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The Voice  作者: 幸-sachi-
The Voice‬ vol.1
7/59

間奏曲 2 ーEPISODE BAD BOYー


1年前

2013年3月31日(日)


「おっす。眠そうだな龍司。」

赤木は龍司の眠たそうな顔を見て笑顔で集合場所の柴咲駅のバスロータリーまで歩いて来た。

「眠いっスよ…まだ8時っスよ…。てか赤木さん集合時間遅れてるし…」

「わりぃ。わりぃ。てか、西澤は?まさかアイツ遅刻じゃねーだろうな。」

「なんかタクシー待たせてるみたいなんスけど、どのタクシーかわからなくって今止まってるタクシー全部に話しかけてます。」

「タクシー?」

「あっ。戻って来た。」

「おー。来たか赤木。タクシーわかったぞ。あっちに止まってる車だった。」

「西澤?タクシーって?俺バスと思ってたんだけど。」

「店側が用意してくれてるんだ。」

ひゅ〜と赤木は口笛を吹いた。

「てか、先輩方。俺場所わからないんスけど、エンジェルって店どこら辺にあるんスか?」

赤木は驚いた顔をして龍司に言った。

「お前マジかよ…まさかあの有名なエンジェル知らねーの?」

「知らないっス…」

赤木はまたひゅ〜と口笛を吹いた。

「場所は高級住宅街の栄女とかの近くだよ。とりあえず話はタクシーに乗ってからにしよう。」

そう言って西澤は待たせているタクシーの方へと2人を連れて行った。

「てか、真希は?」

「なんだよ龍司。あいつなら先に店に行ってるって昨日のリハで言ってたろ?」

「そうだっけ?」

赤木と西澤はタクシーのトランクにギターとベースをそれぞれ入れて3人はタクシーに乗り込んだ。西澤が助手席に座り龍司と赤木は後部座席に座った。

「お客さん達こんな時間になってしまって大丈夫かい?」

タクシーの運転手はそんな事を言ったので龍司と赤木は顔を合わせて首を捻った。赤木が前に座る西澤を呼ぶために助手席のイスをこんこんと叩いた。

「待ち合わせ時間って8時だったよな?」

「8時だよ…」

「なんだ。運転手さんが変な質問したから俺達時間間違ったと思ったよ。」

西澤は後ろを振り返って赤木を睨んだ。

「8時集合は店にだよ。」

「マジかよっ!?」

「マジっスか?」

「お前らやっぱりバスのロータリーに8時と思ってたのか?ちゃんと昨日真希が8時にエンジェル集合って言ってたろ?だから俺7時半には落ち合おうって言ったよな?」

「お前そんな事言ってた?」

「俺バスのロータリーに8時としか聞いてなかった…」

「お前らちゃんと人の話を聞けよなっ!」

「できるだけ急いであげるから。」

「すみません。30分も待たせてしまったのに。」

西澤が運転手に礼をするのを見て後部座席に座る龍司と赤木も頭を下げた。

「いいよ。いいよ。そんなの。それより君ら今日のエンジェルのイベントに参加するんだよね?」

「はい。そうです。」

「このイベントでオーナーの目に留まれば店にまた呼ばれて演奏できるらしいから頑張ってね。」

「そーなんスか?てか、俺なにも知らないんスけど、その店って有名なんスか?」

バックミラー越しに運転手の驚いた表情が龍司に映った。

「金髪君…君はエンジェル知らないの?あそこは有名なライブハウスだよ。よく大物とかライブしてるし、ここら辺じゃ間違いなく一番のライブハウスだよ。バンドマンなら誰でも知ってると思ってたんだけどな…」

西澤がまた振り返り龍司を睨みながら言った。

「それ俺が昨日説明しただろ?」

「そうでした?赤木先輩覚えてます?」

「説明してた。それは俺も覚えてる。」

「じゃあ、忘れてるついでに教えてほしいんスけど…今日のイベントってなんなんスか?」

西澤は額に手を当てて呆れ返っていた。西澤の代わりにタクシーの運転手が説明をした。

「1年に一度エンジェルでは全く無名のバンドからプロとして活躍するバンドまでいろんなバンドを呼んで朝から晩までライブをするというイベントを行っているんだよ。でも、凄いよ君たち。その店に呼ばれるなんて。」

「でもイベントだしな〜。」

赤木がそう言うと運転手は大げさに手を振って言った。

「いやいや。イベントとはいえあの店に呼ばれるなんて大したもんだよ。普通は呼ばれないから。しかも、君たち若そうだね。高校生バンドかい?」

その問いに西澤が答えた。

「はい。あ。でも後ろの金髪は今年1年になるんでまだ入学前ですけどね。」

「そりゃ凄いね。高校入学前からエンジェルでライブとは!しかし、君たちよっぽどの腕があるんだね。」

「そんな事ないです。それに高校生バンドは数組呼ばれてるみたいだし。」

「数組だけだろ?その中に入ってるんだからやっぱり大したもんだよ。それにこのタクシーだって店側がお金払ってるんだよ。そんな事してもらえるなんて店も認めてるって事だよ。謙遜なんかせずに胸張ればいいだよ。若いんだからさ。」

タクシーの運転手は龍司達が実力でこのイベントに参加できていると思っているようだが実際は違う。エンジェルのオーナーは真希の父親と知り合いらしく、真希がバンド活動をしていると知ったオーナーが今回このイベントに呼んでくれたのだ。だから、実力でイベントに参加出来ているわけではない。このタクシーを用意してくれたのも知り合いの娘のバンドメンバーが高校生と中学生という事で交通費を出させるのは悪いと思ったエンジェルのオーナーの配慮だった。赤木も西澤も龍司と同じ事を考えていて気まずくなったのかそれからは急に運転手とは何も話さなくなった。龍司は流れる景色を見ながらボソッと言った。

「今頃真希はカンカンなんだろ〜な…」



待ち合わせ時間の8時を30分過ぎた頃タクシーは店の前に到着した。店の入口には腕を組み仁王立ちで立つ真希の姿があった。その姿を確認した西澤はタクシーの運転手に告げた。

「ありがとう。おじさん。あの人が立ってる辺りに止めてもらえますか?」

「コワイ顔して待ってるあの美少年もメンバーの一人かい?」

美少年という言葉に龍司も赤木もクスクスと笑った。西澤は笑いをこらえて運転手の問いに答えた。

「いえ。あっ。はい。メンバーの一人です。でも、あいつは女です。」

運転手が真希の事を男だと勘違いするのも無理がないと龍司は思った。制服を着ていてもショートカットという髪型のせいかボーイッシュな感じが出ているのに今日の服装は黒で統一されていて8分丈のカプリパンツを履いていた為、同じバンドメンバーですら遠目から見ると男または少年と見間違える程だった。真希は制服の時はミニスカートだがそれ以外はいつもズボンを履いている。龍司が真希と出会ってから彼女が普段着でスカートを履いている姿を未だに見た事がない。運転手は前屈みになって確認してから言った。

「ああ。本当だね。こりゃ失礼。女の子だったとは…しかし、ホント恐い顔して待ってるね〜。」

3人は急いでタクシーを降りた。龍司は真っ先に真希の元へと走り出したが赤木と西澤はタクシーのトランクから楽器を取り出す分少し遅れて真希の元へと駆けつけた。3人は腕を組みし仁王立ちする真希の前に横一列に並んだ。

