間奏曲 5―Episode Minami―
1
鮮明な赤色をした日記帳に残された11月24日までの彼女の日記を読み終えた橘拓也はこの年の日記を読み終えたら少し休憩しよう。そう決めて残り一ヶ月弱の日記に目を通した後、コーヒーを用意した。そして、新しい年の彼女の”声”に耳を傾ける。
1月1日。彼女の残した”声”があと少ししかない事を覚悟しページを捲る。
―彼らは…これからどうなっていくのだろう?
日記には俺達の心配をしてくれていた。
―彼女は…どうなっていくのだろう?
これはバンドを抜けたピアニストの心配。
―そして…私は?
そして、彼女自身の心配。
―先が見えない事が改めて恐ろしいと感じた。
この年最初の日記は不安から始まっていた。
今の自分以上にこの時の彼女は先が見えない恐ろしさを感じていた。
俺は少しでもその恐怖を取り除く事が出来ていたのだろうか?
彼女は最後のページに一体何を書いているのだろう?
彼女の最後の言葉を知りたい。だけど知る事が恐い。
この日記を読み終えた時、俺は一体何を思うのだろう?
急に続きを読む事が恐ろしく思えてきて拓也は日記を閉じようとした。しかし、すぐに首を振り日記を閉じようとしたその手を止め次のページを捲った。
2
4月15日。4人で路上ライブを再開させて半月が経った時の日記。
この頃は、そうだな。ピアニストが抜けたショックから楽しんで歌う事なんて出来ていなかった。そんな俺達が歌う曲を聴いて誰が楽しんでくれるだろうか…
今もこの時と同じだ。俺達に……
俺に人を楽しませる事は出来ない……それどころか……
3
4月27日。拓也はこの日記を声にならない声を出し読み進めた。
今日、友達に私が死んだ時の事を話した。
もし、私が死んで君がこの日記を読んでいるのなら。
私の事は良い思い出として前に進んでほしい。
それが私の望み。
きっと君は私が死んだらダメになっちゃう気がする。私はそれが心配なの。
日記を読んでいる君には辛い事を書くよ。だけど、これは君の事を思って書いている事だけはわかってほしい。
私、恋人なんて作るべきじゃなかったんだって心の中でずっと思ってた。私はあなたと付き合えて本当に嬉しかったし楽しかった。だけど、どうしても私が死んだ後の事を考えると付き合うべきじゃなかったのかもって思ってしまうの。
死んだ人には意識も想いも何もないと思う。天国なんてない。だから、私はきっと天国からあなたを見守っているなんてここでは書けないの。
生きている人が死んだ人を想ってても何も変わらない。
次に進まないといけないんだよ。
死んだ人をいつまでも想い続けるのは辛いだけだよ。
だから…忘れろとまでは言わない。
言わないけれど、どうか新たな道に……前に……進んで欲しい。
「確かに……言っていたな…死後の世界とか産まれ変わりとか信じてないって。死んだら終わり、その人の感情は残らないって。そして君は生まれた事の意味を問い掛け生きる意味を知りたいと言った。
そして…君は私の生きる意味は沢山の愛を知る事だったと言って俺の生きる意味は沢山の人に様々な想いを届ける事だと言ったね。」
拓也は天を仰ぎ大きくため息をついた。
4
5月31日
私は…いつまで彼らを見ていられるのだろう…
私は…いつまで普通の生活が出来るのだろう…
私は…いつまでこの世界にいられるのだろう…
彼女の不安な文字が続く。
「本当はこんなに不安や恐怖と戦っていたのに…そんな素振りを見せなかったね…いや、俺がちゃんと見れていなかっただけなのかもしれないね…俺…君の不安や恐怖を少しでも取り除く事が出来ていたのかな……」
5
5月31日から8月2日まで日記が書かれていなかった。
その理由は8月2日の日記に書かれている。
日記を書かなかった理由、それは毎日の生活で疲れてしまって書くという事が億劫になってしまっていたから。そう書かれていた。
毎日の生活で疲れてしまって―この文字以上に彼女は文字を書く事すらしんどかったのだろう。だけど、彼女は自分の”声”を残そうと力を振り絞り日記を書く事を決めたのだ。
6
8月9日
みんな前に歩き出した。私だけが取り残された気分になっていた。
だけど、彼らの歌を聴いていたら辛い思いや悲しい気持ち全部吹き飛ばしてくれた。
私も前を見なきゃ。そう思う事が出来た。
そろそろ私も変わらなきゃ。
久しぶりに前向きな文章が並んでいた。
俺達の演奏で彼女を前向きにさせていた事が嬉しかった。
7
8月17日
私も前を見て変わらなきゃって―この前そう思ったところなのに。
今日、私はバイト先で失神してしまった。
みんなに失神したところを見られてしまった。
みんなは私が気を失うところを見た事がなかったから驚いていた。
また私はみんなに心配を掛けてしまった。
症状が悪化して失神する回数が増えた。
その後の文章を読んで拓也は項垂れた。
私はいろんなものをこれから手放していかなければいけない。
その覚悟を決める時がやってきてしまったのかもしれない。
「…そんな覚悟…必要のないものなのに……」
拓也は拳を握りしめた。
8
8月30日
高校最後の夏休み。
旅の記念に私の写真を撮りたいって君が言って来た。
旅の記念ってなに?
