ。」
「おう。」
拓也と相川が店に入ると間宮が声を掛けて来た。
「もう田丸は楽屋に入ってるからどっちか飲み物聞いて来てくれ。」
「あ。はい。俺行きます。」
相川は店に入って早々田丸がいる楽屋に向かった。
(田丸はもう来たのか。という事はまた前みたいにステージに上がって客もいないのにあの茶色いアップライトピアノに座ってピアノを弾いてからドラムのイスに座ってバスドラムのフットペダルを鳴らしてから楽屋に入って行ったわけか)
拓也が外灯のライトを点けてカウンターの中で手を洗っていると楽屋から相川が戻って来た。
「ジンジャーエールお願いします。」
「はい。次は俺が楽屋行くわ。」
と拓也は田丸に飲み物を運ぶ事を告げた。田丸の楽屋に飲み物を運ぶと田丸から話しかけて来た。
「えっと…橘……。」
「拓也。橘拓也。タクって呼んで下さい。」
「結城春人。」
「えっ?」
「名前。」
「ああ。そっか。田丸は本名じゃないってトオルさん言ってた。」
春人は笑顔を見せてから拓也に聞いた。
「橘君。さっきの人は新しいスタッフ?」
「タクでいいですよ。」
「じゃあ、俺は春人って呼び捨てでいいよ。」
「わかった。春人。」
「タク。さっきの人は新しいスタッフ?」
「相川念。俺と同じ西校の2年。」
「へぇ。」
春人はジンジャーエールを一口飲んでから言った。
「そうだ。この前何度か路上ライブやってる姿見たよ。」
「え?本当に?」
「俺、ここの近くの塾に通っててさ。その行きしだったからゆっくりとは聴けなかったんだけど。」
「そっかー。もし時間があったら聴きに来てくれよ。」
「わかった。」
拓也は今日の春人はこの前会った時よりも話しやすいと感じた。春人は前のように敬語ではなく、タメ口で話しかけてくれたから拓也もタメ口で話す事が出来たからなのかもしれない。おそらく春人は拓也に対して親近感を抱いてくれているのだと感じた。拓也はそのせいもあってか思い切って春人をバンドメンバーに誘ってみる事にした。
「あっ。それとベーシスト募集中だから。その…もし春人が良かったら…」
「今度見に行くよ。」
春人は拓也の誘いを断る形でそう言った。
(やっぱり急には無理か…)
楽屋から出ようとした時、春人は言った。
「トラとリスとウサギ。」
拓也は春人の方を振り向いて、
「えっ?」
と驚いた。
「この前最後に歌った曲の名前。バスが閉まる前に聞いてきてくれただろ?」
そう言われて拓也は思い出した。
「ああ…」
(そうだ。前回の春人のライブの日。春人が落としたキーホルダーを届けに行って最後に演奏した曲の名前を聞いたのだった。)
「オリジナル曲?」
「そう。ふざけたタイトルだけどね。」
「でも、いい曲だったよ。」
「ありがとう。でも、今日は歌うリストに入ってないけどね。」
春人は笑顔でそう言った。楽屋の扉を閉めてカウンターの中に戻る途中拓也は思った。
(そういえばあの日落としたキーホルダーは確かリスだったな…あとの二つはトラとウサギだった…)
店の扉が開き龍司が入って来た。間宮はいつもの様にブラーへようこそとは言わずに、
「いらっしゃい。」
と片手を上げて言った。拓也と相川も間宮と同じ様にいらっしゃいと言って龍司を迎え入れた。龍司はステージに一番近いカウンター席に座ってコーラを注文して間宮に話しかけた。
「今日のひなって奴とはトオルさんどういう関係だったんスか?」
いきなりの質問に拓也は驚いたが、間宮はあっさりと答えた。
「ああ。あの子?どういう関係も何も俺は一昨日に会ったばっかだよ。」
「え?」
拓也は声を出して驚いた。間宮は拓也の方を見て言った。
「まさか拓也と知り合いだったなんて俺も驚いたよ。」
「そういえばひな先輩両親が神奈川出身だって言ってたな…。」
「てか、あいつら今日ここでバンドの結成をする為に集まってたんスよね?」
龍司の質問に間宮は、そうだ。と答えた。龍司は頭を捻りながら言った。
「一昨日会ったばかりなのに今日メンバー結成するってどういう話の展開でそうなるんスか?」