「おっそい!遅すぎるっ!昨日私ちゃんと8時にエンジェルで待ち合わせって言ったよね?」

「すまねー真希。俺勘違いして8時に駅のバスターミナルと思っててさ…」

「龍司?私言ったよね?8時にエンジェルで待ち合わせって。言ったよね?」

「だから…俺…間違ってよ…」

「龍司!私の質問に答えなさい!私は8時に…」

「エンジェルで待ち合わせって言いましたっ!すみませんっ!すみませんっ!」

(覚えてねーけど…)

「3人とも間違えてたわけ?」

そこで西澤が一歩前に出て言った。

「俺はちゃんと覚えてました。でも、こいつら8時になるまで来なくて…赤木なんかは8時過ぎてから来ました。」

「おい。西澤…」

赤木が西澤に何か言おうとしたのを真希は遮る形で言った。

「西澤さん。赤木さんも龍司もバカなんだから何度も8時にエンジェルだって事伝えた?コイツらバカなんだからもちろん何度も伝えたんだよね?」

(バ、バカッて…)

「伝えてません…すみません…」

「じゃあ、同罪ね。あんたたち腕立て100回ね。はい。始め。」

「マジかよ…」

「増やすよ?」

「りゅ、龍司…始めるぞ…」

赤木がそう言って3人はその場で腕立てを始めた。何人かの人が腕立てをする姿を見てクスクスと笑いながら通り過ぎて行った。3人が100回腕立て伏せをやり終えた頃やっと真希は機嫌を直した。そして、エンジェルの店内へと入って行く真希に3人は付いて行った。店内はとても広く豪華な装飾だった。龍司は呆気にとられ店に入ってから口が開いたまんまだった。真希は先頭を歩きながら言った。

「奥に合同の楽屋があるから。とりあえずそこに行きましょ。」

「なんでだよ?」

「私のギターを楽屋に置いてるからよ。」

「なんで置いて来てんだよっ。持っとけよ。」

「最初は持ってたわよ。でもあんた達がなかなか来ないから一度楽屋にギターを置いたのよ。なんか文句ある?」

「…ないです。」

赤木は真希の横に並び質問をした。

「プロも来てんのか?」

「プロは夜になってからみたいね。この朝の部は私達みたいに若手ばかりみたいよ。演奏が終わったらとっとと帰る支度して店出るからね。みんなライブ見たかったらお金払って見てね。」

「え〜。他のバンド見れないわけ?」

龍司が大きな声を出して言うと真希は龍司の頭を叩き大声を出した。

「大声出すなっ!」

「いてー。」

(…ったくっ!お前の方がデカい声出してんだろ…)

「見れるのは自分達の前に演奏するバンドくらいかもね。」

西澤は龍司のように真希に暴力を振るわれるのを恐れて極力声を抑えて質問をした。

「8時に店に来て何をやってたんだ?」

「今言ったような説明をされただけよ。他には次々とバンドが出演するから演奏時間は制限時間内でよろしくとか待っている間は大きな声は控えるようにとかそんな事。」

「なら、真希一人で充分だったよな?」

そう言った龍司の頭を真希はまた叩いた。

「いってー。」

「他のバンドはみんな全員揃って説明を受けてたのよ!なのになんでうちのバンドだけ私一人だったわけ?ホント信じられないっ!」

「すっ…スミマセンでした…」

真希は立ち止まり人がごった返している部屋を指差して言った。

「あの部屋が楽屋ね。じゃあ、私は楽器取りに行って来るね。あんた達はここでちょっと待ってて。」

龍司達3人は真希が楽屋から出て来るのを待っていると、うっすらとライブの演奏が聴こえてくる。

今演奏されているライブがリアルタイムで楽屋の壁に掛けられたテレビ画面に映し出されている。

(しかし、こんなに人が多いのにこんだけ静かなのって異様な感じがすんな…)

龍司達の前を通り抜けるバンドマン達のひそひそ声が聞こえた。

「凄い人だよな。」

「人が多すぎて楽屋入れないの。」

「マジかよ?」

「楽屋の意味ないよね。」

「楽器は楽屋に置いて外で待機でもしてようか。」

ギターケースを持った真希が楽屋から出て来た。真希は何も言わずに自分のギターケースを龍司に渡した。龍司は何も言わずに真希のギターを預かった。龍司達3人は真希の後に付いて行き店の入口へと来た道を引き返す。赤木が何か真希に質問をしたのだが余りにも小さな声すぎて龍司にも西澤にも何を質問したのか聞き取れなかった。

「赤木さん今なんか言った?全然聞き取れなかったからもう一度大きな声で言って。」

赤木はごほんっと咳払いをしてからもう一度同じ質問をした。

「俺達の出番は何時からなんだ?」

赤木は自分で思っているより大きな声を出してしまっていた。

「うるさいっ!」

真希は大声を出してから何故かまた龍司の頭を叩いた。

「いってーー。なんで俺をシバくんだよ…今のは俺関係ねーだろ…」

「赤木さんそんな大声出さなくても聞こえてるわよ。店のスタッフの人みんなこっち見てるじゃない!」

(俺は無視かよ…)

「あ、ああ…大きな声出して悪かった…」

「私達の出番は11時30分。午前の部の最後よ。」

「なんでそんなにおっせーんだよっ!」

と龍司が大声を出した時にはもう真希の拳は龍司の頭を叩いていた。

「イテーーーーッ!」

「うっさいって何回言わせんのっ!シバくわよっ!」

「お前もうシバいてんだろーがっ!もう4度目だぞっ!いてぇなっ!」

「だから?」

「くっそー!てか、まだ8時過ぎだぞっ!なんでそんなに待たなきゃいけねーんだよ!」

西澤が龍司の耳元で囁いた。

「落ち着け龍司。もうあまり真希を怒らせるな。」

(くっそーー)

「出番は11時30分。私があんたらを信用出来なかったから最後にしてほしいって頭を下げたの。

なんか文句ある?」

3人は揃って「ありません。」と答えた。

「よろしい。他に質問は?」

西澤が手を挙げると真希は西澤を指差して、はい。と言った。

「演奏時間はどのくらいなんだ?」

「演奏時間は15分間。時間厳守ね。」

「15分の為に俺達3時間以上も待つのかよ…」

龍司がそう言うと今日5度目のパンチが龍司の頭を襲った。

4人が店の入口に辿り着くと真希は言った。

「ここら辺オシャレなカフェが多いのよね。みなさん奢って下さるわよね?」

「え?」

「え?」

「え?」

3人は揃って真希に聞き返した。真希は目つきを鋭くして言った。

「誰のせいで11時30分になったと思ってんの?まだ8時過ぎよ!あと3時間以上もあるのよ。本当ならもう演奏する時間だったけどね!」

「すみません。」

「すみません。」

「すみません。」

「どっかで時間潰すしかないでしょ?」

「はい。」

「はい。」

「はい。」



4人はエンジェルを出てすぐ近くにあるいかにも女性が好きそうなオシャレなカフェに入った。店内に入ると案の定、女性客ばかりで龍司達男3人には居心地のいい場所だとは言えなかった。だが、これも真希の機嫌を少しでも直してもらう為だと3人はそれぞれ自分に言い聞かせていた。店のメニューを見て龍司は驚いた。

(マジかよ…食べ物だけで1000円越えかよ…飲み物類はもうぼったくりだな…)