私はそう思ったし一人で撮られるのも慣れていない。
恥ずかしいけれど君に撮ってもらえるのは嬉しいなって思った。
私のカメラ、初めて持ったはずなのにとってもステキ写真を撮ってくれてありがとね。
自分で言うのもなんだけど、私、君の前でこんなステキな笑顔を見せてたんだって思うと嬉しくなったよ。
私史上最高の笑顔。このノートに貼っとくね。
次のページに拓也が撮った彼女の写真が貼られている。
拓也は震える手でその写真をノートから取り外した。
「ああ…ああ…」
もう二度と会えない。もう二度とこの笑顔を見れない。
すぐ側にいてくれたのに…
今まで沢山の笑顔をすぐ側で見れていたのに…
もう二度と……
9
9月1日
いつか聞いたよね?私の夢は何かって。あの時、私は本当の夢を君に言えなかった。
多分、私、直接夢を語ったら泣いちゃうから…ここに書く事にします。
私の夢、
私の夢は
何気なく
ささやかで
穏やかな日常を
普通に
出来るだけ長く
ただ送りたい。
それが君に言えなかった私の本当の夢。
「…俺に言えなかった本当の夢、か……君が望むささやかな夢に俺が気付かなかったとでも思っていたのか?」
10
9月10日
夜、一人で静かな場所にいると壊れてしまいそうだ。
まるで床に落として壊れてしまったカメラのように…
自分で壊してしまったカメラを見つめ、私は深いため息をついた。
こうやって私は一つずつ何かを失っていくのだろう。
次に失うのは何?
学校?友達?恋人?
そう考えると恐ろしく恐い。
当たり前に出来ていた事。
当たり前にそこあったもの。
当たり前だったそれらを失っていく恐怖を彼女は感じていた。
彼女が失っていったものは何だろうか?
カメラ、学校、夢、当たり前の生活……
死んだら終わり、その人の感情は残らない――彼女が放った言葉が脳裏をよぎる。
彼女はひとつずつ確実に全てを失っていった――そう考えてしまって拓也は頭を振った。
彼女は沢山のものを失った。死んだら終わりでその人の感情が残らないというのなら全てを失う事になる……生きていた意味が本当に何もない事になる……
全てを失ったわけじゃない――拓也はそう信じたかった。そう思わなければ壊れてしまいそうだった。
11
9月15日
夜の帰り道、彼に言われた。
私の嘘は優しい嘘だと。
彼の前ではしんどくってもしんどくないって私は今まで嘘を付いていた。
彼はもちろんそんな事にはずっと前から気付いていて私が嘘を付く度にどうして本当の事を言ってくれないんだろうと悩んでいたんだ。
ごめんね。私、君に心配を掛けないつもりが心配を掛けていた。
元気なふりが出来る間は元気なふりをしようと思ってたんだ。
だけど、自分では元気なふりをしてたつもりだったのに上手く出来てなかったんだね。
もう私…元気なふりも出来なくなってきたんだね……
しんどそうな顔を見せて、みんなに心配掛けてるんだね。
心の中でずっと思っていたんだよ。俺の前では無理をしなくていいんだって。しんどい時はしんどいと言ってほしかったんだ。元気なふりが出来なくなったわけじゃないんだよ。
君は……この日から素直になれたんだよ。
12
9月16日
私は君が大好きで…この気持ちを抑える事が出来なくて…
だけど私と一緒にいると君は本当に辛い思いをすると思う。これから私の体が弱っていく姿を見るのが辛くなっていくと思う。もし、私から目を逸らしたくなったり逃げ出したくなったら私を捨ててくれても構わないの。
本当は私から別れを切り出せれば一番良いんだろうけど…