「ひなは一昨日店が閉店してからやって来て、いきなりバンドメンバーを紹介してほしいって言って来たんだよ。大阪でバンド組んでたけど、この街に引っ越す事になってバンドメンバーだけでも先に探しておきたいってな。それで俺に誰か紹介してもらえないかって。」
「それは…ひな先輩はトオルさんがサザンクロスのメンバーだって知ってたって事ですよね?」
「ああ。知ってたな。」
「そうだったんですね…トオルさんには失礼かもしれないんですけど、俺がこの街に引っ越して来るまで出会った人にサザンクロスのファンだって言ってもサザンクロスの事を知らない人がほとんどだったんですよ。でも、ひな先輩はサザンクロスの事を知ってた。同じ世代でサザンクロスを知ってた人と出会ったのはひな先輩が初めてでした。でも、俺がいろいろサザンクロスの事を聞こうとしても、そんなに詳しくはないからって言ってたのにな…」
拓也がそう言うと龍司は「つうかさ」と言って話し出した。
「両親が神奈川出身なんだろ?もし、両親がこの街の出身だったらサザンクロスを知ってるだろうし、その影響でサザンクロスの事知ったのかもな。その時は知ってた程度だったのかもしれねーが、この街に引っ越す事になって、それであいつなりに調べて間宮トオルを知って、この店に辿り着いたんじゃねーの?」
「あ。なるほど…」
「で、トオルさんは郷田と西野と赤木に連絡を入れて今日がその顔合わせだったんスね。」
「そうだ。」
龍司は前かがみになって聞いた。
「でも、どうして真希じゃなく赤木だったんスか?」
「フン。本当を言うと一番に俺の頭に浮かんだのは真希だったよ。でもな、今の真希はバンドを組みたいと思ってなさそうだし、それにお前らが真希を誘ってるのは知ってたからな。ひなはすぐにでもバンドを組みたそうだったし今すぐ集まれるメンバーをと思ってな…」
龍司は前かがみになっていた姿勢を後ろに仰け反らした。
「ふぅ〜。それで真希じゃなく赤木だったわけか…」
「まあ、ひなが求めるプロになれるメンバーは揃ったと思う。ああそうだ。あいつ、プロになれるメンバーを紹介してほしいって言って来てな。まあ、あのメンバーなら充分だろ。赤木も真希を除けば俺の中では一番のギタリストだ。」
「プロになれるメンバー、か…」
拓也はひなならバンドメンバーさえしっかりしていればプロになれると思った。
「で、あいつらバンドは結成したんスか?」
「ああ。演奏も聴いたけど、素晴らしかった。初めて会った奴らとは思えないくらい息が合ってた。」
ふ〜ん。と興味なさそうに言ってから龍司は拓也の方に向かって聞いた。
「あのひなって奴も歌上手いんだったよな?」
「ああ。俺が出会った中では間違いなく一番のボーカリストだよ。」
「お前らもゆっくりしていられないな。ひなが引っ越して来るまでにお前らはちゃんとバンド結成しておかないとな。」
「俺らは別にあいつらを意識する必要ないし。」
龍司がそう答えると間宮はニヤニヤとしながら、
「それはどうかな?龍司はひな以外の3人の演奏を知ってる。
拓也はひなの歌声を知ってる。お前ら2人とも大体の想像が付いてんだろ?」
拓也はひなの歌う姿を思い浮かべ、龍司は赤木達の演奏を思い浮かべる。
「来年からはあいつらこの街でバンドを始めるんだ。顔を合わす機会もあるだろう。あいつらをお前らが意識しないはずがない。お前らにとってのライバルが今日誕生したのかもしれないぞ。」
龍司はあまり真剣には聞いてないようで腕を付きながらコーラをひと口飲んだが拓也は真剣に間宮の話す言葉を聞いていた。
「そういえば拓也。ひなは名字が変わったって言ってたよな?という事は普通に考えれば母親に付いて行くって事になるが、前の名字はなんて名字だったんだ?」
間宮が拓也に質問したところで5人の客がブラーを訪れた。
「ブラーへようこそ。」
間宮は拓也が答えるのを待たずに客を迎え入れた。拓也も間宮の後に続いた。
「ブラーへようこそ。」
そして、拓也のすぐ後ろからも声がした。