「ここは男3人で割り勘な。」

赤木の言う事に龍司も西澤も反論はしなかった。朝食を食べ終わると龍司が言った。

「値段の割に食い物も飲み物もイマイチだったな。」

その言葉に西澤は、

「おい。」

と龍司に慌てて注意をした。朝食を食べて気が緩んでしまっていた龍司は恐る恐る目の前に座る真希の顔を見ると鬼の形相で龍司を睨みつけていた。

(な、なんでお前まだ怒ってんだよ…もういいだろ…お前この店で金出さねーだろ…)

「あっ…でも、あれだな…み、見た目がよかったよな…」

赤木が龍司をフォローするようにそう言うと真希はふぅーと息をして龍司から目をそらした。

(これ以上真希の機嫌を損ねるのは俺の命に関わる…言葉には気を付けなきゃな…)

龍司は少しでも真希の怒りを忘れさせようと違う話題をふった。

「ところでさ。今日の店のオーナーって真希の親父の知り合いなんだろ?」

「そうよ。」

「お前がバンド組んだって親父さんから聞いたのかな?」

「そうみたいね…」

真希が愛想なくそう答えたのは真希と父親はうまくいっていないからだ。



真希の両親は二人とも音楽家という事で真希が小さな頃からバイオリンとサックスを習わせていた。いつか父の様にオーケストラに入りバイオリンを弾いてもらう為に。いつか母の様にジャズのサックスプレイヤーになってもらう為に。

両親は真希が将来自分達の様にバイオリンかサックスのどちらかの道を歩んでもらいたいという思いで小さな頃から真希に英才教育を施していた。しかし、真希が興味を持ったのはギターでロックだった。小学生の真希がギターをやりたいと言った時、父親は猛反対をした。真希の父親はロックというジャンルを聴いた事がない人でロックに対して野蛮な音楽という考えしか持っていなかった。真希は母親の弟である叔父から父に内緒でずっとギターを習っていた。

しかし、真希が中学生になった時、叔父からギターを習っていた事が父親にバレてしまった。その事で真希と父親は大げんかをした。ギターを辞めさせたい父親とギターを辞めたくない真希。家に帰るといつもその事で言い争う事に疲れた真希は中学2年に上がるのをきっかけに一つの決断をした。それは両親の住む家を出て祖母の家に住むという決断だった。その時真希は両親とは二度と一緒に暮らさない事を宣言した。そして、真希はもう一つ決意した事があった。バイオリンやサックスはもう二度と演奏しないと。



「でも、あれだな…真希がバンドを始めたって知った時親父さんどんな感じだったのかな?」

「さあ?はらわた煮えくり返ってたんじゃない?」

「でも、店のオーナーには真希がバンドを組んでる事話してるんだから応援してんじゃねーの?今日のイベントも親父さんが頼み込んでくれてたりして。」

「まさか。ありえないわ。」

「親父さん何か言ってなかったのか?」

「時々様子を見におばあちゃん家に来るけど私無視してるし。何か話したところで二言目にはさっさとギターを辞めてバイオリンの練習を再開させろだから。」

「…お前本当にそれでいいのか?せっかく小さな頃からずっとバイオリンとサックスやってきたんだろ?辞めちまうのはもったいねーじゃん。」

「なに言ってんの龍司。あんたが私を誘ったんでしょ。それに昔っからバイオリンとサックスの練習は苦痛だったのよ。全然楽しくなんかなかったし。辞めれてせいせいしてんの。」

「でも、バイオリンとかってさ練習辞めたら取り戻すのに倍以上の時間がかかるんだよな?」

西澤の質問に龍司は、「マジっスか?」と驚いたが真希はきっぱりと言った。

「私取り戻す気なんてさらさらないから。」

「真希。俺達のバンドでバイオリンとサックスやってくれよ。」

「赤木さん。それ西澤さんからも言われた事あったけど、私やらないから。」

「てか、質問なんだけどさ。俺一度学校で真希がバイオリン弾いてる姿見た事あるんだけど。真希は左利きじゃん。なのにバイオリン弾く時ってなんで右手で弾いてるわけ?」

「龍司そんな事も知らないのかよ。」

と赤木が言った。

「左利き用のバイオリンなんて存在しないんだよな?」

「そんな事ないよ。左利き用のバイオリンに改造すればいいの。」

「だってさ。赤木先輩。改造すればいいんだと。」

龍司が揚げ足を取ると赤木はチッと龍司に舌打ちをした。

「でも、高級な楽器だからそこにお金をかけられないよね。子供の頃からバイオリンを弾いてる人は成長するに従ってバイオリンを買い替えなきゃいけないし。いちいち左利き用にしてたらお金がいくらあっても足りないよ。それにクラシックで左利き用のバイオリンを弾いている人はまずいないわ。みんな同じように楽器を構えないといけないからね。一人だけ左利き用だとみんなと逆の構えになるから。」

「お前。ギターは左利きでバイオリンとサックスは右利きって事だもんな。俺だったら頭ぐちゃくぐちゃになりそうだけどな。」

「龍司はバカだからね。それより飲み物ないよね?まだまだ時間あるしみんなおかわりしよっか。」

「おいおいおいおい。お前が決めんなよ。金出すの俺達なんだぞ。」

龍司の目の前にはまた鬼の形相をした真希の姿があった。

「誰のせいでまだまだ時間ある事になってんのよ。」

真希は店員を呼んだ。

(本気でおかわりすんのかよ…)

龍司達も仕方なしに各々飲み物を注文した。



「ごちそうさまでしたー。」

店を出た真希は笑顔で3人に礼を述べた。

(2杯もおかわりしやがって…俺達はおかわり1杯で我慢したってのに遠慮なしだな…)

「あのー。お客様。お忘れ物です。」

とカフェの店員がギターを持って店から出て来た。

「あ、わりぃ。忘れてた。」

そう言った瞬間今日6度目となる真希の拳が龍司の頭を襲った。

「ぐぇー。なんなんだよ。さっきまで笑顔でお礼言ってたくせにっ!」

「あ、わりぃ。じゃないでしょ?まずはちゃんと店員さんにお礼を言いなさい。」

「ありがとうございました…」

店員は笑顔で店に戻って行った。それを見届けてから真希は言う。

「で、それなんで忘れてるわけ?そのギター私のよ。」

「知ってるよ…だから…」

と龍司は言ってから言葉を止めた。また鬼の形相をしている真希の顔が目に入ったからだ。

「だから?」

「いや、悪かった。うっかりしてたんだ。すまん。」

「気をつけてよね。それ高かったんだから。」

「はい。すみません…」

(こえ〜よ。俺のギターじゃねーから忘れたんだなんて言ったらまたコイツ俺の事殴ってたんだろうな…)

龍司達BAD BOY一行は出演時間1時間前にはエンジェルに戻った。4人が楽屋に入るとさっきまで人でごった返していたとは思えない程人の姿は少なかった。その様子を見て西澤が言った。