だけど…どうしても私から君に別れて欲しいとは言えなかった…
今、君と別れれば…今なら…今、別れれば。何度もそう思ったよ。君の事を思えば今が別れるべき時なんだって。今、別れてしまえば君は最低限の傷を負うだけで済むんだって。
だけど…私は別れて欲しいとは言えなかった。
本当にごめんなさい。
私、君の事が大好きだから。無理にでも元気なふりをして嫌われたくないって、一緒にいてほしいって思ってしまっていたの。
昨日、君に強く抱きしめられて言えなかった事をここに書きます。
私のわがままに付き合ってもうらうのは悪いんだけど…私にはやっぱり君が必要で。君にとっては本当に辛い事かもしれないけれど、最後の一瞬まで側にいて欲しい。
だけど、私が死んでしまった後もずっと私を愛し続ける事だけはやめてほしい。
勝手だよね。自分でも勝手な事を書いてるってわかってるんだ。
勝手で残酷な事を書いてるのはわかってる。
だけど、私は君がいないと壊れてしまう。
だから、ずっと側にいてほしいんだ。君がいるだけで恐怖が和らぐんだ。だから、人生最後の日に君と一緒にいたい。
君にはこれから私が想像している以上の辛い思いをさせてしまうのかもしれない。本当にごめんなさい。
ううん。
違うね。
本当にありがとう。
「あぁ…あぁ…」
声にならない声が出る。彼女の”声”を聞きその”声”に感情が追いつかない。
彼女は悩み、もがき、苦しみ、これでいいのか正しいのかと自問自答を繰り返し懸命に生きていた。
彼女は俺と一緒にいたいと思ってくれていた。だけど、自分が死んだ後の事を考えるとそれは残酷な決断をしていると自分を責めていた…だけど……俺は…俺なんかと一緒にいたいと思ってくれた事が嬉しかった。
13
10月22日
みんなが私をバンドの一員と言ってくれた。
私なんかを仲間だと言ってくれた。
私、本当に嬉しかった。
カメラが壊れてなかったら、この可愛いキーホルダーを写真に撮ってここに貼るのになぁ。
そう書かれた日記の次のページを捲るとキーホルダーを撮った写真が貼れる程のスペースがあいており、そのスペースの下には『仲間の証』と書かれていた。
何も貼られていない写真を想像しながら拓也は使い捨てカメラを構える彼女の姿を思い浮かべ、部屋に飾られている自分のキーホルダーを眺めた。
「君は俺達がバンドを結成する前からずっと見守っていてくれていた。間違いなく俺達の仲間だったよ。」
14
11月1日
リーダーを先頭にステージに上がって行く。
その後ろ姿が私はたまらなく好きだった。
その写真がどうしても撮りたくて私は彼らのライブ前に使い捨てカメラを買った。
ちゃんと撮れてるかな?
現像してみないとわからないこのドキドキ感が好きだけど、この写真だけはちゃんと格好良く撮れていて欲しい。
この日の写真は貼られていない。
15
11月1日の日記の後は何も書かれていなかった。
拓也は「嘘だろ。」と呟き何度も何度も繰り返しページを捲ったが彼女の日記は11月1日で止まっていた。
「そんな……」
拓也は彼女が亡くなる2月14日の前日まで日記を書き続けているものだと想像していた。
だから11月1日で日記が終わっている事なんて想像もしていなかった。
「嘘だろ……どうして……」
拓也は白紙が続くページを捲るのをやめなかった。
どこかに…どこかに続きがあるはずだ。
そう思って何度も何度も何度も何度も繰り返しページを捲る。
何度確認しても続きの日記はどこにも書かれていない。
拓也は驚きとショックと悲しみを同時に感じながら鮮明な赤色の日記帳を閉じた。