「ブラーへようこそ。」
拓也は相川の存在を忘れていてその声に驚いた。相川は拓也達の話の内容に付いていけずに一人グラスを拭きながら、大人しく話の内容を聞いていたようだ。5人は一緒に入って来たが、1人はカウンターに座り残りの4人は奥のテーブル席に向かい2人づつに別れて席に座った。間宮がカウンター席に座った客に注文を聞き、相川はテーブル席に座った2組の元へと向かった。
間宮が拓也に、
「そろそろ田丸にステージに上がる様に言ってくれ。」
と指示を出した。拓也が楽屋に向かう途中もう一人客が入って来て間宮は、
「ブラーへようこそ。」
と告げた。拓也も歩きながら客の方を見て、ブラーへようこそ。と告げた。店に入って来たのは160センチもない三つ編みをした小柄な女の子だった。
(この子。確か結衣ちゃんとこの前一緒にブラーに入って来た子の一人だ。そういえばルナで寝てる時、夢の中で『この前結衣に連れてってもらったライブハウスに行こうと思って』と話声が聞こえて来ていたのはこの子の会話だったのか。話の内容はところどころ耳に入ってきてたけど、顔は見てなかったな…後で挨拶くらいはしておくか…)
三つ編みの少女は端整な目鼻立ちをしていて、前髪を真っすぐ揃えていた。その容姿は日本人形を想像させる。そして、今日も独特な服装をしているがやっぱりセンスが良いと拓也は思った。三つ編みの少女は一人でステージ前のテーブル席に座った。拓也は春人にライブを始めるように伝えてから間宮が用意した飲み物を相川と手分けして持って行った。
(今日のお客さんは6人…いや、龍司を入れれば7人か…春人の実力ならもっと入ってもおかしくないのにな…)
春人がウッドベースと一緒にステージに上がる。ステージの照明が暗くなりパチパチとまばらな拍手が鳴った。そして、春人は、
「田丸です。今夜はよろしくお願いします。」
とだけ言って歌い始めた。春人は曲が終わってもトークはしない。曲が終わったらまた次の曲を歌い出す。少しは春人の話を聞いてみたかったが、それは叶わずファーストステージが終わり春人は楽屋へと戻って行く。ライブが始まった時よりも大きな拍手が春人を送り出した。15分の休憩の間、明るくなった店内を拓也と相川はそれぞれ飲み物を聞きに行ったり飲み物の準備をしたりした。拓也がオレンジジュースを三つ編みをした子の元へと届けると、
「今晩わ。」
と少女の方から声を掛けて来てくれた。
「あっ。今晩わ。さっきルナにいましたよね?それにこの前結衣ちゃんと一緒にも来てくれてましたよね?」
「はい。結衣とは中学の同級生なんです。あ。一ノ瀬凛です。」
「橘拓也です。西高の2年です。」
「はい。結衣から話は聞いてます。カウンターに座られている方が神崎龍司さんですよね?」
「そうです。今日はどうして一人で?」
「……」
凛はその質問に何故かすぐには答えずに顔を下げた。
「…いろいろと…嫌だなって思う事があって…それで…。」
中学生の女の子の悩みにちゃんと答えられる自信がなかった拓也は凛が言ういろいろの内容は聞かずに、
「そっか。田丸のライブを見て少しでも気が楽になればいいね。」
とだけ告げた。凛は寂しそうな笑顔を作って、
「はい。」
と答えた。しかし、凛はすぐに首を傾げて、
「田丸ってなんですか?」
と質問をしてきた。
(この子は今日のライブがどんな人が演奏をしているのか確認もせずに店に入って来たのか…そらそうか。何があったのかは知らないが、この子は嫌な思いを忘れる為に今日ここに来ているのだからライブで誰が歌おうが本当はどうでもいいのだろう…)
「…ああ。今演奏してる人。ちなみに俺と同い年なんだけど、って、そんな事どうでもいいか…。」
「そっか…田丸さんか…良い曲ですよね。田丸さんが歌う曲。私好きだな。でも…田丸さんは悲しいって言ってる…」
「悲しい?」
「ええ。」
「どうして…そう思ったの?」
「思ったんじゃなくて伝わってきたんです。」
「伝わって?」
(この子は…なに言ってんだ??)