「10時30分か。今演奏をしているバンドを除けばあと3組しか楽屋にいないって事か。」

「みんなあと1時間よ。すみっこの方のイスに座って大人しく待ちましょ。」

「ああ。」

4人は空いている席に座り真希と龍司はスマホを取り出し、西澤は本を読み出した。赤木は目をつむり眠り出した。3組残っているうちの1組のバンドがじっとこちらを睨みつけている。男性4人組のバンドで一人はとてもガタイが良く、一人は髪を緑色っぽく髪を染めていてスマートな体格だが服を着ていても体を鍛えているのがわかる。一人はクールそうな男でもう一人はいかにも気の弱そうな男だ。龍司達を睨みつけているのはガタイの良い男と緑色の髪の男の2人だ。龍司達BAD BOYと彼ら4人組のバンドは楽屋の端と端に座っている。龍司は彼らの視線を感じ取りその2人を睨み返す。2人は何かこそこそと話している。気の弱そうな男はずっと俯いているが、ガタイの良い男と緑色の髪の男の2人が立ち上がり龍司達の近くの席に移動して来た。その行動を龍司は視線を外さずにじっと睨みつけていた。2人は龍司達がいるすぐ近くのイスに腰を下ろしわざと龍司達に会話が聞こえるように声を大きくして話し出した。

「せっかく俺達がトリだったのによ。遅刻だかなんだかでトリを狙って来るバンドがいるとは思わなかったぜ。」

ガタイの良い男がそう言い龍司はその男を睨みつけた。

「仕方ねーよ。実力のないバンド程そういう姑息な手段使ってくるんだからよ。」

緑色の髪の男がそう言った。龍司は今にも襲いかかりそうになっている。真希はスマホの画面を見ながら龍司に言った。

「相手にしないで。」

ガタイの良い男は真希の声を聞き真希の方を見ながら話す。

「俺らのバンドがトリだって音楽事務所の人に言っちまってんだよなー。もし間違われて実力のないバンドだって思われたらどうすんだよ。せっかくプロ契約できそうなのによ。もう少しで夢が叶いそうなのによ。」

本を読んでいた西澤も彼らが自分達に言っている言葉なのだと気が付き龍司と真希の方を交互に見た。

「そういう事でさ。俺達が最後に演奏すっから順番変わってくれや。」

ガタイの良い男が今度は龍司達に直接話しかけて来た。真希はスマホを見るのをやめて立ち上がった。それを制するようにさっきまで目を閉じ眠っていたはずの赤木が急に立ち上がった。

「断る。」

真希はその言葉に驚いて赤木を見た。ガタイの良い男は赤木を睨みつけながら言った。

「なんだと?」

西澤も立ち上がり急いで赤木の目の前に移動した。

「赤木お前なに言ってんだ?順番なんてどーでもいいだろ?変わってやろう。」

「俺らは実力のないバンドじゃねぇ。その言葉を訂正したら順番変わってやるよ。どうだ?デカいの。今すぐ謝れよ。」

ガタイの良い男と緑色の髪の男も立ち上がった。龍司も立ち上がり2人の前に立ちはだかった。真希は赤木に向かって叫んだ。

「赤木さんなに言ってんの!あんた達が遅刻したせいでこの人達に迷惑かける事になったんでしょ!」

真希はガタイの良い男と緑色の髪の男に言った。

「私達は姑息なマネををして演奏順を変えたんじゃないんです。音楽事務所の人達が見に来てるなんて事も知りませんでした。こいつらホントバカだから遅刻して来ただけなんです。プロ契約がかかった大事なライブだったなんて知らなかったんです。トリはあなた達がするべきです。私達は順番変わりますので。許して下さい。」

真希は深々と頭を下げた。

「当然だ。わかればいいんだよ。」

2人は立ち去ろうと歩き出したが、赤木が「ちょっと待て。」と言って2人を呼び止めた。

「訂正しろよ。俺達は実力のないバンドじゃないと。」

ガタイの良い男が歩き出そうとしたのをやめて少し振り向いて言った。

「はいはい。わかったよ。けど、訂正するのはお前らの演奏を聴いてからにさせてもらう。」

ガタイの良い男と緑色の髪の男の2人が去ってから真希は赤木と龍司を交互に睨みながら言った。

「今日二度目だからね。あんた達の為に頭下げるの。」

「ケンカ売ってきたのはアイツらだ。順番くらいでいちいち文句言ってきてんじゃねーよ。」

「龍司。順番なんてどうでもいいなら私達がトリをする必要なんてないよね?それに最初にケンカ売ったのは遅刻をして順番を変えた私達よ。あの人達はプロになろうと必死なの。プロになる夢が今日にかかってんの。そりゃ必死になるでしょ?わかった?」

「はい。はい。わかったよ…」

(でも、気に食わねぇな…アイツら…)

楽屋の端にいるガタイの良い男と緑色の髪の男はニヤニヤと薄笑みを見せながらまだ龍司達の方を見ていた。



11時。龍司達BAD BOYの演奏が15分前になった頃舞台袖へと場所を移して会場の雰囲気や今演奏をしているバンドの様子を横から見ていた。

(上手いなコイツら…)

龍司は一つ前のバンドの演奏を聴いて素直にそう思った。龍司の横に立つ真希は今演奏をしているバンドをじっと見ながら龍司に話しかけた。

「龍司?」

「ああ?」

「このバンドの演奏を聴いて龍司はどう思う?」

「えっ?まあ、素直に上手いと思うけど。」

「午前の部はね。実力のあるバンド程トリに近いってわけ。だから、トリで演奏するって事はここら辺で一番実力のあるバンドって事になるの。さっきの人達はプロ契約が掛かってるって言うのもあるんだろうけど、一番の理由としてトリで演奏するっていう事を単純に譲りたくなかったんだと思う。私達がトリなんて図々しいにも程があるんだよ。トリの一個前でも私は申し訳ない気持ちで一杯よ。頭下げて後ろの方にしてもらう事なんて本当は出来ないんだからね。赤木さんもわかった?普通なら今日遅刻した時点でアウトだったのよ。演奏出来るだけでもありがたく思いなさい。そして、私に感謝しなさい。」

「だからアイツら俺らの事気に食わないって感じだったのか。」

西澤はそう言ったが龍司も赤木も『気に食わねぇのはこっちの方だ。』と同じ事を思っていた。

「さあ、みんな気持ちを切り替えて。こうやって舞台袖からさっきの人達も見るんだから私達が実力のあるバンドだって見せつけてやりましょ!龍司も赤木さんもいいね?」

「臨むところだ。」

「じゃあ、はい。」

真希はそう言って左手を前に出した。西澤がその真希の左手の上に自分の右手を置いた。続いて赤木が西澤の右手の上に自分の右手を置き、最後に龍司が赤木の右手の上に自分の右手を置いた。全員の手が重なり合ったところで、真希も赤木も西澤も龍司の顔を見た。掛け声を出すのは龍司といつの間にか決まっていたからだ。

「楽しもう!」

龍司がそう言うと、残りの3人は、

「うぃー。」

と言って全員が手を上に上げた。

ステージに出る前に真希は靴と靴下を脱ぎ始めた。真希はライブだけでなく練習する時にも必ず靴と靴下を脱いでギターを演奏した。龍司は初めてその様子を見た時「どうして裸足になって演奏するんだ?」と真希に聞いた。真希は「裸足じゃないと集中して演奏できないの。」と答えた。ギターを弾く時だけでなくバイオリンやサックスを演奏する時にも真希は裸足になるらしい。ステージに向かう前はいつも真希が裸足になるのを待ってから4人はステージに向かう。今回もそうだ。一つ前のバンドの演奏が終わり龍司達は舞台へと上がった。舞台袖にはもうさっきの4人組がいる。4人のうちガタイの良い男と緑色の髪の男2人は腕を組みながら舞台袖ギリギリに立ちニヤニヤとまた薄笑みを浮かべている。龍司達BAD BOYの演奏が始まる。それと同時にガタイの良い男と緑色の髪の男2人が何か大声を出して叫んでいる。

(アイツら何叫んでいやがる?)