「そう…伝わりました。なに言ってるんだって思いますよね。でも私、自分で言うのもアレなんですけど。耳がいいんです。」
「え?耳?」
「CDとかではわかんないんですけど、生の音を聴けばその人の感情まで伝わってくるんです。」
「それ耳がいいとかじゃないんじゃ…。」
「ですよね。私もそう思ってるんですが師匠が…あ、先生がそれは耳がいいからだよって言うんで。」
「で、田丸の感情も伝わったと?」
「はい。悲しい。不安で恐い。そんな想いが伝わりました。」
凛と名乗ったこの子の表情はとても寂しげに拓也には映った。だから、悲しい。不安で恐いといった感情は全てこの子が今抱えている感情ではないのだろうかと思った。
「今日、来て良かったです。」
寂しそうにそう言った凛の姿を見て、拓也はふと昼に聞いた真希の言葉を思い出した。
(曲を聴いている人はそれぞれいろんな思いをもって聴いてるの)
聞いた時にはピンと来なかったその言葉の意味が今は少しわかったような気がした。
「ホントは中学生が一人でお店入れるのか不安だったんですけどね…」
「ここは大丈夫だよ。お酒さえ飲まなければね。」
拓也はにこりと笑ってからカウンターの中へと戻った。カウンターの中に戻ると、龍司は拓也が戻って来るのを待っていたようで、
「コーラのおかわりいいか?」
とドリンクのおかわりを注文した。すぐにコーラを龍司に出すと、龍司は前かがみになって、拓也に顔を近づけろと手招きして小声で話しかけてきた。
「助かったな。」
拓也は何をもって龍司が助かったなと言ったのかわからなかった。龍司と同じ様に小声になって拓也は質問をした。
「何が?」
尚も龍司は小声で話し続ける。
「さっきのトオルさんの話だよ。真希の夢は世界一のギタリストになる事だぞ。それをトオルさんが知ってたら、ひなって奴に紹介するギタリストは赤木じゃなく、真希だったはずだろ?」
そう言われてから拓也は龍司が言った助かったという言葉の意味を理解した。
「そ、そうか…ヤバかったな…でも、俺達が真希の事を誘ってるの知ってたから、トオルさんは真希を紹介する気は元々なかったんじゃないのか?」
「でも、一番に真希の事が頭に浮かんだってさっき言ってた。それに、もし真希の夢が世界一のギタリストになる事だって知ってたら、俺達みたいなバンドを結成する事が目的のバンドよりプロを目指すバンドの方を紹介すると思わないか?俺がトオルさんの立場ならそうすると思うんだよ。」
「…確かに……助かったな…」
「なにコソコソ話してんだ?」
間宮が横にいる事に気が付かなかった拓也はその声でビクッと驚いた。
「いや…別に…」
拓也はそう言って話題を変えた。
「そうだ。龍司。田丸の演奏はどうだ?」
「ああ。良いよ。一人でやってるのがもったいねぇとは思う。タクがバンドに誘いたいって気持ちもわかる。でも、一人の方があいつには似合ってるというか、しっくりくる感じはあるなぁ。」
龍司がそう答えると間宮が話に入ってきた。
「なんだ。拓也まだ田丸を誘ってないのか?」
「まだって、まだ田丸と会ったのは2回目なんで…」
(一応勧誘はしてみようと試みたけど…)
「そうだったったっけ?」
間宮は顔を傾けてから何かを思い出したように、そうだ||と言って、
「お前らこの後残れるか?」
と拓也と龍司に聞いた。
「はあ、残れますけど。」
「俺も大丈夫っスけど、何かあるんスか?」
「まあな。んじゃ、よろしくっ。」
「てかさ、トオルさん。俺、田丸の演奏を聴いてて思ったんだけど。田丸はひなって奴のバンドに紹介するつもりはあったんスか?」
龍司のその質問に拓也も同感だった。春人程の実力なら今回ひなに紹介していても不思議ではないと思った。しかし、間宮は、
「いいや。誘ってない。」
と答えた。そして、春人が楽屋から出てくる姿を確認して、間宮は店内の電気を暗くした。春人の登場に客席からは拍手が送られた。その拍手一つ一つにはとても力が込められているような気がした。
(今日のお客さんも春人の演奏に満足している証だな)
そして、春人が歌い出す姿を見ながら拓也は思った。
(どうしてトオルさんはひな先輩に春人を紹介しなかったのだろう?ただ単純に春人より今回紹介した西野って人の方が実力が上だと判断したのだろうか…?)
注文がなくなってやる事がなくなった拓也はカウンターの中から舞台がよく見える場所に移動した。そして、壁にもたれ掛かりながら春人の演奏が終わるまでずっと同じ姿勢のまま聴いていた。
曲の途中ふと凛の様子が気になった拓也は凛の方を見た。すると凛は両手を膝の上にのせてまるでピアノを弾くように指でリズムをとっていた。
(もしかするとこの子はピアノを習っているのかもしれないな。だとするとさっき言った先生というのは学校の先生の事だと思ってたけど、ピアノの先生の事だったのか)
14
今日最後の客凛が店を出ようとした時、拓也は凛に聞いた。
「もしかしてピアノ習ってる?」
凛は驚いた顔を見せて言った。
「え?はい。どうしてわかったんですか?」
「いや…田丸の曲を聴きながら指がピアノを弾くように動いてたから。」
「あっ。本当ですか?無意識に指が動いていたのかも…」
恥ずかしそうに答えてから彼女は本当に楽しそうな笑顔で、
「今日は最高でした。また来ますね。」
と言った。笑顔になって帰って行く凛の姿を見送って拓也も嬉しくなった。
(しかし…不思議な子だったな…)
ライブが終わってから春人は楽屋に籠ったまま出て来ない。片付けの最中間宮が相川にも、
「お前この後残れるか?」
と拓也と龍司に聞いたように同じ質問をしていた。
「はい。大丈夫っすよ。何かウマいもんでも食いに行くんすか?」
「いや、音楽の時間だ。」
間宮はそう言った後、拓也に聞いた。
「龍司はどこに行った?」
「片付けが終わるまで上で待機してるって言ってましたよ。」
龍司はライブが終わった直後、拓也に片付けが終わるまで上で待機していると告げた。おそらくこのまま残れば片付けをさせられると思ったのだろう。
案の定、間宮は、
「なんだよ。片付けくらい手伝えよな。」
と言っていた。片付けを早々に切り上げて間宮は言った。
「拓也。ステージに立て。龍司の代わりに念。お前がドラムを叩け。」
「あの…トオルさん。それって…」
「今晩は拓也の訓練を行う。」
(くんれんっ!?)
「えっ!?どうして?」
「お前の歌い方な…ありゃ、ヒドいわ…。勘違いするなよ。お前の歌声は評価してる。ただ、お前の歌い方は最悪だ。路上ライブでもあんな棒立ちで歌ってるかと思うとゾッとする。だから訓練。」
「えっ。それ俺関係ないじゃないっすか…」
相川が驚きながらそう言った。拓也自身も相川に付き合ってもらうのは悪いと思った。
「龍司誘ってから思ったんだけど、アイツ腕折れてたの忘れてたんだ…すまんが拓也に付き合ってやってくれ。」
「ま、まあ。別にいいんすけどね。」
拓也がステージに立ち相川がドラムセットに座った。そして、間宮が昼に真希が使ったフォークギターを持ってステージに上がった。ちょうどその時、龍司が2階から降りて来た。拓也達がステージに立つ姿を見て今から何をするのか把握した様子でステージの目の前の席に座った。
「あの…トオルさん?何を歌ったらいいんですか?」
「そうだな。声でいこうか?」
「声…歌ってもいいんですか?」
「なんだよ?お前昼も歌ってたろ?」
「まあ、そうなんですけど…本人の目の前で大切な歌を歌って良かったのかなって思ってて…」
「気にするな。ところで念。お前サザンクロス知ってるか?」
「この街に住んでてサザンクロスを知らない人いないっしょ。サザンクロスの声っすね?大ジョーブっす。演奏出来ます。」
今から演奏を始めようとした時、楽屋の扉が開きウッドベースを入れたケースを押す春人が姿を現した。春人はチラチラとステージの方を見ながら一礼をして店を出ようとした。しかし、帰ろうとする春人を龍司が止めた。
「今日のライブ最高だったよ。あんたもちょっと残って聴いてかねーか?」
春人は少し考えた様子だったが、
「いえ。俺はもう…」
と帰る事を告げようとしたのだが、ちょうどその時、間宮が拓也に話しかける声が春人の言葉を遮った。
「今日の昼。お前地声しか使わなかったよな?」
「えっ。あっ。はい。」
「今は色んな声を使って歌ってみろ。んじゃ、行くぞっ。」
「えっ!あっ。はい。」
*
歌が始まる前に結城春人は龍司に向かって、
「じゃあ、俺はこれで。」
とだけ告げてその場を立ち去ろうとした。しかし、そこで拓也の歌い出しの声を聴き動きを止めた。
拓也は女性の声で歌い始めた。春人は驚いてステージを見上げては右や左を見た。今声を出して歌っているのが本当に拓也なのか春人は信じられなかったからだ。だから他の誰かが別に歌っているのではないかと思い周りを確かめていた。その春人の様子を見て龍司が言った。