龍司はドラムを叩きながら耳をすませる。

(ダメだ。聞こえねぇ。でも、舞台袖近くにいる西澤先輩には何を言っているか聞こえているはずだ。

演奏が終わるまでドラムに集中しねぇと…)

15分間の演奏は思った以上にすぐに終わった。龍司達は舞台袖へと引き返した。ガタイの良い男と緑色の髪の男は拍手をしながら龍司達を迎えた。

「良かったよ。お前ら。」

「最高だったぜ。」

2人はそれぞれ笑顔でそう言った。龍司はその言葉を聞いて嬉しそうに答えた。

「マジかよ。お前らいい奴らだったんだな〜。」

「お前らが俺らの1コ前の演奏で良かったよ。ホント良いお膳立てをしてくれた。」

そう言って龍司達と入れ替わりに彼ら4人は舞台へと向かった。龍司は首を捻りながら西澤に聞いた。

「先輩?お膳立てってどういう事だ?」

「アイツらなめやがって…」

西澤は俯き拳を握りしめていた。

「じゃあ、私はオーナーに挨拶して来るから楽屋で少し待ってて。」

真希は靴下と靴を履きながらそう言って裏側からオーナーのいる客席に向かって行った。龍司達も舞台袖から楽屋に戻ろうとした時4人組の演奏が始まった。龍司はその演奏を聴いて鳥肌が立った。

「うめーな。アイツら…トリに選ばれるだけの事はある。」

楽屋に戻る事を忘れ龍司と赤木は舞台袖から4人組の演奏をかじり付いて見ていた。さっきから俯いている西澤の様子が気になって龍司は、

「先輩。どうしたんだよ?」

と聞いたが西澤は何も答えなかった。何も答えない西澤の様子が気になって龍司は更に質問をした。

「そう言えばアイツら舞台袖から何か叫んでたけど、なんて言ってたんスか?」

赤木も彼らが何か言っていたのには気が付いていたようで、

「俺も気になってたけど全然聞こえなかった。なんて言ってたんだ?」

と聞いたが西澤はずっと拳を握りしめている。赤木が西澤の両肩を持った。

「おい!西澤!答えろ!」

「………」

「答えるんだ西澤!あいつら何を叫んでた?」

「……アイツら…俺らが演奏してる間ずっとヘタクソだのもう演奏やめろだの言ってやがったんだ…」

その言葉を聞いた赤木と龍司は一瞬で顔つきが変わった。

「良いお膳立てをしてくれたってのは、俺らがヘタな演奏をしてくれたおかげで今から演奏する自分達がより上手く聴こえるって、アイツらそう言いたかったんだ…」

龍司と赤木は舞台袖ギリギリに立った。

「お前らまさか同じ事をする気じゃないだろうな。」

「そのつもりに決まってるでしょ!アイツらバカにしやがって。」

「龍司。やめろ。これ以上真希に迷惑をかけるつもりか?」

西澤は龍司の肩を持ったが龍司は西澤の手を払いのけた。赤木が舞台袖から4人組の演奏を聴きながら言った。

「クソが…なめやがって…」

「赤木も落ち着け。アイツらの演奏を聴いてわかるだろ?アイツらは俺達以上の実力を持ってる。」

「だから何だよ?俺はアイツらがやった事をやり返すだけだ。別に暴れたりはしねーよ。」

まず最初に龍司が大声を出して叫び始めた。

「おい!ヘタクソ!お前らがプロになれるわけねーだろーが!」

それに続いて赤木が叫び始める。

「おい!へなちょこギター。俺の方がうめーぞ。」

気の弱そうなギターを弾く男が舞台袖から一番近くにいて龍司と赤木の声が聞こえているようだった。龍司と赤木は何度も何度も叫び続けた。するとギターを弾いている男は演奏を止めてしまいその場で俯いてしまった。それに気が付いた緑色の髪の男が歌うのを止めて気の弱そうなギターの男の方を見た。ガタイの良い男もドラムを叩くのを止めクールそうな男の方もそれに続いてベースを弾くのを止めた。会場がザワザワとし始めたところで会場に響き渡るくらいの大声で龍司が叫んだ。

「おい!ヘタクソバンド何やってんだよ。さっさと演奏続けろよっ!」

赤木もそれに続いた。

「おいっ!緑頭!歌えよ!ダッセー髪色しやがって!ヘタはヘタなりに歌えんだろーが!」

ボーカルの緑色の髪の男はマイクスタンドを龍司達がいる舞台袖の方めがけて放り投げた。

「ふざけんなー!」

観客の悲鳴が響き渡る。ガタイの良いドラムの男はドラムセットを派手に倒しながら龍司達がいる方へと向かって来る。クールそうなベースの男も楽器を置き近づいて来る。気の弱そうなギターの男だけはブルブルとその場で震え上がっていた。会場でオーナーと話していた真希は異変に気付いて急いで舞台へと走り出した。

(アイツら…何やってんのよ!)

「龍司!赤木ももう止めろっ!」

西澤は龍司と赤木を止めようとするが2人は舞台袖から観客のいるステージへと向かって行こうとする。

「龍司。俺が緑髪をやる。あのドラムのデカい奴はお前に任せる。」

「了解。」

龍司はステージからやって来るガタイの良い男の方へと一直線に走り出し赤木もボーカルの緑色の髪の男の方へと走り出した。龍司とガタイの良い男は凄い勢いで殴り合いを始め、赤木と緑色の髪の男もそれに続いた。西澤は2人を止める為に出て行ったが、ベースのクールそうな男がそれを邪魔した。店のスタッフが喧嘩を止めようとするが、彼らでは龍司達の喧嘩を止める事が出来なかった。客達は一斉に店を出ようとして店内は混乱した。喧嘩を止めるのが無理だと思ったスタッフは店内にいた客達を外へと誘導する。真希は店内を出て行こうとする客と何度も体をぶつけてなかなかステージまで辿り着けない。龍司とガタイの良い男はこの間も互角に殴り合いを続けている。

「やるじゃねーか。金髪。」

「うっせー。すぐに黙らせてやる」

赤木は圧倒的な強さで緑色の髪の男を一方的に殴り続け緑色の髪の男は仰向けに倒れて気を失った。しかし、赤木は何度も何度も殴り続ける。その殴り続ける手が止まったのは西澤の苦しそうな声を聞いた時だった。


     *


最初のうち西澤はクールそうな男と互角に戦っていた。

「やるね。あんた。でも、うちのボーカルが何度も顔面を殴られててヤバそうなんでさっさと片付けさせてもらうよ。」

そう言ってからはクールそうな男の一方的な攻撃が始まった。

「ぐぅあっ。」

最後の一撃が西澤のアゴに当たり西澤は大きな声を出してその場に倒れ伏した。その声を聞いた赤木がクールそうな男の方へと走り赤木とクールそうな男は殴り合いを続けた。真希はやっとステージの前に辿り着いたが、女の真希にはもうステージの上に上がって喧嘩を止められる状況ではなくなっていた。龍司とガタイの良い男は互角に戦っていたが時間が経つと徐々に龍司が優勢になってきていた。

「ガタイ良いくせにお前体力ねーんじゃねーの?」

「うっせー。金髪…」

ガタイの良い男は龍司に勢いよく殴り掛かる。しかし、龍司は見事にそれを避け相手の鳩尾目掛けて思いきり殴りかかった。ガタイの良い男は仰向きのままその場に派手に倒れた。勝利を確信した龍司だったが、この時、龍司の後ろには気の弱そうな男が震えながらギターを抱えてブツブツと何かを言いながら龍司に一歩一歩ゆっくりと近づいていた。

「なんなんだよ…お、お前ら…なんなんだよ…」

気の弱そうな男はギターを振り上げた。その様子に真希が気付いて、

「龍司っ!後ろっ!」

と叫んだ時にはもう遅かった。ギターは龍司の頭めがけて振り落とされていた。もの凄い轟音が鳴った。龍司はその場に倒れ伏し頭からは血が流れ出している。店内は静まり返った。赤木もクールそうな男も喧嘩を止めて驚いた表情を浮かべ龍司とギターを振り落とした男の方を見た。ガタイの良い男も立ち上がって気の弱そうな男の豹変ぶりに驚いている。

「な、な、なんなんだよ…お前ら…邪魔すんなよ…横からうるさいんだよ…」

小さな声で気の弱そうな男はそう何度も同じ事を言っていた。倒れ込んでいた龍司が気の弱そうな男の右腕を掴んだ。

「な、な、な、なに…なんだよ…は、離せよ…」

龍司に掴まれた右腕を振りほどこうと気の弱そうな男は暴れるが龍司は離さなかった。龍司は掴んでいた右腕を思いっきり下に引っぱっると気の弱そうな男はその場に倒れ込んだ。龍司は右腕を持ったまま気の弱そうな男の背中に自分の体重を乗せた。

「動くなよ。デカいの。」

そう言って龍司はガタイの良い男を睨みつけた。

「やってくれたな…痛かったぜ…ギタリストさんよ…」

龍司は相手の右腕に少しずつ力を銜えていく。

「やめて下さい。やめて下さい。」

気の弱そうな男は泣きながらそう言ったが龍司の力はどんどんと強くなっていく。そして、ボキッと骨の折れる鈍い音がした。

「ぐぁぁぁーー。」

気の弱そうな男が絶叫し痛さのあまり身を捩らせのたうち回った。龍司は最後にお腹を蹴ってからまたガタイの良い男に向かって行った。赤木もその様子を見てまた暴れ出した。ガタイの良い男はどんどんと龍司に攻め寄られ防戦一方になっていた。舞台の上から逃げる様に客席に降りて行くが龍司はそれを追いかけ一方的に攻撃を仕掛ける。それを止めようと真希が龍司の後ろから止めに入るが簡単に振りほどかれてしまう。ガタイの良い男が龍司に殴られ続けてとうとう仰向けになって倒れ込んだ。それでも龍司はまだ攻撃を止めそうになかった。ガタイの良い男はもう戦意を喪失していて龍司を見る目は怯えている。龍司がゆっくりと近づいて行く。ガタイの良い男はお尻をすってずりずりと後ろへゆっくり逃げている。真希がもう一度龍司の後ろから抱きつく形で止めに入った。

「もう充分でしょ。龍司っ!」

「邪魔すんな真希!」

龍司は真希を勢いよく振りほどいた。真希はテーブルに体をぶつけて倒れ込んでしまった。

「痛いっ。」

龍司は少し冷静さを取り戻し真希の顔を見た。真希は龍司を睨みつけている。

「すまない。」

龍司は手を差し出したが、真希は龍司の手を払いのけてその場に座り込んだ。その時、バリンとガラスが割れる音がした。真希は龍司の後ろにいるガタイの良い男を見て驚いた表情を浮かべた。龍司が後ろを振り向くとそこには割れたワインのボトルを持つガタイの良い男が立っていた。

「尻込み付いて逃げてたくせに武器を持った途端強気になってんじゃねーよ。」

「うっせー。金髪。かかって来いよ。」

龍司はワインのボトルを振りかざす相手の顔面に強烈なパンチを一発食らわせワインのボトルを奪い取ろうとするが、相手はなかなか離さない。龍司は何度もワインのボトルを避けて相手の顔面に殴り掛かる。そして、相手がよろめいた隙にワインのボトルを取り上げた。

「ふざけんなよテメェ!」

龍司はそう叫んでそのボトルを勢いよく放り投げた。と同時に真希の悲鳴が聞こえた。龍司はワインのボトルを放り投げてから気が付いた。今、ワインのボトルを投げた先には真希が座り込んでいたという事を。

(まさか…)

龍司がワインのボトルを投げた先を見た。そこには踞り足を抑えている真希の姿があった。

(そんな…うそだろ……)

真希の右足の膝下辺りには割れたワインのボトルが突き刺ささり血が滲み出していた。



(まさか…まさか…そんな…)

「痛い…」

龍司は急いで踞る真希の側に駆けつけ肩に手を置いた。

「…触らないで…」

真希は龍司の手を振り払った。龍司は何度も真希に同じ事を必死に繰り返し告げた。

「すまない。すまない。」

と。そして、龍司は真希の右足に突き刺さったワインのボトルを無理矢理引き抜こうとしたが、店のオーナーが龍司の手を持って止めた。

「深く突き刺さっている。無理に引き抜かない方がいい。」

オーナーはスタッフに救急車を呼ぶように指示した。

「喧嘩は終わったようだな。」

オーナーは静かに店内を見渡しながらそう言った。緑色の髪の男と西澤は倒れていて動かない。クールそうな男と赤木はさっきまで殴り合いをしていたが真希の悲鳴に気付いて喧嘩を止めてこちらを見ている。気の弱そうな男もずっと右腕を抑えて踞っている。ガタイの良い男はもう戦意喪失しているようで何度も「ちくしょう。ちくしょう。」と繰り返し言っていた。オーナーは店内の様子を再度確認してから静かに言った。

「お前らやってくれたな…昼からも今日はライブがあるんだ。お前ら姫川さんとその腕が折れてる男以外全員後片付けしろよ。わかったな?」

龍司達も相手のバンドも何も言わずにオーナーの言う事に従った。救急車が到着し病院へ行く真希は足の痛みを我慢しながら最後までオーナーに謝っていた。その姿を見て龍司は申し訳ない気持ちで一杯になった。



龍司は夜の7時になるまでライブハウスエンジェルでスタッフの手伝いをしていた。プロのミュージシャンがすぐ側にいるというのにテンションは全く上がらない。赤木や西澤。それにモメた相手のバンドメンバーは暴れた後少し片付けをして店を出て行った。今は龍司だけがこの店に残って暴れた償いをしている。

(こんな事で償えるわけがない。だけど、何もしないよりはいい)

龍司はそう考えていた。ある程度片付けを終えると店のオーナーからは何度も邪魔だから帰れと言われ続けていたが、それでも龍司はライブが終わるまで店の手伝いをした。役に立っていたのかと言われれば決して役には立っていなかったし逆に邪魔者扱いをされていた。だけど、龍司はこの店に残った。夜8時全てのライブが終わりその後片付けを終えてから龍司は店を出た。ご苦労様やお疲れ様という言葉はオーナーの口からはもちろん出なかった。それどころかスタッフの口からもそう言った言葉はなかった。