「歌ってんのは間違いなくタクだよ。あいつの歌声だ。」
「そんな…まさか…」
春人はステージに立つ拓也から目がそらせなくなった。途中で歌声が変わった。女性の声ではなく裏声といった感じだ。
(ウソだろ…声が変わった…路上ライブで何度か歌声は聴こえていた…だけど、こんな女性の声を出したり裏声は使ってはいなかった…ちゃんと彼らの路上ライブは聴いた事はないが、ここまでの才能があったなんて知らなかった…)
裏声で歌っていた拓也の声は今度は地声に近い歌い方になった。ずっと立ち止まったままその歌を聴いていた春人にまた龍司が声を掛けた。
「俺達路上ライブやってんだ。もし良かったら今度聴きに来てくれよ。」
「何度か見たよ。けど…塾に向かう途中だったから5分も聴いてなかった…ここまでの声の持ち主だったなんて思いもしなかったよ。」
「なんだ。何度か通りかかってたのか。今度ゆっくり聴きに来てくれよ。でも、まあ路上ライブでは地声に近い歌声…ああ。今のこの歌声でしか歌ってねーけどな。」
龍司はじっと拓也の方を見ながらそう言った。春人も拓也から目をそらさずに龍司と話している。
「そうなんだ…。」
「驚いたか?」
「ああ…めちゃくちゃ驚いてる…」
「もし良かったらなんだけど、俺達のバンドに入らないか?」
「えっ?」
春人は戸惑った。
「タクもあんたを誘おうと思ってる。」
「…知ってる…実はさっきもタクに誘われかけたから…光栄だよ…けど…」
「ああ。今すぐ返事をくれってわけじゃねー。ちょっと頭の隅にでも置いといてくれないか?」
「……ああ…わかった…」
「あっ。俺の名前は…」
「神崎龍司。」
「どうして俺の名前を?」
「エンジェルで毎年いろんなバンド呼んで一日中ライブやるイベントあるだろ?去年それを見にいってBAD BOYの演奏を見たんだ。」
「ああ。そうだったのか…そのライブって俺が暴れたライブ…だよな?」
「そう。いきなり乱闘騒ぎになってびっくりしたよ。でも、BAD BOYの演奏は凄く良かった。神崎君のドラムの凄さにも驚いたし、ヒメにも驚いた。」
「ヒメ?」
「いや、何でもない。まあ、神崎君の名前を知ったのは最近だけどね。」
「ん?まあ、いいや、神崎君じゃなくて龍司でいい。」
「わかった。龍司ね。俺の名前は結城春人。」
「ゆうきってどっかで聞いたような…」
「その腕とか目の治療をした病院の名前じゃないかな?」
「えっ?あっ!そーだ!結城総合病院!えっ。じゃあ…お前…」
「それうちの病院なんだ。病院でも神崎くん…龍司の姿を見かけた事あったんだ。」
「なんだよ。そーだったのか。てか、お前御曹司じゃねーかよ?」
「御曹司ではないけどね…」
龍司と話していると拓也の歌が終わった。一瞬にして静寂が訪れた。
「今の歌聴いてどう思った?」
間宮がなぜか春人の顔を見て質問をしていた。最初春人は間宮が自分に聞いて来た言葉ではないと思っていた。しかし、
「聞かれてるぞ。」
と龍司に言われて初めて間宮の言葉が自分に向けられたものだとわかった。
(どうして一番に俺に質問するんだ??)
「えっと…凄かったです…」
困惑しながら春人がそう答えると間宮は嬉しそうに拓也に向かつて、
「だってよ。」
と言った。拓也も嬉しそうに下を向いて笑ったが、次の間宮の言葉によってその笑顔はなくなった。
「歌声は確かにいい。でもな…その歌い方はどうにかならないか?
最初っから最後まで棒立ちって…見てる側からすりゃ、その動きのなさが気になってしょうがねーだろ?せっかくの歌声も台無しだ。次はもっとリズムに乗って歌ってみろよ。」
拓也は小さくはいと答えた。その様子を見て龍司が立ち上がった。
「俺も歌うよ。」
龍司はステージに上がりマイクを手に持った。春人はその様子をイスに座って見届ける事に決めた。
次の曲もサザンクロスの曲だった。
(この曲は確か…サザンクロスのOpen Your Eyes)
拓也と龍司は交互に歌う。龍司はリズムに乗り体を激しく動かしながら歌っていた。拓也もそれにつられる形で体が徐々にリズムを取り出した。その姿を見ていた春人も足でリズムに乗り始め春人は気が付けばウッドベースをケースから引きづり出して曲の途中からベースを弾いていた。自分でも無意識だった。ステージにも上がらず観客席からベースを弾いたのは初めてだった。曲が終わると龍司がステージの上から春人に向かって言った。
「そんなとこでベース弾いてないでステージに上がって来いよ。」
春人はウッドベースを抱えながら龍司が言うようにステージへと上がる。拓也も龍司も間宮も相川もみんな笑顔で春人を迎えた。演奏をしている間も全員が笑顔だった。
(ステージの上でこんなに笑顔で演奏したのは久しぶりだ。こんな気持ち…俺…忘れてたな…いつの間にか笑顔なんて忘れてて…ただ演奏だけしてた…)
*
深夜1時を迎えた頃。間宮の音楽の時間は終了を迎えた。橘拓也は路上ライブで歌うよりも今日のこの時間はその何倍も疲れを感じた。間宮に自分の歌を聴いてもらっているという精神的な疲れと間宮が演奏をしてくれているというプレッシャーとそれから普段はあまり動きのない拓也の歌い方が今はずっと体を動かして歌ったのとで体力的な疲れも合わさったからなのだろうと思った。間宮は疲れ果てた顔をしている拓也を気にしながら全員に聞いた。
「今更なんだけど、お前ら明日学校は大丈夫か?」
「よゆー。よゆー。」
と龍司が答えると、間宮は、
「ラーメン食うか?」
と言った。
「食う。食う。」
「ラーメン食いてぇと思ってた。」
「腹減った〜。」
「今食べるラーメンは最高だろうな。」
4人はそれぞれそう答えた。拓也はてっきりどこかの店に行くものだと思っていたが、その考えは外れた。間宮は自分を含めた5人分のインスタントのラーメンを作り始めて4人をカウンター席に座らせた。そして、ラーメンをカウンターに出しながら間宮は拓也に言った。
「拓也。毎週日曜ライブ後にここで歌っていけ。」
「え?いいんですか?」
「ああ。日曜の晩だけだけどな。それでもいいのなら。」
「やったー。助かります。なあ?龍司。」
「ああ。ホントいいんスか?」
「ああ。構わんよ。俺もギタリストが入るまではギターを弾いてやるから。」
「是非。ぜひぜひ。お願いします。」
「龍司も腕が治ったらドラム叩いてやれよ。」
龍司は不器用に左手でお箸を持ち暑そうにラーメンを食べながら答えた。
「もちろんスよ。トオルさんがギターで参加してくれるなんて最高っスよ。腕が治るまでは俺もボーカルで参加します。」
「じゃあ、しばらくドラムは俺だな。」
「いいのか念?俺や龍司はバンド組んだからここで練習させてもらうのは助かるけど、念は別に付き合ってくれなくても大丈夫だぞ。」
「なんだよ。俺ばっかのけ者にしようとすんなよっ。リュージの腕が治るまでは俺にドラム叩かせろ。」
「本当にいいのか?」
「いいんだよ。俺がやりたいんだから橘は気にすんな。」
「助かるよ。」
「ハル。お前はどうする?お前も毎週来るか?」
龍司が春人にそう聞いた。春人はハルと突然あだ名を付けられてびっくりしていたが少し笑ってから答えた。
「いや、俺は今日だけにしとくよ。」
「そっか。あわよくばこのままメンバーに入れてやろうと思ったんだけどな…」
龍司はそう言って笑った。
「ハルって?春人のあだ名?」
拓也が疑問に思って龍司に質問した。
「そう。タクも念もハルって呼んでやれよ。」
龍司は拓也にタクというあだ名を付けた様に春人にもハルというあだ名を付けた。
「あ。おれ、相川念。よろしくな。」
端の席に座る相川が横に座る春人に手を伸ばして握手を求めた。それに応えた春人は手を握りながら言った。
「俺は結城春人。さっきタクから名前は聞いてたよ。」
「結城?田丸じゃねーの?」
「ああ。うん。ライブをする時は田丸って名前で活動してる。」
「念。そんな事聞かなくても俺の話し聞いててわからなかったのか?」
「わかんねーし。てか、結城春人で別に良くね?」
「まあ、そうなんだけどね。なんとなく…」
端同士に座る龍司と念が前かがみになって話し始めた。
「てか、お前ら自己紹介もせずに一緒に演奏してたのかよ。」
「音楽は自己紹介を越えるんだよ。」
「いや、越えねーだろ。」
「越えるんだよっ!」
「てか、端同士で言い合いすんの止めてくれよ。」
拓也がそう言って2人のやり取りが激しくなる前に止めた。その様子を春人は楽しそうに見ていた。
「音楽は自己紹介を越えてたよな?田丸。」
念はハルと呼ばずに春人の事を田丸と呼んだ。念の中で春人のあだ名は田丸になったようだ。くだらない話を続ける相川から間宮の方へ拓也が視線を移すとカウンターの中でラーメンをふうふうと必要以上に麺を冷ましている間宮がいた。その姿を見ながら拓也はつい笑ってしまった。笑う拓也に気付いた間宮は、
「な〜に人の顔を見て笑ってんだよ?」
と聞いてきた。拓也は笑いながら答えた。
「トオルさんは猫舌だなって思って。見た目はクールなのに似合わないなーって…」
「悪かったな。」
「そうだ!タク。一つ提案があるんだけどさ。一曲俺らの曲作らねーか?」
急に龍司がそう言った。拓也は驚いて龍司に聞き返した。