(当然だ。そんな言葉はなくていい)

エンジェルを出た龍司は駅に向かう下り坂ではなく反対の上り坂の方へと向かって行く。ここから徒歩10分程坂を上がって行けばそこには結城総合病院というこの街で一番大きな総合病院がある。真希が救急車で運ばれたのはきっとその病院に違いないと考えていたからだ。

龍司は病院の中へと入って行き暗くなった受付けへと向かった。受付けはもう閉まっていたがちょうど近くを若い女性の看護士が歩いていた。龍司は急いでその看護師の女性に話しかけた。

「あの。すみません。今日の昼に姫川真希って子が救急車でここに運ばれたと思うんスけど…あの…入院とかしてないですか?」

看護師の女性は急に話しかけられて驚いていたが、

「姫川さん…」

と、どの患者かわからないといった感じだった。

「中学…じゃねぇ。今年から高校生でショートカットの女の子なんです。右足にワインのボトルが刺さっちまって救急車で運ばれたんスけど…」

「ああ。あの子ね。あの子なら今日一日だけ入院されていますよ。…キミは?あの子のご兄弟…ではないですよね?」

「あ、はい…同級生です。それでアイツ大丈夫だったんスか?」

「同級生…か…」

「はい。あの。教えて下さい。ああなったの俺のせいなんです。」

「そう…。本当は患者さんの事あまり教えられないんだけどね。」

そう前置きをしてから看護師は話してくれた。

「結構奥深くまでボトルの瓶が刺さっていてね…皮膚内にガラスが入ってたみたいで小切開したのよ。可哀想だけど…傷跡が残るでしょうね…」

龍司は下を向いて拳を握りしめた。

「…そんな…俺…なんて事しちまったんだ…あの、病室は?病室はどこですか?」

「キミ…さっき自分のせいでああなったって言ったよね…今あの子のお父様が来られているから今すぐ行くのは止めておいた方がいいと思うな…随分怒っておられたから…」

「……」

(真希の父親さんか…)

龍司も何度か会った事がある真希の父親の顔を想像する。背が高く貫禄のある出で立ちをしていて声は低く迫力がある。龍司は真希の父親に一種の畏怖を感じていた。看護師は龍司の後ろをびくびくと見ながら一礼をした。

「おい!お前!」

突然貫禄のある低い声が龍司の後ろから聞こえて来た。真希の父親、姫川浩一(こういち)の声だ。龍司が振り向くと同時に真希の父親は龍司の胸ぐらを掴んだ。

「このカスが。やってくれたな。」

声を張り上げるわけでもなく浩一はそう言ったが、その低い声が龍司を圧倒した。今にも殴り出しそうな顔をしている。

(殴られても仕方がない。それ程の事を…いや、それ以上の事を俺はしちまったんだ…)

龍司はじっと真希の父親の顔を見つめた。

「姫川さん。止めて下さい。」

看護師が必死に浩一の手を離そうとするが浩一の力は強く女性の看護士ではどうしようもなかった。浩一は龍司の顔を額と額がくっつきそうな至近距離まで引き寄せて言った。

「お前。俺の知り合いの店で暴れただけじゃなく真希まで傷つけやがって。」

「……」

浩一の声はずっと低く重い。決して叫びはしない。その声がかえって龍司を恐ろしくさせ目を背けたくなった。しかし、龍司は浩一の顔から目を背けなかった。

「その目、気に入らんな。」

「……」

尚も看護師は浩一を止めようとしている。

「姫川さん。落ち着いて下さい。」

今まで以上に浩一の手に力が入った。龍司は覚悟を決めた。しかし、浩一は力を込めていた手を緩め龍司から手を離した。

「…お前。もう二度と娘に近づくな。」

そう言って浩一は去って行った。今すぐに殴り出しそうだった浩一のその行動に看護師は呆気にとられていた。

「あ、ああ…キミ良かったね…私、絶対キミ殴られると思ったよ…」

龍司は暗い廊下を去って行く真希の父親の背中をただじっと見つめていた。


10


2013年4月1日(月)


昼過ぎ、龍司は真希のおばあさんの家の前にいた。昨日の事を謝る為と真希の様子を伺う為である。立派な佇まいの日本家屋の前で龍司は深呼吸をする。そして、家のチャイムを押した。勢いよくチャイムは鳴り、数秒後には真希のおばあさんが家から出て来た。おばあさんと言ってもまだ60代の若さだ。

「龍司君。真希なら病院から帰って来てすぐに出て行ったよ。高校入学前にスカートの丈を直すんだとさ。」

「真希は?真希の様子はどうですか?」

「昨日息子と…父親とモメたらしくてね…帰って来てからずっと機嫌が悪いよ。」

「そうですか……俺…その…真希に謝りたくて…」

「帰って来たら連絡をするように言っとくね。」

「はい。お願いします。」

しかし、この日真希からの連絡はなかった。


2013年4月2日(火)


龍司たちは夜、駅近くにあるM studioの一室にいた。いつもの様にバンドの練習をする予定になっていたからだ。本来なら真希も来て4人で練習をするのだが、予定時刻を過ぎても真希は現れなかった。

「おい。龍司。真希から連絡は?」

「……」

「おい。聞こえてんのかよ?」

「…聞こえてるよ…それより赤木さん。あの日、エンジェルでモメた後あんたなんで帰ったんだよ?」

「は?店のオーナーだかなんだかに言われたろ?お前ら帰れって。俺はそれに従っただけだ。俺から言わせればなんでお前残ってんだよ。店の手伝いしたからって何か変わったのか?。」

「…そういう問題じゃねぇんだよ。」

「龍司。それより真希の様子は?」

険悪なムードになってきた2人を止める様に西澤が話題を変えた。

「この2日間…真希とは会えなかった。電話しても取らないし折り返しの連絡もない。」

「そっか…心配だな。」

「西澤さん…あんた本当にそう思ってんのかよ?」

「どうしたんだよ龍司?お前落ち着けよ。」

「心配してんならどうしてあんたも赤木も病院に行ったり家に行ったりしねぇんだよ。真希に連絡ぐらいはちゃんとしたんだろうなっ!」

赤木が龍司を睨みつけながら言った。

「お前何呼び捨てしてんだよ。」

「赤木も落ち着け。俺も赤木も真希の事は心配してた。今日ちゃんと真希と会って謝ろうと思ってたんだ。この2日間何も行動しなかった事は悪かった。でも、龍司に任せておいた方がいいと思ったからなんだ。」