「俺らの曲?」
「ああ。その為にタク作詞してくれよ。曲は俺が作るからさ。」
「いいねー。いいねー。」
と間宮がニヤニヤとしながら言った。
「面白そうだな。やってみるよ。」
「よし!そうこなくっちゃな。それとお前の5つある声を全部使う曲にしたいと思ってるからそれを意識して作詞してくれ。」
「路上ライブで披露するんだよな?今まで歌い方は地声の歌声だけだったのにいいのか?」
「ああ。その曲は真希が路上ライブ聴きに来た時に披露するつもりだ。」
「じゃあ、近いうちに聴きに来てくれるかもしれないから急がないとな。」
「ああ頼む。」
相川が拓也と龍司に言った。
「それ楽しそうだな。俺も作詞手伝おうか?」
「二人の曲を作るって言ってるのに念が参加したらダメだろっ。」
間宮がそう言うと相川は関係のない春人に向かって言った。
「コイツらいつもこーなの。こうやっていつも俺は除け者にするんだぜ。ヒドいだろ〜。」
春人は面白そうに笑っていた。それにつられて拓也も龍司も間宮も笑っていた。
*
拓也達4人が店を出て行ってから間宮トオルは店に飾られた写真立てを手に取って、その中の写真を見つめた。写真を見つめながら間宮は写真に写っている2人のその後を思い出していた。
あれは高校2年の4月も後半の頃だったか…吉田のバイトしているライブハウスで間宮が組んでいたバンドはライブをする事になった。1つ年上の吉田に自分の演奏を見てもらうのはこの日が初めてだったからとても緊張していた事を今でも思い出す。だがこの日、間宮のバンドのベーシストが現れなかった。ライブは中止になるかと思った矢先、吉田がベースを弾いてやると名乗り出てくれた。急遽バイト中の吉田をベーシストとして迎えたその日のライブは大層盛り上がった。それがきっかけでそのまま吉田は間宮のバンドのベーシストとして加入する事となった。
そういえば…確かこの時、ひかりがライブを見に来ていた。そして、吉田が俺のバンドに参加した記念すべき瞬間を写真におさめたって言ってたっけ…
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今、想う
4月27日
今晩は楽しみにしていたライブが柴咲駅近くのライブハウスである。
この前ゆいちゃんに誘われたライブで金髪の人のバンドが演奏するようだ。
楽しみな気持ちとは裏腹にこの日は朝から体の調子が優れなかった。
胸が苦しかった…
薬を飲んで落ち着いた。
ライブには行けそうだ。だけど、先に病院の診察に行くことを決めた。
家の近くに大きな病院があるのは助かる。
結城総合病院。
ここの院長先生には小さな頃からお世話になっている。
この日は診察をしてもらっていつものお薬をもらった。
それから急いで、ゆいちゃんから教えてもらったライブハウスに向かった。
少しだけ到着が遅れてしまった。
ライブハウスに入るのは人生で初めて。とても緊張した。
店に入るとすぐにゆいちゃんが私を呼んだ。
ここのライブハウスで西高の赤髪の人はバイトをしていた。
赤髪の人は金髪の彼とは同じバンドではないのだとこの時知った。
今日もしかしたら赤髪の彼のライブが見れるかもって期待してたんだけどな…
だけど…そっかここに来ればこの人に会えるんだって思った。
けど、一人じゃ入りにくいかな…私にそんな勇気はない…
でも…いつか…常連になるくらいこのお店に入ってやろうとも思っている。ささやかな私の野望だ。
ライブが始まった。
金髪の人のバンドは素人の私が聴いても、とても良いものだとは感じなかった。ゆいちゃんが「こんなバンドじゃなかったんだけどね…」と残念そうに言った顔が忘れられない。
だけど、休憩を挟んでからのセカンドステージは凄かった。
なぜか店員さんだったはずの赤髪の彼がステージの上に立った。
それからは体がゾクゾクとしっぱなしで、今目の前で何が起こっているのかさえわからないまま彼らの歌を聴いていた。気が付けば私は精一杯の拍手を彼らに送っていた。
パシャリ。拍手を終えた後、私は赤髪の彼と金髪の彼をファインダーの中におさめた。
そして、私は心の中で彼らに対しておめでとう。と、言っていた。
どうしてだと思う?
それはね。赤髪の彼と金髪の彼はこの日バンドを結成したからなの。
私は彼らのバンド結成をする瞬間を見れた事が本当に嬉しかった。
この日、この場所、このタイミングで私がいた事には必ず意味がある。
私は何故かそう思うの。
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