「じゃあ、お前に真希の事は任せるとかなんとか言って来いよ!なんでお前ら真希が怪我してんのに何もしねーんだよっ!」

「怪我させたのはお前だろ。」

赤木のその一言に龍司は驚いた。

「は?赤木…お前…何言ってんだよ…」

「お前が真希に怪我させたんだろ?俺らまで巻き込むなよな。」

「お前…何言ってんだよっ!俺らが暴れたからああなったんだろっ!俺らが暴れたせいで真希は怪我をしたんだ。わかってんのか?」

「最初に暴れ出したのはテメェだろーがっ!」

「…だから、なんだよ…」

「お前が暴れ出さなきゃ。俺も暴れなかったって話だよ。」

「ふざけんなっ!俺が暴れなくてもお前が暴れ出してただろーが!」

龍司と赤木は今にも殴り合いを始めそうな雰囲気だった。

「やめろ2人とも!ここでモメてどうすんだよ。」

「西澤。あんたもコイツと同じ考えか?俺が真希に怪我させただけで、あんたには関係ないって思ってんのか?」

「違う。関係ないとは思ってない…俺はただ……」

「ただ、なんだよ?」

「俺は止めてた…俺だって喧嘩に巻き込まれた被害者だ。」

「ふざけんなっ!お前だって暴れてただろ!」

「俺は最初お前らを止めに入ったんだっ!暴れるつもりなんかなかった…」

「ふざけんな…お前らふざけんなよっ!」

龍司は西澤と赤木に殴り掛かろうとした。しかし、ちょうどその時スタジオの部屋の扉が開いて、ゆっくりと真希が入ってきた。

「なに?あんた達モメてるの?」

「…真希…」

「なによ?」

「いや…足の具合は?」

この時真希はズボンをはいていて怪我がどういう状況かはわからなかったが、足を引きずって歩いていた。

「まだ少し痛むわ。」

「そうか……俺何度も連絡したんだぞ。今日の朝だって。」

「知ってる。」

「病院にも行ったんだけど。病室までは行けなかった。」

「それも知ってる…。ごめんね。」

「ああ、いいんだ。いや、真希は謝るなよ…」

「ごめんね。」

「だから、いいんだって。」

「ごめん。」

「……」

真希が下を向いて何度もごめんと繰り返した事によって室内は静まり返った。龍司には真希が何を謝っているのかがわからなかった。

(謝らなければいけないのは俺の方なのに…)

真希は3人の顔を見回してから急に笑顔を作った。

「ごめん。私バンド抜けるわ。」

3人ともその言葉に声が出なかった。

「バンドなんてただの遊びだったけど…結構楽しかったよ。」

部屋は静まり返ったままだ。隣の部屋から漏れて来る演奏だけが聴こえる。龍司は戸惑いながら聞いた。

「ど、どうしてだよ?どうしてバンド辞めるんだよ?」

「いろいろと考えたのよ。高校入学すると私だけ栄女でしょ?3人とは違う高校に通う事になると練習時間とかも合わせにくくなるなって思ったの。」

「ウソつくなよ。そんな事が辞める理由じゃねーだろ?お前が栄女に行くってのは前から決まってただろ?」

「……」

「俺の…俺のせいなんだろ?」

「…ちがう…。」

「ウソつくなって!俺のせいで親父さんになんか言われたんだろーがっ!」

「ちがう…」

「本当の事言えよ。俺が怪我させちまったせいで親父さんにバンドを辞めろって言われたんだろ!」

「ちがうって…私が自分で決めた事。お遊びはもうおしまい。高校に入ったらバイオリンを本格的に始めようって決めてたの。」

「なんでだよ…お前バイオリンなんかよりギターが好きだって言ってたじゃんかよっ!なに言ってんだよっ!」

「そう言わないとバンドに入れてもらえないと思って嘘ついたのよ。私はただ…少しだけバイオリンを休みたかっただけなの。バンドでも始めればバイオリンちょっとは休めるかなって思って…おかげでバイオリンを休めたわ。1年間ありがとね。」

「ウソつくなよ…ウソばっか並べてんじゃねーよっ!お前バンドやる前からバイオリン辞めてただろ?バイオリン辞めておばあちゃん家に引っ越して来たんだろっ!」

「と、言うわけで今までありがとうございましたっ!お世話になりました。」

真希は数秒間頭を深く下げた。頭を上げた真希は笑顔で言った。

「じゃあね。元気でね。」

そう言って真希は今入って来たばかりの部屋を出て行こうとした。それを止めるように龍司は真希に声を掛け続けた。

「お前本当はバンド辞めたくなんてないんだろ?続けたいんだろ?お前本当は今すっげー辛いんだろ?笑顔なんか作りたくねーんだろ?泣き出したいんだろ?」

真希はドアを開ける直前一瞬だけ下を向いて立ち止まったがすぐにドアノブを回し部屋を出て行った。

「クソっ!なんでだよっ!なんでなんだよっ!本当の事言えよっ!なんで俺らにウソつくんだよっ!」

龍司は下を向き拳を握りしめていた。

「クソっ…」

(ウソばっかつきやがって…俺のせいで…真希はやりたくもないバイオリンをしなきゃいけなくなったんだ…俺のせいで…)


11


「これからは3人でバンドを続けよう。いいな?」

「ああ。そうしよう。俺がボーカルをやる。龍司もいいな?」

「全部…俺のせいだ…」

「真希の奴、親父にバンドを辞めろって言われたからってそれに従うような奴か?違うだろ?あいつが言ったようにあいつ自身が決めた事なんだよ。」

龍司も真希の性格は良く知っている。西澤の言う通り真希の気の強さなら父親に何を言われても自分の好きな事をやるはずだと思う。バンドに入った時も父親に相当反対されたはずだ。だけど、真希はバンドを始めた。バイオリンよりもギターが好きだったから。そんな真希がどうしてバンドを辞める決断をしたのか龍司にはさっぱりわからなかった。

「わりぃ。俺、今日は帰るわ。」

龍司はスタジオを出て一人ルナへと向かった。スタジオからルナへ向かうまでの短い距離の中も龍司はずっと真希がなぜバンドを辞める決断をしたのかを考えていた。しかし、その答えは出て来ない。

(いつかあいつバンドに戻って来てくれるんじゃないか?赤木と西澤の態度は気にいらねぇ…だけど、真希がもしバンドに戻ってくるなら…それまで俺は…このバンドに残ってやる…あいつがいつでも帰って来れるように…)

「いらっしゃ〜い。あれ?今日は一人?」

店に入るなり結衣の元気な声が聞こえた。

「結衣一人か?」

「ううん。新治郎は買い出し中。」

結衣がそう言ったそばから新治郎は店に帰って来た。

新治郎は店に龍司がいる事を確認して何故か悲しそうな目を龍司に向けた――ような気がした。

「いらっしゃい。」

「…マスター俺ホット。」

「あいよ。」

結衣は龍司にいつもの元気がない事に気が付いた。

「なに龍ちゃんバンドメンバーで喧嘩でもしたの?」

「…真希がバンドを辞めた。」

「えっ?なんで?」

「はっきりした理由はわからねぇけど…俺のせいなのは確かだ…」

「なんで真希さんが抜けるのよ?なんとかならないの?」

「ああ…」

新治郎は水を運びながら真面目な顔で言った。

「真希を止めなかったのか?」

「…止めれなかった…」

新治郎はふぅ〜と長いため息をついてカウンターの中へと入りコーヒーを作り出した。

結衣は龍司が座ったカウンター席の横にちょこんと座った。そして、龍司の顔は見ずに正面を向いたまま言った。

「龍ちゃん一人でだいじょーぶ?」

「…俺は…一人じゃねーよ。赤木も西澤もいる…」

「赤木さんも西澤さんも龍ちゃんの友達?違うよね?やっぱり距離があるよね?それを真希さんが上手く合わせてくれてたんだと(はた)から見ててもわかるよ。だから、龍ちゃんは…今、一人だよ…」

「…………」

新治郎がそっと温かいコーヒーを龍司の目の前に置いた時、龍司の目からは一筋の涙がこぼれた。

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